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ロバート・クビサ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロベルト・クビカから転送)
ロバート・クビサ
Robert Kubica
ロバート・クビサ(2019年)
基本情報
国籍 ポーランドの旗 ポーランド
生年月日 (1984-12-07) 1984年12月7日(40歳)
出身地 ロバート・ユゼフ・クビツァ
Robert Józef Kubica
ポーランドの旗 ポーランド
クラクフ
基本情報
略称表記 KUB
F1での経歴
活動時期 2006-2010,2019,2021
所属チーム '06-'09 BMWザウバー
'10 ルノー
'11 ロータス・ルノー
'19 ウィリアムズ
'21 アルファロメオ
車番 88
出走回数 99
タイトル 0
優勝回数 1
表彰台(3位以内)回数 12
通算獲得ポイント 274
ポールポジション 1
ファステストラップ 1
初戦 2006年ハンガリーGP
初勝利 2008年カナダGP
最終勝利 2008年カナダGP
最終戦 2021年イタリアGP
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基本情報
WRCでの経歴
活動時期 2013-2016
所属チーム アブダビ・シトロエン・トタル・WRT
M-スポーツ ワールド・ラリー・チーム
出走回数 33
チャンピオン回数 0
優勝回数 0
表彰台回数 0
ステージ勝利数 14
通算獲得ポイント 43
初戦 2013年ラリー・ド・ポルトガル
最終戦 2016年ラリー・モンテカルロ
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ロバート・ユゼフ・クビツァRobert Józef Kubica, 1984年12月7日 - )は、ポーランド共和国クラクフ市出身のレーシングドライバー

ワールド・シリーズ・バイ・ルノーおよびWRC2の初代チャンピオンで、ポーランド人初のF1ドライバーである。

姓について

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意味

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キリスト教新約聖書に出てくる使徒聖ヤコブ(いわゆる「大ヤコブ」、英語のジェイコブ)のポーランド語読み「ヤクブ(Jakub)」の指小形「クーバ(Kuba、ヤクブちゃん)」より。Kubicaの意味は「ヤクブちゃん家(あるいは、ヤクブちゃんのセガレ)の…」なので、Robert Kubica はを字義どおりに解釈すると「ヤクブちゃん家のロベルト」の意味になる。この姓はポーランドでは南部のマウォポルスカ地方とその周辺に多い。特にタトラ山脈のあるポトハレ地方独特の「グラル人(山の人)」と呼ばれるポーランド人の間でよく見られる姓である。クビツァの出身地であるクラクフはかつてポーランド王国首都が置かれるほど栄えた、マウォポルスカ地方の中心都市で、そこでは「Kubica」という姓は珍しくない。

発音・表記の仕方

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日本語表記については、姓は「クビカ」、「クビサ」と表記されていたが、2006年シーズン途中でBMWザウバー広報から「クビカ」表記は止めて欲しいとのリリースがあった。しかし、クビツァと親しい川井一仁が本人に聞いたところ「クビカ」、「クビサ」、「クビツァ」を含めどの呼び方をされても気にはしていないようだとF1GPニュースで発言している。

F1関連のウェブサイトなどでは「ロバート・クビツァ」と表記するところが最も多い一方で、本来のポーランド語では「ロベルト・クビツァ」(例: サッカー選手のアンジェイ・クビツァ)、ポーランド南部の山岳地方では「ロベルト・クビッチャ」のように訛って発音するところ(グラル人など)もあり、2007年シーズンより、モータースポーツに手厚い東京中日スポーツを始め、朝日新聞共同通信などメディアでは「ロベルト・クビツァ」へと表記の切替が行われている。アクセントはロベルトの、クビツァのにつく。ポーランドでも人によってはアクセントを強調して「ローベルト・クビーツァ」と発音することがある。 なお、国際音声記号ではRobert Kubica.ogg ['robert ku'bitza][ヘルプ/ファイル]であり、これによればロベルト・クビツァがもっとも近い。また、英語圏のテレビ放送でも「クビーツァ」と母語に近い発音をしており、日本で多くのマスコミが使用する「クビサ」は少数派であるともいえる。

初期の経歴

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4歳の時に両親にねだって買ってもらった4馬力のオフロードカーが自身のキャリアの出発点である。クビツァはこの車でペットボトルの周りを運転して遊ぶことに日々熱中した。成長すると父親Arturはカートを与えたが、クビツァは当時幼く、10歳以上でなければポーランド・カート選手権(the Polish Karting Championship)に参戦できなかった。10歳になり参戦すると、3年で6つのタイトルを獲得した。

その後次のステップに進もうと考え、父親の勧めで単身イタリアに渡る。1998年に国際イタリア・ジュニアカート選手権の初の外国人チャンピオンとなり、ヨーロッパ・ジュニアカート選手権でシリーズ2位、ジュニア・モナコ・カートカップで勝利と、初年度から華々しい結果をあげた。翌年、イタリアでのタイトルを防衛し、ドイツ国際カート選手権に参戦。またジュニア・モナコ・カートカップで再び勝利、マルグッティ・トロフィーやエルフ・マスターズレースといった名のある大会でも勝利を収める。2000年、ヨーロッパおよび世界選手権でともに4位となり、カートでのキャリアを終える。

ジュニア・フォーミュラ

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エプシロン・ユースカディ時代のクビツァ。

2000年にフォーミュラカーレースにステップアップ。フォーミュラ・ルノーのテストドライバーとなる。2001年にユーロカップとイタリア選手権への参戦を開始した。フォーミュラ・ルノーには翌年まで留まり、2002年にユーロカップをランキング7位、イタリア選手権では10戦中4勝をあげてランキング2位という結果で終えた。

2003年にF3ユーロシリーズへと参戦し、ランキング12位。2004年に同選手権でランキング7位、同年のマカオGPでは2位表彰台という結果を残した。

2005年には、この年ワールドシリーズ・バイ・ニッサンから改組されて新たな選手権の初年度として開催されたワールド・シリーズ・バイ・ルノーエプシロン・ユースカディチームから参戦し、4勝を挙げて初代チャンピオンに輝いた。再びF3マカオGPにも参戦し、前年同様2位表彰台を獲得した。

同時に、この年はルノーミナルディなどからF1のテストにも参加し、ステップアップへの足がかりを築いた。

F1での経歴

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2006年アメリカGPにて。

F1(第1期)

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2006年

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2006年BMWザウバーの第3ドライバーとして起用され、特にシーズン中盤になってチームが力をつけるにつれ、金曜日のフリー走行や、テストなどでも好タイムを記録した。レギュラードライバーのジャック・ヴィルヌーヴが第13戦ハンガリーGPを欠場したため、このレースにおいてポーランド人初のF1ドライバーとして急遽デビューを飾った。荒れたレースの中7位で初完走し入賞圏内でレースを終えたが、マシン重量が最低基準に2kg足りなかったため失格となった。その後、ヴィルヌーヴはそのままBMWザウバーから離脱したため、以降のレースも参戦することとなった。第15戦イタリアGPでは3位でフィニッシュし、デビュー3戦目にして初の表彰台に輝いた。このレースでは、優勝したミハエル・シューマッハがトップ3ドライバーの記者会見で現役引退を表明。クビサはその引退を発表する会見の席に同席することとなった。残りのレースで入賞することは叶わず、結局この年の入賞はイタリアGPのみに留まったが、初年度にして3位表彰台を獲得する活躍を見せた。

2007年

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2007年カナダGPにて。

2007年マクラーレンフェラーリが圧倒的な速さでシーズンを支配した。第3戦バーレーンGPからは3戦連続で入賞するも表彰台には手が届かず、BMWザウバーは苦戦が続いた。そんな中迎えた、第6戦カナダGPでは大クラッシュに見舞われた。オールドピットヘアピン手前の左コーナーでヤルノ・トゥルーリと接触。接触自体は軽かったもののコースアウトした際に芝生の段差でマシンが跳ね、前輪が浮き上がったままになったためにコントロール不能のまま直進し270km/hの速度でコンクリート壁に激突した。車体は跳ね返って数十メートルに渡り回転しながら移動し、ヘアピンのランオフエリアで横倒しになりようやく停止。特にフロント部分の破損が著しく、両足が露出するほどの凄まじいクラッシュだったため安否が気遣われたが、幸いにも軽い脳震盪と右足首捻挫のみと診断された。しかし、FIAの医師団の判断により第7戦アメリカGPは欠場した。代役として、後の四度のワールドチャンピオンとなるセバスチャン・ベッテルがF1デビューを飾った。第8戦フランスGPで復帰すると、残り10戦中8戦で入賞する安定感を見せたが、表彰台獲得には至らなかった。

この年は最高位は4位に留まり、ランキング6位に終わった。

2008年カナダGPにて。

2008年

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2008年開幕戦オーストラリアGPで予選での自己最高位である2位を記録。決勝ではレース中盤で中嶋一貴に追突されリタイアに追い込まれる。しかし、第2戦マレーシアGPでは自己最高位である2位を獲得し、約1年半年ぶりに表彰台へと上った。さらに第3戦バーレーンGPでは自身とチームにとって初のポールポジションを記録。決勝でもフェラーリの2台に続く3位でフィニッシュし、2戦連続表彰台に上った。また、第6戦モナコGPでもミスの無い走りで2位表彰台を獲得。市街地コースでの強さをアピールした。前年に大クラッシュに見舞われた第7戦カナダGPでは、完走が13台という荒れたレースを制し、ポーランド人として初優勝を飾ると共に、BMWザウバーにも初優勝をもたらした。この結果、ドライバーズランキングで初めてトップに立った。この飛躍の裏にはオフシーズンの大幅な減量で可能になったバラストの追加配分があったとされる[1]。しかし、シーズンが進むに従って調子を落としていった。これはランキング上位に付けチャンピオン争いが可能にもかかわらず、シーズン後半には早々にチームが翌年の車の開発に比重を移してしまった事が影響しており、このチーム方針に対しクビツァは不満を呈していた。

この年は、優勝1回を含め7回の表彰台獲得、ポールポジション1回獲得などの活躍を見せ、シーズン終盤までタイトル争いに絡んだ。最終的に3位のキミ・ライコネンと同ポイントのランキング4位でシーズンを終えた。

2009年イタリアGPにて。

2009年

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2009年シーズンBMWザウバーから参戦。この年投入されたマシンF1.09には前年ほどの競争力はなく、開幕戦オーストラリアGPで終盤に一時3位を走行する活躍は見せたものの、第10戦ハンガリーGPまでにポイントを獲得したレースは1回のみで、それ以外はポイント圏内はおろか、トップ10にすら入れないレースが続いた。 ベルギーGPでは予選5位を獲得し、決勝でも4位でチェッカーを受けた。第16戦ブラジルGPで雨で混乱が起きた予選では8位を獲得し、決勝では巧みな戦術と運転技術で久しぶりの表彰台となる2位になった。

同年7月でBMWがF1撤退を表明したが、10月7日にはルノーへの移籍を決め、次期のシートを獲得している。

2010年マレーシアGPにて。

2010年

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2010年シーズンルノーF1から参戦。シーズン前はチームの資金難が続きR30の開発が遅れたが、その後スポンサーが続々と決定され、また建設中であった新しい風洞試験装置が完成するとともに開発のスピードは上がっている。開幕戦バーレーンGPではスタート直後の1コーナーで前を走るマーク・ウェバーの車がエンジンオイル量過多のため突然白煙を噴いたことに驚いたエイドリアン・スーティルが急な進路変更をしクビツァのマシンに接触、クビツァとスーティルの2台のマシンはスピンした。2人ともすぐにレースに戻り、特にクビツァは最後尾から懸命の追い上げを見せたが11位でゴールし、惜しくもポイント獲得(10位までに与えられる)を逃した。 第2戦オーストラリアGPでは予選9位からスタート、混乱の中1周目に4番手まで順位を上げ、のち2位まで順位を上げた。その間メルセデスGPのニコ・ロズベルグ、マクラーレンのルイス・ハミルトン、フェラーリのフェリペ・マッサからゴールまで30周以上にわたって次々と激しい追撃に遭ったものの、巧みな運転技術でこれを封じて順位を死守したクビツァはそのまま2位でゴール、2010年初の表彰台を飾り、上位陣に比べて戦闘力が大幅に劣るといわれるルノーの現行マシンで、しかも上位陣の追い上げを巧みに抑え続けての表彰台獲得はフランスやドイツのメディアから「センセーショナル」と報じられ[2][3]、2009年の第16戦ブラジルGPに引き続いて自己の高い実力を再度証明することになった。

また、得意の市街地サーキットである第6戦モナコGPでは予選で驚異的なパフォーマンスを発揮し、明らかにマシン性能で上回るドライバーらを抑えて2位を獲得すると、決勝ではスタートで1つ順位を落とすもののそのまま3位表彰台を獲得した。同じく市街地サーキットの第15戦シンガポールGPではレース終盤6位走行中にタイヤトラブルにより予定外のピットストップを強いられ13位に後退するも、新しいタイヤのグリップを活かして驚異的な追い上げをみせ、オーバーテイクが非常に難しいマリーナ・ベイ・サーキットで前にいるマシンをごぼう抜きしてみせた。結果落とした順位は僅か1つの7位でフィニッシュするなど、改めて市街地サーキットでの強さをみせた。


2011年

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開幕前のバレンシアテストの最終日に新車R31で全体のトップタイムを記録するなど好調なスタートを切ったが、その直後の2月6日にイタリアで趣味でもあるラリーに参戦中大クラッシュ、手首を含む複数個所を骨折した(詳細は#事故を参照)。少なくとも、負傷箇所の完治だけでも10ヶ月以上かかる見込みであったため、2011年のF1世界選手権の欠場は避けられない状況になったうえ、レーサーとして復帰することすら絶望的と思われた(2012年から2017年の情報は#F1以外のレース活動を参照)。

F1(第2期)

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2018年

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2017年6月のバレンシアのテストセッションで6年ぶりにルノーのF1マシンをドライブ。116周を走破し、テストドライバーのセルゲイ・シロトキンを上回るタイムを記録。同年9月には、2016年のF1チャンピオンであるニコ・ロズベルグを共同マネージャーに起用することを発表[4]。10月に入るとウィリアムズで2014年型マシンによる2回のテストも実施[5]し、安定した速さでF1マシンを走らせることができる点をアピールした。

そのため、2017年シーズンを以て引退を予定していたウィリアムズのフェリペ・マッサの後任候補にクビツァの名前が浮上した。その後、アブダビGP後のアブダビでのテストではウィリアムズの2017年型マシンでテストにも参加した[6]。最終的にウィリアムズはマッサの後任にセルゲイ・シロトキンの起用を決め、2018年のレギュラードライバーにはなれなかったものの、クビツァは同チームのリザーブドライバーとして[7]F1の世界に再び関わっていくこととなった。2018年シーズン中はスペインGPとオーストリアGPの金曜日フリー走行に出走。他にはチームが参加していた公式テストも担当した。

ウィリアムズのリザーブドライバーとして働きながらレギュラーシート獲得を目指していた時、サマーブレイク中に起きたランス・ストロールの父親で資産家のローレンス・ストロールが率いるコンソーシアムがフォースインディアを買収した出来事が彼に大きく影響を与える。この影響で同チームの彼のシートが空く可能性が出てきたため、ウィリアムズは彼の後任を探し始める。その候補にはクビツァの名もあり、2019年から彼が同チームの正ドライバーになるのではという見方が出てきた。だが、ウィリアムズの資金難の影響で持参金などの金銭的メリットが重視され、アメリカGP前にその要素がないジョージ・ラッセルが起用されたことにより、もう一人のドライバーはその点が重要視されるという見方が強まった。そのため、実戦経験ではほかの候補を上回れても、その点がないに等しいクビツァは不利と見られ、一時はフェラーリのリザーブドライバー就任が有力視された。ところが、母国ポーランドの石油会社PKNオーレンが彼のための持参金を用意する情報[8]が流れたのをきっかけに流れが変わった。当初は持参金が用意できるセルゲイ・シロトキンの続投やメルセデスから間接的な支援を得られるエステバン・オコンの起用が有力視されたが、2018年11月22日、ウィリアムズが日本円で10億円を超える支援金を確保[9]したクビツァを翌年のレギュラードライバーに起用したことが発表[10]された。これにより、クビツァのF1復帰が確定することとなった。

2019年

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2017年の頃からテストという形でF1に関わっていたが、今シーズンからウィリアムズのレギュラードライバーとしてカムバック[11]し、2010年アブダビGP以来8年ぶりの実戦となる。チームメイトはメルセデスのジュニア・ドライバー・プログラム出身の新人ジョージ・ラッセル

彼の活躍を期待する声が多かったものの[12]、少数ではあるが苦言[13]や不安視[14]する声もあった。特にウィリアムズでタイトルを獲得したジャック・ビルヌーブは厳しい目で見ており、以前からクビサの復帰については安全面の観点[15]から反対していた。そして、シーズンが開幕すると苦難の幕開けであった。

所属チームのウィリアムズは昨年に引き続いて深刻な不振に陥っており、チームメイト対決においても大半は予選・決勝共に敗北。また、ビルヌーブも開幕戦終了時点で「いいメッセージではない」[16]とストレートに批判していた。本人は当初マシンの個体差に懸念を示していたが[17]、ラッセル車と交換しても改善せず[18]、少なくともマシンの性能不足はあれど品質のトラブルがない以上、クビサの能力を疑問視する根拠を提供する結果となった[19]。ただし、第6戦のようにクビサが先行していたにもかかわらず、ラッセルのピットインを優先させたこと[20]や他の作業が優先された影響もあるが、クビサ用に調整されたステアリングが使用できるようになったのは第14戦からであること[21]が明かされるなど、チーム側は平等に扱っているとコメントしつつも実質ラッセルの方を優先していることを示唆した。 そのため、シーズン中盤には速くもウィリアムズ離脱が囁かれており、クビサのスポンサーも他チームにクビサの売り込みを掛けるなど厳しい立場に立たされていた[22]。 そんななか、第15戦前に行われた記者会見に出席したクビサは、自身の決断で今季限りでウイリアムズを離れることを表明[23]。会見後にチームもクビサの決断を尊重した結果というコメントを正式に発表。これにより、今季でF1を離れることが確定した。

ほぼ毎戦が最下位争いとなる中、第11戦ドイツにて、アルファロメオ2台がペナルティでタイム加算により繰り上がり、復帰後初の10位入賞となった。また、キャリアとしては、開幕戦からは9戦、通算なら13戦連続完走が最高であったため、テールエンダーとはいえ、第14戦イタリアGP完走に伴い、自身の連続完走記録を更新した形となった。

2020年

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2020年はアルファロメオ・レーシングに移籍し、リサーブドライバーを務める。またクビサをバックアップするポーランドの石油企業、PKNオーレンもアルファロメオに移籍しチームのメインスポンサーを務めることとなった。アルファロメオは元を辿ると、クビサのデビューチームであるBMWザウバーでありリサーブドライバーという形ではあるが11年ぶりの古巣復帰という形になる。数レースで金曜日のフリー走行1回目に出走している。

2021年

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2021年もアルファロメオのリザーブドライバーを継続し、数レースで金曜日のフリー走行1回目に出走。また、オランダGP・イタリアGPでは新型コロナウイルスに感染したキミ・ライコネンに代わって代役出走。それぞれ15位,14位完走を果たした。

2022年

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レギュラードライバーは一新されたが、引き続きアルファロメオのリザーブドライバーを継続。数レースで金曜日のフリー走行1回目に出走する。

事故

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2011年2月6日イタリアで開催されたラリーイベント「ロンド・ディ・アンドラ(Rally Ronde di Andora)」で大クラッシュを喫した。シュコダ・ファビアS2000で参戦したクビツァは右から左へと連続して曲がる高速カーブでミスをしガードレールに接触した。事故ではガードレールがクビツァが駆っていたファビアの車体を正面から突き破り、クビツァは右腕の複雑骨折、左手、足などの単純骨折を負う重傷であった。その後医師達によってサヴォーナ県ピエトラ・リーグレにあるサンタコロナ病院にヘリコプターを使って搬送された[24][25]。施術に伴う右腕切断の可能性も検討されたが、専門医による7時間にも渡る手術の末に切断という最悪の事態は免れた。しかし重傷である事には変わりなく、今後レースを続けられる程に右手の機能が回復するかどうかが懸念されている。また、クビツァの完治には10ヶ月以上かかるとみられ、2011年のF1世界選手権を欠場することが確定的であると報じられた[26]

2月8日、クビツァがクラッシュした様子のコンピュータシミュレートが公開された[27]。シミュレーションでは右カーブが終わる際に車両後部左側をガードレールに接触させた反動で車体が過度に左に旋回し、ガードレールに正面から接触した。その際にガードレールの鉄板がボンネットから突き破って車内を貫通し、そのままハッチバックドアにまで至った。今回の事故は力点が分散する「面」での接触事故ではなく「線」での接触事故であり、車両設計の段階で安全基準をクリアしていても、重大事故を避けられない車両設計の難しさを露見する結果ともなった。この他にもクビツァの事故直後の様子を捉えた車載カメラの映像も公開され、後続車はクビツァの救助にあたるべく停車するが、マシンから煙があがるほど大破した車両を目の当たりにした後続車のドライバーとコ・ドライバーが大きく動揺している様子まで収められていた[28]

複数個所の骨折と、肺の損傷が認められた為に手術は複数回に分ける必要があった。一時期はICUに再び入るなど予断を許さない状況もあったが、2月16日に最後の手術を終え19日にリハビリ病棟に移った[29]

リハビリ中の2012年1月12日、自宅近くで散歩中に凍った路面で転倒し、右足脛骨を骨折した[30]。しかし大事には至らず、半月後にはオートマチックの自家用車を運転できるまでに回復したと報じられた[31]

F1以外のレース活動

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ラリー

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2014年ラリー・ドイツ

2012年9月、イタリアで行われたラリー「ロンデ・ゴミトロ・ディ・ラナ」に参戦してレース活動を再開、復帰戦を優勝で飾る[32]

2013年1月にはバレンシア・サーキットで行われたドイツツーリングカー選手権(DTM)のマシンテストにメルセデスから参加[33]。このためDTM参戦が噂されたが、結局この年はDTMではなく世界ラリー選手権(WRC)の下位カテゴリーである「WRC2」にシトロエンから参戦[34]。最終的に参戦した全7戦で5勝を挙げ、同年のWRC2チャンピオンを獲得した[35]。なお、シフトチェンジは通常右手でシーケンシャルMTを操作するが、クビツァは特例により、ステアリング左側のパドルでセミAT操作をすることが認められた。

2014年はWRCに昇格し、ポーランドの石油会社ロトス (Grupa Lotosの支援を受け、Mスポーツからフォード・フィエスタ RS WRCで参戦[36]ラリー・ポーランドのWRCカレンダー復帰にも協力するが、シリーズランキング16位と低調な結果に終わる。また、負傷した右腕の機能回復が思わしくないことから、F1復帰を事実上断念するような談話も出すようになった[37]

2015年は自らのチームである「RKワールドラリーチーム」を結成しWRCへの参戦を継続[38]。しかし財政的な問題に悩まされ、さらにはマシンメンテナンスの委託先とのパートナーシップが決裂するなどの問題も抱えたため[39]、結局2016年のWRC開幕戦であるラリー・モンテカルロを最後にWRC参戦を終了した[40]

スポーツカー耐久

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2016年3月にはムジェロ・サーキットで開かれた12時間耐久レースに参戦し、2011年の事故以来初めてサーキットでのレースに復帰した[41]。2017年は「国際的なレースに復帰するフィジカル的な準備ができた」と判断し[42]、バイコレスのLMP1チームよりFIA 世界耐久選手権 (WEC) にフル参戦する予定だったが、後に脱退し参戦を断念している[43]

2021年ル・マン24時間レースにはチームWRTからLMP2クラスで参戦。トップを快走するが、ファイナルラップに入った直後にまさかのマシントラブルが発生し、勝利を逃してしまった。

2023年WECでは最後の開催となったLMP2クラスのタイトル(耐久トロフィー)を獲得。これによりいずれも下位クラスではあるものの、ラリーとサーキットの双方でFIAの国際選手権のタイトルを獲得した数少ないドライバーとなった。

DTM

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F1のリザーブドライバーを務める傍らで、2020年はドイツツーリングカー選手権オーレン・チームARTからフル参戦[44]。第8戦ゾルダーのレース2で表彰台に上がった以外目立った成績をふるうことはなく、年間ランキング15位に終わる。

エピソード

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  • 2008年、ロレンツォ・バンディーニ賞を受賞[45]
  • 母国ポーランドで行われた一般投票で約13万票を獲得し、2008年の最優秀スポーツ選手に選出された[46]
  • 前述のように大変なラリー好きとしても知られており、F1が開かれない期間に度々ラリーに出場しているが、それが大事故につながってしまった。
  • 市街地コースを得意としており、「ストリートファイター」の異名を持つ(一般的に市街地コースはサーキットと舗装の材質などが異なるため、レース用タイヤでの走行は難しい)。
  • 同じF1ドライバーのフェルナンド・アロンソとは親友である。2人の面識はカート時代より既にあったがF1デビューをした2006年ハンガリーグランプリでクビツァの走りを見たアロンソが絶賛した事を切っ掛けに交友を深めた。その後、2009年シーズン終了後にBMWザウバーが撤退することによりクビツァのシートが喪失の危機に陥ったとき、既にルノーからフェラーリに移籍が決定していたアロンソが「僕の後任として迎えられるならば彼を推挙したい」と述べ、クビツァのルノー入りの強い後押しになったと言われる[47]。又、2011年シーズン開幕前に参加した前述の事故で、数多くのドライバーや関係者が電報による見舞いを行う中、アロンソは真っ先にクビツァのもとを訪問している[48]。各チームがマシンテストなどで開発に注力するような時期に直接の見舞いを行うアロンソが、如何にクビツァとの親交が深いかうかがえる[49]
  • 大変社交的でかつ、紳士的な人物であると評価がなされている。小林可夢偉と日本人記者がインタビューを行っている際に、小林が落とした無線機器イヤホン)をインタビュー中に届けるなどユーモアを見せる。又、前述のラリー事故にて昏睡から目覚めたクビツァがまず最初に尋ねた質問がコ・ドライバーを務めたヤクプ・ゲルベルの安否や容態であったとクビツァの手術を担当した医師が語っている[50]
  • 2011年のF1ではシーズン前のテストで走行したのみで事故後は一切参戦していなかったが、ロータス・ルノーGPはクビツァにこの年の給料を支払った[51]
  • 2011年の事故後、スヌーカーボウリングなどを趣味として嗜むようになった。特にロニー・オサリバンのファンである[52]

レース戦績

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略歴

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シリーズ チーム レース 勝利 PP FL 表彰台 ポイント 順位
2001 フォーミュラ・ルノー2000 ユーロカップ RC・モータースポーツ 10 0 1 0 1 46 14位
フォーミュラ・ルノー2000 イタリア 5 0 0 1 1 27 13位
2002 フォーミュラ・ルノー2000 ユーロカップ 8 0 1 0 2 80 7位
フォーミュラ・ルノー2000 イタリア 10 4 3 5 6 188 2位
フォーミュラ・ルノー2000 ブラジル RS2 1 1 1 1 1 N/A NC
2003 フォーミュラ3・ユーロシリーズ プレマ・パワーチーム 13 1 0 3 2 31 12位
イギリス・フォーミュラ3 2 0 0 0 0 N/A NC
マスターズ・オブ・フォーミュラ3 1 0 0 0 0 N/A 33位
マカオグランプリ ターゲット・レーシング 1 0 0 0 0 N/A NC
F3 コリア・スーパープリ 1 0 0 0 0 N/A 6位
2004 フォーミュラ3・ユーロシリーズ ミュッケ・モータースポーツ 20 0 0 0 3 53 7位
マカオグランプリ マノー・モータースポーツ 1 0 1 1 1 N/A 2位
2005 フォーミュラ・ルノー3.5 シリーズ エプシロン・ユースカディ 17 4 3 1 11 154 1位
マカオグランプリ カーリン・モータースポーツ 1 0 0 0 1 N/A 2位
フォーミュラ1 マイルドセブン・ルノーF1チーム テストドライバー
2006 BMWザウバーF1チーム 6 0 0 0 1 6 16位
2007 16 0 0 0 0 39 6位
2008 18 1 1 0 7 75 4位
2009 17 0 0 0 1 17 14位
2010 ルノーF1チーム 19 0 0 1 3 136 8位
2013 ヨーロピアンラリー選手権 PH・スポーツ 4 0 - - 0 17 29位
世界ラリー選手権-2 ロバート・クビツァ 7 5 - - 6 143 1位
世界ラリー選手権 8 0 - - 0 18 13位
2014 ヨーロピアンラリー選手権 RK M-スポーツ WRT 1 1 - - 1 39 13位
世界ラリー選手権 RK M-スポーツ ワールド・ラリー・チーム 13 0 - - 0 14 16位
2015 ロバート・クビツァ 11 0 - - 0 11 12位
2016 BRC・レーシング・チーム 1 0 - - 0 0 NC
ルノー・スポール・トロフィー - プロ・クラス デュケーヌ・エンジニアリング 1 0 0 0 0 0 NC
ルノー・スポール・エンデュランス・トロフィー 1 0 0 0 1 0 NC
2017 24Hシリーズ - A6 フォーチ・レーシング・パワード・バイ・オリンプ 1 0 0 0 0 0 NC
2018 フォーミュラ1 ウィリアムズ・マルティーニ・レーシング リザーブドライバー
2019 ロキット・ウィリアムズ・レーシング 21 0 0 0 0 1 19位
2020 ドイツツーリングカー選手権 BMW・オーレン・チームART 18 0 0 0 1 20 15位
フォーミュラ1 アルファロメオ・レーシング・オーレン リザーブ/開発ドライバー
2021 ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ チーム・WRT 6 3 0 0 4 118 1位
ウェザーテック・スポーツカー選手権 - LMP2 ハイクラス・レーシング 1 0 0 0 0 0 NC
FIA 世界耐久選手権 - LMP2 2 0 0 0 0 10 21位
フォーミュラ1 アルファロメオ・レーシング・オーレン 2 0 0 0 0 0 20位
2022 FIA 世界耐久選手権 - LMP2 プレマ・オーレン・チーム 6 0 0 1 1 94 5位
ル・マン24時間レース - LMP2 1 0 0 0 1 N/A 2位
フォーミュラ1 アルファロメオF1チーム・オーレン リザーブドライバー
2023 FIA 世界耐久選手権 - LMP2 チーム・WRT 7 3 1 0 6 173 1位
ル・マン24時間レース - LMP2 1 0 0 0 1 N/A 2位
2024 FIA 世界耐久選手権 - LMH AFコルセ
ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ - LMP2 オーレン・チーム・AO・バイ・TF
  •  : ゲストドライバーとしての出走であるため、ポイントは加算されない。
  •  : ポイントはミシュラン・エンデュランス・カップのみ有効となるため、LMP2クラスにはカウントされない。
  • * : 今シーズンの順位。(現時点)

フォーミュラ3・ユーロシリーズ

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エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 DC ポイント
2003年 プレマ・パワーチーム ダラーラ・F303/022 スピース-オペル HOC
1
HOC
2
ADR
1
ADR
2
PAU
1
PAU
2
NOR
1

1
NOR
2

2
LMS
1

27
LMS
2

7
NÜR
1

9
NÜR
2

6
A1R
1

11
A1R
2

Ret
ZAN
1

7
ZAN
2

24
HOC
1

24
HOC
2

10
MAG
1

4
MAG
2

8
12位 31
2004年 ミュッケ・モータースポーツ ダラーラ・F302/032 HWA-メルセデス HOC
1

6
HOC
2

7
EST
1

9
EST
2

23
ADR
1

17
ADR
2

Ret
PAU
1

3
PAU
2

2
NOR
1

19
NOR
2

4
MAG
1

9
MAG
2

5
NÜR
1

5
NÜR
2

2
ZAN
1

8
ZAN
2

5
BRN
1

10
BRN
2

8
HOC
1

4
HOC
2

7
7位 53

フォーミュラ・ルノー3.5 シリーズ

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エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 DC ポイント
2005年 エプシロン・ユースカディ ZOL
1

3
ZOL
2

1
MON
1

5
VAL
1

2
VAL
2

16
LMS
1

3
LMS
2

2
BIL
1

1
BIL
2

8
OSC
1

1
OSC
2

1
DON
1

3
DON
2

6
EST
1

2
EST
2

3
MNZ
1

Ret
MNZ
2

Ret
1位 154

フォーミュラ1

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エントラント  シャシー エンジン  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 WDC ポイント
2006年 BMWザウバー F1.06 BMW P86 2.4 V8 BHR
TD
MAL
TD
AUS
TD
SMR
TD
EUR
TD
ESP
TD
MON
TD
GBR
TD
CAN
TD
USA
TD
FRA
TD
GER
TD
HUN
DSQ
TUR
12
ITA
3
CHN
13
JPN
9
BRA
9
16位 6
2007年 F1.07 BMW P86/7 2.4 V8 AUS
Ret
MAL
18
BHR
6
ESP
4
MON
5
CAN
Ret
USA
FRA
4
GBR
4
EUR
7
HUN
5
TUR
8
ITA
5
BEL
9
JPN
7
CHN
Ret
BRA
5
6位 39
2008年 F1.08 BMW P86/8 2.4 V8 AUS
Ret
MAL
2
BHR
3
ESP
4
TUR
4
MON
2
CAN
1
FRA
5
GBR
Ret
GER
7
HUN
8
EUR
3
BEL
6
ITA
3
SIN
11
JPN
2
CHN
6
BRA
11
4位 75
2009年 F1.09 BMW P86/9 2.4 V8 AUS
14
MAL
Ret
CHN
13
BHR
18
ESP
11
MON
Ret
TUR
7
GBR
13
GER
14
HUN
13
EUR
8
BEL
4
ITA
Ret
SIN
8
JPN
9
BRA
2
ABU
10
14位 17
2010年 ルノー R30 ルノー RS27-2010 2.4 V8 BHR
11
AUS
2
MAL
4
CHN
5
ESP
8
MON
3
TUR
6
CAN
7
EUR
5
GBR
Ret
GER
7
HUN
Ret
BEL
3
ITA
8
SIN
7
JPN
Ret
KOR
5
BRA
9
ABU
5
8位 136
2018年 ウィリアムズ FW41 メルセデス M09 EQ Power+ 1.6 V6 t AUS BHR CHN AZE ESP
TD
MON CAN FRA AUT
TD
GBR GER HUN BEL ITA SIN RUS JPN USA MEX BRA ABU
TD
- -
2019年 FW42 メルセデス M10 EQ Power+ 1.6 V6 t AUS
17
BHR
16
CHN
17
AZE
16
ESP
18
MON
18
CAN
18
FRA
18
AUT
20
GBR
15
GER
10
HUN
19
BEL
17
ITA
17
SIN
16
RUS
Ret
JPN
17
MEX
18
USA
Ret
BRA
16
ABU
19
19位 1
2020年 アルファロメオ C39 フェラーリ 065 1.6 V6 t AUT
STY
TD
HUN
TD
GBR
70A
TD
ESP
BEL
ITA
TUS
RUS
EIF
POR
EMI
TUR
BHR
TD
SKH
ABU
TD
- -
2021年 C41 フェラーリ 065/6 1.6 V6 t BHR EMI POR ESP
TD
MON AZE FRA STY
TD
AUT GBR HUN
TD
BEL NED
15
ITA
1419
RUS TUR USA MXC SÃO QAT SAU ABU 20位 0
2022年 C42 フェラーリ 066/7 1.6 V6 t BHR SAU AUS EMI MIA ESP
TD
MON AZE CAN GBR AUT FRA
TD
HUN
TD
BEL NED ITA SIN JPN USA MXC SÃO ABU
TD
- -

世界ラリー選手権

[編集]
エントラント 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位 ポイント
2013年 ロバート・クビツァ シトロエン・DS3 RRC MON SWE MEX POR
19
ARG GRE
11
ITA
9
FIN
9
GER
5
AUS FRA
9
ESP
9
13位 18
アブダビ・シトロエン・トタル・WRT シトロエン・DS3 WRC GBR
Ret
2014年 RK M-スポーツ ワールド・ラリー・チーム フォード・フィエスタ RS WRC MON
Ret
SWE
24
MEX
Ret
POR
Ret
ARG
6
ITA
8
POL
20
FIN
34
GER
Ret
AUS
9
FRA
Ret
ESP
17
GBR
11
16位 14
2015年 ロバート・クビツァ MON
Ret
SWE
20
MEX
18
ARG POR
9
ITA
30
POL
8
FIN
Ret
GER
35
AUS FRA
22
ESP
11
GBR
8
12位 11
2016年 BRC・レーシング・チーム MON
Ret
SWE
WD
MEX ARG POR ITA POL FIN GER CHN FRA ESP GBR AUS NC 0

世界ラリー選手権-2

[編集]
エントラント 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 順位 ポイント
2013年 ロバート・クビツァ シトロエン・DS3 RRC MON SWE MEX POR
6
ARG GRE
1
ITA
1
FIN
2
GER
1
AUS FRA
1
ESP
1
GBR 1位 143

ステージ優勝略歴 (世界ラリー選手権)

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# ラリー ステージ名称 車両 チーム
1 モナコの旗 2014年ラリー・モンテカルロ SS1 オルピエール - サン=タンドレ=ド=ロザン 1 (25.43 km) フォード・フィエスタ RS WRC RK M-スポーツ WRT
2 SS2 ロザン - サント=マリー - ラ・シャルス 1 (17.98 km)
3 ドイツの旗 2014年ラリー・ドイチュラント SS7 シュタイン&ワイン 1 (17.53 km)
4 SS12 ペータースベルク 2 (9.37 km)
5 フランスの旗 2014年ラリー・ド・フランス-アルザス SS15 フォレ・ド・ラ・プティット=ピエール 1 (12.33 km)
6 モナコの旗 2015年ラリー・モンテカルロ SS4 アスプル=レ=コール - ショファイエ 1 (25.81 km) RK WRT
7 SS5 レ・コスト - サン=ジュリアン=アン=シャンソール 1 (25.40 km)
8 SS7 アスプル=レ=コール - ショファイエ 2 (25.81 km)
9 SS10 ラルディエ=エ=ヴァロンサ - フェイ (51.70 km)
10 スウェーデンの旗 2015年ラリー・スウェーデン SS17 ハーグフォシュ スプリント 2 (1.87 km)
11 メキシコの旗 2015年ラリー・メキシコ SS14 ストリート・ステージ レオン 2 (1.37 km)
12 フランスの旗 2015年ツール・ド・コルス SS1 プラージュ・デュ・リアモーヌ - サロラ=カルコピノ (29.12 km)
13 スペインの旗 2015年ラリー・カタルーニャ SS3 カセレス 1 (12.50 km)
14 SS6 モーラ・デブレ - アスコー 1 (9.62 km)

ヨーロピアンラリー選手権

[編集]
エントラント 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
2013年 PH・スポーツ シトロエン・DS3 RRC JÄN LIE CAN
Ret
AZO
6
COR
Ret
YPR ROM CZE POL
Ret
CRO SAN VAL 29位 17
2014年 RK M-スポーツ WRT フォード・フィエスタ RRC JÄN
1
LIE ACR IRE AZO YPR EST CZE CYP ROM VAL COR 13位 39

ドイツツーリングカー選手権

[編集]
エントラント シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 ランク ポイント
2020年 BMW・オーレン・チームART BMW M4 Turbo DTM SPA
1

14
SPA
2

14
LAU
1

13
LAU
2

13
LAU
1

16
LAU
2

16
ASS
1

10
ASS
2

14
NÜR
1

16
NÜR
2

12
NÜR
1

13
NÜR
2

Ret
ZOL
1

14
ZOL
2

12
ZOL
1

Ret
ZOL
2

3
HOC
1

8
HOC
2

15
15位 20

ウェザーテック・スポーツカー選手権

[編集]
エントラント クラス 製造 エンジン 1 2 3 4 5 6 7 ランク ポイント
2021年 ハイクラス・レーシング LMP2 オレカ・07 ギブソン GK428 4.2 L V8 DAY
9
SEB WGL WGL ELK LGA PET NC 0
  • 太字ポールポジション斜字ファステストラップ。(key)
  •  : ポイントはミシュラン・エンデュランス・カップのみ有効となるため、LMP2クラスにはカウントされない。
  • * : 今シーズンの順位。(現時点)

ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ

[編集]
エントラント クラス シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 ランク ポイント
2021年 チーム・WRT LMP2 オレカ・07 ギブソン GK428 4.2L V8 CAT
1
RBR
1
LEC
5
MNZ
4
SPA
1
ALG
2
1位 118

ル・マン24時間レース

[編集]
チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回数 総合
順位
クラス
順位
2021年 ベルギーの旗 チーム・WRT スイスの旗 ルイ・デレトラズ
中華人民共和国の旗 イェ・イーフェイ
オレカ・07-ギブソン LMP2 362 NC NC
2022年 イタリアの旗 プレマ・オーレン・チーム スイスの旗 ルイ・デレトラズ
イタリアの旗 ロレンツォ・コロンボ
LMP2 369 6位 2位
2023年 ベルギーの旗 チーム・WRT アンゴラの旗 ルイ・アンドラーデ
スイスの旗 ルイ・デレトラズ
LMP2 328 11位 2位
2024年 イタリアの旗 AFコルセ イスラエルの旗 ロバート・シュワルツマン
中華人民共和国の旗 イェ・イーフェイ
フェラーリ・499P ハイパーカー 248 DNF DNF

FIA 世界耐久選手権

[編集]
エントラント クラス シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 ランク ポイント
2021年 ハイクラス・レーシング LMP2 オレカ・07 ギブソン GK428 4.2 L V8 SPA POR MNZ LMS BHR
8
BHR
8
21位 10
2022年 プレマ・オーレン・チーム SEB
4
SPA
7
MNZ
2
LMN
6
FSW
6
BHR
4
5位 76
2023年 チーム・WRT SEB
4
ALG
3
SPA
1
LMS
2
MNZ
3
FUJ
1
BHR
1
1位 173
2024年 AFコルセ ハイパーカー フェラーリ・499P フェラーリ F163 3.0 L Turbo V6 QAT
4
IMO
8
SPA
8
LMS
Ret
SÃO
11
COA
1
FUJ
12
BHR
9位* 51*

脚注

[編集]
  1. ^ F1-Live.com 2008年6月4日
  2. ^ f1-entretien-avec-robert-kubica”. www.racing-1.com. 2018年11月22日閲覧。
  3. ^ Formel-1-Jetzt-muss-Vettel-die-Kurve-kriegen”. nachrichten.rp-online.de. 2018年11月22日閲覧。
  4. ^ ニコ・ロズベルグ、ロバート・クビツァのマネジメントチームに加入 - F1-Gate.com 2017年9月16日
  5. ^ ロバート・クビツァ、Williamsでの2回目の隠密テストを”生産的”に完了。ハンガロリンクには熱狂的ファンが集合 - Formula1-Data 2017年10月18日
  6. ^ ロバート・クビツァ、ウィリアムズ FW40でテストを開始 - F1-Gate.com 2017年11月28日
  7. ^ ウィリアムズ、ロバート・クビツァを2018年のリザーブドライバーに起用”. F1-Gate.com (2018年1月16日). 2018年1月16日閲覧。
  8. ^ クビカがウイリアムズF1レースドライバーの有力候補に浮上か。母国ポーランド企業が多額の支援を検討”. www.as-web.jp (2018年10月18日). 2018年11月22日閲覧。
  9. ^ Kubica to get $10m boost for 2019 race seat”. www.sport24.co.za. 2018年11月22日閲覧。
  10. ^ クビカとウイリアムズの契約が正式に発表。大アクシデントから8年、奇跡のF1復帰果たす”. www.as-web.jp (2018年11月22日). 2018年11月22日閲覧。
  11. ^ 大口スポンサーとともにクビサのF1復帰が確定 間もなく正式発表”. www.topnews.jp. 2018年11月22日閲覧。
  12. ^ 「ロバート・クビサのF1復帰はうまくいく」とバーニー・エクレストン - www.topnews.jp・(2019年1月30日)2019年5月16日閲覧
  13. ^ ベッテル「クビサのF1復帰はうれしいけれど・・・・・・」 - www.topnews.jp・(2018年12月13日)2019年5月16日閲覧
  14. ^ ベッテルとヒュルケンベルグ、クビサのF1復帰に疑問符 - www.topnews.jp・(2017年12月4日)2019年5月16日閲覧
  15. ^ クビサは本当にF1復帰できるのか?ビルヌーブやモントーヤの考えは? - www.topnews.jp・(2017年11月16日)2019年5月16日閲覧
  16. ^ クビサの復帰はF1にとって「いいメッセージではない」とジャック・ビルヌーブ - www.topnews.jp・(2019年3月27日)2019年5月16日閲覧
  17. ^ クビサ、チームメイトに遅れを取る状態に首を傾げる。「他のドライバーにできていることができずにいる」」 - www.as-web.jp・(2019年4月20日)2019年5月15日閲覧
  18. ^ ウィリアムズのクビサ、シャシー交換もチームメートに大敗 - www.topnews.jp・(2019年5月13日)2019年5月15日閲覧
  19. ^ クビサ更迭が噂されるウィリアムズF1、カナダとフランスのFP1でニコラス・ラティフィを起用 - formula1-data.com・(2019年5月15日)2019年5月15日閲覧
  20. ^ ロバート・クビサ「ウィリアムズはラッセルを優先しているように感じる」www.topnews.jp(2019年5月27日)2019年11月13日閲覧
  21. ^ 準備が遅れた特別仕様ステアリング、ようやくクビサの手に……jp.motorsport.com(2019年10月5日)2019年11月13日閲覧
  22. ^ 「マシンの進化をまったく実感できない」と嘆くクビサの個人スポンサーが他チームと接触。シーズン中に離脱の可能性も - www.as-web.jp・(2019年6月19日)2019年7月1日閲覧
  23. ^ ロバート・クビサ、2019年限りでのウィリアムズ離脱を正式発表 - formula1-data.com・(2019年9月21日)2019年9月23日閲覧
  24. ^ “ロバート・クビツァ、骨折で開幕戦は絶望 ・・・ 選手生命に影響もF1”. F1 Gate.com. (2011年2月6日). http://f1-gate.com/kubica/f1_10669.html 2011年2月7日閲覧。 
  25. ^ “ロータス・ルノーGP 「ロバート・クビツァは骨折し、手術を受けている」”. F1 Gate.com. (2011年2月6日). http://f1-gate.com/kubica/f1_10671.html 2011年2月7日閲覧。 
  26. ^ “クビツァ 2011年シーズンの戦線離脱が確定的”. GPUpdate.net. (2011年2月7日). http://www.gpupdate.net/ja/f1-news/252087/ 2011年2月7日閲覧。 
  27. ^ “Computer simulation of Kubica’s accident”. GPUpdate.net. (2011年2月8日). http://www.gpupdate.net/en/videos/752/computer-simulation-of-kubica-s-accident/ 2011年2月15日閲覧。 
  28. ^ “【動画】クビカの事故直後を捉えた後続車のオンボード”. AUTO SPORT web. (2011年2月9日). https://www.as-web.jp/past/%e3%80%90%e5%8b%95%e7%94%bb%e3%80%91%e3%82%af%e3%83%93%e3%82%ab%e3%81%ae%e4%ba%8b%e6%95%85%e7%9b%b4%e5%be%8c%e3%82%92%e6%8d%89%e3%81%88%e3%81%9f%e5%be%8c%e7%b6%9a%e8%bb%8a%e3%81%ae%e3%82%aa%e3%83%b3 2011年2月22日閲覧。 
  29. ^ “ロバート・クビツァ、リハビリ病棟に移動”. AUTO SPORT web. (2011年2月19日). http://f1-gate.com/kubica/f1_10856.html 2011年2月22日閲覧。 
  30. ^ “洒落にならない? ロバート・クビツァ再び骨折の報”. FMotorsports F1. (2012年1月12日). http://fmotorsports.cocolog-nifty.com/f107/2012/01/post-b861.html 2012年2月8日閲覧。 
  31. ^ “ロバート・クビツァ、再び自動車を運転できるまで回復”. F1-Gate.com. (2012年1月29日). http://f1-gate.com/kubica/f1_14133.html 2012年2月8日閲覧。 
  32. ^ ロバート・クビツァ、レース復帰戦で優勝 - F1-Gate.com・2012年9月10日
  33. ^ ロバート・クビツァ 「DTMカーへの対応はまったく問題なかった」 - F1-Gate.com・2013年1月25日
  34. ^ ロバート・クビツァ、シトロエンからWRC2に参戦 - F1-Gate.com・2013年3月4日
  35. ^ ロバート・クビツァ、WRC2のチャンピンを獲得 - F1-Gate.com・2013年10月28日
  36. ^ "クビツァ、フィエスタRS WRCで来季WRC全戦へ". RallyXモバイル.(2013年12月13日)
  37. ^ ロバート・クビツァ 「怪我によってF1復帰は不可能」 - F1-Gate.com・2014年4月10日
  38. ^ クビツァ、自身のWRCチームを立ち上げ - ESPN F1・2015年1月23日
  39. ^ クビツァWRC継続苦しい胸の内、8月末将来を決定か - RALLY X・2015年7月16日
  40. ^ ロバート・クビツァ、ラリーキャリア終了の危機 - F1-Gate.com・2016年1月22日
  41. ^ ロバート・クビツァ、ムジェロ12時間耐久でサーキットレースに復帰 - F1-Gate.com・2016年3月10日
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  49. ^ “【動画】ロバート・クビツァの担当医、手術について語る フェルナンド・アロンソ訪問の様子も”. TN topnews.jp. (2011年2月7日). http://www.topnews.jp/2011/02/07/news/f1/teams/renault/30762.html 2011年2月8日閲覧。 
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  51. ^ “ロータス・ルノーGP、今年もロバート・クビツァに給料を支払う”. F1 Gate.com. (2011年10月4日). http://f1-gate.com/renault/f1_13078.html 2011年12月4日閲覧。 
  52. ^ ロバート・クビツァ - ESPN F1

外部リンク

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