コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ジャンカルロ・フィジケラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
G.フィジケラから転送)
ジャンカルロ・フィジケラ
Giancarlo Fisichella
FIA WEC 富士6時間レース(2012年)
基本情報
略称表記 FIS
国籍 イタリアの旗 イタリア
出身地 同・ローマ
生年月日 (1973-01-14) 1973年1月14日(51歳)
F1での経歴
活動時期 1996-2009
過去の所属チーム '96 ミナルディ
'97,'02-'03 ジョーダン
'98-'01 ベネトン
'04 ザウバー
'05-'07 ルノー
'08-'09 フォース・インディア
'09 フェラーリ
出走回数 231
タイトル 0
優勝回数 3
表彰台(3位以内)回数 19
通算獲得ポイント 275
ポールポジション 4
ファステストラップ 2
初勝利 2003年ブラジルGP
最終勝利 2006年マレーシアGP
最終戦 2009年アブダビGP
(記録は2009年終了時)
テンプレートを表示

ジャンカルロ・フィジケラGiancarlo Fisichella 1973年1月14日 - )は、イタリア・ローマ出身のレーシングドライバー。愛称はフィジコ

プロフィール

[編集]

F1デビュー

[編集]

レーシングカート時代に頭角を現し、1994年にイタリアF3チャンピオンを獲得。1995年には旧ドイツツーリングカー選手権(DTM)にアルファロメオで参戦。F1ベネトンチームのフラビオ・ブリアトーレとマネージャー契約した。そして1996年、当初すでにミナルディペドロ・ラミー井上隆智穂のラインナップを発表していたが、開幕直前にスポンサーの問題でシートを失った井上に代わってミナルディからF1デビューを果たした。しかし経営状態の悪化からチーム体制が安定せず、非力なマシンの上に、チームが資金持ち込みドライバーを起用したため8戦のみ出場に留まった[1]。それでもベテランのラミーを予選、決勝共に凌ぐパフォーマンスを見せ、ドライバー選考オーディションとなる実走テストを経て1997年にジョーダンに移籍した。チームメイトはラルフ・シューマッハであった。第3戦アルゼンチンGPでの同士討ち以降、シューマッハとの関係が悪化したが、第7戦カナダGPで初表彰台となる3位を獲得した。第10戦ドイツGPでは初優勝のチャンスを迎えたが、ゲルハルト・ベルガーとの接戦に破れた。しかしシーズン全体では20ポイントを獲得し、ランキング8位でシーズンを終えた。

低迷から復活へ

[編集]
ベネトンB199(1999年カナダGP)
ジョーダンEJ12(2002年アメリカGP)

1998年にベネトンに移籍し、チームメイトはアレクサンダー・ヴルツであった。チームはこの年からルノーエンジンを失い、1997年型のルノーエンジンを改良したメカクロームエンジン(プレイライフのバッジネームを使用)で戦うこととなったが、第6戦モナコGP第7戦カナダGPで2位に入り、連続表彰台を獲得した。さらに第10戦オーストリアGPで初ポールポジションを獲得するなど、合計16ポイントを獲得し、ランキング9位でシーズンを終えた。

1999年は、第6戦カナダGPで2位表彰台を獲得するなど4度入賞し13ポイントを獲得、ランキング9位となった。第14戦ヨーロッパGPでは一時トップを走行するがスピンを喫してリタイアし、初優勝のチャンスを逃した。

2000年、前半戦で3度の表彰台を獲得するが、後半戦はB200のパフォーマンスが低下し1度も入賞出来なかった。結局この年は合計18ポイントを獲得し、ランキング6位となった。

2001年、チームメイトはヴルツに代わってジェンソン・バトンとなった。前年にルノーがベネトンを買収(ルノーのチーム名となるのは2002年から)したことで、B201はルノーのワークスエンジンを搭載して戦うことになった。しかし非常に斬新な111°広角バンク角を持つ新開発のルノーエンジンが深刻なパワー不足、信頼性不足を露呈したため、前半戦はミナルディやプロスト・グランプリなどどともに後方での順位争いを強いられた。しかしチームのテクニカルディレクターであるマイク・ガスコインによりマシンが改良された結果、後半戦ではベルギーGPで3位表彰台を獲得した。しかしこの年は3度の入賞で8ポイントを獲得、ランキング11位と当初期待されたほどの成績を残せなかった。ブリアトーレとの契約を解除したことで、この年一杯でベネトンのシートを失った。

2002年には古巣ジョーダンに復帰し(F1デビューした佐藤琢磨の最初のチームメイト)、4度の入賞で7ポイントを獲得した。

2003年、チームはメインスポンサーやホンダエンジンを失い、財政難とマシンの戦闘力不足に喘いでいたが健闘を見せ、第3戦ブラジルGPにて念願の初優勝を達成した。F1デビューから8年目、出走110戦目という遅咲きの勝利だった。このレースは豪雨によるクラッシュ発生により赤旗でレース終了し、またフィジケラが、それまでトップを走行していたマクラーレンキミ・ライコネンをかわしたタイミングが微妙であったなどあまりに混乱した展開であった為に、オフィシャルが周回数の判断を誤り一旦は2位と判定された。しかしレース後の裁定によりフィジケラの優勝が確定し、次戦のサンマリノGPでライコネンからトロフィーが手渡されることとなった[2]

2004年にはニック・ハイドフェルドとのトレードでザウバーに移籍。カナダグランプリで4位入賞を果たすなどいぶし銀の走りでポイントを重ねた。22ポイントを獲得し、チームメイトのフェリペ・マッサが獲得した12ポイントを大きく上回った。これらのことが評価され、再びトップチームのルノーのシートを獲得することになった(ルノーチームの前身はベネトンであり、復帰という見方もできる)。

ルノー時代

[編集]

2005年

[編集]
ルノーR25(2005年アメリカGP)

2004年にコンストラクターズランキング3位を獲得し上昇気流にあるルノーから参戦。そして開幕戦オーストラリアGPでポール・トゥ・ウィンを飾った。ここで才能が一気に開花するかと期待されたが、この年史上最年少でチャンピオンに輝いたフェルナンド・アロンソに負かされる事が多く、またフィジケラ自身もクラッシュやトラブルなどチームメイトに比べ完走率が低く、結局思うようにいかないシーズンとなった。それでも堅実にポイントを稼ぎ、チームのコンストラクターズ・チャンピオン初制覇に貢献した。

2006年

[編集]
表彰台の頂点に立つフィジケラ(2006年マレーシアGP)

ルノー在籍二年目となる2006年、フィジケラは第二戦マレーシアGPで鮮やかなポール・トゥ・ウィンを飾った。彼はこのGP開催の直前にレースを始めた頃から付き合っていた親友を事故で亡くしており、「大事な友を亡くしたこの週末、彼のために必ず勝ってやると決意したんだ。」とレース後に述べている。2006年の前半戦はチームメイトのアロンソには及ばないものの、2005年を上回るペースでポイントを稼ぎ、6月の段階で彼の2007年ルノーチーム残留が正式に発表された。1987年からの連続開催も一旦の区切りを迎えた鈴鹿サーキットでの日本GP、フィジケラはGP開催直前に上記とは別の親友を亡くすという再びショッキングな出来事に遭遇するも、彼は3位表彰台を獲得し亡き親友へと捧げ、表彰台では涙を浮かべた。結局2006年は彼にとってF1シーズンベスト(ドライバーズランキング4位)となる成績を収めるに至った。

2007年

[編集]
ルノーR27(2007年イギリスGP)

二年連続チャンピオンに輝いたアロンソのチーム離脱により、在籍三年目のフィジケラは名実ともにルノーのエースドライバーとなり、チームメイトに前年のテストドライバーであったヘイキ・コバライネンを迎えた。しかしルノーは2007年よりワンメイクとなったブリヂストンタイヤへの対応にシーズン序盤から苦しみ、最終的にコンストラクターズ3位へ後退した(本来1位であったマクラーレンが不祥事でポイント剥奪された上の3位なので、実質的には4位である)。フィジケラ自身もシーズンが進むにつれ、ルーキーのコバライネンに予選決勝共に先行を許してしまうレースが続き、実力に対する疑問の声が大きくなる。序盤こそ順調にポイントを重ね信頼性の低いマシンながらも健闘したが、中盤からはコバライネンに劣る場面が多くなる。結局、第6戦カナダGPで上位走行中にピット出口の信号を無視し失格したなどの失態もあり、ポイントは30対21とコバライネンに敗れる。ここで12月、アロンソが契約を残したままマクラーレンを抜けルノーにエースドライバーとして加入、セカンドドライバーはネルソン・ピケJr.と決定していたため、フィジケラは放出され、シーズンオフはフォース・インディアのシートを得るためテストを行った。シートの一方はエイドリアン・スーティルが引き続き得ることが濃厚とされており、残り一つのシートを掛けてラルフ・シューマッハヴィタントニオ・リウッツィクリスチャン・クリエンフランク・モンタニーロルダン・ロドリゲス山本左近ら多くのドライバーと激しく争った。

新たなチームへ

[編集]

2008年

[編集]
通算200戦目を達成した2008年モナコGP

フィジケラは2007年のフォース・インディアのテストでのパフォーマンスが評価され、2008年1月10日に同チームの正ドライバーに選ばれる。パートナーは前スパイカーから在籍しているスーティルと、テストドライバーは前年までスクーデリア・トロ・ロッソのレギュラーで、シーズン前テストにも参加していたヴィタントニオ・リウッツィ。ちなみにフォース・インディアは元々ジョーダンであり(ジョーダン→ミッドランド→スパイカー)、ルノー加入時と同様に古巣への復帰という見方もできる。

トップチームであるルノーから前年度最下位のチームへの移籍であり、シーズン前には引退したほうが潔いとの批判もあったが、非力なマシンでありながら活躍する事が多く、往年の輝きを見せた。第6戦モナコGPで通算200戦出走を達成し、イタリアグランプリではチーム初の予選Q2進出・最高グリッドの12番手を獲得した。決勝は序盤ハミルトン、ライコネンを抑えて走行するも、クルサードとの接触によりステアリングが切れなくなりタイヤバリアにクラッシュしてレースを終えた。この年は僚友エイドリアン・スーティル共々ノーポイントに終わった。

フェラーリへ電撃移籍、F1引退

[編集]

2009年

[編集]
フォース・インディアVJM02(2009年ドイツGP)
フェラーリF60を駆るフィジケラ(2009年日本GP)

2008年と同じくフォース・インディアから出走。チームメイトもスーティルで変わらず。シーズン中盤まで、入賞まで後一歩という順位でフィニッシュするレースが多くあった。

第12戦ベルギーGPでは、チーム移籍後初となるQ3進出を果たすと、ポールポジションを獲得。自身にとって約3年半ぶり、入賞経験のないチームにとっては初となる予選パフォーマンスを見せた。決勝では、レース序盤にスクーデリア・フェラーリのキミ・ライコネンに先行されるも終始その背後を脅かし続け、僅差で2位フィニッシュ。チームに初ポイント、初表彰台をもたらした。

その後、第10戦ハンガリーGPで負傷したフェリペ・マッサの代役として出走していたルカ・バドエルの成績不振に伴い、第13戦イタリアGPからフェラーリへ移籍することが発表された[3][4]。また、2010年はフェラーリのテストドライバーに就任することも発表され、2009年限りでの引退が明らかにされた[3][4]。かねてからフェラーリへの憧れを語っていたフィジケラはこの移籍を「長年の夢」と表現した[5]

しかし、F60の競争力は十分とは言えず、シーズン中のテスト禁止の制約もあり、ポイントを獲得することは出来なかった。

その後、フェラーリエンジンを使用することになったザウバーと交渉したが合意に至らず、2009最終戦アブダビGPがF1での最終レースとなった。出走回数231回、優勝3回。14年のF1キャリアだった。

F1後

[編集]

ザウバーに所属していた2004年から自身のレーシングチーム「フィジケラ・モータースポーツ・インターナショナルオランダ語版 (FMS)」を立ち上げており、フォーミュラBMW、イタリアF3000、GP2アジアシリーズなどに若手を起用し参戦した。FMSはスーパーリーグフォーミュラでASローマセビージャFCチームも運営した。

2010年はフェラーリのサードドライバーを務める傍ら、同じく元フェラーリのジャン・アレジと共にAFコルセからフェラーリ・F430GTCル・マン・シリーズにフル参戦した。

その後もフェラーリとの縁は深く、フェラーリ・チャレンジにゲストドライバーとして参戦する他、2012年から2015年にかけてAFコルセからFIA 世界耐久選手権に参戦している。2016年は同じくAFコルセから石川資章、ミケーレ・ルゴロとともにブランパンGT選手権とFIA 世界耐久選手権に参戦。ル・マン24時間レースにも継続参戦している。

2022年12月、オーストラリアの照明技術企業「VALO」とスポンサー契約を発表[6]。元々2020年にアデレードを拠点とするチームBRMから参戦し予選で9位グリッドを獲得していたが、決勝レースが新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)によりキャンセルとなり自ら「やり残した仕事だとずっと思っていた[7]」という「S5000タスマン・シリーズ アデレード500」に参戦[8]

特徴

[編集]

F1デビュー当初より、才能があるといわれながらなかなかタイミングが合わず、一時期は「盛りを過ぎたドライバー」と言われた時期もある。しかし、下位・中堅チームでしぶとく結果を残し、再浮上のチャンスをつかんだ。ルノーでの献身的な働きは、フェラーリホンダでのルーベンス・バリチェロと並び「理想的なナンバー2ドライバー」と評された事もある(ナンバー1ドライバーとしては力不足という意味も含む)。

雨のレースに滅法強く、初優勝を記録した2003年のブラジルGPや初ポールを達成した1998年のオーストリアGPをはじめ、多くの雨のレースで殊勲を打ち立てた。不安定な天候で波乱のレースが多いベルギーGPスパ・フランコルシャンも得意とする。

またカナダGPの舞台であるジル・ヴィルヌーヴ・サーキットやモナコGPの舞台であるモナコ市街地など、コース幅が狭くドライバーの技量が問われるレースでも、正確なドライビングで結果を残している。

決勝では予選で下位に沈んだ場合でも順位を多く上げてフィニッシュすることが多く、決勝に強いが予選が苦手という声もある。

2003年1月には「ドライバー・オブ・ドライバー」に選出されている。これは現役のF1レギュラードライバーとテストドライバーによって投票されるもので、前年に17戦中11勝を達成したフェラーリのミハエル・シューマッハを抑えての受賞であった。

F1では通算3勝を記録したが、ヨーロッパのレースでは未勝利に終わり、優勝した3戦はすべてシーズン序盤戦での優勝であった。

逸話

[編集]
  • 1男2女の所帯持ちであり、15年間連れ添ったルナ夫人と2009年10月10日にローマで挙式した。数年前の「F1グランプリ特集」の担当コラムで、ガンダム好きであることを語っていた。
  • サッカー好きのF1ドライバーは多いが、中でも彼は熱狂的なことで有名。ドライバー参加のイベント試合ではミハエル・シューマッハと並ぶ常連であり、「フィジケラが一番上手い」との評判である。地元クラブASローマの大ファン(ロマニスタ)であり、フランチェスコ・トッティら選手とも親交がある。

初優勝時にはASローマの本拠地スタディオ・オリンピコで、サポーターの前で優勝報告をした。ジェンソン・バトンが、フィジケラをからかうためにASローマと同じくローマを本拠地とする宿敵SSラツィオのユニフォームを着て現れ、本気で憮然とした表情をしたことがある。

  • 2006年ヨーロッパGPでは、予選第2ラウンドの最終アタックで10番手のタイムを出した際BMWザウバージャック・ヴィルヌーヴに進路を妨害されたため、抗議の意を込めて大きく腕を振り上げアピールした。その時日本の中継では実況の西岡孝洋に「なんとフィジケラは10番手でガッツポーズ!!」と間違われていた(最終的には13位で第2ラウンドノックアウト)。

レース戦績

[編集]

フォーミュラ

[編集]

F1

[編集]
所属チーム CarNo. 出走回数 ポイント ランキング 決勝最高位・回数 表彰台 予選最高位・回数
1996年 ミナルディ 21 8戦 0 NC 8位・1回(カナダ) 0回 16位・2回(オーストラリア・カナダ)
1997年 ジョーダン 12 全17戦 20 8位 2位・1回(ベルギー) 2回 2位・1回(ドイツ)
1998年 ベネトン 5 全16戦 16 9位 2位・2回(モナコ・カナダ) 2回 1位・1回(オーストリア)
1999年 9 全16戦 13 9位 2位・1回(カナダ) 1回 4位・1回(ハンガリー)
2000年 11 全17戦 18 6位 2位・1回(ブラジル) 3回 3位・1回(ドイツ)
2001年 7 全17戦 8 11位 3位・1回(ベルギー) 1回 6位・1回(日本)
2002年 ジョーダン 9 全17戦 7 11位 5位・3回(オーストリア・モナコ・カナダ) 0回 5位・1回(ハンガリー)
2003年 11 全16戦 12 12位 1位・1回(ブラジル) 1回 8位・1回(ブラジル)
2004年 ザウバー 11 全17戦 22 11位 4位・1回(カナダ) 0回 5位・1回(ベルギー)
2005年 ルノー 6 全19戦 58 5位 1位・1回(オーストラリア) 3回 1位・1回(オーストラリア)
2006年 2 全18戦 72 4位 1位・1回(マレーシア) 5回 1位・1回(マレーシア)
2007年 3 全17戦 21 8位 4位・1回(モナコ) 0回 4位・1回(モナコ)
2008年 フォース・インディア 21 全18戦 0 19位 10位・1回(スペイン) 0回 12位・1回(イタリア)
2009年 フォース・インディア 21 全17戦 8 15位 2位・1回(ベルギー) 1回 1位・1回(ベルギー)
フェラーリ 3 9位・1回(イタリア) 0回 14位・2回(イタリア・日本)
チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 WDC Points
1996年 ミナルディ M195B AUS
Ret
BRA ARG EUR
13
SMR
Ret
MON
Ret
ESP
Ret
CAN
8
FRA
Ret
GBR
11
GER HUN BEL ITA POR JPN NC 0
1997年 ジョーダン 197 AUS
Ret
BRA
8
ARG
Ret
SMR
4
MON
6
ESP
9
CAN
3
FRA
9
GBR
7
GER
11
HUN
Ret
BEL
2
ITA
4
AUT
4
LUX
Ret
JPN
7
EUR
11
8位 20
1998年 ベネトン B198 AUS
Ret
BRA
6
ARG
7
SMR
Ret
ESP
Ret
MON
2
CAN
2
FRA
9
GBR
5
AUT
Ret
GER
7
HUN
8
BEL
Ret
ITA
8
LUX
6
JPN
8
9位 16
1999年 B199 AUS
4
BRA
Ret
SMR
5
MON
5
ESP
9
CAN
2
FRA
Ret
GBR
7
AUT
12
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
11
ITA
Ret
EUR
Ret
MAL
11
JPN
14
9位 13
2000年 B200 AUS
5
BRA
2
SMR
11
GBR
7
ESP
9
EUR
5
MON
3
CAN
3
FRA
9
AUT
Ret
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
Ret
ITA
11
USA
Ret
JPN
14
MAL
9
6位 18
2001年 B201 AUS
13
MAL
Ret
BRA
6
SMR
Ret
ESP
14
AUT
Ret
MON
Ret
CAN
Ret
EUR
11
FRA
11
GBR
13
GER
4
HUN
Ret
BEL
3
ITA
10
USA
8
JPN
17
11位 8
2002年 ジョーダン EJ12 AUS
Ret
MAL
13
BRA
Ret
SMR
Ret
ESP
Ret
AUT
5
MON
5
CAN
5
EUR
Ret
GBR
7
FRA
DNQ
GER
Ret
HUN
6
BEL
Ret
ITA
8
USA
7
JPN
Ret
11位 7
2003年 EJ13 AUS
Ret
MAL
Ret
BRA
1
SMR
15
ESP
Ret
AUT
Ret
MON
10
CAN
Ret
EUR
12
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
13
HUN
Ret
ITA
10
USA
7
JPN
Ret
12位 12
2004年 ザウバー C23 AUS
10
MAL
11
BHR
11
SMR
9
ESP
7
MON
Ret
EUR
6
CAN
4
USA
9
FRA
12
GBR
6
GER
9
HUN
8
BEL
5
ITA
8
CHN
7
JPN
8
BRA
9
11位 22
2005年 ルノー R25 AUS
1
MAL
Ret
BHR
Ret
SMR
Ret
ESP
5
MON
12
EUR
6
CAN
Ret
USA
DNS
FRA
6
GBR
4
GER
4
HUN
9
TUR
4
ITA
3
BEL
Ret
BRA
5
JPN
2
CHN
4
5位 58
2006年 R26 BHR
Ret
MAL
1
AUS
5
SMR
8
EUR
6
ESP
3
MON
6
GBR
4
CAN
4
USA
3
FRA
6
GER
6
HUN
Ret
TUR
6
ITA
4
CHN
3
JPN
3
BRA
6
4位 72
2007年 R27 AUS
5
MAL
6
BHR
8
ESP
9
MON
4
CAN
DSQ
USA
9
FRA
6
GBR
8
EUR
10
HUN
12
TUR
9
ITA
12
BEL
Ret
JPN
5
CHN
11
BRA
Ret
8位 21
2008年 フォース・インディア VJM01 AUS
Ret
MAL
12
BHR
12
ESP
10
TUR
Ret
MON
Ret
CAN
Ret
FRA
18
GBR
Ret
GER
16
HUN
15
EUR
14
BEL
17
ITA
Ret
SIN
14
JPN
Ret
CHN
17
BRA
18
19位 0
2009年 VJM02 AUS
11
MAL
18
CHN
14
BHR
15
ESP
14
MON
9
TUR
Ret
GBR
10
GER
11
HUN
14
EUR
12
BEL
2
15位 8
フェラーリ F60 ITA
9
SIN
13
JPN
12
BRA
10
ABU
16

スポーツカー

[編集]

ル・マン・シリーズ

[編集]
チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 順位 ポイント
2010年 AFコルセ フェラーリ・F430 GT2 GT2 CAS
3
SPA
3
ALG
2
HUN
4
SIL
12
3位 66
2011年 フェラーリ・458イタリア GT2 LMGTE Pro CAS
2
SPA
1
IMO
2
SIL
1
EST
Ret
1位 60

インターコンチネンタル・ル・マン・カップ

[編集]
チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7
2010年 AFコルセ フェラーリ・F430 GT2 GT2 SIL
12
PET
ZHU
2011年 フェラーリ・458イタリア GT2 LMGTE Pro SEB
5
SPA
1
LMN
2
IMO
2
SIL
1
PET
1
ZHU
5

FIA 世界耐久選手権

[編集]
チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
2012年 AFコルセ フェラーリ・458イタリア GT2 LMGTE Pro SEB
EX
SPA
2
LMN
1
SIL
1
SAO
1
BHR
1
FSW
2
SHA
Ret
1位† 161†
2013年 LMGTE Pro SIL
5
SPA
1
LMN
5
SAO
1
COA
2
FSW
2
SHA
4
BHR
3
2位 135
2014年 LMGTE Pro SIL SPA LMN
1
COA FSW SHA BHR SÃO 9位 51
2015年 LMGTE Pro SIL SPA LMN
4
NÜR COA FSW SHA BHR 20位 24
2018-19年 スピリット・オブ・レース フェラーリ・488 GTE LMGTE Am SPA
8
LMN
2
SIL
9
FSW
6
SHA
4
SEB
2
SPA
4
LMN
7
4位 99
2019-20年 AFコルセ フェラーリ・488 GTE Evo LMGTE Am SIL
9
FSW
6
SHA
8
BHR
5
COA
7
SPA
7
LMN
7
BHR
4
12位 71
2021年 LMGTE Am SPA
4
POR
3
MNZ
7
LMN
7
BHR
7
BHR
7
6位 71
2022年 アイロン・リンクス LMGTE Am SEB
8
SPA
8
LMN MNZ
FSW
BHR
18位* 10*
  • 太字ポールポジション斜字ファステストラップ。(key)
  • :そのシーズンはドライバーズ選手権が懸けられていなかったので、替わりにLMGTE Proトロフィの順位を載せる。
  • * : 今シーズンの順位。(現時点)

ユナイテッド・スポーツカー選手権

[編集]
チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
2014年 リシ・コンペティツィオーネ フェラーリ・458イタリア GT2 GTLM DAY
11
SEB
11
LBH
9
LGA
3
WGL
7
MOS
10
IMS
2
ELK
1
VIR
1
CTA
4
PET
10
13位 258
2015年 GTLM DAY
9
SEB
2
LBH
2
LGA
4
WGL
5
MOS
6
ELK
3
VIR
3
CTA
2
PET
5
4位 293
2016年 フェラーリ・488 GTE GTLM DAY
6
SEB
4
LBH
3
LGA
5
WGL
6
MOS
7
LIM
4
ELK
5
VIR
7
CTA
8
PET
1
5位 305
2017年 GTLM DAY
3
SEB
3
LBH
9
CTA
9
WGL
MOS
LIM
ELK
VIR
3
LGA
2
PET
3
9位 199

ル・マン24時間レース

[編集]
ル・マン24時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
2010年 イタリアの旗 AFコルセ フランスの旗 ジャン・アレジ
フィンランドの旗 トニ・バイランダー
フェラーリ・F430 GT2 GT2 323 16位 4位
2011年 イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
フィンランドの旗 トニ・バイランダー
フェラーリ・458 GT2 GTE
Pro
314 13位 2位
2012年 イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
フィンランドの旗 トニ・バイランダー
GTE
Pro
336 17位 1位
2013年 イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
イタリアの旗 マッテオ・マルーチェリ
GTE
Pro
311 22位 6位
2014年 イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
フィンランドの旗 トニ・バイランダー
GTE
Pro
339 13位 1位
2015年 イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
フィンランドの旗 トニ・バイランダー
GTE
Pro
330 25位 3位
2016年 アメリカ合衆国の旗 リシ・コンペティツィオーネ フィンランドの旗 トニ・バイランダー
イタリアの旗 マッテオ・マルーチェリ
フェラーリ・488 GTE GTE
Pro
340 20位 2位
2017年 フィンランドの旗 トニ・バイランダー
ドイツの旗 ピエール・カッファー
GTE
Pro
72 DNF DNF
2018年 スイスの旗 スピリット・オブ・レース イタリアの旗 フランチェスコ・カステラッチ
スイスの旗 トーマス・フロール
GTE
Am
335 26位 2位
2019年 イタリアの旗 フランチェスコ・カステラッチ
スイスの旗 トーマス・フロール
GTE
Am
327 43位 12位
2020年 イタリアの旗 AFコルセ イタリアの旗 フランチェスコ・カステラッチ
スイスの旗 トーマス・フロール
フェラーリ・488 GTE Evo GTE
Am
330 39位 13位
2021年 イタリアの旗 フランチェスコ・カステラッチ
スイスの旗 トーマス・フロール
GTE
Am
329 39位 11位
2022年 イタリアの旗 アイロン・リンクス イタリアの旗 マッテオ・クレッソーニ
アメリカ合衆国の旗 リチャード・ハイスタンド
GTE
Am
336 46位 13位

デイトナ24時間レース

[編集]
デイトナ24時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
2012年 アメリカ合衆国の旗 リシ・コンペティツィオーネ イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
ブラジルの旗 ラファエル・マトス
フェラーリ・458イタリア GT 154 DNF DNF
2013年 カナダの旗 R.フェリ・モータースポーツ
アメリカ合衆国の旗 AIMレーシング
イタリアの旗 マックス・パピス
アメリカ合衆国の旗 ジェフ・シーガル
フィンランドの旗 トニ・バイランダー
GT 614 DNF DNF
2014年 アメリカ合衆国の旗 リシ・コンペティツィオーネ イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
イタリアの旗 マッテオ・マルーチェリ
モナコの旗 オリビエ・ベレッタ
フェラーリ・458イタリア GT2 GTLM 88 DNF DNF
2015年 ドイツの旗 ピエール・カッファー
イタリアの旗 ダビデ・リゴン
モナコの旗 オリビエ・ベレッタ
GTLM 310 DNF DNF
2016年 フィンランドの旗 トニ・バイランダー
イタリアの旗 ダビデ・リゴン
モナコの旗 オリビエ・ベレッタ
フェラーリ・488 GTE GTLM 709 12位 6位
2017年 フィンランドの旗 トニ・バイランダー
イギリスの旗 ジェームス・カラド
GTLM 652 7位 3位

スパ・フランコルシャン24時間レース

[編集]
スパ24時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
2016年 イタリアの旗 AFコルセ モナコの旗 オリビエ・ベレッタ
イタリアの旗 ロレンツォ・ボンテンペリ
日本の旗 石川資章
フェラーリ・488 GT3 Pro-Am 33 DNF DNF
2017年 イタリアの旗 カスペルスキー・モータースポーツ イギリスの旗 ジェームス・カラド
イタリアの旗 マッテオ・チオッチ
Pro 299 DNF DNF
2019年 イギリスの旗 テンペスタ・レーシング イギリスの旗 クリス・フロッグガット
香港の旗 ジョナサン・ホイ
イタリアの旗 エディー・チーバー3世
Pro-Am 351 40位 4位
2020年 イギリスの旗 クリス・フロッグガット
香港の旗 ジョナサン・ホイ
イタリアの旗 エディー・チーバー3世
Pro-Am 520 17位 2位

ツーリングカー

[編集]

ドイツツーリングカー選手権

[編集]
チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位 ポイント
1995年 アルファ・コルセ 2 アルファロメオ・155 V6 TI HOC
1

6
HOC
2

Ret
AVU
1

4
AVU
2

19
NOR
1

DNS
NOR
2

DNS
DIE
1

6
DIE
2

Ret
NÜR
1

6
NÜR
2

Ret
SIN
1

15
SIN
2

Ret
HOC
1

10
HOC
2

10
15位 30

(key)

国際ツーリングカー選手権

[編集]
チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 順位 ポイント
1995年 アルファ・コルセ 2 アルファロメオ・155 V6 TI MUG
1

7
MUG
2

2
HEL
1

16
HEL
2

Ret
DON
1

5
DON
2

Ret
EST
1

4
EST
2

14
MAG
1

Ret
MAG
2

Ret
10位 37
1996年 TV Spielfilm アルファ・コルセ HOC
1

7
HOC
2

19
NUR
1

DSQ
NUR
2

DSQ
EST
1

2
EST
2

5
HEL
1

12
HEL
2

5
NOR
1

11
NOR
2

Ret
DIE
1

3
DIE
2

Ret
SIL
1

Ret
SIL
2

9
NUR
1

5
NUR
2

4
MAG
1

3
MAG
2

2
MUG
1

3
MUG
2

13
HOC
1

12
HOC
2

5
SAO
1

12
SAO
2

16
SUZ
1

4
SUZ
2

2
6位 139

(key)

  •  : リタイアだが、90%以上の距離を走行したため規定により完走扱い。

関連項目

[編集]

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]
タイトル
先代
クリスチャン・ペスカトリ
イタリア・フォーミュラ3選手権
1994
次代
ルカ・ランゴーニ