防衛省目黒地区
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(目黒基地から転送)
目黒駐屯地 | |
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防衛省目黒地区(航空写真) | |
位置 | |
所在地 | 東京都目黒区中目黒2-2-1 |
座標 | 北緯35度38分29秒 東経139度42分30秒 / 北緯35.64139度 東経139.70833度座標: 北緯35度38分29秒 東経139度42分30秒 / 北緯35.64139度 東経139.70833度 |
概要 | |
駐屯地司令 | 陸上自衛隊教育訓練研究本部長 |
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開設年 | 1994年 |
防衛省目黒地区(ぼうえいしょうめぐろちく)は、東京都目黒区中目黒2-2-1に所在する、防衛装備庁・統合幕僚監部・陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊が共同使用している防衛省施設。陸上自衛隊においては目黒駐屯地、海上自衛隊においては目黒地区、航空自衛隊においては目黒基地と呼ばれる。
概要
[編集]防衛省、統合幕僚監部・陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊の調査研究・高等教育機関が集中する地区である。
駐屯地司令は陸上自衛隊教育訓練研究本部長が、基地司令は航空自衛隊幹部学校長が兼務する。
駐屯地業務、基地業務等は「目黒地区における駐屯地業務、基地業務等に関する訓令[1]」により円滑に実施されるようになっている。
沿革
[編集]- 1857年(安政4年)徳川幕府が砲薬製造所を建設[2]。
- 1880年(明治13年)6月:明治政府が目黒火薬製造所を発足。
- 1885年(明治18年)2月: 海軍火薬製造所を建設。
- 1930年(昭和 5年)9月:海軍技術研究所が築地から移転。以後、敷地内に大きな円形の池が2つと大型水槽[5]が設置され、大和 (戦艦)の模型のテストも行われた。
イギリス連邦占領軍エビスキャンプ
- 1945年(昭和20年)11月:イギリス連邦占領軍(オーストラリア軍)が進駐(エビスキャンプ)。英連邦軍東京分区本部(Headquarters, British Commonwealth Sub Area Tokyo)を設置[6]。
- 1956年(昭和31年)1月:エビスキャンプ接収解除。
防衛庁・自衛隊
航空自衛隊目黒基地
- 1960年(昭和35年)6月13日:航空自衛隊第1補給処東京支処が港区から移転。
陸上自衛隊目黒駐屯地・海上自衛隊目黒地区・航空自衛隊目黒基地
- 1994年(平成 6年)
- 1997年(平成 9年)12月1日:航空自衛隊第1補給処東京支処が十条基地に移転。
- 2001年(平成13年)3月:防衛庁目黒留学生会館建設。
- 2006年(平成18年)7月31日:技術研究本部(現・防衛装備庁)第1研究所が艦艇装備研究所に改編。
- 2015年(平成27年)10月1日:技術研究本部艦艇装備研究所が防衛装備庁艦艇装備研究所となる。
- 2016年(平成28年)
- 2018年(平成30年)3月27日:陸上自衛隊研究本部と陸上自衛隊幹部学校が廃止・統合し、陸上自衛隊教育訓練研究本部として新編。
- 2021年(令和 3年)4月1日:防衛装備庁先進技術推進センターは電子装備研究所と統合、次世代装備研究所が設置。
駐屯・所在部隊等
[編集]陸上自衛隊
[編集]防衛大臣直轄部隊・機関
[編集]- 陸上自衛隊教育訓練研究本部
- 警務隊
- 東部方面警務隊
- 第126地区警務隊
- 目黒連絡班
- 第126地区警務隊
- 東部方面警務隊
東部方面隊隷下部隊
[編集]- 東部方面システム通信群
- 第105基地システム通信大隊
- 第316基地通信中隊
- 目黒派遣隊
- 第316基地通信中隊
- 第105基地システム通信大隊
海上自衛隊
[編集]防衛大臣直轄機関
[編集]航空自衛隊
[編集]防衛大臣直轄機関
[編集]防衛省
[編集]特別の機関
[編集]外局
[編集]- 防衛装備庁
- 艦艇装備研究所
- 次世代装備研究所
- 目黒地区
最寄の幹線交通
[編集]- 高速道路:首都高速3号渋谷線 渋谷出入口、首都高速2号目黒線 目黒出入口
- 一般道:国道1号、国道15号、国道246号、東京都道305号芝新宿王子線、東京都道312号白金台町等々力線、東京都道317号環状六号線、東京都道416号古川橋二子玉川線
- 鉄道:JR東日本山手線/埼京線/東京メトロ日比谷線 恵比寿駅、東急東横線/東京メトロ日比谷線 中目黒駅
- バス:東急バス渋72系統 防衛省技術研究所
- 港湾:東京港(指定特定重要港湾)
- 飛行場:東京国際空港(第一種空港)調布飛行場、横田飛行場、入間基地、立川飛行場(その他の飛行場)東京ヘリポート(公共用ヘリポート)
脚注
[編集]- ^ 目黒地区における駐屯地業務、基地業務等に関する訓令平成6年防衛庁訓令第46号(防衛省情報検索サービス)
- ^ “目黒基地の沿革”. 航空自衛隊. 2017年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月14日閲覧。
- ^ “目黒の住宅街にある大屋根の正体 戦艦「大和」も実験か 旧海軍施設なぜいまも現役?”. 乗りものニュース. (2019年3月29日) 2022年9月17日閲覧。
- ^ 艦艇装備研究所パンフレット(令和3年度版)防衛装備庁、2022年9月17日閲覧
- ^ 長さ247 m、幅12.5 m、深さ7 m[3][4]
- ^ “Entrance checkpoint, Ebisu Camp, Tokyo. Ebisu camp was the headquarters of the British Commonwealth Sub Area in Tokyo.”. オーストラリア戦争記念館. 2017年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月14日閲覧。
- ^ 1994年11月以前は陸上自衛隊の部隊・機関が所在していなかったため、「陸上自衛隊の駐屯地」という扱いはなされていなかった。(陸上自衛隊駐屯地の意義の根拠については自衛隊法施行令第50条に明記)