第7師団 (陸上自衛隊)
第7師団 | |
---|---|
創設 | 1962年(昭和37年)8月15日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 機甲師団 |
人員 | 約5,860人(2012年)[1] |
所在地 | 北海道 千歳市 |
編成地 | 千歳 |
上級単位 | 北部方面隊 |
担当地域 | 道央 |
第7師団(だいななしだん、JGSDF 7th Division)は、陸上自衛隊の師団のひとつ。北部方面隊直轄にあり、師団司令部を千歳市の東千歳駐屯地に置く[2]。
概要
[編集]陸上自衛隊で唯一の機甲師団であり、3個戦車連隊を中核とし、約200両(自衛隊保有数の約1/3)の戦車が集中配備されている[2]。戦車連隊を複数有する師団は、第7師団のみであり、戦車の大量装備のみならず、特科の装備する火砲の完全自走化もなされている[3]。重戦力による機動打撃を担当しており[4]、機動運用部隊として、必要に応じ他地域への展開も行う[2][5]。また、普通科部隊である第11普通科連隊も普通科6個中隊基幹と部隊規模が大きく、重迫撃砲中隊も含めて、こちらも完全機械化されている[3][6]。このほか、戦車配備の偵察隊や装甲車配備の通信隊など、他の師旅団と比較し機械化が図られている[6]。
第7師団は、前身の第7混成団時代より機械化部隊として編成が行われてきた[3]。陸上自衛隊の北方重視と予算問題による他の混成団の機械化改編構想の断念もあり、当時から、その部隊編成は特徴的であった[3]。1962年の師団改編時も丙師団(機械化部隊)となっており、1980年の師団改編(機甲師団化)において、その傾向がより強まった[3]。
1980年代後半の「戦車の北転事業」で増強後に冷戦終結を迎え、2010年代の西方重視への変換等、冷戦後の体制改革を受けつつも現在まで、機動運用部隊として運用されている。
そのほか、胆振・日高の防衛警備、災害派遣を任務とし、民生協力及び国際貢献活動を行っている。
沿革
[編集]第7師団の沿革を以下に示す。改編の詳細については別節を参照。
第7混成団
[編集]- 1960年頃の主要編成
- 団本部、本部付中隊、第18普通科連隊、第7特科連隊[7]
- 1961年(昭和36年)2月22日:部隊改編。
- 第5管区隊第11普通科連隊を隷下に編合。
- 第18普通科連隊が第5管区隊隷下に隷属替え。
- 1961年(昭和36年)2月28日:第7混成団を機械化部隊に改編。
- 第23普通科連隊が東千歳駐屯地において編成完結。
- 第24普通科連隊が東千歳駐屯地において編成完結。
- 第7特車大隊が北千歳駐屯地において編成完結。
- 第7通信大隊が東千歳駐屯地において編成完結。
- 第7航空隊が丘珠駐屯地において編成完結。
- 第7装甲輸送隊が東千歳駐屯地において編成完結。
- 1962年(昭和37年)1月18日:
- 第7混成団が真駒内駐屯地から東千歳駐屯地へ移駐。
- 第7特車大隊が第7戦車大隊に称号変更し、北千歳駐屯地から東千歳駐屯地に移駐。
第7師団
[編集]- 1962年(昭和37年)8月15日:師団へ改編(陸上自衛隊の13個師団体制完成)。
- 第7混成団を第7師団に称号変更。
- 第7航空隊(丘珠駐屯地)が第7飛行隊に改編され、北部方面航空隊隷下に隷属替え。
- 1965年頃の主要編成
- 第11・第23・第24普通科連隊、第7特科連隊、第7戦車大隊
- 1967年(昭和42年)8月30日:第23普通科連隊のレンジャー訓練が支笏湖モラップ湖畔で行われた際に隊員4人が溺死。着衣水泳の途中の事故[8]。
- 1975年(昭和50年)8月1日:第7音楽隊を東千歳駐屯地に新編。
- 1976年(昭和51年)2月:第7戦車大隊に74式戦車の配備を開始。
- 1977年(昭和52年)8月:有珠山噴火災害派遣。
- 1981年(昭和56年)3月25日:機甲師団へ改編[3]。
- 第7戦車大隊(北千歳駐屯地)を第71戦車連隊に改編。
- 方面直轄の第1戦車団を廃止し、第72戦車連隊・第73戦車連隊を北恵庭駐屯地に新編。
- 第23普通科連隊(東千歳駐屯地)を廃止。
- 第24普通科連隊(東千歳駐屯地)を第8師団隷下へ異動。
- 第7特科連隊第5大隊を第7高射特科連隊として分離独立し、師団直轄とする。
- 第7武器隊、第7補給隊、第7装甲輸送隊、第7衛生隊を廃止・統合し、第7後方支援連隊を東千歳駐屯地に新編。
- ※第7師団司令部、第7師団司令部付隊、第11普通科連隊、第7特科連隊、第7後方支援連隊、第7施設大隊、第7通信大隊、第7偵察隊(東千歳駐屯地)、第71戦車連隊(北千歳駐屯地)、第72戦車連隊、第73戦車連隊(北恵庭駐屯地)、第7高射特科連隊(静内駐屯地、一部が東千歳駐屯地)
- 1990年頃の主要編成
- 第71・第72・第73戦車連隊、第11普通科連隊、第7特科連隊、第7高射特科連隊
- 1990年(平成 2年)
- 3月8日:第73戦車連隊が北恵庭駐屯地から南恵庭駐屯地に移駐。
- 3月26日:戦車北転事業により、第71戦車連隊、第72戦車連隊、第73戦車連隊に第5戦車中隊を新編(4個戦車中隊から5個戦車中隊に増強)。
- 1991年(平成 3年)6月:訓練センター方式(バトラー)による初の戦車中隊訓練。
- 1992年(平成 4年)
- 1993年(平成 5年)4月:カンボジア国際平和協力業務第2次隊へ派遣。
- 1994年(平成 6年)
- 3月28日:師団改編。
- 第71戦車連隊の装備を74式戦車から90式戦車に換装し、戦車中隊の編成を4個戦車小隊から3個戦車小隊に削減。
- 第7高射特科連隊のうち4個高射中隊が装備していた35mm2連装高射機関砲 L-90×8門を87式自走高射機関砲×32両(各中隊8両)に換装。
- 第7師団司令部付隊化学防護小隊を化学防護隊に改編[9]。
- 北部方面航空隊の第7飛行隊を隷下に編合。
- 8月:第72戦車連隊に90式戦車の配備を開始。
- 1995年(平成 7年)1月:阪神・淡路大震災災害派遣。
- 1996年(平成 8年)9月:米国戦車射撃訓練参加。
- 1997年(平成 9年)6月:国連兵力引き離し監視隊 (UNDOF) へ派遣。
- 1999年(平成11年)
- 7月:第73戦車連隊に90式戦車の配備を開始。
- 9月:北海道防災総合訓練参加。
- 2000年(平成12年)
- 3月28日:部隊改編。
- 第73戦車連隊の改編(コア部隊化)。
- 第7後方支援連隊の改編。(第1整備大隊、第2整備大隊の新編。一部部隊のコア化等。)
- 化学防護隊の改編。1個除染班がコア化する。補給整備班が第7後方支援連隊に併合。
- 3月29日:有珠山噴火災害派遣(8月1日まで)。
- 4月:即応予備自衛官採用及び訓練開始。
- 2002年(平成14年)
- 3月27日:第7師団司令部付隊化学防護隊を第7化学防護隊に改編。
- 4月:東ティモール国際平和協力業務
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)
- 2月:第1次イラク復興支援群派遣
- 5月:第2次イラク復興支援群派遣
- 2005年(平成17年)1月:インドネシア・スマトラ島沖へ国際緊急医療・航空援助隊派遣
- 2011年(平成23年)3月:東日本大震災災害派遣(岩手県、福島県、宮城県へ生活支援隊・原子力災害対処・多目的支援隊を派遣)
- 2013年(平成25年)12月 :第7偵察隊に90式戦車の配備を開始。
- 2014年(平成26年)3月26日:総合近代化改編(機甲師団)即応予備自衛官訓練を北部方面混成団に移管し第73戦車連隊をフル化[10]。第73戦車連隊の人員は、廃止される第1戦車群からも充当。
- 2017年(平成29年)1月:第71戦車連隊に10式戦車の配備を開始。
- 2020年頃の主要編成
- 第71・第72・第73戦車連隊、第11普通科連隊、第7特科連隊、第7高射特科連隊
- 2023年(令和 5年)3月15日:部隊廃止。
編成・駐屯地
[編集]- 編成
警備地区
[編集]- 第7警備地区:北海道(胆振・日高)
司令部
[編集]主要幹部
[編集]官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第7師団長 | 陸将 | 松永浩二 | 2024年 | 3月28日第15旅団長 |
副師団長 兼 東千歳駐屯地司令 |
陸将補 | 𣘺本賦 | 2023年 | 3月30日自衛隊熊本地方協力本部長 |
幕僚長 | 1等陸佐 | 黒木正富 | 2024年 | 8月26日第9師団司令部幕僚長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 |
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第7混成団長(陸将補) | |||||
1 | 助川弘道 | 1955年12月 | 1日 - 1958年 3月27日海兵55期・ 海大38期 |
北部方面特科団長 →1955年11月16日 北部方面総監部付 |
第3管区副総監 兼 伊丹駐とん地司令 |
2 | 關口八太郎 | 1958年 | 3月28日 - 1960年 7月31日東北帝国大学 昭和10年卒 |
第1管区副総監 兼 練馬駐とん地司令 |
第5管区総監 |
3 | 太田庄次 | 1960年 | 8月 1日 - 1962年 8月14日陸士42期・ 陸大54期 |
東北方面総監部幕僚長 兼 南仙台駐とん地司令 |
第7師団長 |
第7師団長(陸将・指定職1号) | |||||
1 | 太田庄次 | 1962年 ※1963年 1月 1日 陸将昇任 |
8月15日 - 1963年 3月15日陸士42期・ 陸大54期 |
第7混成団長 (陸将補) |
第10師団長 |
2 | 久保田茂 | 1963年 ※1964年 1月 1日 陸将昇任 |
3月16日 - 1965年 3月15日陸士44期・ 陸大51期 |
東部方面総監部幕僚長 兼 市ケ谷駐とん地司令 (陸将補) |
防衛大学校幹事 |
3 | 國武輝人 | 1965年 | 3月16日 - 1968年 3月15日陸士44期・ 陸大53期 |
防衛大学校幹事 | 陸上幕僚監部付 →1968年6月30日 退職 |
4 | 齊藤春義 | 1968年 ※1968年 7月 1日 陸将昇任 |
3月16日 - 1969年 6月30日陸士48期・ 陸大56期 |
東部方面総監部幕僚長 兼 市ケ谷駐とん地司令 (陸将補) |
第1師団長 |
5 | 溝口昌弘 | 1969年 | 7月 1日 - 1971年 7月 1日陸士49期・ 陸大57期 |
東北方面総監部幕僚長 兼 仙台駐とん地司令 |
陸上自衛隊幹部学校長 |
6 | 平林克己 | 1971年 | 7月 1日 - 1973年 6月30日陸士51期・ 陸大58期 |
中部方面総監部幕僚長 兼 伊丹駐とん地司令 |
中部方面総監 |
7 | 井出洋 | 1973年 | 7月 1日 - 1975年 6月30日陸士52期・ 陸大59期 |
陸上自衛隊少年工科学校長 | 退職 |
8 | 加藤誠一 | 1975年 | 7月 1日 - 1977年 3月15日陸士56期 | 陸上幕僚監部幕僚幹事 | 防衛大学校幹事 |
9 | 渡邉勉 | 1977年 | 3月16日 - 1979年 6月30日陸士57期 | 陸上自衛隊幹部学校副校長 兼 企画室長 |
東北方面総監 |
10 | 松永力 | 1979年 | 7月 1日 - 1981年 3月30日陸士60期 | 統合幕僚会議事務局第5幕僚室長 | 防衛大学校幹事 |
11 | 中村守雄 | 1981年 | 3月31日 - 1982年 3月15日陸航士60期 | 陸上幕僚監部教育訓練部長 | 陸上幕僚副長 |
12 | 齊藤信夫 | 1982年 | 3月16日 - 1983年 6月30日陸航士58期 | 陸上幕僚監部防衛部長 | 西部方面総監 |
13 | 新井道彦 | 1983年 | 7月 1日 - 1985年 3月15日仙幼47期・ 東北大学 昭和27年卒 |
陸上幕僚監部人事部長 | 西部方面総監 |
14 | 狩野泰輔 | 1985年 | 3月16日 - 1986年 6月16日大幼47期 | 北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令 |
退職 |
15 | 源川幸夫 | 1986年 | 6月17日 - 1988年 7月 6日防大1期 | 統合幕僚会議事務局第3幕僚室長 | 東北方面総監 |
16 | 西元徹也 | 1988年 | 7月 7日 - 1989年 6月29日防大3期 | 陸上幕僚監部防衛部長 | 陸上幕僚副長 |
17 | 阿部賢吉 | 1989年 | 6月30日 - 1991年 6月30日防大3期 | 自衛隊福岡地方連絡部長 | 統合幕僚学校長 |
18 | 齊野光浩 | 1991年 | 7月 1日 - 1993年 6月30日防大4期 | 中部方面総監部幕僚長 兼 伊丹駐屯地司令 |
退職 |
19 | 田村鞆利 | 1993年 | 7月 1日 - 1994年 6月30日防大7期 | 陸上幕僚監部装備部長 | 防衛大学校幹事 |
20 | 藤縄祐爾 | 1994年 | 7月 1日 - 1995年 6月29日防大8期 | 陸上幕僚監部人事部長 | 陸上幕僚副長 |
21 | 藤原利將 | 1995年 | 6月30日 - 1997年 6月30日防大9期 | 統合幕僚会議事務局第5幕僚室長 | 防衛大学校幹事 |
22 | 作道光夫 | 1997年 | 7月 1日 - 1998年 6月30日防大11期 | 東部方面総監部幕僚長 兼 朝霞駐屯地司令 |
防衛大学校幹事 |
23 | 岩猿進 | 1998年 | 7月 1日 - 2001年 1月10日防大12期 | 北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令 |
中部方面総監 |
24 | 森勉 | 2001年 | 1月11日 - 2002年 3月21日防大14期 | 陸上幕僚監部防衛部長 | 陸上幕僚副長 |
25 | 今村功 | 2002年 | 3月22日 - 2004年 3月28日防大15期 | 陸上幕僚監部人事部長 | 東部方面総監 |
26 | 庄田豊 | 2004年 | 3月29日 - 2006年 9月18日防大16期 | 東北方面総監部幕僚長 兼 仙台駐屯地司令 |
統合幕僚学校長 |
27 | 用田和仁 | 2006年 | 9月19日 - 2008年 7月31日防大19期 | 統合幕僚監部運用部長 | 西部方面総監 |
28 | 荒川龍一郎 | 2008年 | 8月 1日 - 2009年 7月20日防大21期 | 陸上幕僚監部人事部長 | 陸上幕僚副長 |
29 | 山本洋 | 2009年 | 7月21日 - 2010年 7月25日防大21期 | 東北方面総監部幕僚長 兼 仙台駐屯地司令 |
陸上自衛隊富士学校長 兼 富士駐屯地司令 |
30 | 岩田清文 | 2010年 | 7月26日 - 2011年 8月 4日防大23期 | 陸上幕僚監部人事部長 | 統合幕僚副長 |
31 | 磯部晃一 | 2011年 | 8月 5日 - 2012年 7月25日防大24期 | 統合幕僚監部防衛計画部長 | 統合幕僚副長 |
32 | 塩崎敏譽 | 2012年 | 7月26日 - 2013年12月17日防大24期 | 第12旅団長 | 退職 |
33 | 太田牧哉 | 2013年12月18日 - 2015年 | 8月 3日防大26期 | 北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令 |
陸上自衛隊研究本部長 |
34 | 田浦正人 | 2015年 | 8月 4日 - 2017年 8月 7日防大28期 | 北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令 |
北部方面総監 |
35 | 小野塚貴之 | 2017年 | 8月 8日 - 2018年 7月31日防大30期 | 統合幕僚監部防衛計画部長 | 陸上幕僚副長 |
36 | 前田忠男 | 2018年 | 8月 1日 - 2020年 4月14日防大31期 | 陸上幕僚監部防衛部長 | 北部方面総監 |
37 | 中村裕亮 | 2020年 | 4月15日 - 2023年 3月29日防大32期 | 第15旅団長 | 陸上自衛隊富士学校長 兼 富士駐屯地司令 |
38 | 遠藤充 | 2023年 | 3月30日 - 2024年 3月27日防大35期 | 第14旅団長 | 防衛大学校副校長 |
39 | 松永浩二 | 2024年 | 3月28日 -防大36期 | 第15旅団長 |
部隊改編
[編集]第7混成団新編(1955年)
混成団と同じく、1個普通科連隊基幹。第18普通科連隊内に1個特車中隊[6]。
- 第7混成団(以下は主要部隊のみ記載)
- 第18普通科連隊(4個普通科大隊・特車中隊・重迫撃砲中隊)
- 第7特科連隊(3個特科大隊)
- 第7施設大隊
- 第7偵察中隊
機械化混成団改編(1961年)
小型化した普通科連隊3個(4個普通科中隊)を基幹とし、特車部隊を大隊に増強及び団直轄化、特科連隊が5個大隊編成となる[6]。第18普通科連隊主力は第5管区隊へ異動、第5管区隊より第11普通科連隊が隷下に入り、第18普通科連隊第4大隊と編合し、第23・第24連隊を新編[6]。有事には装甲輸送隊の支援により、普通科部隊の機械化を図る構想であった[6][3]。
- 第7混成団
- 第11普通科連隊(4個普通科中隊・迫撃砲隊)
- 第23普通科連隊(4個普通科中隊・迫撃砲隊)
- 第24普通科連隊(4個普通科中隊・迫撃砲隊)
- 第7特科連隊(4個特科大隊・1個高射大隊)
- 第7特車大隊(4個特車中隊):M4A3E8シャーマン戦車等を装備[20]
- 第7施設大隊
- 第7偵察隊
- 第7装甲輸送隊
師団改編(1962年)
第7混成団を第7師団に改編。編成は混成団時とほぼ同じであるが、特車の名称が戦車に変更。陸上自衛隊で唯一の丙師団(機械化部隊)編制[3]。
機甲師団改編(1981年)
3個普通科連隊・1個戦車大隊編制から3個戦車連隊・1個普通科連隊編制の機甲師団へと改編[3][6]。主要編成は現在とほぼ同じとなる。
- 第7戦車大隊(4個戦車中隊)を拡大改編し、第71戦車連隊(4個戦車中隊・戦車定数74両・以下各戦車連隊同じ)を新編。
- 北部方面隊直轄の第1戦車団(北恵庭駐屯地)が廃止。第1戦車群のみが北部方面隊直轄部隊となる。
- 第1戦車団第2戦車群(5個戦車中隊)を廃止し、第72戦車連隊(4個戦車中隊)を新編。
- 第1戦車団第3戦車群(5個戦車中隊)を廃止し、第73戦車連隊(4個戦車中隊)を新編。
- 第11普通科連隊は4個普通科中隊・迫撃砲隊から6個普通科中隊・迫撃砲中隊に増強。機械化装備も増強。
- 第23普通科連隊は廃止。隊員の一部は第11普通科連隊の増強等に充当。
- 第24普通科連隊は第8師団隷下となり、宮崎県のえびの駐屯地へ移駐。隊員の一部は第11普通科連隊の増強等に充当。
- 第7装甲輸送隊を廃止し、装備を第11普通科連隊に移管。
- 第7特科連隊第5大隊が独立し、第7高射特科連隊(本部管理中隊、5個高射中隊)に増強改編。
- 第7後方支援連隊を新編。
- 第7施設大隊が4個施設中隊編成に改編。
「戦車の北転事業」にともなう部隊改編(1990年)
戦車の北転事業に伴い、第7師団の部隊強化が先行して行われた。各戦車連隊は4個戦車中隊基幹から増強5個戦車中隊基幹に増強された。
戦車定数削減にともなう部隊改編(2023年から2024年)
中期防衛力整備計画 (2014)、 (2019)、防衛力整備計画 (2023)に伴う戦車定数削減により、1981年当時とほぼ同等の戦力へと回帰した。
- 第71・72戦車連隊の第5戦車中隊を廃止。4個戦車中隊基幹となる。(2023年)
- 第73戦車連隊の第5戦車中隊を廃止。4個戦車中隊基幹となる。(2024年)
脚注
[編集]- ^ 第7師団改編と第1戦車群廃止 防衛省が来年度予算の概算要求に盛り込む
- ^ a b c 奈良原裕也「21世紀陸上自衛隊の新体制 「第7師団」「第1師団」「第3師団」”虎の子”機甲師団と”政経中枢”師団」『軍事研究』2019年1月号、ジャパン・ミリタリー・レビュー、67-80頁。
- ^ a b c d e f g h i 田村尚也「大きく変わりつつある戦略任務 師団改編と旅団化」『軍事研究』2004年9月号、ジャパン・ミリタリー・レビュー、144-122頁。
- ^ 第7師団. “任務・特性”. 2019年6月18日閲覧。
- ^ 防衛計画の大綱別表に記載。51大綱以降の全期間において、機動運用部隊内に1個機甲師団。
- ^ a b c d e f g h 第7師団の歴史と現状、課題,佐野顕,パンツァー,2017年11月号,P-30-41
- ^ 陸上自衛隊60年史(6),佐野顕,スピアヘッド,第13号,2012年,P90-95
- ^ 「死のレンジャー訓練 敵前潜行の四人 湖底に吸込まる」『朝日新聞』昭和42年9月1日朝刊、12版、15面
- ^ “化防隊の歴史”. 第7化学防護隊公式ホームページ. 2020年3月3日閲覧。
- ^ “我が国の防衛と予算-平成25年度予算の概要-”. 防衛省 (2013年5月16日). 2020年2月24日閲覧。
- ^ “第71戦車連隊について”. 2023年4月6日閲覧。
- ^ 陸上自衛隊 北恵庭駐屯地【公式】 [@camp_kitaeniwa] (2023年3月24日). "3月中旬、第5戦車中隊の隊旗返還行事を挙行しました。". X(旧Twitter)より2023年4月3日閲覧。
- ^ “第73戦車連隊 沿革”. 2024年3月29日閲覧。
- ^ “令和5年度北海道地域防災計画 第5章災害応急対策計画”. 北海道. pp. 120-124. 2024年3月14日閲覧。
- ^ “令和5年度北海道地域防災計画 第5章災害応急対策計画”. 北海道. pp. 120-124. 2024年3月14日閲覧。
- ^ “令和5年度北海道地域防災計画 第5章災害応急対策計画”. 北海道. pp. 120-124. 2024年3月14日閲覧。
- ^ “令和5年度北海道地域防災計画 第5章災害応急対策計画”. 北海道. pp. 120-124. 2024年3月14日閲覧。
- ^ “令和5年度北海道地域防災計画 第5章災害応急対策計画”. 北海道. pp. 120-124. 2024年3月14日閲覧。
- ^ “令和5年度北海道地域防災計画 第5章災害応急対策計画”. 北海道. pp. 120-124. 2024年3月14日閲覧。
- ^ 陸上自衛隊 機甲科全史,菊地征雄,イカロス出版,2017年5月,P62,ISBN 978-4802203395
出典
[編集]- 『北部方面隊50年のあゆみ : 歩みつづけるつわものたちのきらめく記憶』(山藤印刷株式会社/編集,陸上自衛隊北部方面総監部/監修 2003)
外部リンク
[編集]- 東千歳駐屯地(千歳市)に司令部を置く陸上自衛隊第7師団(機甲師団)のホームページ 公式ウェブサイト
- 第7師団 (@7th_Division_pr) - X(旧Twitter)
- 戦車・装甲車など400両行進 北海道の陸自第7師団 - YouTube(朝日新聞社提供、2014年5月25日公開)