第72戦車連隊
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第72戦車連隊 | |
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戦闘団訓練中の第72戦車連隊 | |
創設 | 1981年(昭和56年)3月25日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 機甲科 |
所在地 | 北海道 恵庭市 |
編成地 | 北恵庭 |
愛称 | 白馬 |
上級単位 | 第7師団 |
担当地域 | 道央 |
第72戦車連隊(だいななじゅうにせんしゃれんたい、JGSDF 72nd Tank Regiment)は、北海道恵庭市の北恵庭駐屯地に駐屯する、陸上自衛隊第7師団隷下の機甲科部隊である。
概要
[編集]連隊長は1等陸佐が充てられ、北恵庭駐屯地司令を兼任している。同駐屯地には第11戦車隊も駐屯している。
部隊マークは、”白馬”機甲のルーツである騎兵から白馬を意匠化したもの。なお中隊番号は砲身の白帯の本数で区別される。2002年ごろまでは、各中隊ごとにマークが定められていた。
沿革
[編集]第103特車大隊
- 1954年(昭和29年)9月25日:第103特車大隊が北恵庭駐屯地において新編(3個戦車中隊基幹)[1][2]M4中戦車を装備[1]。
- 1956年(昭和31年)1月25日:第1特車群新編に伴い、隷下に編合[2]。
第103戦車大隊
- 1962年(昭和37年)1月18日:第103戦車大隊に称号変更[1][2]。
- 1968年(昭和43年)12月:61式戦車装備開始[1][3]。
- 1974年(昭和49年)7月31日:第103戦車大隊が廃止となり、第2戦車群に改編[2]。
第2戦車群
- 1974年(昭和49年)8月1日:第2戦車群(5個戦車中隊基幹)を新編[2]。第1戦車団に編合。
- 1978年(昭和53年)7月:74式戦車装備開始[1][2][3]。
- 1981年(昭和56年)3月24日:第7師団の機甲師団への改編に伴い、第2戦車群が廃止となり、第72戦車連隊に改編[1][2]。
第72戦車連隊
- 1981年(昭和56年)3月25日:第72戦車連隊を北恵庭駐屯地に新編(4個戦車中隊基幹)。
- 1990年(平成 2年)3月26日:戦車北転事業による戦車増強により、第5戦車中隊を新編[1][2]。
- 1994年(平成 6年)8月:90式戦車装備開始[1][2]。
- 2000年(平成12年)3月28日:後方支援体制変換に伴い、整備部門を第7後方支援連隊第2整備大隊第2戦車直接支援中隊へ移管。
- 2014年(平成26年)3月26日:第1戦車群廃止に伴い、北恵庭駐屯地司令職務担任部隊に指定[1]。
- 2023年(令和 5年)3月15日:第5戦車中隊が廃止[4]。
部隊編成
[編集]- 第72戦車連隊本部
- 本部管理中隊「72戦-本」
- 第1戦車中隊「72戦-1」- 90式戦車
- 第2戦車中隊「72戦-2」- 90式戦車
- 第3戦車中隊「72戦-3」- 90式戦車
- 第4戦車中隊「72戦-4」- 90式戦車
廃止部隊
[編集]整備支援部隊
[編集]- 第7後方支援連隊第2整備大隊第2戦車直接支援中隊:2000年(平成12年)3月28日から
主要幹部
[編集]官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第72戦車連隊長 兼 北恵庭駐屯地司令 |
1等陸佐 | 烏賊弘二郎 | 2023年12月22日 | 陸上自衛隊教育訓練研究本部 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 内田十允 | 1981年 | 3月25日 - 1981年 7月31日第2戦車群長 | 陸上幕僚監部付 |
2 | 物部博和 | 1981年 | 8月 1日 - 1984年 3月15日陸上幕僚監部付 | 陸上自衛隊幹部学校研究員 |
3 | 中村征人 | 1984年 | 3月16日 - 1986年 7月31日陸上自衛隊富士学校研究員 | 陸上自衛隊富士学校機甲科部 教育課長 |
4 | 中山辰彦 | 1986年 | 8月 1日 - 1988年 3月31日陸上幕僚監部調査部調査第1課 企画班長 |
中部方面総監部装備部長 |
5 | 千輪俊明 | 1988年 | 4月 1日 - 1990年 7月 8日陸上幕僚監部付 | 東部方面総監部防衛部長 |
6 | 大越雅行 | 1990年 | 7月 9日 - 1992年 8月 2日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 北部方面総監部総務部長 |
7 | 吉川洋利 | 1992年 | 8月 3日 - 1995年 3月22日陸上幕僚監部防衛部防衛課 編成班長 |
陸上幕僚監部教育訓練部訓練課長 |
8 | 山嶋立美 | 1995年 | 3月23日 - 1997年12月 7日第11師団司令部第3部長 | 陸上自衛隊富士学校総合研究開発部 主任研究開発官 |
9 | 用田和仁 | 1997年12月 | 8日 - 1999年 3月28日陸上幕僚監部調査部調査課 企画班長 |
陸上幕僚監部人事部人事計画課長 |
10 | 梅谷義一 | 1999年 | 3月29日 - 2001年 3月26日東北方面総監部調査部調査課長 | 北部方面指揮所訓練支援隊長 |
11 | 日笠玲治郎 | 2001年 | 3月27日 - 2003年 7月31日陸上自衛隊幹部学校研究員 | 第11師団司令部幕僚長 |
12 | 溝越正信 | 2003年 | 8月 1日 - 2005年 7月31日陸上自衛隊富士学校主任教官 | 自衛隊香川地方連絡部長 |
13 | 武政賢一 | 2005年 | 8月 1日 - 2007年 3月31日陸上幕僚監部人事部募集課募集班長 | 自衛隊岡山地方協力本部長 |
14 | 田浦正人 | 2007年 | 4月 1日 - 2008年 7月31日陸上幕僚監部防衛部防衛課 業務計画班長 |
陸上幕僚監部運用支援・情報部 運用支援課長 |
15 | 石田裕 | 2008年 | 8月 1日 - 2009年12月 6日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 自衛隊京都地方協力本部長 |
16 | 亀山慎二 | 2009年12月 | 7日 - 2011年 8月 4日陸上幕僚監部運用支援・情報部 情報課地域情報班長 |
陸上幕僚監部運用支援・情報部 情報課長 |
17 | 篠村和也 | 2011年 | 8月 5日 - 2012年12月 3日陸上幕僚監部運用支援・情報部 情報課総合情報班長 |
陸上自衛隊富士学校機甲科部 教育課長 |
18 | 今村武 | 2012年12月 | 4日 - 2014年 7月31日陸上幕僚監部人事部人事計画課 制度班長 |
第10師団司令部幕僚長 |
19 | 堀田秀成 | 2014年 | 8月 1日 - 2016年 3月22日中部方面総監部防衛部防衛課長 | 陸上幕僚監部防衛部防衛課 防衛調整官 |
20 | 赤羽根禎英 | 2016年 | 3月23日 - 2018年 3月22日北部方面総監部防衛部訓練課長 | 陸上自衛隊富士学校機甲科部副部長 |
21 | 兵庫剛 | 2018年 | 3月23日 - 2020年 3月15日陸上幕僚監部防衛部防衛協力課 計画班長 |
陸上総隊司令部日米共同部日米調整官 |
22 | 黒木崇 | 2020年 | 3月16日 - 2021年10月13日東部方面総監部防衛部防衛課長 | 陸上幕僚監部人事教育部人事教育計画課 服務室長 |
23 | 梅田宗法 | 2021年10月14日 - 2023年12月21日 | 統合幕僚学校教育課 第1教官室学校教官 |
北部方面総監部法務官 |
24 | 烏賊弘二郎 | 2023年12月22日 - | 陸上自衛隊教育訓練研究本部 |
主要装備
[編集]- 90式戦車
- 73式装甲車
- 87式偵察警戒車
- 軽装甲機動車
- 1/2tトラック/73式小型トラック
- 1 1/2tトラック/73式中型トラック
- 3 1/2tトラック/73式大型トラック
- 89式5.56mm小銃
- 9mm拳銃
警備隊区
[編集]恵庭市、北広島市、夕張市、栗山町、由仁町、南幌町、長沼町[6]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 陸上自衛隊. “第72戦車連隊の紹介”. 第72戦車連隊. 2017年10月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 歴代の陸自戦車部隊,柘植雄介,ウオーマシンレポートNo50 陸上自衛隊の戦車部隊-その歴史と現状,P100-109,アルゴノート社,2016年
- ^ a b 第7師団の歴史と現状、課題,佐野顕,月刊パンツァー,2017年11月号,アルゴノート社,P30-41
- ^ 陸上自衛隊 北恵庭駐屯地【公式】 [@camp_kitaeniwa] (2023年3月24日). "3月中旬、第5戦車中隊の隊旗返還行事を挙行しました。". X(旧Twitter)より2023年3月24日閲覧。
- ^ 陸上自衛隊部内広報誌『ARMY AUTUMN 2013(No.62)』
- ^ “令和5年度北海道地域防災計画 第5章災害応急対策計画”. 北海道. pp. 120-124. 2024年3月14日閲覧。
参考文献
[編集]- PANZER臨時増刊 ウォーマシンレポート50 陸上自衛隊の戦車部隊 その歴史と現状 アルゴノート社 2016
- 陸上自衛隊機甲科全史 菊池征男著 イカロス出版 2017
- “防衛省人事発令”. 2016年3月23日閲覧。
- 宝島社DVDBOOK「日本を守る陸上自衛隊部隊密着」(2017年発売)