岩田清文
表示
岩田 清文 | |
---|---|
2015年 | |
生誕 |
1957年2月3日(67歳) 日本・徳島県 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
軍歴 | 1979年 - 2016年 |
最終階級 | 陸上幕僚長たる陸将 |
除隊後 | 三菱電機顧問 |
岩田 清文(いわた きよふみ、1957年〈昭和32年〉2月3日[1] - )は、日本の陸上自衛官。第34代陸上幕僚長、第33代北部方面総監。
概要
[編集]徳島県出身。1等陸佐までの職種は機甲科。初代統合幕僚長を務めた先崎一陸将以来10年ぶりとなる北部方面総監からの陸幕長就任となった。北部方面総監時代の要望事項は「任務即応・訓練精到・地域連携」。約3年にわたり陸上幕僚長を務め、次期統合幕僚長の候補と目されていたが、在任後期には数多くの重大事案[2]が発生。最後は北部方面隊の然別演習場において、隊員による小銃誤射事案が決定打となり、同事案の管理監督責任を取る形で退官に追い込まれた。
選択出版によると、陸上自衛隊の制服を、2018年末に現行のモスグリーンから、統合幕僚監部のイメージカラーである「紫色」に変更する構想は、統幕長を狙いながら勇退を余儀なくされた岩田の「置き土産」であるとされる[3]。ほか、週刊ダイヤモンドによると、陸上自衛隊の特別儀仗隊の制服が52年ぶりに変更されたことに続く第2陣として「常装」のモデルチェンジが行われる予定であり、陸上自衛官13.9万人が対象となる。新制服は統合幕僚監部のカラーである「紫色」に変更されるとされ、新制服への変更を強く推したのは、「昨年6月に退任した元陸上幕僚長」であるとされている[4]。
略歴
[編集]- 1979年(昭和54年)3月:防衛大学校卒業(第23期・電気工学[5])
- 1993年(平成 5年)7月:2等陸佐
- 1997年(平成 9年)8月1日:第4戦車大隊長兼玖珠駐屯地司令
- 1998年(平成10年)1月1日:1等陸佐
- 1999年(平成11年)7月9日:陸上幕僚監部防衛部運用課運用第1班長
- 2001年(平成13年)6月29日:第71戦車連隊長
- 2003年(平成15年)3月27日:陸上幕僚監部装備部装備計画課長
- 2004年(平成16年)8月30日:陸将補、陸上自衛隊富士学校機甲科部長
- 2006年(平成18年)8月4日:中部方面総監部幕僚副長
- 2008年(平成20年)8月1日:陸上幕僚監部人事部長
- 2010年(平成22年)7月26日:陸将、第30代第7師団長
- 2011年(平成23年)8月5日:統合幕僚副長
- 2012年(平成24年)7月26日:第33代北部方面総監
- 2013年(平成25年)8月27日:第34代陸上幕僚長
- 2016年(平成28年)7月1日:退官
- 2017年(平成29年)1月1日:三菱電機株式会社電子システム事業本部顧問[6]
著作
[編集]- 『中国、日本侵攻のリアル』(飛鳥新社、2019年)
- 『中国を封じ込めよ!』(飛鳥新社、2023年)
共著
[編集]- 『自衛隊最高幹部が語る令和の国防』(新潮社〈新潮新書〉、2021年)
- 『自衛隊最高幹部が語る台湾有事』(新潮新書、2022年)
- 『君たち、中国に勝てるのか ―自衛隊最高幹部が語る日米同盟VS.中国』(産経セレクト、2023年)
- 『国防の禁句 ―防衛「チーム安倍」が封印を解く』(産経セレクト、2024年)、島田和久・武居智久 共著
栄典
[編集]- レジオン・オブ・メリット・コマンダー - 2014年(平成26年)10月14日[7]
画像
[編集]-
講演する岩田
-
アメリカ軍、モンゴル軍との合同演習時の岩田(手前)
-
握手をする岩田(左)。握手の相手は、ロバート・W・コーン陸軍大将。
脚注
[編集]- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.187
- ^ 防衛不祥事2015年 - 2016年の項を参照
- ^ 陸上自衛隊の制服が「紫色」へ――前陸幕長の「置き土産」が現実味 選択出版 2017/3/29(水) 9:30配信 (archive.isによる2017年3月29日分キャッシュ)
- ^ 『週刊ダイヤモンド』 2017年8月26日号 ダイヤモンド社 p.45
- ^ 公益財団法人 大和法人会 座間支部 講習会
- ^ 自衛隊法第65条の11第5項の規定に基づく自衛隊員の再就職状況の報告(平成29年1月1日~同年3月31日分) 防衛省 2017年7月4日.2018年8月28日閲覧。
- ^ 朝雲新聞(2014年10月23日付)
|
|
|
|
|
|
|
|
|