北部方面隊
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(北部方面総監から転送)
北部方面隊 JGSDF Northern Army | |
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創設 | 1952年(昭和27年)10月15日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 方面隊 |
所在地 | 北海道 札幌市 |
編成地 | 札幌 |
愛称 | 北方、NA |
上級単位 | 防衛大臣直轄(有事 陸上総隊) |
担当地域 | 北海道 |
北部方面隊(ほくぶほうめんたい、英語:JGSDF Northern Army)は、陸上自衛隊の方面隊の一つである。防衛大臣直轄(有事の際は陸上総隊直轄)にあり、北海道全域の防衛警備や災害派遣等を担任。方面総監部は札幌駐屯地に置かれている。
概要
[編集]北部方面隊は、2個師団及び2個旅団を基幹兵力としており、管内には28個の駐屯地、10個の分屯地、4個の地方協力本部が配置されている。
陸上自衛隊唯一の機甲師団である第7師団を傘下に持ち、特に冷戦期は対ソ戦略の最前線部隊として重視され、戦車の北転事業に伴う本州・九州の戦車部隊からの一部転属、新装備の優先配備などが行われ4個師団、人員5万人、戦車600両、火砲400門/両の規模を有していた。
冷戦終結に伴う直接的脅威の減少及び中国軍の近代化に伴う西方重視の傾向が強まっていることから逐次人員及び装備(特に火砲・戦車)の縮小が進められている[1]。
北部方面隊の任務はロシア方面(東部軍管区第68軍団)の軍事衝突に備えることとなっている。[2]
沿革
[編集]保安隊
- 1952年(昭和27年)
- ※ 警備区域は北海道(第2管区隊担当の北海道北部・東部以外を直轄)、青森、岩手、宮城、秋田[6]。
- 1953年(昭和28年)
- 1954年(昭和29年)1月10日:北部方面航空隊が編成完結。
陸上自衛隊
- 1956年(昭和31年)
- 1月25日:部隊編成完結。
- 第7混成団諸隊が編成完結。
- 第1特車群が北恵庭駐屯地において編成完結。
- 第301保安中隊が札幌駐屯地において編成完結。
- 1月26日:北部方面隊直轄警備区を第7混成団に移管[9]。
- 7月10日:第302沿岸監視隊が標津分屯地において編成完結。
- 1959年(昭和34年)8月13日:第2新隊員教育隊を廃止、第1新隊員教育隊を母体に第101教育大隊(函館駐屯地)が新編。
- 1960年(昭和35年)1月14日:方面管区制施行
- 1961年(昭和36年)
- 2月28日:第7混成団が機械化改編。
- 8月17日:第3施設団本部及び本部付隊(南恵庭駐屯地)を新編。
- 1962年(昭和37年)
- 1月18日:師団等改編
- 第2管区隊は第2師団に、第5管区隊は第5師団、第1特車群が第1戦車群に称号変更。
- 第11師団(真駒内駐屯地)を新編。
- 北部方面航空隊が改編。
- 第7混成団が東千歳駐屯地に、第1特科団が北千歳駐屯地にそれぞれ移駐。
- 8月11日:第101教育大隊が函館駐屯地から真駒内駐屯地に移駐。
- 8月15日:第7混成団が第7師団に改編。2個管区隊・1個混成団体制から4個師団(第2・第5・第7・第11)体制完成。
- 1964年(昭和39年)3月24日:北部方面武器隊が島松駐屯地において編成完結。
- 1968年(昭和43年)3月1日:北部方面通信隊が北部方面通信群に称号変更。
- 1969年(昭和44年)8月1日:第101教育大隊を廃止、第3教育連隊が真駒内駐屯地において編成完結。
- 1971年(昭和46年)
- 7月24日:陸上自衛隊冬季戦技教育隊が真駒内駐屯地に新編。
- 7月31日:第1陸曹教育隊が真駒内駐屯地から東千歳駐屯地に移駐。
- 8月3日:札幌オリンピック支援集団司令部が編成完結。
- 1972年(昭和47年)
- 3月16日:札幌オリンピック支援集団司令部を廃止。
- 3月24日:第1高射団が東千歳駐屯地において編成完結。
- 1974年(昭和49年)8月1日:第1戦車団が北恵庭駐屯地において編成完結。
- 1975年(昭和50年)3月26日:第102輸送大隊が北部方面輸送隊に称号変更。
- 1976年(昭和51年)8月20日:第1高射団が第1高射特科団に称号変更。
- 1978年(昭和53年)1月30日:方面総監部の組織改編。北部方面資料隊を廃止。
- 1981年(昭和56年)
- 3月24日:第1戦車団(北恵庭駐屯地)を廃止。
- 3月25日:第7師団(東千歳駐屯地)が機甲師団に改編。
- 9月21日:第1電子隊が東千歳駐屯地において編成完結。
- 1991年(平成 3年)3月29日:戦車の北転事業に伴い、方面隊直轄部隊として第316~第320戦車中隊が編成完結。第2・第5・第11の各戦車大隊および第1戦車群に隷属。
- 1998年(平成10年)3月26日:北海道地区補給処が北海道補給処に称号変更。
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)3月27日:北部方面指揮所訓練支援隊を東千歳駐屯地に新編。
- 2003年(平成15年)3月27日:北部方面調査隊(札幌駐屯地)を廃止。
- 2004年(平成16年)
- 3月28日:第3教育連隊(真駒内駐屯地)、第1陸曹教育隊(東千歳駐屯地)を廃止。
- 3月29日:部隊新・改編。
- 第5師団を第5旅団に改編(詳細は当該記事を参照)。
- 北部方面教育連隊が東千歳駐屯地において編成完結。
- 2006年(平成18年)3月27日:北部方面情報処理隊が札幌駐屯地において編成完結。
- 2008年(平成20年)3月26日:中期防衛力整備計画 (2005)に基づく隷下部隊の改編及び新編。
- 第11師団を第11旅団に改編(詳細は当該記事を参照)。
- 第3施設団を北部方面施設隊に改編(詳細は当該記事を参照)。
- 第11師団隷下の1個対戦車隊と普通科連隊1個中隊を統合、方面直轄部隊として北部方面対舟艇対戦車隊を倶知安駐屯地に新編。
- 方面総監直轄部隊である第301保安中隊を北部方面警務隊隷下に編成替えし、第301保安警務中隊に改編。
- 2011年(平成23年)4月22日:部隊新・改編。
- 2013年(平成25年)3月26日:北部方面情報隊(札幌駐屯地)を廃止し、北部方面情報隊に改編。方面隊直轄の第301沿岸監視隊(稚内分屯地)、302沿岸監視隊(標津分屯地)および新編の北部方面無人偵察機隊(静内駐屯地)を編合。
- 2014年(平成26年)3月26日:第7師団の改編(即応予備自衛官訓練の終了)及び第1戦車群を廃止。
- 2015年(平成27年)3月26日:自衛隊札幌病院の新病院舎開院(真駒内駐屯地)に伴い、豊平駐屯地を廃止。
- 2017年(平成29年)3月27日:部隊新編等。
編成
[編集]- 北部方面総監部
- 北部方面総監部付隊「北方-付」
方面総監部
[編集]→詳細は「方面隊 § 方面総監部の内部組織」を参照
主要幹部
[編集]官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
---|---|---|---|---|
北部方面総監 | 陸将 | 末吉洋明 | 2023年 | 3月30日防衛大学校副校長 |
幕僚長 兼 札幌駐屯地司令 |
陸将補 | 松永康則 | 2023年 | 8月29日第13旅団長 |
幕僚副長 | 陸将補 | 田中仁朗 | 2024年 | 8月 2日陸上幕僚監部監察官 |
木之田進 | 2023年 | 3月30日装備実験隊長 | ||
参事官 | 事務官 | 年 月 日 | ||
総務部長 | 1等陸佐 | 梅木正造 | 2024年12月20日 | 陸上自衛隊北海道補給処副処長 |
人事部長 | 1等陸佐 | 黒木崇 | 2024年 | 8月26日第7師団司令部幕僚長 |
情報部長 | 1等陸佐 | 岩上隆安 | 2024年 | 3月18日富士学校普通科部副部長 |
防衛部長 | 1等陸佐 | 上原正一 | 2024年12月20日 | 陸上幕僚監部人事教育部人事教育計画課 教育室長 |
装備部長 | 1等陸佐 | 佐藤佳久 | 2024年 | 3月28日陸上幕僚監部装備計画部武器・化学課長 |
医務官 | 1等陸佐 | 佐藤賢吾 | 2024年 | 3月18日東北方面衛生隊長 |
監察官 | 1等陸佐 | 德留貴弘 | 2024年 | 8月 1日陸上自衛隊富士学校特科部教育課長 |
法務官 | 1等陸佐 | 梅田宗法 | 2023年12月22日 | 第72戦車連隊長 兼 北恵庭駐屯地司令 |
歴代主要幹部
[編集]代 | 氏名 | 在職期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 中野敏夫 (保安監) |
1952年10月15日 - 1954年 | 6月30日東京帝国大学 昭和2年卒 |
第2管区総監 | 陸上自衛隊幹部学校長 |
2 | 岸本重一 | 1954年 | 7月 1日 - 1957年 8月 1日陸士34期・ 陸大46期 |
第2管区総監 | 陸上自衛隊幹部学校長 |
3 | 松谷誠 | 1957年 | 8月 2日 - 1960年 7月31日陸士35期・ 陸大43期 |
西部方面総監 | 陸上幕僚監部付 →1960年12月31日 退職 |
4 | 高山信武 | 1960年 | 8月 1日 - 1962年 3月11日陸士39期・ 陸大47期 |
第1管区総監 | 陸上幕僚副長 |
5 | 宮崎舜市 | 1962年 | 3月12日 - 1965年 3月15日陸士40期・ 陸大51期 |
第1師団長 | 退職 |
6 | 塚本政登士 | 1965年 | 3月16日 - 1966年 6月30日陸士42期・ 陸大53期 |
陸上自衛隊富士学校長 兼 富士駐とん地司令 |
退職 |
7 | 廣瀬榮一 | 1966年 | 7月 1日 - 1968年 3月15日陸士43期・ 陸大52期 |
第12師団長 | 退職 |
8 | 橋本正勝 | 1968年 | 3月16日 - 1970年 6月30日陸士45期・ 陸大53期 |
第1師団長 | 退職 |
9 | 齊藤春義 | 1970年 | 7月 1日 - 1972年 3月15日陸士48期・ 陸大56期 |
第1師団長 | 退職 |
10 | 舞敏方 | 1972年 | 3月16日 - 1974年 3月15日陸士50期・ 陸大57期 |
統合幕僚会議事務局長 兼 統合幕僚学校長 |
退職 |
11 | 倉重翼 | 1974年 | 3月16日 - 1976年 3月15日陸士52期 | 陸上幕僚副長 | 退職 |
12 | 田中象二 | 1976年 | 3月16日 - 1978年 3月15日陸士54期 | 陸上自衛隊幹部学校長 | 退職 |
13 | 近藤靖 | 1978年 | 3月16日 - 1980年 3月16日陸士56期 | 第11師団長 | 退職 |
14 | 太田穰 | 1980年 | 3月17日 - 1981年 6月30日陸士58期 | 第2師団長 | 退職 |
15 | 渡部敬太郎 | 1981年 | 7月 1日 - 1983年 3月15日陸士60期 | 第10師団長 | 陸上幕僚長 |
16 | 中村守雄 | 1983年 | 3月16日 - 1984年 6月30日陸航士60期 | 陸上幕僚副長 | 陸上幕僚長 |
17 | 五十嵐晃 | 1984年 | 7月 1日 - 1986年 3月16日名幼47期・ 新潟高校 昭和23年卒 |
第8師団長 | 退職 |
18 | 井上年弘 | 1986年 | 3月17日 - 1988年 7月 6日九州大学 昭和30年卒 |
第3師団長 | 退職 |
19 | 志摩篤 | 1988年 | 7月 7日 - 1990年 3月15日防大1期 | 防衛大学校幹事 | 陸上幕僚長 |
20 | 志方俊之 | 1990年 | 3月16日 - 1992年 3月15日防大2期 | 防衛大学校幹事 | 退職 |
21 | 冨澤暉 | 1992年 | 3月16日 - 1993年 6月30日防大4期 | 陸上幕僚副長 | 陸上幕僚長 |
22 | 青戸秀也 | 1993年 | 7月 1日 - 1994年 6月30日防大4期 | 防衛大学校幹事 | 退職 |
23 | 渡邊信利 | 1994年 | 7月 1日 - 1995年 6月29日防大6期 | 陸上幕僚副長 | 陸上幕僚長 |
24 | 大越兼行 | 1995年 | 6月30日 - 1997年 6月30日防大7期 | 第2師団長 | 退職 |
25 | 磯島恒夫 | 1997年 | 7月 1日 - 1999年 3月30日防大9期 | 陸上幕僚副長 | 陸上幕僚長 |
26 | 酒巻尚生 | 1999年 | 3月31日 - 2001年 1月10日防大10期 | 統合幕僚会議事務局長 | 退職 |
27 | 先崎一 | 2001年 | 1月11日 - 2002年12月 1日防大12期 | 陸上幕僚副長 | 陸上幕僚長 |
28 | 持田修 | 2002年12月 | 2日 - 2004年 8月29日防大13期 | 第2師団長 | 退職 |
29 | 得田憲司 | 2004年 | 8月30日 - 2006年 8月 3日防大15期 | 統合幕僚会議事務局長 | 退職 |
30 | 廣瀬誠 | 2006年 | 8月 4日 - 2008年 7月31日防大17期 | 陸上幕僚副長 | 退職 |
31 | 酒井健 | 2008年 | 8月 1日 - 2010年 7月25日生徒13期・ 防大19期 |
陸上幕僚副長 | 退職 |
32 | 千葉徳次郎 | 2010年 | 7月26日 - 2012年 7月25日生徒15期・ 防大21期 |
防衛大学校幹事 | 退職 |
33 | 岩田清文 | 2012年 | 7月26日 - 2013年 8月26日防大23期 | 統合幕僚副長 | 陸上幕僚長 |
34 | 田邉揮司良 | 2013年 | 8月27日 - 2015年 3月30日防大24期 | 防衛大学校幹事 | 退職 →2015年4月 東京都庁危機管理監 |
35 | 岡部俊哉 | 2015年 | 3月30日 - 2016年 6月30日防大25期 | 統合幕僚副長 | 陸上幕僚長 |
36 | 山崎幸二 | 2016年 | 7月 1日 - 2017年 8月 7日防大27期 | 統合幕僚副長 | 陸上幕僚長 |
37 | 田浦正人 | 2017年 | 8月 8日 - 2019年 8月22日防大28期 | 第7師団長 | 退職 →2019年12月 神戸製鋼所顧問 |
38 | 吉田圭秀 | 2019年 | 8月23日 - 2020年 4月14日東京大学 昭和61年卒[18] |
第8師団長 | 陸上総隊司令官 |
39 | 前田忠男 | 2020年 | 4月15日 - 2021年 3月25日防大31期 | 第7師団長 | 陸上総隊司令官 |
40 | 沖邑佳彦 | 2021年 | 3月26日 - 2023年 3月29日防大31期 | 統合幕僚学校長 | 退職 |
41 | 末吉洋明 | 2023年 | 3月30日 -防大33期 | 防衛大学校副校長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 池上巌 (1等保安正) |
1952年10月15日 - 1953年 | 8月15日海兵54期・ 海大37期 |
第2管区総監部所属 | 保安隊武器学校長 兼 土浦駐とん地部隊長 |
2 | 長谷部清 | 1953年 | 8月16日 - 1954年 6月30日陸士40期・ 陸大47期 |
保安大学校派遣勤務 | 陸上幕僚監部所属 防衛研修所派遣勤務 |
3 | 佐藤徳太郎 (1等陸佐) |
1954年 | 7月 1日 - 1955年11月15日陸士41期・ 陸大49期 |
第2管区総監部所属 | 陸上自衛隊幹部学校副校長 兼 小平駐とん地司令 |
4 | 天野良英 | 1955年11月16日 - 1958年 | 5月 1日陸士43期・ 陸大52期 |
第1幕僚監部第4部副部長 →1957年8月16日 陸将補昇任 |
陸上幕僚監部幕僚幹事 |
5 | 広瀬栄一 | 1958年 | 5月 2日 - 1960年 7月31日陸士43期・ 陸大52期 |
第10特科連隊長 兼 大久保駐とん地司令 |
陸上幕僚監部第2部長 |
6 | 吉江誠一 | 1960年 | 8月 1日 - 1962年 7月31日陸士43期・ 陸大50期 |
統合幕僚会議事務局第2幕僚室長 | 第13師団長 |
7 | 橋本正勝 | 1962年 | 8月 1日 - 1964年 3月15日陸士45期・ 陸大53期 |
陸上幕僚監部第5部副部長 | 第2師団長 |
8 | 益田兼利 | 1964年 | 3月16日 - 1965年 7月15日陸士46期・ 陸大54期 |
陸上幕僚監部募集課長 | 第2師団長 |
9 | 長谷川茂 | 1965年 | 7月16日 - 1967年 6月30日陸士47期・ 陸大57期 |
防衛研修所所員 | 第10師団長 |
10 | 田畑良一 | 1967年 | 7月 1日 - 1968年 6月30日陸士48期・ 陸大57期 |
陸上幕僚監部第2部長 | 防衛大学校幹事 |
11 | 斎藤稔 | 1968年 | 7月16日 - 1969年 6月30日京都帝国大学 昭和14年卒 |
自衛隊大阪地方連絡部長 | 第9師団長 |
12 | 和田曻治 | 1969年 | 7月 1日 - 1970年 6月30日海機47期 | 東部方面総監部幕僚副長 | 第13師団長 |
13 | 倉重翼 | 1970年 | 7月 1日 - 1971年 6月30日陸士52期 | 第1空挺団長 兼 習志野駐とん地司令 |
陸上自衛隊航空学校長 兼 明野駐とん地司令 |
14 | 栗栖弘臣 | 1971年 | 7月 1日 - 1972年 6月30日東京帝国大学 昭和18年卒・ 短現10期 |
陸上幕僚監部第4部長 →1972年3月16日 陸将昇任 |
第13師団長 |
15 | 馬來祥介 | 1972年 | 7月 1日 - 1973年 6月30日陸士53期 | 第1特科団長 兼 北千歳駐とん地司令 |
第9師団長 |
16 | 大西啓 | 1973年 | 7月 1日 - 1975年 3月16日陸士55期 | 陸上幕僚監部航空課長 | 第10師団長 |
17 | 高田不二男 | 1975年 | 3月17日 - 1976年10月14日陸士57期 | 中部方面総監部幕僚副長 →1976年7月1日 陸将昇任 |
第9師団長 |
18 | 小林有一 | 1976年10月15日 - 1978年11月30日 | 陸士58期 | 陸上幕僚監部通信課長 →1978年7月1日 陸将昇任 |
陸上自衛隊通信学校長 兼 久里浜駐とん地司令 |
19 | 松浦昇 | 1978年12月 | 1日 - 1980年 2月11日陸士60期 | 北部方面総監部幕僚副長 | 陸上自衛隊通信学校長 兼 久里浜駐とん地司令 |
20 | 落合成行 | 1980年 | 2月12日 - 1981年 6月30日陸士59期 | 自衛隊福岡地方連絡部長 →1980年3月17日 陸将昇任 |
第13師団長 |
21 | 曾根輝雄 | 1981年 | 7月 1日 - 1982年 6月30日海兵76期 | 東部方面総監部幕僚副長 →1982年1月1日 陸将昇任 |
第4師団長 |
22 | 若月勲 | 1982年 | 7月 1日 - 1983年 6月30日名幼47期・ 中央大学 昭和28年卒 |
第1空挺団長 兼 習志野駐屯地司令 |
第10師団長 |
23 | 狩野泰輔 | 1983年 | 7月 1日 - 1985年 3月15日大幼47期 | 自衛隊兵庫地方連絡部長 →1984年3月16日 陸将昇任 |
第7師団長 |
24 | 宮澤作太郎 (陸将) |
1985年 | 3月16日 - 1986年 3月16日中央大学 昭和28年卒 |
陸上自衛隊高射学校長 兼 下志津駐屯地司令 |
第11師団長 |
25 | 久我幹生 | 1986年 | 3月17日 - 1987年 3月15日防大1期 | 陸上幕僚監部調査部長 | 第5師団長 |
26 | 吉崎格 | 1987年 | 3月16日 - 1988年 7月 6日防大2期 | 自衛隊福岡地方連絡部長 | 第2師団長 |
27 | 里中哲朗 | 1988年 | 7月 7日 - 1990年 3月15日立命館大学 昭和34年卒 |
陸上幕僚監部監理部長 | 第10師団長 |
28 | 隈部正則 | 1990年 | 3月16日 - 1991年 3月15日防大5期 | 陸上幕僚監部監理部長 | 第3師団長 |
29 | 長谷川重孝 | 1991年 | 3月16日 - 1992年 6月15日防大6期 | 陸上幕僚監部監察官 | 第10師団長 |
30 | 石田潔 | 1992年 | 6月16日 - 1993年 6月30日防大7期 | 自衛隊大阪地方連絡部長 | 第6師団長 |
31 | 大北太一郎 | 1993年 | 7月 1日 - 1994年 6月30日防大8期 | 自衛隊東京地方連絡部長 | 第4師団長 |
32 | 中谷正寛 | 1994年 | 7月 1日 - 1996年 6月30日防大10期 | 東部方面総監部幕僚副長 | 第4師団長 |
33 | 岩猿進 | 1996年 | 7月 1日 - 1998年 6月30日防大12期 | 東部方面総監部幕僚副長 | 第7師団長 |
34 | 松川正昭 | 1998年 | 7月 1日 - 1999年12月 9日防大13期 | 陸上幕僚監部装備部長 | 第3師団長 |
35 | 渡邊元旦 | 1999年12月10日 - 2001年 | 1月10日防大14期 | 陸上幕僚監部人事部長 | 第1師団長 |
36 | 井上廣司 | 2001年 | 1月11日 - 2003年 3月26日防大16期 | 東部方面総監部幕僚副長 | 第10師団長 |
37 | 火箱芳文 | 2003年 | 3月27日 - 2005年 7月27日防大18期 | 第1空挺団長 兼 習志野駐屯地司令 |
第10師団長 |
38 | 三本明世 | 2005年 | 7月28日 - 2007年 7月 2日防大19期 | 陸上自衛隊富士学校特科部長 | 第9師団長 |
39 | 柴田幹雄 | 2007年 | 7月 3日 - 2008年 7月31日防大19期 | 陸上自衛隊幹部候補生学校長 兼 前川原駐屯地司令 |
中央即応集団司令官 |
40 | 湖﨑隆 | 2008年 | 8月 1日 - 2011年 4月26日防大21期 | 陸上自衛隊施設学校長 兼 勝田駐屯地司令 |
第1師団長 |
41 | 反怖謙一 | 2011年 | 4月27日 - 2012年 3月29日防大23期 | 第15旅団長 | 第1師団長 |
42 | 岩崎親裕 | 2012年 | 3月30日 - 2013年 3月27日防大23期 | 陸上自衛隊補給統制本部副本部長 | 技術研究本部技術開発官 (陸上担当) |
43 | 太田牧哉 | 2013年 | 3月28日 - 2013年12月17日防大26期 | 統合幕僚監部総務部長 | 第7師団長 |
44 | 田浦正人 | 2013年12月18日 - 2015年 | 8月 3日防大28期 | 陸上自衛隊幹部候補生学校長 兼 前川原駐屯地司令 |
第7師団長 |
45 | 正木幸夫 | 2015年 | 8月 4日 - 2015年12月21日東京大学 昭和59年卒[20] |
情報本部情報官 | 第5旅団長 |
46 | 飯盛進 | 2015年12月22日 - 2017年 | 3月26日防大29期 | 東北方面総監部幕僚副長 | 防衛研究所副所長 |
47 | 大庭秀昭 | 2017年 | 3月27日 - 2019年 8月22日防大30期 | 陸上自衛隊幹部候補生学校長 兼 前川原駐屯地司令 |
第1師団長 |
48 | 柿野正和 | 2019年 | 8月23日 -2020年 8月24日防大34期 | 陸上幕僚監部監理部長 | 陸上自衛隊補給統制本部副本部長 |
49 | 上田和幹 | 2020年 | 8月25日 - 2021年12月21日防大35期 | 陸上自衛隊需品学校長 兼 松戸駐屯地司令 |
陸上幕僚監部装備計画部長 |
50 | 垂水達雄 | 2021年12月22日 - 2023年 | 8月28日防大35期 | 陸上総隊司令部日米共同部長 | 陸上幕僚監部運用支援・訓練部長 |
51 | 松永康則 | 2023年 | 8月29日 -防大34期 | 第13旅団長 |
北部方面隊が協力している事業
[編集]脚注
[編集]- ^ 平成26年度時点で2個師団・2個旅団、人員3万人、戦車300両、火砲200門/両の規模にまで縮小する計画(“陸上自衛隊の意義・役割”. 防衛省・陸上幕僚監部. 2010年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月2日閲覧。)
- ^ “我が国周辺における ロシア軍の動向について”. 2023年2月閲覧。
- ^ a b c d 警察予備隊の変貌‐コンスタビュラリーから防衛部隊へ‐ 渡辺雅哉・植村秀樹 軍事史学 通巻169号(2007年1月)
- ^ a b 朝雲新聞社編集局 監修・陸上幕僚監部『陸上自衛隊20年年表』朝雲新聞社、1971年。
- ^ a b c d e 陸上自衛隊北部方面総監部/監修『北部方面隊50年のあゆみ : 歩みつづけるつわものたちのきらめく記憶』山藤印刷株式会社、2003年。
- ^ 千歳市. “新千歳市史通史編下巻 第14章 米軍・自衛隊”. 2019年8月12日閲覧。 第2管区隊警備区域より宮城県拡大
- ^ 『自衛隊年表』防衛庁長官官房広報課、1962年。
- ^ a b 十八万十三個師団への道 檜六郎 『軍事研究』1985年4月号 P152-165 株式会社ジャパンミリタリー・レビュー
- ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和30年政令第218号)『官報』本紙第8601号(昭和30年9月1日)
- ^ 平成28年度概算要求の概要(防衛省)
- ^ 陸上総隊司令部、方面総監部、師団司令部及び旅団司令部組織規則の一部を改正する省令(令和4年防衛省令第2号。令和4年3月17日施行)官報号外第54号、2022年3月16日
- ^ 防衛省発令(2022年3月17日付:1佐職人事)
- ^ “陸自第5旅団「機動旅団」改編 帯広に第5情報隊新設(十勝毎日新聞)”. 十勝毎日新聞電子版. 十勝毎日新聞社. 2023年5月7日閲覧。 “16日、第6普通科連隊(美幌駐屯地)を「第6即応機動連隊」へと改編することを発表した。”
- ^ 「帯広・第5旅団、機動旅団に 南西諸島にも展開可能に 有事に備え改編」『北海道新聞』2023年3月22日。2023年5月7日閲覧。
- ^ “東千歳駐屯地に電子戦中隊新設 23年度中に防衛省:北海道新聞 どうしん電子版”. 北海道新聞 どうしん電子版. 2022年9月2日閲覧。
- ^ youtube G240526A 【4K】第7師団 創隊69周年記念行事 祝賀式 https://www.youtube.com/watch?v=gT8fk8o-dtk 観閲式中の部隊紹介の中で改編されたと紹介あり(8:57)より
- ^ 防衛省発令(1佐職人事)2024年3月21日・22日、防衛省。
- ^ 67期幹候(防大30期相当)
- ^ 1959年7月31日までは北部方面副総監が駐屯地司令を兼補(『官報』本誌 第9784号(昭和34年8月4日))
- ^ 65期幹候(防大28期相当)
出典
[編集]- “防衛省人事発令”. 2015年12月22日閲覧。
- 『北部方面隊50年のあゆみ : 歩みつづけるつわものたちのきらめく記憶』(山藤印刷株式会社/編集,陸上自衛隊北部方面総監部/監修 2003)
- 参考文献・DVD「我が心の北部方面隊~北部方面隊隊歌映像集」(HAJIMEVISION)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 北部方面隊
- 陸上自衛隊北部方面隊 / Northern Army (NorthernArmy.pr) - Facebook
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