北部軍管区 (日本軍)
北部軍管区(ほくぶぐんかんく)は、1940年から1945年まで置かれた大日本帝国陸軍の軍管区の一つである。北海道と樺太を範囲とし、1944年までは東北地方北部も含んだ。
変遷
[編集]1940年7月24日制定(26日公布、8月1日施行)の陸軍管区表改定(昭和15年軍令陸第20号)で、それまで陸軍管区の最上位だった 師管の上に軍管区を置くことになり、北部軍管区・東部軍管区・中部軍管区・西部軍管区の4軍管区の設置が決められた[1]。このうち北部のみ司令部の編成が遅れ、12月2日に北部軍司令部が管轄する北部軍管区が設けられた。旭川師管・弘前師管を含み、樺太・北海道・青森県・岩手県・秋田県・山形県を範囲とした[1]。
1943年(昭和18年)2月、北部軍を改組し北方軍が編成され、北部軍隷下部隊と大本営直属の北海守備隊を編入した。
1944年(昭和19年)3月16日に、北方軍を改組して、東北地方北部を防衛担任から外した第5方面軍が発足した。3月25日制定(27日公布、施行)の陸軍管区表改定(昭和19年軍令陸第3号)で、東北地方北部の弘前師管が東部軍管区に移管した[2]。これにより、北部軍管区は北海道・樺太・千島の旭川師管だけを範囲とするようになった。
1945年(昭和20年)2月1日から大本営は本土決戦を睨み、内地の軍の編制を改めた。内地にある各部隊を作戦部隊・管区部隊に分け、作戦部隊は方面軍にまとめ、管区部隊は軍管区部隊として軍管区司令部の下に置いた[3]。ただし、第5方面軍司令部と北部軍管区司令部は司令官以下大部分兼任である[3]。
8月の敗戦後、軍管区の意義はほぼ失われたが、復員業務のため11月までは軍管区司令部が残された。法令上の廃止は、第一復員省が発した1946年(昭和21年)3月30日の一復達第4号により、3月31日になされた[4]。
北部軍管区司令部の人事
[編集]- 司令官
- 参謀長
- 参謀副長
- 高級副官
- 兵器部長
- 経理部長
- 軍医部長
- 獣医部長
- 法務部長
- 兵務部長
脚注
[編集]- ^ a b 『官報』第4066号(昭和15年7月26日)。
- ^ 『官報』第5158号(昭和19年3月27日)、リンク先の2コマめ。
- ^ a b 戦史叢書『陸軍軍戦備』、468頁。
- ^ 『官報』第5761号(昭和21年3月30日)、リンク先の7コマめ。
- ^ a b c d e f g h i j 外山・森松 1987, 1197頁.
- ^ 「第34号 昭和20年2月12日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120933500
参考文献
[編集]- 内閣印刷局『官報』。国立国会図書館デジタルコレクション。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『陸軍軍戦備』(戦史叢書)、朝雲新聞社、1979年。
関連項目
[編集]- 北部軍防空作戦室 - 跡地は陸上自衛隊札幌駐屯地月寒送信所を経て国家公務員宿舎