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八戸駐屯地

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八戸駐屯地
八戸駐屯地の空中写真(2013年) 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
八戸駐屯地の空中写真(2013年)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
位置
地図
所在地 青森県八戸市大字市川町字桔梗野官地
概要
駐屯地司令 第4地対艦ミサイル連隊長

開設年 1956年
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八戸駐屯地
IATA: ? - ICAO: RJSH-G
概要
国・地域 日本の旗 日本
所在地 青森県八戸市大字市川町字桔梗野官地
種類 軍用
所有者 防衛省
運営者 陸上自衛隊
標高 46 m (152 ft)
座標 北緯40度33分24秒 東経141度27分58秒 / 北緯40.55667度 東経141.46611度 / 40.55667; 141.46611座標: 北緯40度33分24秒 東経141度27分58秒 / 北緯40.55667度 東経141.46611度 / 40.55667; 141.46611
地図
空港の位置
空港の位置
空港の位置
滑走路
方向 長さ (m) 表面
06/24 640 コンクリート
11/29 360 コンクリート
リスト
空港の一覧
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八戸駐屯地の位置
八戸駐屯地の位置
八戸駐屯地の位置

八戸駐屯地(はちのへちゅうとんち、JGSDF Camp Hachinohe)は、青森県八戸市大字市川町字桔梗野官地に所在し、第4地対艦ミサイル連隊等が駐屯する陸上自衛隊駐屯地である。

概要

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駐屯地司令は、第4地対艦ミサイル連隊長が兼務。駐屯地北東に隣接して八戸演習場がある。六ヶ所対空射撃場管理隊が六ヶ所対空射撃場を管理する。

高射特科群、飛行隊などが配置され、青森駐屯地と並んで第9師団の中核をなす駐屯地である。海上自衛隊八戸航空基地と隣接しており、一体化しているように見えるが、第9飛行隊が使用する滑走路を含め、完全に別個に運用されている。ただし、ICAO空港コード上では八戸航空基地と同じRJSHとされている。

連合軍占領時代には進駐軍(アメリカ軍)が駐留し、“キャンプ・ホーガン(Camp Hogan)”の名称で呼ばれた。駐屯地内にはキャンプ・ホーガン時代に建設された尖塔(鐘楼)付き教会があり、現在は銃剣道の道場となっている他、やはりアメリカ軍駐留時に建設された将校クラブがあり、こちらは戦術講堂と資料館「防衛館」となっている。防衛館の東側の敷地には用途廃止となった74式戦車61式戦車他の車輌と火砲、ヘリコプターといった歴代の装備が屋外展示されている。

26中期防以降、所在部隊の整理縮小が進められており、2023年3月末までに第5高射特科群(2024年(令和6年)3月に再編)と第4地対艦ミサイル連隊の3個中隊が廃止されている。

沿革

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日本陸軍

  • 1939年(昭和14年):前身となる日本陸軍飛行場の建設が開始される。
  • 1941年(昭和16年):日本陸軍八戸飛行場として完成。

アメリカ陸軍

  • 1945年(昭和20年)9月:アメリカ陸軍第8軍第9軍団第81師団が進駐。「キャンプ・ホーガン」と改称される。この時期に大規模拡張が行われ、海上自衛隊基地を含む現在の面積に拡張された。
  • 1950年(昭和25年)5月:朝鮮戦争により駐留する米第81師団の大半が移動。

警察予備隊八戸駐屯地

  • 1950年(昭和25年)9月:敷地の一部が返還され、警察予備隊八戸駐屯地が開設される。

保安隊八戸駐屯地

  • 1952年(昭和27年)10月15日:保安隊の発足により保安隊八戸駐屯地に改称される。

陸上自衛隊

  • 1954年(昭和29年)7月1日:陸上自衛隊発足
  • 1956年(昭和31年)
    • 3月:駐留する米第81師団の大津駐屯地滋賀県)への移駐が決定。米軍に替わり陸上自衛隊第5普通科連隊青森駐屯地より移駐することとなり、米軍部隊の撤収と陸上自衛隊部隊の移動が行われる。
    • 5月:敷地の全域が日本に返還される。

陸上自衛隊八戸駐屯地

  1. 第38普通科連隊が多賀城駐屯地に移駐。
  2. 第9対戦車隊が岩手駐屯地から移駐。
  • 2006年(平成18年)3月27日:
  1. 東北方面混成団新設に伴い、第38普通科連隊の第3普通科中隊、第4普通科中隊が多賀城駐屯地から再移駐。
  2. 東北方面後方支援隊編成完結に伴い、第301普通科直接支援中隊八戸派遣隊、第303特科直接支援中隊、第303高射特科直接支援中隊、第108全般支援大隊整備中隊八戸派遣隊、東北方面輸送隊第105輸送業務隊第2端末地業務班が配置。
  • 2010年(平成22年)
    • 3月26日:
    1. 第9対戦車隊を廃止。
    2. 東北方面後方支援隊第303特科直接支援中隊(第4地対艦ミサイル連隊を支援)を廃止。
    • 3月26日:
    1. 第9後方支援連隊が改編され青森駐屯地から移駐。
    2. 第4地対艦ミサイル連隊が東北方面隊直轄から東北方面特科隊隷下へ異動。
    3. 東北方面後方支援隊第102特科直接支援隊直接支援中隊(第4地対艦ミサイル連隊を支援)を新編[3]
  • 2018年(平成30年)
    • 3月26日:
    1. 第5高射特科群を廃止。
    2. 東北方面後方支援隊第303高射特科直接支援中隊(第5高射特科群を支援)を廃止。
    3. 東北方面輸送隊第105輸送業務隊第2端末地業務班を廃止。
    • 3月27日:
    1. 第101高射特科隊を新編[4]
    2. 東北方面後方支援隊第301高射直接支援隊(第101高射特科隊を支援)を新編[4]
    3. 陸上自衛隊中央輸送隊隷下の第2方面分遣隊第2端末地業務班を新編。
  • 2019年(平成31年)3月25日:第4地対艦ミサイル連隊第4射撃中隊を廃止。
  • 2022年(令和04年)3月16日:第4地対艦ミサイル連隊第3射撃中隊を廃止。
  • 2023年(令和05年)3月15日:第4地対艦ミサイル連隊第2射撃中隊を廃止 。
  • 2024年(令和06年)3月21日:
  1. 東北方面特科隊廃止に伴い、第4地対艦ミサイル連隊が方面隊直轄部隊化。
  2. 第102特科直接支援隊を廃止し、隷下の直接支援中隊を第307特科直接支援中隊(第4地対艦ミサイル連隊を支援)に改編。
  3. 第101高射特科隊を増強改組する形で第5高射特科群を再編成[5][6]
  4. 第303高射直接支援中隊(第5高射特科群を支援)を再編成。
  • 2024年度末:第4地対艦ミサイル連隊第2射撃中隊・第3射撃中隊を再編成予定[7]
  • 2025年(令和07年)度末:第2対戦車ヘリコプター隊を廃止、第110飛行隊(仮称)に改組予定[8]

駐屯部隊

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東北方面隊隷下部隊

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防衛大臣直轄部隊

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最寄の幹線交通

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六ヶ所対空射撃場

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六ヶ所対空射撃場(ろっかしょたいくうしゃげきじょう)は、青森県上北郡六ヶ所村大字泊字川原に所在する陸上自衛隊八戸駐屯地業務隊が管理する対空射撃場である。無線誘導の標的機等に対し、最大射程20,000m以下の地対空誘導弾、重機関銃の実弾射撃等を実施する。訓練支援部隊は、八戸駐屯地の第303無線誘導機隊である。

脚注

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  1. ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和31年5月28日政令第158号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1956年5月28日). 2016年5月1日閲覧。
  2. ^ 岩手駐屯地の歩み
  3. ^ 東北方面特科隊新編に伴う改編
  4. ^ a b 第101高射特科隊新編行事東北方面隊ホームページ
  5. ^ “陸自八戸180人増員 来年度防空能力強化へ部隊改編”. デーリー東北: p. 1. (2022年9月1日). https://www.daily-tohoku.news/archives/125740/ 2022年9月2日閲覧。 (Paid subscription required要購読契約)
  6. ^ “陸自八戸180人増、防空能力強化へ/防衛省”. 東奥日報. (2022年9月1日). https://www.toonippo.co.jp/articles/-/1310950/ 2022年9月19日閲覧。 (Paid subscription required要購読契約)
  7. ^ 陸自八戸110人増員 第4地対艦ミサイル連隊、2個中隊新編/防衛省 – デーリー東北デジタル」『デーリー東北』2023年8月31日。2023年9月2日閲覧。
  8. ^ 【25年度概算要求】陸自八戸、改編受け20人減/防衛省」『デーリー東北』2024年8月30日。2024年9月4日閲覧。

外部リンク

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