下志津駐屯地
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座標: 北緯35度39分15.2秒 東経140度09分3.7秒 / 北緯35.654222度 東経140.151028度
下志津駐屯地 | |
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下志津駐屯地 | |
位置 | |
所在地 | 千葉県千葉市若葉区若松町902 |
座標 | 北緯35度39分15.2秒 東経140度09分3.7秒 / 北緯35.654222度 東経140.151028度 |
概要 | |
駐屯地司令 | 陸上自衛隊高射学校長 兼務 |
主要部隊 |
高射学校 高射教導隊 第2高射特科群 ほか |
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開設年 | 1955年 |
下志津駐屯地(しもしづちゅうとんち、JGSDF Camp Shimoshizu)は、千葉県千葉市若葉区若松町902に所在し、陸上自衛隊高射学校等が駐屯する陸上自衛隊の駐屯地である。
概要
[編集]駐屯地司令は、高射学校長が兼務する。なお、本駐屯地には会計隊及び駐屯地業務隊が存在せず、高射学校がそれらの業務を行う。最寄の演習場は、習志野演習場および柏訓練場である。
沿革
[編集]日本陸軍
- 1921年(大正10年):陸軍航空学校下志津分校として開校[1]。
- 1924年(大正13年):下志津陸軍飛行学校が開設[1]。
- 1944年(昭和19年)6月:下志津陸軍飛行学校が閉鎖。下志津教導飛行師団が編成完結[1]。
陸上自衛隊下志津駐屯地
- 1955年(昭和30年)12月1日:
- 1968年(昭和43年)8月1日:
- 1969年(昭和44年)3月1日:第119、第123特科大隊を母体に高射教導隊が新編[7]。
- 1970年(昭和45年)8月5日:高射学校隷下の第123特科大隊を廃止し、第309高射中隊、第310高射中隊を新編[7]、高射教導隊第2大隊に編合。
- 1976年(昭和51年)8月20日:第309高射中隊が青野原駐屯地へ移駐[8]。
- 1985年(昭和60年)7月1日:第301無線誘導機隊が静内駐屯地へ移駐[8]。
- 2002年(平成14年)3月27日:東部方面後方支援隊新編に伴い、高射教育直接支援中隊(高射学校等を支援)、第301高射直接支援中隊第4直接支援小隊(第308高射中隊を支援)を新編。
- 2007年(平成19年)3月28日:第308高射中隊を第334高射中隊に改編。
駐屯部隊・機関
[編集]防衛大臣直轄部隊
[編集]東部方面隊隷下部隊
[編集]- 第2高射特科群
- 第334高射中隊
- 東部方面後方支援隊
- 高射教育直接支援中隊:高射学校等を支援
- 第301高射直接支援中隊
- 第4直接支援小隊:第334高射中隊を支援
- 東部方面システム通信群
- 第105基地システム通信大隊
- 第320基地通信中隊
- 下志津派遣隊
- 第320基地通信中隊
- 第105基地システム通信大隊
過去の隷属部隊
[編集]- 第2高射特科群:1956年(昭和31年)1月25日:高射学校の隷下部隊として新編[5]。1966年(昭和41年)8月3日:第2高射特科群が東部方面隊隷下に編成替え。
- 第119特科大隊:1966年(昭和41年)8月3日、高射学校隷下に編入[5]。
- 第123特科大隊:1966年(昭和41年)8月3日、高射学校隷下に編入[5]。
- 第1ロケット実験訓練隊:1966年(昭和41年)8月3日、高射学校隷下に編入[5]。
- 第309高射中隊:1970年(昭和45年)8月5日:第309高射中隊を新編[7]。1976年(昭和51年)8月20日、青野原駐屯地へ移駐[8]。
- 第301無線誘導機隊:1985年(昭和60年)7月1日静内駐屯地へ移駐[8]。
最寄の幹線交通
[編集]- 高速道路:東関東自動車道 千葉北IC/四街道IC、京葉道路 穴川IC
- 一般道:国道14号、国道16号、国道51号、国道126号、千葉県道64号千葉臼井印西線、千葉県道66号浜野四街道長沼線、千葉県道155号四街道上志津線
- 鉄道:JR東日本総武本線 四街道駅
- 港湾:千葉港(特定重要港湾)、銚子港、勝浦港、千倉港、館山港(地方港湾)
- 飛行場:成田国際空港(第一種空港)木更津飛行場(その他の飛行場)