八雲分屯基地
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八雲飛行場 | |||||||
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IATA: なし - ICAO: RJCY | |||||||
概要 | |||||||
国・地域 | 軍用 | ||||||
所有者 | 防衛省 | ||||||
運営者 | 航空自衛隊 | ||||||
標高 | 24 m | ||||||
座標 | 北緯42度14分44秒 東経140度16分01秒 / 北緯42.24556度 東経140.26694度 | ||||||
地図 | |||||||
八雲飛行場の位置 | |||||||
滑走路 | |||||||
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リスト | |||||||
空港の一覧 |
八雲分屯基地(やくもぶんとんきち、JASDF Yakumo Sub Base)は、北海道二海郡八雲町緑町34に所在し、第20・23高射隊が配置されている航空自衛隊三沢基地の分屯基地である。基地内に八雲飛行場を有する。
分屯基地司令は、第20高射隊長が兼務。
配置部隊
[編集]北部航空方面隊隷下
- (北部高射群) - 地対空誘導弾パトリオットを運用。
沿革
[編集]- 1943(昭和18)年 - 旧陸軍航空隊飛行場として、5か月の突貫工事で開港。
- 1945(昭和20)年 - 米軍の空襲を受け、飛行場が使用不能になる。
- 1948(昭和23)年 - 進駐軍の指示により、飛行場を爆破。農地として払い下げられ、放置される。
- 1951(昭和26)年 - 朝鮮戦争の激化のため、米空軍に接収され、新しく1,800mの滑走路と給油施設を備えた八雲飛行場が開設される。
- 1958(昭和33)年 - 米軍から航空自衛隊へ移管(第2航空団へ)その際、給油施設は撤去される。
- 1977(昭和52)年 - 第3高射群臨時第20高射隊新設(ナイキ)
- 1979(昭和54)年 - 第6高射群新編
- 1984(昭和59)年 - 第5移動警戒隊新設
- 1991(平成3)年 - 第20高射隊器材換装(ペトリオットへ)、第23高射隊新設(ペトリオット)
- 2002(平成14)年 - 第5移動警戒隊整理
八雲飛行場
[編集](やくもひこうじょう、Yakumo Air Base)は、航空自衛隊八雲分屯基地内にある飛行場である。有事の際は、代替滑走路として使用される。「室蘭八雲飛行場」と称されることもある。
飛行場データ
[編集]- 位置:北海道二海郡八雲町緑町34(北緯42度14分44秒、東経140度16分01秒)
- 航空管制:八雲TWR 123.1MHz
補足
[編集]- 陸軍八雲飛行場の開港と同時に設置された陸軍病院は、戦後、規模を拡げて国立札幌病院八雲分院となり、その後国立療養所八雲病院になった。現在は国立病院機構八雲病院として存続している。とりわけ神経・筋疾患については道内随一の医療拠点である。2020年8月末をもって廃止となり、病院機能は国立病院機構北海道医療センターと国立病院機構函館病院に移転した。
- 1995年に函館空港で全日空機ハイジャック事件が発生した際、入間基地・第402飛行隊に所属するC-1輸送機が、極秘裏に警視庁の特殊部隊(当時の部隊名称はSAP、現在のSAT)を、羽田空港から八雲飛行場へ輸送した。