「過去に存在した関東地区のダイエーの店舗」の版間の差分
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* {{要出典範囲|date=2023年9月|0386}}:Dマート南行徳店(1987年(昭和62年)9月<ref name="nikkei-commerce-yearbook-1990" /> - 2002年(平成14年)4月30日) 市川市南行徳3-4-1 |
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*: 道路を挟んだ南行徳店(店番号0693、2000年(平成12年)4月20日開店<ref name="nissyoku-2000-5-17-3c">“ダイエー「南行徳店」開店”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (2000年5月17日)</ref>)とブリッジで繋がっており相乗効果を見込んでいたが閉鎖<ref>日経流通新聞 2000年(平成12年)3月21日 ダイエー 南行徳にGMS 来月20日 Dマートと接続より</ref>。 |
*: 道路を挟んだ南行徳店(店番号0693、2000年(平成12年)4月20日開店<ref name="nissyoku-2000-5-17-3c">“ダイエー「南行徳店」開店”. [[日本食糧新聞]] (日本食糧新聞社). (2000年5月17日)</ref>)とブリッジで繋がっており相乗効果を見込んでいたが閉鎖<ref>日経流通新聞 2000年(平成12年)3月21日 ダイエー 南行徳にGMS 来月20日 Dマートと接続より</ref>。跡地は、ヤマダ電機テックランド南行徳店になっている。<!--{{要出典範囲|date=2023年5月|}}出典言うけど、写真見て分かりません?出典言うくらいなら自分で調べて貼ったら?--> |
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* {{要出典範囲|date=2023年9月|0693}}:南行徳店(2000年(平成12年)4月20日<ref name="nissyoku-2000-5-17-3c" /> - 2016年(平成28年)3月1日:運営をイオンリテールへ移管<ref name="chiba-nippo-2016-3-5" />) 市川市南行徳2-20-25<ref name="national-big-store-list-japan-2009" /> <small>SC名称:南行徳ショッピングセンター<ref name="national-big-store-list-japan-2009" /></small> |
* {{要出典範囲|date=2023年9月|0693}}:南行徳店(2000年(平成12年)4月20日<ref name="nissyoku-2000-5-17-3c" /> - 2016年(平成28年)3月1日:運営をイオンリテールへ移管<ref name="chiba-nippo-2016-3-5" />) 市川市南行徳2-20-25<ref name="national-big-store-list-japan-2009" /> <small>SC名称:南行徳ショッピングセンター<ref name="national-big-store-list-japan-2009" /></small> |
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*: 店舗面積29,500m{{Sup|2}}<ref name="national-big-store-list-japan-2009" />、延べ床面積約37,013m{{Sup|2}}<ref name="national-big-store-list-japan-2009" />。直営店舗面積18,200m{{Sup|2}}<ref name="national-big-store-list-japan-2009" />。 |
*: 店舗面積29,500m{{Sup|2}}<ref name="national-big-store-list-japan-2009" />、延べ床面積約37,013m{{Sup|2}}<ref name="national-big-store-list-japan-2009" />。直営店舗面積18,200m{{Sup|2}}<ref name="national-big-store-list-japan-2009" />。 |
2023年12月11日 (月) 16:40時点における版
過去に存在した関東地区のダイエーの店舗(かこにそんざいしたかんとうちくのダイエーのてんぽ)は、株式会社ダイエーおよび子会社の関東地区における閉鎖店舗を掲載している。
かつてフランチャイズ提携によりダイエーの店舗として営業していた店舗で、フランチャイズ中の閉店、フランチャイズ契約解除による離脱の店舗については過去に存在したダイエーのフランチャイズ店舗を参照。
現行店舗については、ダイエー店舗情報を参照[広報 1]。
- 無印はダイエー。それ以外は基本的にブランド名を記述。
- 店舗名の後ろについている×は現在建物が解体された店舗。
- ()内の旧:○○は、運営していた会社の変遷。ただし、閉店直後の運営会社については下記に記述する。
- SC名称は届出が出ていた店舗のみ可能な限り記述する。
- 店舗名の前の4桁の数字は店番号。[要出典]
茨城県
- 0263[要出典]:水戸店×(1973年(昭和48年)11月9日[1] - 2005年(平成17年)10月31日[2]) [3]) 水戸市南町2-4-52[4] SC名称:(旧:水戸ショッパーズプラザ)
- ダイエーにとって100号店であった。敷地面積4,676m2で地上10階地下1階建て延べ床面積19,287m2であった[5]。
- 2006年(平成18年)2月に店舗跡の入札がされて水戸市の不動産会社が第一優先権を獲得したがパチンコ店やレジャー、生鮮食料品のテナントの入る計画が問題となり辞退し[6]、10月12日に東京都の不動産会社が設立した特別目的会社「フォレストハウス」に売却され[5]、2007年(平成19年)10月19日に改装されて「MIMO」が開業し[7][8]、カスミなどが入居していたが[9]、2013年(平成25年)4月21日にカスミも閉店した[10]。
- 店舗跡は転売されてタカラレーベンが取得し、2014年(平成26年)2月に解体工事を始め、分譲マンションが建設されることになった[11]。
- 十字屋水戸店(1952年(昭和27年)[1] - 1978年(昭和53年)4月[1]) 水戸市南町3-3-33[4]
- 十字屋日立店(1961年(昭和36年)11月[12] - ?) 日立市鹿島町1-9-2[4]
- 店舗面積2,636m2[12]。
- 0366[要出典]:筑波学園店(1985年(昭和60年)4月29日[13] - 2002年(平成14年)5月31日) つくば市竹園1-9-2 SC名称:筑波ショッピングセンタービル
- セイフー竹園店(旧:丸登、1974年(昭和49年)11月29日[13] - ?) つくば市竹園3-18-2[15]
- セイフー松代店(旧:丸登、1980年(昭和55年)4月18日[13] - 2005年(平成17年)8月30日)つくば市松代4-19-1[15]
- セイフー豊里店(旧:丸登、1981年(昭和56年)5月17日 - ?)つくば市上郷1669 →シティーマーケット うおまつ 上郷店
栃木県
- (初代)十字屋宇都宮店(1950年(昭和25年)2月4日開店[17]) 宇都宮市曲師町3154[17]
- (初代)十字屋宇都宮店支店 宇都宮市千手町186[19]
- (2代目)十字屋宇都宮店×(1968年(昭和43年)[20] - 1996年(平成8年)閉店[21])
- 0324[要出典]:小山ゆうえんち店 → Dマート小山店×(1979年(昭和54年)4月13日[26] - 1998年(平成10年)2月11日) 小山市喜沢1475 SC名称:小山ゆうえんちショッピングセンタービル
- 0641[要出典]:ハイパーマート石橋店 → 4765:ハイパーマート石橋店 → 7865:ディー・ハイパーマート石橋店[広報 2](1995年(平成7年)11月25日[28] - 2002年(平成14年)5月31日) 下野市下古山北原3362-1
- JR宇都宮線石橋駅と雀宮駅のほぼ中間の国道4号線沿いに出店した店舗で[29]、当時ダイエーが新業態として展開していた「ハイパーマート」の売場レイアウトや運営方法などを取り入れたものの、規模が「ハイパーマート」の標準規模の60%程度であったため当初は「ハイパーマート」とされなかった[28]が、直営から1999年(平成11年)8月1日に株式会社ダイエー・ハイパーマートに、さらに2000年(平成12年)9月1日に株式会社ディー・ハイパーマートに移管される[広報 2]など後の扱いは「ハイパーマート」とされた。
- 店舗跡は居抜き物件として改装して2002年(平成14年)10月11日にヨークベニマル石橋店を核としたヨークタウン石橋として開店した[30]。併設のDMガスステーション[広報 3]は存続。[要出典]
- 0673[要出典]:Dマート足利店(1998年(平成10年)3月27日[31] - 2005年(平成17年)11月30日[31]) 足利市朝倉町2-21-16
- 十字屋足利店×(旧:さくら屋、1967年(昭和42年)11月27日開店[33] - 1969年(昭和44年)12月買収[33] - 1993年(平成5年)12月末日閉店[34]) 足利市通3-2600[35]
- 店舗面積5,686m2[12]。
- 足利市の中心商店街の一角の通3丁目にあった[36]鉄筋コンクリート造り地上7階建ての店舗[33]。
- 両毛地方初の百貨店法による認可を受けた店舗で当時同地区最大の百貨店として商店街の中核をなしていた地場資本の百貨店さくら屋の営業権を従業員なども含めて買収し、建物はさくら屋側から賃借する形で出店した[33]。
- 閉店後建物は解体され[36]、跡地を利用して足利まちづくりがパサージュ形式のイベント店舗スペースとイベントスペース(足利ドーム)を設置したビューティフル アシカガ・スクエアが2000年(平成12年)11月から2001年(平成13年)1月に開設されて足利商工会議所が中小企業庁の商店街活性化対策事業補助金を受けて各種イベントを行った[36]。
- 2003年(平成15年)5月にフレッセイ通町店が開店した[36]。
- 十字屋佐野店(1981年(昭和56年)3月21日[37] - ?) 佐野市高砂町2800-1[35]
群馬県
- 前橋店×(旧シルクプラザ、1979年(昭和54年)[39]11月30日 - 1999年(平成11年)5月31日[40]) 前橋市六供町370
- ハーフアンドトップ前橋店(? - 1998年(平成10年)7月31日) 前橋市国領町2-13
- 十字屋前橋店(1961年(昭和36年)10月20日開店[42] - ?) 前橋市榎町14[42]
- 4167[要出典]:高崎店×(旧:ダイエー、1976年(昭和51年)4月16日[44] - 1994年(平成6年)10月30日[45]) 高崎市旭町30-1[4] SC名称:高崎郡バスビル
- (初代)十字屋高崎店(1957年(昭和32年)12月14日開店[48] - ?) 高崎市田町75[49]
- 売り場面積140坪[48]
- (2代目)十字屋高崎店(1964年(昭和39年)10月29日開店[42] - 1976年(昭和51年)2月[50]) 高崎市連雀町4[42]
- 売り場面積約469m2[42]
- 十字屋桐生店×(1963年(昭和38年)9月14日[42] - 1992年(平成4年)[51]) 桐生市本町6-382[35]
- 敷地面積約558m2[51]、鉄骨鉄筋コンクリート造4階建て延べ床面積約1,400m2[51]、店舗面積950m2[12]。
- 1963年(昭和38年)に桐生市の繁華街だった本町6丁目に店舗を建設して開業し、長崎屋やいせやなど近隣にあった他の大型店と共に昭和40年代をピークとする同地区の繁栄の核として営業していたが、1992年(平成4年)に閉店した[51]。
- 閉店後は十字屋から物件を借りてゲームセンター「プレイランドパル」が2006年(平成18年)11月末まで営業してその後は空き店舗となっていたが、2012年(平成24年)7月から9月まで解体工事を行って更地に戻し、土地所有者にされた[51]。返還後の土地利用は未定となっている[51]。
- 十字屋太田店(1950年(昭和25年)10月[52] - 1996年(平成8年)8月[53]) 太田市東本町19-20[54]。
埼玉県
さいたま市
- 浦和店(旧:一徳→トウキョウダイエー、1964年(昭和39年)3月18日 - 1977年(昭和52年)9月30日[55]) 浦和市仲町1-5-7[56]
- (初代)十字屋浦和店(1950年(昭和25年)9月26日開店[59] - 1962年(昭和37年)11月[60]) 浦和市仲町2[61]
- (2代目)十字屋浦和店(1962年(昭和37年)11月[60] - 1984年(昭和59年)2月19日[62]) 浦和市高砂1-10-3[22][4]
- 十字屋大宮店(1955年(昭和30年)2月[63] - ) 大宮市(現・さいたま市大宮区)宮町1-83[22]
- 店舗面積約2,448m2[63]
- 十字屋クロスティ大宮店(大宮市(現・さいたま市大宮区))
- 0605[要出典]:Dマート岩槻店×(岩槻市(現・さいたま市岩槻区)本丸3丁目20-53、1994年(平成6年)4月5日[65] - 2002年(平成14年)5月31日)
- 0596[要出典]:北与野店(旧:忠実屋フランツ北与野店[66]、1992年(平成4年)5月[67] - 1995年(平成7年)[68]2月28日[要出典]) 与野市(現・さいたま市中央区)上落合2-3-5
- 十字屋与野店(? - ?) 与野市下落合1027[4]
- 店舗面積1,1802[4]。
さいたま市以外
- 川口店(初代) → 0061[要出典]: トポス川口店(1967年(昭和42年)12月[70] - 1999年(平成11年)10月30日[要出典])川口市栄町3-4-18[71]
- 0564[要出典]:川口店(旧:忠実屋[74]、1978年(昭和53年)6月開店[12] - 1994年(平成6年)3月1日:ダイエー川口店へ名称変更[74] - 2005年(平成17年)11月30日[75]) 川口市本町2-7-25[76] SC名称:川口センター
- 0603:[要出典]バンドール川口店(2000年(平成12年)9月30日閉店[78])川口市本町2-7-20
- 別棟の川口店(0564)の増床に伴い、建物が一体化されてダイエーに統合した。[要出典]
- 0326[要出典]:南越谷店(1979年(昭和54年)6月15日 - 2016年2月29日) 越谷市南越谷1-2876-1[15] SC名称:越谷コミュニティプラザ[15]
- 0329:[要出典]熊谷店(建物存続、1979年(昭和54年)10月4日[80] - 2002年(平成14年)12月31日[81][82])熊谷市銀座2丁目245 SC名称:ニットーモール
- 熊谷駅東側にあった日東製粉工場跡地の再開発したニットーモールに専門店街と共に入居していた[83]。(1階から4階[要出典])ビルの所有は日東都市開発であったが[71]、後に三菱商事都市開発となった。
- 1994年(平成6年)2月期に年間売上高約95億円を上げたが、その後は競合店の影響で売上が減少し、2002年(平成14年)2月期に年間売上高約44.28億円へと半分以下に落ち込んだため閉店となった[81]。
- 店舗面積12,994m2[71]、ニットーモールの延べ床面積約71,854m2[71]。
- 閉店後、存続を賭け一時休業をした上での大規模改装が行われ、現在も存続(旧ダイエーの1階、食品売り場部分には2003年(平成15年)4月25日にヤオコー熊谷ニットーモール店が開店し[84]、2階から4階には専門店が入居)している。
- 0384[要出典]: 草加店(初代) → Dダイエー(Dマート)草加店 → 草加店(2代)×(1974年(昭和49年)4月[85]5日 - 2011年(平成23年)1月31日[広報 4]) SC名称:草加ショッパーズプラザ(旧SC名も同名を使用) 草加市市水川町873-10[71]
- 0569[要出典]:草加店(旧:忠実屋、1979年(昭和54年)7月[67] - 1998年(平成10年)12月31日[要出典])草加市草加3-9-13
- 0556:[要出典]飯能店(旧:忠実屋[66]、1977年(昭和52年)6月1日 - 1999年(平成11年)5月31日[40]) 飯能市
- 0351:[要出典]所沢店(1981年(昭和56年)11月[89]26日 - 2016年(平成28年)2月29日) 所沢市東町5-22[15] SC名称:東栄ビル[15]
- 店舗面積24,497m2[15]、延べ床面積約51,135m2[15]。直営店舗面積18,410m2[15]。
- 建物は地下1階・地上7階建てで、総合スーパー業態の店舗として出店した[89]。
- 所沢駅から徒歩約5分の商店街の一角にある「日東地区」の再開発で建設された商業施設の核店舗として、地元商店街の誘致により出店し、西武グループの中心地への進出であったことから「所沢戦争」として注目された[89]。
- 開店時には店舗面積17,998m2であったが、1988年(昭和63年)10月に店舗面積24,497m2へ増床した[90]。
- 2016年(平成28年)3月1日に本州の総合スーパー29店舗が「イオンリテールストア」に承継されて[79]、運営がイオンリテールへ移行し[89]、イオン所沢店となることになった[89]。
- 0573[要出典]:Dマート本庄店×(旧:忠実屋[66]、1980年(昭和55年)4月[67] - 1998年(平成10年)5月31日[要出典]) 本庄市本庄2-3-6[71] SC名称:埼玉繊維ビル
- 0563[要出典]:戸田店(旧:忠実屋[66]、1978年(昭和53年)4月[67]28日 - 1999年(平成11年)9月5日[91]) 戸田市下戸田1-18-8 SC名称:永芳ビル
- 0393:[要出典]Dマート秩父店(1988年(昭和63年)5月[72] - 2000年(平成12年)10月31日[93]) 秩父市中町3-16[71]
- 0593[要出典]:久喜店(旧:忠実屋[38]、久喜サリア内、1990年(平成2年)11月[67] - 2002年(平成14年)5月末[94]) 久喜市中央1-1-20[71]
- 0378[要出典]:東鷲宮店(1986年(昭和61年)4月[15]29日 - 2016年2月29日) 久喜市桜田3-2-1[15]
- 0590[要出典]:行田店×(旧:忠実屋[66]、1989年(平成元年)10月[67]26日 - 2002年(平成14年)5月31日) 行田市城西4-4562[66]
- 0551[要出典]:狭山店(旧:忠実屋[97]、1976年(昭和51年)11月[98] - 2002年(平成14年)5月31日)狭山市入間川314[97]
- 0552[要出典]:坂戸店(旧:忠実屋[97]、1976年(昭和51年)12月[99]3日 - 2002年(平成14年)5月31日) 坂戸市薬師町28-1[97][99] SC名称:坂戸ビル
- 十字屋入間店×(1983年(昭和58年)12月[12] - ?) 入間市[12]
- 店舗面積約1,461m2[12]。
- 0625:[要出典]ハイパーマート蕨店→7862:ディー・ハイパーマート蕨店[広報 2]→0704:蕨店×(1995年(平成7年)6月30日[102] - 2003年(平成15年)1月31日閉店[103])蕨市塚越5-6-35
- 0578[要出典]:鶴ヶ島店×(旧:忠実屋[97]、1982年(昭和57年)4月[67]8日 - 2005年(平成17年)11月27日[104][105])鶴ヶ島市鶴ヶ丘276-10[97] SC名称:松原ビル
- 0582[要出典]:トポス上尾店×(旧:忠実屋[66]、1983年(昭和58年)11月[67] - 1999年(平成11年)1月10日) 上尾市柏座3-2-17[97] SC名称:光信ビル
- 0385[要出典]:Dマート幸手店×(1987年(昭和62年)9月[14] - 2006年(平成18年)12月31日) 幸手市北2-5-20
- 直営店舗面積約6,193m2[14]。
ダイエー資料館で閲覧できる資料によるとDマートの名前が始めて使われた店舗でもある [107]
- 須藤製糸株式会社が所有する建物に出店。跡地は、「幸手北モール」(ベルク、マツモトキヨシ、しまむら)[要出典]
- 0574[要出典]:北本店(旧:忠実屋[12]、1980年(昭和55年)9月[12][108]2日 - 2016年(平成28年)2月29日) 北本市中央4-63[108]
- 0280[要出典]:志木店×(1974年(昭和49年)11月[110]13日 - 2013年(平成25年)7月31日[110]) 志木市本町5-17-1[111] SC名称:店名と同様(旧:志木ショッパーズプラザ)
- 0555[要出典]:三芳店× (旧忠実屋、1977年 (昭和52年) 4月28日 - 1994年 (平成6年) 3月1日:ダイエー三芳店へ転換 - 2017年 (平成19年) 9月30日)入間郡三芳町大字藤久保字俣埜305-1
- ビッグ・エー吹上店×(? - 2013年(平成25年)2月2日) 入間郡三芳町大字藤久保字俣埜305-1
- 閉店時の直営店舗面積約303m2[広報 5])。
- ビッグ・エーわかば店×(? - 2013年(平成25年)2月16日)
- 閉店時の直営店舗面積約348m2[広報 5]。
千葉県
千葉市
- 0269[要出典]:千葉店×(1973年(昭和48年)11月[115] - 1998年(平成10年)12月31日[116]、1999年(平成11年)6月26日[117][118] - 2001年(平成13年)5月31日[119][120]) 千葉市新宿2-7-30[4](現・千葉市中央区新宿2-7-30)(SC名称:千葉ショッパーズプラザ(旧SC名も同名を使用))
- 参松工業千葉工場跡地に開業。[要出典]
- 1998年(平成10年)12月31日に一旦閉店したが[116]、家賃引き下げや地元の熱い要望もありスポーツワールドと家電パレックスの専門売場を導入して1999年(平成11年)6月26日に再度開業して[118]再開業初日に8万人の来店客を集めるなど再開業直後は順調に集客した[121]ものの、2001年(平成13年)2月期に目標の年商85億円を大幅に下回る約57億円に留まったため2001年(平成13年)5月31日再び閉店した[116]。跡地は集合住宅等になっている。[独自研究?]
- 旧扇屋ジャスコ千葉店跡地周辺を再開発したQiball(きぼーる)の駐車場棟1階に[122]ダイエーグルメシティ千葉中央店が[123]2007年(平成19年)9月1日に開業した[124]。
- 十字屋千葉店 → 4901:[要出典]十字屋ショッカー千葉店×(1951年(昭和26年)11月[12] - 1986年(昭和61年) - 1996年(平成8年)8月) 千葉市中央区中央3-2-9[35]
- セイフー蘇我店×(1993年(平成5年)10月9日 - 2005年(平成17年)9月3日) 千葉市中央区宮崎町414-1
- 0697[要出典]:千葉長沼店(2000年(平成12年)11月16日[133] - 2016年(平成28年)3月1日:運営をイオンリテールへ移管[134]) 千葉市稲毛区長沼町330-50[135][15] SC名称:ワンズモール[15]
- 0767[要出典]:グルメシティあやめ台団地店(旧:セイフー→グルメシティ関東(店番号:4214)[要出典]、? - 2016年(平成28年)3月26日ビッグ・エーへ業態転換[広報 7]) 千葉市稲毛区あやめ台1-12-101[広報 7]
- 店舗面積166坪[広報 7]。
- 0598[要出典]:Dマート稲毛海岸店(旧:忠実屋[137]、1981年(昭和56年)10月[67]31日 - 2002年(平成14年)5月31日) 千葉市美浜区美浜区高洲3-21-1
- ビッグ・エー千葉長沼店×(? - 2013年(平成25年)2月16日)
- 閉店時の直営店舗面積約460m2[広報 5]。
- 0801[要出典]:グルメシティ千城台店(旧:セイフー→グルメシティ関東、? - 2016年(平成28年)8月28日閉店[139])千葉市若葉区千城台西2-14-1
葛南
- 0379[要出典]:津田沼店(旧:津田沼ダイエー[111]、1978年(昭和53年)10月14日[140] - 1986年(昭和61年)10月1日直営化、2005年(平成17年)11月30日[141]) 習志野市谷津1-16-1[142]
- 店舗面積約33,185m2[142]、延べ床面積約57,611m2[142]。直営店舗面積29,334m2[142]。
- 2000年(平成12年)度には上場スーパー61社の店舗の中で第2位の約222億円の売上高となり、ダイエーの中ではトップとなっていた[143]。
- 1978年(昭和53年)5月20日設立の子会社「津田沼ダイエー」が[144]大衆百貨店の実験店として運営していた[111]。後に直営化。サンペデックは日本生命の子会社「習志野サンペデック」の所有であったが解散、野村不動産に売却。[要出典]
- 旧ダイエーゾーンを含め、サンペデック全体が野村不動産ホールディングスと同社の系列会社により2008年(平成20年)3月13日にショッピングセンター「モリシア津田沼」としてリニューアルして開業した[145]。イオンモリシア津田沼店、ヤマダ電機などがキーテナントして入居[広報 9]。
- 2017年8月31日、イオンモリシア津田沼店が営業を終了。イオンリテールからダイエーへ吸収分割方式で営業権を移譲し、数日間の改装を経て9月5日にダイエーモリシア津田沼店(店番号0856)としてリニューアルオープンした。12年ぶりの当施設への再出店となった[広報 10][広報 11]。
- 0397:[要出典]エキゾチックタウン津田沼店(旧髙島屋、1988年(昭和63年)10月16日[146] - 2002年(平成14年)4月25日に津田沼店と統合(3Fのみ電気専門店PALEXとして継続)[147]) 習志野市谷津1-16-1
- 丸興大久保店 習志野市大久保1-21-10[4]
- 店舗面積約1,010m2[4]。
- 丸興津田沼店 船橋市前原町2-235[131]
- 十字屋船橋店 → 十字屋ショッカー船橋店(1960年(昭和35年)12月[12] - 1996年(平成8年)秋) 船橋市本町1-7-6[111][35]
- 0344[要出典]:ららぽーと店 → 4570:Kou'Sららぽーと店 → 0699:ららぽーとイースト(1981年(昭和56年)4月2日 - 2004年(平成16年)5月31日) 船橋市浜町2-1-1
- 1999年(平成11年)1月17日に一旦閉店し、同年1月28日より「Kou'Sららぽーと店」へ業態変更[152][153](1999年(平成11年)7月1日に営業権も旧子会社のダイエー・ホールセールクラブ・コーポレーション(DWSC)へ譲渡)。
- ホールセール事業からの撤退及びDWSCの清算に伴い、2002年(平成14年)3月末に閉店[154]。
- 同年4月20日より「カテゴリーバリューセンター」形式の店舗へと業態変更して店名も「ダイエーららぽーとイースト」へ変更したが[154][155]、売上高はコウズ業態の時を下回るなど低迷が続いた[156]。
- 「ダイエーららぽーとイースト」閉店後、現在の北館の一部となった。[要出典]
- 丸興船橋店 船橋市本町4-41-19[4]
- 丸興船橋電器センター 船橋市本町2-1767[131]
- 4241:[要出典]セイフー高根木戸店 → グルメシティ高根木戸店(1976年(昭和51年)8月[66] - 2015年(平成27年)2月15日[広報 12]) 船橋市芝山6丁目60番176号(芝山6丁目60番1号)
- ビッグエー夏見店(1986年開店 - 2015年8月30日閉店)船橋市夏見台3丁目8番1号[要出典]
- 現在は住宅情報館[要出典]
- 十字屋本八幡店×(1963年(昭和38年)9月[12] - ?) 市川市八幡3-1-5[4]
- 丸興本八幡店 市川市八幡2-5-10[4]
- 店舗面積約3,330m2[4]。
- 0386[要出典]:Dマート南行徳店(1987年(昭和62年)9月[12] - 2002年(平成14年)4月30日) 市川市南行徳3-4-1
- 0693[要出典]:南行徳店(2000年(平成12年)4月20日[157] - 2016年(平成28年)3月1日:運営をイオンリテールへ移管[134]) 市川市南行徳2-20-25[15] SC名称:南行徳ショッピングセンター[15]
- 4228[要出典]:セイフー曽谷店 → グルメシティ曽谷店(1972年(昭和47年)9月[67] - 2011年(平成23年)3月11日) 市川市曽谷5-14-14[111]
- 十字屋浦安店(1979年(昭和54年)11月[12] - ?) 浦安市富岡3-2-1[35]
- 店舗面積約320m2[12]。
- 0409[要出典]:新浦安店(旧:ダイエーリアルエステート、1990年(平成2年)6月28日[159] - 2016年(平成28年)3月1日:運営をイオンリテールへ移管[134]) 浦安市入船1-4-1[15] SC名称:ショッパーズプラザ新浦安[15]
東葛(葛南を除く)
- 0302[要出典]: 我孫子店 → Dマート我孫子店×(1976年(昭和51年)11月[67]1日 - 1998年(平成10年)11月[162]) 我孫子市我孫子字後田511-1[4]
- Dマート我孫子店の店舗面積8,630m2[72]。
- 跡地にはマンションパークシティ我孫子が建設された。
- 0456[要出典]:ハイパーマート北柏店 → 4744:[要出典]ハイパーマート北柏店 → 7854:[要出典]ディー・ハイパーマート北柏店[広報 2] → 0701:[要出典]北柏店(1993年(平成5年)4月3日[163] - 2005年(平成17年)11月27日[104][105]) 柏市十余二南翁原249-5[164]
- 店舗面積15,787m2[164]、延べ床面積約40,653m2[164]。
- JR常磐線柏駅から北へ約2kmの場所に出店していた[163]。
- 1997年(平成9年)6月に生鮮・惣菜売場での対面販売や案内係の導入、取扱い品目数をオープン当初の2倍の7万品目への拡充や買い物客を強制的に一方通行で進ませる導線を廃止するなどハイパーマートの問題点の修正を図る改装を行って新装開店した[165]。
- 当初は直営であった[163]。1999年(平成11年)8月1日に株式会社ダイエー・ハイパーマートに[広報 13]、さらに2000年(平成12年)9月1日に株式会社ディー・ハイパーマートに移管された[広報 2]。2002年(平成14年)9月1日にダイエーに再度譲渡され「ダイエー北柏店」になった。最寄り駅はつくばエクスプレスの柏の葉キャンパス駅で店までバスで5分程度であり、JR北柏駅からは遠い。
- 同建物にある専門店街アピエのゾーンを含めて全館をアミューズメントビル「マルハンアミューズメントモール」としての運営に方針を転換。旧ダイエーゾーンは現在1階西側にマルハン柏店が入居しており、2階は駐車場に転換されている。なお、専門店街ゾーンの2階部分にはゲームセンターやインターネットカフェが入居している。[独自研究?]
- 0595:[要出典]五香店(旧:忠実屋、1992年(平成4年)4月17日[166][167] - 2005年(平成17年)11月27日[104][105]) 松戸市五香六実617-11[167]
- セイフーみのり台店 松戸市みのり台101-1[111]
- 仲村ビルに出店していた[168]。
印旛
- 0999[要出典]:千葉ニュータウン内野店(1984年(昭和59年)? - 2001年(平成13年)12月31日) 印西市
- コンビニ程度の超小型サテライト店。[要出典]
- 0998[要出典]:千葉ニュータウン木刈店(1984年(昭和59年)? - 2001年(平成13年)12月31日閉店) 印西市
- コンビニ程度の超小型サテライト店。[要出典]
- 十字屋ポポ八千代台店(1971年(昭和46年)2月26日[58] - 1998年(平成10年)頃) 八千代市八千代台南1-7-7[111]
- 0339[要出典]:成田店×(1980年(昭和55年)[50]9月20日 - 2001年(平成13年)2月28日[172][173]) 富里市日吉台1-10[71] SC名称:日吉台コミュニティプラザ[71]
- セイフー成田店(1962年(昭和37年)6月[67] - ?) 成田市
- 店舗面積約1,030m2[12]。
- 0621[要出典]:ハイパーマート酒々井店 → 4749:ハイパーマート酒々井店 → 7860:[要出典]ディー・ハイパーマート酒々井店[広報 2](1995年(平成7年)5月31日[177] - 2002年(平成14年)8月31日) 印旛郡酒々井町本佐倉457-2
銚子・佐原
- 十字屋ポポ佐原店×(1971年(昭和46年)2月26日[58] - 1997年(平成9年)[178]) 佐原市
- (初代)十字屋銚子店(1960年(昭和35年)12月[179] - ?)
- 陣屋町二番地に出店していた売り場面積約330m2の衣料品店[179]。
- (2代目)十字屋銚子店×(1976年(昭和51年)10月[180][181]1日 - 2005年(平成17年)11月30日[181][182]) 銚子市双葉町[183]
- 銚子市の表玄関である銚子駅前通りに位置した銚子市内唯一の百貨店で1991年(平成3年)に売上高約107億円を上げたが[180]、郊外型店との競合や不況の影響などで2004年(平成16年)に売上高約47.5億円に落ち込み[180]、産業再生機構の支援を受けて経営再建する一環として2005年(平成17年)11月30日に閉店した[181]。
- 当店の開設の際には、銚子商店連盟連合会が売場面積の縮小など3項目の意見書を提出するなど反対運動を行ったが、1974年(昭和49年)の銚子市長選で誘致を掲げる嶋田が当選を果たしたことなどが影響して進出が決まった[184]。
- 当店開店は、銚子駅前の商店街の通行量の増大や地元の商店主らの積極的な営業姿勢への転換などの効果をもたらし、銚子の商業発展につながったとされた[179]。
- 店舗跡地は、当初、ジャパンレジャーサービスグループの松屋百貨店[182](注・東京銀座などで百貨店を運営する松屋とは別企業)による商業施設「リズム」が地下1階が食品で地上1階は婦人服など全館を使って2008年(平成20年)11月14日に開店する予定だった[185]がテナントが集まらず断念し[180]、2008年(平成20年)11月下旬から[180]2009年(平成21年)1月頃にかけて解体された。
- しばらくは更地であったが、ジャパンレジャーサービスグループの松屋百貨店が運営会社「てうし横丁」設立して2011年(平成23年)7月から木造平屋建ての銚子漁港市場「てうし横丁」を建設して2011年(平成23年)12月オープン予定していた[186]が、テナントが集まらず何度も延期をして2012年(平成24年)10月に全面的に撤退することを表明した[187]。
- 完成したものの使われていなかった「てうし横丁」の建物に、駅前にある銚子セレクト市場を移転する事になり、2014年(平成26年)12月に開業することになった[188][187]。
→詳細は「十字屋銚子店」を参照
上総
- 0581[要出典]:市原店(旧:忠実屋、1983年(昭和58年)3月[67]18日 - 1998年(平成10年)2月28日[189]) 市原市五所1966-1
- 丸興五井店 市原市五井南下町2768[4]
- 店舗面積約690m2[4]。
- 十字屋館山店×(1950年(昭和25年)11月[191] - 2005年(平成17年)11月30日[192]) 館山市北条1841[191]
- 丸興館山店 館山市北条浜通18[4]
- 店舗面積約337m2[4]。
- 0382[要出典]:長浦店(1987年(昭和62年)4月3日[193] - 2016年(平成28年)3月1日:運営をイオンリテールへ移管[134]) 袖ケ浦市長浦駅前1-7[15]
- 0272[要出典]:木更津店×(1973年(昭和48年)12月[67]23日 - 2001年(平成13年)2月18日[195]) 木更津市東中央1-5-16[4] SC名称:(旧:木更津ショッパーズプラザ)
- 0591[要出典]:Dマート木更津店×(旧:忠実屋、1989年(平成元年)11月30日[198][199][200] - 1995年(平成7年)2月28日閉店[201][202] - 1996年(平成8年)3月 - 2001年(平成13年)2月28日) 木更津市太田2-5-1
- 十字屋ショッカー木更津店×(1950年(昭和25年)11月[12] - 1994年(平成6年)1月31日[203][204]) 木更津市富士見15[35]
- 丸興木更津店 木更津市富士見2-8-14[4]
- 店舗面積約1,214m2[4]。
- セイフー東金店(1994年(平成6年)12月2日 - ) 東金市田間125[要出典]
- 0575[要出典]:君津店(旧:忠実屋[66]、1981年(昭和56年)4月[15] - 2016年(平成27年)) 君津市中野 5-17-1[15]
東京都
23区
- 0131[要出典]: (初代) 赤羽店×(1969年(昭和44年)12月5日[88][209] - 2010年(平成22年)7月11日[広報 4]18時) 北区赤羽2-5-7[15] SC名称:赤羽ショッパーズプラザ[15](旧SC名も同名を使用)
- 店舗面積約13,785m2[15]、延べ床面積約23,239m2[15]。直営店舗面積11,470m2[15]。
- 閉店時の直営店舗面積約3,114m2[広報 4]
- フーズ&リビング館とファッション館の二棟からなっていたが、ファッション館は2009年(平成21年)閉店。フーズ&リビング館は2010年(平成22年)に閉店した[要出典]。
- 建て替えを行い、店舗面積約6,700m2の本館とマンションの1階に入居する店舗面積約700m2の別館の2棟構成の新店舗が2012年(平成24年)3月1日に開業した[210]。
- 新店舗では近隣住民の高齢化に対応して商品棚の高さを低めにしたり、エスカレーターの速度を通常の約70%に落とすなど施設面でも配慮を行うと共に、少量化した食品や介護用品など高齢者向けの品揃えも強化している[210]。
- 0754:[要出典] (2代目) 赤羽店(2012年 (平成24年) 3月1日[211] - 2023年 (令和5年) 9月10日[212]) 北区赤羽2-5-7
- 建て替えのため閉店となった。代替店舗として同店舗跡地の別館に2023年 (令和5年) 9月20日に赤羽スズラン通り店 (店番号:0893) が開業した。[要出典]
- Dマート赤羽店 → 0577:[要出典]赤羽北本通り店(旧:忠実屋、1982年(昭和57年)3月[15]25日 - 2016年(平成28年)2月29日) 北区神谷3-12-1[15] SC名称:理研神谷ビル[15]
- 東十条店(1967年(昭和42年)12月1日[213] - 1985年(昭和60年)5月[214]25日[要出典]) 北区東十条2-14-3[4]
- ダイエーの東京での初の大型店として開店した[213]。
- 0395:[要出典]成増店 (1988年 (昭和63年) 6月30日 - 2019年 (令和元年) 12月31日) 板橋区成増2-21-2
- 十字屋新小岩店(1966年(昭和41年)11月[66] - 1996年(平成8年)7月[215]) 葛飾区新小岩1-38-1[66][4]
- 店舗面積1,8422[4]。
- 0592:グルメシティ花畑店×(旧:忠実屋、1990年(平成2年)11月[66]8日 - 1998年(平成10年)6月30日[要出典]) 足立区花畑4-38-10[66]
- 店舗面積1,9532[66]。
- 0118:[要出典]トポス北千住店(旧:丸信千住店→丸信東京店→ダイエー北千住店、1969年(昭和44年)10月1日 - 2016年(平成28年)11月14日)足立区千住1-30-3。SC名称:丸信ビル
- 丸興新小岩店 葛飾区新小岩2-1-2[4]
- 店舗面積約3,287m2[4]。
- 丸興新小岩家具店 葛飾区下小松町1348[131]
- 丸興小岩店 葛飾区南小岩6-30-10[4]
- 店舗面積約1,135m2[4]。
- 丸興金町店 葛飾区金町6-2-10[4]
- 店舗面積約2,406m2[4]。
- 丸興亀戸店 → 十字屋亀戸店 → 十字屋クロスティ亀戸店[66](1962年(昭和37年)7月5日[216] - 2003年(平成15年)8月閉店[64]) 江東区亀戸5-1-1[66]
- 丸興亀戸家具店 江東区亀戸町[131]
- 0257:[要出典]大島店 (1973年(昭和43年)7月20日[217] ‐ 2021年(令和3年)2月28日閉店[218])江東区大島4-6-1
- セイフー大島団地店 → 0771:[要出典]グルメシティ大島団地店(旧:グルメシティ関東(店番号:4224)[要出典]、? - 2016年(平成28年)2月21日) 江東区大島4-13[111] 大島四丁目団地1号棟[71]
- 吾嬬店(旧:一徳→トウキョウダイエー、1964年(昭和39年)3月10日[57] - 1985年(昭和60年)9月1日[219]) 墨田区京島3-20-16[4]
- ダイエーの東京初進出店舗のひとつ[57]。
- 4246[要出典]:セイフー京島店 → グルメシティ京島店(1964年(昭和39年)3月[108] - 2015(平成27年)2月22日[広報 12]) 墨田区京島3-20-16[66] 吾嬬ビル[66][108]
- 4213[要出典]:グルメシティ東向島店(旧:セイフー、? - 2013年(平成25年)6月23日[広報 5]) 墨田区墨田3-6-14
- 閉店時の直営店舗面積約532m2[広報 5]。
- 4215[要出典]:セイフー三河島店 → グルメシティ三河島店(1967年(昭和42年)5月[67] - 2015(平成27年)2月8日[広報 12]) 荒川区荒川3-29-1
- 0357[要出典]:Dダイエー西葛西店[220][221] → 西葛西店(1982年(昭和57年)11月30日[220] - 2005年(平成17年)10月31日) 江戸川区[12] 西葛西4-2-28
- 直営店舗面積 約8,550m2[12]。
- ディスカウントストア業態のDダイエーとして開業した[220][221]。文化教室も併設していた[220][221]。
- Dダイエーの頃の写真はダイエーの資料館、公式の写真集で確認できるが年代的なこともあり草加と同じ試験店だったのかは不明であるが末期の頃の広告はDマート南行徳の同一チラシだったため一時的に別業態であったことは事実である[要出典][222]
- 開店から15年を経て陳腐化が進んだため、1998年(平成10年)9月21日から改装工事を行い、同年9月26日にリニューアルオープンした。[要出典]
- 店舗跡は「サニーモール西葛西」となる。[要出典]
- 「サニーモール西葛西」の店舗面積2,475m2[15]、延べ床面積約11,757m2[15]。
- 「サニーモール西葛西」には、ファッションセンターしまむら、新鮮市場マルエイ、ザ・ダイソー、サンドラッグなどが出店[15]。
- 小岩店(旧:一徳→トウキョウダイエー、1964年(昭和39年)3月10日[57] - 1978年(昭和53年)9月17日[223]) 江戸川区西小岩1-21-1[4]
- ダイエーの東京初進出店舗のひとつ[57]。
- セイフー小島団地店 → 0626[要出典]:アウトレット小島団地店(1974年(昭和49年)8月[67] - ?)江戸川区小島町2-1-159[111]
- 四ッ谷セイフー → セイフー四ッ谷店 → 4226:グルメシティ四ッ谷店×(1970年(昭和45年)10月14日[224] - 2011年(平成23年)5月29日) 新宿区愛住町5[4]
- プランタン銀座(1984年(昭和59年)4月27日[225] - 2002年(平成14年)6月14日グループ離脱[226]) 中央区
- 日本で4番目のプランタンとして開業。プランタンで唯一のドル箱店舗だった。
- ダイエーの経営悪化に伴い、富士銀行グループの協力を得てMBO(経営者企業買収)方式で2001年(平成13年)9月末日付で株式を売却する方向で進めていた[227]が、土地・建物を所有していた読売新聞社が事前の相談なく株式を譲渡を決めたことを契約違反としてその計画に反対したため、読売新聞東京本社に株式を売却[226]。
- 読売側がダイエーとの株式譲渡の基本合意に達したのと同日に百貨店の三越へ取得額と同額で30%を譲渡することで基本合意したため、三越(出資比率30%)と読売新聞東京本社(出資比率70%)が運営を行うことになった[228]。
- 親会社になった読売新聞側が店舗の賃料を5億円増額して年間20億円とした上、三越側も経営指導料として売上高の約0.5%を採るようになると共に、三越の取引先との取引を余儀なくされるなどしたため、業績は低迷することになった[229]。
- ワーナー・ブラザース・スタジオ・ストア銀座店[230] → 銀座佰日店 → カテゴリーバリューセンター銀座店(2001年(平成13年)11月10日[231] - 2002年(平成14年)2月17日[232]、2002年(平成14年)3月1日[232] - 2002年(平成14年)9月[232]16日) 中央区銀座3-5−3
- 1997年(平成9年)にダイエーがカネボウグループから「銀座カネボウビル」を取得して「ワーナー・ビル」と名称を変更し、外装を含めて改装して地下1階〜地上3階の売場面積約300坪にワーナー・ブラザースとの合弁でキャラクターグッズ専門店「ワーナー・ブラザース・スタジオ・ストア銀座店」を開業した[230]。
- 「ダイエー銀座ビル」と名称を変更して、100日間限定営業のダイエーブランドのアンテナショップとして2001年(平成13年)11月10日銀座佰日店が開業した[231]。
- その後に、高木ダイエー社長時代のダイエー改革の方針に掲げられた「カテゴリーバリューセンター(CVC)」店舗の実験・PR目的を目的とした「カテゴリーバリューセンター銀座店」に改装された[232]。
- 「ダイエー銀座ビル」は2002年(平成14年)にシャネルの日本法人に売却され「シャネル銀座ビル」に改称[232]、現在同建物には同日本法人の旗艦店である「シャネル銀座」が入居している。[要出典]
- 0354:[要出典]NOW芝公園店(1986年(昭和61年)5月[73]29日 - 2006年(平成18年)6月30日[75]) 港区芝公園2-4−1
- DAIEI NOW メディア館(1996年09月30日-)「浜松町の本格パソコンショップ」として営業していた[233](姉妹店:JR町田駅前・メディアバレー[広報 15])。
- 中目黒店(旧:一徳→トウキョウダイエー、1964年(昭和39年)3月18日[57] - 1984年(昭和59年)10月[234][広報 16]) 目黒区上目黒1-26-9[4]
- ダイエーの東京初進出店舗のひとつ[57]。
- 0284[要出典]:碑文谷店(1975年(昭和50年)4月1日 - 2016年(平成28年)5月5日 [235]) 目黒区碑文谷4-1-1[15] SC名称:トーヨーショッピングセンター[15]
- 0656[要出典]: Kou'S品川店×(1996年(平成8年)11月28日[237] - 1998年(平成10年)9月27日[238]) 品川区東品川4-12−5
- 店舗面積約10,500m2[72]。
- 東京都内最初のKou'sで、Kou'sとしては初めてワンフロアの店舗で車でのまとめ買い客を狙って東京23区内にも拘らず550台収容の駐車場を備えていた[239]。
- まとめ買い客を狙う会員制ホールセールクラブ特有の大型パックやケースでの販売だけでなく、肉や魚の対面販売や少量単位の品揃えを拡充するなど都市部の通常のスーパーでの買い物需要にも対応することを狙った売場構成で開業した[237]。こうしたターゲットの違いもあり、従来の倉庫風のKou'sの標準的な内装ではなく、白を基調とした天井や床で照明も日本の一般的な消費者が好む明るめに変更されていた[237]。
- 日本たばこ産業と鹿島建設が新駅開業に合わせて進めていた[240]「品川区東品川4丁目第1地区第1種市街地再開発事業」[238]に参画してオフィスビルを取得して[240]ダイエーの本社機能を移転すると共に商業棟に出店する計画[241]を前提にその対象地区内に開設された店舗であったため[238]、業績悪化に伴ってオフィスビル取得[240]や商業施設の進出で同事業に参画することを1998年(平成10年)8月に断念した[241]関係で1998年(平成10年)9月27日に閉店して撤退した[238]。
- ダイエーの再開発事業参画断念後に複数のスーパーが当地区への出店を希望したが、その中からジャスコ(現在のイオン)が日本たばこ産業によって選ばれ[241]、2002年(平成14年)9月30日に商業・ビジネス複合施設「品川シーサイドフォレスト」の第1期が竣工して同年10月17日にイオン品川シーサイドショッピングセンターが開業した[242]。再開発事業のため建物は解体されている。[要出典]
- 0594[要出典]:大崎店 → グルメシティ大崎店(旧:忠実屋、1987年(昭和62年)2月[243]1日 - 2010年(平成22年)10月31日[広報 4]) 品川区大崎1-6−45号館
- 0354[要出典]:品川八潮店 → グルメシティ品川八潮店(? - 2014年(平成26年)1月31日[広報 5]) 品川区八潮5-5-3[71]SC名称:八潮パークタウン
- 0532[要出典]:下北沢店 → グルメシティ下北沢店×(旧:忠実屋、1971年(昭和46年)3月26日[58] - 2008年(平成20年)1月13日[広報 17]) 世田谷区北沢2—20—17[58] SC名称:月凰ビル
- セイフー太子堂店 → セイフー三軒茶屋店(1977年(昭和52年)4月[108]29日 - 2005年(平成17年)10月) 世田谷区太子堂1-14-16[4]
- セイフー祖師谷店(1963年(昭和38年)7月[71]1日 - ?)世田谷区祖師谷4-2−11
- セイフー希望が丘店(旧:シヅオカヤ、1972年(昭和47年)11月[67] - ?) 世田谷区希望ヶ丘団地6-28-8号棟[71]
- セイフー下石神井店×(1976年(昭和51年)6月[67]18日 - ?) 練馬区下石神井3-1-2[111]
- 店舗面積757m2[71]、延べ床面積約1,789m2[71]。
- 跡地は、ライオンズマンションとなっている。[要出典]
- 0586[要出典]:練馬店(1987年(昭和62年)4月[15]24日 - 2016年(平成28年)2月29日) 練馬区光が丘5-1-1[15] SC名称:光が丘IMA[15]
- 4210[要出典]: グルメシティ江古田店(1963年(昭和38年)9月[71] - 2015(平成27年)2月22日[広報 12]) 練馬区栄町34[71][4]
- 0778[要出典]:グルメシティ練馬平和台店(旧:シヅオカヤ→セイフー→グルメシティ関東(店番号:7114)、1974年(昭和49年)1月[67][15] - 2016年(平成28年)1月24日) 練馬区平和台4-19-10[15] SC名称:三晴ビル[15]
23区以外
- 0181[要出典]:立川店(1970年(昭和45年)11月3日[224] - 2014年(平成26年)2月28日[251]) 立川市曙町2-18-18[4] SC名称:万田ビル(旧:立川ショッパーズプラザ)
- 1989年(平成元年)4月にトポスに業態転換[73]。
- 立川駅北口近くに出店していた店舗で最盛期の1990年(平成2年)度に売上高は105億円を上げたが、周辺に大型再開発が進んだことなどの影響を受けて業績が低迷し、閉店となった[251]。
- トポス立川店の店舗面積10,620m2[72]。閉店時の直営店舗面積約5,504m2[広報 5]。
- 店舗跡のビルの地下1階から地上5階に2016年(平成28年)2月5日に大型ディスカウント店の「MEGAドン・キホーテ立川店」が開店した[252]。
- 「MEGAドン・キホーテ立川店」は店舗面積約10,620m2で[252]直営店舗面積は約6,393m2[253]。開業時には100円ショップなどの15店舗も入居した[252]。
- 0597[要出典]:南大沢店(旧:忠実屋、1992年(平成4年)6月7日[254] - 1995年(平成7年)[255]2月28日) 八王子市南大沢2-52[254](ガレリア・ユギ)
- 0580[要出典]:楢原店(旧:忠実屋、1982年(昭和57年)12月11日 - 2010年(平成22年)1月31日[広報 19]) 八王子市楢原町1463-1[108] SC名称:不二ハウスビル[108]
- 0588[要出典]:北野店(旧:忠実屋、1988年(昭和63年)11月10日[257] - 2005年(平成17年)[75]10月31日) 八王子市[257]北野町545−3
- 0546[要出典]:グルメシティ叶谷店(旧:忠実屋[66]、1975年(昭和50年)10月[66] - 2014年(平成26年)1月31日[広報 5]) 八王子市叶谷町876-3[66][108]SC名称:石森ビル[66][108]
- 0190[要出典]:八王子店×(1970年(昭和45年)11月13日[257] - 2015年(平成27年)2月15日[広報 12][259]) 八王子市横山町4-8[259]、SC名称:同名(旧:八王子ショッパーズプラザ)
- JR八王子駅の北側を通る甲州街道に面した鉄骨鉄筋コンクリート造で地下2階・地上9階建て延べ21,461m2の建物で出店していた[259]。(『八王子事典』では、鉄筋コンクリート造で地下1階・地上8階建て[257])
- 閉店時の直営店舗面積約5,811m2[広報 12]
- 建物の竣工から44年が経過し、閉店後は建物の解体や土地・建物の売却を検討するとされており、新設されるビルへの再出店も目指している[259]。
- 店舗跡は東京建物が解体工事を発注し、2016年7月までに建物を解体[260]。同社と日本土地建物が鉄筋コンクリート造・地上17階建ての店舗付きマンション「Brillia八王子(仮称、延べ床面積約22,807m2)」を建設することになった[260]。
- マンション竣工後、2019年3月28日にイオンフードスタイル八王子店として1階部分を利用して、オープン。 [要出典]
- グルメシティ館ヶ丘団地店(1975年(昭和50年)‐ 2016年(平成28年)8月28日)八王子市館町1097-2-8[要出典]
- 0095[要出典]:原町田店(1969年(昭和44年)6月20日[209][261] -トポス町田店 1983年(昭和58年)10月22日業態転換 - (平成8年)11月[127]28日[要出典]業態転換[127]) 町田市原町田3-2-8[4] SC名称:原町田ショッパーズプラザ
- ダイエーが首都圏に進出する際に銘打った首都圏レインボー作戦の第1号店として開業[262]。大型店舗を首都圏で構えるのはこれが初となった。開業時には、約1kmの来店者の行列が出来た[261]。
- 開業時点では売場は地下1階〜地上5階で店舗面積約7,140m2で、1階に子会社のレストラン・キャプテンクックの1号店が出店した[209]。その後、1996年(平成8年)10月時点では売場は地下1階〜地上5階で店舗面積約9,329m2[263]。なお、当店の敷地にはダイエーが開発し、日本初のハンバーガーチェーンであるドムドムハンバーガーの1号店が出店していた。[要出典]
- トポス町田店の店舗面積9,329m2[72]。
- トポス転換後は地下1階のみをダイエー(後にグルメシティ)町田店(店番号0658)として存続し[263]、1996年(平成8年)11月に[127]それ以外の階をダイエーグループ企業によるPCショップ「メディアバレー町田店」(店番号0657)に変更し[263]、日本最大級の情報関連機器専門大店として開業当初は注目されたものの直ぐに類似の業態の店舗の出店が相次いで競争が激化したため開業直後の1997年(平成9年)がピークとなって赤字に転落し[264]、2000年(平成12年)2月末にメディアバレーを閉店した[264]。メディアバレー閉店後、同部分は100円ショップ「ザ・ダイソーギガ町田店」が入居した。[要出典]
- 0658[要出典]:グルメシティ町田店×(1996年(平成8年)10月16日[263] - 2013年(平成25年)3月31日[広報 5][265]) 町田市原町田3-2-8 SC名称:タストンビル
- 十字屋クロスティ町田店(1950年(昭和25年)12月[66] - 2005年(平成17年)10月31日) 町田市原町田6-10-7[142] SC名称:十字屋町田支店岡ビル[142]
神奈川県
横浜市
- 0222[要出典]:鶴見店 → トポス鶴見店[266]×(1971年(昭和46年)4月[88] - 1986年(昭和61年)9月[266] - 2008年(平成20年)4月30日[広報 6]) 横浜市鶴見区豊岡町6-12[266] SC名称:鶴見ショッパーズプラザ[88](旧SC名も同名を使用)
- 0457:[要出典]Dマート阿久和店 → 阿久和店×(1993年(平成5年)4月27日[268] - 2013年(平成25年)2月28日[広報 18]) 横浜市瀬谷区阿久和町2490-1[268] (現横浜市瀬谷区阿久和南4-3−10)
- 0360:[要出典]野毛店 → トポス野毛店[108](1983年(昭和58年)11月[108] - 1988年(昭和63年)11月12日業態転換 - 2007年(平成19年)1月7日) 横浜市中区野毛町3-160−4[66] SC名称:ちぇるる野毛[66]
- 0229[要出典]:上大岡店(旧:サンコー[270]、1970年(昭和45年)11月20日開店[224] - 1998年(平成10年)7月31日) 横浜市港南区上大岡西2-1-12[4] SC名称:上大岡ショッパーズプラザ[58](旧SC名も同名を使用)
- 4867[要出典]: 金沢八景プランタン(1991年(平成3年)9月27日[272] - 1994年(平成6年)10月直営化[273]) 横浜市金沢区泥亀1-27-1 SC名称:金沢八景ショッピングセンター
- 0238[要出典]: 戸塚店×(1970年(昭和47年)3月25日開店[58] - 2016年(平成28年)3月5日[274]) 横浜市戸塚区吉田町884[58] SC名称:戸塚ショッパーズプラザ[58]
- 0685[要出典]: 東戸塚店(1999年(平成11年)10月7日開店[275] - 2016年(平成28年)3月[274]) 横浜市戸塚区品濃町537-1[15] (現横浜市戸塚区品濃町535−1)SC名称:オーロラシティ[15]
- 0797[要出典]:グルメシティ本郷台店(旧:シヅオカヤ→セイフー→グルメシティ関東(店番号:7289)[要出典]、? - 2016年(平成28年)2月21日) 横浜市栄区本郷台2-31−26
- シヅオカヤの営業店舗として開店し、シヅオカヤがセイフーと合併したことでセイフー本郷台店、ブランド統一でグルメシティ関東運営のグルメシティ本郷台店となった。グルメシティ関東のダイエー吸収によりダイエー直営店となった後、2016年2月21日に閉店。その後、業態転換という形で2016年4月23日に子会社のビッグ・エーがビッグ・エー横浜本郷台店を開店させた[広報 14]
- 4867[要出典]: 金沢八景プランタン → 0613[要出典]:金沢八景店(旧:ショッパーズプランタン横浜、1991年(平成3年)9月27日[272] - 1994年(平成6年)10月直営化[273] - 2016年(平成28年)3月1日:運営をイオンリテールに移管[274]) 横浜市金沢区泥亀1-27-1[15] SC名称:金沢八景ショッピングセンター
- 0239[要出典]:横浜西口店× (1972年 (昭和47年) 4月5日 - 2019年 (平成31年) 2月11日) 横浜市西区南幸2-16-1
- 0695[要出典]:ハーフアンドトップドリームランド店 → バンドール ドリームランド店×(? - 2001年(平成13年)12月31日[276]) 横浜市戸塚区俣野町700
- 十字マート戸塚店(1970年(昭和45年)5月23日[224] - ?)
横浜市以外
- 0566[要出典]:津久井店 → グルメシティ津久井店×(旧:忠実屋[66]、1978年(昭和53年)11月[66][277]21日 - 2011年(平成23年)5月8日[277][広報 21]) 津久井郡津久井町中野997-1 (現相模原市緑区中野997−1 落合ビル[66][15]
- 7277[要出典]: プライスセーバー城山店(旧:ナイス→シヅオカヤ、1989年(平成元年) - 2012年(平成24年)1月5日) 相模原市緑区町屋4-8−6
- 0584[要出典]:橋本店(旧:忠実屋[66]、1986年(昭和61年)4月[67]23日 - 2002年(平成14年)8月31日[279]) 相模原市西橋本5-1-1(現相模原市緑区西橋本5-1−1)
- 0570[要出典]:相模原駅前店×(旧:忠実屋[66]、1979年(昭和54年)11月[67]17日 - 1998年(平成10年)3月31日) 相模原市相模原4-3-20[4](現:相模原市中央区相模原4-3−20) SC名称:石井ビル[66]
- 0687[要出典]:セイフー横山店 → グルメシティ横山店(1995年(平成7年)3月24日 - 2010年(平成22年)2月14日[広報 19]) 相模原市中央区横山6-4−1
- 閉店時の直営店舗面積約1,322m2[広報 19]
- 0541[要出典]:大沼店 → グルメシティ大沼店(旧:忠実屋[66]、1974年(昭和49年)12月[15]10日 - 2010年(平成22年)1月31日[広報 19]) 相模原市南区若松4-17-17[15] 開成企業ビル[15]
- 0784[要出典]:グルメシティ鵜野森店(旧:シヅオカヤ[4]→セイフー→グルメシティ関東(店番号:7105) 1970年(昭和45年) - 2016年(平成28年)3月26日ビッグ・エーへ業態転換[広報 7]) 相模原市南区鵜野森1-29−3[広報 7](字柏木57[4])
- 店舗面積166坪[広報 7]。
- 0314[要出典]:相模原店×(1977年(昭和52年)11月2日 - 2016年(平成28年)11月30日)相模原市中央区相模原3-9
- 0530[要出典]:二本松店→グルメシティ二本松店→BIG二本松店(旧:忠実屋、1973年(昭和48年)4月5日 - 2017年(平成29年)3月31日)相模原市緑区二本松3-1-20
- 0533[要出典]:南林間店(旧:忠実屋、1972年(昭和47年)6月[67]29日 - 1999年(平成11年)1月) 大和市南林間1-11-8[111] (現大和市南林間1-11−18)
- 店舗面積約3,629m2の店舗であった[66]。
- 2008年(平成20年)5月1日現在、スーパー生鮮館TAIGA(スーパー生鮮館TAIGA)。
- 0549[要出典]:愛川店(旧:忠実屋、1976年(昭和51年)9月[12]15日 - 2000年(平成12年)2月[100]) 愛甲郡愛川町中津3397-1[4]
- 0643 → 4583[要出典]:Kou's厚木店(1995年(平成7年)12月2日[282] - 2002年(平成14年)8月28日[279]) 厚木市戸室5-31−1
- 0538[要出典]:秦野店×(旧:忠実屋、1974年(昭和49年)10月20日[285] - ?) 秦野市寿町6-4[4]
- 0278[要出典]:藤沢店(初代) → トポス藤沢店 → 藤沢店(2代)×(1974年(昭和49年)6月22日[286] - 2010年(平成22年)8月22日[287]) 藤沢市藤沢字東横須賀520[4] SC名称:相模プラザ第1ビル(旧:藤沢ショッパーズプラザ)
- 十字屋藤沢店(1973年(昭和48年)9月28日[291] - 1986年(昭和61年)2月11日[286]) 藤沢市南藤沢22−3
- 0554[要出典]:グルメシティ寒川店(旧:忠実屋、1977年(昭和52年)4月[66]22日 - 2000年(平成12年)1月[100]) 高座郡寒川町中瀬113[4] (現高座郡寒川町中瀬1−24)
- 忠実屋寒川店の店舗面積約1,372m2[4]。
- ハーフアンドトップ平塚店×(? - 2000年(平成12年)4月[292])
- 2000年(平成12年)4月に営業していた全7店舗を閉鎖し、出向者を除く全従業員を解雇することになった[292]。
- 十字屋クロスティ平塚店[293]×(1996年(平成8年)7月[215]) 平塚市紅谷町315[35]
- 0559[要出典]:平塚店×(旧:忠実屋[66]、1977年(昭和52年)11月[15]30日 - 2012年(平成24年)9月30日[広報 18][294]平塚市宮松町9−7 平塚宮松ショッビングブラザ[66][15]
- 0562[要出典]:鴨宮店 → グルメシティ鴨宮店×(旧:忠実屋、1978年(昭和53年)4月[12]12日 - 2015年(平成27年)1月25日[広報 12]) 小田原市鴨宮636[111] (現小田原市鴨宮636−1) 岩瀬ビル
- 十字屋小田原店(1964年(昭和39年)10月[164] - ?) 小田原市栄町2-8-23[164]
- 0619[要出典]:アウトレット座間店 座間市座間1-3354
- 0571[要出典]:綾瀬店(旧:忠実屋 1980年(昭和55年)3月[67]20日 - 2015年(平成27年)5月10日[298])綾瀬市大上2-1−1
- 0579:[要出典]伊勢原店(1982年(昭和57年)6月開店[300] - 2016年(平成28年)3月9日[274]) 伊勢原市白根630-1[300]
- 0425[要出典]:横須賀店(1991年(平成3年)4月開店[300] - 2016年(平成28年)3月14日[301]) 横須賀市本町2-1-12[300] SC名称:ヨコスカシーウィンドウ[300]
- 0230:[要出典]向ヶ丘店 (1971年 (昭和46年) 9月10日[302] - 2020年 (令和2年) 9月30日閉店[303]) 川崎市多摩区登戸2789[302]
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d 水戸市史編さん委員会編 『水戸市史 下巻(三)』 水戸市、1998年5月。
- ^ "14店舗きょう閉鎖/ダイエー 水戸店など". 東京新聞 (中日新聞社). (2005年10月31日)
- ^ “地区計画で用途制限へ ダイエー跡地”. 東京新聞 (中日新聞社). (2005年12月22日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb 『流通会社年鑑 1978年版』 日本経済新聞社、1977年10月25日。
- ^ a b “都内の会社に売却 ダイエー水戸店跡”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2006年10月19日)
- ^ “旧ダイエー水戸店 第一優先権者が辞退「地元の意見尊重」”. 産経新聞 (産経新聞社). (2006年3月23日)
- ^ “水戸にMIMOきょうオープン 中心街活性化に期待”. 読売新聞 (読売新聞社). (2007年10月19日)
- ^ “中心市街地の活性化に向けて-県内主要都市の現状と方向性-”. 常陽アーク 2012年6月号 (財団法人常陽地域研究センター). (2012年6月)
- ^ “ダイエー水戸店跡 カスミ正式出店、ケーズデンキも出店計画”. 産経新聞 (産経新聞社). (2007年7月13日)
- ^ “水戸中心街、カスミきょう閉店 “買い物難民”拡大恐れ”. 茨城新聞(茨城新聞社). (2013年4月21日)
- ^ “水戸のダイエー跡にマンション”. 読売新聞(読売新聞社). (2014年1月14日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at 『流通会社年鑑 1990年版』 日本経済新聞社、1990年11月24日。
- ^ a b c つくばヒューマンヒストリー研究会 『つくばの30年101人の証言 つくば実験/情熱劇場』 常陽新聞社、1996年5月25日。
- ^ a b c d 『流通会社年鑑 2001年版』 日本経済新聞社、2000年12月11日。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp cq cr cs ct cu cv cw cx cy cz da db dc dd 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版』 東洋経済新報社、2009年。
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