「尾身幸次」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
22行目: | 22行目: | ||
|サイトタイトル = |
|サイトタイトル = |
||
|国旗 = JPN |
|国旗 = JPN |
||
|職名 = 第6代 [[ |
|職名 = 第6代 [[財務大臣 (日本)|財務大臣]] |
||
|内閣 = [[第1次安倍内閣]] |
|内閣 = [[第1次安倍内閣]] |
||
|選挙区 = |
|選挙区 = |
||
62行目: | 62行目: | ||
'''尾身 幸次'''(おみ こうじ、[[1932年]]([[昭和]]7年)[[12月14日]] - [[2022年]]([[令和]]4年)[[4月14日]]<ref>{{Cite news |title=尾身幸次さん死去 元財務相、群馬1区 |newspaper=上毛新聞 |date=2022-4-28 |url=https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/108498 |accessdate=2022-4-28}}</ref>)は、[[日本]]の[[政治家]]、[[経済産業省|通商産業]]・[[科学技術庁|科学技術]][[官僚]]。位階勲等は[[正三位]][[旭日大綬章]]。 |
'''尾身 幸次'''(おみ こうじ、[[1932年]]([[昭和]]7年)[[12月14日]] - [[2022年]]([[令和]]4年)[[4月14日]]<ref>{{Cite news |title=尾身幸次さん死去 元財務相、群馬1区 |newspaper=上毛新聞 |date=2022-4-28 |url=https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/108498 |accessdate=2022-4-28}}</ref>)は、[[日本]]の[[政治家]]、[[経済産業省|通商産業]]・[[科学技術庁|科学技術]][[官僚]]。位階勲等は[[正三位]][[旭日大綬章]]。 |
||
[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]所属の[[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]](8期)。[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済企画庁長官]]([[第2次橋本内閣 (改造)|第54代]])、[[内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)|沖縄及び北方対策担当大臣]]([[第1次小泉内閣|第2代]])、[[内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)|科学技術政策担当大臣]]([[第1次小泉内閣|第2代]])、[[ |
[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]所属の[[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]](8期)。[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済企画庁長官]]([[第2次橋本内閣 (改造)|第54代]])、[[内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)|沖縄及び北方対策担当大臣]]([[第1次小泉内閣|第2代]])、[[内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)|科学技術政策担当大臣]]([[第1次小泉内閣|第2代]])、[[財務大臣 (日本)|財務大臣]]([[第1次安倍内閣|第6代]])等を歴任。 |
||
== 来歴・人物 == |
== 来歴・人物 == |
||
75行目: | 75行目: | ||
[[2005年]]の[[郵政国会]]では6月27日の[[自民党総務会]]の[[郵政民営化]]修正案の了承決議に賛成票を投じた<ref>「郵政法案修正協議 「解散回避」で決着急ぐ 執行部「背水の陣」を強調」『読売新聞』2005年6月29日付朝刊3面。</ref>。 |
[[2005年]]の[[郵政国会]]では6月27日の[[自民党総務会]]の[[郵政民営化]]修正案の了承決議に賛成票を投じた<ref>「郵政法案修正協議 「解散回避」で決着急ぐ 執行部「背水の陣」を強調」『読売新聞』2005年6月29日付朝刊3面。</ref>。 |
||
派内では[[町村信孝]]と並んで早くから安倍の総裁就任のために奔走し、主に派内のベテラン議員を安倍支持でまとめた<ref>「読者が選んだ県内10大ニュース 1位は警官による郵便局強盗」『読売新聞』2006年12月21日付群馬版朝刊30面。</ref>。[[2006年]][[9月26日]]、[[第1次安倍内閣|安倍内閣]]で[[ |
派内では[[町村信孝]]と並んで早くから安倍の総裁就任のために奔走し、主に派内のベテラン議員を安倍支持でまとめた<ref>「読者が選んだ県内10大ニュース 1位は警官による郵便局強盗」『読売新聞』2006年12月21日付群馬版朝刊30面。</ref>。[[2006年]][[9月26日]]、[[第1次安倍内閣|安倍内閣]]で[[財務大臣 (日本)|財務大臣]]に就任。翌年8月の内閣改造で離任。 |
||
[[2007年]]7月の[[群馬県#歴代知事(公選)|群馬県知事]]選挙で自民党公認候補の[[大沢正明]](当選)を積極的に支援しなかったとして自民党群馬県連より次回の国政選挙において県連として党本部に公認申請を出さない、という宣告を受けた。知事選挙の応援よりも長女・[[尾身朝子]]の参議院選挙応援を優先させたため、と言われる。だが、一転して[[2008年]]1月までに、[[群馬県第1区|群馬1区]]の全県議7人が公認推薦を内諾した。同年2月の[[前橋市|前橋]]市長選で自民党推薦候補を勝たせるために尾身後援会の不満を解消させる目的があるとみられている。 |
[[2007年]]7月の[[群馬県#歴代知事(公選)|群馬県知事]]選挙で自民党公認候補の[[大沢正明]](当選)を積極的に支援しなかったとして自民党群馬県連より次回の国政選挙において県連として党本部に公認申請を出さない、という宣告を受けた。知事選挙の応援よりも長女・[[尾身朝子]]の参議院選挙応援を優先させたため、と言われる。だが、一転して[[2008年]]1月までに、[[群馬県第1区|群馬1区]]の全県議7人が公認推薦を内諾した。同年2月の[[前橋市|前橋]]市長選で自民党推薦候補を勝たせるために尾身後援会の不満を解消させる目的があるとみられている。 |
||
128行目: | 128行目: | ||
{{s-off}} |
{{s-off}} |
||
{{succession box |
{{succession box |
||
| title = {{Flagicon|日本}} [[ |
| title = {{Flagicon|日本}} [[財務大臣 (日本)|財務大臣]] |
||
| before = [[谷垣禎一]] |
| before = [[谷垣禎一]] |
||
| years = 第6代:2006年 - 2007年 |
| years = 第6代:2006年 - 2007年 |
2023年1月7日 (土) 06:27時点における版
尾身 幸次 おみ こうじ | |
---|---|
| |
生年月日 | 1932年12月14日 |
出生地 | 日本 群馬県沼田市 |
没年月日 | 2022年4月14日(89歳没) |
死没地 | 日本 東京都 |
出身校 | 一橋大学商学部卒業 |
前職 | 通商産業省(現経済産業省)課長 |
所属政党 |
(無所属→) 自由民主党(清和政策研究会) |
称号 |
正三位 旭日大綬章 商学士(一橋大学・1956年) |
子女 | 長女・尾身朝子(衆議院議員) |
親族 | 孫・尾身智志(芸人) |
第6代 財務大臣 | |
内閣 | 第1次安倍内閣 |
在任期間 | 2006年9月26日 - 2007年8月27日 |
内閣 | 第1次小泉内閣 |
在任期間 | 2001年4月26日 - 2002年9月30日 |
第54代 経済企画庁長官 | |
内閣 | 第2次橋本改造内閣 |
在任期間 | 1997年9月11日 - 1998年7月30日 |
選挙区 |
(旧群馬1区→) (比例北関東ブロック→) (群馬1区→) 比例北関東ブロック |
当選回数 | 8回 |
在任期間 | 1983年12月19日 - 2009年7月21日 |
尾身 幸次(おみ こうじ、1932年(昭和7年)12月14日 - 2022年(令和4年)4月14日[1])は、日本の政治家、通商産業・科学技術官僚。位階勲等は正三位旭日大綬章。
自由民主党所属の衆議院議員(8期)。経済企画庁長官(第54代)、沖縄及び北方対策担当大臣(第2代)、科学技術政策担当大臣(第2代)、財務大臣(第6代)等を歴任。
来歴・人物
群馬県沼田市生まれ。家が困窮していたため、少年期は父親の商売を手伝い、しばしば行商にも出た。群馬県立沼田高等学校在学中も家業に従事し、就職コースで簿記等を学んだ。高校2年から進学コースに変更し[2][3]、1952年に一橋大学商学部入学。奨学金とアルバイトにより[4]。1956年に同大学を卒業し、通商産業省に入省する。同期には、杉山弘(通産事務次官)、野々内隆(資源エネルギー庁長官)、川崎弘(経企審議官、東京電力副社長)、守屋一彦(日本化学繊維協会理事長)など。
科学技術庁原子力局政策課課長補佐を2年間務めたのち[3]、1970年外務省在ニューヨーク日本総領事館領事。1974年、通商産業省通商政策局南アジア東欧課長。1976年、大阪通商産業局総務部長。1978年に中小企業庁小規模企業政策課長、1979年、科学技術庁長官官房総務課長。1981年、中小企業庁指導部長を歴任[5]し、衆院選に出馬するため1982年に退官。翌年末の第37回衆議院議員総選挙に無所属で出馬して初当選。その後自民党入りして福田派に所属し、先の選挙で落選・引退した久保田円次の地盤を引き継いだ。当選同期には田中直紀・熊谷弘・二階俊博・野呂田芳成・額賀福志郎・衛藤征士郎・田中秀征・北川正恭・伊吹文明・自見庄三郎・中川昭一・大島理森・野呂昭彦・鈴木宗男・甘利明などがいる。
1990年、大蔵政務次官、1992年、自由民主党商工部会長。当時、科学技術庁出身の唯一の国会議員として科学技術政策に詳しく、商工部会長経験後のポストとしては異例の「格下」にあたる自由民主党科学技術部会長に総務と兼務する形で1993年に就任。1968年に科学技術庁が成立を模索したものの日本社会党や日本学術会議の反対で頓挫した科学技術基本法の策定を試み、高原須美子等の協力を得ながら部会内に科学技術基本問題小委員会を設立して自ら委員長を務めるなどして議員立法により1995年に成立させた[6][3]。1995年、衆議院大蔵委員長。小選挙区比例代表並立制導入後は平成研究会の佐田玄一郎とコスタリカ方式で共闘。1997年、第2次橋本改造内閣において経済企画庁長官として初入閣。在任中は、ヤオハン、北海道拓殖銀行、山一證券と大企業が次々に破綻する困難な時期だった。1998年自由民主党選挙対策委員長の前身にあたる総務局長に就任。2000年、総裁・森喜朗の下で自民党幹事長代理に就任[7]。
2001年の第1次小泉内閣では沖縄及び北方対策担当大臣兼科学技術政策担当大臣を務め、沖縄科学技術大学院大学設立プロジェクト等にあたる[3]。また大臣時代は訪米中に、アメリカ同時多発テロが発生し、日程を急遽変更してボストンからニューヨークに移動し、現地状況の把握や米国関係者との意見交換や現地日本人の保護等に努めた[8]。2002年自由民主党科学技術創造立国・情報通信研究開発推進調査会会長[3]。
2005年の郵政国会では6月27日の自民党総務会の郵政民営化修正案の了承決議に賛成票を投じた[9]。
派内では町村信孝と並んで早くから安倍の総裁就任のために奔走し、主に派内のベテラン議員を安倍支持でまとめた[10]。2006年9月26日、安倍内閣で財務大臣に就任。翌年8月の内閣改造で離任。
2007年7月の群馬県知事選挙で自民党公認候補の大沢正明(当選)を積極的に支援しなかったとして自民党群馬県連より次回の国政選挙において県連として党本部に公認申請を出さない、という宣告を受けた。知事選挙の応援よりも長女・尾身朝子の参議院選挙応援を優先させたため、と言われる。だが、一転して2008年1月までに、群馬1区の全県議7人が公認推薦を内諾した。同年2月の前橋市長選で自民党推薦候補を勝たせるために尾身後援会の不満を解消させる目的があるとみられている。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙には自民党公認で公明党の推薦を受けて出馬した[11]が小選挙区で敗北。党の73歳定年制により比例北関東ブロックとの重複立候補をしていなかったため議席を失った[12]。同年9月17日、町村派の総会で政界引退を表明した[13]。
2010年4月に旭日大綬章を受章。2006年に特定非営利活動法人STSフォーラムを創立し、同法人の理事長も務める。2013年10月、自身が設立に関わった学校法人沖縄科学技術大学院大学学園理事に就任。公益財団法人天風会理事長、一般社団法人日本経営調査士協会名誉会長も務める。2013年マレーシア工科大学名誉博士、2014年1月ヨーク大学名誉博士、6月ケベック大学名誉博士。2018年2月沖縄科学技術大学院大学名誉博士[14]。
2022年4月14日、肺炎のため東京都内の病院で死去[15]。89歳没。死没日付をもって正三位に叙された[16]。
5月20日に自民党・尾身家合同葬が前橋市のベイシア文化ホールで営まれた[17]。葬儀委員長は安倍晋三[18]。
政策
- 選択的夫婦別姓制度の導入に賛成。2001年に党三役に選択的夫婦別姓制度について申し入れをしている[要出典]。
- 沖縄科学技術大学院大学、J-STAGE、産学官連携推進会議、科学技術基本法創設など[18]。
政治資金
- 政治資金パーティ
第1次安倍内閣の財務大臣任期中に開催したパーティの収入が約5340万円であることが産経新聞で報じられている[注 1][19]。
- 国と請負契約を結んだ企業からの献金
2008年6月5日、尾身が代表を務めていた自民党群馬県衆院比例区第2支部が、第43回衆議院議員総選挙公示翌日の2003年10月29日に国(法務省)と請負契約を結んでいた設備工事会社(群馬県高崎市)から100万円の寄付を受けていたことが報じられている[注 2][20]。
所属団体・議員連盟
著作
- 『誇れる日本を創る―決断と情熱の政策論―』(1991年/太陽企画出版)
- 『科学技術立国論―科学技術基本法解説―』(1996年/読売新聞社)
- 『科学技術で日本を創る』(2003年/東洋経済新報社)
- 『天風哲学実践記―人生を切り拓く―』(2010年/PHP研究所)
関連項目
脚注
注釈
出典
- ^ “尾身幸次さん死去 元財務相、群馬1区”. 上毛新聞. (2022年4月28日) 2022年4月28日閲覧。
- ^ 『天風哲学実践記―人生を切り拓く―』(2010年/PHP研究所)
- ^ a b c d e 「科学技術創造立国を目指す」社団法人如水会
- ^ 調査会社の会長ブログ、2008年2月28日
- ^ 「尾身 幸次」沖縄科学技術大学院大学
- ^ 「科学技術基本法について 制定に至る経緯」文部科学省
- ^ 「尾身 幸次」産官学の道しらべ
- ^ 「米で同時テロ 滞米の石原都知事、予定キャンセルしホテルで待機」『読売新聞』2001年9月12日付夕刊、第4面。
- ^ 「郵政法案修正協議 「解散回避」で決着急ぐ 執行部「背水の陣」を強調」『読売新聞』2005年6月29日付朝刊3面。
- ^ 「読者が選んだ県内10大ニュース 1位は警官による郵便局強盗」『読売新聞』2006年12月21日付群馬版朝刊30面。
- ^ “公明、比例15人を公認…自民128人も追加推薦”. 読売新聞. (2009年8月6日) 2009年11月24日閲覧。
- ^ “自民大物相次ぎ落選、常勝区でも議席明け渡す”. 読売新聞. (2009年8月31日) 2009年11月24日閲覧。
- ^ 『毎日新聞』 2009年9月17日
- ^ [1]琉球新報
- ^ “尾身幸次氏死去、89歳 財務相、沖縄・北方相など歴任”. 時事ドットコム. 時事通信社 (2022年4月28日). 2022年4月28日閲覧。
- ^ 『官報』第738号7頁 令和4年5月23日
- ^ “故尾身幸次元財務相の合同葬 首相「国家発展に多大な功績」”. 共同通信. (2022年5月20日) 2022年5月20日閲覧。
- ^ a b 故・尾身幸次さん(元財務相)「情熱の人」科学振興に尽くす追想録日本経済新聞2022年8月5日 5:00
- ^ 産経新聞 2008年9月12日
- ^ “尾身氏の党支部に100万寄付 03年衆院選公示直後に”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年6月5日) 2014年3月10日閲覧。
外部リンク
- 尾身幸次Action Wave - 閉鎖。(2009年10月3日時点のアーカイブ)
公職 | ||
---|---|---|
先代 谷垣禎一 |
財務大臣 第6代:2006年 - 2007年 |
次代 額賀福志郎 |
先代 笹川尭 |
科学技術政策担当大臣 第2代:2001年 - 2002年 |
次代 細田博之 |
先代 橋本龍太郎 |
沖縄及び北方対策担当大臣 第2代:2001年 - 2002年 |
次代 細田博之 |
先代 麻生太郎 |
経済企画庁長官 第54代:1997年 - 1998年 |
次代 堺屋太一 |
先代 高村正彦 高木正明 |
大蔵政務次官 山岡賢次と共同 1990年 |
次代 持永和見 上杉光弘 |
議会 | ||
先代 宮地正介 |
衆議院大蔵委員長 1995年 |
次代 久間章生 |