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2017年度の[[NHK杯テレビ将棋トーナメント]]の予選で1回戦で[[井上慶太]]に、2回戦で[[小林健二 (将棋棋士)|小林健二]]に、決勝で[[増田裕司]]にそれぞれ勝利し、69歳にして本戦出場。これは同年度同棋戦の本戦出場者50人の中で最高齢。1回戦で[[飯島栄治]]に敗れ、本戦勝利はならなかった。 |
2017年度の[[NHK杯テレビ将棋トーナメント]]の予選で1回戦で[[井上慶太]]に、2回戦で[[小林健二 (将棋棋士)|小林健二]]に、決勝で[[増田裕司]]にそれぞれ勝利し、69歳にして本戦出場。これは同年度同棋戦の本戦出場者50人の中で最高齢。1回戦で[[飯島栄治]]に敗れ、本戦勝利はならなかった。 |
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[[加藤一二三]]及び[[森雞二]]が規定により引退した2017年度以降は、桐山が最高齢かつ最古参、そして唯一の[[棋士番号]]2桁の現役棋士となっている。 |
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2018年3月末時点の公式戦通算勝利は992勝で、[[特別将棋栄誉賞|通算1000勝]]まであと8勝に迫るも、2018年度は前年度から26連敗<ref>公式戦の連敗記録では歴代2位となる。1位は[[野本虎次]]の31連敗で、3位は[[清野静男]]の25連敗。</ref>するほど大不振の年となり、[[第77期順位戦]]C級2組で2つ目の降級点を喫した。[[第32期竜王戦]]5組昇級者決定戦で[[伊奈祐介]]に勝利して連敗を止めたものの、この年度の公式戦勝利はこの1勝のみであった。 |
2018年3月末時点の公式戦通算勝利は992勝で、[[特別将棋栄誉賞|通算1000勝]]まであと8勝に迫るも、2018年度は前年度から26連敗<ref>公式戦の連敗記録では歴代2位となる。1位は[[野本虎次]]の31連敗で、3位は[[清野静男]]の25連敗。</ref>するほど大不振の年となり、[[第77期順位戦]]C級2組で2つ目の降級点を喫した。[[第32期竜王戦]]5組昇級者決定戦で[[伊奈祐介]]に勝利して連敗を止めたものの、この年度の公式戦勝利はこの1勝のみであった。 |
2020年7月16日 (木) 23:05時点における版
桐山清澄 九段 | |
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第67期王座戦第3局大盤解説会にて(2019年10月) | |
名前 | 桐山清澄 |
生年月日 | 1947年10月7日(77歳) |
プロ入り年月日 | 1966年4月1日(18歳) |
棋士番号 | 93 |
出身地 | 奈良県下市町 |
師匠 | 増田敏二六段 |
段位 | 九段 |
棋士DB | 桐山清澄 |
戦績 | |
タイトル獲得合計 | 4期 |
一般棋戦優勝回数 | 7回 |
2015年2月8日現在 |
桐山 清澄(きりやま きよずみ、1947年10月7日 - )は、将棋棋士。棋士番号は93。増田敏二六段門下。奈良県下市町出身。棋聖、棋王のタイトルを獲得。竜王戦1組通算7期、名人戦A級通算14期。
棋歴
1957年4月、9歳で升田幸三門下となり上京して内弟子となるが、慣れない環境もありホームシックのために同年7月に帰郷する[2]。
1958年、7級で増田敏二門下として再度、入門。旧制度の奨励会三段リーグに1964年前期から在籍。3期目に11勝1敗というずば抜けた成績で関西優勝をするが、中原誠との東西決戦で昇段を逃す。しかし、次期の1965年度後期で再び11勝1敗で1位となり、規定により東西決戦なしで四段昇段(プロ入り)を果たす。
順位戦では、第23期(1968年度)のC級2組で11勝1敗(1位)、第24期(1969年度)のC級1組で10勝2敗(2位)、第27期(1972年度)のB級2組で8勝2敗(1位)でそれぞれ昇級。そして、第29期(1974年度)のB級1組で12勝1敗で1位の成績を収め、1975年4月にA級八段となった。四段から八段までの昇段が、すべて順位戦の規定での昇段である。以降、12期連続でA級在籍。
1975年度、王座戦の決勝三番勝負で中原誠を2-0で破り、棋戦初優勝[3]。
1976年度前期の棋聖戦でタイトル初挑戦。大山康晴に1-3で敗れ、奪取はならなかった。
1976年度前期の早指し選手権戦で優勝。同棋戦では、1983年度に2度目の優勝をしている。
1980年度の順位戦A級リーグにおいて7勝2敗で優勝し、1981年の名人戦の挑戦者となるが、中原との七番勝負は1-4で敗退。1983年度の第22期十段戦でも中原に挑戦したが、七番勝負は2-4で敗退。
1982年度、第1回全日本プロトーナメントにおいて、決勝三番勝負で青野照市に2-1で勝利し、初代優勝者となる。
1984年度、第10期棋王戦五番勝負で米長邦雄四冠王を3-1で破り、初のタイトル獲得。米長の永世棋王獲得(5連覇)を阻止した。翌年度、谷川浩司に0-3で奪われる。
1986年度から1987年度前半にかけては、大活躍する。第48期(1986年度前期)棋聖戦五番勝負で、またも米長邦雄からタイトル奪取し(3-1)、2度目のタイトル獲得。王座戦で中原誠に挑戦(0-3で敗退)。第49期(1986年度後期)棋聖戦で南芳一の挑戦を3-1で退け、タイトル初防衛。さらに、第50期(1987年度前期)棋聖戦で西村一義の挑戦を3-0のストレートで下し、棋聖3連覇(半年後に、南芳一に0-3で奪われる)。
1988年度、第1期竜王戦で1組優勝。
2007年8月9日、公式戦通算900勝を達成した。史上9人目で、59歳での達成は最年長記録[4]。
還暦を超えてからも各棋戦において健闘し、3組在位で迎えた50代最後の竜王戦(2007年度、第20期)では決勝戦まで勝ち進み2組昇級を決めた[5]。
2017年度のNHK杯テレビ将棋トーナメントの予選で1回戦で井上慶太に、2回戦で小林健二に、決勝で増田裕司にそれぞれ勝利し、69歳にして本戦出場。これは同年度同棋戦の本戦出場者50人の中で最高齢。1回戦で飯島栄治に敗れ、本戦勝利はならなかった。
加藤一二三及び森雞二が規定により引退した2017年度以降は、桐山が最高齢かつ最古参、そして唯一の棋士番号2桁の現役棋士となっている。
2018年3月末時点の公式戦通算勝利は992勝で、通算1000勝まであと8勝に迫るも、2018年度は前年度から26連敗[6]するほど大不振の年となり、第77期順位戦C級2組で2つ目の降級点を喫した。第32期竜王戦5組昇級者決定戦で伊奈祐介に勝利して連敗を止めたものの、この年度の公式戦勝利はこの1勝のみであった。
2019年度も公式戦で連敗が続き、2020年1月16日に行われた第78期順位戦C級2組8回戦で高見泰地に敗れ0勝8敗となり、この時点で3つ目の降級点が確定しフリークラスへ陥落。年齢制限により竜王戦を除く2020年度以降の公式戦の参加資格を失った。この年度も順位戦9回戦で近藤正和に勝利した1勝のみに終わった。
第33期竜王戦で5組在籍を維持した場合のみ、竜王戦に限り第34期に出場が可能であったが、2020年7月7日に行われた竜王戦5組残留決定戦で井出隼平を千日手指し直しの末に破り、現役続行を決めるとともに通算995勝目を挙げた。
棋風
- 攻めの棋風であるが、銀を巧みに用いる事からニックネームは「いぶし銀」。風貌から「カラス天狗」ともいわれる。
- 代表する得意戦法も挙げにくいので、川口篤(河口俊彦六段・当時)は「桐山将棋を語るのはなかなか難しい。」と述べている[7]。
人物
- 名前の「清澄」は「きよずみ」と読むのが正しいが、長らく、周囲からも関係者からも「きよすみ」と誤読されていた[8]。
- 当初上京して升田幸三の下で内弟子となったが、ホームシックになって関西に帰って奨励会入りした。
- プロとなった弟子に、矢倉規広と豊島将之がいる。
昇段履歴
- 1958年 7級 = 奨励会入会
- 1963年 初段
- 1966年4月1日 四段 = プロ入り
- 1969年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
- 1970年4月1日 六段(順位戦B級2組昇級)
- 1973年4月1日 七段(順位戦B級1組昇級)
- 1975年4月1日 八段(順位戦A級昇級)
- 1984年10月9日 九段(勝数規定)
主な成績
獲得タイトル
一般棋戦優勝
- 王座戦 1回(第23回[3])
- 全日本プロトーナメント 1回(第1回)
- 早指し選手権戦 3回(第8回・17回)
- 勝ち抜き戦(5勝以上) 1回(第2回)
- 古豪新鋭戦 1回(第12回)
- 名将戦 1回(第14期)
- 優勝合計 7回
在籍クラス
竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。
将棋大賞
- 第2回(1974年度) 勝率第一位賞
- 第3回(1975年度) 殊勲賞
- 第8回(1980年度) 敢闘賞
- 第10回(1982年度) 敢闘賞
- 第11回(1983年度) 最多勝利賞・技能賞
- 第12回(1984年度) 殊勲賞
主な著書
- 振飛車戦法 振飛車のコツをつかむ(1980年10月、創元社、ISBN 4-422-75053-4)
- 桐山の名局 一手精読・現代将棋4(1984年、筑摩書房)
- 桐山の振飛車戦法 次の一手形式で初段を突破する!(1988年12月、土屋書店、ISBN 4-8069-1508-4)
- アマの将棋ここが悪い! 次の一手形式(全3巻、創元社、ISBN 4-422-75041-0 ほか)
- ひねり飛車戦法 攻めて攻めて攻めまくれ!(2003年2月、創元社、ISBN 4-422-75085-2)
関連項目
脚注
- ^ 「将棋世界」2000年1月号付録
- ^ 「将棋世界」2020年5月号 P.8-P.11「師弟・2人の師匠」野澤亘伸
- ^ a b 当時の王座戦は、まだタイトル戦ではなく優勝棋戦であった(1983年度からタイトル戦となった)。
- ^ それまでの最年長記録は有吉道夫九段の57歳であった。
- ^ 決勝は久保利明に敗れ、本戦出場には至らなかった。
- ^ 公式戦の連敗記録では歴代2位となる。1位は野本虎次の31連敗で、3位は清野静男の25連敗。
- ^ 『将棋マガジン』1985年6月号「桐山清澄九段の燻し銀の芸(2018.04.16)」
- ^ 桐山がタイトル戦(2005年頃?の竜王戦か名人戦)の立会人としてNHKの生中継に出演した際、「きよずみ」が正しいけれども愛称として「きよすみ」と呼んでもらっている、という旨を、笑みを浮かべながら発言した。日本将棋連盟のサイトの棋士紹介ページで「清澄」の読みが訂正されたのは、そのすぐ後のことである。