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{{Otheruses|ネーレーイデスの一人|ティーターンの一人である海の女神|テーテュース|土星の衛星(テーテュースに由来)|テティス (衛星)}}
{{Otheruses|ネーレーイデスの一人|ティーターンの一人である海の女神|テーテュース|土星の衛星(テーテュースに由来)|テティス (衛星)}}
[[File:Thetis Peleus Cdm Paris 539.jpg|thumb|180px|[[ペーレウス]]に奪われるテティス([[紀元前490年]]、[[エトルリア]])]]
[[File:Thetis Peleus Cdm Paris 539.jpg|thumb|270px|テティスを捕らえようとするペーレウス描いた[[アッティカ]][[赤絵式]][[キュリク]]([[紀元前490年]]、[[エトルリア]])。[[パリ]]、[[フランス国立図書館]]、キャビネ・デ・メダイユ所蔵。]]
[[File:Júpiter y Tetis, por Dominique Ingres.jpg|thumb|270px|[[ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル]]の1811年の絵画『[[ユピテルとテティス]]』。[[エクス=アン=プロヴァンス]]、[[グラネ美術館]]所蔵。]]
[[File:Thetis_garni.jpg|thumb|180px|[[古代ローマの公衆浴場|ローマ浴場]]の[[モザイク]]床に描かれたテティス(西暦1~3世紀、[[アルメニア]]の[[:en:Garni|ガルニ神殿]])]]
'''テティス'''({{lang-grc-short|'''Θέτις'''}}, {{ラテン翻字|el|Thetis}})は、[[ギリシア神話]]に登場する海の[[女神]]である。[[海神]][[ネーレウス (ギリシア神話の神)|ネーレウス]]と[[ドーリス (ギリシア神話)|ドーリス]]の娘たち([[ネーレーイス]])の1人<ref>ヘーシオドス『神統記』244行。</ref><ref>アポロドーロス、1巻2・7。</ref>。一説には[[ケンタウロス族]]の賢者[[ケイローン]]の娘<ref>ヒュギーヌス『天文譜』2巻18。</ref><ref>ロドスのアポローニオス『アルゴナウティカ』1巻558への古註。</ref><ref>クレータのディクテュス、1巻14、6巻7。</ref>。[[テッサリアー]]地方の[[プティーア]]の王[[ペーレウス]]と結婚し、[[トロイア戦争]]最大の英雄[[アキレウス]]の母となった<ref>ヘーシオドス『神統記』1006行-1007行。</ref><ref>アポロドーロス、3巻13・5-13・6。</ref><ref>[[シケリアのディオドロス]]、4巻72・6。</ref>。
[[File:(2) Flaxman Ilias 1793, gestochen 1795, 185 x 251 mm.jpg|thumb|180px|テティスが[[ヘカトンケイル]]を喚び出し、[[ポセイドーン]]、[[アテーナー]]と[[ヘーラー]]の手から[[ゼウス]]を救った。]]

'''テティス'''({{lang-grc-short|'''Θέτις'''}}, {{ラテン翻字|el|Thetis}})は、[[ギリシア神話]]に登場する海の[[女神]]である。[[ネーレウス (ギリシア神話の神)|ネーレウス]]と[[ドーリス (ギリシア神話)|ドーリス]]の娘たち([[ネーレーイス]])の1人であり、英雄[[アキレウス]]の母である。
[[ホメーロス]]と[[ヘーシオドス]]からは「銀の足のテティス」と呼ばれている<ref>『イーリアス』18巻127行。</ref><ref>『神統記』1006行。</ref>。ギリシア神話の他の水域の神々と同様にあらゆるものに[[変身]]する能力を持ち、[[予言]]の才能に長けていた。神話では古い海神ネーレウスの娘でありながら[[オリュムポス]]の神々と密接に結びついている。ホメーロスの[[叙事詩]]『[[イーリアス]]』などによるとテティスを養育したのは[[ヘーラー]]とされ、テティスもヘーラーに恩を感じていた。またテティスは苦難に陥った神々の救済者・保護者として語られ、[[ゼウス]]と[[ポセイドーン]]から求婚されたことも伝えられている。『イーリアス』ではアキレウスの運命を悲嘆しながらも、息子に尽力する母として大きく取り上げられており、物語が展開するうえでの重要人物として描かれている。テティスとペーレウスの結婚は『イーリアス』でもしばしば言及されており、また前日譚である失われた叙事詩『[[キュプリア]]』では2人の結婚がトロイア戦争のきっかけとなったことが語られていた。紀元前7世紀ごろの[[スパルタ]]出身の[[抒情詩人]][[アルクマーン]]はテティスに関する詩を作った。アルクマーンの詩は現存するわずかな断片から宇宙論的な性格のものであったと推測されている{{Refnest|group="注釈"|Bowra (1961) 25-6, Barrett (1961) 689, {{仮リンク|マーティン・リッチフィールド・ウェスト|en|Martin Litchfield West|label=West}} (1963) 154-56, West (1967) 1-15, Penwill (1974) 15, [[マルセル・ドゥティエンヌ|Detienne]] and [[ジャン=ピエール・ヴェルナン|Vernant]] (1978) ch.5, Segal (1985) 179.<ref name="Noriko Yasumura">Noriko Yasumura, Cosmogonic Fragment of Alcman (Oxyrhynchus Papyri XXIV).</ref>}}。

[[ヘーロドトス]]、[[パウサニアス]]の著作によって[[マグネーシア]]地方<ref name=Hero_7_191>ヘロドトス、7巻191。</ref>、および[[ラコーニア]]地方と[[メッセニア]]地方で崇拝されたことが知られている<ref>パウサニアス、3巻14・4-5。</ref>{{Refnest|group="注釈"|Der Kleine Pauly はテッサリアー地方,スパルタ,ギュテイオン,エリュトライで崇拝されたとする<ref name="角田">角田幸彦「ホメロス作品世界の精神史的考察 新稿」。</ref>。}}。


== 神話 ==
== 神話 ==
=== テティスの結婚 ===
=== 救済者・保護者としてのテティス ===
====神々の反乱を鎮める====
テティスは[[ゼウス]]と[[ポセイドーン]]に、妻にと望まれた。しかし[[テミス]]の「父より優れた子供を産む」という[[予言]]のために彼らはあきらめた<ref name=Ap_3_13_5>[[アポロドーロス]]、3巻13・5。</ref>。ゼウスに「生まれてきた子がゼウスを追い出して支配者となる」と教えてあきらめさせたのは[[プローテウス]]だという説もあれば<ref>[[オウィディウス]]『[[変身物語]]』11巻。</ref>、[[プロメーテウス]]だという説もある<ref name=Ap_3_13_5 /><ref>[[ヒュギーヌス]]、54話。</ref>。その後テティスはゼウスの不興を買い、[[プティーア]]の王[[ペーレウス]]と結婚させられることになった。テティスはさまざまに姿を変えて逃げようとしたが、結局[[ケイローン]]に知恵を授けられたペーレウスに捕まり、結婚することとなった<ref name=Ap_3_13_5 />。{{要出典|範囲=一説には'''テティス'''が逆にペーレウスを好きになり、女神と人間という婚礼は異例なもののテミスの予言により認めざるをえなかったという説もある。|date=2010年8月}}
[[File:(2) Flaxman Ilias 1793, gestochen 1795, 185 x 251 mm.jpg|thumb|220px|{{仮リンク|ジョン・フラックスマン|en|John Flaxman}}が描いたテティス(1793年)。ブリアレオースを喚び出し、ヘーラー、ポセイドーン、アテーナーからゼウスを救う様子を描いている。]]
『イーリアス』におけるテティスは困難に直面した神々の救済者として語られている。かつて[[オリュムポス]]で[[ヘーラー]]、[[ポセイドーン]]、[[アテーナー]]が反乱を起こし[[ゼウス]]を拘束するという事件が起きた。このとき神々の中でただ1人テティスだけがゼウスの味方をした。テティスは[[ヘカトンケイル]]の1人ブリアレオース(別名アイガイオーン)に知らせ、ゼウスの味方として馳せ参じさせた。すると神々はブリアレオースを恐れるあまりゼウスに近づくことさえ出来なかった。テティスはそのすきに縄を解いてゼウスを解放した<ref>『イーリアス』1巻396行-406行。</ref>{{Refnest|group="注釈"|紀元4世紀ごろのクイントゥスがヘーパイストス、ディオニューソスを保護したエピソードとともに簡単に言及するという例はあるが<ref>クイントゥス『トロイア戦記』2巻。</ref>『イーリアス』以外ではほぼ知られていない伝承である。}}。


====他の神々の保護====
結婚はペーリオン山で行われたが、神々は宴席をはり、さまざまな贈り物をしたという。このときケイローンはとねりこの槍を贈り、ポセイドーンは馬の[[クサントス (ギリシア神話)|クサントス]]と[[バリオス]]を贈った<ref name=Ap_3_13_5 />(『[[イーリアス]]』ではアキレウスがこれらを用いている)。
テティスは鍛冶神ヘーパイストスや酒神ディオニュソースをも苦難から助け出した。ヘーパイストスは生まれてまもなく母のヘーラーによって天から海に捨てられた。これはヘーラーがヘーパイストスの不自由な足を嫌ったためと語られている。しかしテティスと[[エウリュノメー]]はヘーパイストスを助け9年の間海底で匿った。その間ヘーパイストスは2人のために様々な宝飾を制作した<ref>『イーリアス』18巻。</ref>{{Refnest|group="注釈"|『[[ホメーロス風讃歌]]』第3歌「アポローン讃歌」やアポロドーロスではヘーパイストスを助けたのはテティス1人となっている<ref>『ホメーロス風讃歌』第3歌「アポローン讃歌」319行-320行。</ref><ref>アポロドーロス、1巻3・5。</ref>。}}。こうした経緯からヘーパイストスはテティスに恩義を感じ、トロイア戦争の際にはテティスの息子アキレウスのために手ずから槌を握って見事な武具を作り上げた。


テティスがディオニューソスを救ったのは[[トラーキア]]の残忍な王[[トラキアのリュクルゴス|リュクールゴス]]に襲われたときである。リュクールゴスはニューセイオンの山でディオニューソスの乳母を追い回し、女たちを撲殺しただけでなくディオニューソスを脅喝した。ディオニューソスは命からがら海に逃げ込み、恐怖で震えていたところをテティスに助けられた<ref>『イーリアス』6巻。</ref><ref>アポロドーロス、3巻5・1。</ref>。
この宴席にはすべての神が招かれたが、争いの神[[エリス (ギリシア神話)|エリス]]だけは招かれなかった。エリスは怒って宴席に乗り込み、「最も美しい女神にあたえる」として[[黄金の林檎]]を投げ入れた。この林檎をめぐって3人の女神[[ヘーラー]]、[[アテーナー]]、[[アプロディーテー]]が争った。ゼウスは仲裁するために「[[イーリオス]]王[[プリアモス]]の息子で、現在は[[カズ・ダー|イーデー山]]で羊飼いをしている[[パリス]](アレクサンドロス)に判定させる」こととした([[パリスの審判]])。女神たちはさまざまな約束をしてパリスを買収しようとしたが、結局「最も美しい女を与える」としたアプロディーテーが勝ちを得た。「最も美しい女」とはすでに[[スパルタ]]王[[メネラーオス]]の妻となっていた[[ヘレネー]]のことで、これがイーリオス攻め([[トロイア戦争]])の原因となった。


=== アキレウス ===
=== 神々求婚 ===
====イストミア祝勝歌====
結婚後、テティスはアキレウスを産んだ。テティスは常にアキレウスのことに気を配り、不死の体にしたり、死ぬという予言の成就を避けるためイーリオス攻めに参加しないように忠告したり、[[ヘーパイストス]]に頼んで鎧を作ってもらったりしたが、願いむなしくアキレウスはイーリオス攻めで戦死してしまった。この時のアキレウスを弓で討ち取ったのはパリスとされる。
テティスが英雄ペーレウスと結婚した経緯はいくつかの説がある。[[ピンダロス]]によるとテティスは[[ゼウス]]と[[ポセイドーン]]から結婚を望まれた。しかし[[テミス]]が「テティスは父親よりも偉大な子供を生む定めにあり、子供は長じてゼウスの雷撃やポセイドーンの[[三叉戟]]を越える武器を振るうだろう」と[[予言]]した。それだけでなく、むしろ人間に与えて生まれた子供は戦場で戦死させるのが良いと助言し、[[イオールコス]]で最も敬虔な英雄ペーレウスと結婚させることを勧めた。この物語ではテティスと結婚することは、ゼウスあるいはポセイドーンの息子から王権を簒奪するライバルが出現することを意味している。そのため彼らはテティスとの結婚を諦めざるを得ない<ref>ピンダロス『イストミア祝勝歌』第8歌27行-47行</ref>。


[[アイスキュロス]]の[[ギリシア悲劇|悲劇]]『[[縛られたプロメーテウス]]』はこの物語を下敷きとしている。[[プロメーテウス]]は母テミスから教えられたとして、ゼウスと結婚する女性が強い子供を生み、王位を簒奪すると予言する。アイスキュロスはどの女性から簒奪者が生まれるかについては明言していないが、[[アポロドーロス]]と[[ヒュギーヌス]]はプロメーテウスの予言した女性をテティスとしている<ref name=Ap_3_13_5>アポロドーロス、3巻13・5。</ref><ref>ヒュギーヌス、54話。</ref>。特にアポロドーロスは予言者をテミスとする説に加えてプロメーテウスの名を挙げて「生まれてきた子が天の支配者となる」と述べている。これに対して[[オウィディウス]]は海の老人[[プローテウス]]としている<ref>[[オウィディウス]]『[[変身物語]]』11巻。</ref>。
ちなみにヘーパイストスにとっては、テティスは育ての母であるとも言う。ヘーパイストスは生まれてまもなく母のヘーラーに醜い姿を嫌われて下界に捨てられ、衰弱していたところをテティスと[[エウリュノメー]]が見つけて育てたという経緯がある。テティスが武具を失ったアキレウスのために武具を所望した際も手ずから槌を握って見事な鎧を送った<ref>『イーリアス』18巻。</ref>。

<div class="thumb tright">
<div class="NavFrame" style="text-align:left;font-size:80%">
; テティスの系図([[ヘーシオドス]]『[[神統記]]』他より)
{{familytree/start|style=font-size:75%;line-height:90%;}}
{{familytree | border=1| | | | | | NEL |y| DOR | | NEL=[[ネーレウス (ギリシア神話の神)|ネーレウス]] |DOR=[[ドーリス (ギリシア神話)|ドーリス]]}}
{{familytree | border=1| | |,|-|-|-|-|-|^|-|-|-|-|-|-|-|.| }}
{{familytree | border=1| | PSA |y|~| AIA |~|y| END | | |!| | END=[[エンデーイス]] | AIA=[[アイアコス]] | PSA=[[プサマテー]]}}
{{familytree | border=1| | | | |!| | | |,|-|^|-|.| | | |!| | }}
{{familytree | border=1| | | | PHO | | TEL | | PEL |y| THE | | PHO=[[ポーコス]] |TEL=[[テラモーン]] | PEL=[[ペーレウス]] | THE='''テティス'''}}
{{familytree | border=1| | | | | | | | | | | | | | |!| | | | | | | }}
{{familytree | border=1| | | | | | | | | | | | | | ACH |y| DEI | | ACH=[[アキレウス]] | DEI=[[デーイダメイア]]}}
{{familytree | border=1| | | | | | | | | | | | | | | | |!| | | | | }}
{{familytree | border=1| | | | | | | | ORE |y| HER |~| NEO |y| AND | | ORE=[[オレステース]] | HER=[[ヘルミオネー]]| NEO=[[ネオプトレモス]]| AND=[[アンドロマケー]]}}
{{familytree | border=1| | | | | | | | | | |!| | | | | | | |!| | | }}
{{familytree | border=1| | | | | | | | | | TIS | | | | | | MOR | | TIS=[[ティーサメノス]] | MOR=[[モロッソス]]}}
{{familytree | border=1| | | | | | | | | | | | | | | | | | | }}
{{familytree/end}}</div></div>
====キュプリア断片====
叙事詩『キュプリア』によると、[[モーモス]]がトロイア戦争を起こすためテティスを人間と結婚させることをゼウスに助言した。ヘーラーに好意的であったテティスはゼウスの求婚を避けたため、怒ったゼウスは彼女を人間に娶すことを誓った<ref>『キュプリア』断片(ピロデモス『敬虔について』B7241-50)。</ref>。

====ネメア祝勝歌====
一方、これらの説と異なる伝承をやはりピンダロスが伝えている。それによるとテティスはケイローンの助言を受けたペーレウスに取り抑えらえ、炎や[[ライオン]]など様々なものに変身して逃れようとしたが、とうとう観念して妻になることを認めたという<ref>ピンダロス『ネメア祝勝歌』第4歌62行-65行。</ref><ref name=Ap_3_13_5 />。

=== ペーレウスとの結婚 ===
[[File:The feast of the gods at the wedding of Peleus and Thetis.jpg|thumb|240px|[[アブラハム・ブルーマールト]]の絵画『ペレウスとテティスの結婚』(1638年)。[[デン・ハーグ]]、[[マウリッツハイス美術館]]所蔵。]]
こうして2人は結婚することになった。[[結婚式]]はペーリオン山で行われた。結婚式には神々も祝福に訪れ、さまざまな贈り物をした。このときケイローンはとねりこの槍を贈り、ポセイドーンは馬の[[クサントス (ギリシア神話)|クサントス]]と[[バリオス]]を贈った<ref name=Ap_3_13_5 />(『[[イーリアス]]』ではアキレウスがこれらを用いている)。

結婚式にはすべての神が招かれたが、争いの神[[エリス (ギリシア神話)|エリス]]だけは招かれなかった。エリスは怒って宴席に乗り込み、「最も美しい女神に贈る」として[[黄金の林檎]]を投げ入れた。この林檎をめぐって3人の女神[[ヘーラー]]、[[アテーナー]]、[[アプロディーテー]]が争った。ゼウスは仲裁するために[[イーリオス]]王[[プリアモス]]の息子で、現在は[[カズ・ダー|イーデー山]]で羊飼いをしている[[パリス]](アレクサンドロス)に判定させることとした([[パリスの審判]])。女神たちは様々な約束をしてパリスを買収しようとしたが、結局「最も美しい女を与える」としたアプロディーテーが勝ちを得た。「最も美しい女」とはすでに[[スパルタ]]王[[メネラーオス]]の妻となっていた[[ヘレネー]]のことで、これがギリシアの[[トロイア戦争]]の原因となった<ref>プロクロス『文学便覧』「キュプリア梗概」。</ref>。

=== アキレウスの出産と別離 ===
[[File:Peter Paul Rubens 181.jpg|thumb|240px|[[ルーベンス]]の『ステュクスの流れにアキレウスを浸すテティス』(1630年-1635年頃)。[[ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館]]所蔵。]]
結婚後、テティスはペーレウスとの間に多くの子供を産んだと伝えられている。ところがテティスは子供の[[不死|不死性]]を確かめるため赤子を水の満ちた大釜に投じては溺死させた。こうして多くの赤子が死んだため、ペーレウスは怒ってテティスの行動を阻んだ。このとき助かった赤子が後のアキレウスである<ref name=Aig_fr>『{{仮リンク|アイギミオス|en|Aegimius (poem)}}』断片(ロドスのアポローニオス『アルゴナウティカ』4巻816行への古註)。</ref>。

テティスがアキレウスを不死にしようと試みたことも伝えられている。テティスがアキレウスの踵を掴んで[[ステュクス]]の流れに浸すと身体の大部分は不死となった。しかし踵はステュクスに浸からなかったため、アキレウスの唯一の弱点となった<ref>[[スタティウス]]『アキレイス』1巻269行。</ref>。[[エレウシス]]の[[デーメーテール]]神話とよく似た伝承によると、テティスは毎晩のようにアキレウスを火にくべて人間の部分を焼き、昼間は[[アムブロシア]]を塗り、不死を与えようとした。しかしテティスはこの行いを秘密にしていたため、夜にその光景を目撃したペーレウスは驚いてテティスを止めた。目的を阻まれたテティスはアキレウスと夫を捨てて海に去った<ref>ロドスのアポローニオス、4巻866行-870行。</ref><ref name=Ap_3_13_6>アポロドーロス、3巻13・6。</ref>。その後アキレウスはケイローンのもとで養育された<ref name=Ap_3_13_6 />。

しかしテティスは夫や子供のことを忘れたわけではなかった。ペーレウスが[[アルゴー船]]の冒険に参加したとき、ヘーラーに説得されて<ref>ロドスのアポローニオス、4巻780行-841行。</ref>アルゴナウタイがパイアーケス人の国にたどり着くまでの間、荒波とプランクタイの岩礁から船を救った。すなわちテティスは岩礁を避けるため船の舵を取り、またネーレーイデスたちは船の周りを廻り、船が岩礁に近づくたびに船を持ち上げて空中に投じ、岩礁から遠ざけた<ref>ロドスのアポローニオス、4巻866行-870行。</ref><ref>アポロドーロス、1巻9・25。</ref>{{Refnest|group="注釈"|[[古代ローマ]]の詩人[[カトゥルス]]の詩によると、ペーレウスがテティスを見染めたのはアルゴー船が出航した際に、テティスが[[アムピトリーテー]]のお供として見物に現れたときである<ref>松田治『トロイア戦争全史』p.15。</ref>。}}。

またアキレウスが9歳のとき、[[ミュケーナイ]]王[[アガメムノーン]]らはトロイアに遠征する準備を進めており、[[カルカース]]の予言によってトロイア攻略にどうしてもアキレウスの力が必要とされた。しかしテティスはアキレウスが戦争に参加したら必ず死ぬことを予知し、アキレウスに[[女装]]させて[[スキューロス島]]の[[リュコメーデース]]王に女として育てるよう預けた。しかしアキレウスは[[オデュッセウス]]によって女装を見破られ、戦争に参加することになった<ref>アポロドーロス、3巻18・8。</ref>。

=== トロイア戦争 ===
テティスはトロイア戦争では息子のために献身的に行動し、またアキレウスの死に関して多くの予言をしている。海を渡ったギリシア軍が{{仮リンク|テネドス島|en|Tenedos}}を攻撃したとき、テティスが[[テネース]]王(アポローンの子)を殺せばアポローンの報復を受けて死ぬことになると予言した。しかしそれにもかかわらずアキレウスはテネースを殺してしまう<ref>アポロドーロス、摘要(E)3・26。</ref>。またテティスはトロイアに最初に上陸した者は必ず命を落とすと予言したため、誰も船から降りようとしなかった。このときピュラケーの武将[[プローテシラーオス]]が勇敢にも真っ先に上陸し、トロイア軍との最初の戦闘で[[ヘクトール]]に討たれた<ref>アポロドーロス、摘要(E)3・29。</ref>。

====『イーリアス』====
[[File:Anthonis van Dyck 066.jpg|thumb|left|240px|[[アンソニー・ヴァン・ダイク]]の絵画『ヘパイストスからアキレウスの武具を受け取るテティス』(1630年-1632年)。[[ウィーン]]、[[美術史美術館]]所蔵。]]
『イーリアス』ではアキレウスの言葉によると「戦場に留まれば生きて帰国できないが、すぐに帰国したならば天寿を全うできる」と予言し<ref>『イーリアス』9巻410行-416行。</ref>、トロイアの城壁の下でアポローンの矢を受けて命を落とすこと<ref>『イーリアス』21巻277行。</ref>{{Refnest|group="注釈"|アキレウスに討たれたヘクトールが息を引き取る前に予言した言葉ではパリスとアポローン<ref>『イーリアス』22巻359行。</ref>。}}、またパトロクロスが死ぬことも予言していた<ref>『イーリアス』18巻9行-11行。</ref>。

『イーリアス』第1巻でアガメムノーンの要求に激怒したアキレウスはアガメムノーンが謝罪するまで戦うことを拒否した。このときアキレウスの嘆きを聞いたテティスは海底から現れ、アキレウスの望みをかなえるために[[オリュムポス]]のゼウスの王宮に行き、アガメムノーンがアキレウスに謝罪して復帰を要請するまで、トロイアの味方をしてギリシア軍を苦しめてほしいと懇願する。テティスがゼウスの前に座り、左手で膝に触れ、右手でゼウスのあごに触れながら懇願するとゼウスは沈黙していたが、再度の懇願でしぶしぶ承諾した<ref>『イーリアス』1巻364以下。</ref>。これ以降ギリシア人は連日苦戦を強いられることとなった。

アキレウスの代わりに出陣した[[パトロクロス]]がヘクトールに討たれたときも、テティスは海底で息子の悲痛な叫びを聞き、悲しみに囚われる。慰めようとする姉妹たちにテティスは漏らす。「私は成長した息子をトロイアに送り出しましたが、再び彼をペーレウスの王宮で迎えることは出来ないでしょう。息子はまだ生きていますが、私が行っても彼の抱える悩みには何の助けにもならないのです。それでも戦場から遠ざかっている間にどんな悲しいことがあったのか聞くために参りましょう」。そう言って姉妹たちを引き連れて海から現れたテティスは、親友の仇を取ろうとはやるアキレウスに、ヘクトールを討った後でアキレウス自身も死ぬことになると予言し、戦場に出るのを止めようとする。しかしこの言葉はアキレウスを苛立たせただけであり、アキレウスの意志を変えられないと分かると、オリュムポスの鍛冶神[[ヘーパイストス]]の工房に行き、武具を失った息子のために新たな武具を作ってくれるよう依頼する<ref>『イーリアス』18巻35行-72行。</ref>。そしてヘーパイストスから武具を受け取りアキレウスに渡す。またアキレウスがパトロクロスの遺体の腐敗を心配するので、遺体の鼻孔からアムブロシアーとネクタルを体内に滴らせ、腐敗から保護する<ref>『イーリアス』19巻1行-39行。</ref>。

24巻ではアキレウスがヘクトールを討ち、その遺体を戦車に結びつけてパトロクロスの墳墓の周囲を引き回したため、ヘクトールを憐れんだ神々から[[ヘルメース]]を遣わして遺体を盗み出すという意見が出た。しかしテティスから恨まれることを嫌ったゼウスはアキレウスの面目を立てることを第一に考え、[[イーリス]]にテティスを呼びに行かせた。テティスがオリュムポスに現れると、ゼウスは彼女にアキレウスがヘクトールの遺体を返還するよう働きかけることを依頼する。そこでテティスがゼウスの意志を伝えるとアキレウスはその要請に応じ、密かにギリシア陣営を訪れた老王[[プリアモス]]を招き入れる<ref>『イーリアス』24巻1行以下。</ref>。

====テティスとエーオース====
[[File:Akhilleus Memnon Staatliche Antikensammlungen 1410.jpg|thumb|300px|戦うアキレウスとメムノーンの背後に両英雄の母テティスとエーオースが描かれている。[[イタリア]]、{{仮リンク|ヴルチ|en|vulci}}から出土した[[アッティカ]][[黒絵式]][[アンフォラ]](前510年頃)。{{仮リンク|州立古代美術博物館|en|Staatliche Antikensammlungen}}所蔵。]]
叙事詩『[[アイティオピス]]』ではアキレウスが女神[[エーオース]]の子[[メムノーン]]を打ち倒して[[アンティロコス]]の仇をとったこと、テティスがゼウスにアキレウスの不死を願ったが、パリスとアポローンに殺されたことが語られていた。パウサニアスは『[[キュプセロス]]の箱』にアキレウスとメムノーンの戦いおよび2人を見守るテティスとエーオースが彫刻されていたと述べており<ref>パウサニアス、5巻19・2。</ref>、その様子を描いた壷絵も多く発見されている。アイスキュロスは現存しない悲劇『魂の重さ比べ』において、ゼウスがアキレウスとメムノーンの魂を秤にかけて死すべき者を決定し、その両脇でテティスとエーオースが自分の息子を勝者とするよう嘆願する様を描いたと伝えられている<ref>アイスキュロス断片。</ref>。

====アキレウスの葬礼====
『オデュッセイア』によるとアキレウスの死を知ったテティスは姉妹のネーレーイデスとともに海底から現われた。すると周囲に不気味な叫び声が響き渡ったため兵士たちは恐怖にとりつかれ、ネストールがアキレウスの母である女神が現れたのだと言って混乱を鎮めなかったなら、みな船に逃げ込むところだった。海の女神たちは嘆きの声をあげながらアキレウスの遺体の周りに立って不滅の衣を着せ、9人の[[ムーサイ]]は嘆きの歌を歌い、兵士たちの心を打った。このように女神と人間たちは17日に渡って死を悼んだのち18日目に遺体を火葬した。そしてアキレウスとパトロクロスの骨がディオニューソスから贈られた黄金の[[骨壷]]に一緒に納められ、またアンティロコスの骨も別に収められ、3人ともに同じ墳墓に葬られた。その後、アキレウスの葬礼競技が催され、テティスは神々から授けられた品々を賞品として出した<ref>『オデュッセイア』24巻47行-97行。</ref>。

テティスがネーレーイデスやムーサイとともに現れて息子の死を嘆いたとする伝承はプロクロスや<ref>プロクルス『文学便覧』「アイティオピス梗概」。</ref>、[[クイントゥス]]、{{仮リンク|ピロストラトス|en|Philostratus}}も伝えている。クイントゥスによるとアキレウスの死がネーレーイデスに知れ渡ると彼女たちの嘆く声がヘレスポントス中に響き渡り、ヘリコーン山からはムーサイもやって来た。このときゼウスがギリシアの兵士たちに気力を注いだおかげで彼らは女神の集団を目にしても恐怖にとりつかれずにすんだ。また、カリオペーや、ネーレウス、ポセイドーンといった神々がテティスを慰めたが、特にポセイドーンの「アキレウスがディオニューソスやヘーラクレースのように神となって永遠に生きる」という言葉はテティスの苦しみを和らげた<ref>クイントゥス、3巻。</ref>。

ピロストラトスはテティスたちが現れたとき海水が盛り上がって岸に近づいてくるという不思議な現象が起きたこと、毎晩のように息子の死を嘆くテティスの声が全軍に響き渡ったことを述べている<ref>ピロストラトス『ヘーロイコス』51。</ref>。また死後に不死となったアキレウスはヘレネーと結婚して[[黒海]]のレウケー島で暮らしたとも伝えられているが、この島をピロストラトスはテティスがアキレウスのためにポセイドーンに願って海から現出してもらったものだとしている<ref>ピロストラトス『ヘーロイコス』54。</ref>。

== 悲劇作品におけるテティス ==
===エウリーピデース『アンドロマケ―』===
[[エウリーピデース]]の[[ギリシア悲劇|悲劇]]『[[アンドロマケ (エウリピデス)|アンドロマケー]]』はトロイア戦争後のプティーア地方の都市[[ファルサロス]]の北東に位置する{{仮リンク|テティディオン|en|Thetidium}}{{Refnest|group="注釈"|古代では以下の表記が知られている。テティディオン({{el|Θετίδιον}}, {{ラテン翻字|el|Thetidion}})<ref>[[ストラボン]]、9巻5・6(C431)。</ref><ref>[[ポリュビオス]]『[[歴史 (ポリュビオス)|歴史]]』18・3・4。</ref>、テティデイオン({{el|Θετίδειον}}, {{ラテン翻字|el|Thetideion}})<ref>エウリーピデース『アンドロマケー』20行。</ref>、テスティデイオン({{el|Θεστίδειον}}, {{ラテン翻字|el|Thestideion}})<ref>ビューザンティオンのステファノス。</ref>。}}(現在の{{仮リンク|テティディオ|el|Θετίδιο Λάρισας}})を舞台としている。この地名は'''テティスの聖域'''の意であり、結婚したテティスとペーレウスが暮らした場所とされ、地名もテティスに由来する<ref>エウリーピデース『アンドロマケー』16行-20行。</ref>。

トロイア戦争から帰国した[[ネオプトレモス]](アキレウスの子)はプティーアの支配をペーレウスに任せ、テティディオンで妻[[ヘルミオネー]]と奴隷として連れ帰った[[アンドロマケー]]とともに暮らしていた。しかしネオプトレモスとアンドロマケーとの間に1子([[モロッソス]])が生まれると、これを恨みに思ったヘルミオネーは、ネオプトレモスの留守中に、父[[メネラーオス]]と協力してアンドロマケーとその子供を殺そうとする。そのためアンドロマケーは子供を他所に預け、自分はテティスの神殿に逃げ込む。その後はペーレウスによって救われるが、ネオプトレモスは[[オレステース]]によって殺される。テティスは劇のエピロゴスで[[デウス・エクス・マーキナー]]として登場する<ref>エウリーピデース『アンドロマケー』1231行以下。</ref>。テティスはペーレウスにネオプトレモスをデルポイに埋葬してオレステースの罪を後世に伝えることを命じ、アンドロマケーは[[ヘレノス]]と結婚しネオプトレモスの子はモロッシア王家の祖となること、またペーレウス自身は不老不死の神となり、ネーレウスの館で自分とともに暮らすであろうと予言する。最後にペーレウスがテティスと結婚したペーリオン山に思いをはせて劇は終る。

== テティス崇拝 ==
[[File:Magnesia.jpg|thumb|left|180px|ペーリオン山北方の海岸にカスタナイアー市。セピアス岬はマグネシア地方南東の先端部と考えられていた。]]
古代の何人かの著述家がテティス崇拝について言及している。歴史家ヘーロドトスは[[ペルシア戦争]]と関連してテッサリアー地方のテティス崇拝について言及している。[[テルモピュライの戦い]](前480年)に先立ち、[[クセルクセス1世|クセルクセース1世]]率いる大海軍がギリシアに到達したとき<ref>ヘーロドトス、186。</ref>、マグネーシア地方のカスタナイアー市(Kasthanaie)とセピアス(Sepias)岬の間にある浜辺に停泊した。しかしペルシア軍は3日3晩激しい嵐に見舞われ<ref>ヘーロドトス、188。</ref>400隻もの軍勢を失った<ref>ヘーロドトス、190。</ref>。そのためペルシア軍は[[イオニア人]]の助言に従い、セピアス岬を聖域とするテティスとネーレーイデスに対して嵐の鎮静化を祈願したという<ref name=Hero_7_191 />。このセピアス岬の正確な位置は不明瞭である。20世紀初頭にA. J. B. ウェイス(A. J. B. Wace)とJ. B. ドループ(J. B. Droop)の2人はセピアスの発掘調査を行ったが、神殿の遺構は発見されなかった<ref name="Emma Aston">Emma Aston, Thetis and Cheiron in Tessaly.</ref>。

パウサニアスによるとテティスはスパルタに聖域を持っていた。アギス朝の[[アナクサンドロス]]王(在位:前640年-前615年頃)の時代、スパルタは離反したメッセニア人を平定するためメッセニア地方に侵攻し、女たちを捕虜にした。その中にテティスの女祭司クレオーがおり、王の妻レアンドリスは彼女がテティスの木彫神像を持っていることに気がつくと、王に願って彼女を譲り受け、2人でテティスの神殿を造営した<ref>パウサニアス、3巻14・4。</ref>。また木彫神像は非公開のまま聖域で守護されていた<ref>パウサニアス、3巻14・5。</ref>。これによるとスパルタのテティス崇拝はメッセニア地方まで遡り、スパルタでの崇拝は紀元前7世紀に始まって、パウサニアスが生きた2世紀でも続いていたことになる。

ピロストラトスが言及するテッサリアー地方のアキレウス崇拝によると、テッサリアー人は[[ドードーナ]]の神託によってトロイア地方まで航海し、アキレウスの供儀を行った。彼らは上陸する際に船上からテティスの讃歌を唱えなければならなかった。しかし彼らが供儀の習慣を止めてしまったとき、アキレウスとテティスはテッサリアー地方に災厄をもたらしたという<ref>ピロストラトス『ヘーロイコス』53。</ref>。

== アルクマーンの宇宙開闢詩 ==
アルクマーンの宇宙論的な詩は1957年に[[オクシュリュンコス・パピュルス]]から発見された。詩は古代の注釈者によって断片的に引用されており、注釈者は哲学的な用語を用いながらアルクマーンの詩を解説しようとしている。それによると原初の宇宙は無秩序で不定形の質料(ヒューレー)で成り立っており、やがてテティスが、続いてポロスが現れ、それが過ぎ去るとテクモールという神が現れたとしている。万物は[[青銅]]に似ており、テティスはそこから青銅器を作る職人に喩えられている。またポロスは始原であり、テクモールは終末であるとし、さらに闇(スコトス)が生まれたと述べている。しかし注釈は錯綜しており、テティスが生まれたとき、万物の始原と終末も同時に生まれたとしている<ref>アルクマーン断片5。</ref><ref name="廣川洋一「哲学の始まりと抒情詩」">廣川洋一「哲学の始まりと抒情詩 アルクマンの場合」。</ref><ref name="Noriko Yasumura" />。

== 研究 ==
かつてテッサリアー神話におけるテティス、ペーレウス、ケイローンの結びつきに注目した{{仮リンク|ヴィルヘルム・マンハルト|de|Wilhelm Mannhardt}}は、『森と畑の祭祀』第2巻(1877年)で結婚からアキレウスの幼少期までを描いた叙事詩『ペーレイス』が存在したと主張した<ref>Wilhelm Mannhardt, Antike Wald- und Feldkulte aus nordeuropäischer Überlieferung, 1877, Bd. II, p. 52-55.</ref><ref name="Emma Aston" />。マンハルトの仮説が証明される見込みはないが、テティスの結婚に関してまとまった伝承が『イーリアス』以前に存在していたことは確実と見なされている。『イーリアス』では結婚に関する伝承が断片的に見られるほか、別離の伝承が詩全体を通して効果的に活用されている。作中でアキレウスの嘆きに応えて現れる身軽さは、ペーレウスとの結婚生活が破綻し、海底のネーレウスの館で暮らしていることに由来している。また最後の24巻では詩人はゼウスの要請に従ってオリュムポスに赴くテティスを語っているが、この描写はアキレウスのためにオリュムポスに赴く1巻と対比の関係にある<ref name="岡">岡道男『ホメロスと叙事詩の環』。</ref>。1巻と24巻はテティス以外にも登場人物が対比的に描かれており{{Refnest|group="注釈"|娘[[クリューセーイス]]の返還を求める老神官[[クリューセース]](1巻)と息子ヘクトールの遺体の返還を求める老王[[プリアモス]](24巻)、それを追い返すアガメムノーン(1巻)と迎え入れてもてなすアキレウス(24巻)という対比。}}、彼らの行動によって物語をまとめ上げる詩人の構想が見て取れる。一方『イーリアス』のゼウスを救出する神話(1巻396行-406行)は否定的に解釈される傾向にある。すでに古代[[アレクサンドリア図書館]]の初代館長を務めた文献学者{{仮リンク|ゼノドトス|en|Zenodotus}}は当該箇所を削除しており<ref name="Noriko Yasumura" />、現代においても[[マルコム・モーリス・ウィルコック]](Malcolm Maurice Willcock)やM・W・エドワーズ(M. W. Edwards)といった研究者がテティスを詩人の《発明》と見なしている<ref>M. M. Willcock, 1964, p.143.</ref><ref>M. W. Edwards, 1987, p.67. </ref><ref name="岡" />。しかし近年はスラトキン(Laura M. Slatkin)の 著書 "The Power of Thetis"(1991年)のようにテティスを捉え直す研究もある(同書はテティスを単独で扱った最初の研究書となっている<ref name="角田" />)。その他に{{仮リンク|アルビン・レスキー|de|Albin Lesky}}は1巻396行-406行をもとにテティスを偉大な女神だったと位置付けることで、テティスの神話を解釈しようとした<ref>Albin Lesky, Peleus, 1937.</ref><ref name="岡" />。アルクマーンの宇宙論的な詩によってテティスを原初的かつ[[デーミウールゴス]]的な性格を備えた偉大な女神と見なすことは可能だが、古代の注釈者の引用が断片的であること、また詩を当時の宇宙論的思想で解釈したと考えられることから慎重に扱う必要があるとされている<ref name="Noriko Yasumura" /><ref name="廣川洋一「哲学の始まりと抒情詩」" />。もっとも、テティスの原初的性格は彼女の名前から窺えるとする意見もある。即ちテティスの名前は原初の海の女神[[テーテュース]]と発音でも意味でもたがいに似ており、どちらも元来は海の女主人であったと考えられる<ref>カール・ケレーニイ『ギリシアの神話 神々の時代』1章1。</ref>。最後に[[比較神話学]]の視点からテティスの神話と[[インド]]の叙事詩『[[マハーバーラタ]]』とを比較することが提案されている。この研究ではテティス=アキレウスと[[ガンガー]]=[[ビーシュマ]]の母子関係との間の驚くべき一致が指摘されている。海の女神テティスは多くの赤子を水に沈めて溺死させたと伝えられるが<ref name=Aig_fr />、[[ガンジス川]]の化身である女神ガンガーもまた([[前世]]の罪のためにガンガーの子として地上に生まれてきた[[ヴァス神群]]を天に還すため)多くの赤子を川に沈めて溺死させたと伝えられている<ref>『マハーバーラタ』1巻91章-93章。</ref>。テティスもガンガーもともに水域の女神であり、子供を溺死させ、最後に残った子供が後に大戦争で活躍する大英雄になるという点で一致している。このような類似はインド=ヨーロッパ共通時代に遡る伝承であることを示しているという<ref>吉田敦彦『ギリシァ神話と日本神話』p.71-74。</ref><ref>沖田瑞穂「印欧語族の豊穣女神に共通する諸特徴について」。</ref>。

==西洋絵画==
テティスの神話は古代以来、芸術家たちの創作の源泉となった。[[ルネサンス]]以降の西洋絵画で好まれた主題はテティスとペーレウスの結婚であり、アキレウスと関係のあるエピソードもまた同様に描かれた。他の神々と描かれた例としてはゼウス([[ユーピテル]])、ヘパイストス([[ウルカーヌス]])、アポローンなどの例がある。テティスの最も有名な絵画作品は[[フランス]][[新古典主義]]の画家[[ドミニク・アングル]]が[[1811年]]に描いた『[[ユピテルとテティス]]』で、『イーリアス』第1巻のテティスの懇願を主題としているが主題としては少数派である。アポローンとともに描かれた例は日没の寓意となっている。こちらは[[フランソワ・ブーシェ]]の対作品『日の出』、『日没』が有名。

===ペーレウスとテティスの結婚===
<center><gallery widths="140px" heights="140px" perrow="4">
File:Jan Brueghel d.Æ. - The Feast of the Gods. The Wedding of Peleus and Thetis - KMSsp225 - Statens Museum for Kunst.jpg|<small>[[ヤン・ブリューゲル (父)|ヤン・ブリューゲル]]『神々の饗宴あるいはペレウスとテティスの結婚』(1589年-1632年の間) [[コペンハーゲン国立美術館]]所蔵</small>
File:Abraham Bloemaert - Die Hochzeit von Peleus und Thetis - 6526 - Bavarian State Painting Collections.jpg|<small>[[アブラハム・ブルーマールト]]『ペレウスとテティスの結婚』(1590年-1595年頃) [[ミュンヘン]]、[[アルテ・ピナコテーク]]所蔵</small>
File:WLANL - legalizefreedom - De bruiloft van Peleus en Thetis.jpg|<small>[[コルネリス・ファン・ハールレム]]『ペレウスとテティスの結婚』(1592年-1593年頃) [[ハールレム]]、[[フランス・ハルス美術館]]</small>
File:Hans Rottenhammer - Götterfest, Hochzeit von Peleus und Thetis (Ermitage).jpg|<small>{{仮リンク|ハンス・ロッテンハマー|en|Hans Rottenhammer}}『神々の饗宴あるいはペレウスとテティスの結婚』(16世紀後半)[[サンクトペテルブルク]]、[[エルミタージュ美術館]]所蔵</small>
File:Hans Rottenhammer 001.jpg|<small>ハンス・ロッテンハマー、ヤン・ブリューゲル『神々の饗宴あるいはペレウスとテティスの結婚』(1600年)サンクトペテルブルク、エルミタージュ美術館所蔵</small>
File:PeleusThetisWtewael2.jpg|<small>[[ヨアヒム・ウテワール]]『ペレウスとテティスの結婚』(1602年) [[ブラウンシュヴァイク]]、[[アントン・ウルリッヒ公爵美術館]]所蔵</small>
File:Hendrik de Clerck - The Nuptials of Thetis and Peleus - WGA5022.jpg|<small>{{仮リンク|ヘンドリック・デ・クラーク|en|Hendrick de Clerck}}『テティスとペレウスの結婚』(1606年-1609年の間) [[ルーヴル美術館]]所蔵</small>
File:The wedding of Peleus and Thetis, by Joachim Wtewael.jpg|<small>ヨアヒム・ウテワール『ペレウスとテティスの結婚』(1612年){{仮リンク|ウィリアムズタウン (マサチューセッツ州)|en|Williamstown, Massachusetts|label=ウィリアムズタウン}}、{{仮リンク|クラーク・アート・インスティテュート美術館|en|Clark Art Institute}}所蔵</small>
Golden Apple of Discord by Jacob Jordaens.jpg|<small>[[ヤーコプ・ヨルダーンス]]『ペレウスとテティスの結婚』(1633年)[[マドリード]]、[[プラド美術館]]所蔵</small>
File:The Wedding of Peleus and Thetis by Peter Paul Rubens.jpg|<small>[[ピーテル・パウル・ルーベンス]]『ペレウスとテティスの結婚』(1636年) [[シカゴ美術館]]所蔵</small>
File:1715 Elliger Hochzeit von Peleus und Thetis anagoria.JPG|<small>{{仮リンク|オトマール・エルガー|en|Ottmar Elliger}}『ペレウスとテティスの結婚』(1715年)[[ニュルンベルク]]、[[ゲルマン国立博物館]]所蔵</small>
</gallery></center>

===テティスとアキレウス===
<center><gallery widths="140px" heights="140px" perrow="5">
File:Thetis dipping Achilles into the River Styx by Donato Creti.jpg|<small>{{仮リンク|ドナート・クレティ|en|Donato Creti}}『ステュクスの流れにアキレウスを浸すテティス』(1710年) [[ボローニャ]]、{{仮リンク|国立絵画館 (ボローニャ)|en|Pinacoteca Nazionale di Bologna|label=国立絵画館}}</small>
File:Giovanni Battista Tiepolo - Thetis Consoling Achilles - WGA22339.jpg|<small>[[ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ]]『アキレウスを慰めるテティス』(1757年) [[ヴェネツィア]]、{{仮リンク|ヴァルマラーナ・アイ・ナーニ邸|it|Villa Valmarana "Ai Nani"}}所蔵</small>
File:Thetis Immerses Son Achilles in Water of River Styx by Antoine Borel.jpg|<small>{{仮リンク|アントワーヌ・ボレル|fr|Antoine Borel (artiste)}}『ステュクスの流れにアキレウスを浸すテティス』(18世紀) [[パルマ国立美術館]]所蔵</small>
File:Pompeo Batoni - Teti richiama Achille dal Centauro Chirone (1770).jpg|<small>{{仮リンク|ポンペオ・バトーニ|en|Pompeo Batoni}}『ケイロンのもとからアキレウスを連れて行くテティス』(1770年)[[エルミタージュ美術館]]所蔵</small>
File:Thetis Bringing Armor to Achilles II by Benjamin West.jpg|<small>[[ベンジャミン・ウエスト]]『武具にアキレウスを与えたテティス』(1804年)[[ロサンゼルス・カウンティ美術館]]所蔵</small>
</gallery></center>

===テティスと神々===
<center><gallery widths="140px" heights="140px" perrow="4">
File:Peter Paul Rubens - Thétis recevant de Vulcain.jpg|<small>ピーテル・パウル・ルーベンス『ウルカヌスからアキレウスの武具を受け取るテティス』(1630年) {{仮リンク|ポー美術館|fr|Musée des Beaux-Arts de Pau}}</small>
File:Peter Paul Rubens (taller) - Thetis y Minerva.jpg|<small>ピーテル・パウル・ルーベンスの工房『テティスとミネルヴァ』(17世紀) [[ブエノスアイレス]]、{{仮リンク|国立美術館 (ブエノスアイレス)|en|Museo Nacional de Bellas Artes (Buenos Aires)|label=国立美術館}}所蔵</small>
File:Charles de La Fosse - Apollo and Thetis.jpg|<small>{{仮リンク|シャルル・ド・ラ・フォス|en|Charles de La Fosse}}『アポロンとテティス』(1688年)[[ヴェルサイユ]]、[[大トリアノン宮殿]]所蔵</small>
File:Jean Baptiste Zhuvene - Apollo and Thetis.jpg|<small>{{仮リンク|ジャン=バティスタ・ジュブネ|en|Jean Jouvenet}}『アポロンとテティス』(1701年) [[ベルサイユ宮殿]]所蔵</small>
File:Boucher, François - The Setting of the Sun - 1752.jpg|<small>[[フランソワ・ブーシェ]]『日没』(1752年) [[ロンドン]]、[[ウォレス・コレクション]]所蔵</small>
File:Julien de Parme Giove e Teti 1776.jpg|<small>{{仮リンク|ジュリアン・デ・パルメ|it|Julien de Parme}}『ユピテルとテティス』(1776) [[フィレンツェ]]、{{仮リンク|近代美術館 (フィレンツェ)|it|Galleria d'Arte Moderna (Firenze)|label=近代美術館}}所蔵</small>
</gallery></center>


== 脚注 ==
== 脚注 ==
===注釈===
{{reflist|group="注釈"}}
===脚注===
{{Reflist|2}}

== 参考文献 ==
* [[アポロドーロス]]『ギリシア神話』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年)
* [[アルクマン]]他『ギリシア合唱抒情詩集』[[丹下和彦]]訳、[[京都大学学術出版会]](2002年)
* 『[[オデュッセイア]]/[[アルゴナウティカ]]』[[松平千秋]]・[[岡道男]]訳、[[講談社]](1982年)
* 『ギリシア悲劇III [[エウリピデス]](上)』、[[ちくま文庫]](1986年)
* 『ギリシア悲劇全集6 エウリーピデースII』、[[岩波書店]](1991年)
* [[スミュルナのコイントス|クイントゥス]]『[[トロイア戦記]]』[[松田治]]訳、[[講談社学術文庫]](2000年)
* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年)
* [[ヒュギーヌス]]『ギリシャ神話集』松田治・青山照男訳、講談社学術文庫(2005年)
* ピロストラトス『英雄が語るトロイア戦争』[[内田次信]]訳、[[平凡社ライブラリー]](2008年)
* [[ヘシオドス]]『[[神統記]]』[[廣川洋一]]訳、岩波文庫(1984年)
* 『ヘシオドス 全作品』[[中務哲郎]]訳、京都大学学術出版会(2013年)
* [[ヘロドトス]]『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]](下)』 松平千秋訳、岩波文庫(1972年)
* [[ホメロス]]『[[イリアス]](上)』松平千秋訳、岩波文庫(1992年)
* [[カール・ケレーニイ]]『ギリシアの神話 神々の時代』[[植田兼義]]訳、[[中公文庫]](1985年)
* 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、 [[岩波書店]](1960年)
* 松田治『トロイア戦争全史』、講談社学術文庫(2008年)
* [[吉田敦彦]]『ギリシァ神話と日本神話 比較神話学の試み』、[[みすず書房]](1974年)

===論文===
* 岡道男 「[http://hdl.handle.net/2433/221481 ホメロスと叙事詩の環]」 『京都大学文学部研究紀要』 乙第3361号 博士論文, {{hdl|2433/221481}}
* 沖田瑞穂「[http://hdl.handle.net/10959/1944 印欧語族の豊穣女神に共通する諸特徴について]」 『学習院大学人文科学論集』 2003年 12号 p.181-206, {{hdl|10959/1944}}
* [[角田幸彦]]「[http://hdl.handle.net/10291/19243 ホメロス作品世界の精神史的考察 新稿]」 『明治大学教養論集』 2017年 531巻 p.1-53 ,{{hdl|10291/19243}}
* [[安村典子|Noriko Yasumura]], [https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/68664/1/KJ00004263641.pdf Cosmogonic Fragment of Alcman (Oxyrhynchus Papyri XXIV)] (PDF)、西洋古典論集17(2001年)
* 廣川洋一「[https://doi.org/10.20578/jclst.20.0_40 哲学のはじまりと抒情詩 アルクマンの場合]」 『西洋古典学研究』 1972年 20巻 p.40-48, {{doi|10.20578/jclst.20.0_40}}
* Mmma Aston, [https://journals.openedition.org/kernos/1769 Thites and Cheiron in Thessaly]([[HTML]]), Kernos 22, 2009.

== 関連項目 ==
{{Commonscat|Thetis}}
{{Commonscat|Thetis}}
* [[ネーレーイデス]]
{{Reflist}}
* [[アルクマーン]]
* [[アキレウス]]
* [[ペーレウス]]
* [[イーリアス]]
* [[キュプリア]]


{{ギリシア神話}}
{{ギリシア神話}}

2019年5月30日 (木) 02:15時点における版

テティスを捕らえようとするペーレウス描いたアッティカ赤絵式キュリクス紀元前490年エトルリア)。パリフランス国立図書館、キャビネ・デ・メダイユ所蔵。
ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングルの1811年の絵画『ユピテルとテティス』。エクス=アン=プロヴァンスグラネ美術館所蔵。

テティス古希: Θέτις, Thetis)は、ギリシア神話に登場する海の女神である。海神ネーレウスドーリスの娘たち(ネーレーイス)の1人[1][2]。一説にはケンタウロス族の賢者ケイローンの娘[3][4][5]テッサリアー地方のプティーアの王ペーレウスと結婚し、トロイア戦争最大の英雄アキレウスの母となった[6][7][8]

ホメーロスヘーシオドスからは「銀の足のテティス」と呼ばれている[9][10]。ギリシア神話の他の水域の神々と同様にあらゆるものに変身する能力を持ち、予言の才能に長けていた。神話では古い海神ネーレウスの娘でありながらオリュムポスの神々と密接に結びついている。ホメーロスの叙事詩イーリアス』などによるとテティスを養育したのはヘーラーとされ、テティスもヘーラーに恩を感じていた。またテティスは苦難に陥った神々の救済者・保護者として語られ、ゼウスポセイドーンから求婚されたことも伝えられている。『イーリアス』ではアキレウスの運命を悲嘆しながらも、息子に尽力する母として大きく取り上げられており、物語が展開するうえでの重要人物として描かれている。テティスとペーレウスの結婚は『イーリアス』でもしばしば言及されており、また前日譚である失われた叙事詩『キュプリア』では2人の結婚がトロイア戦争のきっかけとなったことが語られていた。紀元前7世紀ごろのスパルタ出身の抒情詩人アルクマーンはテティスに関する詩を作った。アルクマーンの詩は現存するわずかな断片から宇宙論的な性格のものであったと推測されている[注釈 1]

ヘーロドトスパウサニアスの著作によってマグネーシア地方[12]、およびラコーニア地方とメッセニア地方で崇拝されたことが知られている[13][注釈 2]

神話

救済者・保護者としてのテティス

神々の反乱を鎮める

ジョン・フラックスマンが描いたテティス(1793年)。ブリアレオースを喚び出し、ヘーラー、ポセイドーン、アテーナーからゼウスを救う様子を描いている。

『イーリアス』におけるテティスは困難に直面した神々の救済者として語られている。かつてオリュムポスヘーラーポセイドーンアテーナーが反乱を起こしゼウスを拘束するという事件が起きた。このとき神々の中でただ1人テティスだけがゼウスの味方をした。テティスはヘカトンケイルの1人ブリアレオース(別名アイガイオーン)に知らせ、ゼウスの味方として馳せ参じさせた。すると神々はブリアレオースを恐れるあまりゼウスに近づくことさえ出来なかった。テティスはそのすきに縄を解いてゼウスを解放した[15][注釈 3]

他の神々の保護

テティスは鍛冶神ヘーパイストスや酒神ディオニュソースをも苦難から助け出した。ヘーパイストスは生まれてまもなく母のヘーラーによって天から海に捨てられた。これはヘーラーがヘーパイストスの不自由な足を嫌ったためと語られている。しかしテティスとエウリュノメーはヘーパイストスを助け9年の間海底で匿った。その間ヘーパイストスは2人のために様々な宝飾を制作した[17][注釈 4]。こうした経緯からヘーパイストスはテティスに恩義を感じ、トロイア戦争の際にはテティスの息子アキレウスのために手ずから槌を握って見事な武具を作り上げた。

テティスがディオニューソスを救ったのはトラーキアの残忍な王リュクールゴスに襲われたときである。リュクールゴスはニューセイオンの山でディオニューソスの乳母を追い回し、女たちを撲殺しただけでなくディオニューソスを脅喝した。ディオニューソスは命からがら海に逃げ込み、恐怖で震えていたところをテティスに助けられた[20][21]

神々の求婚

イストミア祝勝歌

テティスが英雄ペーレウスと結婚した経緯はいくつかの説がある。ピンダロスによるとテティスはゼウスポセイドーンから結婚を望まれた。しかしテミスが「テティスは父親よりも偉大な子供を生む定めにあり、子供は長じてゼウスの雷撃やポセイドーンの三叉戟を越える武器を振るうだろう」と予言した。それだけでなく、むしろ人間に与えて生まれた子供は戦場で戦死させるのが良いと助言し、イオールコスで最も敬虔な英雄ペーレウスと結婚させることを勧めた。この物語ではテティスと結婚することは、ゼウスあるいはポセイドーンの息子から王権を簒奪するライバルが出現することを意味している。そのため彼らはテティスとの結婚を諦めざるを得ない[22]

アイスキュロス悲劇縛られたプロメーテウス』はこの物語を下敷きとしている。プロメーテウスは母テミスから教えられたとして、ゼウスと結婚する女性が強い子供を生み、王位を簒奪すると予言する。アイスキュロスはどの女性から簒奪者が生まれるかについては明言していないが、アポロドーロスヒュギーヌスはプロメーテウスの予言した女性をテティスとしている[23][24]。特にアポロドーロスは予言者をテミスとする説に加えてプロメーテウスの名を挙げて「生まれてきた子が天の支配者となる」と述べている。これに対してオウィディウスは海の老人プローテウスとしている[25]

キュプリア断片

叙事詩『キュプリア』によると、モーモスがトロイア戦争を起こすためテティスを人間と結婚させることをゼウスに助言した。ヘーラーに好意的であったテティスはゼウスの求婚を避けたため、怒ったゼウスは彼女を人間に娶すことを誓った[26]

ネメア祝勝歌

一方、これらの説と異なる伝承をやはりピンダロスが伝えている。それによるとテティスはケイローンの助言を受けたペーレウスに取り抑えらえ、炎やライオンなど様々なものに変身して逃れようとしたが、とうとう観念して妻になることを認めたという[27][23]

ペーレウスとの結婚

アブラハム・ブルーマールトの絵画『ペレウスとテティスの結婚』(1638年)。デン・ハーグマウリッツハイス美術館所蔵。

こうして2人は結婚することになった。結婚式はペーリオン山で行われた。結婚式には神々も祝福に訪れ、さまざまな贈り物をした。このときケイローンはとねりこの槍を贈り、ポセイドーンは馬のクサントスバリオスを贈った[23](『イーリアス』ではアキレウスがこれらを用いている)。

結婚式にはすべての神が招かれたが、争いの神エリスだけは招かれなかった。エリスは怒って宴席に乗り込み、「最も美しい女神に贈る」として黄金の林檎を投げ入れた。この林檎をめぐって3人の女神ヘーラーアテーナーアプロディーテーが争った。ゼウスは仲裁するためにイーリオスプリアモスの息子で、現在はイーデー山で羊飼いをしているパリス(アレクサンドロス)に判定させることとした(パリスの審判)。女神たちは様々な約束をしてパリスを買収しようとしたが、結局「最も美しい女を与える」としたアプロディーテーが勝ちを得た。「最も美しい女」とはすでにスパルタメネラーオスの妻となっていたヘレネーのことで、これがギリシアのトロイア戦争の原因となった[28]

アキレウスの出産と別離

ルーベンスの『ステュクスの流れにアキレウスを浸すテティス』(1630年-1635年頃)。ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵。

結婚後、テティスはペーレウスとの間に多くの子供を産んだと伝えられている。ところがテティスは子供の不死性を確かめるため赤子を水の満ちた大釜に投じては溺死させた。こうして多くの赤子が死んだため、ペーレウスは怒ってテティスの行動を阻んだ。このとき助かった赤子が後のアキレウスである[29]

テティスがアキレウスを不死にしようと試みたことも伝えられている。テティスがアキレウスの踵を掴んでステュクスの流れに浸すと身体の大部分は不死となった。しかし踵はステュクスに浸からなかったため、アキレウスの唯一の弱点となった[30]エレウシスデーメーテール神話とよく似た伝承によると、テティスは毎晩のようにアキレウスを火にくべて人間の部分を焼き、昼間はアムブロシアを塗り、不死を与えようとした。しかしテティスはこの行いを秘密にしていたため、夜にその光景を目撃したペーレウスは驚いてテティスを止めた。目的を阻まれたテティスはアキレウスと夫を捨てて海に去った[31][32]。その後アキレウスはケイローンのもとで養育された[32]

しかしテティスは夫や子供のことを忘れたわけではなかった。ペーレウスがアルゴー船の冒険に参加したとき、ヘーラーに説得されて[33]アルゴナウタイがパイアーケス人の国にたどり着くまでの間、荒波とプランクタイの岩礁から船を救った。すなわちテティスは岩礁を避けるため船の舵を取り、またネーレーイデスたちは船の周りを廻り、船が岩礁に近づくたびに船を持ち上げて空中に投じ、岩礁から遠ざけた[34][35][注釈 5]

またアキレウスが9歳のとき、ミュケーナイアガメムノーンらはトロイアに遠征する準備を進めており、カルカースの予言によってトロイア攻略にどうしてもアキレウスの力が必要とされた。しかしテティスはアキレウスが戦争に参加したら必ず死ぬことを予知し、アキレウスに女装させてスキューロス島リュコメーデース王に女として育てるよう預けた。しかしアキレウスはオデュッセウスによって女装を見破られ、戦争に参加することになった[37]

トロイア戦争

テティスはトロイア戦争では息子のために献身的に行動し、またアキレウスの死に関して多くの予言をしている。海を渡ったギリシア軍がテネドス島を攻撃したとき、テティスがテネース王(アポローンの子)を殺せばアポローンの報復を受けて死ぬことになると予言した。しかしそれにもかかわらずアキレウスはテネースを殺してしまう[38]。またテティスはトロイアに最初に上陸した者は必ず命を落とすと予言したため、誰も船から降りようとしなかった。このときピュラケーの武将プローテシラーオスが勇敢にも真っ先に上陸し、トロイア軍との最初の戦闘でヘクトールに討たれた[39]

『イーリアス』

アンソニー・ヴァン・ダイクの絵画『ヘパイストスからアキレウスの武具を受け取るテティス』(1630年-1632年)。ウィーン美術史美術館所蔵。

『イーリアス』ではアキレウスの言葉によると「戦場に留まれば生きて帰国できないが、すぐに帰国したならば天寿を全うできる」と予言し[40]、トロイアの城壁の下でアポローンの矢を受けて命を落とすこと[41][注釈 6]、またパトロクロスが死ぬことも予言していた[43]

『イーリアス』第1巻でアガメムノーンの要求に激怒したアキレウスはアガメムノーンが謝罪するまで戦うことを拒否した。このときアキレウスの嘆きを聞いたテティスは海底から現れ、アキレウスの望みをかなえるためにオリュムポスのゼウスの王宮に行き、アガメムノーンがアキレウスに謝罪して復帰を要請するまで、トロイアの味方をしてギリシア軍を苦しめてほしいと懇願する。テティスがゼウスの前に座り、左手で膝に触れ、右手でゼウスのあごに触れながら懇願するとゼウスは沈黙していたが、再度の懇願でしぶしぶ承諾した[44]。これ以降ギリシア人は連日苦戦を強いられることとなった。

アキレウスの代わりに出陣したパトロクロスがヘクトールに討たれたときも、テティスは海底で息子の悲痛な叫びを聞き、悲しみに囚われる。慰めようとする姉妹たちにテティスは漏らす。「私は成長した息子をトロイアに送り出しましたが、再び彼をペーレウスの王宮で迎えることは出来ないでしょう。息子はまだ生きていますが、私が行っても彼の抱える悩みには何の助けにもならないのです。それでも戦場から遠ざかっている間にどんな悲しいことがあったのか聞くために参りましょう」。そう言って姉妹たちを引き連れて海から現れたテティスは、親友の仇を取ろうとはやるアキレウスに、ヘクトールを討った後でアキレウス自身も死ぬことになると予言し、戦場に出るのを止めようとする。しかしこの言葉はアキレウスを苛立たせただけであり、アキレウスの意志を変えられないと分かると、オリュムポスの鍛冶神ヘーパイストスの工房に行き、武具を失った息子のために新たな武具を作ってくれるよう依頼する[45]。そしてヘーパイストスから武具を受け取りアキレウスに渡す。またアキレウスがパトロクロスの遺体の腐敗を心配するので、遺体の鼻孔からアムブロシアーとネクタルを体内に滴らせ、腐敗から保護する[46]

24巻ではアキレウスがヘクトールを討ち、その遺体を戦車に結びつけてパトロクロスの墳墓の周囲を引き回したため、ヘクトールを憐れんだ神々からヘルメースを遣わして遺体を盗み出すという意見が出た。しかしテティスから恨まれることを嫌ったゼウスはアキレウスの面目を立てることを第一に考え、イーリスにテティスを呼びに行かせた。テティスがオリュムポスに現れると、ゼウスは彼女にアキレウスがヘクトールの遺体を返還するよう働きかけることを依頼する。そこでテティスがゼウスの意志を伝えるとアキレウスはその要請に応じ、密かにギリシア陣営を訪れた老王プリアモスを招き入れる[47]

テティスとエーオース

戦うアキレウスとメムノーンの背後に両英雄の母テティスとエーオースが描かれている。イタリアヴルチ英語版から出土したアッティカ黒絵式アンフォラ(前510年頃)。州立古代美術博物館英語版所蔵。

叙事詩『アイティオピス』ではアキレウスが女神エーオースの子メムノーンを打ち倒してアンティロコスの仇をとったこと、テティスがゼウスにアキレウスの不死を願ったが、パリスとアポローンに殺されたことが語られていた。パウサニアスは『キュプセロスの箱』にアキレウスとメムノーンの戦いおよび2人を見守るテティスとエーオースが彫刻されていたと述べており[48]、その様子を描いた壷絵も多く発見されている。アイスキュロスは現存しない悲劇『魂の重さ比べ』において、ゼウスがアキレウスとメムノーンの魂を秤にかけて死すべき者を決定し、その両脇でテティスとエーオースが自分の息子を勝者とするよう嘆願する様を描いたと伝えられている[49]

アキレウスの葬礼

『オデュッセイア』によるとアキレウスの死を知ったテティスは姉妹のネーレーイデスとともに海底から現われた。すると周囲に不気味な叫び声が響き渡ったため兵士たちは恐怖にとりつかれ、ネストールがアキレウスの母である女神が現れたのだと言って混乱を鎮めなかったなら、みな船に逃げ込むところだった。海の女神たちは嘆きの声をあげながらアキレウスの遺体の周りに立って不滅の衣を着せ、9人のムーサイは嘆きの歌を歌い、兵士たちの心を打った。このように女神と人間たちは17日に渡って死を悼んだのち18日目に遺体を火葬した。そしてアキレウスとパトロクロスの骨がディオニューソスから贈られた黄金の骨壷に一緒に納められ、またアンティロコスの骨も別に収められ、3人ともに同じ墳墓に葬られた。その後、アキレウスの葬礼競技が催され、テティスは神々から授けられた品々を賞品として出した[50]

テティスがネーレーイデスやムーサイとともに現れて息子の死を嘆いたとする伝承はプロクロスや[51]クイントゥスピロストラトスも伝えている。クイントゥスによるとアキレウスの死がネーレーイデスに知れ渡ると彼女たちの嘆く声がヘレスポントス中に響き渡り、ヘリコーン山からはムーサイもやって来た。このときゼウスがギリシアの兵士たちに気力を注いだおかげで彼らは女神の集団を目にしても恐怖にとりつかれずにすんだ。また、カリオペーや、ネーレウス、ポセイドーンといった神々がテティスを慰めたが、特にポセイドーンの「アキレウスがディオニューソスやヘーラクレースのように神となって永遠に生きる」という言葉はテティスの苦しみを和らげた[52]

ピロストラトスはテティスたちが現れたとき海水が盛り上がって岸に近づいてくるという不思議な現象が起きたこと、毎晩のように息子の死を嘆くテティスの声が全軍に響き渡ったことを述べている[53]。また死後に不死となったアキレウスはヘレネーと結婚して黒海のレウケー島で暮らしたとも伝えられているが、この島をピロストラトスはテティスがアキレウスのためにポセイドーンに願って海から現出してもらったものだとしている[54]

悲劇作品におけるテティス

エウリーピデース『アンドロマケ―』

エウリーピデース悲劇アンドロマケー』はトロイア戦争後のプティーア地方の都市ファルサロスの北東に位置するテティディオン英語版[注釈 7](現在のテティディオギリシア語版)を舞台としている。この地名はテティスの聖域の意であり、結婚したテティスとペーレウスが暮らした場所とされ、地名もテティスに由来する[59]

トロイア戦争から帰国したネオプトレモス(アキレウスの子)はプティーアの支配をペーレウスに任せ、テティディオンで妻ヘルミオネーと奴隷として連れ帰ったアンドロマケーとともに暮らしていた。しかしネオプトレモスとアンドロマケーとの間に1子(モロッソス)が生まれると、これを恨みに思ったヘルミオネーは、ネオプトレモスの留守中に、父メネラーオスと協力してアンドロマケーとその子供を殺そうとする。そのためアンドロマケーは子供を他所に預け、自分はテティスの神殿に逃げ込む。その後はペーレウスによって救われるが、ネオプトレモスはオレステースによって殺される。テティスは劇のエピロゴスでデウス・エクス・マーキナーとして登場する[60]。テティスはペーレウスにネオプトレモスをデルポイに埋葬してオレステースの罪を後世に伝えることを命じ、アンドロマケーはヘレノスと結婚しネオプトレモスの子はモロッシア王家の祖となること、またペーレウス自身は不老不死の神となり、ネーレウスの館で自分とともに暮らすであろうと予言する。最後にペーレウスがテティスと結婚したペーリオン山に思いをはせて劇は終る。

テティス崇拝

ペーリオン山北方の海岸にカスタナイアー市。セピアス岬はマグネシア地方南東の先端部と考えられていた。

古代の何人かの著述家がテティス崇拝について言及している。歴史家ヘーロドトスはペルシア戦争と関連してテッサリアー地方のテティス崇拝について言及している。テルモピュライの戦い(前480年)に先立ち、クセルクセース1世率いる大海軍がギリシアに到達したとき[61]、マグネーシア地方のカスタナイアー市(Kasthanaie)とセピアス(Sepias)岬の間にある浜辺に停泊した。しかしペルシア軍は3日3晩激しい嵐に見舞われ[62]400隻もの軍勢を失った[63]。そのためペルシア軍はイオニア人の助言に従い、セピアス岬を聖域とするテティスとネーレーイデスに対して嵐の鎮静化を祈願したという[12]。このセピアス岬の正確な位置は不明瞭である。20世紀初頭にA. J. B. ウェイス(A. J. B. Wace)とJ. B. ドループ(J. B. Droop)の2人はセピアスの発掘調査を行ったが、神殿の遺構は発見されなかった[64]

パウサニアスによるとテティスはスパルタに聖域を持っていた。アギス朝のアナクサンドロス王(在位:前640年-前615年頃)の時代、スパルタは離反したメッセニア人を平定するためメッセニア地方に侵攻し、女たちを捕虜にした。その中にテティスの女祭司クレオーがおり、王の妻レアンドリスは彼女がテティスの木彫神像を持っていることに気がつくと、王に願って彼女を譲り受け、2人でテティスの神殿を造営した[65]。また木彫神像は非公開のまま聖域で守護されていた[66]。これによるとスパルタのテティス崇拝はメッセニア地方まで遡り、スパルタでの崇拝は紀元前7世紀に始まって、パウサニアスが生きた2世紀でも続いていたことになる。

ピロストラトスが言及するテッサリアー地方のアキレウス崇拝によると、テッサリアー人はドードーナの神託によってトロイア地方まで航海し、アキレウスの供儀を行った。彼らは上陸する際に船上からテティスの讃歌を唱えなければならなかった。しかし彼らが供儀の習慣を止めてしまったとき、アキレウスとテティスはテッサリアー地方に災厄をもたらしたという[67]

アルクマーンの宇宙開闢詩

アルクマーンの宇宙論的な詩は1957年にオクシュリュンコス・パピュルスから発見された。詩は古代の注釈者によって断片的に引用されており、注釈者は哲学的な用語を用いながらアルクマーンの詩を解説しようとしている。それによると原初の宇宙は無秩序で不定形の質料(ヒューレー)で成り立っており、やがてテティスが、続いてポロスが現れ、それが過ぎ去るとテクモールという神が現れたとしている。万物は青銅に似ており、テティスはそこから青銅器を作る職人に喩えられている。またポロスは始原であり、テクモールは終末であるとし、さらに闇(スコトス)が生まれたと述べている。しかし注釈は錯綜しており、テティスが生まれたとき、万物の始原と終末も同時に生まれたとしている[68][69][11]

研究

かつてテッサリアー神話におけるテティス、ペーレウス、ケイローンの結びつきに注目したヴィルヘルム・マンハルトドイツ語版は、『森と畑の祭祀』第2巻(1877年)で結婚からアキレウスの幼少期までを描いた叙事詩『ペーレイス』が存在したと主張した[70][64]。マンハルトの仮説が証明される見込みはないが、テティスの結婚に関してまとまった伝承が『イーリアス』以前に存在していたことは確実と見なされている。『イーリアス』では結婚に関する伝承が断片的に見られるほか、別離の伝承が詩全体を通して効果的に活用されている。作中でアキレウスの嘆きに応えて現れる身軽さは、ペーレウスとの結婚生活が破綻し、海底のネーレウスの館で暮らしていることに由来している。また最後の24巻では詩人はゼウスの要請に従ってオリュムポスに赴くテティスを語っているが、この描写はアキレウスのためにオリュムポスに赴く1巻と対比の関係にある[71]。1巻と24巻はテティス以外にも登場人物が対比的に描かれており[注釈 8]、彼らの行動によって物語をまとめ上げる詩人の構想が見て取れる。一方『イーリアス』のゼウスを救出する神話(1巻396行-406行)は否定的に解釈される傾向にある。すでに古代アレクサンドリア図書館の初代館長を務めた文献学者ゼノドトス英語版は当該箇所を削除しており[11]、現代においてもマルコム・モーリス・ウィルコック(Malcolm Maurice Willcock)やM・W・エドワーズ(M. W. Edwards)といった研究者がテティスを詩人の《発明》と見なしている[72][73][71]。しかし近年はスラトキン(Laura M. Slatkin)の 著書 "The Power of Thetis"(1991年)のようにテティスを捉え直す研究もある(同書はテティスを単独で扱った最初の研究書となっている[14])。その他にアルビン・レスキードイツ語版は1巻396行-406行をもとにテティスを偉大な女神だったと位置付けることで、テティスの神話を解釈しようとした[74][71]。アルクマーンの宇宙論的な詩によってテティスを原初的かつデーミウールゴス的な性格を備えた偉大な女神と見なすことは可能だが、古代の注釈者の引用が断片的であること、また詩を当時の宇宙論的思想で解釈したと考えられることから慎重に扱う必要があるとされている[11][69]。もっとも、テティスの原初的性格は彼女の名前から窺えるとする意見もある。即ちテティスの名前は原初の海の女神テーテュースと発音でも意味でもたがいに似ており、どちらも元来は海の女主人であったと考えられる[75]。最後に比較神話学の視点からテティスの神話とインドの叙事詩『マハーバーラタ』とを比較することが提案されている。この研究ではテティス=アキレウスとガンガービーシュマの母子関係との間の驚くべき一致が指摘されている。海の女神テティスは多くの赤子を水に沈めて溺死させたと伝えられるが[29]ガンジス川の化身である女神ガンガーもまた(前世の罪のためにガンガーの子として地上に生まれてきたヴァス神群を天に還すため)多くの赤子を川に沈めて溺死させたと伝えられている[76]。テティスもガンガーもともに水域の女神であり、子供を溺死させ、最後に残った子供が後に大戦争で活躍する大英雄になるという点で一致している。このような類似はインド=ヨーロッパ共通時代に遡る伝承であることを示しているという[77][78]

西洋絵画

テティスの神話は古代以来、芸術家たちの創作の源泉となった。ルネサンス以降の西洋絵画で好まれた主題はテティスとペーレウスの結婚であり、アキレウスと関係のあるエピソードもまた同様に描かれた。他の神々と描かれた例としてはゼウス(ユーピテル)、ヘパイストス(ウルカーヌス)、アポローンなどの例がある。テティスの最も有名な絵画作品はフランス新古典主義の画家ドミニク・アングル1811年に描いた『ユピテルとテティス』で、『イーリアス』第1巻のテティスの懇願を主題としているが主題としては少数派である。アポローンとともに描かれた例は日没の寓意となっている。こちらはフランソワ・ブーシェの対作品『日の出』、『日没』が有名。

ペーレウスとテティスの結婚

テティスとアキレウス

テティスと神々

脚注

注釈

  1. ^ Bowra (1961) 25-6, Barrett (1961) 689, West英語版 (1963) 154-56, West (1967) 1-15, Penwill (1974) 15, Detienne and Vernant (1978) ch.5, Segal (1985) 179.[11]
  2. ^ Der Kleine Pauly はテッサリアー地方,スパルタ,ギュテイオン,エリュトライで崇拝されたとする[14]
  3. ^ 紀元4世紀ごろのクイントゥスがヘーパイストス、ディオニューソスを保護したエピソードとともに簡単に言及するという例はあるが[16]『イーリアス』以外ではほぼ知られていない伝承である。
  4. ^ ホメーロス風讃歌』第3歌「アポローン讃歌」やアポロドーロスではヘーパイストスを助けたのはテティス1人となっている[18][19]
  5. ^ 古代ローマの詩人カトゥルスの詩によると、ペーレウスがテティスを見染めたのはアルゴー船が出航した際に、テティスがアムピトリーテーのお供として見物に現れたときである[36]
  6. ^ アキレウスに討たれたヘクトールが息を引き取る前に予言した言葉ではパリスとアポローン[42]
  7. ^ 古代では以下の表記が知られている。テティディオン(Θετίδιον, Thetidion[55][56]、テティデイオン(Θετίδειον, Thetideion[57]、テスティデイオン(Θεστίδειον, Thestideion[58]
  8. ^ クリューセーイスの返還を求める老神官クリューセース(1巻)と息子ヘクトールの遺体の返還を求める老王プリアモス(24巻)、それを追い返すアガメムノーン(1巻)と迎え入れてもてなすアキレウス(24巻)という対比。

脚注

  1. ^ ヘーシオドス『神統記』244行。
  2. ^ アポロドーロス、1巻2・7。
  3. ^ ヒュギーヌス『天文譜』2巻18。
  4. ^ ロドスのアポローニオス『アルゴナウティカ』1巻558への古註。
  5. ^ クレータのディクテュス、1巻14、6巻7。
  6. ^ ヘーシオドス『神統記』1006行-1007行。
  7. ^ アポロドーロス、3巻13・5-13・6。
  8. ^ シケリアのディオドロス、4巻72・6。
  9. ^ 『イーリアス』18巻127行。
  10. ^ 『神統記』1006行。
  11. ^ a b c d Noriko Yasumura, Cosmogonic Fragment of Alcman (Oxyrhynchus Papyri XXIV).
  12. ^ a b ヘロドトス、7巻191。
  13. ^ パウサニアス、3巻14・4-5。
  14. ^ a b 角田幸彦「ホメロス作品世界の精神史的考察 新稿」。
  15. ^ 『イーリアス』1巻396行-406行。
  16. ^ クイントゥス『トロイア戦記』2巻。
  17. ^ 『イーリアス』18巻。
  18. ^ 『ホメーロス風讃歌』第3歌「アポローン讃歌」319行-320行。
  19. ^ アポロドーロス、1巻3・5。
  20. ^ 『イーリアス』6巻。
  21. ^ アポロドーロス、3巻5・1。
  22. ^ ピンダロス『イストミア祝勝歌』第8歌27行-47行
  23. ^ a b c アポロドーロス、3巻13・5。
  24. ^ ヒュギーヌス、54話。
  25. ^ オウィディウス変身物語』11巻。
  26. ^ 『キュプリア』断片(ピロデモス『敬虔について』B7241-50)。
  27. ^ ピンダロス『ネメア祝勝歌』第4歌62行-65行。
  28. ^ プロクロス『文学便覧』「キュプリア梗概」。
  29. ^ a b アイギミオス英語版』断片(ロドスのアポローニオス『アルゴナウティカ』4巻816行への古註)。
  30. ^ スタティウス『アキレイス』1巻269行。
  31. ^ ロドスのアポローニオス、4巻866行-870行。
  32. ^ a b アポロドーロス、3巻13・6。
  33. ^ ロドスのアポローニオス、4巻780行-841行。
  34. ^ ロドスのアポローニオス、4巻866行-870行。
  35. ^ アポロドーロス、1巻9・25。
  36. ^ 松田治『トロイア戦争全史』p.15。
  37. ^ アポロドーロス、3巻18・8。
  38. ^ アポロドーロス、摘要(E)3・26。
  39. ^ アポロドーロス、摘要(E)3・29。
  40. ^ 『イーリアス』9巻410行-416行。
  41. ^ 『イーリアス』21巻277行。
  42. ^ 『イーリアス』22巻359行。
  43. ^ 『イーリアス』18巻9行-11行。
  44. ^ 『イーリアス』1巻364以下。
  45. ^ 『イーリアス』18巻35行-72行。
  46. ^ 『イーリアス』19巻1行-39行。
  47. ^ 『イーリアス』24巻1行以下。
  48. ^ パウサニアス、5巻19・2。
  49. ^ アイスキュロス断片。
  50. ^ 『オデュッセイア』24巻47行-97行。
  51. ^ プロクルス『文学便覧』「アイティオピス梗概」。
  52. ^ クイントゥス、3巻。
  53. ^ ピロストラトス『ヘーロイコス』51。
  54. ^ ピロストラトス『ヘーロイコス』54。
  55. ^ ストラボン、9巻5・6(C431)。
  56. ^ ポリュビオス歴史』18・3・4。
  57. ^ エウリーピデース『アンドロマケー』20行。
  58. ^ ビューザンティオンのステファノス。
  59. ^ エウリーピデース『アンドロマケー』16行-20行。
  60. ^ エウリーピデース『アンドロマケー』1231行以下。
  61. ^ ヘーロドトス、186。
  62. ^ ヘーロドトス、188。
  63. ^ ヘーロドトス、190。
  64. ^ a b Emma Aston, Thetis and Cheiron in Tessaly.
  65. ^ パウサニアス、3巻14・4。
  66. ^ パウサニアス、3巻14・5。
  67. ^ ピロストラトス『ヘーロイコス』53。
  68. ^ アルクマーン断片5。
  69. ^ a b 廣川洋一「哲学の始まりと抒情詩 アルクマンの場合」。
  70. ^ Wilhelm Mannhardt, Antike Wald- und Feldkulte aus nordeuropäischer Überlieferung, 1877, Bd. II, p. 52-55.
  71. ^ a b c 岡道男『ホメロスと叙事詩の環』。
  72. ^ M. M. Willcock, 1964, p.143.
  73. ^ M. W. Edwards, 1987, p.67.
  74. ^ Albin Lesky, Peleus, 1937.
  75. ^ カール・ケレーニイ『ギリシアの神話 神々の時代』1章1。
  76. ^ 『マハーバーラタ』1巻91章-93章。
  77. ^ 吉田敦彦『ギリシァ神話と日本神話』p.71-74。
  78. ^ 沖田瑞穂「印欧語族の豊穣女神に共通する諸特徴について」。

参考文献

論文

  • 岡道男 「ホメロスと叙事詩の環」 『京都大学文学部研究紀要』 乙第3361号 博士論文, hdl:2433/221481
  • 沖田瑞穂「印欧語族の豊穣女神に共通する諸特徴について」 『学習院大学人文科学論集』 2003年 12号 p.181-206, hdl:10959/1944
  • 角田幸彦ホメロス作品世界の精神史的考察 新稿」 『明治大学教養論集』 2017年 531巻 p.1-53 ,hdl:10291/19243
  • Noriko Yasumura, Cosmogonic Fragment of Alcman (Oxyrhynchus Papyri XXIV) (PDF)、西洋古典論集17(2001年)
  • 廣川洋一「哲学のはじまりと抒情詩 アルクマンの場合」 『西洋古典学研究』 1972年 20巻 p.40-48, doi:10.20578/jclst.20.0_40
  • Mmma Aston, Thites and Cheiron in ThessalyHTML), Kernos 22, 2009.

関連項目