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秋田県

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あきたけん ウィキデータを編集
秋田県
秋田県旗
秋田県旗(中央は県章)
日本の旗 日本
地方 東北地方
団体コード 05000-8
ISO 3166-2:JP JP-05
面積 11,637.52km2
総人口 893,908[編集]
推計人口、2024年12月1日)
人口密度 76.8人/km2
隣接都道府県 青森県岩手県山形県宮城県
県の木 秋田杉
県の花 フキノトウ
県の鳥 ヤマドリ
他のシンボル 秋田県民歌県民の歌
秋田県庁
知事 佐竹敬久
法人番号 1000020050008 ウィキデータを編集
所在地 010-8570
秋田県秋田市山王四丁目1番1号
第二庁舎〒010-8572
(秋田県教育庁のみ〒010-8580)
山王三丁目1番1号
秋田県庁
秋田県庁
外部リンク http://www.pref.akita.lg.jp/ 美の国あきたネット
秋田県の位置

秋田県行政区画図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキポータル 日本の都道府県/秋田県
ウィキプロジェクト

秋田県(あきたけん)は、日本東北地方の県のひとつで、日本海に面する。県庁所在地秋田市

地理・地域

位置

地形

自然公園

気候

秋田県は日本海に面しており、気候区分日本海側気候に分類される。

同じ日本海側の山形県新潟県と同様に冬季には対馬暖流の影響もあってか日本海側から湿った冷たい風が吹き、みぞれを降らせる。一部例外もあるが隣県の山形県と同様に県全域のおよそ90%の地域が特別豪雪地帯に指定されており、雪が多く降り積もりやすい。冬季間の日照時間は全都道府県の中で最も少ない。そのため、朝晩の放射冷却現象が起こらず、特に日本海側沿岸部などは関東平野内陸部よりも朝の気温が高いことも多いなど緯度の割には温暖であり日較差が非常に小さいのが特徴である。内陸部の一部はケッペンの気候区分による亜寒帯湿潤気候(Dfa,Dfb)となり、寒さが厳しい。また、時として秋田沖付近に発生する極低気圧からもたらされる暴風雪やゲリラ豪雪による悪天候も決して珍しくない。

一方、日本海側気候でありながら夏季は高温多湿でどんよりとしており、梅雨明けのないまま秋を迎えることも珍しくない。しかしながら太平洋側から吹く季節風奥羽山脈の山々に遮られ、時としてフェーン現象が発生することがあり、冷害をもたらすと言われるやませも遮られ、特に県内陸部中央から県内陸南部では気温が上昇し真夏日猛暑日に、夜は熱帯夜になることも決して少なくない。そのためか四季の表情がはっきりとしている。

秋田県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報
平年値
(月単位)
日本海側沿岸部 北東部内陸
八峰町
八森
能代 大潟 男鹿 五城目 秋田 秋田市
岩見三内
秋田市
雄和
秋田市
大正寺
由利本荘市
本荘
由利本荘市
矢島
にかほ市
象潟
北秋田市
鷹巣
北秋田市
脇神
北秋田市
阿仁合
大館
平均
気温
()
最暖月 23.9
(8月)
24.1
(8月)
23.6
(8月)
23.5
(8月)
23.7
(8月)
24.2
(8月)
23.7
(8月)
23.6
(8月)
24.1
(8月)
24.5
(8月)
24.9
(8月)
23.5
(8月)
23.0
(8月)
23.2
(8月)
最寒月 0.4
(1月)
-0.2
(2月)
-0.3
(1月)
-0.5
(1月)
-1.1
(1月)
0.0
(1月)
-1.5
(1月)
-1.2
(1月)
0.5
(1月)
-0.4
(1月)
2.1
(1,2月)
-1.2
(1月)
-2.4
(1月)
-2.5
(1月)
降水量
(mm)
最多月 167.3
(7月)
161.9
(6月)
161.5
(8月)
170.4
(8月)
175.9
(8月)
183.5
(11月)
233.4
(7月)
209.4
(11月)
211.7
(12月)
270.6
(11月)
188.5
(7月)
203.5
(7月)
236.1
(8月)
210.5
(7月)
最少月 58.3
(2月)
76.0
(3月)
62.5
(2月)
72.0
(2月)
78.8
(3月)
92.0
(2月)
111.7
(3月)
101.9
(3月)
101.0
(3月)
117.5
(5月)
93.9
(3月)
86.5
(2月)
111.3
(3月)
72.5
(2月)
平年値
(月単位)
北東部内陸 仙北・南東部内陸
鹿角 鹿角市
湯瀬
鹿角市
八幡平
仙北市
田沢湖
仙北市
角館
大仙市
大曲
横手 由利本荘市
東由利
湯沢 湯沢市
湯ノ岱
平均
気温
()
最暖月 22.8
(8月)
22.1
(8月)
19.9
(8月)
23.0
(8月)
24.0
(8月)
24.0
(8月)
24.4
(8月)
23.7
(8月)
23.7
(8月)
22.4
(8月)
最寒月 -3.1
(1月)
-3.0
(2月)
-5.1
(1月)
-3.0
(1月)
-2.0
(1月)
-2.0
(1月)
-1.8
(1月)
-1.4
(1月)
-1.8
(1月)
-2.4
(1月)
降水量
(mm)
最多月 165.8
(7月)
167.0
(8月)
209.8
(8月)
266.8
(7月)
234.4
(7月)
187.2
(11月)
167.8
(12月)
251.4
(12月)
172.2
(8月)
214.8
(8月)
最少月 58.9
(2月)
72.8
(3月)
94.0
(2月)
94.2
(2月)
120.5
(3月)
90.1
(3月)
79.4
(3月)
121.5
(4月)
70.5
(3月)
116.8
(3月)

自治体

県下には、以下の13市6郡9町3村がある。秋田県では、美郷町、三種町、八峰町が「ちょう」である以外は、町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む(対等合併によって誕生した町が「ちょう」を名乗る傾向がある。平成の大合併以前は、すべて「まち」と読んだ)。人口は2024年12月1日現在。

秋田県の地方行政区分を示した地図
秋田周辺地域(368,414人)
大曲・仙北地域(111,110人)
大館・北秋田地域(92,983人)
本荘・由利地域(91,570人)
横手・平鹿地域(78,689人)
能代・山本地域(67,609人)
湯沢・雄勝地域(53,055人)
鹿角地域(30,589人)

県内の消滅した郡の一覧

都市圏

都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷[1]

1980年 1990年 1995年 2000年 2005年
秋田 都市圏
384718人
秋田 都市圏
435144人
秋田 都市圏
450274人
秋田 都市圏
452316人
秋田 都市圏
429178人
大館 都市圏
95521人
能代 都市圏
102767人
横手 都市圏
111887人
横手 都市圏
108286人
大仙 都市圏
148258人
能代 都市圏
90847人
大館 都市圏
90069人
能代 都市圏
99720人
大曲 都市圏
104840人
由利本荘 都市圏
118527人
横手 都市圏
72708人
横手 都市圏
78822人
大館 都市圏
88231人
能代 都市圏
95578人
横手 都市圏
106832人
大曲 都市圏
69993人
大曲 都市圏
77328人
大曲 都市圏
87986人
本荘 都市圏
86256人
能代 都市圏
90887人
本荘 都市圏
67337人
本荘 都市圏
68446人
本荘 都市圏
82462人
大館 都市圏
86246人
大館 都市圏
82504人
湯沢 都市圏
49612人
湯沢 都市圏
68421人
湯沢 都市圏
81476人
湯沢 都市圏
77989人
湯沢 都市圏
73557人

地域圏(広域都市圏)

秋田県 地域区分図

県の地域振興局の管轄地域により、県内は8つの地域圏に区分されている。それらは「県北」「中央」「県南」の3つに大別されている。由利地域振興局管内(旧由利郡地域)を県南とすることもある。ただし、衆議院選挙・小選挙区の区割りでは、秋田市(1区)・県北(2区)・県南(3区)とされている。

地域圏の名称は目的に応じて多少違いがあり、振興局の名称は旧郡名、地域の名称は平成の大合併前の中心市名と旧郡名、都市計画における広域都市圏の名称は平成の大合併前の中心市名となっている。 以下に記載する人口は、2006年(平成18年)8月1日現在の推計人口。秋田県の総人口は1,135,156人。

歴史

現在の秋田県は令制国での出羽国(明治初年に羽後国)と陸奥国(明治初年に陸中国)の一部からなる。「秋田」の名前の由来は土壌が稲作に向かなかったため付けられた「悪田」が転じたものだとも、アゴに似た地形から付けられた「齶田(あぎた)」が転じたものだともいわれている。天平時代に「秋田」の表記で定着した。

古代

秋田県にも旧石器時代から人が住んでいた証拠としてたくさんの遺跡が発掘されている。それらの遺跡から人の手によって加工された石器がたくさん出土している。それらの石器は生活の道具として使用されたのであろう。製作技術からナイフ形石器細石刃などと命名されている。このうち細石刃は木や骨などに溝を彫ってそこに埋め込み、鋭利な刃物として使用したと推測され、旧石器時代終末から縄文時代草創期にかけて使用されたと考えられている。

遺跡発掘としては、1969年(昭和44年)から5次にわたって発掘された大仙市協和町の米ヶ森遺跡がはじめである。この遺跡からは石器・石核・石片などおよそ1000点が出土している。この後は工業団地や自動車道などの建設工事で多くの遺跡が発掘調査されている[3]

今からおよそ1万2000年前になると土器が製作されはじめ、定住生活も始まった。縄文時代である。縄文人によって、現在の秋田県域にも縄文文化が栄えた。縄文後期の墓地遺跡であるストーン・サークル環状列石・石籬;せきり)が1931年(昭和6年)に確認された。1951年(昭和26年)と翌年の1952年(昭和27年)にも考古学研究の国営事業として発掘調査が行われたので全国的に知られるようになった。その遺跡は鹿角市の大湯にあり、同規模の2つの環状列石で、西側が万座遺跡、東側が野中堂遺跡である。やや大きい万座遺跡は、環状部分が直径46メートルある。太平洋戦争中は「神代」(かみよ)の遺跡として扱われた。

西日本では、この縄文人に加え弥生時代頃から弥生人と呼ばれるユーラシア大陸東部からの移住民が増えた。雑多な民族は次第に統一され、ヤマト民族としての統一国家が近畿地方を中心に形成された。これが後に朝廷と呼ばれるようになる。朝廷は8世紀に国号を「日本」と改めた。現在の秋田県を含む東北地方北部はこの時点で、朝廷に属していなかった。そのため朝廷はこの地方への征服活動を進めた。

8世紀の前半に朝廷により日本海沿岸北辺の交易・征服などの拠点として出羽柵が現在の山形県庄内地方に設置されるが、733年天平5年)12月26日、出羽柵は秋田村高清水岡(現在の秋田県秋田市)へ移設された(続日本紀)。出羽柵は760年頃に秋田城に改称される。780年には出羽国府が秋田に移されたが、エミシ民族(蝦夷:縄文人の末裔とも、朝廷に属さないヤマト民族ともいわれる)の反撃によって秋田城が陥落し、出羽国府は再び移されることになった。秋田城はこの後朝廷側によって再建され、北東北日本海側征服の一大拠点となる。この頃になると墾田の私有が認められ、地方豪族の勢力はいっそう発展した。9世紀頃には太政官命令で、勝手に開墾地を私有し農民を困らせてはならぬとの規則が出るほどになる。

878年元慶2年)元慶の乱が起こった。これは重いや労役の苦しみに耐えかねた蝦夷の秋田城司に対する反抗であった。秋田城や民家は焼き払われ、多くの物資や兵を失った。朝廷は急いで陸奥国から五千人の援軍を派遣したが平定に失敗し、新任出羽守の藤原保則を派遣した。保則は反乱の平定に蝦夷をもって当たらせることで成功した。この後、城の修復や兵力の増強をはかったが、939年天慶2年)には再び天慶の乱が発生した。当時はこのように蝦夷に対する朝廷の力は絶対的なものではなく、「俘囚の長」と呼ばれたヤマトに服属するエミシ民族の地方豪族の力は加速度的に強大になっていった。

前九年の役と後三年の役

中央の律令政治が衰えるとともに、私有地の占領が次第に増え、農民は有力豪族の保護を求めるようになり、蝦夷地の各所には豪族を中心とする武士の集まりができた。豪族は更に、重要地点に分家を配して勢力を拡げて団結を強固にした。その中の有力だったものが陸奥の安倍氏、出羽の清原氏である。

北上川中流以北に勢力を広げていた安倍氏は朝廷に対する貢租・徴役を怠り、横暴な態度であるというので朝廷は討伐を行った。これが前九年の役(1051 - 1062) である。しかし、当時の陸奥守や秋田城介の力では討伐ができず、新興武士であった源頼義が陸奥守として向けられ、七年以上にわたり戦いを繰り広げた。頼義も自軍のみで討伐できずに横手付近に根拠をおいた豪族清原光頼に臣下の礼の形を取り参戦を依頼した。光頼は弟の武則を大将とする一万余の兵を出し、遂に討伐に成功した。源頼義、義家の兵力はわずか三千であったが、この清原氏が出した兵力だけでもその武力を伺い得る。

しかしこの後、武則の孫の代にいたって一族争いが起こり、家衡が出羽国、沼柵(現在の横手市雄物川町沼館)に立てこもる。家衡はここを源義家に攻められ、金沢柵横手市金沢中野)に移ったが、遂に敗れた。これが後三年の役(1083 - 1087) である。この戦の後に、清衡が奥州藤原氏として栄えた。

中世

奥州藤原氏は初代の清衡から二代基衡、三代秀衡を経て四代泰衡に至るまでのおよそ一世紀(11世紀末 - 12世紀末)にわたって栄え、東北の天地は完全に豪族の支配下になった。藤原氏の支配原理は、代々押領使を世襲することで軍事指揮権を公的に行使し、併せて荘園の管理も請け負うというものであり、当時の秋田では比内郡の河田氏、秋田郡の大河氏、由利地方の由利氏が藤原氏の支配下にあったと言われているが、近年の研究では出羽国奥州合戦後も御家人として在地支配を許された豪族が多いことおよび渥美・常滑焼が広まった平泉付近を中心とする太平洋側と珠洲焼の出土が多い秋田郡近辺の陶器文化圏が異なることから、在地領主の家人化が進んだ陸奥国と押領使としての軍事指揮権に留まった出羽国の差を指摘する見解もある。特に出羽北部である秋田地方には荘園が存在せず、公領制一色の世界であったため、どの程度まで奥州藤原氏の支配が及んだかは疑問であるとされている。

隆盛を極めた藤原氏も、鎌倉幕府を創設した源頼朝平泉の藤原氏にのがれた弟義経を追討することによって打ちくだかれる。頼朝は1189年、十九万の軍勢を率いて奥州征伐を行った。藤原泰衡は平泉から蝦夷地への逃亡を始めたが、途中立ち寄った河田氏の元で裏切りに遭い、河田次郎によって討ち取られる。同年12月に挙兵した大河氏の大河兼任も挙兵3か月で討ち取られた。

数世紀にわたった豪族の天下も、この藤原氏の滅亡で幕を閉じ、東北は完全に頼朝の支配下となった。藤原氏を倒した頼朝は、御家人地頭職を新たに東北各地に配し、東北における大きな政治的転換点となった。頼朝が秋田に配した御家人は成田氏安保氏秋元氏奈良氏、橘氏、浅利氏平賀氏小野寺氏などであった。また由利氏は藤原氏に仕えていたが、そのまま由利地方を治めることとなった。これらの豪族はほぼそのまま藩政以前までその地を治めることとなる。

その後、日本海北部に勢力を持った安東氏(安藤氏ともいう)が津軽地方から南下し、戦国時代になると檜山安東氏と湊安東氏の一族抗争があったものの、安東愛季の時代に最盛期を迎えた。横手盆地には戸沢氏前田氏本堂氏六郷氏小野寺氏などが勢力を持っていた。由利郡は由利氏の一族と地頭であった小笠原氏の子孫などが中小の豪族に分かれ由利十二頭と呼ばれる勢力になった。

近世

1600年慶長5年)の関ヶ原の戦いで西軍を破った徳川家康征夷大将軍に任ぜられ、幕府江戸に開いて天下の実権を握った。秋田県下の諸大名は西軍についた小野寺氏以外は所領安堵されたが、慶長7・8年にほとんどが常陸に移らされて、多くの地域は鎌倉以来となる長年の領主と住民のつながりは切れた。幕府の武家諸法度、参勤交代制度、各大名の労力奉仕などのため、大名の財政は次第に困窮し、反対に幕府の支配力は強化されていった。

1602年(慶長7年)、秋田郡を領有していた秋田実季安東氏から改姓)と入れ替わりで、関ヶ原の戦いで西軍に内通していた佐竹氏常陸国から転封される。初代藩主は佐竹義宣。義宣ははじめ秋田氏の居城であった湊城(現在の秋田市土崎港)に本拠を置いたが、まもなく神明山(秋田市千秋公園)に久保田城を築いて居を移し、藩内を治めることとなる。その組織としては、領内統治を担当する家老の下に財政担当の勘定奉行、城下支配の久保田奉行、そのほか能代奉行、各郡の郡奉行、鉱山支配の銅方奉行、山林支配の木山奉行などを配した。このような藩の組織機構の下、直接生産を営む農民と、その中間の商人・職人が位置づけられ、新たな時代の生活が始まった。

佐竹氏は54万石の常陸から、明治まで表高20万石の久保田藩を治めることになったが、実際の内高は開墾などで田地が増し、40万石ぐらいであったとされる。領内に存在した院内鉱山阿仁銅山諸鉱山および全国的に著名な秋田杉などによって久保田藩財政は潤っていたと言われている。

近世の秋田地方からは思想家の佐藤信淵平田篤胤や秋田蘭画を切り開いた佐竹義敦・小田野直武らが出ている。また、本荘藩領にあった象潟は全国的に著名な景勝地であったため、松尾芭蕉らもこの地を訪れている。

幕末時点で後の秋田県下に領地が存在した藩は、久保田藩・本荘藩の他に岩崎藩亀田藩矢島藩盛岡藩領鹿角郡、および旗本領(仁賀保氏生駒氏六郷氏)があった。また、横手・大館に久保田藩城代が置かれた。

1868年に始まった戊辰戦争で、久保田藩ら出羽諸藩は奥羽越列藩同盟に加わる。しかし、久保田藩内の勤皇派がクーデターを起こして久保田藩は一転新政府側となったため(前後して岩崎藩・本荘藩・矢島藩も転向、亀田藩は転向後同盟軍に再加入)、ほかの奥州諸侯の標的となった(秋田戦争)。最終的に勝利したものの、久保田藩領の大半は荒廃したと言われる。

近・現代の年表

人口

秋田県(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 1,241,376人
1975年(昭和50年) 1,232,481人
1980年(昭和55年) 1,256,745人
1985年(昭和60年) 1,254,032人
1990年(平成2年) 1,227,478人
1995年(平成7年) 1,213,667人
2000年(平成12年) 1,189,279人
2005年(平成17年) 1,145,501人
2010年(平成22年) 1,085,997人
2015年(平成27年) 1,023,119人
2020年(令和2年) 959,502人
総務省統計局 国勢調査より

政治・行政

国政

衆議院小選挙区が3。参議院では、全県で1区を構成。

犯罪

人口あたりの刑法犯発生(警察による認知)率が日本で最も低い都道府県である。人口10万人あたりの犯罪件数は最少であり、最多の大阪府の5分の1の犯罪件数である。この理由については犯罪が発生しにくい街の構造(近年における商店街の空洞化など)であることや少子高齢化、および人口減少、過疎化が他県に比べて進んでいることなども影響しているという[28]

県政

歴代知事

財政

平成19年度
財政力指数 0.29 - IVグループ(財政力指数0.3未満)6自治体中2位
平成18年度
財政力指数 0.28 - IVグループ(財政力指数0.3未満)10自治体中6位
平成17年度
財政力指数 0.25 - IVグループ(財政力指数0.3未満)14自治体中10位
平成16年度
財政力指数 0.24 - IVグループ(財政力指数0.3未満)15自治体中11位

司法

友好提携

経済・産業

産業

携帯電話パソコンなどに不可欠な固定コンデンサの出荷額は1,712億円(2008年(平成20年)度)で全国1位[30]。木材生産量は全国4位。樹齢200年をこえる天然秋田杉木曽ヒノキ津軽ヒバとならび日本三大美林のひとつ。コメの産出は北海道新潟県に次いで全国3位である。稲庭うどんは日本三大うどんのひとつ。日本酒の生産高は、兵庫県京都府、新潟県、埼玉県愛知県に次いで全国6位である。[31]1人当たりの県民所得は全国34位(平成21年度)。[32]

農業

畜産業

  • 肥育牛
    • 秋田県内の肉用牛としては黒毛和種が大部分を占めている。主な銘柄として秋田錦牛、三梨牛(湯沢市)、由利牛(由利本荘・にかほ市)、羽後牛(羽後町)が挙げられる。また2011年(平成23年)現在、正式な商標ブランドではないものの、鹿角市では日本短角種である「かづの牛」の飼育が盛んである。[33]
  • 養豚
    • 「桃豚」や「八幡平ポーク」、「杜仲豚」、「シルクポーク」などのブランド豚が存在している。
  • 養鶏

林業

漁業

第二次産業

金融機関

銀行
信用金庫
信用組合

秋田県に本社を置く主な企業

生活・交通

警察

交通

医療・福祉

災害拠点病院
保育所

教育

学校施設など
  • 2004年(平成16年)から高等学校の一学区制が導入された。
  • かつて私立高校だった秋田経済大学附属合川高等学校が組合立に移管され、北秋田市発足と同時に北秋田市立になる。2011年(平成23年)には秋田県に移管したあとに、北秋田市地区の4校を秋田県立秋田北鷹高等学校に統合した。
  • 公立高校県立市立)は57校、私立高校は5校あり、私立のうち2校が女子校である。男子は3校より選ぶために公立の滑り止めの役割を果たせず、私立高校の増加および女子校である2校を共学化することが望まれている。そのため2000年代中盤より、他県では見られない『前期』『一般』『後期』の3つの選抜日程がある[36]
    • 前期選抜…旧来は推薦入試として行われていた。現在も実質的に推薦入試である。
      • 選抜方法…面接は全学校とも課す。学校によっては作文・実技を課す。
    • 一般選抜…学力検査を課す一般入試日程。なお『中期選抜』の名称ではない。
      • 選抜方法…五教科の学力検査および面接を課す。
    • 後期選抜…いわゆる2次選抜である。他県は定員に満たない学校のみが多いが、秋田県は募集定員が決まっている。募集人数は後期募集人数と前期・一般選抜の不足分を合わせた人数である。進学校などでは、後期選抜を行わない高校もあり、差別化が図られている。
      • 選抜方法…面接は全学校とも課す。学校によっては独自の試験問題、作文、実技を課す。試験問題は一般選抜も参照している。
高等教育
専修学校
特別支援学校
高等学校
中学校
小学校
幼稚園

マスメディア

新聞

地方紙
  • 秋田魁新報(県域)
  • 北鹿新聞(鹿角市・鹿角郡・大館市・北秋田市・北秋田郡)
  • おおだて新報(大館市・北秋田市・北秋田郡)
  • 秋北新聞(北秋田市・北秋田郡)
  • 北羽新報(能代市・山本郡)
  • 秋田民報(大仙市・仙北市・仙北郡)
  • 秋田県南日々新聞(インターネット)
  • あきた北新聞(同上)
  • 河北新報(本社 : 仙台市)も青森・岩手との北東北版で発行され、取材拠点もある。
全国紙

放送

JNN系列はIBC岩手放送(秋田市内、CATV)・青森テレビ(県北、CATV)・テレビユー山形(由利本荘市など沿岸部)を受信している世帯がある。
※もともと秋田県第3局目の民放テレビ局はTBS系での開局を希望していた県民が多かったが、既存局の反対などでテレビ朝日系で開局した[37]
※ 秋田県はビデオリサーチによる視聴率調査が行われている地域の中で唯一TBS系列の放送対象地域外の都道府県である。

コミュニティ放送局

文化・スポーツ

方言

秋田方言は一般的には本土方言-東日本方言-東北方言-北奥羽方言に含められ、金田一春彦による案では、外輪方言に含められている[38]

秋田方言の語彙中で、共通語と異なるものは、かつて中央語で使われていたものが古語として残存したものと、中央以外で独自の発展をしたものがある。周辺の県と連続する分布のものも多い。現在では共通語と異なる語彙は衰退が激しく、急激に共通語に置き換えられつつある。

秋田方言の母音音素は、共通語より1つ多い、/a//i//u//e//ɛ//o/ の6つが認められる。子音音素は、共通語と同じであるが、共通語のカ行にあたる /k/ 、タ・テ・トにあたる /t/ 、チ・ツにあたる /c/ は語中で有声化(濁音化)して、それぞれ [ɡ][d][z] と発音される。サ行にあたる /s/ やパ行にあたる /p/ は有声化しない。

食文化

どころであり、どころである。特に日本酒の消費量が多く酒の飲み過ぎに加えて、雪国のため保存食である漬け物などの塩分過多が加わり、脳卒中などの生活習慣病での死亡率も高くなっている。

  • きりたんぽは、もともと県北の食文化であるが、現在は秋田の代名詞として有名となり、全県で食べられるようになった。きりたんぽ鍋の出汁の多くは比内地鶏天然記念物比内鶏の改良品種)で取っている。
  • ハタハタを大量に消費し、一時は絶滅寸前まで追い込んだが(1980年代後半頃 - 2000年代前半頃)、禁漁や漁獲制限などを経て現在では資源が回復しつつあり、再び食卓に並ぶようになった。ハタハタの卵をブリコという。また、ハタハタの魚醤しょっつるといい、鍋料理が有名。ハタハタをすしにした鰰寿司も祝の席などで食べられている。
  • ほかに、とんぶりじゅんさいなどの珍しい野菜も食べられている。一部の地域では納豆砂糖を入れたり、赤飯にも多く砂糖を入れて作るなど甘みの多い味付けをする所もある(特に県南部で顕著である)。ひきわり納豆の消費も多い。イナゴ佃煮などにして食べる食習慣もある。
  • だまこもち
  • 稲庭うどん - 日本三大うどんの1つ。
  • 金萬 - 蜂蜜と卵を使用した白あんのまんじゅう。「株式会社 金萬」が製造。(都まんじゅうを参照)
  • ババヘラ - 主に露店販売される氷菓。夏になると、幹線道路沿いなどでババヘラの露店を多数見かけることができる。
  • さしぼ - イタドリの新芽。山菜。水煮の缶詰も販売されている。
  • さなづら
  • もろこし
  • バター餅

伝統工芸

経済産業大臣指定伝統的工芸品
伝統工芸品

民俗芸能

祭り

スポーツ

観光

有形文化財建造物

重要伝統的建造物群保存地区

秋田県を舞台とした作品

文芸

映画

ドラマ

秋田県にTBS系列はないが、ABS(秋田放送)で放送された。

歌謡

漫画

雪の峠・剣の舞』(2001年(平成13年)、講談社KCデラックス)所収。久保田城(現・千秋公園)築城と佐竹氏御家騒動を題材とする。
主に東北地方各地を舞台とするが、大館市秋田市などは特に重要な場面に登場する。
井川町井川さくら駅と日本国花苑が登場。

秋田県出身の人物

脚注

  1. ^ 金本良嗣. “都市雇用圏-Urban Employment Area-”. 東京大学 空間情報科学研究センター. 2013年8月2日閲覧。
  2. ^ a b 仙北市のうち八幡平頂上付近の県道などは、仙北地域振興局ではなく、鹿角地域振興局が管理する。
  3. ^ 冨樫泰時「あきたのあけぼの」10-14ページ(塩谷順耳・冨樫泰時・熊田亮介・渡辺英夫・古内龍夫『秋田県の歴史』山川出版社 2001年5月)
  4. ^ a b 「秋田市史 第四集」9頁。
  5. ^ a b 「秋田市史 第四巻」7頁。
  6. ^ 「秋田市史 第四巻」8頁。
  7. ^ 「秋田市史 第四集」8頁。
  8. ^ a b 「秋田市史 第四集」10頁。
  9. ^ 「秋田市史 第四集」81頁。
  10. ^ a b 「秋田市史 第四巻」107頁。
  11. ^ a b 「秋田市史 第四巻」84頁。
  12. ^ 「秋田市史 第四巻」11頁。
  13. ^ a b c 「秋田市史 第四巻」12頁。
  14. ^ 「秋田市史 第四巻」38頁。
  15. ^ a b 「秋田市史 第四巻」13頁。
  16. ^ かつて明徳館の所在地だったことから教育と縁のある地として選ばれた。
  17. ^ a b 「秋田市史 第四巻」97頁
  18. ^ a b c 「秋田市史 第四巻」64頁
  19. ^ 「秋田市史 第四巻」102頁。
  20. ^ a b c d e 「秋田市史 第四巻」14頁 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "akitasisi4-14"が異なる内容で複数回定義されています
  21. ^ a b 「秋田市史 第四巻」58頁。
  22. ^ a b c 「秋田市史 第四巻」61頁
  23. ^ a b c 「秋田市史 第四巻」98頁。
  24. ^ a b 「秋田市史 第四巻」118頁。
  25. ^ 「秋田市史 第四巻」35頁。
  26. ^ 「秋田市史 第四巻」119頁。
  27. ^ a b c 「秋田市史 第四巻」120頁。
  28. ^ 人口10万人あたり犯罪件数 最多の大阪は最少・秋田の5倍 - NEWSポストセブン(小学館) 2011年5月30日。
  29. ^ 秋田県・甘粛省交流事業 - 秋田県
  30. ^ 『朝日小学生新聞』2011年2月7日
  31. ^ http://www.nta.go.jp/shiraberu/senmonjoho/sake/shiori-gaikyo/seishu/2010/pdf/18.pdf 製成・移出入数量および集中度(都道府県別)
  32. ^ 都道府県別1人当たり県民所得 - 内閣府
  33. ^ 秋田魁新報社(編)『秋田大百科事典』 秋田魁新報社、1981年9月、108頁。
  34. ^ 平成17年秋田県工業振興アクションプラン(秋田県公式サイト)
  35. ^ ビックあきたvol.302(財団法人あきた企業活性化センター)
  36. ^ すべて秋田県公立高等学校入学者選抜実施要項 (PDF) より抜粋
  37. ^ 詳しくは秋田朝日放送#秋田県の民放三局目がテレビ朝日系となった経緯を参照
  38. ^ 柴田武ほか編『岩波講座 日本語11 方言』岩波書店、1977年(昭和52年)、57-73頁。

関連項目

外部リンク

行政
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