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青山貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青山貞

青山 貞(あおやま ただす、文政9年9月3日1826年10月4日) - 明治31年(1898年11月22日)は、明治時代内務官僚華族貴族院議員。通称、小三郎。

明治維新前

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越前国に生まれる。福井藩の藩校明道館で教鞭を執り、藩主松平茂昭の侍読になった。文久元年(1861年)に藩より樺太の調査の命を受けた。先代藩主松平慶永に認められ、国事を司る。そして、新政府において慶応4年(1868年)2月、参与職内国事務局判事となり、同年閏4月に京都府判事となった。

明治維新後

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明治2年(1869年)7月15日東京府権大参事となり、10月19日従五位に叙される。同年11月に東京府大参事なるが辞任。再び、明治3年(1870年)7月18日東京府大参事に任命され、明治4年(1871年)1月15日岩鼻県知事となる。同年10月、群馬県権知事(のちに群馬県権令、群馬県令となる)。明治6年(1873年)11月奈良県令、明治7年(1874年)1月司法大丞、明治10年(1877年)1月司法大書記官、明治19年(1886年)2月25日秋田県令(同年7月~地方官官制改正により秋田県知事)を務めた。そして、その功績により、明治20年(1887年)5月24日に男爵に叙任された[1]。明治22年(1889年)11月元老院議官に再任され(翌年10月20日迄)、明治23年(1890年)7月10日には、貴族院議員(没するまで)となり[2][3]、同年10月20日、錦鶏間祗候となる[4]。明治31年に73歳で没した。墓所は青山霊園

栄典

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位階
勲章等

親族

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脚注

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  1. ^ 『官報』第1169号、明治20年5月25日。
  2. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』61頁。
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、9頁。
  4. ^ 『官報』第2195号、明治23年10月22日。
  5. ^ 『官報』第1966号「叙任及辞令」1890年1月21日。
  6. ^ 『官報』第3266号「叙任及辞令」1894年5月22日。
  7. ^ 『官報』第1325号「叙任及辞令」1887年11月28日。
  8. ^ 『官報』第1929号「叙任及辞令」1889年12月2日。
  9. ^ 『官報』第4621号「叙任及辞令」1898年11月24日。

参考文献

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日本の爵位
先代
叙爵
男爵
青山(貞)家初代
1887年 - 1898年
次代
青山元