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* 菁画舎 - 出身の竹内留吉が設立。 |
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* RICE FIELD - 制作進行を務めた田原麻美が2021年に設立。 |
* RICE FIELD - 制作進行を務めた田原麻美が2021年に設立。 |
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2023年11月18日 (土) 05:02時点における版
本社(東京都西東京市田無町) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒188-0011 東京都西東京市田無町3丁目9番21号 北緯35度43分45.58秒 東経139度32分30.9秒 / 北緯35.7293278度 東経139.541917度座標: 北緯35度43分45.58秒 東経139度32分30.9秒 / 北緯35.7293278度 東経139.541917度 |
設立 |
1976年(昭和51年)9月9日 (シンエイ動画株式会社) (創立:1965年(昭和40年)12月(Aプロダクション)) |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 9012701002249 |
事業内容 |
アニメ制作事業 国内外の映像ライセンスビジネス コンテンツビジネス |
代表者 | 代表取締役社長 梅澤道彦 |
資本金 | 1億円(2022年3月31日現在)[1] |
発行済株式総数 | 160,000株 |
純利益 | 13億8100万円(2022年3月期)[1] |
総資産 |
99億3800万円 (2022年3月31日現在)[1] |
従業員数 | 105名(2022年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | 株式会社テレビ朝日 100% |
主要子会社 | 有限会社SynergySP |
関係する人物 | 楠部大吉郎(創業者) |
外部リンク |
www |
シンエイ動画株式会社(シンエイどうが、英: SHIN-EI ANIMATION Co., Ltd.)は、日本のアニメ制作会社。株式会社テレビ朝日の完全子会社で、日本動画協会正会員。
概要
代表作にテレビアニメの『ドラえもん』、『クレヨンしんちゃん』(テレビ朝日系)[注釈 1]、劇場用長編アニメ『ドラえもん』・『クレヨンしんちゃん』シリーズがある。そのほか、作画工程のみを他社から請け負う事業も行っており、2010年よりテレビ朝日の完全子会社となっている。シンエイ動画のルーツは1965年(昭和40年)12月に創立された有限会社エイプロダクション(通称:Aプロダクション)が前身で、Aプロダクションは東京ムービーと業務提携し、その制作担当として活動していた。
- 社名の由来
社名である「シンエイ」の由来は、楠部大吉郎のインタビューによると「新生Aプロ」、「新しいAプロダクション」という意味であり、新鋭という意味だとは説明していない[2][3]。発足時にシンエイ動画役員を務めた大塚康生も、自身の著書で新生Aプロという意味だと記している[4]。公式サイトでは「新しいAプロ=『新A』」、そして「アニメ界の『新鋭』でありたい」と伝えている[5]。新しく作られたロゴタイプは、シンエイの「A」に漫画風の頭と手を付けた、マスコットキャラクターの様なデザインとなっている。楠部デザインのこのキャラクターの名前は「エーちゃん」である[6]。
歴史
Aプロダクション時代
Aプロダクション(以下Aプロ)の名前は、「最初の文字であるA、エースという意味などで何となくつけた」という(創立者・楠部大吉郎の弁)[2]。
テレビアニメの黎明期、人形劇団出身者によって創立された東京ムービーがテレビアニメ『ビッグX』で経営危機に陥り、その失敗を踏まえて制作体勢を整えようとした。そこで当時の東京ムービーの社長であった藤岡豊が東映動画(現:東映アニメーション)から独立したアニメーター、楠部大吉郎に声をかけたことが創立のきっかけだった。楠部は、手始めに東映動画の新人アニメーターだった小林治をスカウトし、仕上げスタッフ数名とアニメーター研修生の中村英一を加えて、1965年12月に渋谷区代々木のマンションの一室を借りて事業を開始する。少し遅れて芝山努、椛島義夫、森下圭介が加わり、『オバケのQ太郎』の作画・仕上げ作業を受注する。
東京ムービーは営業を担当し、Aプロは制作担当として業務提携(資本関係なし)という形を取った。そして楠部の弟でもある楠部三吉郎が東京ムービーに入社し、制作管理スタッフとして兄の大吉郎を支えた。やがて東映動画も劇場長編アニメから新人を中心としたテレビアニメ制作へと方向転換を始めると、東映動画の長編スタッフ、中堅のスタッフが続々とAプロへ移籍して来る。これら移籍組の小山礼司、吉田茂承、大塚康生、宮崎駿、高畑勲、小田部羊一らアニメーターや演出家が東京ムービーの代表作である『巨人の星』『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』『ど根性ガエル』『荒野の少年イサム』『天才バカボン』など、数多くの作品を手掛けた。
作画・演出スタッフの他に美術部門・仕上げ部門も擁して、最盛時にはテレビアニメ5作品の同時制作を誇っていた。しかし1974年(昭和49年)、創立者の楠部大吉郎が病気で1年間療養したことや、更に東京ムービーの藤岡が日本市場への関心を失い、アメリカ市場開拓のために奔走しているうちに東京ムービー製作作品の本数が減少した。こうした背景と経営の危機を迎えたことで、実制作のみの体制に限界を感じた楠部は自社で企画・制作をする会社にするため1976年(昭和51年)の『元祖天才バカボン』を最後に東京ムービーとの提携を円満解消して独立した。こうしてAプロは1976年(昭和51年)9月9日に社名を「シンエイ動画株式会社」に変更し、改組した[7]。
シンエイ動画時代
こうして再出発したシンエイ動画は社屋を田無市[注釈 2]北原町へと移転し、その際には仕上部門を切り離し作画スタッフも大幅に削減して経営をスリム化している。この時に独立した作画スタッフが設立したものが、亜細亜堂等のスタジオである。なお、小山が率いた美術部門は小山自身が独立した形で、早くに廃している。そして東京ムービーに在籍していた楠部三吉郎は専務取締役としてシンエイ動画へと移籍し、兄の大吉郎と共に経営を支えた。Aプロからシンエイ動画として独立した記念として東京ムービーが持っていた『ドラえもん』の映像化権を、藤岡から譲渡されたという逸話がある[4]。
東京ムービーから独立後のデビュー作は、PR用の短編映画『草原の子テングリ』(1977年)であった。しばらくは他社のグロス請けなどをこなしたのち、1979年にはテレビアニメ『ドラえもん』を苦心の末、再びアニメ化にこぎ着ける。このシンエイ版『ドラえもん』の成功が、シンエイ動画の経営上の礎となった。
そして業務拡大のため、1982年には社屋を田無市南町に移転。一部のスタッフは旧スタジオに残り、あにまる屋(現: エクラアニマル)を設立した。そして1980年代を中心に数多くの藤子不二雄作品や『月刊コロコロコミック』連載作品などを中心に次々とアニメ化し、これらはテレビ朝日系を中心に放映された。1992年には、田無市本町[注釈 3]に社屋を新築し移転。この青い塗装のビルは同社の経営を支えた『ドラえもん』に感謝を込め『ドラえもんビル』という愛称[8]がある。同年にはテレビアニメ『クレヨンしんちゃん』がスタート。
2003年1月にはテレビ朝日がシンエイ動画の10%の株式を取得し、資本提携する。2009年4月よりテレビ朝日がシンエイ動画の株式の大半を取得し、テレビ朝日の連結子会社になった[9]。岩永惠が新社長に、楠部が代表取締役会長へ就任した。2010年10月15日、楠部が保有する株式をテレビ朝日が追加取得したことによりテレビ朝日の100%子会社となった[10][注釈 4]。2002年からテレビ朝日がケーブルテレビ・スカパー!、スカパー!プレミアムサービス、他で展開する通信衛星テレビ放送局・「テレ朝チャンネル」で、シンエイ動画製作作品(初回放送時にテレ朝系列でない作品を含む。)を集中的に取り上げる「シンエイアニメシアター」という番組が毎日放映されている。
2009年11月には旧社屋の北西方向、東京都道5号新宿青梅線旧道(青梅街道)沿い(西東京市田無町3丁目)に青い塗装の新社屋を落成、入居を開始した。旧社屋はしばらく空きテナントとなっていたが、2011年(平成23年)に社会福祉法人檸檬会がビルを借り上げ、「レイモンドたなしほいくえん」に転用された。
2012年7月、代表取締役社長に梅澤道彦常務が昇格し就任した。また別紙博行専務が代表取締役専務に昇格した。梅澤社長は前任の岩永同様、テレビ朝日からの出向であった。
2015年、別紙が代表取締役を退任し梅澤が単独で代表取締役を務めた。
2016年にはアスミック・エース、トムス・エンタテインメント、ジェイアール東日本企画、住友商事と共にアニメ製作プロジェクトチーム「あにめのめ」を立ち上げる。シンエイ動画はトムスと共同でアニメ企画・制作を担当し、2018年の枠消滅まで『笑ゥせぇるすまんNEW』『からかい上手の高木さん』など5作品を手掛けた。
2017年4月、SynergySPを子会社化。同社の代表に元取締役・チーフプロデューサーの増子相二郎が就任した(2022年退任)[11]。
2018年からは企画開発部門を強化する。これまでテレビ朝日プロデューサーとして数多くのシンエイ動画作品に携わってきた杉山登を執行役員として招聘し、外部クリエイターや制作会社と提携してコンテンツを共同製作する体制を作る。2019年には81プロデュースとのコラボレーションによるYouTubeプロジェクト『What 声 You?』を立ち上げ、同プロジェクトを通して『アイドールズ!』に出演する新人声優を発掘した。また、2021年1月に放映されたストップモーション・アニメーション『PUI PUI モルカー』はスタッフの想定を超える反響を呼び、新たなIPビジネスの活性化に貢献した[12][13]。同年より、シンエイ動画が9月9日に創立45周年を迎えることを踏まえ、4月9日から1年間を45周年イヤーと位置づけると共に、旧東映動画→東映アニメーションのインスピレーションにより社名とは別に「シンエイアニメーション」のロゴが採用された。
2021年11月、デジタル作画によるアニメーション制作需要に応えることを目的にギャザリングホールディングスと共同でデジタル作画スタジオを東京都中野区に設立することを発表した。スタジオの運営はギャザリングホールディングスの子会社であるレスプリが担当し、新規アニメーターの採用、育成は同社とシンエイ動画が共同で行う[14]。
2022年9月、関西圏での人材獲得並びに新人アニメーターの育成などを目的として兵庫県神戸市にスタジオを開設することが同年5月に神戸市から発表された。東京以外に拠点を置くのは、この事例が初めてとなる[15]。デジタル制作に特化したスタジオとして同年9月1日に開所式が行われ[16]、所長は『クレヨンしんちゃん』のチーフプロデューサーを務めた和田泰が就任した[17]。
劇場作品
シンエイ動画に改組してからの事実上の劇場デビュー作は、1980年(昭和55年)3月公開のドラえもん大長編シリーズ第1作『ドラえもん のび太の恐竜』である[注釈 5]。東宝の配給で同時上映は、『モスラ対ゴジラ』だった。東宝の番組ラインとしては、1978年まで学校の休み期間中に上映していたゴジラ映画と短編のテレビアニメ数本を上映する東宝チャンピオンまつりの流れを汲むもので[18]、当初は長編ではない予定だったが、原作者の藤子・F・不二雄から「僕の中では90分ないと映画とは呼べない」という要望を受けてオリジナルの新作長編映画として制作された[19][20]。以後、短編-中編の藤子作品の併映作と共に、毎年3月の春休み映画として『ドラえもん』の劇場版が上映されるようになった。1980年代に多く行われていた藤子アニメ三本立て興行は、1990年代以降、影を潜めた。しかし、『ザ・ドラえもんズ』といった30分の短編と大長編『ドラえもん』のセットは2004年まで続いた。映画『ドラえもん』大長編シリーズは、2005年(平成17年)からのテレビシリーズ全面リニューアルの影響でその年は作られず、2006年(平成18年)から再び上映されるようになった。これを機に、短編作品は作られなくなった。
一方、『クレヨンしんちゃん』に至っては『クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王』が作られ、1993年夏に映画初登場を果たした。1994年以降は、毎年春にシリーズで上映されている。一貫して長編だが、第7作のみ12分のショートムービーオムニバスを併映している。
なお、1981年夏の『21エモン 宇宙へいらっしゃい!』と『ドラえもん ぼく、桃太郎のなんなのさ』の同時上映、2003年冬の『あたしンち』は、シリーズ上映の予定があったとされる。前者はシリーズ化されればドラえもんをサブに置き、他の作品をメインに上映する形になる予定であった。[要出典]
これまでシンエイ動画制作の劇場アニメはテレビシリーズの映画化が中心だったが、2007年の『河童のクゥと夏休み』(監督: 原恵一)は改組後初めての劇場オリジナル作品となった。
CG・デジタル制作
CGの導入はかなり早く、1983年に特番『ドラえもん・ヨーロッパ鉄道の旅』で最初に使用し、翌1984年公開の映画『ドラえもん のび太の魔界大冒険』の予告編でもコンピューターを駆使して制作したと謳われた。この頃のCGは他社に外注の上で制作された。
1990年代に入ると、アニメーターの堤規至が『クレヨンしんちゃん』の特番用アバンタイトルにCGを取り入れ、やがて彼を中心にCGI班が立ち上がり、シンエイ動画社内でも制作されるようになった。
だが、1990年代後半から始まったアニメ業界のデジタル制作(デジタルペイント・デジタル撮影)化の波が押し寄せる中においても、仕上や撮影などの多くの作業を外注化していることから基本的にはセルアニメでの制作を堅持し続け、デジタル制作はあくまでも部分的使用に留まっていた。
2001年、外注スタジオのデジタル制作対応に伴い『ジャングルはいつもハレのちグゥ』でフルデジタル制作を本格的に開始。その流れに伴って2002年になってから他の作品もデジタルでの制作へと完全に移行した。
2005年4月以降は地上デジタル放送対応に伴い、全てのテレビ作品がハイビジョン制作されるようになったが、ローカルセールスだった『あたしンち』のみハイビジョン化が2006年4月8日まで持ち越しとなった。
作品履歴
テレビアニメ
開始年 | 放送期間 | タイトル | 備考 |
---|---|---|---|
1965年 | 8月 - 1967年6月 | オバケのQ太郎 | |
1967年 | 4月 - 1968年4月 | パーマン | 共同制作:スタジオ・ゼロ |
7月 - 1968年12月 | コメットさん | 第1期(ドラマ) 実写合成 アニメ作画 | |
1968年 | 3月 - 1971年9月 | 巨人の星 | |
4月 - 1969年3月 | 怪物くん | 共同制作:スタジオ・ゼロ | |
1969年 | 4月 - 9月 | ウメ星デンカ | |
10月 - 1970年12月 | ムーミン | 1 - 26話まで | |
12月 - 1971年11月 | アタックNo.1 | ||
1971年 | 2月 - 3月 | 珍豪ムチャ兵衛 | |
9月 - 1972年6月 | 天才バカボン | ||
9月 - 1972年12月 | 新オバケのQ太郎 | ||
10月 - 1972年3月 | ルパン三世 | ||
1972年 | 4月 - 1973年3月 | 赤胴鈴之助 | |
10月 - 1974年9月 | ど根性ガエル | ||
1973年 | 3月 - 9月 | ジャングル黒べえ | |
4月 - 1974年3月 | 荒野の少年イサム | ||
10月 - 1974年3月 | エースをねらえ! | ||
10月 - 1974年9月 | 侍ジャイアンツ | ||
空手バカ一代 | |||
1974年 | 4月 - 9月 | 柔道讃歌 | |
10月 - 1976年3月 | はじめ人間ギャートルズ | ||
1975年 | 4月 - 9月 | ガンバの冒険 | |
10月 - 1977年9月 | 元祖天才バカボン |
開始年 | 放送期間 | タイトル | 監督 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1977年 | 9月 - 1978年3月 | おれは鉄兵 | 長浜忠夫[注釈 6] 吉田茂承[注釈 6] |
|
1978年 | 4月 - 10月 | 一球さん | 福冨博[注釈 6] | |
1979年 | 2月 - 7月 | 日本名作童話シリーズ 赤い鳥のこころ | — | |
4月 - 2005年3月 | ドラえもん(テレビ朝日版第1期) | もとひら了[注釈 7] →芝山努[注釈 7] |
藤子不二雄劇場 | |
1980年 | 9月 - 1982年9月 | 怪物くん(第2作) | 福富博[注釈 6] | |
1981年 | 9月 - 1987年12月 | 忍者ハットリくん | 笹川ひろし(総) | |
1982年 | 4月 - 9月 | ゲームセンターあらし | 小華和ためお[注釈 7] | 制作協力:土田プロダクション |
11月 - 1984年3月 | フクちゃん | 笹川ひろし(監修) 藤みねお[注釈 6] |
||
1983年 | 4月 - 1985年7月 | パーマン(第2作) | 笹川ひろし(総) 原田益次 |
藤子不二雄劇場 |
1984年 | 4月 - 1985年3月 | オヨネコぶーにゃん | 笹川ひろし(総) 葛岡博[注釈 6] |
|
1985年 | 4月 - 1987年3月 | オバケのQ太郎(第3作) | 原田益次 | 藤子不二雄劇場 |
4月 - 1988年3月 | プロゴルファー猿 | 西村純二[注釈 7] | 制作協力:スタジオディーン | |
1987年 | 4月 - 1989年3月 | ウルトラB | 笹川ひろし(総) 原田益次 |
藤子不二雄劇場 |
4月 - 1989年10月 | エスパー魔美 | 原恵一[注釈 7] | ||
1988年 | 3月 - 1989年10月 | つるピカハゲ丸くん | やすみ哲夫 | |
4月 - 6月 | 新プロゴルファー猿 | 西村純二[注釈 7] | 制作協力:スタジオディーン | |
7月 - 1989年3月 | ビリ犬 | 笹川ひろし(総) 西村純二 | ||
10月 - 1992年3月 | 美味しんぼ | 竹内啓雄 | ||
1989年 | 1月 - 1992年9月 | おぼっちゃまくん | やすみ哲夫 | |
4月 - 9月 | ビリ犬なんでも商会 | 笹川ひろし(総) 西村純二 |
制作協力:スタジオディーン、ライフワーク | |
10月 - 1992年9月 | 笑ゥせぇるすまん | クニトシロウ(総) 米谷良知 |
||
11月 - 1991年4月 | チンプイ | 本郷みつる[注釈 7] | ||
1990年 | 4月 - 1991年3月 | ガタピシ | 笹川ひろし | |
7月3日 | 藤子不二雄Ⓐの夢魔子 | クニトシロウ | ||
10月 - 1991年4月 | 八百八町表裏 化粧師 | 福富博(総) | ||
1991年 | 4月 - 9月 | どろろんぱっ! | やすみ哲夫 | |
5月 - 1992年3月 | 21エモン | 原恵一[注釈 7] | ||
1992年 | 3月 - 6月 | さすらいくん | クニトシロウ(総) 米谷良知 | |
4月 - | クレヨンしんちゃん | 本郷みつる[注釈 8] 原恵一[注釈 9] ムトウユージ[注釈 10] | ||
1997年 | 7月 - 1998年3月 | 忍ペンまん丸 | やすみ哲夫 | |
1998年 | 10月 - 1999年11月 | ヨシモトムチッ子物語 | ||
1999年 | 10月 - 2001年9月 | 週刊ストーリーランド | — | 各話制作 |
2000年 | 3月 | 激動!歴史を変える男たち 〜アニメ静岡県史〜 | 政木伸一[注釈 6] | 静岡県ローカル |
2001年 | 4月 - 9月 | ジャングルはいつもハレのちグゥ[21] | 水島努 | |
2002年 | 4月 - 2009年9月 | あたしンち | 大地丙太郎[注釈 11] やすみ哲夫[注釈 12] | |
2005年 | 4月 - | ドラえもん(テレビ朝日版第2期) | 善聡一郎[注釈 13] 八鍬新之介[注釈 14] 小倉宏文[注釈 15] | |
2009年 | 10月 - 2010年6月 | ご姉弟物語 | やすみ哲夫 | |
2010年 | 7月 - 2011年3月 | スティッチ! 〜ずっと最高のトモダチ〜 | やすみ哲夫(総) 麦野アイス | |
2012年 | 1月 - 9月 | エリアの騎士 | 小倉宏文 | 制作協力:アセンション |
4月 - 2014年2月 | 黒魔女さんが通る!! | やすみ哲夫 | ||
2013年 | 5月 - 2017年3月 | NINJAハットリくんリターンズ | やすみ哲夫[注釈 16] 木野雄[注釈 17] |
共同制作:リライアンス・メディア・ワークス |
2014年 | 1月 - 5月 | となりの関くん | ムトウユージ | |
10月 - 12月 | デンキ街の本屋さん | 佐藤まさふみ | ||
10月 - 2016年12月 | 怪盗ジョーカー | 寺本幸代 | アニメーション制作協力:ベガエンタテイメント | |
2015年 | 10月 - 2016年4月 | 新あたしンち | 小倉宏文 | |
2016年 | 10月 - 2017年3月 | TRICKSTER -江戸川乱歩「少年探偵団」より- | 向井雅浩 | 共同制作:トムス・エンタテインメント |
2017年 | 4月 - 6月 | 笑ゥせぇるすまんNEW | 小倉宏文 | |
7月 - 12月 | 妖怪アパートの幽雅な日常 | 橋本みつお | 制作協力:SynergySP | |
2018年 | 1月 - 3月 | からかい上手の高木さん[22] | 赤城博昭 | |
1月 - 2020年3月 | ポチっと発明 ピカちんキット | 木村隆一 | 共同制作: オー・エル・エム 制作協力:SynergySP | |
2019年 | 4月 - 12月 | 少年アシベ GO! GO! ゴマちゃん(第4期) | 近藤信宏 | 共同制作:studioぱれっと |
7月 - 9月 | からかい上手の高木さん2 | 赤城博昭 | ||
2020年 | 4月 - 6月 | 八男って、それはないでしょう! | 三浦辰夫 | 制作協力:SynergySP |
10月 - 2021年3月 | アニメ カピバラさん | 月見里智弘 | 共同制作:レスプリ | |
2021年 | 1月 - 3月 | アイドールズ! | 中野翔太 | 共同制作:レイ |
PUI PUI モルカー | 見里朝希 | 共同制作:ジャパングリーンハーツ ストップモーション・アニメーション | ||
4月 - 6月 | すばらしきこのせかい The Animation | 市川量也 | 共同制作:ドメリカ | |
ましろのおと | 赤城博昭 | |||
iiiあいすくりん | 松村樹里亜 | 共同制作:TIA | ||
2022年 | 1月 - 3月 | からかい上手の高木さん3 | 赤城博昭 | |
4月 - 10月 | カッコウの許嫁 | 赤城博昭(総) 白幡良志之 |
共同制作:SynergySP | |
7月 - 9月 | ちみも | ぴのあると | ||
iiiあいすくりん2 | 松村樹里亜 | 共同制作:TIA | ||
2023年 | 4月 - 6月 | 僕の心のヤバイやつ | 赤城博昭 | |
10月 - | ビックリメン | 月見里智弘 | 制作、アニメーション制作:レスプリ | |
2024年 | 1月 - | 僕の心のヤバイやつ(第2期) | 赤城博昭 | |
休日のわるものさん | 小高義規 | 共同制作:SynergySP | ||
治癒魔法の間違った使い方 | 緒方隆秀 | 共同制作:スタジオアド |
テレビスペシャル
放映年 | タイトル | 備考 |
---|---|---|
1980年 | ドラ・Q・パーマン | ドラえもんの特番枠で放映 |
1980年- | 大晦日だよ!ドラえもん | |
1981年 | 怪物くん | -1982年 |
1982年 | プロゴルファー猿 | |
1985年 | 三国志 | |
1986年 | Mr.ペンペン | |
Mr.ペンペンII | ||
三国志II 天翔ける英雄たち | ||
1992年 | 内田春菊の呪いのワンピース | |
美味しんぼ 究極対至高長寿料理対決 | ||
笑ゥせぇるすまんスペシャル | ||
1993年 | 笑ゥせぇるすまん 春の特大号 | |
笑ゥせぇるすまん 年忘れ特大号 | ||
美味しんぼ 日本コメ戦争 | ||
1994年 | 景山民夫のダブルファンタジー | |
中崎タツヤ スーパーギャグシアター | ||
2002年 | ウミガメと少年 | 戦争童話集シリーズ |
2003年 | 凧になったお母さん | |
2004年 | 小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話 | |
2005年 | ぼくの防空壕 | |
2006年 | 焼跡の、お菓子の木 | |
白い恋人 | 北海道ローカル | |
2007年 | ふたつの胡桃 | 戦争童話集シリーズ |
2008年 | キクちゃんとオオカミ | |
2009年 | 青い瞳の女の子のお話 |
劇場アニメ
公開年 | タイトル | 備考 |
---|---|---|
1966年 | 喜劇 駅前漫画 | 東京映画 実写合成(アニメ作画) |
1969年 | 巨人の星 | -1970年、TVシリーズ再編集 |
1970年 | アタックNo.1 | -1971年、TVシリーズ再編集 |
1972年 | パンダコパンダ | |
1973年 | パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻 |
OVA
発売年 | タイトル | 監督 | 備考 |
---|---|---|---|
2002年 | ジャングルはいつもハレのちグゥ デラックス | 水島努 | -2003年 |
2003年 | ジャングルはいつもハレのちグゥ FINAL | -2004年 | |
2014年 | みんなのどうよう | やすみ哲夫(総) | |
2015年 | やっぱり海が好き | やすみ哲夫 | 制作協力:SynergySP |
2017年 | やっぱり海が好き2 | やすみ哲夫(総) パクキョンスン | |
2019年 | やっぱり海が好き3 |
Webアニメ
配信年 | タイトル | 監督 | 備考 |
---|---|---|---|
2010年 | なんちゃって! | やすみ哲夫 | シンエイぷちアニ劇場 |
ポテッコベイビーズ | |||
西武鉄道駅員タコちゃん[注釈 18][23] | |||
2015年 | アニメで分かる心療内科 | 小倉宏文 | 制作はFor All名義[注釈 19] |
2016年 | クレヨンしんちゃん外伝 エイリアン vs. しんのすけ | 三原三千夫 | Amazonプライム・ビデオにて配信 |
クレヨンしんちゃん外伝 おもちゃウォーズ | 八鍬新之介 | ||
2017年 | クレヨンしんちゃん外伝 家族連れ狼 | 三原三千夫 | |
クレヨンしんちゃん外伝 お・お・お・のしんのすけ | しぎのあきら | ||
2019年 | ぬるぺた | 小倉宏文 | ニコニコ動画などで先行配信 制作協力:アセンション |
2021年 | スーパー・スパイ・ライアン | 奥村よしあき | 日米合作 Amazonプライム・ビデオにて配信 |
制作協力
年 | タイトル | 制作元請 | 備考 |
---|---|---|---|
1973年 | ドラえもん (日本テレビ版) | 日本テレビ動画 | 各話制作協力、Aプロダクション時代 |
1977年 | 野球狂の詩 | 日本アニメーション | -1979年、各話制作協力 |
2016年 | 甘々と稲妻 | TMS/3xCube | 企画協力 |
2017年 | ふるさとめぐり 日本の昔ばなし | トマソン | 各話制作協力 |
2019年 | SUPER SHIRO | サイエンスSARU | Abema TV・ビデオパスで配信、企画・製作・各話制作協力 |
2022年 | すずめの戸締まり | コミックス・ウェーブ・フィルム | アニメーション制作協力 |
パイロットフィルム・未放映作品
年 | タイトル | 備考 |
---|---|---|
1978年 | ドラえもん 勉強部屋のつりぼり | 1979年10月3日放送のテレビシリーズ秋特番で放送された。2004年発行の雑誌「ぼくドラえもん」創刊号の付録DVDおよび2009年発売のDVD-BOX「ドラえもん タイムマシンBOX 1979」に映像が収録されている。 |
不明 | うわさの姫子 | パイロットフィルム製作後に原作サイドとの衝突により製作中止。「CONTINUE」(太田出版)No.30「『うわさの姫子』作者 藤原栄子先生ロングインタビュー」にこのパイロット版のセル画が掲載されている。また同誌によれば、姫子の声は杉山佳寿子が担当していたと言う。 |
エスパー魔美 | 芝山努がコンテを担当。テレビシリーズとは異なり、荘真由美が魔美を演じた。テレビシリーズ放送開始前の予告編でいくつかのシーンが使用された。2007年発売のDVD-BOX上下巻購入特典の非売品DVDおよび2014年発売の「アニメ『エスパー魔美』アニバーサリーDVD-BOX」に収録されている。 | |
ウメ星デンカ | ||
1995年 | ミラ・クル・ワン | 米たにヨシトモが監督を務めた。 |
不明 | プリンスデモキン | |
あまいぞ!男吾 | 2002年に英知出版「トラウママンガブックス」レーベルから発行された原作漫画の復刻版の巻頭に、このパイロット版の図版がカラーで掲載されている。 | |
みらくるドラクル | シンエイ動画によって着色済みの設定画とアニメ化企画提案書が作られ、原作サイドに持ち込まれたが、作品の終了などの事情により頓挫した。 | |
ジャングルはいつもハレのちグゥ | 後にDVD特典映像として収録された。 |
その他
年 | タイトル | 備考 |
---|---|---|
1976年 | 気まぐれ天使 | 石立鉄男主演、日本テレビ・ユニオン映画制作ドラマシリーズのオープニングタイトル |
1977年 | 草原の子テングリ | 桜映画社、雪印乳業のPR用映画。原案: 手塚治虫 |
気まぐれ本格派 | 石立鉄男主演、日本テレビ・ユニオン映画制作ドラマシリーズのオープニングタイトル | |
1980年 | 父よ母よ! | 松竹、木下惠介監督の実写映画。アニメパートを担当 |
1981年 | ドラえもん ケンちゃんの冒険 | 全国心身障害児福祉財団、ホール上映。後に特番でテレビ放映。 |
交通安全だよドラえもん | 防災アニメ | |
1982年 | オールスター番組対抗ボウリング大会 | 3月、この回『ドラえもん』『怪物くん』『忍者ハットリくん』の声優が出場するにあたり、冒頭、ドラえもん・怪物くん・ハットリカンゾウがボウリングをするシーンを放送。 |
1983年 | 交通安全でござる忍者ハットリくん | 防災アニメ |
1989年 | 交通安全でござる忍者ハットリくん[パートII] | |
1990年 | 少年時代 | 東宝、藤子不二雄Ⓐ企画・制作、篠田正浩監督の実写映画。製作委員会参加 |
1997年 | 財津和夫「それがボクのおとうさん」 | NHK「みんなのうた」、キャラクターデザイン[注釈 20]は臼井儀人 |
2009年 | BALLAD 名もなき恋のうた | 東宝、山崎貴監督。『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』を原案とした実写映画。製作委員会参加 |
2010年 | いこいーな | 西東京市誕生10周年事業のマスコットキャラクター、西東京市と共同デザイン |
2022年 | PUI PUI モルカー DRIVING SCHOOL | PUI PUI モルカー DS製作委員会、ライセンス担当 |
関連人物
アニメーター・演出家
- 青木悠三
- 安藤敏彦
- 稲村武志
- 今井一暁
- 入江康智
- 牛草健
- 大杉宜弘
- おおすみ正秋
- 大武正枝
- 大塚正実
- 大塚康生
- 大西景介
- 大森孝敏
- 岡野慎吾
- 小川博司
- 小野慎哉
- 尾鷲英俊
- 門脇孝一
- 金子志津枝
- 金田伊功
- 椛島義夫
- 加来哲郎
- 加来由加里
- 河内日出夫
- 木上益治
- 木野雄
- 木村陽子
- 釘宮洋
- 楠葉宏三
- 小田部羊一
- 小西賢一
- 小林治
- 近藤喜文
- 佐伯俊道
- 桜沢裕美
- ささきひろゆき
- 貞光紳也
- 澤田裕美
- 鴫野彰
- 志村隆行
- 誌村宏明
- 芝山努
- 末吉裕一郎
- 鈴木洋介
- 須田正己
- 須田裕美子
- 関修一
- 善聡一郎
- 高倉佳彦
- 高橋敦史
- 高橋渉
- 高畑勲
- 高林久弥
- 高柳哲司
- 滝沢敏文
- 竹内留吉
- 田中敦子
- 田中薫
- 塚田庄英
- 富沢和雄
- 永居慎平
- 長島崇
- 長浜忠夫
- 中村英一
- 中本和樹
- 奈良岡光
- のなかかずみ
- パクキョンスン
- 橋本とよ子
- 原勝徳
- 原恵一
- 林静香
- 針金屋英郎
- 樋口善法
- 平井峰太郎
- 福富博
- 藤野京子
- 本郷みつる
- 本多敏行
- 前園文夫
- 松下佳弘
- 間々田益男
- 丸山宏一
- 水島努
- 宮崎駿
- 三輪修
- ムトウユージ
- 本木久年
- 森下圭介
- 森脇真琴
- 八木郁乃
- 八鍬新之介
- やすみ哲夫
- 柳野龍男
- 山田みちしろ
- 湯浅政明
- 横田一平
- 横山広行
- 吉川惣司
- 吉田誠
- 渡辺歩
- 有原誠治
プロデューサー
その他
- 入江武彦(取締役管理本部長)
- 和田泰(制作本部副本部長・神戸スタジオ所長)
- 西川由香里(営業)
- 小笠原卓也(制作デスク・演出)
- 伊谷聡太(制作デスク)
- 紙谷泰吏(制作デスク)
- 篠田宇俊(制作デスク)
- 佐藤創太(制作デスク)
- 原口航詩(制作デスク)
- 大西祐貴(制作デスク)
- 勝見恵(制作デスク)
- 丸山裕司(制作デスク)
- 大森翔(制作デスク)
アニメーター以外の出身者
- 楠部大吉郎(創業者、故人)
- 楠部三吉郎(2代目代表取締役社長、名誉会長、故人)
- 岩永惠(3代目代表取締役社長、元テレビ朝日プロデューサー、故人)
- 小山礼司(美術)
- 保田道世(色彩設計、故人)
- 近藤浩子(色彩設計、旧姓:山浦、近藤喜文夫人)
- 吉田茂承(元演出家、水彩画家に転向)
- 南正時(Aプロダクション時代に在籍、鉄道写真家に転向)
- 別紙壮一(プロデューサー、東京世田谷ロータリークラブ会員)
- 真田芳房(プロデューサー、あにまる屋(現:エクラアニマル)創業者、故人)
- 真保裕一(元演出家、作家に転向)
- もとひら了(元脚本家、僧侶に転向)
- 吉岡たかお(脚本家)
- 小松崎康弘(脚本家)
- 水出弘一(脚本家)
- 滝原弥生(脚本家、制作事務・文芸担当)
- 岩崎ヨーコ(アニメーション作家、イラストレーター)
- 楠部工(元文芸、ライターに転向)
- 増子相二郎(プロデューサー、SynergySP代表取締役)
- 茂木仁史(プロデューサー、アセンション創業者)
- 田中敦(プロデューサー、日本アニメーションプロデューサー)
- 外崎真(制作デスク、A-1 Picturesプロデューサー)
- 星野達也(制作進行、タツノコプロプロデューサー)
- 渋谷いずみ(制作進行、サイエンスSARU制作デスク)
- 吉家康介(制作進行、SynergySPプロデューサー)
- 田原麻美(制作進行、RICE FIELD代表取締役)
- 桶谷顕(脚本家、故人)
- 松沢まり(元動画マン、漫画家に転向)
- 野中幸子(色彩設計)
- 魁生聡(プロデューサー)
- 山川順一(プロデューサー)
- 加藤良雄(プロデューサー)
- 岡田麻衣子(プロデューサー、現:ウィットスタジオプロデューサー)
脚注
注釈
- ^ 設立から現在まで自社で著作権を保有する作品ではフジテレビ系との取引は一切無い。ただし、Aプロダクション時代からシンエイ動画初期に製作業務に参加した作品はあった。
- ^ 現在の西東京市
- ^ 現: 西東京市田無町2丁目
- ^ テレビ朝日はアニメでは元々、同局の前身・日本教育テレビ(NETテレビ)の設立母体の一つである東映の傘下企業かつ創業者・楠部の出身企業でもある東映アニメーション(旧東映動画)との作品を中心としていたが、『ドラえもん』の成功以降順次シンエイ動画中心へと変化していき、一時東映アニメーションとの全国ネット作品が途絶えることもあった。このため、東映アニメーションは在阪準キー局・朝日放送(ABC)と組むことでテレビ朝日系列における全国ネット作品を維持することになったが、シンエイの前身・Aプロダクションがかつて朝日放送と近い関係にあった経緯(後述)を踏まえると、結果的にアニメ枠に関してはNETテレビ→テレビ朝日・朝日放送と東映動画→東映アニメーション・シンエイ動画の取引関係が逆転することになった。朝日放送が1975年3月30日にそれまでNETテレビ系列だった毎日放送(MBS)とネットチェンジするまで東京ムービーの設立母体であるTBSテレビの旧法人と系列関係だった経緯もあり、Aプロダクションは東京ムービーを通じて朝日放送・毎日放送・読売テレビ(YTV)とも比較的親密な関係だった。
- ^ Aプロ時代には東宝チャンピオンまつりで上映された短編の『パンダコパンダ』シリーズがある。シンエイ動画になってからも1977年に21分の『草原の子テングリ』があったが、PR映画であり一般の配給網には乗らなかった。
- ^ a b c d e f g 演出
- ^ a b c d e f g h チーフディレクター
- ^ 第1話 - SPECIAL 13
- ^ 第203話 - 第506話
- ^ 第507話 -
- ^ 第1回 - 第4回
- ^ 第9回 -
- ^ 2005年 - 2017年
- ^ 2017年 - 2018年
- ^ 2020年 -
- ^ 監督:第1期 - 第3期、総監督:第4期
- ^ 第4期
- ^ 本社最寄の田無駅を舞台に新人駅員「タコちゃん」の奮闘を描く。西武鉄道とのコラボレーション。
- ^ hulu - アニメで分かる心療内科(2015年2月14日閲覧)ではスタジオ名が「シンエイ動画」と表記されている他、同作の公式サイトのドメインをシンエイ動画が取得している。
- ^ テロップでは「アニメーション」と表記。
出典
- ^ a b c 第46期決算公告、2022年(令和4年)7月14日付「官報」(号外第153号)43頁。
- ^ a b 『アニメージュ』1985年1月号、徳間書店、p.62。楠部大吉郎インタビューでの本人の証言。
- ^ 『アニメージュ』2000年5月号、徳間書店(小黒祐一郎「第19回 渡辺歩」『この人に話を聞きたい アニメプロフェッショナルの仕事 1998-2001』飛鳥新社、東京、2006年、312ページ頁。ISBN 4-87031-758-3。)。当時シンエイ動画社員の渡辺歩が楠部から説明されたという証言。
- ^ a b 『リトル・ニモの野望』p.55。
- ^ 「会社沿革」 シンエイ動画公式サイト
- ^ キクちゃんとオオカミ ブログパーツ シンエイ動画公式サイト
- ^ 『アニメージュ』1985年1月号、徳間書店、p.59
- ^ 『ぼく、ドラえもん』3巻、p32
- ^ 「シンエイ動画株式会社の株式取得による連結子会社化のお知らせ」 テレビ朝日 IRニュース、2008年10月2日
- ^ 「シンエイ動画株式会社の100%子会社化のお知らせ」 テレビ朝日 IRニュース、2010年10月6日
- ^ SynergySP About
- ^ シンエイ動画がパペットのTVアニメシリーズ、映画祭常連の見里朝希監督を起用
- ^ A4studio. “「ここまで大ヒットするとは思っていなかった」 “短尺はヒットしづらい”セオリーを覆した『PUI PUI モルカー』の“毒と癒し””. 文春オンライン. 2021年7月10日閲覧。
- ^ “シンエイ動画×ギャザリングホールディングスがデジタル作画スタジオを設立”. シンエイ動画. 2022年2月3日閲覧。
- ^ “「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」など制作の人気アニメ会社が神戸進出決定”. サンテレビ (2022年5月10日). 2022年5月11日閲覧。
- ^ “「ドラえもん」など制作のシンエイ動画、旧居留地に新スタジオ開設 「神戸を成功させて他地域にも」”. ラジオ関西トピックス ラジトピ (2022年9月7日). 2023年4月23日閲覧。
- ^ “「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」などのシンエイ動画、神戸スタジオ開設 デジタル制作に特化”. ひょうご経済プラス (2022年9月1日). 2023年4月23日閲覧。
- ^ 「スクリーンにかかったテレビアニメーション 東宝チャンピオンまつり」『キネ旬ムック 動画王 Vol.7』キネマ旬報社、1998年、p131
- ^ 白石雅彦編著『平成ゴジラ大全1984~1995』双葉社、2003年、p38
- ^ 原恵一、浜野保樹編著『アニメーション監督 原恵一』晶文社、2005年、p31
- ^ “ジャングルはいつもハレのちグゥ : 作品情報”. アニメハック. 2020年12月2日閲覧。
- ^ “からかい上手の高木さん : 作品情報”. アニメハック. 2020年5月13日閲覧。
- ^ ~特命!沿線ご案内係~「西武鉄道駅員タコちゃん」発進! (PDF, 西武鉄道・シンエイ動画 2011年4月14日)
参考文献
- 『アニメージュ』(1985年1月号、徳間書店) - Aプロダクション特集。楠部大吉郎インタビュー。
- 大塚康生『作画汗まみれ 増補改定版』徳間書店、2001年
- 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店、2004年
- 「楠部大吉郎ロングインタビュー」『キネマ旬報別冊 動画王 Vol.07』キネマ旬報社、1998年
- 「近藤喜文さんがAプロで過ごした青春時代」『アニメージュ』徳間書店、1998年4月号
- 大塚康生、森遊机『大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽』実業之日本社、2006年
同社スタッフ・OBが独立・起業した会社
- 現在
- 過去
関連項目
- 東京ムービー・トムス・エンタテインメント - 経営母体。2010年代以降は下請けや「あにめのめ」などで再び提携。
- 東映アニメーション - 旧・東映動画。創業メンバーの大半が同社出身。また、同じくテレビ朝日が出資。
- スタジオディーン - 1970年代末より1990年代までシンエイ動画作品の下請け・グロス請け・実制作を担当。
- 京都アニメーション - 1980年代後半よりシンエイ動画作品の下請けを担当。2005年以降は受注することが減少。
- テレ朝チャンネル・AbemaTV - テレ朝チャンネル「シンエイアニメシアター」
- 小学館 - Aプロダクション設立当初から親しい関係にある。
- ADKホールディングス - 多くの作品の広告代理店を担当。
- バンダイナムコアーツ(バンダイビジュアル) - 小学館が関与していない作品のビデオ化をしている。
- オーディオ・プランニング・ユー - 2000年代まで独占的に音響制作を担当。2014年以降の新作は同業他社のHALF H・P STUDIOなどが手掛けるケースも増えている。
- SynergySP - 子会社、一部の作品のグロス請け・実制作も担当。
- ギャザリングホールディングス - 業務提携。
- SILVER LINK.・ディー・エル・イー - 同じくテレビ朝日系列(朝日放送グループ)の制作会社。
- アニメ制作会社一覧
外部リンク
- シンエイ動画 公式サイト
- シンエイ動画【公式】 (@shin_ei_ani) - X(旧Twitter)
- シンエイアニメーション【公式】 - YouTubeチャンネル
- シンエイアニメーション【公式】YouTubeチャンネル (@shinei_youtube) - X(旧Twitter)