「日系アメリカ人」の版間の差分
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
|||
278行目: | 278行目: | ||
*[[ハリー・K・シゲタ]] - 一世。写真家 |
*[[ハリー・K・シゲタ]] - 一世。写真家 |
||
*[[新堂エル]] - 二世。成年向け漫画家。 |
*[[新堂エル]] - 二世。成年向け漫画家。 |
||
*[[イワオ・タカモト]] - 二世。日本名:高本厳夫(読み同じ)。[[アニメーター]]。『[[スクービー・ドゥー |
*[[イワオ・タカモト]] - 二世。日本名:高本厳夫(読み同じ)。[[アニメーター]]。『[[スクービー・ドゥー|弱虫クルッパー(スクービードゥー)]]』シリーズのキャラクターデザインで名を馳せた。 |
||
*[[ジョージ・ナカシマ]] - 二世。日本名:中島勝寿(なかしま かつとし)。20世紀を代表する家具デザイナーの一人。アメリカンクラフト運動の父。→ [https://images.google.com/images?client=safari&rls=en&q=George+Nakashima&ie=UTF-8&oe=UTF-8&um=1&sa=N&tab=wi 作品] |
*[[ジョージ・ナカシマ]] - 二世。日本名:中島勝寿(なかしま かつとし)。20世紀を代表する家具デザイナーの一人。アメリカンクラフト運動の父。→ [https://images.google.com/images?client=safari&rls=en&q=George+Nakashima&ie=UTF-8&oe=UTF-8&um=1&sa=N&tab=wi 作品] |
||
*[[イサム・ノグチ]] - 一世。日本名:野口勇(読み同じ)。彫刻家、画家。近代アメリカ美術史に多大な業績を残す。 |
*[[イサム・ノグチ]] - 一世。日本名:野口勇(読み同じ)。彫刻家、画家。近代アメリカ美術史に多大な業績を残す。 |
2023年3月5日 (日) 23:02時点における版
総人口 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1,466,514人 合衆国総人口の0.45%(2017年)[1] | ||||||||||
居住地域 | ||||||||||
西海岸、ハワイ州(ハワイにおける日本人移民)、北東部 | ||||||||||
言語 | ||||||||||
アメリカ英語、日本語、ハワイ語(ニイハウ島)、ハワイ・クレオール英語 | ||||||||||
宗教 | ||||||||||
仏教、キリスト教、神道[2] | ||||||||||
関連する民族 | ||||||||||
日本人、日系ブラジル人、日系ペルー人、日系アルゼンチン人、日系ボリビア人、日系パラグアイ人、日系ウルグアイ人、日系コロンビア人、日系ベネズエラ人、日系チリ人、日系キューバ人、日系ドミニカ人、日系メキシコ人、日系カナダ人、日系オーストラリア人、アジア系アメリカ人 |
日系アメリカ人(にっけいアメリカじん、英語: Japanese Americans)は、アメリカ合衆国の市民のうち、日本に起源を持つ人々のこと。狭義では、第二次世界大戦以前に日本からアメリカに移住した人々及びその子孫のことを指す。
概説
日系アメリカ人は、2005年の国勢調査において1,221,773人、アメリカ合衆国(以下アメリカ)の総人口の0.4%を占めている。日系人コミュニティーはカリフォルニア州、ハワイ州、ニューヨーク州、ワシントン州にあるものが大きい。現代でも年に7000人近い日本人がグリーンカード(永住権)を取得してアメリカに移住している。2011年の調査では、アジア系アメリカ人の内訳では、中国系、フィリピン系、インド系、ベトナム系、韓国系に次いで、日系人は6番目、7.5%となっている[3]。
日系アメリカ人は初めてアメリカにわたった第一世代のことを一世、その子供たちの世代を二世、三世、四世、五世(en:Gosei (fifth-generation Nikkei))と呼んでいるが、イッセイ (Issei) やニセイ (Nisei) といった言葉は英語でも通用する言葉になっている。
19世紀からと北米及び南米への移民としては遅く開始され、しかも黄色人種で非キリスト教徒であった日系人移民は、当初から偏見と差別に苦しむことが多く生活も苦しかった。特に北米及び南米へ移民した日系人の中には、第二次世界大戦中に強制収容所に収容されたり、戦後しばらくも激しい民族差別を受ける立場にあった者が多かった。
しかし、汗水流して働き、教育熱心で、第442連隊戦闘団に代表されるようにアメリカ国民としての義務を果たし、立派なよきアメリカ国民になろうと努力していた。特に一世の世代は過酷な労働をこなしながら、稼いだお金を自分たちのためには使わず、子供たちの教育のために注いだ。
一世や二世の時代に第一言語として用いられた日本語も、世代が進み現地化が進むごとに徐々に現地語である英語にとって代わられ、自然な流れとして日本語を理解しない日系人が増えている。そのため、家庭や居留国の日本語補習校などで日本語教育を受けた人物も少数ながらも存在はするものの、三世や四世の世代で日本語を話すことができる人々は、主に外国語として日本語を学んだ人々である。アジア系移民で、特に母国の公用語に英語が含まれない国出身の家庭では、英語以外の母国語が使われるケースが多いが、その中でも日系人に限り、半数以上の家庭で英語のみが使われ、英語が主流という家庭も含めると、ほぼ4分の3までもが家庭内でも英語を会話に用いており、日本語が使われているケースは他非英語系アジア移民の率の半分ほどである[4]。
なお、1920年代前後に出生している二世は、日本での教育費用が居留国のそれと比べて安価であったこと、または、日本文化を継承する目的で日本の学校に通うことがある種の流行になった時期がある。ハワイ・オアフ島のワイキキ界隈や、ロサンゼルスのリトル・トーキョー、サンフランシスコのジャパンタウン、サンノゼのジャパンタウンなどの日本人街では、今でも多くの日本語の看板を目にすることができる。
ただし、北米の日系人は古くから教育レベルが高く社会的地位も比較的高かった事などから、韓国系アメリカ人や中国系アメリカ人などと比べると、民族街に集結したり、相互扶助を行うことが少ない。
特に北米では、第二次世界大戦において日本がアメリカやカナダ、メキシコの敵国となったこともあり、祖国への忠誠を誓う目的で、あまり日系人が民族性を出さず、アメリカに同化するように努力したことも関係している。戦前に築いた日系コミュニティー、つまり日本町が、西海岸の数箇所でしか保存できなかったり、多くが消滅してしまったのは、構成していた不動産や財産を彼らが第二次世界大戦中に強制収容所に送られる前に手放さざるを得なかったうえに、大戦後も残る日本への反感の中で、アメリカに同化して暮らさざるを得なかったからである。
歴史
日系アメリカ人の歴史は19世紀末の移民に始まる。最初の移民たちはハワイのサトウキビやパイナップル畑の労働者として入植した。後に日本から多数の移民が入植した。
しかし低賃金で働く勤勉さと生活力、また地元経済に金を落とさない(日用品を日本から取り寄せていた)こと、そしてアメリカのマジョリティであった白人種のキリスト教徒と文化が異なる黄色人種であったために疎まれ、第一次世界大戦における同盟国であったにもかかわらず、カリフォルニア州などでは白人種による日系移民の排斥運動が起こった。
特に日系移民と職をめぐって競合していたアイルランド系やイタリア系などといった下層階級が多かった白人が、日系移民への排斥運動に積極的な役割を果たしていたとされる。
そして第二次世界大戦時における日米間の対立と日系人の強制収容という悲劇を乗り越え、日系人による経済的成功や社会的成功と合わせて、日本とアメリカの同盟関係の構築や1960年代以降の公民権運動、日米間の経済的な結びつきの強化などが後押ししたアメリカ社会における地位向上の時代を経て現代に至っている。
江戸時代
- 名前、出生などの具体的記録は残っていないが、既に移民が開始されていた中国人により、日本人女性が人身売買同然にアメリカに連れて行かれ、売春宿で働かされていたとの記録がある。[要出典]
- 1806年 大坂の稲若丸の乗組員8名が漂流中にアメリカ船に救出された後にハワイへ送られ、8名はハワイに初めて上陸した日本人となる。8名はマカオ、バタヴィアを経て日本に送還されるが、伝染病や自殺により故郷に帰ることができたのは平原善松のみである。
- 1833年 尾張国の宝順丸が14ヶ月の漂流の末、ワシントン州クララム郡のフラッタリー岬付近に漂着。生き残った音吉ら3名はアメリカ・インディアンのマカ族に奴隷として酷使された後、イギリスのハドソン湾会社に救出され、イギリスの保護下に入る。その後、バンクーバー、ハワイ、ロンドン、マカオを経て那覇に送られ、ここでモリソン号に移乗するが三浦半島沖でモリソン号事件が起こったため帰国できなかった。
- 1841年 土佐国の漁師万次郎(後のジョン万次郎=中浜万次郎)が漁の最中に遭難、漂着した鳥島でアメリカの捕鯨船に救助されハワイに渡航、1843年にマサチューセッツ州に渡り、カリフォルニア州を経由し、1851年、琉球経由で日本に帰国。
- 1850年 浜田彦蔵(後に洗礼名ジョセフ・ヒコ)が他17名とともに航海中遭難しアメリカ船により救出、サンフランシスコに渡航。1858年、日本人として初めてアメリカ市民権を取得する。のちに日本帰国。1850年のアメリカ国勢調査票原票には 8 名の日本人のものがあり、これが原票記載として最も古いと思われ,8 名の職業はすべて「水夫」( “Mariners”) と記載されていた[5]。
- 1860年 出島松蔵が横浜からサンフランシスコに密航し、その後ペンシルベニア州に移住。維新後に帰国し、日本で初めてアイスクリームを製造した。後、クラーク博士の秘書となる。
- 1861年 スズキキンゾウ(漢字不明)なる日本人がオレゴン州ポートランドに渡航し定住。
- 1866年 江戸幕府、日本人の海外渡航を解禁。外国奉行が雑伎人(ざつぎにん。曲芸師のこと)らに免許状(パスポートに相当)を発行、興行のために渡米した記録が残る。
明治時代
- 1868年 オランダ系アメリカ人、ユージン・ヴァン・リードの手引により、「元年者」と呼ばれる149人(外務省資料によると153人)の移民がハワイに到着。ただし契約自体徳川幕府とイギリス人ブローカーとの間で締結された3年間の労働契約であり、明治政府からは非公認であった。
- 1869年 旧会津藩の武器御用商人だったジョン・シュネル(スネル)が、旧会津藩士ら約40名ほど(詳細な記録がないため正確な人数は不明)を連れ、明治政府に無許可でカリフォルニア州ゴールド・ヒルに移住、茶と養蚕を目的とした「若松コロニー」を作るが、わずか2年で頓挫。シュネルは逃亡、渡航した日本人は取り残されたが、詳しい消息が判明しているものはごくわずか。
- 1869年 元年者のうち40人ほどが、3年の労働契約満了を待たずに日本に帰国。
- 1870年に行なわれたアメリカ国勢調査では、ハワイを除き、55名の日本人がアメリカ本土に居住していたとされる(発表は1872年。多少の誤差を含む)[5]。
- 1871年 8月、大日本帝国とハワイ王国との間で日布修好条約締結。元年者でアメリカ本土渡航を希望する者に明治政府が旅券を発行。
- 1872年 ニューヨークに日本総領事館開設。
- 1879年 松平忠厚(最後の上田藩藩主松平忠礼の弟)が、ニュージャージー州への留学の後エンジニアとしてコロラド州に移住。
- 1881年 ハワイ王国(当時)のカラカウア王が、他国の国家元首として初めて訪日、明治天皇と会見し、新たに日本からハワイへ移民を送ることに合意する。
- 1884年 明治政府、日本人の海外渡航を正式許可。ハワイに日本領事館開設。
- 1885年 1月、ハワイへの明治政府公認の最初の組織的移民944人が農園労働者として渡航。
- 1885年 石川県出身の白山谷喜太郎(しらやまだに きたろう。英語ではKataroと誤表記されたまま後年に伝わる)がオハイオ州シンシナティにあるロックウッド製陶に技師として招かれる。
- 1890年 カリフォルニア州への集団移民開始。
- 1891年 ユニオン・パシフィック鉄道が鉄道建設労働者に日系人の採用を開始。アイダホ州などへの初の日系移民。
- 1893年 サンフランシスコ教育委員会、日系人子弟の公立学校への入学を拒否する決議を採択(サンフランシスコ日本人学童隔離事件)。当時の日本総領事珍田捨巳の尽力により撤回。
- 1894年 前年にハワイ王朝が事実上廃止となり、この年からハワイ共和国が樹立された影響で、官約移民そのものが無効となり廃止。廃止までの約10年間で船が26回渡航、約2万9000人が移民。以降は民間の仲介業者による移民となる。
- 1898年 ハワイがアメリカ合衆国の属領となる。以後ハワイからアメリカ本土への移民制限が緩和される。
- 1900年 ハワイへの民間業者仲介による移民の中止。業者の仲介により6年間で約3万5000人が渡航。その後は自由移民となる。
- 1900年 アメリカ本土への日系移民の数が初めて年間1万人に達する。
- 1900年代 日系移民による土地の開墾と入植が始まる。
- 1901年 カリフォルニア州とネバダ州各州議会、連邦政府に対し日系人移民を制限する建議書を送る。
- 1902年 安孫子久太郎が、カリフォルニア州に日系人専門の人材派遣業「日本人勧業社」(のちに日米勧業社)設立。
- 1902年 日系人によるアメリカでの初の書物となる、ヨネ・ノグチ(野口米次郎。イサム・ノグチの父)の作"The American Diary of a Japanese Girl"が出版される。
- 1903年 西原清東がテキサス州に移住、後年同地における稲作を成功させる。
- 1905年 サンフランシスコに、The Japanese and Korean Exclusion League(日系韓国系排斥協会)が設立され、その後他都市、他州にも同様の組織が設立される。
- 1906年 サンフランシスコ学務局、公立学校在籍中の日系人子弟を強制的に中国人学校に移籍させる。翌年命令撤回。
- 1906年 連邦政府、帰化法を改正。司法省、全裁判所に対し日本人の帰化申請を拒否するよう訓令を発布。
- 1906年 安孫子久太郎により、カリフォルニア州リビングストンに「大和コロニー」設立。
- 1907年 2月に施行された大統領令により、ハワイ、メキシコ、カナダからアメリカ本土への日系人の移住禁止。
- 1907年 ニューヨークでJapan Society(日本協会)設立。高見豊彦が紐育日本人共済会を設立。
- 1908年 日米両政府間で前年から7度に亘り行われた書簡交換により、紳士協定に基づく日本人の移民制限開始。
- 1908年 カリフォルニア州で、Japanese Association of America(在米日本人会)設立。
- 1908年 写真だけのお見合いをしてアメリカの日系人男性のもとへ嫁ぐ女性(いわゆる写真花嫁)の渡航が始まる。
大正時代
- 1911年 アリゾナ州で国籍を持たない外国人(=1世)の土地の所有および一定年数以上の借地が禁じられる。
- 1913年 カリフォルニア州で、上記アリゾナ州と同様の法律(対外国人土地法1913)施行。1世の土地の購入および一定年数以上の借地が禁じられる。同時期、アリゾナ州では期限を問わず1世による一切の借地が禁じられる。その後他州に拡大。
- 1920年2月 日本政府が「写真花嫁」に対する旅券発行を禁止。
- 1921年 連邦議会、The Quota Immigration Act(移民割当法)施行。
- 1923年 ワシントン州で、対外国人土地法修正法により、アメリカ国籍を持つ未成年の日系人の土地所有も禁止され、未成年2世を抜け道的に土地所有者にする手段も絶たれる。
- 1924年 埴原正直駐米大使の書簡により連邦議会が排日に傾き、5月の合衆国移民法1924 (排日移民法)成立により、正式には7月1日以降、実質的には6月24日、移民船「シベリア丸」でサンフランシスコ港に到着した移民を最後に日本人の移民が全面的に禁止される。
昭和時代
戦前
- 1929年 全米規模の日系人組織となる「日系アメリカ人市民同盟」が設立される。
- 1930年代 このころカリフォルニアとハワイの日系人たちがようやく経済的に安定した生活を送れるようになる。
- 1935年 フランクリン・ルーズベルト大統領が、アジア系退役軍人にアメリカ市民権を付与する「ナイ・リー法」に署名。別所南洋や西村徳太郎をはじめとする、第一次世界大戦に従軍した日系一世の退役軍人838名が、正式にアメリカ市民となった。
- 1940年 ニューヨークで「日米民主委員会」が設立される。
- 1941年11月 サンフランシスコで4名の日系人インストラクターと60名の生徒(うち58名は日系人)によって陸軍情報部日本語学校が設置される。
戦中
- 1941年12月8日 真珠湾攻撃による日米開戦(太平洋戦争)。日系人社会の主だった人々が逮捕される。
- 1942年2月19日 フランクリン・ルーズベルト大統領による大統領令9066号の発令。「保護」の名目で西海岸地域に住む日系人全員、およびハワイの日系人のうち主だった人々計約11万人が収容所に送られる(日系人の強制収容)。
- 1942年2月23日 全員日系二世からなる大学勝利奉仕団が、ハワイで第34戦闘工兵連隊のもとに編成される。
- 1942年5月 陸軍情報部日本語学校の最初の卒業生達が、アリューシャン諸島ならびに南太平洋に派遣される。
- 1942年6月 ハワイ出身の日系人兵士によってアメリカ陸軍第100歩兵大隊が編成される。
- 1942年11月24日 マイク正岡らの主導で、陸軍省に日系2世部隊を組織するよう建白書を提出、翌年1月28日に請願が許可される。
- 1942年12月 5~6日にかけ、マンザナール強制収容所で暴動発生。当局により武力鎮圧、2名が死亡。
- 1943年1月31日 大学勝利奉仕団の兵士達の希望に伴い、同部隊は解散となり、第442連隊戦闘団への入隊が可能となる。
- 1943年2月1日 ルーズベルト大統領によって、第442連隊戦闘団が編成される。
- 1943年2月10日 収容所の日系人にApplication for Leave Clearance(出所申請書)が配布される。質問27および28に記されたいわゆる「忠誠登録」が論争の的となる。
- 1943年 第100歩兵大隊が欧州戦線に投入される(イタリアやフランスを転戦し、モンテ・カッシーノの戦いなど各地での激闘ぶりを賞賛された)。
- 1944年 第100歩兵大隊が日系人志願兵によって組織された第442連隊戦闘団に統合される。
- 1945年 第442連隊が18143個の武勲章および9476個の名誉戦傷章を受章し、アメリカ軍史上最も多くの勲章を授与された部隊の栄誉に輝く。同時に累積戦死傷率314%を記録し、全米軍部隊中、最も損害を受けた部隊としても記憶されることとなる。
戦後
- 1946年 占領軍として日本に駐留した米軍兵と婚約した日本人女性にアメリカ渡航を許可する「GI婚約者法」が成立。
- 1947年 NBA(当時はBAA)初の非白人バスケットボール選手としてワタル "ワッツ" ミサカがニューヨーク・ニックスに入団する。
- 1952年 排日移民法の事実上の撤廃となる修正移民法(マッキャラン・ウォルター移民帰化法)可決。日本生まれの1世に初めてアメリカ国籍取得の道が開かれる。全米の新聞に『JAP』の差別表現使用禁止が勧告される。
- 1954年 一世1,600人の帰化宣誓式が執り行われる。
- 1956年 カリフォルニア州の外国人土地法が撤廃される。
- 1959年 ハワイが州に昇格したと同時に選出されたダニエル・イノウエが初のアジア系下院議員となる。
- 1962年 ミノル・ヤマサキがワールドトレードセンタービルのデザイナーに選ばれる。
- 1963年 ダニエル・イノウエが初の日系上院議員となる。
- 1965年 パッツイー・ミンクがハワイ州で下院議員に当選、アジア系および有色人種の女性として初の下院議員となる。
- 1966年 国内で最後まで残されていたワシントン州の外国人土地法が撤廃される。
- 1967年 新移民法成立。日本人を含む東洋系移民に対する差別的条項が撤廃される。
- 1969年 サンフランシスコのジャパンタウンで「全米日系アメリカ人図書館」が開館する。
- 1970年 ジョージ・アリヨシが第4代ハワイ州副知事に就任、日系人として初めて州副知事となる。
- 1973年 ノーマン・ミネタがカリフォルニア州サンノゼ市長に当選、アジア系アメリカ人として初めて主要都市の市長となる。
- 1974年 ジョージ・アリヨシが第3代ハワイ州知事に就任、初の日系州知事となり、3期12年(副知事時代州知事代理を務めた期間を含めると13年2ヶ月)にわたり知事を務める。
- 1978年 エリソン・オニヅカが初の日系人宇宙飛行士に選ばれる。1986年、スペースシャトルチャレンジャー号爆発事故で殉職。
- 1980年 連邦議会で初めて戦時中の日系人の強制収容に関する調査委員会「戦時における民間人の転住・抑留に関する委員会」が設置される。
- 1983年 調査委員会が戦時中の日系人収容は機密上必要ではなかったとする結論を発表。
- 1988年 ロナルド・レーガン大統領が「市民の自由法」に署名し、人種差別に基づく日系人強制収容の事実の謝罪と一人につき2万ドルの補償をおこなうことを決定。
平成時代以降
- 1990年12月14日 カリフォルニア州リバーサイドにある「ハラダハウス」が、国定歴史建造物に指定される。
- 1992年
- クリスティ・ヤマグチがアルベールビルオリンピック女子フィギュアスケートで、冬季五輪での日系アメリカ人初となる金メダルを獲得。
- ロサンゼルスのリトル・トーキョーで「全米日系人博物館」が開館する。
- 1994年 メイジー・ヒロノが日系人1世(日本生まれ)として初めて副知事に選ばれる。
- 1995年11月11日 ロサンゼルスで「日系米国人退役軍人慰霊碑」が除幕される。
- 1996年 シアトルにおいて、日系アメリカ人の歴史を後世に伝える事を目的とした非営利団体「伝承」が発足する。
- 1998年 クリス・タシマがアメリカ生まれの日系人として初めてアカデミー賞受賞。
- 1999年6月5日 ロサンゼルスで「日系人部隊記念碑」が除幕される。
- 1999年6月21日 エリック・シンセキ将軍がアジア系として初めて陸軍参謀総長に就任。
- 2000年7月21日 ノーマン・ミネタがアジア系アメリカ人として初めて閣僚に選ばれる。
- 2000年11月9日 ワシントンD.C.で「全米日系米国人記念碑」が除幕される。
- 2009年 ワシントンD.C.で「米日カウンシル」が設立される。
- 2010年 オバマ大統領が、陸軍情報部と第442連隊戦闘団にアメリカ合衆国において最高位の勲章である議会名誉黄金勲章を授与する法案に署名する。
- 2011年7月30日 ワシントン州キトサップ郡ベインブリッジアイランドで「ベインブリッジ島日系アメリカ人排除記念碑」が一般公開される。
- 2014年7月12日 アラスカ州ジュノーで「空席の椅子の記念碑」が除幕される。
- 2020年 新型コロナウイルスの感染拡大を契機に中国系アメリカ人へのヘイトクライムの被害が相次ぐ[6]。中国人と勘違いされた日系人も標的となり[7]、ロスサンゼルスの東本願寺も襲撃を受けた[8]。なお、今回のアジア系を標的にしたヘイトクライムには黒人も加害者側に立ったケースが目立った。
著名な日系アメリカ人
以下、節順は不同、各節内はラストネーム(名字)で五十音順。
なお:
- 活動分野が多岐にわたる場合は、最も著名な方へ分類した。
- 両親とも日系で世代が異なる場合は、父方による世代を記載した。
- アメリカで生まれたため自動的に米国市民権を持ち、22歳になる前の日本国籍か米国国籍かいずれかを選択するときに米国国籍を選択したが、生活基盤を日本に置いている帰国生徒については、これを省いた。
- 逆に、渡米後も米国市民権を取得しなかった(あるいはできなかった)が、永住権を得て生活基盤をアメリカに置き、「事実上のアメリカ人」として生涯の大半を過ごした者については、これを例外的に含めた。
政治家・官僚
- ジョージ・アリヨシ - 二世。日本名:有吉良一(ありよし りょういち)。ハワイ州知事(1974-86年)。民主党
- ダニエル・イノウエ - 二世。日本名:井上建(いのうえ けん)。ハワイ州選出元上院議員。元下院議員。アジア系として初めて下院議員に当選。民主党。2012年にメリーランド州にて死去。2013年8月、大統領自由勲章追贈。
- パット・サイキ - ハワイ州で日系人の女性共和党員として初の下院議員に選出。共和党
- サミュエル・I・ハヤカワ - 二世。日本名:早川一衛(はやかわ いちえ)。カナダ生まれ。元サンフランシスコ州立大学学長。元カリフォルニア州選出上院議員。一般意味論の主唱者。共和党。
- メイジー・ヒロノ - 一世。日本名:広野慶子(ひろの けいこ)。福島県生まれ。ハワイ州選出下院議員。元ハワイ州副知事。民主党。
- ドリス・マツイ(en:Doris Matsui) - 二世。日本名:松井佳寿恵(まつい かずえ)。下院議員。民主党。夫のロバート(後述)の死後夫の議席を継承。
- ボブ・マツイ(en:Bob Matsui) - 二世。日本名:松井武男(まつい たけお)。元下院議員。民主党。
- スタン・マツナカ(en:Stan Matsunaka) - 三世。コロラド州上院議員。民主党。
- スパーク・マツナガ - 二世。日本名:松永正幸(まつなが まさゆき)。元ハワイ州選出上院議員。民主党。
- ノーマン・ミネタ - 二世。日本名:峯田良雄(みねた よしお)。元サンノゼ市長。元カリフォルニア州選出下院議員。アジア系として初めて閣僚に選ばれる。2000-2001年ビル・クリントン政権で商務長官。2001-2006年ジョージ・W・ブッシュ(共和党)政権で運輸長官。民主党。2001年、サンノゼ国際空港はミネタを顕彰して正式空港名を「ノーマン・Y・ミネタ・サンノゼ国際空港」と改称した。
- パッツイー・ミンク - 三世。日本名:竹本まつ(たけもと まつ)。海洋国再環境担当国務次官補(1977 - 1978)。白人以外の女性では初の下院議員。教育の場における性差別撤廃法案制定に尽力。ハワイ州初の女性弁護士。民主党。
- ピート・ミカミ・ラウス - 三世。バラク・オバマアメリカ合衆国大統領首席補佐官。
- ロバート・ヤマテ - 日本名:山手徹。元マダガスカル・コモロ駐在米大使。
法曹
- ランス・イトウ(en:Lance Ito) - 三世。ロサンゼルス郡最高裁判事。O・J・シンプソン事件の裁判長を務めた。
- ゲーリー・モリワキ – 二世。日本名:森脇ゲーリー俊一。弁護士。2005年長野県で開催されたスペシャルオリンピックス冬季大会組織委員長。秋篠宮眞子元内親王夫妻の米国での後援者。
- ミノル・ヤスイ - 二世。日本名:安井稔(読み同じ)。弁護士。戦時下における日系人の強制収容に抵抗。
- ジョージ山岡 - 二世。日本名:山岡譲治(やまおか じょうじ)。弁護士。極東国際軍事裁判にて東郷茂徳、広田弘毅の弁護人を務めた。
軍人
- 飯柴智亮 - 一世。元陸軍大尉で軍事評論家。銃器部品密輸出で刑事処分を受け不名誉除隊。
- 伊丹明 - 二世。アメリカ名:デイヴィッド・アキタ・イタミ。アメリカ陸軍情報部所属。山崎豊子の小説『二つの祖国』の主人公・天羽賢治のモデルの一人。
- クラレンス・マツムラ - 日系アメリカ軍人。第522野戦砲兵大隊第100・第442統合戦闘団。第2次世界大戦ドイツ「ダッハウ強制収容所」を解放した日系アメリカ人部隊軍曹。
- テリー・テルオ・カワムラ - 三世。陸軍伍長。ベトナム戦争中の活躍により、名誉勲章を受章する。
- ユキオ・カワモト - 太平洋戦争37th Infantry Divisionで通訳として従軍、戦後アメリカ合衆国国務省で通訳。議会名誉黄金勲章受賞[9]。
- ジョセフ・クリハラ - 二世。第一次世界大戦に従軍。日系人の強制収容に抗議して、戦後日本へ移住した。
- エリック・シンセキ - 三世。陸軍参謀総長。アジア系として初めて陸軍制服組のトップに登る。
- ハリー・ハリス - 二世。海軍大将、駐大韓民国アメリカ大使、第24代アメリカ太平洋軍司令官。
- ハリー・K・フクハラ - 二世。日本名:福原克治(ふくはら かつじ)。陸軍大佐。伊丹と同様、『二つの祖国』の主人公のモデルの一人。
- アーレン・ワタダ - 四世。陸軍中尉。イラク戦争を非合法的軍事力行使だとして従軍を拒否、イラク反戦の気運をもたらす一因を作る。現在も軍法会議および公判で係争中。
- ジェイムス・ムコウヤマ - 三世。日本名(姓):向山。陸軍少将。アジア系アメリカ人で初めての陸軍師団長となった人物[10]。
- ポール・ナカソネ - 三世。日本名:仲宗根(なかそね)。陸軍大将、アメリカサイバー軍司令官、アメリカ国家安全保障局長官。
警察
- ジミー佐古田 - 三世。日本名:佐古田隆(さこだ たかし)。シアトル出身。ロサンゼルス市警察刑事。ロス市警殺人課アジア特捜隊隊長、ロス郡検事。ロス疑惑(三浦和義事件)の捜査を担当、日米合同捜査で寺尾正大(当時警視庁捜査一課長)と指揮した。
- テリー・ハラ - ロサンゼルス市警察の警察官。2013年7月現在の階級は警視長(Deputy Chief)で、役職は地域・交通局のウエスト管区長[11]。嘗ては警務・通信局の人事教育部長をしていたこともある。
宇宙飛行士
- エリソン・オニヅカ - 三世。日本名:鬼塚承次(おにづか しょうじ)。空軍中佐。アジア系アメリカ人初のNASA宇宙飛行士。1985年ミッション51-Cで初飛行。翌86年チャレンジャー号爆発事故で殉職。
- ダニエル・M・タニ - 三世。宇宙工学エンジニア。NASA宇宙飛行士。2001年ミッション-108で初飛行。
医学
- トヨヒコ・タカミ - 一世。日本名:高見豊彦(読み同じ)。 熊本県生まれ。15歳で単身渡米。苦学をしながらコーネル大学医学部を二番の成績で卒業し、医学博士・医師免許を取得。のちニューヨーク・ブルックリンで日本人医師としてアメリカで初の開業医となる。率先して貧しい患者を一切無料で診察したので庶民からの絶大な信頼を得ることになり、「ドクター・タカミ」の名は「地元の名士」として知られるようになる。晩年は日本人共済会(現:ニューヨーク日系人会)の設立、貧しく身寄りのない日本人のための墓地の購入、日本人信用組合の組織化など、同胞のための社会奉仕にも尽くした。
- トーマス野口 - 一世。日本名:野口恒富(のぐち つねとみ)。1952年に渡米し、1961年よりロサンゼルス郡の検死局に勤務。1967年から1982年まで局長。マリリン・モンローやロバート・ケネディら著名人の検死をおこなったことで知られる。退任後は南カリフォルニア大学医学部教授を務めた。
- ケイジ・フクダ - 一世。日本名:福田敬二(読み同じ)。WHO事務局長補代理(ジュネーヴ在住)。2009年新型インフルエンザ問題担当。元CDCインフルエンザ局疫学部長。
- 山田忠孝 - 一世。アメリカ名:ターチ・ヤマダ。東京都生まれ、父は日本人、母は二世(ドクター・タカミの長女)。15歳で単身渡米。ニューヨーク大学医学部を首席で卒業し、医学博士・医師免許を取得。ベセスダ海軍病院からカリフォルニア大学ロサンゼルス校を経てミシガン大学医学部消化器学部長。この後製薬業界に転身してグラクソ・スミスクライン研究開発部門会長に就任。2006年よりビル&メリンダ・ゲイツ財団世界衛生部門長。2007年9月、英国において新薬の研究開発に対する投資環境の改善に尽力した功績を認められ、エリザベス2世女王より大英帝国勲章を授りナイト叙任。
学者
- 雨宮健 - 一世。経済学者(計量経済学)。スタンフォード大学教授。
- ローレン・キヨミ・ウィリアムズ - 数学者。女性として2人目のハーバード大学数学教授。
- ダニエル・オキモト(en:Daniel Okimoto) - 二世。政治学者。スタンフォード大学教授。
- ミチオ・カク - 三世。日本名:加來道雄(読み同じ)。物理学者、超弦理論の研究者。
- タモツ・シブタニ - 二世。社会学者(シンボリック相互作用論)。元カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授。
- 南部陽一郎 - 一世。物理学者。2008年にノーベル物理学賞を受賞。弦理論の創始者の一人として知られる。
- 中村修二 - 一世。物理学者。2014年にノーベル物理学賞を受賞。
- ゴードン・ヒラバヤシ - 二世。日本名:平林潔(ひらばやし きよし)。社会学者。戦時下における日系人の強制収容に抵抗。
- フランシス・フクヤマ - 二世。政治経済学者。父は二世、母は一世。
- 藤田哲也 - 一世。アメリカ名:テッド・フジタ。気象学者。竜巻やダウンバーストの研究で知られる。竜巻の規模を表す藤田スケールを考案。
- チャールズ・ペダーセン - 二世。日本名:安井良男(やすい よしお)。化学者 1987年ノーベル化学賞受賞。父はノルウェー人、母が日本人。
- マイク・モチヅキ - 三世。国際政治学者。クリントン政権の対日政策のブレーンの一人。
- 眞鍋淑郎 - 一世。地球科学者。2021年にノーベル物理学賞を受賞。
実業家
- 牛島謹爾 - 一世。農業経営者。ジャガイモの大量栽培に成功し、一時はカリフォニア州の5割以上、アメリカ全体の1割のジャガイモを生産した。「ジョージ・シマ」「ポテト・キング」と呼ばれ、在米日本人会初代会長を務めたほか、第二次大戦前には伝記が修身の教科書に掲載された。
- 青木廣彰 - 一世。通称:ロッキー青木。レストラン・紅花のオーナー、冒険家。
- 安孫子久太郎(en:Kyutaro Abiko) - カリフォルニア州に渡った初期の日系移民のリーダー。「大和コロニー」創設。
- ロバート・キヨサキ - 四世。日本名:清崎徹(きよさき とおる)。投資家・著述家。『金持ち父さん・貧乏父さん (Rich Dad, Poor Dad )』を執筆。
- 国府田敬三郎 - 一世。農場経営者。代表的なカリフォルニア米「国宝ローズ」を作り上げ、「ライス・キング」と呼ばれた。
- マモル・タキタニ - 二世。マカダミアをチョコレートで包んだ製品を考案し、ハワイアンホスト社 を創業。
- 浜田彦蔵 - 一世。洗礼名:ジョセフ・ヒコ。日本初の英字新聞発行者。
- グレン・S・フクシマ - 三世。エアバス代表取締役社長。元アメリカ通商代表部日本部長。
- トミオ・モリグチ(en:Tomio Moriguchi) - 三世。日本名:森口富雄(もりぐち とみお)。宇和島屋の経営者。
- 森口富士松(en:Fujimatsu Moriguchi) - 一世。宇和島屋の創設者。
- ゲーリー・ヤマモト - 二世。日本でも有名な釣具(ルアー)メーカー『ゲーリー・ヤマモト』創設者。
- 吉田潤喜 - (在日韓国人2世)。 ヨシダソース(ヨシダグルメのたれ)を生産販売してアメリカンドリームの体現者となる。 米国の中小企業局[Small Business Administration(SBA)]が選ぶ全米24社の中に、FedEx,Intel,AOL,HPなど並んで「殿堂入り」を果たし、2005年にはNewsweek誌(日本版)「世界で最も尊敬される日本人100」に選ばれる[12]。
- フレッド・イサム・ワダ - 二世。日本名:和田勇(読み同じ)。ロサンゼルスでスーパーを経営。1964年東京オリンピックの招致活動における重要人物。
建築家
- ミノル・ヤマサキ - 二世。日本名:山崎實(読み同じ)。建築家。ニューヨーク ワールドトレードセンターの設計者。
- 妻沼岩彦(トーマスS. ロックライス)
造園家
- ロバート・ムラセ(Robert Murase) - 三世。ランドスケープアーキテクト。日系人史跡公園(ポートランド)、全米日系人博物館(ロサンゼルス)ガーデンスペースなどを設計。
- カネジ・ドウモト - 二世。ランドスケープアーキテクトおよび建築家。
- ヒデオ・ササキ - 二世。ランドスケープアーキテクト。ハーバード大学デザイン大学院教授
- 桜井長雄 - 造園家・作庭家。
- 塩田武雄 - 造園家・作庭家。
- 川名孝一 - 造園家・作庭家。カリフォルニア大学ロサンゼルス校元教授
- 上杉武夫 - 造園家・作庭家。カリフォルニア州立ポリテクニック大学(Cal Poly)ポモナ校名誉教授
- 栗栖宝一 - 造園家・作庭家。
芸術家
- オノ・ヨーコ - 一世。本名:ヨーコ・オノ・レノン、旧名:小野洋子。前衛アーティスト。ジョン・レノン未亡人。
- 五嶋龍 - 一世。アメリカ名:リュウ・ブライアン・ゴトウ。ヴァイオリニスト。五嶋みどりの弟。
- ハリー・K・シゲタ - 一世。写真家
- 新堂エル - 二世。成年向け漫画家。
- イワオ・タカモト - 二世。日本名:高本厳夫(読み同じ)。アニメーター。『弱虫クルッパー(スクービードゥー)』シリーズのキャラクターデザインで名を馳せた。
- ジョージ・ナカシマ - 二世。日本名:中島勝寿(なかしま かつとし)。20世紀を代表する家具デザイナーの一人。アメリカンクラフト運動の父。→ 作品
- イサム・ノグチ - 一世。日本名:野口勇(読み同じ)。彫刻家、画家。近代アメリカ美術史に多大な業績を残す。
- 宮武東洋 - 一世。戦時中の日系人収容所で写真を撮り続けた写真家。
- ミネ・オオクボ - 画家、イラストレーター。1946年発表の画集『市民13660号』は、日系人収容所に関する最初の刊行物。
作家(小説家、詩人、劇作家)
- サダキチ・ハートマン (1867-1944) - 美術家、批評家、詩人。
- トシオ・モリ(1910-1980) - 作家。『カリフォルニア州ヨコハマ町』など。
- ビル・ホソカワ (1915-2007) - ジャーナリスト、作家。『二世 ― このおとなしいアメリカ人』、『120%の忠誠 ― 日系二世・この勇気ある人びとの記録』など。
- ヨシコ・ウチダ (1921-1992) - 作家。『トパーズへの旅 』、『荒野に追われた人々』、『写真花嫁』など。
- ヒサエ・ヤマモト (1921-2011) - 作家。『ヒサエ・ヤマモト作品集 ―「十七文字」ほか十八編』など。
- ジョン・オカダ (1923-1971) - 作家。『ノー・ノー・ボーイ』。
- ミツエ・ヤマダ(1923-) - 詩人、人権擁護活動家、フェミニスト。『収容所ノート』、『砂漠行』など。
- ワカコ・ヤマウチ (1924-2018) - 劇作家、小説家。
- アレン・セイ (1939-) - 作家・イラストレーター。『おじいさんの旅』など。
- ギャレット・ホンゴウ (1951-2011) - 学者、詩人。
- ルース・オゼキ (1956-) - 映像作家、小説家、禅僧。『あるときの物語』、『イヤー・オブ・ミート』など。
- シンシア・カドハタ (1956-) - 小説家、児童文学作家。『きらきら』、『サマーと幸運の小麦畑』でニューベリー賞、全米図書賞などを受賞。
- ジュリー・オオツカ (1962-) - 作家。『天皇が神だったころ』、『屋根裏の仏さま』でアレックス賞、ペン/フォークナー賞、フェミナ賞などを受賞。
映画
- グレッグ・アラキ - 三世。インディペンデント映画界の異才。
- スティーヴン・オカザキ - 三世。1991年、日系人の強制収容を描いた短編ドキュメンタリー『待ちわびる日々 (Days of Waiting: The Life & Art of Estelle Ishigo )』でアカデミー短編ドキュメンタリー映画賞を受賞。
- キャリー・フクナガ - 映画監督。2009年『闇の列車、光の旅』(Sin nombre)など。
- タク・フジモト - 映画撮影監督。『羊たちの沈黙』、『シックス・センス』、『青いドレスの女』など。
- アイリス・ヤマシタ - 二世。脚本家。『硫黄島からの手紙』でアカデミー脚本賞にノミネート。
俳優
あ
- 新田真剣佑 - 父親は千葉真一(サニー千葉)
- アリアーヌ・コイズミ - 父親は日本人、母親はオランダ人。
か
- 河北麻友子 - 四世。日本で活躍する女優、モデル。
- ケイン・コスギ - 二世。日本名:小杉健(こすぎ たけし)。主に日本で活動する俳優・タレント。母は台湾人。
- 小山田真 - 一世。岡山県岡山市出身。2003年トム・クルーズ主演映画『ラストサムライ』で準主役・信忠役を演じる。2006年実写版映画『カンフー・プリンセス・ウェンディー・ウー』で主役のシェン役を演じる。2008年映画『希望の大地』で主役、プロデューサーを努める。武道師範。
さ
ま
- 前田郷敦 - 父親は千葉真一(サニー千葉)
- マコ岩松 - 一世。日本名:岩松信(いわまつ まこと)。日本ではマコ岩松の名で知られた。1966年『砲艦サンパブロ』でアカデミー助演男優賞にノミネート。
- ミヨシ・ウメキ - 永住。本名:梅木美代志(うめき みよし)。1957年『サヨナラ』でアジア系俳優としては初のアカデミー助演女優賞を受賞。その後60年代を通じてトニー賞やエミー賞などノミネート多数。タイム誌の 表紙 にのった。26歳で渡米後、半世紀をアメリカで過ごし、アメリカに骨を埋めたが、市民権は取得しなかった。
- マシ・オカ - 一世。日本名:岡 政偉(おか まさより)。TVドラマ『HEROES』で人気に。ゴールデングローブ賞やエミー賞などにノミネート。サターン賞やピープルズ・チョイス・アワードなどを受賞。天才児としてタイム誌の表紙を飾ったことがある。
- ディーン・ケイン - 三世。本名:ディーン・ジョージ・タナカ。テレビドラマ『新スーパーマン』でスーパーマンを演じる。
- シェイン・コスギ - 二世。日本名:小杉倫矢(こすぎ ともや)。ケインの弟。
- ショー・コスギ - 永住。日本名:小杉正一(こすぎ しょういち)。ケイン・シェイン兄弟の父。
- ハロルド坂田 - 二世。日本名:坂田敏行(さかた としゆき)。重量挙げ選手としても活躍。『007 ゴールドフィンガー』で殺人山高帽を投げる殺し屋役で有名。
- ブライアン・ティー - 父親は日系アメリカ人、母親は韓国人で沖縄県に生まれる。その後2歳でアメリカに移住。
- ヨーシン・サクライ - 二世。日系人初のブロードウェイ俳優(1912年)。
- ジェームズ・シゲタ - 三世。日本名:繁田三郎(しげた さぶろう)。ハリウッド俳優、歌手。アメリカ映画史上初めて、白人女優とのメロドラマを演じたアジア系アメリカ人俳優。『ミッドウェイ』の南雲忠一役、『ダイ・ハード』のタカギ社長役など。
- 嶋田テル(en:Teru Shimada) - 二世。ハリウッド俳優。
- 高美以子 - 二世。ハリウッド女優。
- ケイリー=ヒロユキ・タガワ - 三世。日本名:田川洋行(たがわ ひろゆき)。母は元宝塚歌劇団女優。
- マイケル富岡 - 本名:マイケル・アンソニー・シェリダン(Michael Anthony Sheridan)。日本名:富岡健(とみおか けん)。ニューヨーク出身。来日以降日本で活動。
- タムリン・トミタ - 三世。沖縄生まれ。母は日系フィリピン二世。
- 早川雪洲 - 永住。本名:早川金太郎。サイレント映画時代のハリウッドを代表する大スターの一人。排日移民法のため市民権を得ることができず、後対日感情悪化とともに欧州に渡る。戦後ハリウッドの名脇役として復活、1957年には『戦場に架ける橋』でアカデミー助演男優賞にノミネートされた。
- パット・モリタ - 二世。1984年『ベスト・キッド』の空手の達人ミスター・ミヤギ役でアカデミー助演男優賞にノミネート。
モデル
- デヴォン青木 - 二世。パリコレなどで活躍するトップモデル。青木廣彰の娘。
- ジェニー・シミズ - 三世。有名女優との交際が常に話題になるトップモデル。
- SHELLY - 日本で活躍するタレント。父はシチリア系アメリカ人。
放送・報道
- アン・カリー - 二世。NBC ニュースアンカー。母が日本人。
- ミチコ・カクタニ - 二世。日本名:角谷美智子(読み同じ)。ニューヨーク・タイムズ紙の書評欄を執筆。ピューリッツァー賞受賞。
- サチ・コトー - 三世。元CNN Headline Newsリポーター。
- ロクサナ・サベリ - 二世。父がイラン人。記者。イランでスパイ容疑で禁固8年になった。
- アイヴァ・トグリ・ダキノ - 二世。日本名:戸栗郁子(とぐり いくこ)。「東京ローズ」として唯一名乗りを上げたアナウンサー。
- フランク・正三・馬場 - 二世。子供時代香川県で暮らす。GHQの一員。NHKの番組・方針や民間放送設立に尽力。
- ロブ・フクザキ - ABC7のスポーツアンカー。ハリウッド映画にも出演。
- レスリー・ナカシマ - 二世。日本名:中島覚。広島原爆を世界で初めて外信したジャーナリスト。
ミュージシャン
- 井上ジョー(en:Joe Inoue)- 二世。カリフォルニア州出身のシンガソングライター。
- スティーブ・アオキ(en:Steve Aoki)- DJ、プロデューサー。青木廣彰の息子。デヴォン青木は異母姉。
- 伊藤由奈 - 二世。父親が日本人。日本で活躍するハワイ出身の歌手。
- ベティ稲田 - 二世。ハワイアン・シンガー。ディック・ミネと結婚していた。
- ジェームス・イハ - 三世。日本名:井葉吉伸(いは よしのぶ)。ロックミュージシャン。元スマッシング・パンプキンズのギタリスト。
- 宇多田ヒカル - 歌手。両親は共に日本人だがニューヨークで生まれたため日本との二重国籍となった。
- ダン・ジ・オートメーター(en:Dan the Automator)- カリフォルニア州出身のヒップホッププロデューサー。ゴリラズやドクターオクタゴンのプロデュースで知られる。
- ティーブ・釜萢 - 二世。日本名:釜萢正(かまやつ ただし)。ジャズミュージシャン。かまやつひろしの父。
- 川畑文子 - 三世。本名アリス・フミコ・カワハタ。ジャズシンガー・ダンサー。日本劇場のこけら落とし公演に出演。
- KenTyla - 不明。日本で活躍するカリフォルニア出身の歌手。
- ジェロ - 三世。母方の祖母が日本人。父親と母方の祖父はアフリカ系アメリカ人。日本で活躍した演歌歌手。
- マイク・シノダ - 三世。日本名。篠田賢治(しのだ けんじ)。ロックバンド、リンキン・パークの中心メンバー。
- ジェイク・シマブクロ - 五世。ハワイ在住のウクレレ奏者。
- パット・スズキ(en:Pat Suzuki)- 二世。1950?60年代に一世を風靡したシンガー。タイム誌の 表紙 にのった。
- ヒロシマ (フュージョンバンド) (Hiroshima, fusion band)
- ジュン・クラモト: 一世。琴。
- ダン・クラモト: 三世。管楽器。
- ジョニー・モリ: 三世。和太鼓/パーカッション。
- ダニー・ヤマモト: 三世。キーボード/ドラム。
- HirOshima((Hiroshima, The Ratt Pakk))不明。本名:ヒロ・オオシマ。ザ・ラット・パックメンバー。ヒップホップ音楽プロデューサー。
- マニー・マーク - 本名マーク・ラモス=ニシタ。キーボーディスト。
- Mila J - 不明、アフリカ系、インド系、日系とある。ラップシンガー。
- melody. - 不明。本名:メロディ・ミユキ・イシカワ。日本で活躍するハワイ出身の歌手。
- 本山清治 - 三世。主に日本で活動するラップミュージシャン。作曲家。編曲家。音楽プロデューサー。
- 森山久 - 二世。ジャズトランペッター。森山良子の父。
- レイチェル・ヤマガタ - 四世。ボーカリスト。
- ジェフ・ラバー(en:Jeff LaBar)- 二世。ロックミュージシャン。シンデレラのギタリスト。母が日本人。
- ジェイク・E・リー - 二世。ロックミュージシャン。元オジー・オズボーンのギタリスト。母が日本人。
- ショーン・レノン - 二世。ロックミュージシャン。日本名:小野太郎(おの たろう)。ジョン・レノンとオノ・ヨーコの息子。
- ダグラス・ロブ - 二世。フーバスタンクのリードボーカル。母が日本人。
- クラーク・ドーマエ - 二世。元ルフィオのギタリスト。
- OMEN 44 - ラッパー。
スポーツ選手
フィギュアスケート
- 伊奈恭子 - 一世。ペア。全米:金、世界選手権:銅。
- 井上怜奈 - 一世。ペア。全米:金。アメリカ市民権取得前は全日本でも金を取っている。
- マイア・シブタニ - 三世(父親が日系二世、母親は一世)。アイスダンス。全米:金、オリンピック:銅(団体・種目別ともに)、世界選手権:銀。アレックスの妹。
- アレックス・シブタニ - 同上。マイアの兄。
- 長洲未来 - 二世。女子シングル。全米:金。オリンピック:銅(団体)
- クリスティー・ヤマグチ - 四世。女子シングル。全米:金、オリンピック:金、世界選手権:金。
バスケットボール
- コーリー・ゲインズ - 三世。NBA選手。
- 酒井ローレンス・アーロン - 四世。プロバスケットボール選手。
- ロバート・スウィフト - 三世。プロバスケットボール選手。
- ナタリー・ナカセ - 三世。プロバスケットボール選手。
- トミー・ブレントン - 二世。プロバスケットボール選手。
- 牧ダレン聡 - 二世。プロバスケットボール選手。
- ワッツ・ミサカ - 二世。日本名:三阪亙(みさか わたる)。NBA初の非白人バスケットボール選手。
- 矢田公作 - 四世。プロバスケットボール選手。
その他
- 与那嶺要 - 二世。アメリカンフットボール選手・プロ野球選手。アメフト選手時代はサンフランシスコ・フォーティナイナーズなどで活躍後、プロ野球選手へ転向後は、読売ジャイアンツや中日ドラゴンズで活躍。そして中日の監督も歴任した。
- マイケル・ノーマン - 二世。陸上選手。母が日本人で、父がアフリカ系アメリカ人である。2020年東京オリンピック男子4×400m:金
- ケビン・アサノ - 三世。柔道軽量級。オリンピック:銀。
- アポロ・アントン・オーノ - 二世。ショートトラックスピードスケート。全米:金、オリンピック:金、世界選手権:金。
- ヨシノブ・オヤカワ(en:Yoshi Oyakawa) - 日本名:親川義信。水泳(背泳ぎ)。ヘルシンキオリンピック:金。
- ブライアン・クレイ - 三世。十種競技。オリンピック:金、世界陸上:金、全米:金。
- トミー・コウノ(en:Tommy Kono) - 重量挙げ。ヘルシンキオリンピック、メルボルンオリンピック:金。
- ゴーマン美智子 - 旧名:諏訪美智子。一世。マラソン。ボストンマラソン・ニューヨークシティマラソン優勝。女子マラソンのパイオニアの一人。
- ゲーリー・サトウ - 四世。バレーボール。元日本代表監督。
- リアン・サトウ - 四世。バレーボール。オリンピック:銅。
- エリック・サトウ - 四世。バレーボール。オリンピック:金。ジャンピングサーブの名手。
- 戦闘竜 - 二世。大相撲力士・総合格闘家。
- コーリー・ナカタニ - 三世。騎手。ブリーダーズカップ・スプリント三連覇。
- クリスチャン・イエリッチ - 三世。プロ野球選手。MLB・ナショナルリーグ・ミルウォーキー・ブルワーズ所属。
- ハルキ・ナカムラ(en:Haruki Nakamura) - NFL選手。
- 藤猛 - 三世。プロボクサー。WBA・WBC世界スーパーライト級王者。
- タッド・フジカワ - 五世。ゴルファー。
- スコット・フジタ - 四世。NFL選手。日本人の血を引いておらず、日系人と白人の家庭に養子として迎えられた。
- ロジャー安川 - モータースポーツ。インディ・レーシング・リーグドライバー。
- カイル・ラーソン - 四世。モータースポーツ。NASCARドライバー。2014年スプリントカップ・シリーズルーキー・オブ・ザ・イヤー。
- コリン・モリカワ - プロゴルファー。2020年のPGA選手権、2021年の全英オープン優勝者。
その他
- グラント・イマハラ (1970-2020) - 四世[13]。エンジニア、特殊効果技術者、TV番組怪しい伝説レギュラー。
- フレッド・コレマツ - 二世。日本名:是松豊三郎(これまつ とよさぶろう)。戦時下における日系人の強制収容に抵抗し、1998年に大統領自由勲章を受章。
- セロ - 二世。日本名 : 片山シリル。世界的に有名なマジシャン。父が日本人。母はモロッコ系フランス人。
- ゲイリー・タナカ - 馬主。所有馬が各国のG1競走で優勝している。
- ヒカル・ナカムラ - 日本名:中村光(読み同じ)。チェスプレーヤー。グランドマスター。
- マイク正岡 - 二世。日本名:正岡優(まさおか まさる)。市民活動家。
- W.T.ヨシモト - 剥製のコレクター。
- カール・ヨネダ - 二世。日本名:米田剛三(よねだ ごうぞう)。アメリカ共産党員の労働運動家・ジャーナリスト。
日系アメリカ人を題材とした作品
- 小説
-
- ジョン・オカダ『ノー・ノー・ボーイ』 - ジョン・オカダ著。第二次世界大戦中の日系アメリカ人男性の苦悩を描く。
- ジャンヌ・ヒューストン/ジェームズ・ヒューストン『マンザナールよさらば』 - ジャンヌ・ヒューストン、ジェームズ・ヒューストン著。第二次世界大戦におけるアメリカ合衆国による日系人の強制収容により、マンザナー強制収容所に移されたジャンヌとその家族の収容前、収容中、収容後の体験を綴った回想録。
- 山崎豊子『二つの祖国』(1983年) - 山崎豊子著。第二次世界大戦中の日系アメリカ人の悲劇と苦悩を描いた小説。
- ロバート・本郷『パイナップル部隊』 - ロバート・本郷著。朝鮮戦争に際して、自分たちのルーツ・日本を訪れる日系人の話。
- 真保裕一『栄光なき凱旋』(2006年) - 真保裕一著。
- エイドリアン・トミネ『ショートカミングズ』(2007年) - エイドリアン・トミネ著。
- ジュリー・オオツカ『屋根裏の仏さま(英語: The Buddha in the Attic)』(2009年) - 日系二世作家ジュリー・オオツカによる、「写真花嫁」の苦難を通して日系人全体の歴史を描いた全米図書賞最終候補作。
- 漫画
- テレビドラマ
-
- 波の盆(1983年) - 戦争によって引き裂かれたハワイ日系移民家族の姿と、それぞれの想いを描いたTVドラマ。
- 山河燃ゆ(1984年) - 山崎豊子『二つの祖国』を原作とする1984年のNHK大河ドラマ。当初はアメリカの日本語チャンネルでも放映が予定されていたが、日系人の描写が実際のものとはあまりにもかけはなれたものだったことから「日系人の忠誠心が疑われる」という懸念で中止になった。その後ハワイ州内のケーブルTVでは放送されている。
- オレゴンから愛(1984年) - フジテレビ木曜劇場シリーズの第1作目。オレゴン州を舞台にしたテレビドラマ。
- 純ちゃんの応援歌(1988年) - NHK連続テレビ小説。ヒロインである速水(旧姓:小野)純子の夫である速水秀平(トーマス・S・ハヤミ)は、サクラメント出身の日系アメリカ人である。
- さくら(2002年) - NHK連続テレビ小説。日本に赴任したハワイ日系アメリカ人4世の英語担当助手の成長を描く。
- 99年の愛〜JAPANESE AMERICANS〜(2010年) - TBS開局60周年企画。島根県からワシントン州シアトルへ移住したが、日系人への差別や日米関係の悪化、そして第二次世界大戦・太平洋戦争などに翻弄された日系移民家族の悲劇を描いた橋田壽賀子脚本の日本のスペシャルテレビドラマ。
- 二つの祖国(2019年) - 山崎豊子『二つの祖国』を原作とするテレビ東京開局55周年特別企画のテレビドラマ。
- カムカムエヴリバディ(2021年) - NHK連続テレビ小説。
- 映画
- 舞台
-
- アリージャンス (ミュージカル)(2012年) - 主演ジョージ・タケイの実体験に着想を得て、第二次大戦下の日系人強制収容を描いたアメリカのミュージカル。
脚注
- ^ US Census Bureau, Japanese alone or in combination in 2007 2008年10月26日閲覧。
- ^ Every Culture - Japanese
- ^ “「アジア系」は米の模範的移民? 軋轢生じる恐れも”. 産経新聞. (2012年7月3日) 2013年3月28日閲覧。
- ^ “The American Community Asians: 2004 American Community Survey Reports” (pdf) (英語). census.gov. 2015年4月30日閲覧。
- ^ a b * 菅(七戸)美弥「55名の「ジャパニーズ」--1870年米国人口センサスの調査票(population schedule)への接近」『東京学芸大学紀要. 人文社会科学系. II』第60巻、東京学芸大学紀要出版委員会、2009年1月、137-151頁、hdl:2309/96156、ISSN 18804322、NAID 110007030894。
- ^ “バイデン氏、アジア系標的のヘイトクライムを非難 「米国らしくない」”. AFP (2021年3月12日). 2021年3月14日閲覧。
- ^ “NYで暴行され重傷の日本人ピアニスト、手術受け回復中”. CNN (2020年10月12日). 2021年3月14日閲覧。
- ^ “日本の寺 放火などの被害 米・ヘイトクライムの疑い”. FNNプライム (2021年2月27日). 2021年3月14日閲覧。
- ^ “Asian/Pacific American Heritage Month: Searching for a “Hidden Figure””. The JFK Library Archives (May 29, 2020). November 11, 2020閲覧。
- ^ “Major General James H. Mukoyama Oral History Interview”. Pritzker Military Museum & Library (2012年1月1日). 2019年9月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月15日閲覧。
- ^ LAPD Organization Chart
- ^ [1]
- ^ “A-Profiler Interview, Grant Imahara,”. AArisings(US) (2007年3月13日). 2008年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月13日閲覧。
関連項目
- 日系人
- 日系アメリカ人の一覧
- 日系人の強制収容
- 邦字新聞
- 交換船
- 人種差別
- 第442連隊戦闘団
- アメリカ陸軍情報部
- 広島県人の移民(日本最大の海外移民数を有する県) - 広島原爆で被爆したアメリカ人
- 沖縄系アメリカ人
- en:Asian Pacific American Heritage Month
- ハワイ州(人口に対する日系人比率が最も高い州) - ハワイにおける日本人移民
- カリフォルニア州
- ワシントン州
- オレゴン州