牧ダレン聡
引退 | |
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ポジション | PG |
基本情報 | |
愛称 | D-MAK |
英語 | Darin Satoshi Maki |
国籍 |
日本 アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1979年8月28日(45歳) |
出身地 | カリフォルニア州ロサンゼルス |
身長(現役時) | 175cm (5 ft 9 in) |
体重(現役時) | 75kg (165 lb) |
キャリア情報 | |
ドラフト | 2005年 6位 |
選手経歴 | |
2001-2003 2003-2004 2004-2005 2005-2009 2009-2010 2010-2011 2011-2012 |
潮州 福建 世田谷UNK太子堂 東京アパッチ 大分ヒートデビルズ 東京アパッチ 埼玉ブロンコス |
牧 ダレン 聡(まき ダレン さとし、1979年8月28日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。カリフォルニア州ロサンゼルス出身。175cm、75kg。牧は日本プロフェッショナル・バスケットボール・リーグで初めてドラフトされた日系アメリカ人。日系アメリカ人の二世で父は鹿児島市の出身。
来歴
[編集]6歳から地元のサッカーチームと野球チームの両方に所属。バスケットボールは8歳の時に始める。10歳からはアメリカンフットボールのチームに所属。12歳からは合気道と柔道をし、柔道ではカリフォルニア州チャンピオン(二回)、ネバダ州チャンピオン、アメリカナショナルチャンピオン(銅メダル)、U.S.A.ジュニアナショナル・チームトレーニングキャンプに招集されるなど、とにかくスポーツ万能で多彩であった。初めてのダンクショットは17歳、垂直飛びで最高45インチ (115cm) だった。
高校のバスケットボールキャリアで優秀な成績を残した後、牧はイースト・ロサンゼルス・カレッジとカリフォルニア州立大学ドミンゲズ・ヒルズ大学でプレーした。 この間、日本代表チームとエキシビジョンゲームを行い何度も勝利を決めた。そしてそれをきっかけに日本でプレーする選手としてスカウトされるようになった。牧はこれを機に、日本でプロとしてプレーする興味を持つようになった。
卒業後、ベトナムや香港や中国等アジアのセミプロでプレーし来日。JBLと契約の話もあったが、外国人枠のため断念。
その後、日本国籍を取得。2005年に発足したbjリーグにて東京アパッチよりドラフト会議で6位指名を受け入団。東京アパッチで3年間活躍した後、2008年にFAを行使し、東京アパッチに残留した。牧のヘッドコーチは、元NBAでもあり、ロサンゼルス・レイカーズの選手、コービー・ブライアントの父親でもあるジョー・ブライアントだった。
2009年オフ、大分ヒートデビルズへ移籍した。
2010年オフ、東京アパッチに復帰する。
2011年の東日本大震災の後、東京アパッチは業務を中断し、牧は埼玉ブロンコスと契約した[1][2]。 埼玉ブロンコス入団後、友人のナタリー・ナカセをコーチングのスタッフに紹介し、後、ナカセは日本プロ男子バスケットボールの初の女子監督となった[3]。 2013年、牧はベンチャービジネスの道へと進むため、契約を断り引退を決意した。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 牧 ダレン 聡オフィシャルサイト
- Darin S. Maki 牧ダレン聡 (@DarinMaki) - X(旧Twitter)
- ダレン 聡 牧 (Darin Satoshi Maki) (DarinMaki10) - Facebook
- darinmaki (@darinmaki) - Instagram