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[[1979年]](昭和54年)、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]から衆議院議員に初当選(当選同期に[[佐藤信二]]・[[保利耕輔]]・[[畑英次郎]]・[[麻生太郎]]・[[小里貞利]]・[[岸田文武]]・[[白川勝彦]]・[[丹羽雄哉]]・[[亀井静香]]・[[吹田愰]]・[[宮下創平]]・[[船田元]]など)。自民党では[[中曽根康弘]]→[[渡辺美智雄]]派に属した。[[1988年]](昭和63年)、運輸政務次官<ref name="kamei"/>。 |
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[[1996年]](平成8年)、[[第1次橋本内閣]]で[[運輸大臣]]として初入閣。[[2003年]](平成15年)には農林水産大臣であった[[大島理森]]が元秘書の[[政治献金|献金流用]]疑惑で辞任すると、大島の後任として再び入閣した。山崎派([[近未来政治研究会]])の最高幹部の一人として同派の事務総長を長期にわたって務め、[[山崎拓]]を支えた。 |
2020年7月25日 (土) 04:13時点における版
亀井 善之 かめい よしゆき | |
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2003年 小泉内閣にて農林水産大臣就任に際し、官邸が公表した肖像写真 | |
生年月日 | 1936年4月30日 |
出生地 | 日本 神奈川県伊勢原市 |
没年月日 | 2006年5月12日(70歳没) |
出身校 | 慶應義塾大学経済学部 |
前職 | 衆議院議員秘書 |
所属政党 | 自由民主党(山崎派) |
称号 | 正三位旭日大綬章 |
親族 | 亀井善太郎(元衆院議員) |
内閣 | 第1次橋本内閣 |
在任期間 | 1996年1月11日 - 1996年11月7日 |
内閣 |
第1次小泉第1次改造内閣 第1次小泉第2次改造内閣 第2次小泉内閣 |
在任期間 | 2003年4月1日 - 2004年9月27日 |
選挙区 |
(旧神奈川5区→) 神奈川16区 |
当選回数 | 9回 |
在任期間 |
1979年10月30日 - 1983年11月28日 1986年7月8日 - 2006年5月12日 |
亀井 善之(かめい よしゆき、1936年(昭和11年)4月30日[1] - 2006年(平成18年)5月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(自民党[2]、9期)。
運輸大臣(第1次橋本内閣)、農林水産大臣(第1次小泉内閣・第2次小泉内閣)を歴任した。
来歴
1955年(昭和30年)、神奈川県立湘南高等学校卒業[1]。1962年(昭和37年)、慶應義塾大学経済学部卒業[1][2]。大日本製糖、神糧物産でのサラリーマン生活を経て、父親の秘書となる。
1979年(昭和54年)、自由民主党から衆議院議員に初当選(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・畑英次郎・麻生太郎・小里貞利・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田愰・宮下創平・船田元など)。自民党では中曽根康弘→渡辺美智雄派に属した。1988年(昭和63年)、運輸政務次官[1]。
1996年(平成8年)、第1次橋本内閣で運輸大臣として初入閣。2003年(平成15年)には農林水産大臣であった大島理森が元秘書の献金流用疑惑で辞任すると、大島の後任として再び入閣した。山崎派(近未来政治研究会)の最高幹部の一人として同派の事務総長を長期にわたって務め、山崎拓を支えた。
2005年(平成17年)の郵政国会では6月27日の自民党総務会の郵政民営化修正案の了承決議に自民党総務として賛成票を投じた。
2006年(平成18年)初頭から病気のため療養していたが、同年5月12日、膵臓癌のため死去した。享年70。
亀井の死去により、神奈川16区の、相模原市(第14区に属さない区域)及び、厚木市、伊勢原市、愛甲郡、津久井郡では、公職選挙法の規定による補欠選挙が、2006年(平成18年)10月22日に投開票され、政策秘書で長男の善太郎が初当選した。
人物
座右の銘は「初心忘るべからず」[1]。趣味は読書、ウォーキング、ゴルフ[1]。住所は神奈川県伊勢原市下落合[2]。
略歴
- 1975年 - 横浜市長選挙に立候補(落選)[1]。
- 1976年 - 衆議院議員選挙立候補(落選)。
- 1979年 - 衆議院議員選挙に立候補し、初当選[1]。
- 1983年 - 衆院選で落選。
- 1986年 - 衆院選で当選。
- 1988年 - 運輸政務次官(竹下内閣)。
- 1991年 - 衆議院運輸委員長。
- 1996年1月 - 運輸大臣(第1次橋本内閣)。
- 1997年 - 衆議院議院運営委員長。
- 1998年 - 自民党組織本部長。
- 2000年7月 - 自民党政治制度改革本部長。
- 2001年 - 自民党経理局長。
- 2003年4月 - 農林水産大臣(第1次小泉内閣・第2次小泉内閣)。
- 2006年5月 - 膵臓癌のため死去。享年70。正三位旭日大綬章。
家族・親族
- 亀井家
著作
- 日本エネルギー改造論 ISBN 4885552753
脚注
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
- 『政治家人名事典』日外アソシエーツ、1990年。
外部リンク