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「徹子の部屋」の版間の差分

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本番組を始めるにあたり、黒柳がテレビ朝日に出した条件が「'''スタッフの入れ替えをしないこと'''」「'''編集をしないこと'''([[撮って出し]]の手法)」であった(ただしこれは番組がいつまで続くか分からなかった開始当初のことであり、実際には後述の通りプロデューサーやディレクターは入れ替わっている)。後者の理由は「ゲストのありのままの姿を引き出すため」「番組の質の低下を防ぐため([[帯番組]]を編集するのは多大な労力がかかる)」「ゲスト・黒柳・スタッフの三者間で『ここをカットしてほしい』『ここを残してほしい』と編集に関する意見が衝突するのを防ぐため」の3点である<ref name="nagae">[[永江朗]]『聞き上手は一日にしてならず』 新潮社〈新潮文庫〉、2008年、11-33頁</ref>(ただし1度だけカットをしたことがあるという<ref>[http://www.dailyshincho.jp/article/2015/08080830/?all=1],週刊新潮,2015年8月6日通巻3000号記念特大号</ref>)。
本番組を始めるにあたり、黒柳がテレビ朝日に出した条件が「'''スタッフの入れ替えをしないこと'''」「'''編集をしないこと'''([[撮って出し]]の手法)」であった(ただしこれは番組がいつまで続くか分からなかった開始当初のことであり、実際には後述の通りプロデューサーやディレクターは入れ替わっている)。後者の理由は「ゲストのありのままの姿を引き出すため」「番組の質の低下を防ぐため([[帯番組]]を編集するのは多大な労力がかかる)」「ゲスト・黒柳・スタッフの三者間で『ここをカットしてほしい』『ここを残してほしい』と編集に関する意見が衝突するのを防ぐため」の3点である<ref name="nagae">[[永江朗]]『聞き上手は一日にしてならず』 新潮社〈新潮文庫〉、2008年、11-33頁</ref>(ただし1度だけカットをしたことがあるという<ref>[http://www.dailyshincho.jp/article/2015/08080830/?all=1],週刊新潮,2015年8月6日通巻3000号記念特大号</ref>)。


黒柳は「一切編集をしない。ほぼ[[生放送]]の状態。だから皆さん本心を話してくれるんでしょう。」と語っている<ref name="テレビ放送60年、ともに歩む 黒柳徹子さん">「テレビ放送60年、ともに歩む 黒柳徹子さん」[[朝日新聞]] 2013年1月1日</ref>。ゲスト一人当たりに一時間ほどかけてスタッフと綿密な打ち合わせをする、「その打ち合わせをする金曜日が一番大変」と明かす<ref name="徹子の部屋1万回 放送40周年 編集なし・綿密な打ち合わせ貫く">[http://web.archive.org/web/20150518103410/http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2015051602000175.html 徹子の部屋1万回 放送40周年 編集なし・綿密な打ち合わせ貫く](2015年5月18日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])- 東京新聞、2015年5月16日。</ref>。
黒柳は「一切編集をしない。ほぼ[[生放送]]の状態。だから皆さん本心を話してくれるんでしょう。」と語っている<ref name="テレビ放送60年、ともに歩む 黒柳徹子さん">「テレビ放送60年、ともに歩む 黒柳徹子さん」[[朝日新聞]] 2013年1月1日</ref>。ゲスト一人当たりに一時間ほどかけてスタッフと綿密な打ち合わせをする、「その打ち合わせをする金曜日が一番大変」と明かす<ref name="徹子の部屋1万回 放送40周年 編集なし・綿密な打ち合わせ貫く">[http://web.archive.org/web/20150518103410/http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2015051602000175.html 徹子の部屋1万回 放送40周年 編集なし・綿密な打ち合わせ貫く](2015年5月18日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])- 東京新聞、2015年5月16日。</ref>。


[[東京新聞]]の取材で『最も印象に残っているエピソード』について聞かれると、黒柳は「どの方が一番面白かったとか、一番退屈だったとかということを申し上げると番組が成り立たない。今までそれを一度も言わなかったから長く続いた」と切り返した<ref name="徹子の部屋1万回 放送40周年 編集なし・綿密な打ち合わせ貫く" />。ゲストのスキャンダルは扱わない<ref name="スキャンダルは扱わない『徹子の部屋』の知られざるルール" />。
[[東京新聞]]の取材で『最も印象に残っているエピソード』について聞かれると、黒柳は「どの方が一番面白かったとか、一番退屈だったとかということを申し上げると番組が成り立たない。今までそれを一度も言わなかったから長く続いた」と切り返した<ref name="徹子の部屋1万回 放送40周年 編集なし・綿密な打ち合わせ貫く" />。ゲストのスキャンダルは扱わない<ref name="スキャンダルは扱わない『徹子の部屋』の知られざるルール" />。
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* 放送30周年記念「'''徹子の部屋展'''」
* 放送30周年記念「'''徹子の部屋展'''」
** 2006年5月、髙島屋東京店にて開催
** 2006年5月、髙島屋東京店にて開催
* 放送40周年・10000回記念「'''徹子の部屋展'''」<ref>{{Cite news|url=http://www.fashionsnap.com/news/2015-07-07/tetsuko-exhibition/|title=「徹子の部屋」が展覧会開催 衣装やスタジオ再現で40年を振り返る|work=Fashionsnap.com|date=2015-07-07|accessdate=2015-07-26}}</ref><ref>[http://web.archive.org/web/20150810031227/http://www.takashimaya.co.jp/store/special/event/tetsuko.html 徹子の部屋展](2015年8月10日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - 髙島屋公式サイト</ref>
* 放送40周年・10000回記念「'''徹子の部屋展'''」<ref>{{Cite news|url=http://www.fashionsnap.com/news/2015-07-07/tetsuko-exhibition/|title=「徹子の部屋」が展覧会開催 衣装やスタジオ再現で40年を振り返る|work=Fashionsnap.com|date=2015-07-07|accessdate=2015-07-26}}</ref><ref>[http://web.archive.org/web/20150810031227/http://www.takashimaya.co.jp/store/special/event/tetsuko.html 徹子の部屋展](2015年8月10日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - 髙島屋公式サイト</ref>
** [[2015年]][[8月26日]] - [[9月7日]]、髙島屋東京店
** [[2015年]][[8月26日]] - [[9月7日]]、髙島屋東京店
** 2015年[[9月16日]] - [[9月27日]]、[[横浜市|横浜]]髙島屋
** 2015年[[9月16日]] - [[9月27日]]、[[横浜市|横浜]]髙島屋

2017年9月4日 (月) 13:57時点における版

徹子の部屋
ジャンル 帯番組 / トーク番組
出演者 黒柳徹子司会
他 ゲスト1組
オープニング いずみたく
徹子の部屋のテーマ
エンディング 同上
製作
製作総指揮 寺田伸也(GP、テレビ朝日)
プロデューサー 田原敦子(テレビ朝日)
栗井誠司・三ツ木仁美(vivia
制作 テレビ朝日
放送
音声形式ステレオ放送[注 1]
解説放送[注 2]
放送国・地域日本の旗 日本
回数累計10000
公式サイト
13時台第1期(放送開始から1996年3月)
放送期間1976年2月2日 - 1996年3月29日
放送時間平日 13:15 - 13:55
放送分40分
14時台時代(1996年4月から1997年9月)
放送期間1996年4月1日 - 1997年9月26日
放送時間平日 13:55 - 14:50
放送分55分
13時台第2期(1997年10月から2014年3月まで)
放送期間1997年9月29日 - 2014年3月31日
放送時間平日 13:20 - 13:55
放送分35分
正午枠時代(2014年4月から)
放送期間2014年4月1日 -
放送時間平日 12:00 - 12:30
放送分30分
回数10543

特記事項:
放送回数は2017年1月25日現在[1]
テンプレートを表示

徹子の部屋』(てつこのへや)は、テレビ朝日(番組開始時の旧社名:日本教育テレビ(NET))系列平日正午に放送されている長寿トーク番組である。黒柳徹子司会冠番組である。同局が日本教育テレビ(NET)時代に『13時ショー』の後継番組として1976年2月2日にスタートした長寿番組である。2000年12月からハイビジョン制作を実施している。また、BS朝日およびCS放送テレ朝チャンネル1・2では、過去の放送回を再放送している。

2017年現在、放送42年目を数える。

概要

毎回1組のゲストを招いて、テーブル上に広げた資料を元にインタビューしながら対談を進める。極初期を除き、それ以外の企画内容はないため、一般的に「トーク番組」として認知されている。黒柳の文化人的キャラクターや「終戦特集」などを企画するなど「お上品な番組」としてイメージされがちだが、毎年末(2013年まで)にはタモリに芸を披露させたり、2000年代後半頃からは『アメトーーク!』とコラボレーションするなど、番組発足以来、バラエティ番組としての性格も有している。番組の知名度も高く他局も含めて数多くのパロディが存在する。

本番組で放送された映像のうち初期のものについては、当時の放送用VTRが機器・テープとも高価だった上、著作権法等の縛りで番組の資料保存も安易に行えなかった事情から、大半が現存していない(黒柳自身が個人的に家庭用ビデオデッキで録画し保存したものもあるが、画質は余り良くない)ものの、出演時のスチル写真と音声を収録したカセットテープについては保存されているという[2]

出演ゲストは延べ10000人以上に上る[3]。ゲストもタレント俳優・女優・歌手お笑いタレント作家政治家など幅広く、テレビ朝日や一部系列局の情報報道番組で著名人の訃報が伝えられる際、ニュース映像に故人が本番組に出演した際の映像が頻繁に使用されており、副次的ではあるが著名人の映像アーカイブ的側面もある。

黒柳が1980年NHK第31回NHK紅白歌合戦』の紅組司会に起用されたのは本番組の司会ぶりの評価もその一因である[4]

司会者

話す内容は、黒柳がゲストについてその日担当のディレクターからレクチャーを受けた際に、その内容を特注のメモ用紙(紙の寸法はA6)に2Bの鉛筆で縦書きに書いたものを繋ぎ合わせたリスト(台本や質問稿ではない)をテーブルに置いて進行する。老眼鏡を使わないで読むので、ゲストに驚かれることがある。そのメモの上にゲストがコップを置くと除けたり、置かないようにあらかじめ釘を刺す。メモが汚損などして使い物にならなくなった際にはアドリブトークになるが、切り替わったことは一度もない[注 3]

本番組で黒柳は「たまねぎ頭」姿である[注 4]。芸能界七不思議の1つと言われるこの髪型については理由があり、毎日髪形を変えると、視聴者の関心が黒柳の髪に集中してしまってゲストの方へ行かない、また襟足が出るので、黒柳の斜め後ろからの画像になっても「ふんふん」と頷く時に髪ばっかり揺れているという絵にならず、首が見えるので少しは人間味がでる、あるいは和装でも洋装でもちょっとアレンジすれば済むなどの理由で固定していると言う。ただし扮装する時は別である。

黒柳の衣装はゲストと事前打ち合わせはせず、黒柳およびスタイリストによって選ばれている。放送開始から8000回を超えるまでは全て黒柳本人が衣装を用意・選定していたが、その後はスタイリストが用意した衣装も着用するようになった。本番組で使用された衣装の一部は、年に1度日本橋高島屋で開催されているチャリティセールへ出品されている(売り上げは「青少年とともに歩む会」に寄贈)。

黒柳の体調不良による休みは一度もない[5][注 5]。黒柳は「連続で50年というテレビ番組は前例がないと思いますので、できることなら50年までやりたいと思っております」と語っている。

2011年以降は、スペシャル版において一部コーナーでマツコ・デラックスが黒柳のパートナーを務めている(後述)。

字幕放送では、本人が喋る色は黄色で表示される(2014年3月31日までは、スペシャル版を除いては白色で表示されていた)。

番組作り

本番組を始めるにあたり、黒柳がテレビ朝日に出した条件が「スタッフの入れ替えをしないこと」「編集をしないこと撮って出しの手法)」であった(ただしこれは番組がいつまで続くか分からなかった開始当初のことであり、実際には後述の通りプロデューサーやディレクターは入れ替わっている)。後者の理由は「ゲストのありのままの姿を引き出すため」「番組の質の低下を防ぐため(帯番組を編集するのは多大な労力がかかる)」「ゲスト・黒柳・スタッフの三者間で『ここをカットしてほしい』『ここを残してほしい』と編集に関する意見が衝突するのを防ぐため」の3点である[7](ただし1度だけカットをしたことがあるという[8])。

黒柳は「一切編集をしない。ほぼ生放送の状態。だから皆さん本心を話してくれるんでしょう。」と語っている[9]。ゲスト一人当たりに一時間ほどかけてスタッフと綿密な打ち合わせをする、「その打ち合わせをする金曜日が一番大変」と明かす[10]

東京新聞の取材で『最も印象に残っているエピソード』について聞かれると、黒柳は「どの方が一番面白かったとか、一番退屈だったとかということを申し上げると番組が成り立たない。今までそれを一度も言わなかったから長く続いた」と切り返した[10]。ゲストのスキャンダルは扱わない[5]

収録は放送の約1 - 2か月前から[11]、毎週月曜・火曜日に計6本のペースで行われる[注 6]。週1本(月4 - 5本程度)分多く収録しているのは、黒柳がユニセフの仕事で世界に出張するため、夏休みとして2週分収録を休んだり、黒柳が出演する演劇の舞台稽古で不定期に収録を休んだり、突発的なアクシデントで放送を差し替えたりする時のストックとしてである[7]。収録日の午前中はたっぷりと睡眠をとる。寝不足だとゲストの話が耳を素通りしてしまうからだという。

ゲストとの会話はスタジオセットのソファに座って行われるが、ゲストが特別なパフォーマンスを披露する場合などには椅子がセッティングされる場合もある(歴代の部屋(セット)も参照)。出される飲み物は緑茶、コーヒー、紅茶、ジュース(ワイングラスガラスコップ「グラス」、マグカップ「おに乗せることもある」、湯呑み)などゲストに合わせて毎回異なる[注 7]。なお、ソファがとても柔らかいため、ゲストの姿勢や衣装が崩れたまま映ってしまうことがないようにとの配慮もあり、ゲスト及び黒柳が座るためのクッションには基本的にベニヤ入りの堅いクッション(番組関係者内ではハルコちゃんと呼ばれている)を使っているが、これは杉村春子が着物で出演した際にソファが柔らかいために襟が崩れてしまうので堅いクッションがあればとの要望があったことに由来しているという[12]

ゲストは基本的に1組1回だが、収録時間が長時間となったり(山村聰長嶋茂雄ジャイアント馬場メリル・ストリープダスティン・ホフマントム・クルーズ)、トークが面白く収録時間を大幅に超過した(さだまさし小栗旬岡田将生)等の理由で2回に分けて放送されたケースがある。1991年8月12日13日の放送には山口淑子が戦争特集でに出演した。また2014年9月15日16日の放送には、都はるみ伍代夏子八代亜紀坂本冬美の女性演歌歌手4名からなるユニット「春夏秋冬」(ユニット名はメンバーそれぞれの氏名の一部分に因む)が、同年10月に東京国際フォーラムで開催の「日本の四季 春夏秋冬コンサート」[13]のPRを兼ねて出演した。また、近年では複数のゲストが2日間に亘って出演する際、黒柳発案によるユニットが発生することもある(こちらも参照)。

黒柳のスケジュールが過密であることもあって、テレビ朝日以外のテレビ局が黒柳に取材する場合にも本番組のセットで行われることがある。例として、2007年9月28日放送の読売テレビ・日本テレビ系列『ザ・ワイド』最終回では、その番組の司会者で黒柳と親交のある草野仁へ向けたメッセージが本番組のセットで収録された。2009年正月に放送されたNHK教育テレビ50周年の記念番組では、TOKIO城島茂ら出演者が黒柳がコメントをするVTRを見た際、「“部屋”ですね」などと指摘していた。

40年以上を数えるロングランとなった現在も、黒柳は「50年まではやろうと思っている」とさらなる意欲を見せている[1][14]。また一方で、自身の芸能界引退及び将来の番組終了については「途中でいよいよ私がダメになってきたときには、周りの人がたぶん私に言えないだろうから、近藤真彦が『黒柳さん、そろそろ仕事辞めたら?』って、私に引導を渡すことになっている」と勧められた時点で退くことを語っている[1][14][15][16][注 8]

テーマ曲

テーマ曲は『徹子の部屋のテーマ』(2000年12月放送分のステレオ放送化によりステレオ収録にアレンジしたものに変わっている)。作曲はいずみたく。テーマ曲は、CD『SHOW WA!バラエティー・レボリューション』の中に収録されているほか、着メロはテレビ朝日の携帯サイトなどでダウンロードできる。

  • 2011年5月26日放送分のオープニングでは、ゲストの羽鳥慎一がスタジオ入り口から本番組をリポートする形式で登場したため、イントロ部分から流れた。
  • 2012年5月2日放送分のオープニングではゲストにミゲル・ゲレイロが登場し、このオープニングテーマを歌ったためカラオケが使用された。
  • 2014年8月11日 - 8月13日放送「夏休みスペシャル」のオープニングは、音頭調にアレンジされたバージョンが使用された。
  • 2015年10月5日放送分のオープニングは、ゲストの新垣隆がピアノで演奏した。
  • 2016年5月17日放送分のオープニングでは、通常バックで流れているオリジナル版に合わせ、ゲストの宮田大チェリスト)が即興でチェロ演奏を披露した。

放送形態

地上波においての放送では、画面右下にゲスト名とトークの内容について表示されているが、BS朝日(一旦打ち切ったことがある。)、テレ朝チャンネル1・2(テレ朝チャンネル2は2012年4月以降。2013年3月までは朝日ニュースター)の放送では表示されていない。BS朝日では画面右上にあるウォーターマークの左隣に番組タイトルを表示していた。

提供クレジットは出す(テレ朝チャンネル1・2の放送では提供クレジットの表示は一切なし)がアナウンサーによるスポンサーの読み上げ(提供コメント)は一切なく、オープニングはゲストの紹介をしていて、エンディングは終了時間までトークする。ただし、地上波では一時期(番組終了時・ローカルセールスでブルーバック画面のみ)、BS朝日では開局から2年程は提供コメントを行っていたことがあった。なお、過去に放送されたゴールデンタイムのスペシャル版や日曜日昼間に放送される単発枠のスペシャル版では通常通り提供コメントを行った。

正午枠移動後、『ワイド!スクランブル・第1部』からステブレレスで番組が開始される形となった[注 9]。また、12:30の番組終了時も同様にステブレレスの形をとっている。2015年10月30日までは12:29:55から「このあとはワイド!スクランブル」の告知(5秒間、黒柳が「この後は、ワイド!スクランブル…」とコメント。映像は毎日異なっていた)が流れた後[注 10]『ワイド!スクランブル・第2部』に入っていた[注 11]が、翌週11月2日から本編が12:30:00まで拡大されたため5秒告知は廃止となり、そのまますぐ『ワイド!スクランブル・第2部』に入る形となった。

ゲスト

第一回と恒例ゲスト

  • 放送第1回目のゲストは森繁久彌(テレ朝チャンネルでの再放送の第1回目でも、やはり森繁がゲストだった回が放送された)[注 12]。2009年11月11日に森繁が逝去したため、急遽翌12日に追悼特集が放送された(この日の予定ゲストは杉本哲太だったが、11月18日に延期された)。また、2010年2月1日、翌日の放送が番組が35年目を迎えるにあたったこの日の放送もまた森繁の名場面が放送された。
  • トークは基本的にゲストの活躍している内容について行われるが、常連のゲストのさらに一部の相手とは、"お約束"と言えるような展開で行われる。例えば、小沢昭一が単独ゲストの場合、黒柳と小沢が何らかのテーマに沿った扮装をしてトークを行う「扮装シリーズ」が定番となり、2010年の小沢の最後の出演までに15回行われた[18][注 13]。1996年の、黒柳がセーラームーン、小沢がクレヨンしんちゃんのコスプレをして視聴者の度肝を抜いた時は(いずれもテレビ朝日系列のアニメ)、東スポの一面トップに黒柳の姿がカラー写真で掲載された。2010年2月10日には、小沢が初めて出演した1976年当時の映像が残っていないことから、再び学生服(小沢の母校である早稲田大学の学帽付き)とセーラー服に扮し、過去の名場面を振り返った。ただし、小沢の出演回のすべてが「扮装シリーズ」というわけではなく、2008年8月14日放送でのゲスト時には戦争体験を語るためスーツ姿で出演した(その他2011年には永六輔加藤武とともに3人で出演しているが扮装はしていない)。小沢は2012年12月10日に逝去し、同年12月17日の放送回ではこれらの出演回を振り返った[18]
  • 番組最多出演のゲストは加山雄三の計44回[注 14](2017年6月現在)。次いで2位が永六輔で、最終出演となった2016年2月4日まで計39回に亘って出演した[20][21][22]
  • 黒柳とNHKアナウンサー時代から親交が深かった野際陽子は、2000年代以降は節目・特別版などに招かれており、1977年の初出演から最終出演となった2017年2月2日まで計21回に亘って出演した[23][24][注 15]。同様に黒柳と親交がある清水ミチコ[注 16]も、2010年代以降のそれらの回(後述の「平清森」含む)などに招かれており、計16回出演している。さらに同じく司葉子も、毎年1月最終週ないし2月第1週(新年目初週にあたる)の初日には必ず出演しており[注 17]和田アキ子も1979年9月12日の初出演から計20回[注 18]山本陽子も計17回出演している。
  • 年間最終の放送のゲストは1978年から2013年まで約36年間、毎年必ずタモリ(初出演日は1977年8月11日放送)で、2013年12月27日まで37回に亘って出演し、ゲスト出演回数では加山、永に次いで3位(2016年12月現在)を記録した[注 14][注 19]。タモリが当番組にゲストとして出演する際には、今ではテレビでほとんど見られなくなったなんらかの「密室芸」の披露をしていたが、1980年代の放送では、マヨネーズ石狩鍋たくあんを洗った水で作ったクリームソーダチョコレートしゃぶしゃぶあんこなど、通常では考えられないゲテモノ料理を2人で作って食べるのが恒例となっていた[注 20]。2013年を最後にタモリの出演は終了した[注 21]が、その理由についてテレビ朝日、黒柳、タモリおよび彼の事務所・田辺エージェンシーからは公表されていない[注 22]
  • 年間最初の放送のゲストでは、最多は加山雄三で1985年から1994年まで10年連続(1983年を含め計11回)初日を飾った。なお、加山は1978年から1995年まで18年連続で毎年1月の放送に出演している。また、正午枠移動後の2015年以降には、タモリに代わる年末年始恒例ゲストとして、黒柳の発案によって結成された番組限定ユニットの「松竹梅」が2日に亘って出演している(こちらを参照)。

著名人関係

お笑い芸人
  • タモリに限らず、お笑い芸人がゲストの場合、トーク以外に持ちネタが披露されることも多い。極端な例では、2005年に清水ミチコ友近が出演した際、オンエア時間の大半がネタ披露に充てられた。お笑いタレント好きの黒柳はそのネタを見ると「面白い、面白い」と言っていつまでもネタをやめさせない。一方で「今日は何か面白い話をして下さるんですって?」などと言ってわざと笑いのハードルを上げる、オチを先に言ってから話を振る、ありもしないギャグを無理矢理その場でやらせるなどの「無茶ブリ」を行い、お笑いタレントを苦しい状況に追い込む「芸人殺し」も多く、業界用語で言う「ケガ」させることが多いため[注 23]、『アメトーーク!』では「徹子の部屋(惨敗)芸人」と言う括りテーマが存在する。『アメトーーク!』の司会である雨上がり決死隊も、惨敗芸人の1組である(アメトーーク!DVD第6巻に収録)[注 24]
  • 本人が別番組で扮しているキャラクターで出演するケースもある。2005年4月6日は藤井隆マシュー南として出演、マシューは約1カ月後の『祝30年!SP』にも出演し、この時黒柳は『白柳リリー』となって進行している。2006年5月5日にはゴリゴリエとして出演、2010年5月3日はとんねるず矢島美容室として出演した。
  • 番組のキャラクターではなく、芸人独自のキャラクターとして出演するケースもある。2015年3月26日には日本エレキテル連合が「未亡人朱美ちゃん3号」と「小平市の細貝さん」にそれぞれ扮して(但し、後半は素顔の二人で)出演、2016年1月19日には友近が謎の演歌歌手水谷千重子として(但し、前半は友近本人として)出演、同年12月23日には古坂大魔王ピコ太郎として(古坂大魔王としての出演経験はないが、当日古坂本人がVTRコメントで)出演した[29]
  • 2002年から2010年までは毎年末に開催されている『M-1グランプリ[注 25]ABC制作)の優勝者が出演するのが定番となっていた[注 26]
ドラマ出演者
  • テレビ朝日系列で放送される連続ドラマスペシャルドラマの出演俳優(主演もしくは共演者)が、ドラマの番宣を兼ねて出演することも多い(一部作品を除く。作品によっては原作者脚本家が出演する場合もある)。
    • 刑事ドラマ相棒』の出演者(水谷豊寺脇康文及川光博成宮寛貴反町隆史川原和久大谷亮介山中崇史六角精児山西惇、ほか)がドラマおよび劇場版映画の宣伝の一環で出演する場合、配役(服装も含め)として出演し、オープニングでは黒柳が取り調べを受けたり、徹子の部屋で現場検証等を行うコントから始まるのがお決まりで、トーク前半も役名(杉下右京など)で紹介された後にトークが展開、続くトーク後半では出演者本人として紹介され番組展開するというのが慣例となっている。
    • 2017年4月より後続番組枠として「帯ドラマ劇場」が新設されて以降は、同枠の新作が開始される週の前後(1週間ないし6〜8日)に、出演者が番宣を兼ねて日替わりで出演する(放送期間中にも出演者が出演することがある)。
音楽家・歌手・グループ
  • 音楽家や歌手がゲストの回では、ゲストが生演奏を披露することもある。一例として、演歌歌手氷川きよしが新曲発売に合わせて出演する際、その場で披露するのが慣例となっており、黒柳が曲に合わせ「きよし!」などの合の手を入れる“お約束”がある。
  • AKB48EXILEなど、多人数のグループがゲストの回では、出演するメンバーが選抜される場合もある。主な例として、2010年8月19日にAKB48が出演した際は、事前に選抜した12名[注 27]が登場し、2016年5月5日には三代目J Soul Brothersから登坂広臣山下健二郎ELLYの3名が出演した。また、2016年1月25日にはEXILEのパフォーマーを引退した松本利夫MAKIDAI[注 28]USAの3名が出演した。
スポーツ関係者
  • スポーツ選手・関係者のゲスト出演も多く、テレビ朝日系列で放送されるスポーツ番組の出演者(スポーツキャスター解説者など)や大会に出場する選手が中継の番宣を兼ねて出演することもある(大会により異なる)。
  • オリンピック出場選手が出演する回では、メダルを獲得した場合、そのメダルを持参することがある(拝見する際、両者とも手袋を着用する)。
  • 出演するアスリートによっては、黒柳が筋肉チェックをすることがある[30][31]
  • 出張!徹子の部屋』では「ビッグスポーツ賞授賞式」に出席した選手らにいろいろな話を聞くのはもちろん、黒柳による筋肉チェックがやはり行われる[30]

架空のキャラクター

架空のキャラクターも出演したことがある。これまで正式なゲストとして出演を果たしたのは、テレビ朝日の看板アニメ番組である『ドラえもん』からドラえもんのみ。

  • 1999年12月31日(特番)と2000年2月11日の放送では、CG映像でドラえもんが出演した。当時のドラえもんの声は、当時のドラえもん役で、黒柳とは親友でもある大山のぶ代。大山本人は、1999年3月4日、2004年3月5日、2005年5月24日、2006年6月2日など番組開始当時から数年に1度の割合で定期的に出演経験がある(夫である砂川啓介と夫婦で出演したこともあり、砂川も多数出演経験がある)。(→こちらも参照)
  • 2014年8月8日の放送にも、ドラえもんはCG映像で14年ぶりの出演を果たした(この日は映画『STAND BY ME ドラえもん』の宣伝の一環であり、ゲストは同映画監督の山崎貴八木竜一で、ドラえもんは後から登場した[32])。声は大山の後任の水田わさび2005年から現任)。なお、前回までの出演とはドラえもんの声優が違うものの黒柳に「お久しぶりです」と語りかけるなど、再会を喜んでいた。

正式なゲストではない例では、ハローキティケロヨンがサプライズで登場したことがある[注 29]

ゲストのユニット

正午枠の放送となった2014年以降、特別企画などの名目で、複数のゲスト(3名以上)が2日間に亘って出演する場合、黒柳の発案・命名によるゲストユニットが発生することもある。

毎年、年頭の恒例ゲストとして、松岡昌宏TOKIO)、大竹まこと梅沢富美男と、いずれも黒柳と親交のある著名人で構成された、黒柳発案によるユニット「松竹梅(しょうちくばい)」が出演している。ユニット名はメンバーそれぞれの名字の一部分を取って付けられ、それぞれ「松」(松岡)「竹」(大竹)「梅」(梅沢)といった具合で紹介される。
2015年1月5日6日に初めてトリオで出演。最初は1回限りでやめる予定だったのだが、黒柳と3人との掛け合いがあまりにも面白く、翌2016年、続けて2017年と3年連続で1月最初の放送に2日間に亘って出演している。今やタモリに代わる形で年末年始恒例の名物ゲストとなっている。
松竹梅の回では毎回、黒柳から様々なお題が記載されたカードが出され、メンバーが引いたカードに沿ってトークを展開していく。なお、このカードトークシステムは『春の最強夢トークスペシャル』(2017年4月12日)にも採り入れられた。
  • 平清森
2016年11月14日15日の放送には、「秋の特別企画 仲良し!キラキラ女子会SP」と題して、平野レミ清水ミチコ森山良子の3名が出演。14日の放送で黒柳がユニットを発案し、それぞれの名字の頭文字をとって「平清森(たいらのきよもり)」と命名された(平清盛に因む)。

逸話など

  • デーモン閣下が出演した時は、通常は静かに始まるオープニングが地獄のように演出されており(不協和音)、エンディングも同様だった。
  • 2003年2月3日放送で、ゲストの小沢昭一と共に通算13回目となるコスプレの際に、セックスシンボルとも言われていたメイ・ウエストに扮した黒柳は、ドレスの胸元をめくり右側のバストを披露した。「これは自分のだったら出せないですけども」と語るように、この時のバストは特殊メイクで作られたものである[33]。この日の放送は28年目に突入する最初の放送だった。
  • 2008年7月8日放送では忌野清志郎をゲストとして迎え、忌野の喉頭癌克服に関する話題を扱ったが、奇しくも放送日同日に行われた検査により、忌野の癌転移が発見された。また、忌野の所属事務所より、公式にこのことが発表された8月14日は、BS朝日で同回が再放送された。
  • 2016年3月21日放送ではつんく♂がゲストとして登場、咽頭癌による声帯全摘出後初めての出演でもあり、また番組史上初めてパソコンを使用した筆談による会話が行われた[34]。番組の歴史上、筆談でトークをしたのはつんく♂が最初である。
  • ゲストがそれまで公にしていなかった自身に関する重大事を告白することもある。和田アキ子は本番組で「黒柳さんだから申し上げるんですけれど」と、自身の病気が子宮癌[要曖昧さ回避]だったことを告白し、2003年には大空眞弓に罹患していることを公表している。また、2009年には赤木春恵乳癌であったことを本番組で告白したほか、大山のぶ代が脳梗塞を患っていたことを(同年4月30日の放送にて、砂川啓介と夫婦で出演した際にそのことを語った)それぞれ告白している。なお、2015年6月12日には砂川啓介が、大山の認知症に関する秘話を語ったほか、大山から黒柳に向けた録音による肉声コメントも放送された。砂川は翌2016年11月16日の出演時には、砂川自身に尿管癌が見つかり、自ら入院治療のため、大山を高齢者施設に入居させた秘話を語ったほか、施設で生活する大山の様子も紹介された[35][注 30]
    さらに、武田鉄矢が初めて鬱病体験を語ったほか、小川宏(元NHKアナウンサー、後述の『小川宏ショー』司会)が自らの自殺未遂・鬱病体験を初めて告白したのも本番組である[36]2001年には伊原剛志在日朝鮮人であること、2009年には、長門裕之が妻・南田洋子の認知症を、細川俊之脳内出血で倒れていたこと[37]をそれぞれ告白した。2014年4月14日には大橋巨泉が中咽頭癌の手術後初めて闘病生活の苦悩を語った[38]。こうした告白は、翌日以降の新聞雑誌などにニュースとして取り上げられることもある。
  • 2016年9月15日放送に細川たかし(歌手)がゲスト出演した際、細川はこの出演時も個性的な髪型からか、インターネット上で「カツラではないか」という疑惑がささやかれたことがあるが、当の細川本人はそれを否定した[39]。また同年9月26日放送に氷川きよしが出演した際も野球談議を展開したが、この回でもあまりの野球音痴ぶりにネットが騒然となった[40]。この様に、番組内でのトークがインターネット上で話題になることも少なくない。
  • 長年テレビ朝日にレギュラー番組を持つ田原総一朗は、娘の田原敦子が本番組のプロデューサーを務めていることもあり、複数回出演。夫人の田原節子の病気と死など私事にわたるエピソードを披露したり、自身の著作の紹介などをしている。
  • テレビ朝日のアナウンサーが出演したこともある。例えば、渡辺宜嗣吉澤一彦大下容子富川悠太などが出演経験がある[注 31]
  • 他局のアナウンサー経験者は当然ながら原則フリーアナウンサーになってから出演しているが、露木茂フジテレビアナウンサー時代の1976年5月5日に当時『小川宏ショー』で共演していた小川宏と共に出演したことがある(他局の現役アナウンサーが出演した唯一のケース)[注 32]。NHK出身者がゲストの時は黒柳は決まって「NHKは地方へ行かされるから嫌ですよねえ」という発言をする。『ザ・ベストテン』で司会コンビを組んだ久米宏(元TBSアナウンサー)も『ニュースステーション』キャスター時代に度々出演した。
  • 局アナ以外では、当時青森放送(RAB)の社員(ディレクター)だった伊奈かっぺいが出演したこともある。本番組は過去にテレビ朝日系列(日本テレビ系列とのクロスネット)だったRABで放送[注 33]されていたが、1991年10月以降は青森朝日放送(ABA)で放送されているものの、その後も問題なく出演している(青森放送・日本テレビは伊奈のタレントとしてのNHKおよび民放他系列への出演を容認しており、一時ホリプロにタレントとしてのマネジメントを委託していた)。
  • 番組開始日や、特別番組放送日の当日や前日に、ゲストとして登場するケースや、祝日に放送されることを配意して登場するゲストもいる。また稀にプライムタイムからゴールデンタイムに移行する番組に出演しているタレントがゲストに登場するケースもある。
  • 黒柳が司会を務めた『ザ・ベストテン』放送期間中は、よくその番組にランクインした歌手も登場していた。現在も『ベストテン』出演経験がある歌手が出演する場合は、その当時のことをトークの話題にすることがしばしばある。
  • 上述の通り、ゲストの大半は芸能人及びその家族、映画監督や脚本家・演出家などの芸能関係者・スポーツ選手・アナウンサーといった人々で占められている。また、作家や評論家・芸術家・学者などの文化人、政治家・財界人などが出演する事も少なくない。珍しいものでは皇族の寛仁親王寛仁親王妃信子高円宮憲仁親王高円宮妃久子島津貴子や、海外王族のエディンバラ公フィリップセーラ・ファーガソンらも出演している。2002年11月21日に高円宮憲仁親王が薨去したことを受け、同年12月26日には久子妃を迎えて追悼特集を放送した。
  • 黒柳は追悼特集をすることについて「直前の姿ではなく、元気いっぱいで喋ってらっしゃる姿を心に留めてほしい。それもテレビの役割です。」語っている[9]
  • 黒柳が長年ユニセフなどの慈善事業に参加していることから、一般には知られていない各種市民運動団体やボランティア団体の関係者が出演することもある。これらの出演者の場合、黒柳は冗談めいた発言をすることは少ない。
  • 田中邦衛田村正和竹野内豊俳優[注 34]小澤征爾指揮者)、オノ・ヨーコ(アーティスト)、Char(ミュージシャン)[42]弘田三枝子浜村美智子仲宗根美樹(歌手)、三輪勝恵林原めぐみ声優)、小久保裕紀野球解説者、元プロ野球選手[注 35]武豊三浦皇成福永祐一[注 36]競馬騎手)、井村雅代シンクロナイズドスイミングコーチ)、橋本大二郎国谷裕子報道キャスター)、山中伸弥医学者)などといった、トーク番組にあまり縁の無い人物も出演したことがある。
  • TBS系列『チューボーですよ!』に黒柳が出演した際、堺正章[注 37]が「『徹子の部屋』で気に入らなかったゲストとかいますか?」と尋ねたのに対し、黒柳は「気に入らないゲストはそもそも呼びません。ゲストは私が選んでます」と発言した。しかし、実際の所ゲストは基本的にスタッフが選び、黒柳が関与するのは最終段階のみだという[7]。しかし、福本清三のように本来出演予定になかったものが、黒柳の意向で出演を依頼したケースもある[43]
  • ほとんどは名前が売れている芸能人が本番組に出演しているが、裏番組や前後の番組に出演している人は出演できないほか(ただし、出演番組の起用前および降板後は可能)、現在までに一度も出演していない著名人も多数いる。未出演の著名人のうち、黒柳とも親交がある松任谷由実(シンガーソングライター)は最終回の出演を希望している[注 38]

その他

  • 2001年5月、森繁久彌がゲスト出演した回では、当時既に森繁は88歳と高齢であったためか集中して話すのも面倒な様子で、黒柳の話や質問に真面目に答えようともせず、収録を適当にやり過ごそうとする森繁に対して黒柳が一喝する一幕があった。すると森繁は姿勢を正し、萩原朔太郎の詩を暗唱してみせた。この回の放送後、番組には「感動した」との声が寄せられたという[44][注 12]
  • 当初は本番中に喫煙するゲストもよく見られた(ただし、出演初期は喫煙者だったタモリや2008年まで喫煙者だった和田アキ子のように数十組程度、愛煙家でも吸わずに出演した例もある)が、2017年現在はたばこを吸いながら出演するゲストは居ない。また、三船敏郎は本番中に生ビールを飲んでいた。

特別企画

『徹子の部屋』では、様々な特別企画が行われることもある。以下をはじめとして、複数の日程(1週間など)に亘って特別回を開催することがある(「○周年記念」など)。また最近では、週通しでテーマ別ゲストに限定した「○○ウィーク」なる特別企画を行うこともしばしばある。

The Best of 徹子の部屋(総集編)
毎年12月の年間最終2日間は『The Best of 徹子の部屋』と題した総集編スペシャルを放送する。なお、このタイトルがつくようになったのは正午枠移動後の2014年からである。
2013年までは毎年、最終放送日の前日までに放送されていた(前述のように、1978年から2013年までは年内最後の放送日のゲストにはタモリを招いていた)。また、かつては年2回(7月と12月)総集編を放送する年もあった。
終戦特集
毎年8月中旬には『終戦特集』として太平洋戦争第二次世界大戦)にまつわるトークを行う。これは終戦記念日8月15日)及び、同日の前後数日間に編成される。
追悼特集
毎年7月と12月にはその半期に訃報があった過去の出演者を2〜3日間の総集編で送る追悼特集がある[注 39]。黒柳と親しく、番組へも複数回出演している著名人の場合、その人のみの追悼編として放送されることもある。当初の放送予定を変更して訃報から数日以内に放送されることもあり[注 40]、その場合は黒柳の単独進行、あるいは黒柳の出演も無く過去の出演回を編集した総集編や再放送で番組が進められる。また、訃報から間がある場合は故人に縁の深い人がゲストで出演し思い出話を語ることもある。
また、テレビ朝日のニュースや情報番組で有名人の訃報が伝えられる際には故人が当番組に出演した際の映像が使用されることが多い。
ユニセフ特集
黒柳がユニセフ親善大使に就任した1984年度から、正午枠移動の前年となる2013年度までは、不定期で黒柳のユニセフ親善大使としての活動の様子を特集して放送する回があった。なお、枠移動後の2014年度以降は「ユニセフ特集」の回は放送されていないが、ゲストが出演する通常の放送回で紹介することがある[注 41]
秘蔵ライブラリー
放送35年目を迎える2010年から過去に放送された著名人とのトークの映像をVTRにまとめて特別企画として放送(名前の五十音順で構成)。スタジオゲストは大竹まこと
徹子の部屋コンサート・クラシックコンサート
夏休みスペシャル
2014年と2015年、8月の上旬および中旬に「夏休みスペシャル」として放送。この期間中は放送時間を拡大(2014年は12:44、2015年は13:00まで)して放送していた。この場合『ワイド!スクランブル・第2部』については、2014年は12:44 - 13:45の拡大版(『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』については13:45 - 14:00に臨時枠移動・拡大、『東京サイト』については変更なし)で、2015年は13:00 - 13:45の短縮版でそれぞれ放送された。
昭和の大スター名場面スペシャル
テーマを「昭和の大スター」に絞り、過去に放送された著名人とのトークの映像をVTRにまとめて、2日間にわたり特別企画として放送(いろは順で構成)。第1・2回は放送40周年を記念して2016年の11月、第3・4回は42年目突入の2017年2月、第5・6回は2017年5月にそれぞれ放送。スタジオゲストは中村メイコ
○○ウィーク
週通しでテーマを絞り、そのテーマに合ったゲストを連日迎えてトークを行う。ここで挙げる一例の他にも、これまでに様々なテーマの週が行われている。
その他
  • 黒柳がゲストになった回
    普段は司会としてゲストを持成す側の黒柳だが、黒柳がゲストとなった回も存在する。以下はその例。
    • 1981年4月1日2日の放送では、番組初の試みとなる特別企画として、一般視聴者が司会として特別参加し、黒柳が視聴者からの質問に答える企画が行われた。なお当時1500通もの応募があったという[48]
    • さだまさしが出演した回で、さだが黒柳の席に座り、黒柳をゲスト役にして黒柳の素顔を暴露する『まさしの部屋』が数回行われている[49]。同様に2007年2月1日清水ミチコの回でも『ミチコの部屋』が行われた。さらに、マツコ・デラックスの回でも『マツコの部屋[注 45]が行われたことがある[50]

徹子の部屋コンサート

徹子の部屋コンサート
イベントの種類 音楽系イベント
正式名称 第○回 徹子の部屋コンサート
開催時期 毎年11月下旬、12月上旬
初回開催 2006年12月8日
会場 こちらを参照
主催 テレビ朝日
東京国際フォーラムへの交通アクセス
最寄駅 JR有楽町駅下車
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徹子の部屋コンサート』(てつこのへやコンサート)は、番組主催によるコンサートで、番組にゆかりのある歌手アーティストらが一堂に会して行われる。2006年から開始、2015年現在10回を数える。開催時期は12月上旬(年度によっては11月下旬)で、東京大阪の2会場で行われる。なお、タイトルの頭には『第○回』がつく。

司会はもちろん黒柳が務め、進行役はテレビ朝日アナウンサーが担当する(これまでには渡辺宜嗣寺崎貴司などが担当。近年は坪井直樹が担当している)。コンサートの目標は「終電までに終わる」とのことである。

東京・大阪ともに、一部、出演者が異なる場合がある。全出演者中、第1回から現在まで毎年出演しているのは南こうせつのみである。

開催の翌年の2月(年度によっては1月)に放送される。また、特別番組としてコンサートを全編放送する場合もある(BS朝日及びテレ朝チャンネル2では完全版で放送される)。

『徹子の部屋コンサート』開催実績
回(年度) 東京会場 大阪会場 出演者 備考
第1回
(2006年度)
Bunkamura
オーチャードホール
加山雄三さだまさし中尾ミエ中村紘子南こうせつ、ほか
第2回
(2007年度)
加山雄三、南こうせつ、ほか
第3回
(2008年度)
東京国際フォーラム 河村隆一加藤登紀子加山雄三堺正章、三人娘(伊東ゆかり、中尾ミエ、園まり)、南こうせつ
第4回
(2009年度)
加山雄三、清水ミチコスター混声合唱団山田邦子林家たい平コシノジュンコほか多数)、葉加瀬太郎水谷豊、南こうせつ
第5回
(2010年度)
井上順、加山雄三、近藤真彦、堺正章、三人娘(伊東ゆかり、中尾ミエ、園まり)、高嶋ちさ子と12人のヴァイオリニスト、南こうせつ
第6回
(2011年度)
ワールド記念ホール
兵庫県神戸市
東京:綾戸智恵、加山雄三、三人娘(伊東ゆかり、中尾ミエ、園まり)、仲代達矢仲代圭吾行代美都、南こうせつ、森山良子
神戸:加山雄三、クミコ天童よしみ、仲代達矢、仲代圭吾、行代美都、南こうせつ
放送35周年を記念して、初めて東京と関西(この年は神戸市)で2回開催された(放送は東京公演のみ)[注 46]
第7回
(2012年度)
フェスティバルホール イルカ欧陽菲菲、加山雄三、THE VIOLIN BROTHERS(葉加瀬太郎古澤巌)※、南こうせつ、美川憲一※(※THE VIOLIN BROTHERS、美川は東京のみ出演) この年から大阪公演を開始。
第8回
(2013年度)
加藤登紀子、加山雄三、坂本冬美チェリッシュ松坂慶子、南こうせつ [51]
第9回
(2014年度)
加山雄三、ジュディ・オング、南こうせつ、由紀さおり、都はるみ、渡辺徹 [52]
第10回
(2015年度)
日本武道館 近藤真彦、THE King ALL STARS[注 47]、さだまさし、南こうせつ、森山良子、和田アキ子 10回を記念して、日本武道館で開催された。[53]
第11回
(2016年度)
東京国際フォーラム グランキューブ大阪 東京:海援隊武田鉄矢)、坂本冬美、フジコ・ヘミングペギー葉山前川清、南こうせつ
大阪:加藤登紀子、武田鉄矢、ペギー葉山、細川たかし、南こうせつ、宮田大
東京・大阪の共通出演者は3組(海援隊は大阪は武田のみ)。
また、第1回からの常連だった加山雄三が降板。
第12回
(2017年度)
フェスティバルホール 宇崎竜童阿木燿子、三人娘(伊東ゆかり、中尾ミエ、園まり)、、ジャッキー吉川とブルーコメッツビリー・バンバン、南こうせつ、八代亜紀 東京は11月30日、大阪は12月3日開催予定
徹子の部屋クラシックコンサート

『徹子の部屋コンサート』とは別に、2013年より、番組主催のクラシックコンサートとして『徹子の部屋クラシックコンサート』が年1回行われている。

各種データ

最多出演ゲスト
最年長出演ゲスト
最年少出演ゲスト
最多人数ゲスト
歴代高視聴率ゲスト

視聴率(%)はビデオリサーチ調べ(関東地区・世帯・リアルタイム)。いずれも放送時間は13:15 - 13:55[19][57]

# 放送日 視聴率 ゲスト
1. 1981年4月10日(金) 14.5% 三浦友和
2. 1984年1月5日(木) 13.5% 武田鉄矢
3. 1981年11月3日(火・祝) 13.4% マッハ文朱
4. 1983年4月1日(金) 13.0% わらべ
5. 1982年9月15日(水・祝) 12.7% 江本孟紀
1985年5月6日(月・振休) 松田聖子
7. 1982年4月29日(木・祝) 12.6% ツービート
8. 1983年4月29日(金・祝) 12.3% 野々村真
9. 1983年9月16日(金) 12.2% あき竹城
10. 1979年8月23日(木) 11.9% 松方弘樹
1985年8月29日(木) ジェリー藤尾坂本九追悼)

なお、特番では、2016年2月11日放送の『徹子の部屋 祝40周年 最強夢トークスペシャル』(19:00 - 20:54)が16.1%を記録している。

年間最終および初回ゲスト

番組の歴史

13時台時代(1976年2月-1996年3月)

1976年2月、前週までの『13時ショー』を引き継ぐ形として放送開始。

番組開始当初は、黒柳とラビット関根(現:関根勤)が進行する「フラッシュクイズ」という視聴者参加の短いクイズコーナーがあった。「フラッシュクイズ」は、本編トークと同じスタジオで収録されていた。コーナー冒頭には関根がトークゲストのモノマネを披露し、その感想を聞くこともあった[注 56]。その後、このクイズコーナーは独立して一つの番組として放送されていた時期がある[注 57]。このコーナーを設けていた理由としては、地味なトークだけでは視聴率が取れないと懸念されたためだが、番組本編とのテンションの乖離が激しく、わずか1年後の1977年3月に終了。以後は番組全編をトークのみで進行している。


14時台時代(1996年4月-1997年9月)

放送20周年を迎えた1996年、19年ぶりにセットを変更、また初めて放送時間を変更・拡大するなど、番組の歴史で初めての大幅なリニューアルとなった。

この枠で放送していた1997年初頭には、放送時間が移動したためか視聴率が3%前後にまで低迷し(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)、打ち切りが検討されていた(この時期は普段、バラエティ番組・情報番組に出演しないような硬派のゲスト[注 62]が中心を占めており、特にお笑い系ゲストはタモリ程度という時代だった)[注 63]。しかし、黒柳の「自分の力が続くまではこの番組を続ける」の決意通り、番組打ち切りは回避されて、後に視聴率も安定に戻った[注 64]


13時台時代(1997年10月-2014年3月)

前回のリニューアルからわずか1年半で、13時台に復帰。この頃から、様々なマイナーチェンジが行われているほか、巡回展「徹子の部屋展」や毎年恒例となる「徹子の部屋コンサート」の開催、ゴールデンタイム特番『出張!徹子の部屋』の放送など、新たな試みも行われるようになる。

しかしながら、一方で、第1回放送のゲストだった森繁久彌を筆頭に、丹波哲郎[64]南田洋子池内淳子山田五十鈴森光子淡島千景小沢昭一馬渕晴子高橋昌也などといった、生前黒柳と親交のあった著名人が相次いで他界し、番組内で追悼特集が多く編成された時代でもあった[注 65]

また、番組が初めてギネス世界記録に認定されたのもこの頃である。

  • 1997年10月の改編で、放送時間がほぼ元に戻った(正確には5分短い35分間)。
  • 1998年
  • 1999年2月26日1月31日に逝去したジャイアント馬場の妻馬場元子を迎え馬場の追悼特集を放送した。
  • 2000年
    • 2月2日は番組開始25年目突入記念として、森光子がゲストとして登場。
    • 4月4日上岡龍太郎がゲストとして登場、同年4月に引退した上岡最後の出演となった。
    • 4月21日ウィーン少年合唱団がゲストとして登場。少年団員・先生・通訳含め総勢20名からなる、あまりの大人数のためか、体育座りをする団員もいたという[48]
    • 10月12日ミヤコ蝶々が逝去した際には、11月21日に蝶々の追悼特集として出演回すべての一部が放送された。
    • 12月1日よりハイビジョン制作(それ以前にもBSアナログハイビジョン実用化試験放送でも不定期で何度か放送されたことがある)となり、地上波のみ字幕放送。ハイビジョン化に伴い、いくつか変更が行われ、BS朝日開局に伴いBS時差放送を開始、音声のモノラルからステレオ音源への変更に伴い「徹子の部屋のテーマ」をステレオ音源用に再録したものへ変更、話す話題についての内容とゲスト名の固定テロップ(固定スーパー)が右下に常に表示されるようになり、同時に開始1回目放送より必ず行われていた黒柳によるゲスト紹介の前「みなさまこんにちは、徹子の部屋でございます」の挨拶を廃止、以後本編冒頭は挨拶を廃止、ゲスト紹介のみになった(特番では現在も継続)。
  • 2001年
  • 2002年4月1日字幕放送を開始(この日のゲストは池田香代子)。
  • 2003年3月28日放送回数7000回を達成(この日のゲストは竹下景子)。
  • 2005年
    • 5月23日、番組開始30周年を記念し、9年1カ月ぶりにセットを変更しフルモデルチェンジした(この日のゲストは徳光和夫)。
    • 8月29日から9月4日までの1週間、『ワイド!スクランブル』が13:55まで拡大のため『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』(朝日放送制作)と共に番組が休止となった。年末年始や高校野球を除いて番組が1週間休止になるのは、番組スタート以来初めてのことである。
  • 2006年
  • 2007年
    • 2月1日2月2日は、放送32周年突入記念として、いつもの黒柳の席に清水ミチコ(1日)、さだまさし(2日)が座って黒柳本人がゲストという形を取り、黒柳の幼い頃からの足跡をたどる特別企画を放送した(タイトルも『ミチコの部屋』『まさしの部屋』になり、『まさしの部屋』ではテーマ曲もさだが歌ったものになっていた)。
    • 2月19日2月20日の2日にわたり「第1回徹子の部屋コンサート」の模様を放送。以後、毎年の恒例となる。
    • 3月2日放送回数8000回を達成(この日のゲストは永六輔)。
    • 3月28日は春休み特別企画として「ディズニーライブ! ミッキーのマジック★ワールド」のキャストが登場、華やかなステージを披露した。
    • 7月16日新潟県中越沖地震関連のANN報道特別番組のため休止となった。
  • 2008年
    • 7月7日(ゲスト:加山雄三)から音声多重放送を利用した解説放送を開始(月2回程度、不定期に実施)。時差ネット局のBS朝日では初の解説放送となる。ただし、北海道テレビ放送の道央圏以外のアナログ放送エリア(当該エリアでも地上デジタル放送では受信可能)、朝日ニュースターでは行われなかった。
    • 10月5日緒形拳が逝去した際には、10月8日に「追悼 緒形拳」と題した特集を組み、出演6回分のうち3回分を放送した[65]
    • 12月23日(ゲスト:イル・ディーヴォ)は音声多重放送を利用した2か国語放送を実施。ただし、北海道テレビ放送の道央圏以外のアナログ放送エリア(当該エリアでも地上デジタル放送では受信可能)、BS朝日、朝日ニュースターでは行われなかった。
  • 2009年
    2日は本番組がちょうど34年目に突入したため優香が黒柳に花束を渡し、お祝いにさまぁ〜ず・大竹一樹が特技のバイオリンで当番組のテーマ曲を披露した。
    3日は『ロンハー』と当番組のコラボレーションを展開し、『ロンハー』では狩野英孝が番組で使われているソファに座り、右側に黒柳を写すポスターを制作。これは淳の指示で、黒柳の撮影をした。
    4日は爆笑問題が出演した『GAHAHAキング爆笑王決定戦』の映像と黒柳が出演したドラマの映像を放送した。
    5日は深夜時代の「ココリコ黄金伝説」で放送された名伝説を紹介した。
    • 10月21日に南田洋子が逝去した際には、10月23日に南田の追悼特集として出演回すべての一部が放送された[66]
    • 11月11日に森繁久彌が逝去した際には、翌日に森繁の追悼特集として出演回すべての一部が放送された。
  • 2010年
    • 2月2日は番組開始から35年目を記念してゲストにお笑いコンビ・次長課長を迎えた[注 66]。」黒柳がゲスト側に回り、次長課長の河本準一が司会を務めた。
    • 2月17日藤田まことが逝去した際には、2月19日に藤田の追悼特集として2009年6月26日放送分が再放送された[67]
    • 5月1日に、夜7時から2時間のゴールデン特番『祝35年目突入記念 出張!徹子の部屋 お宝映像も大放出スペシャル』を放送。ここから『出張!徹子の部屋』を年1〜2回ペースで放送する。
    • 9月26日に池内淳子が逝去した際には、10月5日に池内の追悼特集として『追悼 池内淳子さん』が放送された。
    • 12月6日(ゲスト:藤本美貴)には番組中にサプライズとして、ハローキティとデザイナーの山口裕子が登場。黒柳のたまねぎ頭を再現した徹子キティの人形がお披露目された。
  • 2011年
    • 3月14日3月15日東日本大震災関連のANN報道特別番組のため休止。3月16日以降しばらくは予定の内容を変更して放送した。また4月29日も震災特番『つながろう!ニッポン』(13:20 - 17:54)のため休止。
    • 4月27日に、夜7時から2時間のゴールデン特番『出張!徹子の部屋 お宝映像も大放出パート2』が放送された。この放送分で8,961回を数え、同一司会者による番組の最多放送回数記録としてギネス世界記録に認定され、2時間特番内で黒柳の表彰式が執り行われた。
    • 6月22日で、史上最多放送回数記録となる通算9000回に到達(この日は織田裕二がゲストに登場し、9000回にちなんだ「9」にまつわるエピソードも披露された)。
    • 10月2日に、夜6時56分から2時間のゴールデン特番『祝35周年 出張!徹子の部屋〜トットちゃん初体験SP!〜』が放送された。
    • 11月28日は、9月21日に逝去した杉浦直樹の追悼特集を放送(ゲスト:山田太一)。
    • 12月19日は、北朝鮮金正日総書記死去関連のANN報道特別番組のため休止となった。
  • 2012年
    • 1月8日サンデープレゼント枠にて35周年記念特番『祝35周年!徹子の部屋コンサート 豪華スター夢の競演SP』を放送。
    • 1月31日月丘夢路が90歳を記念して32年ぶりに出演し[68]、2017年5月3日に逝去した月丘最後のテレビ出演になった[69]
    • 2月7日2月8日の2日間にわたり、2011年末から2012年年明けにかけて逝去した著名人の追悼特集(二谷英明市川森一ほか)を放送。この年は、例年7月と12月に放送される追悼特集に加えこの時期に放送されたほか、番組にゆかりのある著名人が多数他界し、追悼特集が多数組まれた年でもあった(7月4日:地井武男、8月9日:山田五十鈴、11月15日:森光子[注 67]、11月23日:大滝秀治(ゲスト:奈良岡朋子)、11月30日:桑名正博(ゲスト:美勇士)、12月17日:小沢昭一)。
    • 3月30日をもってBS朝日CS放送朝日ニュースターでの時差放送を打ち切り。なお、朝日ニュースターは同年4月1日からテレ朝チャンネルと同様、番組開始からこれまで放送された中から選りすぐりの内容を放送する『徹子の部屋〜Classics〜』として同チャンネルでの放送を継続。
    • 7月以降、朝日ニュースター、テレ朝チャンネルともに再放送が同年4月以降の内容が中心となった。朝日ニュースターでは地上波放送から1週遅れの内容も放送されるため、実質的に時差放送を再開。両チャンネルとも字幕放送・解説放送(当該回のみ。ただしモノラル二重音声)を開始。
    • 9月19日には、夜7時から3時間のゴールデン特番『出張!徹子の部屋パート4 昭和VS平成スターお宝名鑑3時間スペシャル』が放送された。
    • 9月26日自民党総裁選挙関連のANN報道特番のため休止[注 68]
    • 12月31日放送の『お願い!ランキング』年またぎスペシャル(21:00 - 2013年1月1日1:30)では、黒柳がCGアニメキャラで登場し(声も黒柳が担当)、この年放送された当番組の名場面を振り返った。そして番組最後は、黒柳が2013年1月1日の朝に放送される特番『新春 徹子の部屋』の宣伝をした[注 69]
  • 2013年
    • 1月1日朝には特別番組『新春!徹子の部屋スペシャル いま甦る昭和の名場面』が放送された。
    • 7月4日に『出張!徹子の部屋パート5 夢トーク豪華3本勝負 お宝映像も大放出スペシャル』、9月25日には『〜パート6 夢トーク豪華4本勝負 お宝映像も大放出スペシャル』と、それぞれゴールデン3時間特番が放送された。
    • 11月16日より11月22日までスマートフォン版「Ameba」の農園ゲーム『ファーミー』でコラボレーションが行われた[73]
    • 12月27日は年末恒例のタモリが出演、この回では例年と同じ密室芸ではなくタモリに纏わる都市伝説についてトークした[74]。なお、この回でタモリは(現時点における)最終出演となり、年末恒例ゲスト36年(1977年8月11日の初出演から換算して37年)の歴史に幕。
  • 2014年

正午枠(2014年4月-現在)

2014年4月、放送39年目を迎え、『ワイスク』を一時中断番組に移行の上、放送時間を正午枠に移動[75][76][77]、タイトルロゴも一新するなど、大幅なリニューアルとなった[注 71]。同時に、直後の番組(『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』<-2014年9月>→『ワイスク・第2部』<2014年10月-2017年3月、[注 72]>→『帯ドラマ劇場』<2017年4月-、[注 73]>)へはステブレレス(CMなしの直接続)となった。

また、ゼネラルプロデューサーが藤井智久から寺田伸也に交代。12月の2日間最終放送は決まって「The Best of 徹子の部屋」(総集編)が放送されるようになり、また最近ではテーマ別のゲストのみの通し企画週も頻繁に行われている(2017年現在は特にこの形が多くなっている)。

上述の通り、枠移動前まで年末に出演していたタモリの出演は終了し、また永六輔や野際陽子らの他界などもあり、常連ゲストの出演は減少傾向にある。また枠移動を機に、過去の出演後に長らく出演していなかったゲストの復活出演が増加し[注 74]、一方で、番組初登場となるゲストもさらに増加している(枠移動前から活躍しているにも拘らずこれまで出演経験がなかった著名人では、篠原涼子[注 75]テツandトモ[81]冠二郎小泉今日子小堺一機[注 76]福山雅治[注 77]倖田來未[注 78]などが、この枠になってから初めてゲスト出演した)。

  • 2014年
    • 4月1日より、放送時間を12:00 - 12:30に変更[75][76][77](旧枠より5分短縮。『ワイスク』の第1部と第2部の幕間に放送されるため、編成上は左記番組の中断扱いであるが、実質上はフロート番組コンプレックス)化)。これに伴いタイトルロゴが一新され、また30秒の前CMを廃止して12:00ちょうどに開始(クロスプログラムは廃止されステブレレス接続に)、そして番組冒頭では「ポーン」という時報音と共に、「12:00」を指したセット内の時計を映してから始まる形式に変更された。移動前まではゲストを黒柳が紹介した後一度CMを挟んでからトークが始まっていたが、正午枠移動後から、ゲスト紹介後もそのままトークを続行し、一定の時間後CMに移る編成となっている。そして直後の『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』への接続は、番組が終了して直ぐに黒柳が告知してから、ステブレレスで始まる様になった。そしてこの日より、本番組と『上沼〜』の枠移動に伴い、テレビ朝日系列の13:05 - 13:55枠はローカルセールス枠に転換された。なお同年9月29日より『ワイスク』第2部の枠が12:30 - 13:45に拡大し、『上沼〜』は13:45 - 14:00に繰り下がったが、本番組の変更はなかった。
    • 4月3日は、ゲストにマツコ・デラックス(『出張!徹子の部屋』で共演)が登場、マツコが司会役を務め、黒柳をゲスト役に迎えての『マツコの部屋』が行われた[50]
    • 6月26日には、19時から3時間のゴールデン特番『出張!徹子の部屋パート7 夢トーク秘蔵映像スペシャル』が放送された。
    • 8月11日15日の1週間、12:44まで時間を拡大して放送[86](付随して、本番組の後続だった『上沼〜』は13:45-14:00に臨時枠移動・拡大し、『ワイスク(第2部)』も13:45まで延長放送)された。
    • 10月6日、『ワイスク(第2部・拡大SP)[注 79]』(台風18号関連報道)放送のため、急遽休止[注 80]
    • 10月28日は、ゲストに歌舞伎役者の尾上松也が初出演[87]。この回以後も年1回ペースで出演しており、2016年7月25日には女優の春本由香と兄妹で出演した[88]ほか、翌2017年1月9日には後輩である坂東巳之助中村壱太郎中村隼人と4人で出演した。
    • 11月19日、11月10日に83歳で逝去した高倉健を偲び「追悼・高倉健さん」と題して過去2回(1980年1988年放送分)のトークを放送[注 81]
    • 12月2日、11月28日に81歳で逝去した菅原文太を偲び、菅原が出演した81年、85年の放送分をまとめて放送[89][注 82]

歴代の部屋(セット)

黒柳とゲストの間に置かれている生け花は、毎回取り替えられており、フラワーコーディネーターが、ゲストのキャラクターや、衣装との見栄えの相性を勘案しながら生けている。黒柳とゲストが座る椅子は基本的にはソファだが、出演者の数や季節に応じてなどで全く異なる椅子に変更される時が不定期にある。

  • 初代 1976.02.02 - 1977.03.31
    • この初代では約1年ほどしか使用されなかったが、番組の開始からしばらくした後に黒柳とゲストが座るソファが取り替えられて以降、頻繁にマイナーチェンジが行われている。
  • 2代目 1977.04.01 - 1996.03.29
    • 20年近く使用したが、何度かマイナーチェンジをしており、黒柳の背景の戸棚の色が色→黄緑色→色と2回、塗りなおされている。
    • また、黒柳の背景の戸棚と戸棚の間に取り付けてある絵画が何度も取り替えられている。
    • ちなみに理由は不明だが、絵画のうち、1990年頃まで15年近く取り付けてあったマリー・ローランサンの絵画は肖像権の関係か再放送(地上波・テレ朝チャンネル・BS朝日全て)や総集編の際には必ずモザイク処理がかけられている。
    • この時期に未だデビュー前であった俳優・津田寛治がアルバイトで大道具の一員として当番組のセットの組立てや解体をしていた[注 107]
  • 3代目 1996.04.01 - 2005.05.20
    • 番組スタートから20周年を記念し、セット変更を実施(模様替え)。
    • ちなみに、窓の外にある紺色の建物は、1996年のこのセット1年目に作られたが、1998年に解体。以後、窓の外は花広場のようになった。
    • 1997年9月までは、黒柳とゲストの座るソファのクッションを先代である2代目のものを流用して使用していた。
  • 4代目 2005.05.23 -
    • 番組スタートから30年目突入を記念し、セット変更を実施(模様替え)。
    • 階段があり、これまでのセットと比べると高さを感じる作りになっている。
    • 黒柳と親交のある五月みどりが製作したパンダが付いたティッシュケースが置いてある。このケースにカトリーヌ・ドヌーヴ羽鳥慎一椿鬼奴が興味を示した。

スタッフ

現在
  • 構成:野村正浩谷口秀一
  • SW:横関正人
  • SW/カメラ:田中雅積
  • カメラ:石井豪
  • VE:木村朋宏
  • 音声:高橋秀行、高橋英史
  • 照明:阿部誠・菅原祐(共に共立ライティング
  • 美術:吉村純子
  • デザイン:杉崎明日香
  • 美術進行:浅田幸栄
  • 大道具:北詰真士
  • 小道具:鈴木麻美子
  • 生花:石橋恵三子
  • メイク:川口カツラ店
  • 音効:藤井祥史(音響企画)
  • TK:清水雅子
  • デスク:伴倫子(テレビ朝日)、高畑裕子(vivia)
  • アシスタントプロデューサー:二亦博(vivia)
  • 制作進行:原恵美子(vivia)
  • AD:岸本泰宏、石澤元希
  • ディレクター:植松一裕・金子克彦・井上哲・光瀬史郎・梅崎早苗・江部木和美・望月美恵・池田由紀・田村真紀子・藤野広子(共にvivia)
  • プロデューサー:田原敦子(11代目、2003年 - [94]、テレビ朝日)、栗井誠司・三ツ木仁美(vivia)
  • ゼネラルプロデューサー:寺田伸也(2014年8月 - 、テレビ朝日)
  • 絵画協力:ナカジマアート
  • 技術協力:テイクシステムズ
  • 美術協力:テレビ朝日クリエイト
  • 制作:テレビ朝日vivia
過去
  • ゼネラルプロデューサー:藤井智久(2000年12月 - 2014年7月、テレビ朝日)
  • チーフプロデューサー・管轄:蓮実一隆(当時・テレビ朝日)
  • プロデューサー(以下、P):
    • 中島力(初代・13時ショーのPおよび立ち上げ時のスタッフ、1976年2月 - 1986年頃、当時・NET→テレビ朝日)
    • 竹下克介(2代目、1986年頃 - 1993年頃、当時・テレビ朝日)
    • 市川幸介(時期不明、テレビ朝日)
    • 坂本美恵子(vivia)
  • 美術:野口敏嗣
  • デザイン:小川由紀夫

ネット局と放送時間

現在のネット局

放送対象地域 放送局 系列 放送日時 放送日の遅れ
関東広域圏 テレビ朝日(EX) テレビ朝日系列 月 - 金曜 12:00 - 12:30 制作局
北海道 北海道テレビ(HTB) 同時ネット
青森県 青森朝日放送(ABA)
岩手県 岩手朝日テレビ(IAT)
宮城県 東日本放送(KHB)
秋田県 秋田朝日放送(AAB)
山形県 山形テレビ(YTS)[注 108]
福島県 福島放送(KFB)
新潟県 新潟テレビ21(UX)
長野県 長野朝日放送(abn)
静岡県 静岡朝日テレビ(SATV)
石川県 北陸朝日放送(HAB)
中京広域圏 名古屋テレビ (NBN)
近畿広域圏 朝日放送(ABC)
広島県 広島ホームテレビ(HOME)
山口県 山口朝日放送(yab)
香川県・岡山県 瀬戸内海放送(KSB)
愛媛県 愛媛朝日テレビ(eat)
福岡県 九州朝日放送(KBC)
長崎県 長崎文化放送(NCC)
熊本県 熊本朝日放送(KAB)
大分県 大分朝日放送(OAB)
鹿児島県 鹿児島放送(KKB)
沖縄県 琉球朝日放送(QAB)
全国 BS朝日 BSデジタル放送 土曜 12:00 - 12:30 (一週のうち1回分を放送)

徹子の部屋〜Classics〜

  • テレ朝チャンネル1 ドラマ・バラエティ・アニメ - 日曜 6:50 - 7:20(セレクション放送)。その他土曜、月曜も午前・夜間・深夜時間帯のいずれかに編成されるが、放送時間帯は不定のため同チャンネルのホームページにある番組表を参照。
  • テレ朝チャンネル2 ニュース・情報・スポーツ - 月 - 金曜 5:15 - 5:55、6:55 - 7:30(前者はセレクション放送。後者は地上波放送日から1週遅れの時差放送)
    • 1976年の開始から現在に至るまで過去に放送された回から選りすぐりの内容を放送している(ノンスポンサー。途中のCMも完全にカットされ、5秒間のステーションIDが挿入されるのみ)。テレ朝チャンネル1・2とも基本的には放送素材に提供表示は一切入っていない(送出マスターから出していたため)が、当時の提供表示(その際、「当時の提供画面を割愛しています」という断りテロップを再編集時に表示)や前述の通り、セットの絵画にボカシがかけられている(主に放送日が相当古い回で、1976年開始当初 - 1990年頃までの放送が相当)。2012年7月からは同年4月以降に放送された回を中心にセレクション放送を行う(CS放送における本編の放送時間はいずれも26分間)。なお、テレ朝チャンネル1・2とも2012年7月から地上波でも行なっている字幕放送を実施。また、副音声解説放送の回では地上デジタル放送と異なり、モノラル二重音声での放送となる。

過去のネット局

  • 系列については現在のもの。○は放送当時テレビ朝日系とのクロスネットだった局。
放送対象地域 放送局 系列 ネット形態 備考
青森県 青森放送(RAB) 日本テレビ系列 遅れネット ○1978年4月3日ネット開始、1987年3月31日打ち切り。
青森朝日放送開局までの4年半、青森県では未ネット。
1979年3月までは夕方の放送
岩手県 IBC岩手放送(IBC) TBS系列 1990年代中頃に打ち切り(1994年4月時点でのネットされているのは東奥日報テレビ欄から確認)
岩手朝日テレビ開局でネット再開
秋田県 秋田放送(ABS) 日本テレビ系列 1990年9月打ち切り
秋田朝日放送開局までの2年間
[要出典]は未放送
福島県 福島中央テレビ(FCT) ○1979年4月2日 - 1981年7月2日
但し、金曜日分は自主制作番組(おはよう金曜日)のため放送せず。
福島放送開局に伴うネット番組整理のため終了
山梨県 テレビ山梨(UTY) TBS系列 時期不明
長野県 長野放送(NBS) フジテレビ系列 1980年4月1日から8月8日まで、9:55 - 10:35に遅れネットにて放送されていた。[118]
テレビ信州(TSB) 日本テレビ系列 同時ネット ○1980年10月1日開局 - 1991年3月29日
長野朝日放送開局により終了
富山県 北日本放送(KNB) 遅れネット 1982年4月2日に打ち切り
月 - 金曜10:30 - 11:10に遅れネットで放送されていた[119]
石川県 北陸放送(MRO) TBS系列 不明 - 1990年3月
月曜 - 金曜9:30 - 10:10[120]→ 14:15 - 14:55にて遅れネット
石川県では北陸朝日放送開局までの1年半の間は未放送
福井県 福井テレビ(FTB) フジテレビ系列 1980年代頃放送
鳥取県・島根県 山陰放送(BSS) TBS系列 時期不明
岡山県 岡山放送(OHK) フジテレビ系列 同時ネット ○放送当時の愛称・テレビ岡山、当時の放送エリアは岡山県のみ
番組開始 - 1979年2月23日
瀬戸内海放送の岡山県へのエリア拡大によるネット番組整理のため終了
徳島県 四国放送(JRT) 日本テレビ系列 遅れネット 1996年頃は平日10:00 - 10:45に放送
開始・終了時期は不明
長崎県 長崎放送(NBC) TBS系列 開始時期不明 - 1990年3月

長崎文化放送開局により終了

大分県 テレビ大分(TOS) 日本テレビ系列
フジテレビ系列
○開始時期不明 - 1993年3月
大分朝日放送開局内定に伴うネット番組整理のため終了
宮崎県 テレビ宮崎(UMK) フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
時期不明
鹿児島県 鹿児島テレビ(KTS) フジテレビ系列 同時ネット ○番組開始から1982年9月30日まで
鹿児島放送開局により終了。
沖縄県 琉球放送(RBC) TBS系列 遅れネット 1994年4月から1995年9月まで
琉球朝日放送開局により終了
単発放送
  • 福井放送(FBC、福井県、日本テレビ系列・テレビ朝日系列〈クロスネット〉) - 2012年11月2日(金曜)16:25 - 17:00に単発で放送した(ゲスト・前川清)。これは福井県が舞台の映画『旅の贈りもの 明日へ』(前川が主演)の宣伝のため。この日の福井県での放送は過去の定期ネット局の福井テレビではなく、福井放送で単発放送となった。
  • チューリップテレビ(TUT、富山県、TBS系列) - 2016年5月28日(土曜)13:00 - 15:00に『徹子の部屋 祝40周年 最強夢トークスペシャル』を放送[121]。この日の富山県での放送は過去の定期ネット局の北日本放送ではなく、チューリップテレビで単発放送となった。

ネット局に関する備考

地上波
  • テレビ朝日では、朝に再放送を行っていた時期があった(先述)。
  • 枠移動後の緊急時には本番組を休止し、『ワイド!スクランブル・第2部・拡大SP[注 109]』あるいは『ANN報道特別番組 ワイド!スクランブル』等を放送することがある[注 110]
  • 年末年始特別編成における休止
    • 年末の場合:12月29日以降は通常編成時の本番組後続の『ワイド!スクランブル・第2部』の開始時刻を12時に繰り上げての拡大放送[注 111]、もしくはローカルセールス枠の年末特番のため休止となる。
    • 年始の場合:1月1日は恒例の正月特番『志村&所の戦うお正月』(ABCと共同制作)[注 112]のため休止。2日および3日もローカルセールス枠の新春特番のため休止となる。
  • プロ野球日本シリーズによる休止
    • 1993年まで日本シリーズはデーゲームで行われていた為、テレビ朝日系列が放送権を獲得した場合番組が休止になることがあった。1980年・1991年・1992年は3試合、1985年・1993年は2試合、1988年・1990年は1試合放送され放送当日は休止になった。1980年以外は西武ライオンズが出場した日本シリーズだった。1981年、1982年はパ・リーグプレーオフ放送の為2年連続で2日間休止となった。
  • 大型特別番組による休止
  • 朝日放送は「全国高校野球選手権大会中継」の大阪大会の決勝戦(※以前は準決勝戦も放送していたが、現在は決勝戦のみ中継。)、全国大会の準々決勝、準決勝の試合が行われる日は放送休止となり別の日に代替放送されることがある(全国大会の決勝戦については全国放送のため、2013年までは番組そのものが休止)。また、1996年度・1997年度は14時台での放送となった関係から、高校野球全国大会の間は高校野球を優先する編成上ネット返止としたことがある。また、系列局の中には全国高校野球選手権大会地区予選を放送する関係で時差放送とする局がある。2013年度までは朝日放送制作番組『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』と2番組1セットで時差放送を行う局がほとんどであったが、2014年度からは12時台前半での放送のため、通常通り放送する局がほとんどである。なお、2017年度には『帯ドラマ劇場』・朝日放送制作番組『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』と3番組1セット扱いで時差放送とする例も出現した。
    • 2014年以降、朝日放送において全国大会準々決勝放送時はネット返上となった(自社制作番組『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』は他日に臨時枠移動で対応し[注 113]、2017年以降『帯ドラマ劇場』は臨時遅れネットで対応)。
  • 1990年代前半以降における地上波放送はANNフルネット24局のみでの放送であるが、かつてはクロスネット局や他系列局でも数日遅れの遅れネットで放送されていた。
  • スポンサーCM枠は開始当初は40分通しのネットセールス1枠のみだったが、現在は前半枠をネットセールス・後半枠をローカルセールスとしている。なお、高校野球中継(全国大会・地方大会を問わず)が放送され、同日または翌日時差放送となる場合でもスポンサーCM枠はそのまま放送される。
BS朝日
  • 2000年〜2012年
    • 開局当初から放送されていたが、2012年3月30日で打ち切り。
    • 原則当日地上波放送分より3回分遅れの放送であるが、終戦特集や年末最後の放送などその日の内容によっては同日に放送される場合もあった。
    • 2005年4月から2006年3月までは日曜日の13:00 - 14:00に『徹子の部屋傑作選』としてこれまでの放送の中から2本分連続で放送されていた。
    ※ただし、スーパーベースボールなどの野球中継・サッカー中継が予定されている日は放送時間変更・番組休止になっていた。
    ※地上波より放送時間が5分短いが、CMの放送時間を地上波より短くして抑えているため本編部分が一部カットされるようなことはない。
    ※スポンサーは地上波と異なり30分通しの1枠のみで(日曜日放送の『徹子の部屋傑作選』はスポンサーなし、平日放送でもスポンサーなしとなることもあった)、地上波で行う途中のスポンサーの入れ替えもまったくない。
    ※2006年12月24日(日)には青島幸男がゲストだった回が急遽再放送された。本来は日曜日は放送予定にはないが、2006年12月20日に青島幸男が死去したことから故人を偲ぶために行われた。
    • 2012年3月30日をもって、本番組の放送を打ち切ることになり、テレビ朝日番組枠のBSアナログハイビジョン実用化試験放送時代を含めて15年ほど続いていたBSにおける放送が終了することになった。当該時間帯の後継番組は月曜日から木曜日は『ちい散歩[注 114]、金曜日は『エリアの騎士』を放送。
  • 2015年度・2016年度
    • 2015年4月4日 - 2017年4月1日の間、毎週土曜日(12:00-13:00)に放送。毎週、2回分を放送。
    ※ただし、毎年8月の全国高校野球選手権大会中継や、特別番組編成の場合は放送休止となる。
  • 2017年度から
    • 2017年4月8日から毎週土曜日(12:00-12:30)に放送。毎週、1回分を放送。
テレ朝チャンネル2 ニュース・情報・スポーツ
  • 衛星チャンネル(朝日ニュースター)による運営だった時代、配信開始初期から2012年3月30日までは地上波での放送をそのまま録画して放送を行っていたため、衛星チャンネル(朝日ニュースター)の放送では、地上波では提供が表示される部分について、その日に地上波で放送された内容である「この番組はテレビ朝日系列で放送されたものです」という旨の部分的なブルーバックの表示に替えられていたため、事実上ノンスポンサーであった。以前はそのままスポンサーを表示していた。また、字幕放送のテロップも表示されるが、当時は朝日ニュースターで字幕放送を行っていなかった(字幕放送は2012年7月開始)。2012年3月30日で1日遅れの時差放送を打ち切り、テレビ朝日運営となった2012年4月からはテレ朝チャンネルと同様にこれまで放送された回から選りすぐりの内容を放送する『徹子の部屋〜Classics〜』として放送。加えて2012年7月からは同年4月以降に放送された内容と地上波放送から1週遅れの時差放送も行っている。衛星チャンネル(朝日ニュースター)による運営だった時代に地上波での放送をそのまま録画していた1日遅れの時差放送とは異なり、テレビ朝日局内に保存されている番組素材から再編集して放送するため先述のように放送日が相当古い回を除いて提供表示は一切なく、CMも完全にカットされている(5秒間のステーションIDが挿入されるのみ)。
  • テレ朝チャンネル2では、一部、肖像権の都合により放送されない回もある(例として、ジャニーズ事務所所属タレントの出演回(毎年正月の松竹梅松岡昌宏)や、2015年5月27日の放送10000回(近藤真彦&東山紀之))など)。

放送時間の変遷

地上波

期間 放送時間(日本時間 備考
1976.02 1996.03 月曜日 - 金曜日 13:15 - 13:55(40分)
1996.04 1997.09 月曜日 - 金曜日 13:55 - 14:50(55分) ワイド!スクランブル』開始に伴い移動[注 115]
1997.09 2014.03 月曜日 - 金曜日 13:20 - 13:55(35分) 『ワイド!スクランブル』短縮に伴い再移動
2014.04 現在 月曜日 - 金曜日 12:00 - 12:30(30分) 『ワイド!スクランブル』2部制堅持も、一旦中断番組への移行に伴い再々移動

BS朝日

期間 放送時間(日本時間 備考
2000.12 不明 月曜日 - 金曜日 19:00 - 19:30(30分)
不明 2006.03 月曜日 - 金曜日 17:30 - 18:00(30分)
2006.04 2008.03 月曜日 - 金曜日 21:30 - 22:00(35分)
2008.04 2010.03 月曜日 - 金曜日 18:30 - 19:00(30分)
2010.04 2012.03 月曜日 - 金曜日 17:30 - 18:00(30分)
2012.04 2015.03 この間、放送中断
2015.04 2017.04.01 土曜日 12:00 - 13:00(60分) 1週につき2回分を放送[注 116]
2017.04.08 現在 土曜日 12:00 - 12:30(30分) 1週につき1回分を放送[注 117]

スペシャル番組

出張!徹子の部屋

2010年より年1〜2回ペースで、ゴールデンタイムにて2〜3時間のスペシャル番組『出張!徹子の部屋』(しゅっちょう!てつこのへや)が放送されていた。番組では通常のレギュラー放送とは異なり、黒柳とゲスト(マツコ・デラックスほか)がスタジオの外でトークおよびロケ企画を行う形式だった。ナレーションは片岡鶴太郎が担当。なお、2016年からは後述の『最強夢トークスペシャル』に引き継がれている。

放送日 タイトル 放送時間 ゲスト 備考
1 2010年5月1日 祝35年目突入
出張!徹子の部屋
お宝映像も大放出スペシャル
19:00-20:51 浅田舞真央EXILEペ・ヨンジュン雨上がり決死隊渡辺宜嗣(テレビ朝日アナウンサー)、吉澤一彦(同)[127] 35年目突入記念
2 2011年4月27日 出張!徹子の部屋
お宝映像も大放出スペシャル パート2
19:00-20:54 大野智櫻井翔松本潤相葉雅紀二宮和也)、マツコ・デラックス、ほか この日放送通算8691回を達成し、番組内でギネス世界記録認定の表彰が行われた。
この回から黒柳とマツコによるロケ企画「辛口姉妹が行く」がスタート。
3 2011年10月2日 祝35周年 出張!徹子の部屋
〜トットちゃん初体験SP!〜
18:56-20:54 マツコ・デラックス、ほか 35周年記念
4 2012年9月19日 出張!徹子の部屋パート4
昭和VS平成スターお宝名鑑3時間スペシャル
19:00-21:48 水谷豊成宮寛貴[128]、マツコ・デラックス、ほか
5 2013年7月4日 出張!徹子の部屋パート5
夢トーク豪華3本勝負
お宝映像も大放出スペシャル
水谷豊、伊藤蘭白鵬市川染五郎尾上松緑尾上菊之助片岡愛之助、ほか[129]
5.5 2013年9月21日 出張!徹子の部屋 特別編 15:30-17:25 綾小路きみまろ、水谷豊、伊藤蘭[130] 特別編のため、『スペシャルサタデー第3部』枠にて放送(関東など一部地域のみ)。
水谷・伊藤部分は2013年7月4日放送分を再編集。綾小路がゲストの部分は撮り下ろし。
6 2013年9月25日 出張!徹子の部屋パート6
夢トーク豪華4本勝負
お宝映像も大放出スペシャル
19:00-21:48 福山雅治[83]松田聖子澤穂希寿美花代紅ゆずる浜木綿子オアシズ、ほか[131] 当時、福山はレギュラー版の出演経験がなく、番組全体を通して初登場となった。
7 2014年6月26日 出張!徹子の部屋パート7
夢トーク秘蔵映像スペシャル
マツコ・デラックス、五木ひろし渡辺謙
VTR出演:片岡愛之助
8 2015年2月4日 40年突入記念!
出張!徹子の部屋パート8
夢トークお宝映像スペシャル
19:00-20:54 マツコ・デラックス、市村正親入江陵介内村航平高橋大輔星野仙一
VTR出演:福山雅治、片岡愛之助
40年目突入記念[30]
なお、内村はレギュラー版の出演経験がなく、番組全体を通して初登場となった。

徹子の部屋 最強夢トークスペシャル

『出張!徹子の部屋』の後継として、放送開始40周年を迎えた2016年からは、年1回ペースで、ゴールデンタイムにて2〜3時間のスペシャル番組『徹子の部屋 ○○ 最強夢トークスペシャル』が放送されている。前回までの黒柳とマツコ・デラックスとの出張ロケは勿論の事、スタジオでもレギュラー放送の夜版として、豪華ゲストを迎えてのトークをおくる。

マツコとの出張ロケ企画では、黒柳と待ち合わせしているマツコがいきなり後ろ姿で登場する所から始まるのが名物。その後で二人の掛け合いとともに、ゲストを迎えての丁々発止トークへと展開していく。

スタジオトークパートでは通常放送とほぼ同じスタイルで展開するが、スペシャル版のため、展開によっては時間尺が長くなることもある。なお、スタジオセットの背景はゴールデンタイムでの放送に合わせて夜仕様となるほか、場合によっては装飾が豪華になることもある。

ナレーションは引き続き片岡鶴太郎が担当している。

『徹子の部屋 祝40周年 最強夢トークスペシャル』
『徹子の部屋 春の最強夢トークスペシャル』
  • 2017年4月12日19:00 - 20:54の枠で放送[110]。なお、同日は通常のレギュラー放送が休止(詳細は上述)となったが、本特番は予定通り放送された。
  • 番組開始42年目を記念して放送された同特番では、各パートにてカードを使ったトークが展開された。なお、このカードトークは年始恒例の「松竹梅」の回で行うものと同様の形式を採用した。
  • 恒例となったマツコとのコンビによる出張アスリート訪問では、大谷翔平、内村航平白井健三ベイカー茉秋らが登場[111]。ここでは、黒柳による筋肉チェック等が行われた[31]
  • また、目玉ゲストとして、卓球選手江宏傑福原愛夫妻、俳優で歌手のディーン・フジオカ[注 119]らが登場した[110][111]
    • 江宏傑・福原愛は台湾の新居での熱帯魚飼育を賭けて卓球対決を行い、様々な道具を使って勝負を展開。結果は妻・愛の勝利。
    • ディーンは黒柳とともに東京都内をバスで巡り、絶品グルメなどを堪能。また、サプライズゲストとして友近が登場した[注 120]

受賞歴

  • 1995年 黒柳が「徹子の部屋」司会者としての業績により第3回橋田賞受賞。
  • 1997年 6月 スタッフ一同に対して第23回放送文化基金賞が贈られた。
  • 2006年 スタッフ一同に対して第54回菊池寛賞が贈られた。
  • 2011年 4月27日で放送8961回となり、同一の司会者による最多放送記録としてギネス世界記録に認定。
  • 2015年 5月27日で放送10000回となり「同一司会者によるテレビトーク番組最多放送」のギネス世界記録認定[93][95]

企画展

書籍

関連項目

脚注・出典

注釈

  1. ^ 2000年12月1日より実施、それまではモノラル放送
  2. ^ 一部放送回のみ実施。
  3. ^ 2008年5月2日放送分の小島よしおの回より
  4. ^ TBS系列『ザ・ベストテン』など以前からこの髪型にしているが、舞台などでは髪をまとめずに下ろすこともある。
  5. ^ ただし、関連イベント(2015年11月に行われた「徹子の部屋展」のトークショー)を風邪で欠席したことはある[6]
  6. ^ 収録時間帯については読売テレビ系列・日本テレビ系列『情報ライブ ミヤネ屋』(2009年10月7日放送分)によると、時間帯は14時 - 17時まで
  7. ^ 森村誠一がゲストの際には番組途中で大好物である蕎麦が出されたが、森村が蕎麦を食べるのに夢中になってしまって番組進行が止まるというハプニングがあった。
  8. ^ 黒柳は「週刊新潮」2015年8月6日通巻3000号記念特大号の特集企画「『黒柳徹子』が振り返った『徹子の部屋』1万回の余話」でのインタビューで、近藤真彦から引退を勧められた際に番組を終えることについて『私くらいの年齢になると周りは気を遣って「引退勧告」できないだろうと。だから、私が番組で同じ質問を繰り返していたり、お芝居でセリフに詰まったりしているのに気が付いたら、マッチ(近藤)が「そろそろ引退したほうがいい」と言ってくれることになっている。』とコメントした[16]
  9. ^ なお、2014年4月1日から2015年末までは『ワイド!スクランブル・第1部』の末尾5秒で本番組の予告を行っていた。2016年に入ってからも同末尾5秒での飛び乗り点は存置され、飛び乗り局も存在している。
  10. ^ 2014年4月1日から9月26日までは「このあとは上沼恵美子のおしゃべりクッキング」で、黒柳が「この後はおしゃべりクッキング、上沼さーん!」とコメントし(もちろん、映像は毎日異なっていた)同番組に入っていた。
  11. ^ なお、2015年8月20日(ゲスト:竹野内豊)の終了時は告知なしでそのまま『ワイド!スクランブル・第2部』に入った(これはテレビ朝日を除くANN系列23局が高校野球決勝東海大相模仙台育英中継放送に伴い、『ワイド!スクランブル・第2部』[注2 1]のネットを返上[注2 2]した関係で、これに配慮した形となった。また、8月26日は「徹子の部屋展」会場(東京・日本橋髙島屋)からの生中継だったため、黒柳がエンディングで『ワイド!スクランブル』司会の橋本大二郎へ呼びかけを行い[17]、そのまま同番組に入った[注2 3]
  12. ^ a b この森繁がゲスト出演した回は、2016年にNHKで放送されたドラマトットてれび』の劇中で再現された(黒柳役は満島ひかり、森繁役は吉田鋼太郎が演じた)。
  13. ^ 第1回「学生服セーラー服」の扮装(1976年10月)に始まり、以後、第2回「国民服」(1977年8月)、第3回「老後の茶飲み友達」(1986年3月)、第4回「パイロット客室乗務員」(1987年2月)、第5回「医者と看護婦(現:看護師)」(1987年6月)、第6回「神主巫女」(1988年2月)、第7回「コックウェイトレス」(1991年2月)、第8回「新郎新婦」(1994年8月)、第9回「クレヨンしんちゃんセーラームーン」(1996年1月)、第10回「おひなさま」(1998年3月)、第11回「茶髪少年とガングロ」(2000年10月)、第12回「大国様白うさぎ」(2001年10月)、第13回「唐来参和メイ・ウエスト」(2003年2月)、第14回「恵比寿様弁天様」(2007年1月)、第15回「学生服とセーラー服」(2010年2月)に至る。
  14. ^ a b c 以前は最多出演ゲストはタモリと見られており、スポーツ新聞週刊誌等の各マスコミやテレビ朝日自身も一時期はタモリが最多出演と誤報していた[19]。なお、既に永六輔が計37回出演を記録していた2013年のタモリ出演時に黒柳が「最多出演。37回目のご出演です。」という原稿を読んで説明しており、この時点でタモリが永に並ぶことになる。また「徹子の部屋コンサート」出演などを除いた場合は永が最多出演となる。
  15. ^ 最終となった2017年2月2日は賀来千香子とコンビで出演した。
  16. ^ 黒柳も物真似のレパートリーの一つにしている。
  17. ^ 近年では相田翔子とのコンビ出演が多い。
  18. ^ フジテレビ系『森田一義アワー 笑っていいとも!テレフォンショッキング」』には1982年10月8日の初出演から、2014年3月17日の最終出演まで計22回出演し、最多出演記録を誇る。
  19. ^ タモリとの付き合いは、テレビ朝日の前身であるNET(日本教育テレビ)の『赤塚不二夫の世界』という昼の生番組でタモリがインチキ牧師役でテレビデビューした時に、あまりの面白さに黒柳が「今の人、誰?凄いじゃない」と直接、テレビ局の赤塚へ電話を掛けてからだという。これが芸能人からの最初の「面白い!」の電話だったという[25]。タモリが当番組に初出演した当時は未だ本格的な芸能活動を始める前でサラリーマンであった。
  20. ^ これは当時のタモリの持ちネタの一つで、他番組でも、魚をさばいた後で、身の部分を捨てて、頭や内臓などを使用した鍋料理などを作って食べさせることがあった。
  21. ^ a b なお、2015年9月23日に放送された『MUSIC STATION ウルトラFES』にて、黒柳は、オープニングで歌う近藤真彦の応援と10時間の長丁場に臨むタモリへの激励を兼ね、番組開始冒頭のスポットゲストとして出演した[注2 4]
  22. ^ なお、タモリと公私ともに交友がある岡村隆史ナインティナイン)が自らのラジオ番組において、その理由を推測している[26]
  23. ^ 黒柳はネタが面白くなければ笑わない上、何を言っているのかわからない場合「今のはどういう意味なんですか?」とネタの説明をさせることもある。村上ショージ出演時に黒柳は「スベリ芸を開発」と紹介した[27]。また黒柳は特番でも芸人に対し「なにを言っているのかわからない」等と手厳しい評価を下した[28]
  24. ^ 雨上がり決死隊は2014年4月以降、裏番組である『バイキング』(フジテレビ系)金曜日レギュラーMCのため出演不可能となっている。これに伴い惨敗の様子は『アメトーーク!』から当番組のスペシャル版や一部特別番組(『ビートたけしのいかがなもの会』など)で放送されることとなった。
  25. ^ 2001年より開始。なお2010年をもって一旦終了したが、2015年より再開。
  26. ^ ただし、ブラックマヨネーズ(2005年優勝)など出演していない者もいる。
  27. ^ 板野友美大島優子河西智美柏木由紀小嶋陽菜篠田麻里子高城亜樹高橋みなみ前田敦子峯岸みなみ宮澤佐江渡辺麻友(いずれも当時。このうち2017年7月現在在籍しているのは柏木、峯岸、渡辺のみ)。
  28. ^ 過去に本名の「眞木大輔」としても出演経験あり。
  29. ^ なお、番組とハローキティのコラボレーションによるグッズが発売されており「テレアサショップ」や「Ropp!ng」にて購入可能。
  30. ^ 砂川はこの回から8か月後の翌2017年7月11日に逝去したため、番組最終出演となった。
  31. ^ このうち吉澤出演の回は放送時、ABCのみ大山のぶ代出演のものに差し替えとなった[注2 5]。また、富川は『報道ステーション』メインキャスター就任当日(2016年4月11日)の放送回に出演した。
  32. ^ よく似ている例だが、フジテレビ系『笑っていいとも!「テレフォンショッキング」』にて、1983年には当時日本テレビアナウンサーの徳光和夫小林完吾が、また2008年にはTBSアナウンサーの安住紳一郎がそれぞれ出演したことがある。(なお、徳光は日本テレビ退社後に本番組に出演経験がある。)
  33. ^ 但し、RABでは、1987年3月31日でネットを打ち切り、ABA開局までの4年半は未ネット。
  34. ^ 竹野内は普段、ドラマ以外の番組にはほとんど出演することがないという[41]
  35. ^ 野球日本代表(侍ジャパン)監督も務めた。2015年11月5日放送回に出演、当時はWBSCプレミア12日本代表を指揮。
  36. ^ 2016年10月27日放送回にて、夫人の松尾翠(フリーアナウンサー、元フジテレビアナウンサー)と夫婦で出演した。
  37. ^ 井上順とのコンビでも出演経験あり。
  38. ^ 松任谷の冠番組オールナイトニッポンTV』(フジテレビ系列)に黒柳がゲスト出演した際に、黒柳に「最終回に出たい」と発言した(また、2015年6月2日の放送にゲスト出演したCharがそのことを語っており[42]、黒柳も「最終回はユーミンさん」と了承している[16])。なお、夫の松任谷正隆は出演歴がある。
  39. ^ 放送1回につき取り上げる人数は4〜5名程度[注2 6]。最終日の最後には期間中紹介しきれなかった物故者を数名程度、在りし日の故人の映像とともに紹介する。
  40. ^ 早朝ならびに朝の時間帯に訃報が発表された場合、当日放送予定を変更して緊急に追悼放送に切り替える場合がある。
  41. ^ 2015年4月2日放送回(ゲスト:東出昌大)では、黒柳がフィリピンを訪問した際のVTRが放送された(なお、東出は数年前からフィリピンを度々訪れ、ボランティア活動等を行っている)。また、2016年3月26日には黒柳がネパールを訪問した模様を紹介した特番『トットちゃんと世界の子どもたち アジア最貧国ネパールへ』(9:55 - 10:50、関東ローカル)が放送され、東出がナレーションを担当した[45]
  42. ^ 当初8月5日から3日間予定し、5日:中山・生田、6日:マツコ・デラックス、7日:澤穂希吉田沙保里の予定となっていた[46]が、2回分が中止となった(中止の理由は不明。なお、5・6日とも通常版とし、5日は長山藍子、6日は奥村チヨがそれぞれ出演)。ただし、マツコ・澤・吉田は2016年2月11日の『最強夢トークスペシャル』で共演している。
  43. ^ 当初4月12日に出演予定が変更。
  44. ^ 佐川は伊東の元夫であり、宙美の実父である。
  45. ^ フジテレビで放送されたマツコ冠司会の同名の深夜番組があったが、それとは無関係。
  46. ^ 神戸公演は朝日放送開局60周年記念として行われた。
  47. ^ 加山雄三率いるスペシャルバンド。
  48. ^ 「徹子の部屋コンサート」および特番の出演を含めた換算(なお2016年2月18日放送の「第10回徹子の部屋コンサート・2日目」にTHE King ALL STARSとして出演しており、それも含める)。
  49. ^ a b 2017年7月18日逝去(105歳没)。この回が最後の出演となった。
  50. ^ 出演当時、富司は「寺島純子」。菊之助は当然ながら本名。
  51. ^ 最多人数の出演者はウィーン少年合唱団の20人(少年団員のほか先生・通訳含む)[48][注2 7]ともされることがある。
  52. ^ 1979年 - 1981年は12月31日放送。なお、12月31日の通常放送はタモリ出演の1981年で最後となっている。
  53. ^ この日のテーマは「熟女忘年会」。
  54. ^ この回以後、トリプルゲストは2015年以降の松竹梅まで37年の期間を要することになる。
  55. ^ シリーズ第22作で、公開は1978年12月27日。マドンナ役は大原麗子
  56. ^ 後に関根の娘の関根麻里が出演した際に、この時のVTRが放送され、2014年12月31日に放送された『くりぃむVS林修!年越しクイズサバイバー』でも、クイズの問題[注2 8]として放送された。また、2015年5月20日の関根がゲストの回にて、第1回放送および宇野重吉嵐寛寿郎東野英治郎細川隆元萬屋錦之介がゲスト出演した回のVTRが放送され、さらに翌2016年2月3日放送回(ゲスト:萩本欽一、関根)でも第1回放送および宇野、細川、萬屋ゲスト回のVTRが放送された。このほか、2015年6月8日岸ユキがゲストの回[注2 9]および、2016年6月30日宗方勝巳長内美那子夫妻がゲストの回において、第1回放送のVTR(ゲスト解答者:岸、宗方ほか)が放送された。
  57. ^ 1977年10月〜1978年3月に同局の水曜19:00 - 19:30で放送された『ピラミッドクイズ』(司会:西川きよし[58]
  58. ^ この年、正式社名が「日本教育テレビ」から「全国朝日放送」に変更された(2003年10月に現在の「テレビ朝日」に社名変更)。
  59. ^ ジェリー藤尾はこの回の後、2016年10月12日に出演するまで31年間出演がなかった。
  60. ^ この日に予定されていた村野武範がゲストの回は9月11日に移動。
  61. ^ 17日放送予定分(ゲスト:ワダユタカ(演出家、元パリ国立高等演劇院教授)[62]は3日スライドして1月20日に放送された。
  62. ^ 専門家・書道家・陶芸家・ファッションデザイナー・映画監督・作詞作曲家等のうち、メディア出演が大変珍しい面々が目立っていた。中にはテレビ出演が初という人も多くいた頃で、通常多い役者や芸能人が少ない時期であった。
  63. ^ プロデューサーの田原敦子曰く、視聴率低迷により2度もの打ち切りの危機に立たされたという[63]
  64. ^ アフタヌーンショー』の「やらせリンチ事件」が影響してか、1980年代後半から1990年代はテレビ朝日ではヒット番組に恵まれず視聴率において、終始4位(民放キー局、NHK総合除く)だった。そのため、「テレ朝は『ドラえもん』と『徹子の部屋』と『ニュースステーション』しか誇れる番組が無い」と揶揄されたこともあった。
  65. ^ 正午枠移動後もさらに物故者が相次ぎ、永六輔大橋巨泉ペギー葉山野際陽子などといった著名人が他界している。
  66. ^ 井上聡の生年月日が放送開始日にあたるため。
  67. ^ 森光子は2012年11月10日に逝去、14日に森の訃報が伝えられたため、15日は予定を変更して森の追悼特集を放送した。森は番組放送開始の1976年から最後の出演となった2009年9月までの間に同番組に計15回出演していた[70]。なお、森の葬儀で使用された遺影には2006年1月30日放送回収録時の写真が使用された[71]
  68. ^ この日放送予定の山下春幸[注2 10][72]がゲストの回は10月1日に移動して放送された。
  69. ^ その時、同番組にCGキャラで登場した野原しんのすけ(声:矢島晶子)は、「おお、いい所で宣伝しましたね、徹子さん。」と発言した。
  70. ^ この日放送予定だった浅香光代がゲストの回は2月14日に移動して放送された。
  71. ^ なお、正午枠移動に合わせ、2014年3月18日から3月31日まで、東京都内3ヶ所(銀座新宿渋谷)の街頭ビジョンで毎日正午に1回、黒柳が枠移動の告知をするPR映像が流され話題となった[78][注2 11]
  72. ^ 『上沼〜』は13:45-14:00へ移動。
  73. ^ 『ワイスク・第2部』は12:50からに繰り下げ。
  74. ^ 本番組のみならず、テレビそのものから疎遠となっていた著名人が、本番組のゲストで久々にテレビ出演することもある。
  75. ^ 2015年8月27日に出演[79]。夫の市村正親は特番も含めて数回出演経験があり、市村が2014年7月7日に出演した際には篠原がまだ未出演だったため、黒柳が「今年中には実現させたい」と話していたことがある[80](1年遅れてようやく実現となった)。
  76. ^ a b 小堺は裏番組ライオンのいただきます(→II)』→『ライオンのごきげんよう』(フジテレビ系列)に出演していた関係(2014年3月まで)により本番組には長年出演していなかった[注2 12]が、『ごきげんよう』終了から5ヶ月でようやく出演を果たした。ちなみに、みのもんたも同じく長年裏番組『午後は○○おもいッきりテレビ』→『おもいッきりイイ!!テレビ』(日本テレビ系列)への出演があったものの、みの自身は『おもいッきりテレビ』出演開始前の1984年5月1日に出演している[82][注2 13]
  77. ^ 2016年9月22日に出演。その前に『出張!徹子の部屋』(2013年)に出演経験あり[83]
  78. ^ 2017年3月22日に出演[84]。それ以前には2008年2月7日に初出演予定だったが、倖田のラジオ番組内での失言[85]により、この出演回は放送延期[注2 14]となるもお蔵入りとなり、出演記録としてはカウントされなかったため、9年越しで出演を果たす形となった。
  79. ^ 通常時の「第2部」も別途放送したが、これとは別パート扱いで放送。
  80. ^ この日放送予定だった石田純一がゲストの回は10月20日に移動して放送された。
  81. ^ この日放送予定だった 相葉雅紀)がゲストの回は11月24日に移動。その影響でその日以降の放送分についても、玉突きで延期となった回が2日分発生した。
  82. ^ この日放送予定だった一青窈がゲストの回は12月16日に移動して放送された。
  83. ^ この日放送予定だった島田洋七がゲストの回は翌週3月2日に移動、さらに同日予定の前田吟がゲストの回は3月19日に変更となった。
  84. ^ a b この日に限り、本番組後続の『ワイド!スクランブル・第2部』は13:00開始となり、30分繰り下げ・短縮。
  85. ^ a b c 16:45 - 17:00は『ANNニュース』のため一旦中断。
  86. ^ この日は2014年11月17日放送分を放送[97]。また、同年12月17日の「追悼特集①」においても、2002年、2009年の出演時の映像を放送した。
  87. ^ この日放送予定だった新垣隆(ピアニスト・作曲家)がゲストの回は放送日を10月5日に移動し、さらに同日予定されていた彦摩呂のゲストの回は10月21日に移動となった。
  88. ^ 2016年9月9日のゲストに夫の鎧塚俊彦(パティシエ)が出演した際、生前の川島出演時の映像(2002年、2014年)を放送したほか、黒柳から2015年10月に夫妻で出演してもらう予定だった旨が明かされた。
  89. ^ 晩年の巨泉出演回は親族などを伴っての出演が多かった。2008年11月19日[99]と2014年4月14日には夫人の大橋寿々子と、 2015年11月12日には娘でジャズシンガーの豊田チカと一緒に出演した[100]
  90. ^ a b これにより当初予定されていた福澤朗(フリーアナウンサー、元日本テレビアナウンサー)の回が翌週26日に移動して放送された。このため26日の橋幸夫の回が3日ずれて29日へ移動し、さらに29日の湯川れい子の回も8月8日へ移動となり、結果、玉突きによる延期が3回分発生した。
  91. ^ この日放送予定だった風見しんごがゲストの回は5月10日に移動して放送された。また、この日の『ワイド!スクランブル・第1部』は地震のニュースを伝える関係から、系列としてのフルネット局全局で臨時にフルネットとした。この報道特別番組は、事実上『ワイド!スクランブル』の第1部と第2部の間を埋める、同番組の拡大部分として放送された。
  92. ^ 放送開始は1987年6月1日と、当番組よりも11年4ヶ月遅いが、2013年3月までは土曜・日曜も放送していたため(同年4月より平日限定、2017年4月から月・火限定)、当番組より1年遅れての10000回達成となった。
  93. ^ この日放送予定だった秋川リサがゲストの回は8月31日へ移動。
  94. ^ 通常編成時には『ワイド!スクランブル・第1部』の内包番組として放送されるが、この日に限り、系列としてのフルネット全局で単独番組として放送した。クロスネット局では本来の系列の番組を放送するため、非ネット。
  95. ^ 薬師丸自身の歌手活動の原点はケロヨンだった[106]ことを、当日の放送でも明かしている。
  96. ^ 2016年11月20日放送の特番『爆笑芸賓館』にて1位を獲得[28]
  97. ^ a b 2017年5月9日放送のペギー葉山追悼の回にて秋満がゲスト出演し、ペギーとの思い出について語った。また、コンサートのほか、根上淳と夫婦で出演した回などの映像も放送された。なお、ラストには「南国土佐を後にして」を熱唱する場面とトーク部分を放送した[108]
  98. ^ 渡瀬が出演していたドラマ警視庁捜査一課9係 season9』の当時の新番組宣伝も放送されていたため、放送日付きの断り書きのテロップも添えて対応した。
  99. ^ なお、同ドラマで主演を務める石坂浩二はこの時も出演しなかった。
  100. ^ 姉の浅田舞とともに出演経験あり。
  101. ^ 『ワイド!スクランブル・第1部』内で内包の『ANNニュース』は臨時に単独番組扱いとなり、12:50 - 13:05に放送し(当初予定より35分繰り下げ。)、『ワイド!スクランブル・第2部』は通常より20分繰り下げ・短縮の13:05 - 13:45に放送した(当初予定では通常放送を予定していた)。
  102. ^ 主演映画『無限の住人』PRの一環として出演した。
  103. ^ KAT-TUNのメンバーからのゲストは亀梨和也(枠移動前から出演歴あり)に続き2人目。これにより、未出演のメンバーは上田竜也のみとなった。
  104. ^ 同番組は8月21日で終了したが、中丸は10月より後番組として開始予定の新番組『天才キッズ全員集合〜君ならデキる!!〜』で引き続きMCを務める予定。
  105. ^ 岡田・小栗がダブル主演を務める映画『追憶』PRの一環として出演した。
  106. ^ この日放送予定だったコロッケがゲストの回がスライドで翌週6月19日へ移動、さらに同日予定の萩尾みどりの回は7月4日へ移動となった。
  107. ^ 2010年6月30日放送回
  108. ^ フジテレビ系列時代は、午前中に遅れネットしていた。
  109. ^ 通常編成時に存在する「第2部」とは別番組(パート)扱い。
  110. ^ 2014年10月6日にはじめて当該ケースが発生[122]
  111. ^ 2015年は12月31日にも『年末スペシャル』として、第1部を休止の上、第2部のみ放送し、14:40まで延長して放送された。2016年末の場合、終了時刻も14時に繰り下げられている。
  112. ^ 黒柳も毎年出演しており、和田アキ子パチンコ対決を行っている(後日、和田がゲストの回にてパチンコの話をすることがある)。
  113. ^ 朝日放送以外のテレビ朝日フルネット23局では本来の放送時間に裏送り先行ネットした。
  114. ^ 5月17日をもって終了、5月21日から『若大将のゆうゆう散歩』に移行(こちらも2015年3月をもって打ち切り)。
  115. ^ 但しこの時期に朝日放送高校野球中継の影響でネット返上したことがあった。
  116. ^ 基本的に当該週のものから2回分セレクトされるが、地上波の番宣を兼ねて出演したゲストの回であるなど、なんらかの都合によりBS朝日で遅れネット不可能なケースでは、その代わりに当該週以前から2回分セレクトされることもある。
  117. ^ 基本的に当該週のものから1回分セレクトされるが、地上波の番宣を兼ねて出演したゲストの回であるなど、なんらかの都合によりBS朝日で遅れネット不可能なケースでは、その代わりに当該週以前から1回分セレクトされることもある。
  118. ^ さんまが番組にゲスト出演するのは1991年3月22日(15周年SP)以来25年ぶりで、また所も同年11月4日以来24年半ぶりとなった。なお、さんまがテレビ朝日制作の番組に出演するのは2010年10月9日放送の特番『もしもさんまさんだったら…?』以来5年半ぶりとなった。黒柳、さんま、所は2015年12月30日に日本テレビ系で放送された『笑ってコラえて!年末2時間半スペシャル!!』でも共演している[注2 15]
  119. ^ 『サタデーステーション・サンデーステーション』のPRを兼ねて出演。自身がエンディングテーマを提供し、『サタデー~』にインフルエンサーとして不定期出演する。
  120. ^ ディーン・フジオカと友近は、2015年度のNHK連続テレビ小説あさが来た』で共演している。
補足
  1. ^ 当日のみ12:30-14:00に拡大、関東ローカルでの放送となった。
  2. ^ 『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』を12:30-12:45に臨時枠移動(通常より75分繰り上げ。テレビ朝日のみ、朝日放送をはじめとするANN系列23局より90分遅れ・通常より15分繰り下げの14:00-14:15に放送)。
  3. ^ ちなみにこの日の『ワイド!スクランブル・第1部』にて会場からの生中継を挿入した。
  4. ^ この際、黒柳がアドリブで「私の部屋はどこ?」と尋ねる場面があった。
  5. ^ ABCが当時、吉澤が担当していた『やじうまワイド』をネットしていなかったため(ABCは『おはよう朝日です』を放送)。
  6. ^ 紹介時にはVTRの下に簡潔な略歴をスクロールテロップで表示(フォントは明朝体)。テロップの最後には「x月x日 (病名)のため他界 享年xx」と表示する。
  7. ^ 2000年4月21日放送回に出演。
  8. ^ 「『徹子の部屋』のクイズコーナーでアシスタントを務めていたのは誰か?」という問題。
  9. ^ 1984年8月8日以来31年ぶりの出演となった。
  10. ^ 東京ミッドタウン内にあるレストラン「HAL YAMASHITA東京」オーナーシェフ。
  11. ^ 最終日となった31日は『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)最終回放送日であり、新宿では同番組最終回と本番組PR映像が正午にバッティングする形となった。
  12. ^ 本番組と『ごきげんよう』の放送時間が被らなかった1996年4月から1年半の間も出演しなかったほか、2014年4月1日から『ごきげんよう』が終了する2016年3月31日まで出演経験がなかった(両番組の収録曜日が被っていたため)。なお、黒柳は『ごきげんよう』に一度も出演しなかった。
  13. ^ なお、『おもいっきりイイ!!テレビ』終了後の2009年4月以降は出演経験はない。
  14. ^ 同日は後日放送予定となっていた島田祐子がゲストの回を繰り上げ放送した。
  15. ^ 黒柳と所は『笑ってコラえて!』の翌日12月31日の『第66回NHK紅白歌合戦』(黒柳は総合司会、所はゲスト審査員を務めた)、さらに翌2016年1月1日放送『志村&所の戦うお正月16』と3日連続で共演。また、黒柳とさんまは2015年10月2日放送の『さんまのまんま30周年記念SP』(関西テレビ制作、フジテレビ系)で共演した。

出典

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外部リンク

NETテレビ→テレビ朝日系列 月 - 金曜日13:15 - 13:55枠
前番組 番組名 次番組
徹子の部屋
(1976.2 - 1996.3)
テレビ朝日 月 - 金曜日13:55 - 14:50枠
徹子の部屋
(1996.4 - 1997.9)
劇的空間再放送
※13:55 - 14:48
夢情報〜夢野家の人々
※14:48 - 14:55
テレビ朝日 月 - 金曜日13:20 - 13:55枠
ワイド!スクランブル
※12:00 - 13:55
【2部制移行のうえ、第1部11:30 - 12:00・
第2部12:00 - 13:05に変更】
徹子の部屋
(1997.10 - 2014.3)
【ここまではネットワークセールス枠】
ゴゴワイド・第1部
(再放送枠)
※13:05 - 14:55
(2014.4 - )
【ここからローカルセールス枠】
テレビ朝日系列 月 - 金曜日12:00 - 12:30枠
ワイド!スクランブル・第2部
※12:00 - 13:05
【44分繰り下げ・縮小で継続】
徹子の部屋
(2014.4 - )
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