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2016年11月10日 (木) 23:40時点における版

吉川 晃司
出生名 吉川 晃司
生誕 (1965-08-18) 1965年8月18日(59歳)
出身地 日本の旗 日本 広島県安芸郡府中町
学歴 修道高等学校中退
ジャンル J-POPロック
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ボーカル
ギター
活動期間 1984年 -
レーベル SMSレコード
1984年 - 1988年
東芝EMI
1989年 - 1996年
ポリドール
1997年 - 1999年
kitty mme
2000年
徳間ジャパンコミュニケーションズ
2002年 - 2008年
ユニバーサルミュージック
2009年 - 2012年
ワーナーミュージック・ジャパン
2013年 - )
事務所 アクセルミュージックエンターテイメント
共同作業者 菅原弘明
松井五郎
公式サイト K2 NET CAST : KOJI KIKKAWA OFFICIAL WEBSITE

吉川 晃司(きっかわ こうじ、1965年8月18日 - )は、日本ロックミュージシャンシンガーソングライター俳優。本名同じ。

広島県安芸郡府中町出身。自身設立の所属事務所、株式会社アクセルミュージックエンターテイメント代表取締役社長。身長182cm。既婚。

1984年シングルモニカ」で歌手デビュー。「LA VIE EN ROSE」、「KISSに撃たれて眠りたい」、「VENUS 〜迷い子の未来〜」や布袋寅泰とのユニット、COMPLEXでの「BE MY BABY」などのヒット曲で知られる。デビュー当時は映画に多数出演。一時俳優業からは遠ざかっていたが、2000年の『漂流街』出演以降、しばしば取り組むようになった。

略歴

  • 吉川の元の実家は原爆投下まで、現在の広島市中心部、原爆ドーム元安川を挟んで真向かいの場所で[1]料亭を営んでいた[2][3][4]。原爆投下1か月前に疎開し難を逃れたが[5]、投下直後に父親は入市したため、入市被爆が認められ吉川自身も被爆二世に当たると言う[2][4][6]。父親は若い頃、京都太秦で大部屋俳優をしていたが[7]、家業を継ぐため俳優を諦め板前になったという経緯を持つ。吉川が幼い頃、店が火事になり廃業し、その後喫茶店の経営やタクシー運転手・管理職などをした。
  • 府中町立府中小学校出身(宇梶剛士も2年まで在学で先輩、竹原慎二は後輩になる[8])。修道中学校を経て修道高等学校二年時に中退[7][9]
  • 広島の男子進学校である修道中学校時代から水球の選手として活躍し、修道高校時代には世界ジュニア水球選手権大会の日本代表。また2年連続全日本高校最優秀選手に選ばれたほどの逸材で、最年少日本代表としてイタリアエジプト遠征にも参加した[10][11][12]。広島屈指の進学校である修道中学校を受験した理由は、「制服の袖の部分に2本の白線があり、それがカッコよかったから」と述べている[12]。合格したものの授業についていけず、いきなり落ちこぼれたとメディアでも語っている。しかも、いざ入学するとその2本の白線で、修道中学校生だと判ってしまい、悪いことが出来なかったため、嫌いになってしまったそうである(入学後は、その白線を物と擦って消していたという)。
  • 同じ水泳部だった酒井麿に誘われ[13]ロックバンド(EIGHT CITYS FISH BAND/通称:はまちバンド)に加入[14]、バンド活動も平行して行っていたが、佐野元春のコンサートを見て、カルチャーショックを受け音楽一本に絞る[15]。「音楽の世界でビッグスターになる」とその後のサクセスストーリーを考えた吉川は、「まずはスカウトされること」と考えたが、田舎でスカウトされる筈も無く、シビれを切らして渡辺プロダクションに「広島にスゴい奴がいる、見に来ないと一生悔いを残す」などと自ら手紙を書き送りつけた[7][10][16][注 1]。なお、なぜナベプロかといえば「沢田研二アン・ルイスなどが当時所属していたのがナベプロで、ここがいいな」と言い(吉川本人の回想)、他のプロダクションは知らなかった[17]
  • 渡辺プロの関係者が、高松松本明子を見に行った帰りに、本当に会いに来てくれて、その後の数度のオーディションを経てナベプロ入り[10][注 2]修道高校からは水球の推薦で慶應義塾大学特待生として入学できる道が開かれていたため、教師、両親や周囲から猛反対を受けた[18]。父親からは「芸能界ってのは猿まわしだ。お前は東京でになるのか」と言われたが、「いつか自分で動いてやる」と決意を固めた[19]。実際は高校を卒業してからという話だったが、吉川本人の「今すぐにでも」という話で、修道高校3年に上がる直前に中退して上京[17][18]。自分だけが東京に呼ばれたと思っていたら、そういう人がたくさんいて、当初はスクールメイツと練習をこなす[18]。すぐにデビューさせてもらえず、当時のマネージャーの部屋に居候。ダンスのレッスン代わりに新宿渋谷六本木のディスコで毎日踊り、当時最先端の音楽、ファッション、踊りを身につけた。しかしいつまでたってもデビューさせてくれないことに業を煮やし、社長室に直談判したところ渡辺晋社長に気に入られ、デビューへの運びとなった[20]
  • 実際には渡辺プロは吉川を「10年に1度の逸材」とみなし、凋落していたナベプロの起死回生のため、社長自らが音頭をとってデビューのためのプロジェクトチームを編成するほどの力の入れようだった[21][22]。「ナベプロ帝国の興亡」軍司貞則著、文藝春秋(1995年)によると、その当時渡辺プロの金庫には3億円の現金しかなく、渡辺晋は30人ほどのスタッフとの会議において、その金で吉川を売り出す方法をひねり出せ、と迫った。映画と歌の同時デビューもナベプロの肝いりで実現した。吉川は渡辺晋の手掛けた最後のタレントになった[23]大澤誉志幸が「渡辺プロは総力を挙げて吉川晃司を売り出すから、お前にかける金はない」と、ナベプロのスタッフから言われたという逸話も残る[24]
  • 1984年2月1日シングル「モニカ」でデビュー[25]。この曲は、主演映画『すかんぴんウォーク』の主題歌でもあった。以降「サヨナラは八月のララバイ」、「LA VIE EN ROSE」、「ユー・ガッタ・チャンス」(オリコン3週連続1位)、「にくまれそうなNEWフェイス」(オリコン1位)、「RAIN-DANCEがきこえる」(オリコン4位)、「キャンドルの瞳」(オリコン2位)と立て続けにヒットシングルをリリースし、1984年の日本歌謡大賞最優秀新人賞、日本アカデミー賞新人賞など歌手と俳優の両部門で8つの新人賞を独占[11]。翌1985年暮れにはNHK紅白歌合戦に出場した。
  • またこの年の始めに、デビュー1年目では史上2人目の日本武道館公演を行った。1人目は原田真二(1978年7月24日[26])。その他、初期に行われた学園祭コンサートで、体育館にある緞帳(どんちょう)にぶら下がり、緞帳をビリビリに破いてしまったことがある。その弁済金は1,000万円だったという[注 3]
  • 1987年に発売したシングル「MARILYNE」は、当時の恋人である女優の石原真理子(石原真理)との恋愛実体験を歌詞にした曲であったことが判明[27]2006年に石原が暴露本ふぞろいな秘密』を発売した際に、石原の過去の13人の交際相手として名前が出され、石原は吉川を玉置浩二以外に「結婚をしてもいいかな」と意識したと書いた。吉川は事務所を通じて「交際をしていたのは事実。「MARILYNE」のプロモーションビデオには彼女も出演しているはずです」とコメントを出した[27]。吉川本人が明石家さんまのラジオで、石原のことを「憧れの人」と呼び、「悲しいことや楽しいことも彼女とは憧れの形で実現出来る」と、石原の存在は吉川の理想であることを語った。
  • ナベプロは芸能プロダクションであるため、歌だけでなくバラエティ番組にも出なければいけないが、当時はそれが嫌で、人前に出て笑うことは一切できなかった。そのため渡辺晋にいつも「独立させて下さい」とお願いしていた[28]。「インターナショナルで通用する映画を作りたいと思っている。その映画に出たら、独立させてやるから」と言われ、渡辺からは独立を承知してもらい1987年、日本・イタリア合作映画『シャタラー』に出演した。しかし撮影途中に渡辺が亡くなり、映画の内容も企画も大幅に変更されて、当初予定された物とは全く違う惨憺たる作品になってしまった[28]。ガンの末期にあった渡辺の最期に近い頃の言葉は「吉川は元気でやっているか、イタリアで?」であったという。その言葉は胸にズシッと響き、毎年何度も足を運ぶ渡辺の墓参りでは、渡辺から叱咤激励されているような気がするという[28]
  • 1988年に一時活動を停止した後、渡辺プロダクションから子会社独立と言う形で22歳のとき独立[9]、マネージャーの河村嚴生が代表取締役社長のセブンスエンタープライズ所属になる。レコード会社を東芝EMIに移籍。
  • BOØWY布袋寅泰とユニット「COMPLEX」を結成し、翌1989年4月にシングル「BE MY BABY」(トヨタ・セラのCM曲)をリリース[29]。COMPLEXは『BE MY BABY』を含め2枚のシングルと2枚のアルバムをリリースした(いずれもオリコンチャート1位を記録)後、1990年11月8日東京ドームのライブをもって活動を停止。ビジネス的なことにはまったく興味がなく純粋にロックがやりたかった吉川と、音楽を活動コンセプトやサウンドアプローチからビジネス面までトータルで捉える布袋との間に徐々に溝が生まれ、最後は飲み屋でのつかみ合いの喧嘩に発展して活動停止に至った。布袋、吉川はそれぞれ、当時の音楽雑誌のインタビューで「COMPLEXさえ組まなければ、少なくとも友人を失う事はなかった」とコメントしている。しかし、東日本大震災復興支援ライブを同じく東京ドーム2DAYSとして行い、21年ぶりに復活。待ちかねたファン約10万人が詰め掛けた(後述)。
  • 1997年に東芝EMIから、元同社専務取締役である石坂敬一が代表取締役に就任したユニバーサルグループに移籍。しかしこの時期の音楽業界に吹き荒れた外資の嵐と変革の混乱の中で売上が低迷。その後2002年徳間ジャパンへ移籍。
  • 1998年32歳のとき、個人事務所「アクセルミュージックエンターテイメント」を設立[30]。前所属のセブンスエンタープライズで、会社スタッフによる会社資金の使い込みが発覚。事務所の空中分解という状況で、セブンスエンタープライズの音楽部門若手スタッフを引きつれ設立という経緯である。本人曰く「他所に世話になるなんて考えられなかったので、自分について来てくれる会社の若い連中もいたし、仕方なく自分で会社を立ち上げざるを得なかった。今では立ち上げて本当に良かったと思っている」。歴史書を読む面白さを知ったのもこの時から[19]。ちなみにセブンスエンタープライズ俳優部門は金山一彦つみきみほ達で新たに立ち上げている。
  • 「アクセルミュージックエンターテイメント」設立の際に、若い社員の前で「利益が出るまで、オレは家に帰らない!」と大見得を切ったため、スタジオにソファを入れてそこで暮らした。利益が出るのに7年もかかり、結局12年スタジオで暮らした[30]。窓が無い地下室で湿気が多く、肺にカビが湧き頭の皮がむけるなど色んな体の箇所を病んだ[30]
  • 1998年、自宅で知人と殴り合いになり、鼻骨および肋骨を骨折させる傷害容疑で、示談は成立していたが書類送検された。原因は、酒に酔った知人が吉川所有の尾崎豊の形見のギターを蹴った事による。謝罪会見では、前所属事務所セブンスエンタープライズの会社スタッフによる資金使い込み騒動の真っ只中でもあり、真実をありのままに述べられない状況下での謝罪会見になった。この会見で記者の「何発殴ったのか?」との質問に、一方的に殴ったわけじゃなく殴りあいになり、相手もボクシングの経験があると前置きした上で、「ワン、ツー、スリー?」と答える。この3発のパンチを打つ動作を客観的に再現しながら「こう、こう、こう、うん、3発殴った」「泥酔していたといわれているが違う。25%ぐらいの酒なら眞露2、3本くらいなら大丈夫」「僕はちょっと人より力が強いみたいで..」などと発言したシーンがTV放送で流された。プロを相手に、一発目から的確に拳を鼻に打ち込んで鼻骨を折り、二発目で急所の一つといわれる脇の下の肋骨を骨折させたことから、吉田豪らが吉川を“芸能界ケンカ最強”と推す切っ掛けとなった[31]
  • 2006年にDJ TASAKAKAGAMIによるテクノユニットDISCO TWINSのアルバム『TWINS DISCO』にて「Juicy Jungle」「Thunder Storm」の2曲にゲストボーカルとして参加。また「Juicy Jungle」のPVにも出演した。このPVはSPACE SHOWER Music Video Awards 07でBEST IMPACT VIDEO賞を受賞。授賞式ではスペシャルゲストとして登場し、DISCO TWINSと共にライブパフォーマンスを行った。またDISCO TWINSとのユニット「DISCO K2 TWINS」を結成しシングル「Juicy Jungle」を発売した。
  • 2009年のNHK大河ドラマ天地人』(主演:妻夫木聡)に織田信長役として出演。同年に、徳間ジャパンコミュニケーションズから古巣であったユニバーサルミュージックに移籍。また、『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』に、主人公の師である鳴海荘吉(仮面ライダースカル)の役で出演。
  • 2011年5月31日にファンクラブのページにて一般女性との結婚を発表。翌6月1日に、婚姻届を提出。二人の間には既に第一子も誕生しており、未婚の父であったことも明かした。
  • 2012年12月10日、ワーナーミュージック・ジャパンへの移籍および同社にプライベート・レーベル「SAMURAI ROCK」を設立[32]

人物

音楽関係

  • デビュー時から自作曲はあったのだが、当初はアルバムに入れてもらえなかった[33]。ディレクターと大喧嘩もしたが、徐々に自作曲を増やし、現在は以外に作詞作曲演奏プログラミングプロデュース等幅広く手がけ、「PANDORA」「JERRY FISH&CHIPS」など様々な作品を世に送り出している。
  • 日本語英語っぽく発音してロックに乗せる「巻き舌唱法」は、日本ではキャロルを始まりとして、吉川で一応の完成形となると評される[4][11][34]。吉川自身はこれを“日本語を崩す歌い方”、例えば「だからぼくは」という歌詞を「だっかぁら、ぼっくぅは」と歌うとロック的なリズムが出るなどと説明している[7]。デビュー時に紹介された木崎賢治プロデューサー[35] に「どんな音楽やりたいの?」と聞かれて「僕は原田真二さんとか、格好いいと思うんですけど」と答えたら、「ああいう日本語の崩し方というか、乗っけ方というのをできる人は少ないんだよ、吉川くんできる?」と言われて始めたのが切っ掛けと話している[7][20]。吉川はデビュー直後1985年のインタビューで「歌い方が佐野元春さんの真似とよく言われる」と話していたが[15]、2012年のインタビューでは、「この先駆者は佐野元春さんだといわれるんですけど、僕は原田真二さんだと思う」と話している[7]
  • キメキメのステージアクションで話題を呼んだ[11]。『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』、『NHK紅白歌合戦』など、当時の歌番組での数々のパフォーマンスも有名[21][36][37][38][39][40]。『ザ・ベストテン』でのパフォーマンスで最も知られているのは出身校・修道高校のプールでのバク転飛込みだが[21][36][41]、毎回出演時には視聴者を驚かす演出を自ら考案し楽しませた[21]。「ベストテンのセットを壊すことで自分の存在を確認してたとこがあった」と述べている[42]。数年たってTBSに行ったら、当時ADだった人たちに凄いイヤな顔をされたという[42]。『夜ヒット』では、アン・ルイスとの性行為を連想させる過激な“六本木心中コラボレーション”などが有名(「六本木心中#解説」)[36]。デビュー当時はアンに大きな影響を受けた。アンとは姉弟のような関係で、吉川の歌唱中、袖で心配そうに吉川を見守るアンの姿が目撃された。アンの「六本木心中」と「あゝ無情」のモデルはいずれも吉川であると作詞者の湯川れい子は話している[39]。この頃は日本におけるヴィジュアル系の走りとも言われる沢田研二がテレビに出なくなった時期で、安全地帯玉置浩二とともに、続いて男の化粧を認知させたと言える。吉川デビュー時の衣装=ノータイ・ピンク、或いはスーツは街に“偽吉川”を溢れさせ、同時期に活躍したチェッカーズタータンチェック共々よく流行った[19][36][43]2013年NHK連続テレビ小説あまちゃん』では、小泉今日子演じる天野春子が学生時代を過ごした部屋で、吉川の写真に向かって「肩幅〜!」と叫ぶシーンがあった[44]
  • 若い頃、吉川に似ていると言われた元プロ野球選手新庄剛志は、そのファッションをよく真似ていた。また、カラースプレーで髪に色を付けたり、立たせたり新しい髪型を考案するなど、いわゆる男のおしゃれ、男性ファッションを認知させたスターである[21]
  • 吉川のファッションといえばサングラスである。現在はあまりサングラスをしないが、デビュー直後は常用していた。サングラスを常用した動機は、細いキツネ目にコンプレックスがあったためと言われている。現在は芸能人がサングラスをどんな時も外さなくても批判をされるような事は無くなったが、当時は批判を受けることがあった。岡田有希子葬儀にサングラスを掛けたまま参列し、同様にサングラスで参列した舘ひろし共々、マスメディアに叩かれたことがある。
  • バク転以外のステージパフォーマンスとして、足を高く上げてドラムシンバルを蹴る「シンバルキック」は吉川のライブの代名詞となっているステージ・アクションの一つ[45]。初期は垂直に蹴り上げていたが、両足が肉離れを起こして縦に上がらなくなったため、横回転で勢いをつけて蹴る様になった[46]。観客が「普通のシンバルキックは飽きたよ」「もっと高くできないの」などと言うから、意地で段々難度が上がってきたという[45]。シンバルキックで過去3回骨折している[46][47]
  • 体育会系のノリで広い交遊を持った。アン・ルイス、ブラザー・コーン、チェッカーズ、尾崎豊とんねるず大沢誉志幸岡村靖幸氷室京介布袋寅泰布川敏和本木雅弘小泉今日子中森明菜藤真利子鈴木賢司[15][48][49]
  • 特に尾崎豊と岡村靖幸を交えた同級生3人の仲は親友として有名だった[50][51][52]六本木WAVE(1999年閉店)1階のカフェ「レイン・ツリー」で待ち合わせて、次の店をどこにするか、「じゃんけんをし、勝った者が行き先を決めることが出来る」という方法で行く先を決めた[51]。吉川が勝つとひたすら飲む、尾崎が勝つと女を口説くことが出来るクラブ、お酒が苦手な岡村が勝つとディスコ(岡村は、ディスコであの独特の踊りをずっと踊っていたそうである)に行った[50][51]。吉川と尾崎は飲むのが好きで酒も強く、尾崎が勝っても女の子のいる店にはいかず結局、男三人で飲む、泥酔していたという。「昔は3人で無茶なことばっかりやっていた」と述べている。よく行ったのは「レッドシューズ」や「トゥールーズバー」、六本木「AREA」、カラオケ「港町十三番地」など[33][51][53]。岡村は「当時の僕の目には、尾崎と吉川はキラキラ輝いて見えた」と話している[注 4]。19歳という未熟な時期から三人ともそれぞれの道を歩み始め、三人で集まって遊ぶことは段々少なくなっていった。最後に三人で遊んだのは25歳くらいのとき、芝浦のクラブ「GOLD」で、ちょうどマドンナが「GOLD」に遊びに来ていた日で、VIPルームで三人で飲んでいたら、マドンナが突然現れて吉川だけが呼ばれた。何だろうと騒然となったが、数分後、吉川が戻ってきて「便所はどこかって聞かれた」と言った[47][51]。吉川は「そこの角曲がったとこだ。一人で行け」とマドンナに言ったが「いいから連れて行け」と命令され、仕方なく便所までエスコートしたと話している[54]。それからしばらくして尾崎が亡くなり、三人で遊ぶことはもう出来なくなった。尾崎が亡くなったとき、吉川は友人代表としてお悔みを述べ、岡村が不祥事を起こした際は、「自分のケツは自分で拭かないとね。でもきっと、スリムになって戻ってくるんじゃないかな?」と気遣うコメントを述べている。尾崎の死後は「彼は反論できないのでフェアじゃない」と言い、彼について深く語る事は無い。
  • 尾崎と泥酔して明け方、ゴミ置き場のダンボールが夏の暑い日で冷たくて気持ちがよく、二人でゴミ置き場に寝込み、そのまま朝になった。そこは六本木交差点近くのバス停の前で、通学の女子高生がずらりと並んでいて、女子高生の一人に「もう起きられた方がいいですよ」と声をかけられた[47]
  • 晩年のアベフトシ川村カオリの活動を支援した[55]
  • 初期の頃の専属バックバンドは、PaPa。ただし、PaPaはTVや映画、ライブ等「見える場所」では共演していたが、レコーディングには参加していない。
  • 「音楽を真面目にやっているミュージシャンも、テレビに出ないとだめだ」と言い続けていた。これは渡辺プロに在籍している以上、テレビに出る仕事は避けられなかったが、テレビに出演していく内に、テレビの影響力を自ら肌で感じ、「上手い具合に出演すれば、ミュージシャン自身の向上にもつながる」と考えるようになったためである。そのため、吉川自身がテレビに出なくなると、ファンは「自分がテレビに出ないとダメだと言っておいて、なぜテレビに出ないのか?」と非難をするため、本人もテレビに出るようにしている。COMPLEXとしての時期はテレビ出演をほとんどしなかったため「(テレビ出演を好まなかった)布袋に遠慮している」と非難されたことがある。
  • 1986年1987年12月24日日本テレビで放送された伝説的音楽番組メリー・クリスマス・ショー(Merry X'mas Show)』の企画を言い出したのは吉川。「たくさんミュージシャンを集められるのは桑田さんしかいない」と呑みの席で桑田佳祐に「今の音楽シーンがつまらないのは、ある意味あなた方にも責任があるんじゃないの?」と暴言を吐き、「ガキのくせにこのボケ!」とケンカになったが、朝まで話し込んで「よっしゃ考えてみる」という桑田の話で始まったもの。当初は2人を中心に運営したが、吉川が働かないのでほぼ桑田がやったという。ただ、BOØWYや若いバンドに声をかけたのは、吉川である[56]
  • 最近では当たり前になった「CD + DVD」2枚組は、吉川の1997年作品「I WRITE THE SONGS」が業界で初めてといわれている。

NHK紅白歌合戦でのハプニング

  • 吉川自身、現在唯一の出場である1985年暮れの『第36回NHK紅白歌合戦』では、「にくまれそうなNEWフェイス」で白組のトップバッターで登場したが、その際に自ら様々なハプニングを起こし、物議を醸すきっかけとなる[21][38][49][57][58][59]。そのハプニングは下記の通りである。
    • 白組なのに真赤な衣装で、酒(シャンパン)を撒き散らしながら登場し、さらに観客に向けて吹き出す。
    • 当初予定になかった、ステージから客席に降りる行為を行った上に、撮影中のカメラに衝突する。
    • 本来の出演時間をオーバーし、ギターに火をつけ、ステージに叩きつけて破壊するというパフォーマンスを行った。但しギターを破壊するシーンは放映されることはなかった。
    • その後も吉川のパフォーマンスが続き、次の歌順の河合奈保子オーケストラをバックに、「デビュー」を歌う筈だった。ところが、「デビュー」のイントロが既に演奏されているにも関わらず、未だ吉川はバックバンドと共にステージ上に居残り続けていた。この要因により河合は、舞台に出ようとするタイミングがつかめずに、「デビュー」の出だしが歌えなくなり河合が怯える様子や、バックダンサー達も困惑の表情がテレビに放映。やむなく河合は演奏の途中から歌唱した(のち吉川サイドから河合へ直接謝罪している)[60]
    • 白組の次の歌順のシブがき隊は酒浸しになったステージ上で歌う羽目になり、『スシ食いねェ!』の歌唱中に布川敏和が、2回も足を滑らせて転倒した。ただしこの転倒については、吉川のせいではなく、布川自身が事前に予定していたパフォーマンスだったという。吉川からは何をやるかは聞かされていなかったが、布川はそれとは関係なしにステージから落ちる、というパフォーマンスを考えていた。しかし足元が滑りやすいというその時の状況から、2度転倒に変更したと布川は話している[49][57]
  • 吉川はこの件を振り返って、「当時は多くの賞が出来レースになっていて、プロダクションやレコード会社の政治力によって決まっていたり、事実を受け入れたくない、どうしたらいいんだろうといつも悶々としていた。紅白は抗議行動的な側面もあったが、あまりに稚拙だったと思う。極度の興奮状態にあったので曲を延ばしている意識も全く無かった。ギターもあそこまで燃やすつもりもなくて、ジミ・ヘンドリックスをマネして、軽く付けてみようと思ったら、照明が当たっていて火が見えなくて自分でも火傷して、訳が分からなくなってしまった。全部が見事なほど裏目に出てしまった」などと述べている[61]。また、それだけではなく「墓場まで持っていかなければいけない、言えないことがまだある」とも話している[47]
  • その後、NHK側に十数年間出入り禁止となり[32][61]、ラジオでもしばらく曲がかからなかったものの[61]、後年解除され『ポップジャム』に何度か出演、ドラマ『真夜中は別の顔』(2002年4月1日 - 5月23日OA、共演:瀬戸朝香小雪玉山鉄二他)では主演に抜擢され、2009年の大河ドラマ天地人』で織田信長役で出演した。1998年6月21日に、コンサートツアーの一環としてNHKホールで公演を行い、以後何度も公演を行っている。

俳優関係

  • 俳優としての活動は、デビュー作の『すかんぴんウォーク』(『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』と並映)および『ユー・ガッタ・チャンス』(少女隊主演のクララ白書と並映)『テイク・イット・イージー』の通称「大森三部作」が有名。音楽に専念するため役者は一時封印するが後年、再び映画に出演し始める。渡辺プロ時代の「シャタラー」以来十数年ぶりに三池崇史監督作品『漂流街』に出演。独特のオーラと存在感に高評価を得る。この作品において三池監督と意気投合。その後の三池作品、プロモーションビデオ、ライブ撮影と繋がっていく。三池監督は吉川について「存在感が凄すぎて気軽な役には使えない。特別な役にもってこいな人。吉川さんはスペシャルな血が流れてますね」と語っている。『天国から来た男たち』『レディ・ジョーカー』など、ほぼ年一本のペースで映画にコンスタントに出演している。
  • 2009年の大河ドラマ天地人』の織田信長役で新境地を開く[62]。女性視聴者からNHKに吉川に関する問い合わせが殺到したという[63]
  • 2008年4月(2013年9月も)『SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-ミュージカルに初挑戦し杉原千畝を演じた[64]。「吉川さんも体制に反発してきた人間ですよね」と口説かれ、断れなかったという[64]
  • 仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』に鳴海荘吉 / 仮面ライダースカル役で出演しているが、依頼が来た時はマネージャーに「怪人の役じゃないの?」と尋ねたという。吉川の起用は、「主人公がハードボイルドを目指しているキャラクターなので、その師を演じるのはハードボイルドを体現できる人でなければならない」という理由によるもの。なお、劇中で荘吉は左足を負傷するという展開だが、撮影当時の吉川は右足に怪我を抱えていたため、引きずる足を間違えることもあったという。またTVシリーズでは「鳴海荘吉」名義で挿入歌「Nobody's Perfect」の作曲と歌唱を担当し、そのPVで再び荘吉を演じている。2010年公開の『仮面ライダー×仮面ライダー オーズ&ダブル feat.スカル MOVIE大戦CORE』では、荘吉が主役並の扱いになっている。出演にあたって吉川は「荘吉の『お前の罪を数えろ』という決め台詞はどうして生まれたのか」「荘吉はなぜ娘に会うことを避けていたのか」の2点を明確にしてほしいとスタッフに伝えた。なお時系列的には『MOVIE大戦2010』より前の出来事であるため、構え方や声の高さを意識的に変えて若く見せようとしたが、そのせいで声が裏返ってNGを出したこともあるという。

体育会系

  • 大柄な体格と男気溢れる逸話、また付き合いの広さなどから、しばしば“体育会系”といわれた[65]
  • 水球で鍛えた逆三角形の体型が男子トイレのマークに似ていたため、学生時代のあだ名は、「便所マーク」、短縮して「便所」だった[66]。人が大勢いるところで、友人から「便所ー!」と大声で呼ばれ、恥ずかしい思いをしたとデビュー当時の歌番組で話したことがある。
  • 広島で活躍するローカルタレント西田篤史は、来広ミュージシャンと多くの交遊を持ったことでも知られるが、駆け出しの頃、やはりプロデビュー前、広島時代の吉川に密着取材した。「はまちバンド」解散ライブ終了後、ナベプロマネージャーに「お前は甘い!」と殴られる吉川を横で見ていて、「な..何てことするんだ..」と思ったというが、吉川は「水球部だったんで別に普通。何とも思わない」と話した[67]
  • ナベプロが制作していた関係で『新春かくし芸大会』にも出演した[68]。演目は、1985年は日本刀を使った竹割りや、殺陣リハーサルの際、上手くを割ることが出来ず、日本刀が曲がってしまい、何本も壊した。1986年はバイクスタント。猛スピードのバイクに乗りジャンプ台まで疾走し、バイクとともにジャンプした後にダンボールの山に突っ込むという、体を張った芸を披露した。
  • 酔っ払って六本木のビルの4階から飛び降りた[47]。またジャッキー・チェンのように4階までビルとビルの間をつたって登ったこともある。飲んで自宅マンションの部屋の鍵を無くしたときは、マンションへといをつたってよじ登りベランダから部屋に入った。この経験は3回あり、うち1回は7階だった。ベランダの窓が鍵が掛かっていたときは、窓を叩き割って部屋に入った。近隣に警察に通報され警官に自宅だと説明した[47]
  • 映画で共演した渡哲也から「君はケンカが強そうだね」と言われた[47]内田裕也が「吉川のヤローが挨拶に来やがらねェ」と吉川の楽屋に乗り込もうとしたら、ビートたけしが「アイツは強いから止めといたら」と内田を止めた[69]前田日明高田延彦といったプロの格闘家と喧嘩をしたことがある[31] などの話から、ゴシップ誌などで吉田豪らが、吉川を“芸能界ケンカ最強”と推した[31]。「水中ならジャイアント馬場にも勝てる」と言ったという伝説については、前田日明から「亡くなった人を例えに出すのよくないよ」と言われたので「水中なら前田日明にも勝てる」に変更した[47]。吉川は「ヒムロック(氷室京介)が最強でしょう。彼はそういう世界に途中までいたんだから」と話した[47]。また「いくら芸能界で強いと言ったって、プロの格闘家の方が強いに決まってるでしょう」と話した[47]
  • デビュー25周年の2009年に「何かやりたいことはありますか」と申し出を受け、「一番の強敵と戦いたい。己の最大の敵は己だろう。自分と対峙するのに必要なのは自然だろう。過酷な状況の中で、一体、自分がどうなるのか見極めたい」と伝え、無人島サバイバル企画が敢行された[70]。スタッフ会議で人間が住めないような過酷な島が選ばれた[70]。この模様は『中居正広の金曜日のスマたちへ』〈フィリピン沖の無人島10泊ロケ、サバイバル〉として、2009年10月2日と12月4日に放送された[71]。その島は湿度70 - 80%、昼は40数度、夜は強い風が吹き抜け毎日スコールがあり、凄く寒い台風が多発する海域。地上には食べる物はほとんどない。凶暴な動物、生物がウヨウヨで、人間が住めない条件が揃っていた。やらせでないことをしきりに証明するために、寝る時に撮影班を撤収させるなどして、厳しい一面を見せた。ボーイスカウトだった経験を活かし、火をおこすことには何とか成功したが、食料確保には苦戦し10日間まともな物は食べることは出来なかった。襲われるんじゃないかという恐怖心で最初の4日間は徹夜。水も確保できず、2日目に熱中症になってしまい、指が動かなくなって危険な状態になり、命に関わると判断され、放送はされなかったが、船から看護師が来て、スポーツドリンクと塩飴を置いていったという[70]
  • 2010年7月11日放送「TheサンデーNEXT」のインタビューでは公園うんていなどを利用し筋トレしている事、ヒヤシンスのように東京では出稼ぎ感覚であると語った。
  • 2009年の無人島サバイバルが話題を呼んだため、その続編が2011年4月15日『中居正広の金曜日のスマたちへ』で放送、アフリカの地でサバイバルを敢行した[72]ケニアマサイマラ国立保護区ツリー生活に挑んだ。現地に住むマサイ族から「野宿なんて気が狂ってる」と言われるような環境で野宿を行った[71]。その辺は肉食獣よりアジア系の密猟者が多く「密猟者に間違われて撃ち殺されるぞ」と脅された。また群れをなすヌーが吉川を見て始めは逃げ出すが、うちの2〜3匹は急に方向転換をして吉川に走りかかるハプニングが発生した。サバンナで人を殺すのはパニックに陥った草食動物が多いという[71][72]

その他

  • 「駆け出しのころは歌手一本では食っていけなかったので、副業もこなせたらいいなと思って俳優業をしていた」とTV番組で後年回想している。
  • 上條淳士の漫画作品『TO-Y』(1985年 - 1987年)の主人公のライバル・哀川陽司のモデルであり[73]、作者との対談(サンデーコミックス一巻収録)もしたことがあるが、その時まで自分では気づいていなかった。
  • 読書家[32]三国志をはじめとする中国史マニアである(日本史の知識も少しある)[9]。別冊文藝春秋2005年1月号では中国歴史小説家の宮城谷昌光と対談しており、中国史について並々ならぬ知識の片鱗をのぞかせている。また、北方謙三とも交流があり[32][71]、北方氏は対談した際の感想で「深く掘り下げた質問をしてくるし、細かい所まで良く知っているし、こいつは何で中国史をこんなに勉強しているんだ? 音楽やっているんじゃないのか?」と述べている。近年では古代中国関係の美術展にコメンテーターとして参加したりする[74]。吉川自身CD BOOK『エンジェルチャイムが鳴る前に』のなかで小説を執筆している。
  • 所有車は、フェラーリ・512TRアストンマーティンV8である。スープラコルベットと乗り継いで現在に至る。
  • ウーパールーパーを飼っている。繁殖も経験しているという。
  • 2010年8月28日放送の『スマステーション』で「大阪たこ焼きってキャベツないっておかしくないですか」「これを大阪人に言うと、馬鹿にされるんですよ」と発言。これには広島出身の大下容子テレビ朝日アナウンサーも同意した。2014年6月25日のニコニコ生放送「検証!吉川晃司、30の伝説!!」では、若い頃『Mステ』で、広島のお好み焼きマヨネーズを入れると言った猿岩石を「広島のお好み焼きにマヨネーズは入れないだろ」と説教した[47]。現在も「広島のお好み焼きにはマヨネーズを入れてはダメ」が持論である[47]
  • 2011年、「東日本大震災」発生直後の3月19日から5月2日まで3回にわたって、 宮城県石巻市ボランティア活動をした[73]
  • 同年7月には、東京ドームで布袋寅泰とのユニット「COMPLEX」の復活ライブを開催し、 収益金の約6億5430万円を被災地に寄付をしている。
  • 2012年4月17日、都内のサウナで偶然居合わせたTOKIO松岡昌宏脱水症状で倒れ、吉川が介抱した[66]
  • 2013年朝のNHK連ドラあまちゃん』で、勝地涼が演じた“前髪クネ男”のキャラは吉川を参考にしたという[75]
  • 2014年6月25日、デビュー30周年を記念したシングル・コレクション『SINGLES+』のリリースに合わせて、30時間に及ぶ特番が「ニコニコ生放送」でオンエアされ、本人が生出演。「検証!吉川晃司、30の伝説!!」というコーナーで、自身にまつわる伝説の真相を語った。上記エピソードは概ね事実であることが判明したが、「酒に酔っ払って西麻布の街を電話ボックスを担いで歩いたコトがある」という都市伝説については事実でないことが判明した。(なお、このエピソードについてはダウンタウン松本人志が「携帯電話ですね」とコメントしたことがある。)
  • 戦国大名毛利元就の次男、吉川元春の子孫と紹介される場合があるが、史実では、吉川元春の血縁的系譜は吉川経永で絶えておりまちがいである。
  • 地元が広島出身ということもあり、広島東洋カープのファンである。
  • 2013年8月6日、広島球場で始球式を行い、111km/hの速球を投げ込み球場を沸かせた。また、被爆二世であることもあり、5回裏終了時に、「イマジン」の和訳バージョンを独唱し、核兵器廃絶を訴えた。
  • 2016年10月22日、MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島にて行われた『SMBC日本シリーズ2016』広島東洋カープ対北海道日本ハムファイターズ 第1回戦にて国歌独唱を務めた。

受賞歴

ディスコグラフィー

COMPLEXでの作品に関してはCOMPLEXの項を参照。

シングル

  発売日 タイトル レーベル 規格 規格品番 順位[77] 収録アルバム
1st 1984年2月1日 (1984-02-01) モニカ SMSレコード 7インチ SM07-240 4位 パラシュートが落ちた夏
2nd 1984年6月1日 (1984-06-01) サヨナラは八月のララバイ SM07-243 6位 LA VIE EN ROSE
3rd 1984年9月10日 (1984-09-10) ラ・ヴィアンローズ SM07-246 4位
4th 1985年1月11日 (1985-01-11) You Gotta Chance 〜ダンスで夏を抱きしめて〜 SM07-248 1位 オリジナル・アルバム未収録
5th 1985年4月23日 (1985-04-23) にくまれそうなNEWフェイス SM07-250 1位
6th 1985年9月25日 (1985-09-25) RAIN-DANCEがきこえる SM07-256 2位
7th 1986年1月1日 (1986-01-01) キャンドルの瞳 SM07-247 2位 MODERN TIME
8th 1986年3月21日 (1986-03-21) MODERN TIME SM07-260 10位
9th 1986年9月30日 (1986-09-30) すべてはこの夜に SM07-265 4位 オリジナル・アルバム未収録
10th 1987年3月5日 (1987-03-05) MARILYNE SM10-270 4位 A-LA-BA・LA-M-BA
11th 1987年6月5日 (1987-06-05) 終わらないSun Set SM10-274 12位
- 1987年11月21日 (1987-11-21) HOT LIPSプロモーション盤のみ[注 5] - - GLAMOROUS JUMP
12th 1988年2月3日 (1988-02-03) プリティ・デイト SM07-280 5位 オリジナル・アルバム未収録
13th 1991年4月12日 (1991-04-12) Virgin Moon 東芝EMI/イーストワールド 8センチCD
CT
TODT-2642
TOST-2642
5位 LUNATIC LION
14th 1992年2月6日 (1992-02-06) せつなさを殺せない 8センチCD TODT-2798 6位 オリジナル・アルバム未収録
15th 1992年8月5日 (1992-08-05) ジェラシーを微笑みにかえて TODT-2873 5位 Shyness Overdrive
16th 1992年10月14日 (1992-10-14) Brain SUGAR-Mad Blade Mix- TODT-2937 10位
17th 1993年2月24日 (1993-02-24) KISSに撃たれて眠りたい TODT-2978 8位 Cloudy Heart
18th 1993年12月13日 (1993-12-13) VENUS 〜迷い子の未来〜 TODT-3140 3位
19th 1994年2月21日 (1994-02-21) Rambling Rose TODT-3210 6位
- 1994年 (1994) Day by Dayプロモーション盤のみ[注 6] - - -
20th 1995年4月24日 (1995-04-24) BOY'S LIFE 8センチCD TODT-3427 4位 FOREVER ROAD
21st 1996年7月1日 (1996-07-01) アクセル TODT-3711 12位 BEAT∞SPEED
22nd 1996年9月30日 (1996-09-30) SPEED TODT-3820 10位
23rd 1996年11月13日 (1996-11-13) SHADOW BEAT TODT-3886 34位
24th 1997年8月21日 (1997-08-21) エロス ポリドール PODH-1375 14位 HEROIC Randezvous
25th 1997年12月3日 (1997-12-03) RUNAWAY PODH-1385 19位
26th 1998年4月8日 (1998-04-08) KEY 〜胸のドアを暴け〜 PODH-1400 18位
27th 1999年2月24日 (1999-02-24) Glow In The Dark 12センチCD POCH-1760 42位 HOT ROD
28st 1999年7月7日 (1999-07-07) ギラギラ 8センチCD PODH-1482 18位
29th 2000年9月27日 (2000-09-27) ナイフ キティMME 12センチCD UMCM-5001 27位 オリジナル・アルバム未収録
30th 2002年6月26日 (2002-06-26) パンドーラ 徳間ジャパン/ジャパンレコーズ TKCA-72376 29位 PANDORA
31st 2003年7月9日 (2003-07-09) 恋のジェリーフィッシュ TKCA-72552 20位 Jellyfish & Chips
32nd 2005年2月1日 (2005-02-01) 狂った太陽 TKCA-72780 26位 オリジナル・アルバム未収録
33rd 2006年7月12日 (2006-07-12) サバンナの夜 TKCA-73068 29位 TARZAN
34th 2006年8月9日 (2006-08-09) ONE WORLD TKCA-73102 22位
35th 2007年2月13日 (2007-02-13) ベイビー・ジェーン TKCA-73172 33位
36th 2008年4月16日 (2008-04-16) 光と影 TKCA-73314 27位 オリジナル・アルバム未収録
37th 2009年5月20日 (2009-05-20) 傷だらけのダイヤモンド Far Eastern Tribe Records CD+DVD(初回限定版)
CD(通常版)
UMCF-9512
UMCF-5038
14位 Double-edged sword
38th 2013年2月13日 (2013-02-13) SAMURAI ROCK ワーナーミュージック・ジャパン WPZL-30500〜1
WPCL-11281
12位 SAMURAI ROCK
39th 2014年9月3日 (2014-09-03) Dream On 12センチCD WPCL-11994 16位 WILD LIPS

リミックス・シングル

  発売日 タイトル レーベル 規格 規格品番 順位[77] 収録アルバム
1st 1984年12月5日 (1984-12-05) MAIN DISH -PARTY VERSION-
(No No サーキュレーション)
SMSレコード 12インチ SM15-5412 4位 SATISFACTION FAKE
2nd 1985年11月5日 (1985-11-05) Can't you hear the RAIN DANCE SM12-5420 5位
3rd 1986年6月21日 (1986-06-21) NERVOUS VENUS SM12-5427 12位

コラボレーション・シングル

  発売日 歌手名 タイトル レーベル 規格 規格品番 順位 収録アルバム
1st 2006年9月25日 (2006-09-25) DISCO K2 TWINS Juicy Jungle 東芝EMI/イーストワールド 12センチCD TOCT-40057 48位 TARZAN
2nd 2010年6月30日 (2010-06-30) 鳴海荘吉 Nobody's Perfect エイベックス・エンタテインメント CD+DVD
CD
AVCA-29789/B
AVCA-29790
8位 SAMURAI ROCK
3rd 2010年12月15日 (2010-12-15) DaiKichi 〜大吉〜 HEART∞BREAKER avex mode CD+DVD
CD
AVCA-29882/B
AVCA-29883
9位 SAMURAI ROCK

インターネット配信

  • NOW(2008年4月16日)
    • 作詞・作曲:中島みゆき
    ミュージカル「SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-」主題歌。
  • 光と影 〜SEMPO LIVE ver.〜(2008年4月30日)
    • 作詞:松井五郎/作曲:吉川晃司
    ミュージカル「SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-」劇中歌。
  • あの夏を忘れない(2011年8月3日)
    • 作詞:吉川晃司・松井五郎・府中小の子どもたち/作曲:吉川晃司
    広島県民会議主催の子供達の夢を叶える「夢配達人プロジェクト」にて選ばれた広島県府中小学校の生徒の夢「被爆者に、原爆の様子を聞いて、それを元に、作曲家と一緒に歌を作って、歌いたい」を実現するため、同校OBの吉川晃司に作曲の依頼があった事から作成された曲。2010年、日本テレビの『24時間テレビ』で子供たちによって歌唱披露された。また、2011年にはフジテレビの『2011 FNS歌謡祭』で吉川晃司×AKB48コラボレーションによって歌唱披露されている。リリースされた曲は中学生となった発案者達と府中小学校在校生の子供達約40人の合唱と、吉川晃司ボーカルによりレコーディングされたもの。
  • SAMURAI ROCK 〜義風堂々!! ver.(アニメサイズ)(2013年7月31日)
  • SAMURAI ROCK 〜義風堂々!! ver.(2013年12月4日)
    • 作詞:吉川晃司・Jam/作曲:吉川晃司/編曲:菅原弘明
    テレビアニメ『義風堂々!! 兼続と慶次』(テレビ東京系列)1st主題歌
  • The Sliders(アニメサイズ)(2013年10月30日)
  • The Sliders(2013年12月4日)
    • 作詞:吉川晃司・jam/作曲:吉川晃司/編曲:菅原弘明
    テレビアニメ『義風堂々!! 兼続と慶次』(テレビ東京系列)2nd主題歌
  • せつなさを殺せない2014(2014年6月11日)
    • 作詞:吉川晃司/作曲:吉川晃司
    SINGLES+』からの先行配信

アルバム

オリジナル・アルバム

  発売日 タイトル レーベル 規格 規格品番 順位
1st 1984年3月1日 (1984-03-01) パラシュートが落ちた夏 SMSレコード LP
CT
SM28-5407
CM28-5407
4位
2nd 1984年10月5日 (1984-10-05) LA VIE EN ROSE SM28-5410
CM28-5410
1位
3rd 1985年3月30日 (1985-03-30) INNOCENT SKY SM28-5414
CM28-5414
1位
4th 1986年2月21日 (1986-02-21) MODERN TIME LP
CD
CT
SM28-5424
MD32-5022
CM28-5424
1位
5th 1987年3月5日 (1987-03-05) A-LA-BA・LA-M-BA SM28-5430
MD32-5106
CM28-5430
2位
6th 1987年11月21日 (1987-11-21) GLAMOROUS JUMP SM28-5438
MD32-5438
CM28-5438
5位
7th 1991年5月17日 (1991-05-17) LUNATIC LION 東芝EMI/イーストワールド CD
CT
TOCT-6100
TOTT-6100
2位
8th 1992年9月9日 (1992-09-09) Shyness Overdrive CD TOCT-6671 1位
9th 1994年1月31日 (1994-01-31) Cloudy Heart TOCT-8300 1位
10th 1995年6月21日 (1995-06-21) FOREVER ROAD TOCT-8965 5位
11th 1996年10月16日 (1996-10-16) BEAT∞SPEED TOCT-9625 3位
12th 1998年5月27日 (1998-05-27) HEROIC Rendezvous ポリドール POCH-1693 10位
13th 1999年8月25日 (1999-08-25) HOT ROD POCH-1817 20位
14th 2002年8月7日 (2002-08-07) PANDORA 徳間ジャパン/ジャパンレコーズ CD+DVD(初回限定版)
CD(通常版)
TKCA-72388
TKCA-72399
32位
15th 2003年8月21日 (2003-08-21) Jellyfish & Chips TKCA-72570
TKCA-72575
16位
16th 2007年4月11日 (2007-04-11) TARZAN TKCA-73160
TKCA-73165
12位
17th 2009年7月22日 (2009-07-22) Double-edged sword Far Eastern Tribe Records UMCF-9515〜7
UMCF-1023
10位
18th 2013年4月17日 (2013-04-17) SAMURAI ROCK ワーナーミュージック・ジャパン WPZL-30609〜10
WPCL-11389
6位
19th 2016年5月18日 (2016-05-18) WILD LIPS WPZL-31181/2
WPCL-12359
5位

ミニアルバム

  発売日 タイトル レーベル 規格 規格品番 順位 備考
1st 1997年12月10日 (1997-12-10) I WRITE THE SONGS ポリドール CD+DVD POCH-9011 17位
2nd 2002年12月21日 (2002-12-21) The Gundogs 徳間ジャパン/ジャパンレコーズ CD TKCA-72512 80位
3rd 2003年12月21日 (2003-12-21) KATANA FISH CD+DVD TKCA-72626 72位

ライブ・アルバム

  発売日 タイトル レーベル 規格 規格品番 順位 備考
1st 1988年6月25日 (1988-06-25) ZERO 東芝EMI/イーストワールド LP(2枚組)
CD
CT
RT18-5250〜1
CT36-5250
ZT36-5250
-
2nd 1993年4月7日 (1993-04-07) GOLDEN YEARS VOL.I CD TOCT-7007 2位
3rd 1993年4月7日 (1993-04-07) GOLDEN YEARS VOL.II TOCT-7008 3位
4th 1996年3月20日 (1996-03-20) GOLDEN YEARS VOL.III TOCT-9374 12位
5th 1999年2月24日 (1999-02-24) GOLDEN YEARS VOL.IV ポリドール POCH-1768 34位
6th 2000年12月20日 (2000-12-20) Spirit×ナイフ 〜GOLDEN YEARS MILLENNIUM EDITION〜 キティMME CD+DVD(初回限定版)
CD(通常版)
UMCK-9501
UMCK-4013
36位
7th 2004年9月8日 (2004-09-08) LIVE GOLDEN YEARS 20th 徳間ジャパン/ジャパンレコーズ CD TKCA-72710 13位 Thank You』初回限定盤に付属
8th 2009年7月22日 (2009-07-22) 25th Year's Eve Live Far Eastern Tribe Records UMCF-9516 10位 Double-edged sword』初回限定盤に付属

コンピレーション・アルバム

  発売日 タイトル レーベル 規格 規格品番 順位 備考
1st 1986年6月21日 (1986-06-21) SATISFACTION FAKE SMSレコード CD
CT
MD32-5031
CM28-5144
- リミックス曲集
2nd 1988年4月21日 (1988-04-21) beat goes on LP
CD
CT
SM28-5439
MD35-5439
CM32-5439
3位 SMSレコード時代のシングル集
3rd 1988年12月28日 (1988-12-28) FAVORITE SOUNDS ...1988 東芝EMI/イーストワールド CD
CT
CT32-5365
ZT28-5365
53位 SMSレコード時代の吉川晃司作成曲のベストアルバム
4th 1992年3月11日 (1992-03-11) TOO MUCH LOVE CD TOCT-6445 1位 ラブソング集
5th 1997年10月1日 (1997-10-01) DON'T STOP ME NOW TOCT-9956 6位 東芝EMI時代のベストアルバム
6th 1998年3月25日 (1998-03-25) PASSAGE:K2 SINGLE COLLECTION 1984-1996 ポリドール POCH-1684 14位 SMSレコード・東芝EMI時代のシングル・ベストアルバム
7th 2005年2月23日 (2005-02-23) BEST BEST BEST 1984-1988 ユニバーサルミュージック UMCK-4056 20位 SMSレコード時代のベストアルバム
8th 2005年2月23日 (2005-02-23) BEST BEST BEST 1989-1995 東芝EMI/イーストワールド TOCT-25589 21位 東芝EMI時代のベストアルバム
9th 2005年2月23日 (2005-02-23) BEST BEST BEST 1996-2005 徳間ジャパン/ジャパンレコーズ TKCA-72850 25位 東芝EMI・ポリドール・キティMME・徳間ジャパン時代のベストアルバム
10th 2007年1月31日 (2007-01-31) Disco K2 〜Kikkawa Koji Dance Remix Best〜 東芝EMI/イーストワールド CD(初回限定版2枚組)
CD(通常版1枚組)
TOCT-26206〜7
TOCT-26208
24位 リミックス曲集。初回限定版は『SATISFACTION FAKE +』収録
11th 2011年4月13日 (2011-04-13)
KEEP ON KICKIN'!!!!!
Far Eastern Tribe Records CD+DVD(初回限定版)
CD(通常版)
UMCF-9572
UMCF-1055
19位 ファンによる選曲のベストアルバム
12th 2011年4月13日 (2011-04-13)
KEEP ON SINGIN'!!!!!〜日本一心〜
2CD+DVD(期間限定完全版)
CD+DVD(初回限定版)
CD(通常版)
UMCF-9596〜8
UMCF-1064〜5
UMCF-9599
13位
13th 2014年6月25日 (2014-06-25)
SINGLES+
ワーナーミュージック・ジャパン 3CD WPCL-11856〜8 12位 30周年記念のコンプリート・シングル・コレクション
14th 2014年8月16日 (2014-08-16)
B-SIDE+
CD WQCQ-586 - アルバム未収録のシングル・カップリング曲のベストアルバム
ライブ会場・ファンクラブ通販限定

カバー・アルバム

  発売日 タイトル レーベル 規格 規格品番 順位 備考
1st 2004年9月8日 (2004-09-08) 20th Anniversary SELF COVER BESTALBUM 「Thank You」 徳間ジャパン CD(初回版3枚組)
CD(通常版2枚組)
TKCA72710
TKCA72715
13位 セルフカバー集

サウンドトラック

  発売日 タイトル レーベル 規格 規格品番 順位 備考
1st 1985年2月9日 (1985-02-09) The Soundtrack SMSレコード LP
CT
SM25-5413
CM25-5413
-
2nd 1986年4月12日 (1986-04-12) BOY'S NIGHT OUT -Soundtracks From TAKE IT EASY- LP
CD
CT
SM25-5425
MD32-5025
CM25-5425
-
3rd 1987年6月5日 (1987-06-05) THE SHATTERER SM25-5432
MD30-5109
CM25-5432
-

その他アルバム

  • CDブック「ウインター・グリーティング」(2002年)
  • CD BOOK 「エンジェルチャイムが鳴る夜に」(2005年)
    書籍として発売。タイトル名の小説と同名称の曲を含む自作2曲と映画『大停電の夜に』テーマ曲のカバーを収録。

映像作品

  発売日 タイトル レーベル 規格 規格品番 備考
1st 1984年8月1日 (1984-08-01) KIKKAWA KOJI '84 FLYING PARACHUTE TOUR SMSレコード VHS
β
LD
H098-1001
B098-1001
MP-173-15WA
ライブ・ビデオ
2nd 1985年3月21日 (1985-03-21) '85吉川晃司 LIVE for Rockfeeling Kids in BUDOKAN H098-1003
B098-1003
3rd 1985年12月16日 (1985-12-16) '85 JAPAN TOUR FINAL IN 東京昭和記念公園 H078-1007
B078-1007
SM058-3024
4th 1987年3月5日 (1987-03-05) DRASTIC MODERN TIME Tour Tokyo 8Days live H088-1008
B088-1008
D068-1008
5th 1988年9月10日 (1988-09-10) ZERO -KIKKAWA KOJI HI-VISION LIVE WORLD '88 東芝EMI VHS
LD
TT60-1290HI
LO60-1137
6th 1991年6月21日 (1991-06-21) VOICE OF MOON TOVF-1121
TOLF-1121
ミュージック・ビデオ
7th 1991年10月25日 (1991-10-25) Lunatic LUNACY TOVF-1125
TOLF-1125
ライブ・ビデオ
8th 1992年12月9日 (1992-12-09) ACTIVE OVERDRIVE TOVF-1159
TOLF-1159
ミュージック・ビデオ
9th 1993年4月21日 (1993-04-21) SHYNESS OVERDRIVE 1992 TOVF-1162
TOLF-1162
ライブ・ビデオ
10th 1994年3月9日 (1994-03-09) Cloudy Heart's TOVF-1190
TOLF-1190
ミュージック・ビデオ
11th 1994年9月26日 (1994-09-26) CONCERT TOUR 1994 My Dear Cloudy Heart TOVF-1208
TOLF-1208
ライブ・ビデオ
12th 1998年6月10日 (1998-06-10) LIVE GOLDEN YEARS EXPANDED 0015 GIGANTIC 2DAYS LIVE Vol.1 ポリドール POVH-1064
POLH-1064
13th 1998年6月10日 (1998-06-10) LIVE GOLDEN YEARS EXPANDED 0015 GIGANTIC 2DAYS LIVE Vol.2 POVH-1065
POLH-1065
14th 2000年4月26日 (2000-04-26) HOT ROD MAN LIVE キティMME VHS PHVL-7002
15th 2000年4月26日 (2000-04-26) HOT ROD MAN DOCUMENT PHVL-7003 ドキュメンタリー
16th 2001年 (2001) SOLID SOUL 2001 - ファンクラブ限定販売
17th 2003年1月22日 (2003-01-22) SMASH THE PANDORA FINAL! TOKYO CIRCUS 徳間ジャパン VHS
DVD
AXLV-0005
TKBA-1033
ライブ・ビデオ
18th 2003年4月2日 (2003-04-02) The Gundogs Perfect DVD Plus! DVD TKBU-1036 ミュージック・ビデオ
19th 2003年12月21日 (2003-12-21) LIVE JELLYFISH TKBA-1040 ライブ・ビデオ
20th 2004年7月22日 (2004-07-22) LIVE GOLDEN YEARS 20th Anniversary PRELUDE at BUDOKAN 2DVD+CD(初回限定版)
2DVD(通常版)
TKBA-1055
TKBA-1060
21st 2005年7月27日 (2005-07-27) LIVE GOLDEN YEARS Thanks0201 at BUDOKAN 2DVD+CD-ROM(初回限定版)
2DVD(通常版)
TKBA-1075
TKBA-1071
22nd 2006年3月22日 (2006-03-22) THE FIRST SESSION KIKKAWA KOJI LIVE 2005 “エンジェルチャイムが鳴る夜に” DVD TKBA-1089
23rd 2007年1月17日 (2007-01-17) KIKKAWA KOJI LIVE 2006 ROLL OVER the DISCOTHEQUE! From Club Jungle DVD(初回限定版)
DVD(通常版)
TKBA-1100
TKBA-1105
24th 2008年2月13日 (2008-02-13) THE STORY OF TARZAN 〜2007 TOUR FINAL & DOUBLE TV DOCUMENTS〜 DVD(3枚組) TKBA-1113
25th 2008年3月21日 (2008-03-21) THE SECOND SESSION KIKKAWA KOJI LIVE 2007 CLUB JUNGLE EXTRA TARZAN RETURN DVD(初回限定版)
(通常版)
TKBA-1115
TKBA-1123
26th 2009年2月25日 (2009-02-25) LIVE archives 25 DVD TKBA-1124
27th 2010年6月30日 (2010-06-30) 25th ANNIVERSARYLIVE GOLDEN YEARS TOUR FINAL at 日本武道館 Far Eastern Tribe Records DVD+USBメモリ(初回限定版)
DVD(通常版)
UMBF-9530
UMBF-1011〜2
28th 2012年9月21日 (2012-09-21)
KIKKAWA KOJI LIVE 2011 KEEP ON KICKIN' & SINGIN'!!!!! 〜日本一心〜
2DVD+CD(初回限定版)
2DVD(通常版)
UMBF-9540
UMBF-1022〜3
29th 2013年12月4日 (2013-12-04)
KIKKAWA KOUJI 2013 SAMURAI ROCK -BEGINNING- at 日本武道館
ワーナーミュージック・ジャパン Blu-ray+CD(初回限定版)
2DVD+CD(初回限定版)
Blu-ray(通常版)
DVD(通常版)
WPZL-90040/1
WPZL-90037/9
WPXL-90027
WPBL-90253/4
30th 2014年12月10日 (2014-12-10)
KIKKAWA KOUJI 30th Anniversary Live ”SINGLES+” & Birthday Night ”B-SIDE+” 【3DAYS武道館】
Blu-ray
DVD
WPXL-90094/6
WPLP-90317/9
31st 2015年8月19日 (2015-08-19)
KIKKAWA KOUJI 30th Anniversary Live ”SINGLES+ RETURNS”
Blu-ray
DVD
WPXL-90110
WPLP-90350

ボックス・セット

  発売日 タイトル レーベル 規格 規格品番 備考
1st 2006年12月13日 (2006-12-13) THE EMI BOX 東芝EMI/イーストワールド CD+DVD TOCT-26125〜9 東芝EMI時代のオリジナル・アルバム(CD5枚組、デジタルリマスター盤)+ミュージック・ビデオ集
2nd 2009年12月23日 (2009-12-23) KIKKAWA KOJI 25th ANNIVERSARY LIVE FILM COLLECTION 『LIVE=LIFE』 徳間ジャパン DVD UMBF-9501〜14 ライブ・ビデオ集。DVD14枚組。ただしファンクラブ限定仕様はDVD17枚組。
3rd 2014年5月28日 (2014-05-28) Complete Album Box ワーナーミュージック・ジャパン SHM-CD/CD WPCL-11901〜25 SAMURAI ROCKまでのオリジナル・アルバム(SHM-CD 全18枚)をデジタルリマスタリング・紙ジャケット仕様で収録。ミニ・アルバム・企画盤(CD 全4枚)と12inchシングル(CD 全3枚)をボーナス・ディスクとして収録。ライブ・ヒストリー・ブック付き。

ミュージック・ビデオ

タイトル 監督 備考
1984年 (1984) ラ・ヴィアンローズ
1985年 (1985) RAIN-DANCEがきこえる
1987年 (1987) MARILYNE 共演:石原真理子
終わらないSun Set
HOT LIPS
1988年 (1988) プリティ・デイト
1991年 (1991) VOICE OF MOON 漆畑銑治
Barbarian (LUNA MARIA)
不埒(ふらち)な天国(ヘブン)
Jealousy Game
Virgin Moon〜月光浴
1992年 (1992) せつなさを殺せない
ジェラシーを微笑みにかえて
Brain SUGAR
1993年 (1993) KISSに撃たれて眠りたい
VENUS 〜迷い子の未来〜
ROMANCER
1994年 (1994) Rambling Rose
Day By Day
1996年 (1996) アクセル
SPEED
1997年 (1997) エロス
1999年 (1999) ギラギラ
2000年 (2000) ナイフ
2002年 (2002) パンドーラ 三池崇史 共演:福本清三本山力
The Gundogs 共演:山口祥行与座重理久本山力
2003年 (2003) 恋のジェリーフィッシュ
KATANA FISH 小松壮一郎
2006年 (2006) サバンナの夜 川村ケンスケ 共演:高瀬媛子、TAMAYO
2007年 (2007) ベイビージェーン
ジャスミン
2009年 (2009) 傷だらけのダイヤモンド 小松壮一郎
2011年 (2011) あの夏を忘れない 共演:奏音
2013年 (2013) SAMURAI ROCK 大友啓史 共演:平山祐介深水元基

参加作品

歌手名 タイトル 収録作品 レーベル 備考
1985年 (1985) 山下久美子 Living Together アルバム『BLONDE』 日本コロムビア コーラス
1986年 (1986) BOØWY 1994-LABEL OF COMPLEX- アルバム『JUST A HERO 東芝EMI/イーストワールド ボーカル(ツインボーカル)
1998年 (1998) 松井常松 TONIGHT アルバム『Bye Bye EXTREMER 東芝EMI ギター
2003年 (2003) 村上秀一 飾りじゃないのよ涙は アルバム『MY PLEASURE 〜FEATURING GREATEST MUSICIANS〜』 ビクターエンタテインメント ボーカル、ギター
2005年 (2005) 山下久美子 Someday アルバム『Duets』 EMIミュージック・ジャパン ボーカル(デュエット)
2006年 (2006) DISCO TWINS Juicy Jungle feat. 吉川晃司 アルバム『TWINS DISCO』 キューンレコード ボーカル
Thunder Storm feat. 吉川晃司
2009年 (2009) 川村カオリ LOVE REAL ACTION アルバム『K MILESTONE CROWDS ボーカル(デュエット)、ギター、コーラス、プログラミング
松井常松 GOOD FEELING アルバム『HORIZON 〜20TH ANNIVERSARY〜 ハドソン・ミュージックエンタテインメント コーラス

楽曲提供

  • 原田知世「葡萄畑の走り方」(1986年)作曲
  • 原田知世「セレブレーション」(1986年)作曲
  • PARTY HULA「PURE BABY」(1987年)作曲 - 「BIG BAD BABY BASTARD」のカバー。花王ピュアCM曲。
  • 金山一彦「Summer Timeを引きずって」(1987年)作曲
  • 小泉今日子Hippies」(1987年)作曲
  • 小川美由希「Stand Up」(1987年)作曲
  • 小川美由希「Shining days」(1988年)作曲
  • KEN-JIN BAND「Hungry Man」(2001年)作曲 - 後に「Fame & Money」としてセルフカバー
  • DISCO TWINS「Juicy Jungle feat. 吉川晃司」(2006年)作詞・作曲・編曲(作詞はJam、作曲・編曲はDISCO TWINSと共作)
  • 川村カオリLOVE REAL ACTION」(2009年)作曲 - デュエットでボーカルとしても参加

タイアップ

楽曲 タイアップ内容
1984年 モニカ 映画『すかんぴんウォーク』(東宝主題歌
Miss You グリコ「カリフォルニアバー」コマーシャルソング
1985年 You Gotta Chance 〜ダンスで夏を抱きしめて〜 映画『ユー・ガッタ・チャンス』(東宝)主題歌
Rainy Lane 映画『ユー・ガッタ・チャンス』(東宝)挿入歌
にくまれそうなNEWフェイス カネボウ化粧品「サンセラミー」コマーシャルソング
RAIN-DANCEがきこえる グリコ「カリフォルニアバー」コマーシャルソング
1986年 MODERN TIME 映画『テイク・イット・イージー』(東宝)主題歌
永遠のVELVET KISS 映画『テイク・イット・イージー』(東宝)挿入歌
1987年 終わらないSun Set 映画『シャタラー』(東宝)主題歌
KDD「TEL MEキャンペーン」コマーシャルソング
GLAMOROUS JUMP KDD「TEL MEキャンペーン」コマーシャルソング
1991年 Virgin Moon 三貴「ブティックJOY」コマーシャルソング
1992年 せつなさを殺せない テレビ番組『君といつまでも』(テレビ朝日系列)オープニングテーマ
ジェラシーを微笑みにかえて テレビ番組『OH!エルくらぶ』(テレビ朝日系列)オープニングテーマ
Brain SUGAR カネボウ化粧品「NFL」コマーシャルソング
1993年 VENUS 〜迷い子の未来 ローソン「3D R&R SHOW」コマーシャルソング
1994年 Rambling Rose テレビドラマ『ザ・ワイドショー』(日本テレビ系列)主題歌
1995年 BOY'S LIFE 資生堂「アグレヘアジェリングウォーター」コマーシャルソング
1996年 アクセル テレビ番組『第16回 全国高等学校クイズ選手権』(日本テレビ系列)オープニングテーマ
SPEED テレビ番組『ダウンタウンDX』(日本テレビ系列)エンディングテーマ
SHADOW BEAT 音楽番組ポップジャム』(NHK)オープニングテーマ
1997年 エロス テレビ番組『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日系列)エンディングテーマ
1998年 KEY 〜胸のドアを暴け〜 河合塾コマーシャルソング
1999年 ギラギラ テレビ番組『世界ふしぎ発見!』(TBS系列)エンディングテーマ
夏色の恋に着換えて テレビアニメ『パパと踊ろう』(TBS系列)主題歌
2002年 パンドーラ テレビ番組『BEAT MOTION』(NHK)テーマソング
2003年 Milky Way テレビドラマ『交渉人』(WOWOW)主題歌
2006年 ONE WORLD 映画『劇場版 仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE』(東映)主題歌
2007年 せつなさを殺せない (NIRGILIS VENUS MIX) テレビ番組『2時っチャオ!』(TBS系列)2月度エンディングテーマ
ジャスミン テレビ番組『2時っチャオ!』(TBS系列)3月度エンディングテーマ
2010年 Nobody's Perfect 特撮テレビドラマ『仮面ライダーW』(テレビ朝日系列)挿入歌
2012年 SAMURAI ROCK 黄桜『辛口一献 「サムライロック」篇』コマーシャルソング
朝焼け 黄桜『辛口一献「燗、極まる。」篇』コマーシャルソング
2013年 SAMURAI ROCK 映画『ゴーストライダー2』(松竹)イメージソング
音楽番組『JAPAN COUNTDOWN』(テレビ東京系列)3月度オープニングテーマ
SAMURAI ROCK 〜義風堂々!! ver. テレビアニメ『義風堂々!! 兼続と慶次』(テレビ東京系列)1st主題歌
The Sliders テレビアニメ『義風堂々!! 兼続と慶次』(テレビ東京系列)2nd主題歌
2014年 Dream On 映画『イン・ザ・ヒーロー』(東映)主題歌
2016年 Dance To The Future ゲーム『三國志13』テーマソング[78]

主な出演作品

テレビドラマ

映画

舞台

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1985年(昭和60年)/第36回 にくまれそうなNEWフェイス 01/20 石川秀美
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

ラジオ

CM

ナレーション

書籍

写真集

CD BOOK

  • CD BOOK 「エンジェルチャイムが鳴る夜に」(2005年)
    初の自作小説、及びオリジナルのアートワークや撮り下ろし写真などで構成される。小説タイトル名と同名称の曲を含む自作2曲とカバー曲をCDに収録。

関連書籍

  • 集英社文庫 コバルトシリーズ「ユー・ガッタ・チャンス」(1985年、集英社
  • ZERO(1988年、CBSソニー出版ISBN 4789703703
  • KOJI KIKKAWA ANTHOLOGY 〜Innocent Spirit〜(2004年、ソニーマガジンズ
  • 『愚 日本一心月刊カドカワ〈別冊カドカワの本〉、2012年。ISBN 4047311200 

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 送り主は女子高生という設定であったため、文面は女子言葉だった。渡辺プロの社史(『抱えきれない夢 : 渡辺プロ・グループ四〇年史』)292-293頁に「1981年秋、広島の一少女から吉川晃司を推薦する手紙が届いた。〜推薦してきた少女は、彼のファンだったのである」などと書かれている。
  2. ^ 合格の理由は吉川の才能というより、吉川の観客動員力。吉川のはまちバンドはアマチュアながら、広島のホールを満杯にする程の人気があり、主力スタッフ・歌手の独立が相次ぎ、凋落していたナベプロにとってその観客動員力は大きな魅力だった。
  3. ^ 本人が『笑っていいとも』に出演した際に告白し、「緞帳を破って100万円の借金を作ってしまった」と言っていたが、その後ファンクラブの会報誌で「1,000万円」と訂正した。
  4. ^ これらは岡村視点での想い出であるため、2014年6月25日に放送されたニコニコ生放送「検証!吉川晃司、30の伝説!!」というコーナーでの吉川の言及は少し違った。吉川が「三人で待ち合わせたのは麻布でみんなでワイワイという感じだった」と話したのは、おそらく吉川は岡村より付き合いが広く、色んな人と遊んだ記憶が混ざっているのか、岡村ほど3人で遊んだ記憶が特別に強いということではないのかもしれない。
  5. ^ 1987年11月21日発売予定だったが急遽中止された。
  6. ^ 1994年発売予定だったが急遽中止された。
  7. ^ 作品のテレビ本編である『仮面ライダーW』にも回想など重要な存在として登場しているが、テレビ用の映像は吉川の出演が決まる前に撮影されたため別人が演じ、顔が映らないように撮影されている。TV第31話ではOPでの表記は無いが、写真と回想(映画の映像の流用)で登場する。

出典

  1. ^ 広島市中島本町
  2. ^ a b #愚pp.137
  3. ^ スポーツ報知』、2011年8月7日28面
  4. ^ a b c 吉川晃司×小林武史 「大事なのは反応していく力」 - エコレゾ ウェブ
  5. ^ 24時間テレビ33 愛は地球を救う日本テレビ系、2010年8月29日放送での吉川の言及。
  6. ^ 朝日新聞デジタル:(核なき世界へ)使命感じ もがき歌う - 社会
  7. ^ a b c d e f 「阿川佐和子のこの人に会いたい」 第919回『週刊文春』2012年4月12日号、pp.134-138
  8. ^ 『仮面ライダー』撮影で山本太郎、吉川晃司にビビってワキ汗止まらず!
    府中町 3人 組じゃ|竹原慎二 オフィシャルブログ-竹原慎二はブタっ鼻(2010-01-24)
    宇梶剛士オフィシャルサイト2009-03
    平成18年第4回府中町議会定例会
  9. ^ a b c 吉川晃司―25年間追い続けた「路地裏の美学」 - PRESIDENT Online
  10. ^ a b c 【1984年3月】モニカ/吉川晃司 デビューからブレーク 自ら売り込んだ元五輪候補
  11. ^ a b c d TALKING MUSIC, LOVE MUSIC, - フジテレビZOO
  12. ^ a b 一志治夫『40歳問題 年をとるのも悪くない』朝日新聞出版、2009年、pp.64-68
  13. ^ #愚p.61頁
  14. ^ 【エンタがビタミン♪】昔のバンド名は「はまちバンド」、魚介食系男子・吉川晃司がさかなクンにライバル宣言!
  15. ^ a b c 宝島』1985年5月号、pp.6-8
  16. ^ 【エンタがビタミン♪】吉川晃司伝説「デビューのきっかけは自作自演の手紙だった!」ってホント?日刊ゲンダイ|佐村河内氏も…広島出身“著名”ミュージシャンが多いワケ 日刊ゲンダイ|佐村河内氏も…広島出身“著名”ミュージシャンが多いワケ
  17. ^ a b 『40歳問題 年をとるのも悪くない』pp.70-71
  18. ^ a b c #愚pp.62-63
  19. ^ a b c 『昭和40年男』2013年6月号、pp.6-11
  20. ^ a b 『40歳問題 年をとるのも悪くない』pp.74-75
  21. ^ a b c d e f 吉川晃司('09年10月号) - インタビュー | Rooftop
  22. ^ 「吉川晃司がモニカでデビューした日」 | きょうは何の日 | おもいっきりDON!
  23. ^ 『抱えきれない夢 : 渡辺プロ・グループ四〇年史』渡辺音楽文化フォーラム「渡辺プロ・グループ四〇年史」編纂委員会編、1999年、293頁
  24. ^ アサヒ芸能』2010年11月25日号、70-73頁。
  25. ^ 吉川晃司デビュー30周年 - Musicman-NET特集:吉川晃司 30th Anniversary Special|WOWOWオンライン
  26. ^ Amazon.co.jp: 原田真二 OUR SONG and all of you 〜Live at 武道館
  27. ^ a b 日刊ゲンダイ』、2006年12月5日5面、6日5面、8日21面
  28. ^ a b c #愚pp.66-68
  29. ^ 【1989年4月】BE MY BABY/布袋&吉川の異色ユニット 一世を風靡
  30. ^ a b c #愚p.178
  31. ^ a b c 吉田光雄Twitter|worldjapan-ツイッター (@worldjapan) - X(旧Twitter)ゴッドタン・神の舌|2010/09/02(木)放送 | TVでた蔵ゴッドタン・神の舌|2011/11/13(日)放送 | TVでた蔵
  32. ^ a b c d 週刊現代』2013年3月9日号、pp.193-200
  33. ^ a b 宝島』1985年11月号、pp.68-75
  34. ^ 本橋信宏『60年代 郷愁の東京』、主婦の友社、2010年、137-138頁
  35. ^ Musicman's RELAY 第103回 木崎賢治氏-5
  36. ^ a b c d KIKKAWA KOJI QUARTER CENTURY ANNIVERSARY 吉川晃司デビュー25周年記念特別座談会('09年3月号)
  37. ^ 吉川晃司、デビュー30周年記念MVをGyaOにて独占公開
  38. ^ a b 宮城谷昌光さんに助けられます 歌手・俳優 吉川晃司さん(44) / 西日本新聞
  39. ^ a b 週刊アサヒ芸能』2011年11月17日号、徳間書店、62-65頁
  40. ^ サイゾーウーマン-デビュー25周年目のキャラ崩壊!? いま一番見逃せない男・吉川晃司ダイノジ大谷の「不良芸人日記」: ビバ!吉川晃司!
  41. ^ 今週の裏解説第120回 吉川晃司「終わらないSun Set」ナタリー - Power Pushマキタスポーツ「推定無罪」特集 (3/4)、『サワコの朝』、TBS、2013年4月20日放送
  42. ^ a b bridge』、1992年2月号、ロッキング・オン、p.120
  43. ^ 吉川晃司 オリコン芸能人事典-ORICON STYLE
  44. ^ 小泉今日子あまちゃん収録「吉川晃司くん呼ぶシーンで、隣のスタジオから本人が『呼んだ?』」
  45. ^ a b #愚pp.170-173
  46. ^ a b 2014/08/25 (フジテレビ[ノンストップ!]) デビュー30周年吉川晃司・“シンバルキック”へのこだわり”. JCCテレビすべて. JCC. 2014年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月4日閲覧。
  47. ^ a b c d e f g h i j k l 「検証!吉川晃司、30の伝説!!」ニコニコ生放送、2014年6月25日放送(吉川晃司、30周年記念ニコ生特番で“30の伝説”を検証「ビルから飛び降りたことがある」)。
  48. ^ 【電脳サブカルマガジンOG】HELLO!OG「辛・新春号」YOU THE ROCK ザ・ベストテン「視聴率40%の伝説」(9)「黒柳徹子の機転に感激した」吉田豪×坂上忍の衝撃トーク いまだから語れる素顔の尾崎豊BUBKA 2009年8月号、84頁、週刊文春 2013年8月15日。22日号、45頁
  49. ^ a b c 週刊アサヒ芸能』2011年12月8日号、徳間書店、76-77頁(【今だから語れる涙と笑いの私の酒人生】布川敏和(タレント)
  50. ^ a b #愚pp.91-94
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  52. ^ 東京エトワール音楽院|日本テレビ
  53. ^ エッジ・オブ・ハート: 第74回 渋谷区神泉〜港区北青山
  54. ^ 「D.N.A.〜ロックの殿堂〜吉川晃司 Edge Of Heart」ジャパンエフエムネットワーク、2010年7月28日放送
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外部リンク