コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

片岡鶴太郎

半保護されたページ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

かたおか つるたろう
片岡 鶴太郎
本名 荻野 繁雄(おぎの しげお)
生年月日 (1954-12-21) 1954年12月21日(70歳)
出生地 日本の旗 日本東京都荒川区
身長 163 cm[1]
血液型 O型
職業 俳優お笑い芸人画家
活動期間 1973年 -
配偶者 なし(離婚歴あり)
事務所 太田プロダクション
公式サイト 片岡鶴太郎 オフィシャル ウェブサイト
主な作品
テレビドラマ
男女7人夏物語
季節はずれの海岸物語』シリーズ
ララバイ刑事』シリーズ
太平記
家栽の人
終着駅シリーズ
八丁堀の七人』シリーズ
仮面ライダードライブ
映画
異人たちとの夏
バラエティー番組
オレたちひょうきん族
夕やけニャンニャン
森田一義アワー 笑っていいとも!
鶴ちゃんのプッツン5
受賞
日本アカデミー賞
最優秀助演男優賞
1989年異人たちとの夏』『妖女の時代
ブルーリボン賞
その他の賞
キネマ旬報ベスト・テン
助演男優賞
1989年異人たちとの夏
毎日映画コンクール
スポニチグランプリ新人賞
1989年『異人たちとの夏』
報知映画賞
助演男優賞

1988年『異人たちとの夏』
ヨコハマ映画祭
助演男優賞
1989年『異人たちとの夏』
TAMA映画祭
最優秀作品賞

2012年この空の花 長岡花火物語
2020年海辺の映画館―キネマの玉手箱
テンプレートを表示
片岡 鶴太郎
本名 荻野繁雄(おぎの しげお)
ニックネーム 鶴ちゃん
生年月日 (1954-12-21) 1954年12月21日(70歳)
出身地 日本の旗 日本東京都荒川区
言語 日本語
方言 東京弁
最終学歴 東京都立竹台高等学校卒業
師匠 片岡鶴八隼ジュン
芸風 声帯模写・漫談
事務所 太田プロダクション
活動時期 1973年 -
他の活動 俳優
歌手
画家
配偶者 独身(離婚歴あり)
親族 荻野良乙(弟)
弟子 春一番、片岡つるはし、江戸一など
公式サイト 片岡鶴太郎 オフィシャル ウェブサイト
受賞歴
新語・流行語大賞流行語部門・大衆賞
第15回日本放送演芸大賞奨励賞
第4回花王名人大賞新人賞
第5回・第6回花王名人大賞名人賞
第10回手島右卿賞(書道)
テンプレートを表示

片岡 鶴太郎(かたおか つるたろう、1954年昭和29年〉12月21日[2] - )は、日本俳優お笑いタレント画家書家ヨガ実践家。かつてはプロボクサー活動もしていた。

本名は荻野 繁雄(おぎの しげお)。愛称は「鶴ちゃん」。太田プロダクション所属。

弟は太田プロダクション社員(バラエティマネージメント1部長)の荻野良乙(よしお)。次男は画家の荻野綱久。三男は日本料理人の荻野聡士[3]

東京都荒川区西日暮里出身[4]東京都立竹台高等学校卒業。

概要

生い立ち

実家の荻野家は埼玉県所沢市の農家であり[5]、父方の祖父は神田で果物屋を営んでいた[4]。鶴太郎の父・忠雄(1926年 - 2022年)は長男だったため、祖母は弟だけを引き取り、父は所沢の本家に置いて行かれた[5]。母方の祖父は羽子板職人だったが、太平洋戦争空襲で家と職業道具全てを失い廃業し[5]、戦後はお好み焼きを売るようになった[4]。鶴太郎の父は復員後、成増の金属加工工場に就職し、工場の寮で鶴太郎の母・繁子(1930年 - )と出会った[4][5]。結婚後は西日暮里の妻の家族の近所で暮らし始め[5]、1954年に鶴太郎が誕生した[4]

鶴太郎は父に連れられて、寄席や演芸場へ通っていた[4]。物心づいたころから芸人を志し[4]、10歳の時に動物の物真似でフジテレビの素人参加番組『しろうと寄席』にテレビ出演しているが、番組のADが後に『森田一義アワー 笑っていいとも!』のプロデューサーとなる横澤彪だった。その父が死去したことが2022年3月23日の鶴太郎のインスタグラムで公表されている[6]

高校進学に際しては、中学3年時の初めには成績が下から2、3番だったことから、担任から「志望校は無理」、母親からは「貧しいから私立は無理」と言われたことで発奮して、夏休みの1か月間で小学校6年生の教科書からやり直して猛勉強した結果上位10番に入り、東京都立竹台高等学校に進学。この「やればできる」という体験は片岡の人生の励みになったという[7]。高校では演劇部に所属し、3年次には部長を務めた[8]

デビュー

高校卒業後、俳優を目指して清川虹子の自宅へ何のあても無く唐突に訪問し、弟子入りを志願したが(最初は渥美清に弟子入りを考えていたが、もし弟子になれたとしても尊敬と憧れから何も出来ないだろうと思い諦めた)清川には会えず、清川の付き人から「男の付き人は採らない」と断られ、終いには「警察を呼ぶぞ」と警告されて断念した。粘れば弟子入りを許してもらえるだろうと思っていた目論見が崩れてしまった鶴太郎は、生活のためしばらく土木作業員などの仕事を経験した後、1973年声帯模写片岡鶴八に弟子入りし、声帯模写で東宝名人会浅草松竹演芸場などの舞台に出演するようになる[9][10]

師匠の鶴八は「声帯は人によって違うから、君に僕の芸はそのまま教えられない」と、芸を教えてくれなかった。しかし、そば屋へ同行した際には、そばの食べ方の手ほどきを受け「芸人として売れるまで、そば屋では盛りそばしか食べてはいけない」など、芸人としての「粋」を教えてもらったと語る。鶴八は、盛りそばを食べる鶴太郎の目の前で江戸前の天丼を食べていたが、これは「君も早く売れる芸人になりなさい」という師匠なりの激励であった。鶴太郎は師匠の懐の深さを知り「いつかは師匠と一緒に天丼を食べたい!」と決意するが、売れ出したころには鶴八は既に亡くなっており、その願いは叶うことがなかった。

1976年ごろに大阪で隼ジュン(後の隼ブラザーズ)の元で修行を行い、丘鶴太郎(デビュー当初は「片」がない)の芸名(後に「華の鶴太郎」)でトランポリンの地方興行を行う。興行では売れ始め鶴太郎本人も手応を感じピン芸人としてテレビに移行したい考えはあったが、隼率いるコント集団としては興行が順調で3年先まで興行スケジュールが埋まっており、鶴太郎も集団の宣材写真の中心に居たため鶴太郎の退団は承認できなかった。2年ほど在籍したが、このままで終わってしまうことに不安を感じ、九州興行の際に無断で一座から逐電した[11]。そのことが原因で干され、知人の紹介で松山道後温泉で劇団に所属して、司会やものまねの仕事に就き修行を重ねる[9][10][12]。温泉旅館での宿泊客の老人には持ち芸である小森和子の真似はウケなかったが、鶴太郎の才能を理解し、身の回りの世話をしてくれていた座長の娘[11]と半年後に上京、結婚した[13][信頼性要検証]。妻との間には3人の息子をもうけたが[14][信頼性要検証]、テレビ番組では30歳のころから別居状態であると明かしており[15]2017年3月に離婚している[16][17]。一部週刊誌は離婚の原因を若いころからの浮気癖としているが[18]、本人はヨガに熱中してストイックな生活に没頭したため妻とのすれ違いが生じたと真相を語っている[19]

全国区の人気

24歳の時、実質的なテレビデビューとなるフジテレビ系『お笑い大集合』に出演し、ここで横澤彪と再会した。片岡鶴太郎の芸名でテレビに進出するが漫才ブームには乗れず[9]。その後はお笑いタレントとして『オレたちひょうきん族』で披露した近藤真彦ものまねにより一躍脚光を浴び、九官鳥の「キューちゃん」や浦辺粂子たこ八郎などの真似で人気を博した。

当時は小太りの体型で、熱いおでんを無理矢理食べさせられて大げさなリアクションを繰り出す[20]など、被虐的なキャラクターだった(リアクション芸人)。

現在、かつての芸風は影を潜めているが『オールナイトフジ』では、おまるの中にかりんとうを入れて示すなどの下ネタを披露していた。また、同番組内の“鶴太郎劇団”という寸劇コーナーにおいても、頻繁に女装しては男装した共演の女子大生と絡みのシーンを演じる、劇の最後のオチで全裸を女子大生に見せ付けるといった下品なキャラクターであった。「アブラギッシュな男No.1」という称号を得たのもこの頃である(井手らっきょは、鶴太郎の芸風に影響を受け全裸ネタを使うようになったと語っている)。

お茶の間に定着して以降、物真似では老けキャラの開拓を得意とし小森和子浦辺粂子坂上二郎などの物真似で知られ、後年にも、宮路年雄(城南電機社長)や横山昭二麻原彰晃私選弁護人)ら、話題の人物を好んで演じた。

持ち前の器用さからバラエティ番組の司会やトークも数多くこなし、1986年には鶴太郎の造語「プッツン」(たとえとして脳の血管や堪忍袋の緒、あるいは緊張の糸が切れて突飛な行動を取ること。またはその人物)が新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞に選ばれた。

多方面での活動

森田一義アワー 笑っていいとも!』では、タモリと「キューちゃん」のマネを必ず行っていた。これは『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』に登場した九官鳥がモデルとなっている。

高い歌唱力(東京荒川少年少女合唱隊の第一期生)を活かして、1980年代半ばごろまでコンスタントにシングルを発売していた。そして『オレたちひょうきん族』などで楽曲を披露するもののヒットには縁がなかった。同じころ、お世辞にも上手とは言えない明石家さんまが「真赤なウソ」や、人気コーナー「タケちゃんマン」の挿入歌「アミダばばあの唄」、CMで話題となった「しあわせって何だっけ」をヒットさせたことで、なぜさんまより歌の上手い自分の曲がヒットしないのかとぼやいていたという。[要出典]鶴太郎は当時『ひょうきん族』の収録日である水曜日に生放送されていた『夜のヒットスタジオ』にも歌手として2度ほど出演実績を持っている。一方さんまは飛び入りの応援ゲストとしての登場はあったが、歌手としての出演実績はない。

ザ・ベストテン』のランクイン記録はないが、1989年7月27日放送分の「今週のスポットライト」のコーナーに、「思いの丈で…」で出演したことがある。

1988年には「今までの自分が嫌になり、それを否定したかった」という理由から、プロボクサーのテストを受験した。当時ボクシングプロテストの受験資格年齢は29歳までであり、33歳だった鶴太郎に本来受験資格は無かった。しかし、日本ボクシングコミッション(JBC)に懸命に頼み込み「合格しても試合には出場できない」という条件で特別に受験が叶い、見事合格を果たす。受験にあたって前年から減量を始め、それまでの小太りから急激にシャープな体型に変わった。

プロ合格後は、鬼塚勝也畑山隆則のマネージャーとして、タイトルマッチではセコンドを務めるなど、両人の世界王座奪取に大きく貢献、引退後の鬼塚や畑山らが鶴太郎と同じ太田プロに所属する切っ掛けとなった。1988年から1994年に放送された『季節はずれの海岸物語』では、主役の高村圭介を演じると同時に、鬼塚勝也との共演も果たした。1990年にTBS『月曜ドラマスペシャル』で放送された『昭和のチャンプ〜たこ八郎物語〜』では、かつて『オレたちひょうきん族』で物まねをしたたこ八郎を、彼の前半生でのボクサーとしての視点を主体にシリアスに演じている。

1988年、映画『異人たちとの夏』の監督・大林宣彦江戸弁を気に入られ、主人公の父親役に起用されると評判を呼び、多くの映画賞を受賞し、活動の軸足を俳優に移した[9][10]1991年NHK大河ドラマ太平記』では北条高時役を演じ、評価された。『軍師官兵衛』(2014年)では小寺政職役を演じたが『仁義なき戦い』における金子信雄のイメージというオファー[21]があったことから、芸人色の濃い演技となっている。

1990年代には横溝正史原作一連の推理ドラマに、主人公の探偵・金田一耕助役で毎年出演(計9本)し、以降も『家栽の人』では植物を愛し人間の本質を見抜く暖かみのある桑田判事役を好演。『ララバイ刑事』ではどこか虚無的な雰囲気のある刑事を演じるなど、俳優としてもコンスタントな活躍を見せている。

2時間サスペンスドラマの主役として出演する機会が多く、露口茂から引き継いだ「終着駅シリーズ」での牛尾刑事役は当たり役となった。『八丁堀の七人』では久々に山田邦子と共演し『オレたちひょうきん族』のコントを髣髴ほうふつとさせるやりとりを見せた。

飲み仲間だった志村けんの著書によると、鶴太郎は酒の席で「自分はものまねも中途半端だし、お笑いではたけしさんやさんまちゃんにはかなわない。コントにも志村さんがいる。だから、俳優に行くしかない」と語ったとされている。後に「ひょうきん族は天才の集まり、芸人として限界を感じた。島田紳助さん、ビートたけしさん、さんまさん、山田邦子ちゃん。毎週ガチンコで勝負していると自分の力量がわかってくる。たけしさんとさんまさんがトークしている時、入っていけなかった」とも語っていた[22]

テレビで柳原可奈子を見た際、彼女の芸を気に入った鶴太郎は、既に太田プロに所属していた柳原を「スカウトして来い」と言ったことがある。

お笑いと距離を置き、多方面での活動が盛んになる中でも『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』や『爆笑レッドカーペット』に審査員として出演している。時にはものまねを披露するなどしており、お笑いから身を引いたというわけではない。2008年の『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』では、ひょうきん族のキャラクターである「マイ爺さん」や「ピヨコ隊」を演じた。

2000年の映画『しあわせ家族計画』の撮影中、当時無名だった小栗旬(息子役)とのケンカのシーンで、小栗が本気でのしかかり鶴太郎は腰骨が外れるという大怪我を負った。多忙だった鶴太郎はこのことをすっかり忘れていたが、2010年鶴太郎の楽屋へあいさつに訪れた小栗が先述のエピソードを語り、非常に驚いたという[23]

2012年から、瞑想への関心をきっかけとして、毎朝起きると4時間ヨガを実践している。5年目の2017年にはインド政府公認「プロフェッショナルヨガ検定・インストラクター」の全4段階中の難関のレベル1に合格した[24][25][26]

芸術家として

草津町にある片岡鶴太郎美術館

タモリに影響を受け、挿絵を描くことを始める。コメディアンとしての仕事から距離を置くにつれ、1989年にドラマ『志功の青春記 おらあゴッホだ』で若きころの棟方志功を演じたことをきっかけに、水墨画を描くことや陶芸など美術方面へ傾倒していく。岡本太郎バラエティ番組鶴太郎のテレもんじゃ』で共演したことから知り合い、岡本によってその才能を評価され自信を持ったとされる。

群馬県吾妻郡草津町福島県福島市に美術館、石川県加賀市佐賀県伊万里市に工藝館がある。

右利きだが、絵は左手で描いている。

鶴太郎が鯛を描いた台紙を用いた「片岡鶴太郎めで鯛電報」が2000年5月14日よりNTTから販売されている。台紙内部に格納された鯛と海老の絵は取り外してコースターなどに利用できるようになっている。

青森大学で芸術論を担当。NHK『趣味悠々』では、2003年7月から9月に「鶴太郎流墨彩画塾」、翌2004年4月から5月に続編となる「新鶴太郎流墨彩画塾」で講師を務める。

2003年、奈良県當麻寺中之坊に天井画を揮毫し奉納。2004年秋より、文化勲章受章者や日本芸術院会員ら一流画家の作品にまじって、写仏道場の格天井に飾られている。作品名は『天井より海を眺め』。

2007年には、絵画の視点で書道にも挑戦し、第24回産経国際書展に応募。作品「骨」が話題を呼び、総数7575点の中から産経新聞社賞を受賞した。

また、アイドルグループ「キャンディーズ」のメンバーだった女優の田中好子水墨画など絵画を教えており、田中にとって鶴太郎は絵画の師匠的な存在だった[27]

2015年3月、書家として第10回手島右卿賞を受賞した(作品「夜」)[28]

影響

  • 1988年の『テレビ夢列島'88』の中継で、福岡のテレビ西日本(TNC)を訪れた際に、局でアルバイトをしていた当時大学生で素人ものまね番組にも出演経験があった松村邦洋に「君、たけしさんのものまねをしているよね。いいよ〜、面白いよ〜」と声をかけた。この出会いで、松村は大学を中退して上京し、太田プロからデビューした。
  • 弟子にタレントの春一番がいる。

読字障害

2008年10月、NHKスペシャル病の起源』第4回に出演。このシリーズは取り上げるテーマの病に罹った俳優・タレントが案内人を務めており、第4回のテーマは「読字障害」。そこで鶴太郎は、学生時代に教科書の音読などが苦手だったという経験を踏まえたうえで、自らも読字障害の疑いがあったのではないか、そのことが却って芸術家としても花開くきっかけになったのではないか、と告白した。

ものまねレパートリー

他多数

出演

テレビドラマ

NHK

日本テレビ系

テレビ朝日系

TBS系

テレビ東京系

フジテレビ系

その他

映画

バラエティ

NHK
日本テレビ系
テレビ朝日
  • 週間漫画ゲラゲラ45(1979年 - 1983年、番組後期のレギュラー、ハッ鶴マン)
  • ぶったま!ピープー(1983年)
  • アイドルパンチ(1984年 - 1985年)
  • 鶴ちゃんのいちごチャンネル(1985年 - 1986年)
  • 鶴ちゃんのおもいっきりポコポコ(1986年)
  • 鶴太郎の大人によくないテレビ(1986年 - 1987年)
  • クイズ!メモリアン(1987年)
  • 熱帯夜アカデミー「ツルーライトゾーン」(1988年 - 1989年)・「ツルータス」(1989年 - 1990年)
  • クイズMONOものがたり(1988年)
  • 華麗にAh!so
  • 賀正!鶴x鶴スペシャル オヤジの世紀なのダ(2001年1月3日)
  • 片岡鶴太郎世界を描く
    • 片岡鶴太郎ベトナム感動夢紀行 絶景ハロン湾で幻の竜を発見(2000年1月10日)
    • 片岡鶴太郎インドの旅 「母なる大河ガンジスに祈る」(2001年1月7日)
    • 片岡鶴太郎 神々の楽園アンコール遺跡の旅 〜森と水の王国・カンボジア(2003年6月22日)
    • 鶴太郎が描く四季平成の東海道五十三次(2004年2月22日)
    • 片岡鶴太郎・蒼天の大地チベットを描く 「標高4000mへの緒戦!」(2004年6月12日)
    • 片岡鶴太郎世界を描く メキシコ・マヤ文明に挑戦!(2004年12月26日)
    • 片岡鶴太郎世界を描く7 〜炎の祭典!情熱のスペイン再発見(2005年4月24日)
    • 片岡鶴太郎世界を描く8 「大草原の国モンゴルを行く!鶴太郎・道場・彦摩呂爆笑珍道中!!」(2006年12月24日)
  • 爆笑ギャグ連発!鶴太郎のフランス迷い旅 〜アール・ヌーヴォーの謎を追え!!(2001年7月22日)
TBS系
テレビ東京系
フジテレビ系

情報番組

ドキュメンタリー

教養番組

  • 趣味悠々NHK教育
    • 鶴太郎流墨彩画塾(2003年7月 - 9月)
    • 新鶴太郎流墨彩画塾(2004年4月 - 5月)
  • 鶴太郎流 描き初めスペシャル(NHK総合、2004年1月2日)
    • 鶴太郎流 描き初めスペシャル2005 (NHK総合、2005年1月2日)
  • 伊予路てくてく「砥部町」(NHK、2006年4月21日)
  • 片岡鶴太郎のにっぽん蕎麦紀行〜窮(きわ)められしそばの世界を求めて〜(旅チャンネル、2009年)
  • 片岡鶴太郎のにっぽん発見(旅チャンネル、2009年)
  • ステキな旅先散歩(旅チャンネル、2010年)
  • チャレンジ!ホビーめざせ!あこがれのパティシエ」(NHK教育、2010年12月6日 - 2011年1月31日)
  • 本番前@控室BS11、2011年11月)
  • 謎解き!江戸のススメBS-TBS、2012年4月2日 - 2015年3月30日) - 司会
  • えほん寄席 味噌豆 (画、NHK教育)

ラジオ

CM

舞台

題字・メインビジュアル

テレビ番組

ディスコグラフィ

シングル

ソロ

発売日 タイトル B面 規格 規格品番
ラジオシティレコード
1st 1982年 哀愁DON JUAN[注釈 1] やるだけやったら!? EP RD-4042
2nd 1982年 しらすおろしをくれ![注釈 2] まるでコメディアン EP RD-4059
キャニオン・レコード
3rd 1984年12月5日 ゴーストブスターズ[注釈 3] ゴーストバスターズ (変な顔編) EP 7A-0436
4th 1985年11月21日 LOOKING FOR A FIGHT[注釈 4] KISS ME MADONNA EP 7A-0540
5th 1986年9月21日 IEKI吐くまで 床上手 (歌:片岡鶴太郎&乳ナヲミ) EP 7A-0637
6th 1987年8月21日 酔うほどに… 踊っておいで EP 7A-0762
ポニーキャニオン
7th 1989年5月3日 はなのにっぽん さのよいよい いっとうしょう たいそう (うた:木の内もえみガチャピンムック) EP 6G-1001
8cmCD S9G-1001
8th 1989年7月21日 思いの丈で… その瞬間に…少女よ 8cmCD S9A-11032
9th 1989年12月15日 DREAMER 赤坂一ッ木どん底周辺あたり 8cmCD PCDA-00037
日本コロムビア
10th 1994年11月21日 あんたが一番好きやねん 帰郷 8cmCD CODA-519
ユニバーサルJ
11th 2002年11月20日 夢の背中 屋台 Maxi UPCH-5149

コラボレーション

名義 発売日 タイトル B面 規格 規格品番
テイチク
ものまねヨイショ軍団[注釈 5] 1980年 がんばれ!!ライパチくん!! 凸凹ブルース EP RS-210
日本コロムビア
THE SCHOOL![注釈 6] 1985年8月1日 人生はコメディ バナナが好きだった 〜バナナ・ジェネレーション〜 EP AH-641
徳間ジャパンコミュニケーションズ / JAPAN RECORD
片岡鶴太郎×ひめキュンフルーツ缶 2015年6月10日 たこちう。 たこキュン。 Maxi TKCA-74233

アルバム

オリジナル・アルバム

発売日 タイトル 規格 規格品番
ラジオシティレコード
1st 1982年 キスヲ、モット、キスヲ…[注釈 2] LP RL-3022
CT RLC-3022

ベスト・アルバム

発売日 タイトル 規格 規格品番
ポニーキャニオン
1st 1987年11月21日 豪華愛蔵盤 片岡鶴太郎ヒット大全集 LP C28A-0610
CD D32A-0329

タイアップ

楽曲 タイアップ 収録作品
ゴーストブスターズ コロンビア映画配給『ゴーストバスターズ』主題歌日本語ヴァージョン シングル「ゴーストブスターズ」
ゴーストバスターズ (変な顔編) コロンビア映画配給『ゴーストバスターズ』主題歌NGヴァージョン
人生はコメディ TBS系全国ネット『もしも、学校が…!?』主題歌 コラボレーション・シングル「人生はコメディ」
バナナが好きだった 〜バナナ・ジェネレーション〜 TBS系全国ネット『もしも、学校が…!?』挿入歌
はなのにっぽん さのよいよい フジテレビ幼児教育番組『ひらけ!ポンキッキ』より シングル「はなのにっぽん さのよいよい」
思いの丈で… 花王名人劇場『志功の青春紀より・夢を彫る男』主題歌 シングル「思いの丈で…」
DREAMER 東宝映画『Mr.レディー〜夜明けのシンデレラ』主題歌 シングル「DREAMER」
あんたが一番好きやねん ハウス食品好きやねん』CFイメージソング シングル「あんたが一番好きやねん」
夢の背中 NHK趣味悠々 秋元康の陶芸入門』テーマソング シングル「夢の背中」
たこちう。 NHK『みんなのうた』2015年6月〜7月放送曲[47] コラボレーションシングル「たこちう。」

著書・画集

  • 『変な顔』太田出版 1984
  • 『きびだんご 機微男子』太田出版 1987
  • 『鶴ちゃんのプッツン者!』太田出版 1988
  • 『神経質な奴ら プッツン者2』太田出版 1989
  • 『真夜中のスパーリング』太田出版 1993
  • 『とんぼのように 片岡鶴太郎画集』近代映画社 1995
  • 『心彩彩 片岡鶴太郎画集2』浅井博司監修 近代映画社 1996
  • 『鶴のおんがえし 生かされて生きぬく』富山房 1996
  • 『三番花 片岡鶴太郎画集3』浅井博司監修 近代映画社 1997
  • 『生涯素人 鶴が箱根に飛んできた 片岡鶴太郎画集』近代映画社 1997
  • 『鶴太郎絵日記』毎日新聞社 1997
  • 『いれものがない両手で受ける』尾崎放哉句 書画 サンマーク出版 1998
  • 『鶴のひとこゑ』絵と書 婦人画報社 1998
  • 『枕を高くして 片岡鶴太郎のベッドサイドストーリー 明日を元気に生きるための8章』近代映画社 1998
  • 『門外漢 片岡鶴太郎画集4』近代映画社 1998
  • 『あしたは鶴日和』小学館 1999
  • 『当意即妙』マイストロ 1999
  • 『そして風の旅はつづく 片岡鶴太郎アジアの旅と作品集。』テレビ朝日事業局出版部 2000
  • 『龍聲 片岡鶴太郎画集5』近代映画社 2000
  • 『赤蜻蛉 片岡鶴太郎画集6』近代映画社 2001
  • 『夢画夢中』佼成出版社 2001
  • 『花音色 片岡鶴太郎画集7』近代映画社 2002
  • 『フルーツパフェ 片岡鶴太郎絵本』講談社 2002
  • 『自伝・描きかけの自画像』講談社 2003
  • 『蝉時雨 片岡鶴太郎画集8』近代映画社 2003
  • 『流れ椿 片岡鶴太郎画集9』近代映画社 2004
  • 『片岡鶴太郎ガラス作品集』近代映画社 2005
  • 『筆のゆくまま、心のままに 片岡鶴太郎半生記』生活情報センター 2005
  • 『夜桜 片岡鶴太郎画集10』近代映画社 2005
  • 『癒しの禅語』佼成出版社 2006
  • 『ご縁をいただいて』DHC 2006
  • 『鶴太郎流墨彩画入門』角川oneテーマ21 2006
  • 『游鯉龍門 片岡鶴太郎画集11』近代映画社 2006
  • 『綿の湯 片岡鶴太郎画集12』近代映画社 2007
  • 『No rain,no rainbows 片岡鶴太郎画集13』近代映画社,2008
  • 『大人の墨遊び』グラフ社 2008
  • 『小猫 片岡鶴太郎画集』ゴマブックス 2008
  • 『しみ入る心の山頭火主婦と生活社 2008
  • 『墨戯彩花 片岡鶴太郎画集 14』近代映画社 2009
  • 良寛椿』佼成出版社 2009
  • 『艶葉樹 片岡鶴太郎画集 15』近代映画社 2010
  • 『墨牡丹 片岡鶴太郎画集 16』近代映画社 2011
  • 『鶴太郎流心で描く絵だより入門』主婦の友社 趣味入門 2011
  • 『精霊椿 片岡鶴太郎画集』近代映画社 2012
  • 『今日も日暮里』徳間書店 2013
  • 『夕暮此糸(むらさき)片岡鶴太郎画集』近代映画社 2013
  • 『還暦紅 画業20周年 片岡鶴太郎画集』近代映画社 2014
  • 『50代から本気で遊べば人生は愉しくなる』SB新書 2017
  • 『老いては「好き」にしたがえ!』幻冬舎 2023

共著

受賞歴

脚注

注釈

  1. ^ 「片岡つるたろー」名義
  2. ^ a b 「つるたろー」名義
  3. ^ レイ・パーカー・ジュニアの「ゴーストバスターズ英語版」の替え歌[45][46]
  4. ^ 作詞と作曲は佐野元春が担当した。
  5. ^ 川口ひろし・はたけんじ・片岡鶴太郎・北口光彦によるユニット
  6. ^ 三田村邦彦・片岡鶴太郎・山本コウタローによるユニット

出典

  1. ^ 太田プロダクション公式プロフィール
  2. ^ a b DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、52頁。
  3. ^ 片岡鶴太郎三男の店がミシュラン一つ星獲得 今年3月、赤坂にオープンの日本料理店 「あさイチ」で料理コーナーも担当”. 中日スポーツ 東京中日スポーツ (2020年12月10日). 2022年7月12日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g "片岡鶴太郎〜羽子板と闇市の恋 下町・泣き笑い物語〜". ファミリーヒストリー. 13 March 2015. NHK総合
  5. ^ a b c d e 「家の履歴書(461)」『週刊文春』2004年3月4日号、文藝春秋、70-73頁。 
  6. ^ 片岡鶴太郎「95歳大往生でした」芸能界入りきっかけとなった父の死去を報告”. 日刊スポーツ (2022年3月23日). 2022年3月23日閲覧。
  7. ^ 片岡鶴太郎さん、なぜヨガを? 自由すぎる「セカンドキャリア論」”. withnews (2019年12月17日). 2022年10月18日閲覧。
  8. ^ 片岡鶴太郎 25年ぶりの舞台『笑う巨塔』出演 ~タクフェス「春のコメディ祭」取材会で意気込みを語る”. SPICE (2018年2月20日). 2021年1月24日閲覧。
  9. ^ a b c d 週刊現代』2010年10月9日号、講談社、86-88頁。 
  10. ^ a b c 片岡鶴太郎(インタビュアー:江坂裕子)「俳優、画家 片岡鶴太郎」『荒川ゆうネットアーカイブ, 荒川区http://www.city.arakawa.tokyo.jp/unet/issue/interview/0410/index.html2018年2月2日閲覧 
  11. ^ a b 【コラボ片岡鶴太郎】長渕剛歌唱中に暴挙!?暴走しまくり、ひょうきん族時代の爆笑エピソード&下積みエピソード満載!【ピヨコちゃん誕生秘話】 - YouTube”. www.youtube.com. 2021年1月5日閲覧。
  12. ^ 八代六郎役 片岡鶴太郎 インタビュー 3”. スペシャルドラマ 坂の上の雲. 日本放送協会. 2010年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月2日閲覧。
  13. ^ 以上、ゲスト出演した文化放送くにまるワイド ごぜんさま〜』でのインタビューによる
  14. ^ 誰だって波瀾爆笑』より
  15. ^ 週刊女性』2017年9月5日号、主婦と生活社[要ページ番号] 
  16. ^ “鶴太郎、離婚していた…38年連れ添うも今年3月円満に”. Sponichi Annex. (2017年8月18日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/08/18/kiji/20170817s00041000330000c.html 2018年2月2日閲覧。 
  17. ^ 片岡鶴太郎さんが離婚 ヨガに1日4時間、朝食に2時間の生活”. 産経ニュース (2017年8月18日). 2022年8月17日閲覧。
  18. ^ 佐々木博之 (2017年8月19日). “片岡鶴太郎、離婚発表も30年別居中のある意味ストイックな不倫疑惑”. 週刊女性PRIME. 主婦と生活社. 2017年8月22日閲覧。
  19. ^ “片岡鶴太郎、離婚していた!22キロ減のストイック生活ですれ違い”. SANSPO.COM. (2017年8月18日). https://www.sanspo.com/article/20170818-OJFFWGP3FBOBHE6UUG5X364RKY/ 2017年8月22日閲覧。 
  20. ^ おでんはネタとして行ったものではなく、1984年3月17日に放送されたひょうきん族のコント(鶴太郎は浦辺粂子役)で夕食のシーンに出てきたおでんがあまりにも熱く、氷水を飲んで流し込もうとしたが喉につっかえて噴きだしてしまった。その様があまりにも面白かったため定番のネタとなった。
  21. ^ 片岡鶴太郎:5度目大河は「金子信雄で」と意気込み”. MANTANWEB (2013年5月11日). 2016年9月4日閲覧。
  22. ^ 週刊文春』2017年9月14日号、文藝春秋、135頁。 
  23. ^ “【エンタがビタミン♪】 10年前、片岡鶴太郎の腰の骨をはずした子役は、なんとあのイケメン俳優だった。”. Techinsight. (2010年4月9日). https://japan.techinsight.jp/2010/04/turutarou-ogurisyun.html 2016年5月24日閲覧。 
  24. ^ 片岡鶴太郎、インド政府公認のヨガ検定合格&親善大使就任 体重も43キロに「Sサイズもブカブカ」”. ORICON NEWS. 2017年7月7日閲覧。
  25. ^ 体重65キロが43キロ!片岡鶴太郎がヨガに目覚めた動機”. エキサイトニュース. 2017年7月7日閲覧。
  26. ^ “ヨギー”片岡鶴太郎、ヨガで体重65→43キロに”. 日刊スポーツ (2017年6月13日). 2022年8月23日閲覧。
  27. ^ “師匠 鶴太郎「どんな気持ちでこの絵をお描きになっていたかと思うと…」”. Sponichi Annex. (2011年4月25日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/04/25/kiji/K20110425000696940.html 2016年5月24日閲覧。 
  28. ^ “片岡鶴太郎、書道の手島右卿賞「勢いと独特のクオリティー」”. Sponichi Annex. (2015年3月1日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/03/01/kiji/K20150301009895470.html 2016年9月4日閲覧。 
  29. ^ 『とと姉ちゃん』ヒロイン父に西島秀俊 追加キャスト15人発表”. ORICON STYLE. オリコン (2015年11月6日). 2015年11月6日閲覧。
  30. ^ "片岡鶴太郎、来年前期朝ドラ『ちむどんどん』出演「『日本シリーズ』に立って表現するという思い」". ORICON NEWS. oricon ME. 15 June 2021. 2021年6月15日閲覧
  31. ^ 片岡鶴太郎、身元不明の遺体役「ぜひ挑戦してみたいと思い、お引き受け」 『GO HOME』第2話ゲスト発表”. ORICON NEWS. oricon ME (2024年7月13日). 2024年7月14日閲覧。
  32. ^ “ドラマ『終着駅シリーズ』『西村京太郎トラベルミステリー』、歴史に幕…12月にファイナル”. マイナビニュース (マイナビ). (2022年11月21日). https://news.mynavi.jp/article/20221121-2518142/ 2022年11月21日閲覧。 
  33. ^ “松平健が「警部補ダイマジン」出演、片岡鶴太郎と宅麻伸は物語を怪しく彩るキーマンに”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2023年6月7日). https://natalie.mu/eiga/news/527585 2023年6月7日閲覧。 
  34. ^ VHS収録タイトルは「義理チョコに御用心」
  35. ^ 前田敦子、主演ドラマで超恋愛体質の政治記者役 二股&不倫描く”. ORICON STYLE (2016年3月3日). 2016年3月3日閲覧。
  36. ^ 「警視庁ゼロ係」大杉漣さんの後を継ぐ“係長”に片岡鶴太郎が決定!新キャストに石坂浩二らも - ザテレビジョン(2018/07/03 15:00 配信)
  37. ^ 仮面ライダー×仮面ライダー ゴースト&ドライブ 超MOVIE大戦ジェネシス”. 映画.com. 2016年9月4日閲覧。
  38. ^ “山口智子、佐藤浩市×横浜流星『春に散る』で27年ぶり実写映画出演 橋本環奈とWヒロイン”. リアルサウンド映画部 (blueprint). (2022年11月29日). https://realsound.jp/movie/2022/11/post-1195066.html 2022年11月29日閲覧。 
  39. ^ “佐藤浩市と横浜流星が路上でファイティングポーズ、W主演作「春に散る」特報解禁”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2023年4月10日). https://natalie.mu/eiga/news/520122 2023年4月10日閲覧。 
  40. ^ 鶴ツル”. あいテレビ. 2016年5月4日閲覧。
  41. ^ 「今月の広告批評 / 東海林さだお ; 高橋源一郎 ; 高橋章子 ; 中森明夫 ; 編集部」『広告批評』第102号、マドラ出版、1988年2月1日、104 - 105頁、NDLJP:1853067/54 
  42. ^ 「今月の広告批評」『広告批評』第128号、マドラ出版、1990年5月1日、106 - 107頁、NDLJP:1853094/55 
  43. ^ 内博貴が太宰治演じる「舌切雀」で萬田久子・片岡鶴太郎がおばあさんとおじいさんに”. ステージナタリー. ナターシャ (2024年1月10日). 2024年1月10日閲覧。
  44. ^ ノサカラボ「わが一高時代の犯罪」林一敬扮する神津恭介の初恋の相手役に能條愛未・中野郁海”. ステージナタリー. ナターシャ (2024年1月29日). 2024年1月29日閲覧。
  45. ^ 金ローで『ゴーストバスターズ』放映 ゴキゲンな80年代洋画がリバイバルの理由”. マグミクス. 株式会社メディア・ヴァーグ (2022年2月4日). 2022年2月26日閲覧。
  46. ^ マクドナルド「N.Y.バーガーズ」のCMソングの元ネタは?”. CDジャーナル. 音楽出版社 (2022年2月14日). 2022年2月26日閲覧。
  47. ^ たこちう。”. NHK みんなのうた. NHK. 2022年2月26日閲覧。

関連項目

外部リンク