ジョー・トーリ
2015年のトーリ | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 |
ニューヨーク州ニューヨーク市 ブルックリン区 |
生年月日 | 1940年7月18日(84歳) |
身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 212 lb =約96.2 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手、一塁手、三塁手 |
プロ入り | 1960年 |
初出場 | 1960年9月25日 |
最終出場 | 1977年6月17日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督歴 | |
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選出年 | 2014年 |
選出方法 | ベテランズ委員会選出 |
この表について
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ジョゼフ・ポール・トーリ(Joseph Paul Torre , 1940年7月18日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク市ブルックリン区出身の元プロ野球選手・監督。
兄のフランク・トーリも元メジャーリーガー。
経歴
[編集]選手時代
[編集]ニューヨーク州ブルックリンで生まれ育つ。1960年にアマチュアフリーエージェントでミルウォーキー・ブレーブス(現在のアトランタ・ブレーブス)へ入団。同年9月25日にMLBデビューする。捕手であったが、一塁手も務めた。1963年から1967年まで5年連続でオールスターに選出され、1965年にはゴールドグラブ賞を受賞。
1969年の開幕前に元MVPのオーランド・セペダと交換でセントルイス・カージナルスに移籍。カージナルス時代は名捕手ティム・マッカーバーとその後継者であるテッド・シモンズが在籍していたため、主に一塁手として活躍。1970年にはマッカーヴァーがフィラデルフィア・フィリーズにトレードされたため捕手に戻るが、1971年にはシモンズの成長により、三塁手に転向する。
1971年に選手としての絶頂期を迎える。137打点と打率.363を記録し、ナショナルリーグの二冠王に輝く。同年にはシーズン最多安打、最高塁打も記録し、最優秀選手に選出される。カージナルス時代の1970年から1973年まで4年連続でオールスター出場を果たす。1974年のシーズン後にニューヨーク・メッツにトレードされ、トレード後直ぐの日米野球で選手として来日(その後、2004年にMLB開幕戦で監督として再来日)した。1977年に現役を引退。選手生活18年間の通算成績は打率.297、252本塁打、1185打点、2342安打である。
監督就任~3度の解雇
[編集]1977年途中にメッツの監督に就任。就任した当初は選手兼任監督という立場で、たまに代打として出場することもあった。1981年のシーズン終了までメッツの監督を務めるが、プレーオフ出場は成らなかった。
1982年からはアトランタ・ブレーブスの監督に就任し、1年目にブレーブスにとって1969年以来の西部地区優勝を果たすが、2年目の1983年には地区2位、1984年には3位に陥落する。
1985年から数年間テレビ解説者として活躍した後、1990年にセントルイス・カージナルスの監督として現場復帰を果たす。しかしプレーオフ進出を果たすことなく、1995年のシーズン中に監督として3度目の解雇を経験する。
名将トーリ
[編集]1995年11月2日にニューヨーク・ヤンキースの監督に就任する。監督としてのキャリア初期のトーリの評価は決して高いものではなく、それを象徴する出来事としてニューヨーク・デイリーニューズは"Clueless Joe"(訳の分かっていない、トンチンカンなジョー)とまで酷評した[1]。しかし翌1996年にヤンキースを18年ぶりにワールドシリーズに導き、さらに1998年から2000年にかけてワールドシリーズ3連覇を達成。長らく低迷していたヤンキースの復活を実現する。トーリが監督に就任した時のチームの顔は、横暴なオーナーであるジョージ・スタインブレナーだったが、トーリがその座に取って代わった[2]。
2003年には読売ジャイアンツから松井秀喜が移籍し、日本でもよく知られる監督となる。
2007年6月7日のシカゴ・ホワイトソックス戦ではMLB史上10人目の監督通算2000勝を達成し、MLB史上初めて「選手として2000本安打、監督として2000勝」を達成した人物となった。なお、この記録は後にギネス世界記録に認定されている[3]。
ヤンキース監督時代の12年間すべてでポストシーズン進出を果たした(地区優勝10回、ワイルドカード獲得2回)が、その最後の年となる2007年はディビジョンシリーズで敗退。同年オフ、球団は1年500万ドルにプレーオフで勝ち抜く度に100万ドルが加算され、ワールドシリーズへ進出すれば2009年は800万ドルで契約延長という条件を提示[4]。トーリはこの出来高を含む契約を「侮辱」と受け、契約を固辞[2]。10月18日にニューヨーク・ヤンキース監督を退任することを球団フロントに通知した[4]。これによってヤンキースは周囲から激しい批判を受けたが、その多くはファンからだった[2]。なお、ヤンキースの後任監督にはジョー・ジラルディが10月30日に就任した。
ドジャース監督就任
[編集]それから約半月後11月1日にロサンゼルス・ドジャースから監督オファーを受け、3年契約年俸総額1300万ドルで合意した[5]。なお、ドジャースはトーリの学生時代まで地元ブルックリンを本拠地としており、トーリ自身昔から大ファンであったという。就任初年度の2008年は、若手やベテランを上手く駆使しながら見事に地区優勝を果たした。2年目の2009年も前半から快進撃を見せ、31年ぶりの地区優勝連覇を果たした。
2010年9月17日、シーズン終了後に監督を退任することが発表された。後任の監督はヤンキース時代からのコーチとしてトーリに仕えてきたドン・マッティングリーが就任した。
監督退任後
[編集]2011年2月、MLB機構副会長に就任。2012年1月4日、副会長を辞任し、ドジャースの買収を目指すグループに参加。3月23日にMLB機構副会長に復帰。
さらに6月15日、WBCアメリカ代表監督に就任した。しかし、アメリカ代表は2次ラウンドで敗退した。
2014年、ベテランズ委員会による選出でアメリカ野球殿堂入りを果たし、殿堂入りのプレートはヤンキースの帽子を選んだ。これを記念して古巣ヤンキースはトーリ在籍時の背番号『6』を永久欠番に指定し、監督としてはケーシー・ステンゲル(『37』)とビリー・マーチン(『1』)以来3人目の欠番指定者となり、同年5月8日に欠番表彰式が行われた。
2016年3月にはキューバ共和国ハバナで開催されたタンパベイ・レイズ対キューバ代表の親善試合に出席した[6]。
2016年7月には、WBCアメリカ代表GMに就任した[7]。
選手としての特徴
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
■マイナーリーグ
トーレは兄フランクの足跡をたどり、1959年にアマチュアのフリーエージェントとしてミルウォーキー・ブレーブスと契約した。マイナーリーグでの最初のシーズンはAクラスのオークレア・ベアーズに所属し、打率.344で1960年のノーザン・リーグの打者チャンピオンに輝いた。
■ミルウォーキー/アトランタ・ブレーブス (1960-1968)
トーレは1960年9月25日のシーズン終盤にメジャーデビューを果たした。1961年のシーズンにはトリプルAのルイビル・コロネルズに移籍し、ブレーブスはオールスター捕手であったデル・クランドールの後継者として育てようと計画していた。しかし、クランドールが1961年5月に投球腕を負傷したため、その計画は変更され、ブレーブスはトーレをマイナーリーグでのわずか1年強の経験でメジャーリーグに昇格させることを余儀なくされた。トーレはこの機会に出世し、打率.278、21二塁打、10本塁打を記録した。彼は1961年のナ・リーグ新人王投票でビリー・ウィリアムズに次ぐ2位でシーズンを終えた。
1962年にクランドールは先発捕手としての役割を再開し、トーレはバックアップ捕手として残った[14]。1963年のシーズンまでに、トーレが先発捕手の役割を引き継いだため、ブレーブスはクランドールを一塁でプレーさせ始めていた。1963年12月、ブレーブスはクランドールをサンフランシスコ・ジャイアンツにトレードし、トーレが不動のナンバーワン捕手となった。
トーレは1964年にブレイクし、打率.321(ナ・リーグ4位)、20本塁打、109打点を記録し、防御率.995でナ・リーグの捕手をリードした。1964年のオールスターゲームではナ・リーグの先発捕手に選出された。
1965年、トーレは打率.382、10HR、24RBIを記録し、5月の月間最優秀選手賞を受賞。 1965年のオールスターゲームでは、トーレは再びナショナル・リーグの先発捕手となり、ミルト・パパスから2ランホームランを放ち、ナショナル・リーグの6-5の勝利に貢献した。トーレは1965年に最初で唯一のゴールドグラブ賞を受賞したが、野球史家のビル・ジェームズは後に、この決定は彼の攻撃的統計に影響されたものであり、ジョン・ローズボロかトム・ハラーのどちらかが受賞にふさわしかったと述べている。 同年のセントピーターズバーグ・インディペンデント紙の記事で、ビートジェネレーションの作家ジャック・ケルアックはトーレを「ロイ・カンパネラ以来最高の捕手」と呼んだ。
1966年のシーズン、ブレーブスはアトランタに移転し、アパラチア山脈のふもとの標高が高く、密集した雰囲気が少ないため、ホームランバッターに有利なアトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアムが新設された。 1966年4月12日、トーレはアトランタ球場史上初となるメジャーホームランを放った。1967年には打率.277、68打点と調子を落としたが、それでも20本塁打を放ち、4年連続でオールスターゲームに先発出場。1968年も打率.271、10本塁打、55打点と振るわなかったが、防御率.996でナ・リーグ捕手トップの成績を残した。
1969年のシーズン前、トーレはブレーブスのゼネラルマネージャーであるポール・リチャーズと年俸をめぐる確執に巻き込まれた。最終的にブレーブスはトーレをセントルイス・カージナルスにトレードし、1967年の最優秀選手賞を受賞したオーランド・セペダを獲得した。
■セントルイス・カージナルス(1969年-1974年)
1970年、カージナルスはカート・フラッド、バイロン・ブラウン、ジョー・ホーナーとともにマッカーバーをフィラデルフィア・フィリーズにトレードし、ディック・アレン、ジェリー・ジョンソン、クッキー・ロハスを獲得。アレンがカージナルスの一塁手となり、トーレは三塁手と若手有望株のテッド・シモンズと捕手を分担した。
カージナルスは1971年にシモンズを正捕手とし、トーレは三塁手に専念することになった。 トーレは打率.363でナ・リーグ打点王を獲得し、137打点でリーグトップとなり、1971年のナ・リーグ最優秀選手賞を受賞した。また、1971年のオールスターゲームではナ・リーグの先発三塁手に選ばれた。8月には2度目、そして最後のNL月間最優秀選手に選ばれた(.373、5HR、27RBI)。 12月には、フレッド・ハッチンソンの闘志と競争心を最も体現した選手に毎年贈られる1971年ハッチ賞を受賞した。
1972年、トーレはオールスターゲームでナショナル・リーグの三塁手として2年連続の先発出場を果たす。 しかし、このシーズンは打率.289、11本塁打、81打点という成績に終わった。さらに2年後、カージナルスは1974年10月13日、34歳のトーレをレイ・サデッキとトミー・ムーアとの交換トレードでニューヨーク・メッツに移籍させた。
■ニューヨーク・メッツ(1975-1977)
1975年にメッツに移籍したトーレは、メジャーリーグ史上3人目、ナ・リーグでは初の1試合4ダブルプレーを達成した選手となった。フェリックス・ミランはトーレの前の打席で4打席すべてシングルヒットを放ち、試合後の記者会見でトーレは自身の活躍について「これを可能にしてくれたフェリックス・ミランに感謝したい」とジョークを飛ばした。 1975年、トーレの打率が.247まで落ちたとき、彼の全盛期は終わったかと思われた。 1977年5月、メッツはジョー・フレイジャー監督を解任し、トーレを選手兼任監督に指名した。トーレは1970年代に3人の選手監督を務めたうちの2人目であり、他の2人は1975年と1976年にクリーブランド・インディアンスでフランク・ロビンソン、1979年にシカゴ・ホワイトソックスでドン・ケッシンジャーであった。 選手兼任監督として18日間、2打席に立った。 最後の打席は1977年6月17日、対ヒューストン・アストロズ戦(シア・スタジアム)。 彼は右飛に倒れ、現役生活にピリオドを打った。
人物
[編集]ニューヨーク・ヤンキースの監督だったことで知られるが、幼いころからナ・リーグ贔屓でニューヨーク・ジャイアンツとウィリー・メイズを応援し、ヤンキースは大嫌いだったと述べており、ヤンキースタジアムで初めてワールドシリーズを観戦したのは1956年10月8日のヤンキース対ブルックリン・ドジャースの第5戦で、大嫌いなヤンキースが負けることを願って生まれ故郷のチームであるドジャースを応援していたものの、この試合でヤンキースのドン・ラーセンがワールドシリーズ史上初の完全試合を達成。観ているうちに新たな歴史が刻まれるのではないかと期待し、達成された時は小躍りした。後に1999年7月18日にはドン・ラーセンがヤンキースタジアムで始球式を行い、その試合ではデビッド・コーンがモントリオール・エクスポズを相手に完全試合を達成しているが、この時のヤンキースの監督をつとめていたのはジョー・トーリであった。「大嫌いだったヤンキースの監督をつとめるとは、人生とはなんと皮肉なものだろう」とスコット・ピトニアック著の「ヤンキースタジアム物語」の序文で述べている[8]
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1960 | MLN | 2 | 2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .500 | .500 | .500 | 1.000 |
1961 | 113 | 441 | 406 | 40 | 113 | 21 | 4 | 10 | 172 | 42 | 3 | 5 | 2 | 1 | 28 | 4 | 4 | 60 | 10 | .278 | .330 | .424 | .754 | |
1962 | 80 | 248 | 220 | 23 | 62 | 8 | 1 | 5 | 87 | 26 | 1 | 0 | 0 | 2 | 24 | 2 | 2 | 24 | 6 | .282 | .355 | .395 | .750 | |
1963 | 142 | 556 | 501 | 57 | 147 | 19 | 4 | 14 | 216 | 71 | 1 | 5 | 1 | 7 | 42 | 4 | 5 | 79 | 19 | .293 | .350 | .431 | .781 | |
1964 | 154 | 646 | 601 | 87 | 193 | 36 | 5 | 20 | 299 | 109 | 2 | 4 | 0 | 2 | 36 | 4 | 7 | 67 | 26 | .321 | .365 | .498 | .863 | |
1965 | 148 | 594 | 523 | 68 | 152 | 21 | 1 | 27 | 256 | 80 | 0 | 1 | 0 | 2 | 61 | 7 | 8 | 79 | 22 | .291 | .372 | .489 | .861 | |
1966 | ATL | 148 | 614 | 546 | 83 | 172 | 20 | 3 | 36 | 306 | 101 | 0 | 4 | 2 | 4 | 60 | 8 | 2 | 61 | 18 | .315 | .382 | .560 | .942 |
1967 | 135 | 534 | 477 | 67 | 132 | 18 | 1 | 20 | 212 | 68 | 2 | 2 | 1 | 4 | 49 | 7 | 3 | 75 | 22 | .277 | .345 | .444 | .789 | |
1968 | 115 | 464 | 424 | 45 | 115 | 11 | 2 | 10 | 160 | 55 | 1 | 0 | 0 | 1 | 34 | 7 | 5 | 72 | 15 | .271 | .332 | .377 | .709 | |
1969 | STL | 159 | 678 | 602 | 72 | 174 | 29 | 6 | 18 | 269 | 101 | 0 | 0 | 0 | 5 | 66 | 13 | 5 | 85 | 10 | .289 | .361 | .447 | .808 |
1970 | 161 | 704 | 624 | 89 | 203 | 27 | 9 | 21 | 311 | 100 | 2 | 2 | 0 | 3 | 70 | 10 | 7 | 91 | 23 | .325 | .398 | .498 | .896 | |
1971 | 161 | 707 | 634 | 97 | 230 | 34 | 8 | 24 | 352 | 137 | 4 | 1 | 1 | 5 | 63 | 20 | 4 | 70 | 18 | .363 | .421 | .555 | .976 | |
1972 | 149 | 613 | 544 | 71 | 157 | 26 | 6 | 11 | 228 | 81 | 3 | 0 | 0 | 7 | 54 | 13 | 8 | 64 | 19 | .289 | .357 | .419 | .776 | |
1973 | 141 | 596 | 519 | 67 | 149 | 17 | 2 | 13 | 209 | 69 | 2 | 0 | 1 | 1 | 65 | 14 | 10 | 78 | 20 | .287 | .376 | .403 | .779 | |
1974 | 147 | 610 | 529 | 59 | 149 | 28 | 1 | 11 | 212 | 70 | 1 | 2 | 1 | 3 | 69 | 9 | 8 | 88 | 15 | .282 | .371 | .401 | .772 | |
1975 | NYM | 114 | 400 | 361 | 33 | 89 | 16 | 3 | 6 | 129 | 35 | 0 | 0 | 2 | 0 | 35 | 3 | 2 | 55 | 22 | .247 | .317 | .357 | .674 |
1976 | 114 | 340 | 310 | 36 | 95 | 10 | 3 | 5 | 126 | 31 | 1 | 3 | 2 | 2 | 21 | 1 | 5 | 35 | 16 | .306 | .358 | .406 | .764 | |
1977 | 26 | 54 | 51 | 2 | 9 | 3 | 0 | 1 | 15 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 10 | 3 | .176 | .204 | .294 | .498 | |
MLB:18年 | 2209 | 8801 | 7874 | 996 | 2342 | 344 | 59 | 252 | 3560 | 1185 | 23 | 29 | 13 | 50 | 779 | 127 | 85 | 1094 | 284 | .297 | .365 | .452 | .817 |
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
[編集]- 捕手守備
年 度 |
球 団 |
捕手(C) | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
捕 逸 |
許 盗 塁 |
盗 塁 刺 |
阻 止 率 | ||
1961 | MLN ATL |
112 | 494 | 50 | 10 | 4 | .982 | 10 | 29 | 28 | .491 |
1962 | 63 | 325 | 39 | 5 | 4 | .986 | 3 | 22 | 19 | .463 | |
1963 | 105 | 584 | 46 | 4 | 9 | .994 | 11 | 29 | 21 | .420 | |
1964 | 96 | 518 | 46 | 3 | 4 | .995 | 10 | 24 | 17 | .415 | |
1965 | 100 | 589 | 43 | 6 | 4 | .991 | 13 | 51 | 24 | .320 | |
1966 | 114 | 607 | 67 | 11 | 9 | .984 | 13 | 38 | 36 | .486 | |
1967 | 114 | 580 | 63 | 6 | 12 | .991 | 16 | 48 | 42 | .467 | |
1968 | 92 | 492 | 37 | 2 | 7 | .996 | 4 | 45 | 16 | .262 | |
1969 | STL | 17 | 90 | 8 | 1 | 0 | .990 | 2 | 3 | 6 | .667 |
1970 | 90 | 571 | 29 | 8 | 4 | .987 | 5 | 49 | 22 | .310 | |
MLB | 903 | 4850 | 428 | 56 | 57 | .990 | 87 | 338 | 231 | .406 |
- 内野守備
年 度 |
球 団 |
一塁(1B) | 三塁(3B) | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
1963 | MLN ATL |
37 | 335 | 30 | 2 | 36 | .995 | - | |||||
1964 | 70 | 563 | 48 | 4 | 49 | .993 | - | ||||||
1965 | 49 | 433 | 30 | 2 | 39 | .996 | - | ||||||
1966 | 36 | 267 | 20 | 1 | 24 | .997 | - | ||||||
1967 | 23 | 205 | 18 | 2 | 21 | .991 | - | ||||||
1968 | 29 | 241 | 11 | 0 | 19 | 1.000 | - | ||||||
1969 | STL | 144 | 1270 | 83 | 6 | 117 | .996 | - | |||||
1970 | 1 | 12 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 73 | 68 | 133 | 11 | 12 | .948 | |
1971 | - | 161 | 136 | 271 | 21 | 22 | .951 | ||||||
1972 | 27 | 234 | 16 | 4 | 17 | .984 | 117 | 102 | 182 | 11 | 17 | .963 | |
1973 | 114 | 833 | 60 | 6 | 80 | .993 | 58 | 48 | 68 | 6 | 3 | .951 | |
1974 | 139 | 1165 | 102 | 10 | 144 | .992 | 18 | 8 | 19 | 4 | 1 | .871 | |
1975 | NYM | 24 | 111 | 9 | 4 | 12 | .968 | 83 | 61 | 148 | 11 | 14 | .950 |
1976 | 78 | 590 | 49 | 7 | 40 | .989 | 4 | 3 | 3 | 0 | 2 | 1.000 | |
1977 | 16 | 83 | 2 | 1 | 9 | .988 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
MLB | 787 | 6342 | 478 | 49 | 607 | .993 | 515 | 426 | 825 | 64 | 71 | .951 |
- 外野守備
年 度 |
球 団 |
左翼(LF) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
1963 | MLN | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
MLB | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
- 各年度の太字はリーグ最高
- 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞
年度別監督成績
[編集]年 度 |
球 団 |
地 区 |
試 合 |
勝 利 |
敗 戦 |
勝 率 |
順 位/ チーム数 |
備 考 |
ポストシーズン 勝敗 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1977 | NYM | NL 東 | 117 | 49 | 68 | .419 | 6 / 6 | 途中就任 | |
1978 | 162 | 66 | 96 | .407 | 6 / 6 | ||||
1979 | 163 | 63 | 99 | .389 | 6 / 6 | ||||
1980 | 162 | 67 | 95 | .414 | 5 / 6 | ||||
1981 | 105 | 41 | 62 | .398 | 5 / 6、4 / 6[a] | ||||
1982 | ATL | NL 西 | 162 | 89 | 73 | .549 | 1 / 6 | NLCS敗退 | 0勝3敗 |
1983 | 162 | 88 | 74 | .543 | 2 / 6 | ||||
1984 | 162 | 80 | 82 | .494 | 3 / 6 | ||||
1990 | STL | NL 東 | 58 | 24 | 34 | .414 | 6 / 6 | 途中就任 | |
1991 | 162 | 84 | 78 | .519 | 2 / 6 | ||||
1992 | 162 | 83 | 79 | .512 | 3 / 6 | ||||
1993 | 162 | 87 | 75 | .537 | 3 / 7 | ||||
1994 | NL 中 | 115 | 53 | 61 | .465 | (3 / 5)[b] | |||
1995 | 47 | 20 | 27 | .426 | 4 / 5[c] | 途中解任 | |||
1996 | NYY | AL 東 | 162 | 92 | 70 | .568 | 1 / 5 | WS優勝 | 11勝4敗 |
1997 | 162 | 96 | 66 | .593 | 2 / 5 | ALDS敗退 | 2勝3敗 | ||
1998 | 162 | 114 | 48 | .704 | 1 / 5 | WS優勝 | 11勝2敗 | ||
1999 | 162 | 98 | 64 | .605 | 1 / 5 | WS優勝 | 11勝1敗 | ||
2000 | 161 | 87 | 74 | .540 | 1 / 5 | WS優勝 | 11勝5敗 | ||
2001 | 161 | 95 | 65 | .594 | 1 / 5 | WS敗退 | 10勝7敗 | ||
2002 | 161 | 103 | 58 | .640 | 1 / 5 | ALDS敗退 | 1勝3敗 | ||
2003 | 163 | 101 | 61 | .623 | 1 / 5 | WS敗退 | 9勝8敗 | ||
2004 | 162 | 101 | 61 | .623 | 1 / 5 | ALCS敗退 | 6勝5敗 | ||
2005 | 162 | 95 | 67 | .586 | 1 / 5 | ALDS敗退 | 2勝3敗 | ||
2006 | 162 | 97 | 65 | .599 | 1 / 5 | ALDS敗退 | 1勝3敗 | ||
2007 | 162 | 94 | 68 | .580 | 2 / 5 | ALDS敗退 | 1勝3敗 | ||
2008 | LAD | NL 西 | 162 | 84 | 78 | .519 | 1 / 5 | NLCS敗退 | 4勝4敗 |
2009 | 162 | 95 | 67 | .586 | 1 / 5 | NLCS敗退 | 4勝4敗 | ||
2010 | 162 | 80 | 82 | .494 | 4 / 5 | ||||
MLB:29年 | 4329 | 2326 | 1997 | .538 | 84勝58敗 |
- 各年度の太字年は最優秀監督賞受賞
- 順位の太字はプレーオフ進出(ワイルドカードを含む)
- a 50日間に及ぶストライキによりシーズンが前後期に二分された。
- b 232日間に及ぶ長期ストライキによりシーズンが中断したため、順位は暫定。
- c 解任時の順位
タイトル
[編集]表彰
[編集]記録
[編集]背番号
[編集]- 15(1960年 - 1968年)
- 9(1969年 - 1977年)
- 2(1974年日米野球)[9]
- 6(1996年 - 2010年)
著書
[編集]- 『覇者の条件―組織を成功に導く12のグラウンド・ルール』 Joe Torre's Ground Rules for Winners: 12 Keys to Managing Team Players, Tough Bosses, Setbacks, and Success
- 共著・2003年4月発売。
- 『ジョーからの贈りもの―若きサムライとの日々』
- 共著・2005年10月発売。日本に向けて書かれた作品。
- 『さらばヤンキース―我が監督時代』 The Yankee Years
- 2009年3月発売。ヤンキース退団後の作品。
脚注
[編集]- ^ “Clueless Joe” (英語). Daily News (New York: Mortimer Zuckerman). (1995年11月3日) 2009年3月3日閲覧。
- ^ a b c 「トーレ監督がヤンキース退団 一時代の終焉」『スラッガー』2008年1月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-1、46 - 48頁
- ^ “First person in Major League Baseball with 2,000 wins as manager and 2,000 hits as player” (英語). Guinness World Records. 2014年3月6日閲覧。
- ^ a b “Torre turns down offer to return as Yanks' skipper” (英語). 2008年6月28日閲覧。
- ^ “ESPN - Torre succeeds Little as Dodgers manager - MLB” (英語). 2008年6月28日閲覧。
- ^ Obama: 'Power of baseball' to change attitudes MLB.com (2016年3月22日) 2016年6月8日閲覧
- ^ 「国の為に戦うことを誇りに思うか」WBC米国代表が、今回は本気な理由 number.bunshun.jp
- ^ 早川書房刊 スコット・ピトアック著 松井みどり訳「ヤンキースタジアム物語」7-9ページ
- ^ B.B.MOOK 『日米野球80年史 1934 - 2014』 ベースボール・マガジン社、2014年、48頁。
関連項目
[編集]- 兄弟スポーツ選手一覧
- メジャーリーグベースボールの選手一覧
- メジャーリーグベースボールの監督一覧
- ニューヨーク・メッツの歴代監督一覧
- アトランタ・ブレーブスの歴代監督一覧
- セントルイス・カージナルスの歴代監督一覧
- ニューヨーク・ヤンキースの歴代監督一覧
- ロサンゼルス・ドジャースの歴代監督一覧
外部リンク
[編集]- Baseballhalloffame.org – アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 監督の通算成績と情報 Baseball-reference.com
- Joe Torre (@joetorre) - X(旧Twitter)