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1981年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1981年アメリカンリーグ
チャンピオンシップシリーズ
チーム 勝数
ニューヨーク・ヤンキース 3
オークランド・アスレチックス 0
シリーズ情報
試合日程 10月13日–15日
観客動員 3試合合計:15万1539人
1試合平均:05万0513人
MVP グレイグ・ネトルズ(NYY)
ALDS OAK 3–0 KC
NYY 3–2 MIL
殿堂表彰者 ボブ・レモン(NYY監督[注釈 1]
ヨギ・ベラ(NYYコーチ[注釈 2]
リッチ・ゴセージ(NYY投手)
レジー・ジャクソン(NYY外野手)
デーブ・ウィンフィールド(NYY外野手)
リッキー・ヘンダーソン(OAK外野手)
チーム情報
ニューヨーク・ヤンキース(NYY)
シリーズ出場 2年連続5回目
GM セドリック・タリス
監督 ボブ・レモン
シーズン成績 前期:34勝22敗・勝率.607
後期:25勝26敗・勝率.490
東地区前期優勝・後期5位

オークランド・アスレチックス(OAK)
シリーズ出場 6年ぶり6回目
GM ビリー・マーチン
監督 ビリー・マーチン(兼任)
シーズン成績 前期:37勝23敗・勝率.617
後期:27勝22敗・勝率.551
西地区前期優勝・後期2位

 < 1980
ALCS
1981

1982 > 

 < 1980
NLCS
1981

1982 > 
ワールドシリーズ

1981年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)ポストシーズンは10月6日に開幕した。アメリカンリーグの第13回リーグチャンピオンシップシリーズ(13th American League Championship Series、以下「リーグ優勝決定戦」と表記)は、13日から15日にかけて計3試合が開催された。その結果、ニューヨーク・ヤンキース東地区)がオークランド・アスレチックス西地区)を3勝0敗で下し、3年ぶり33回目のリーグ優勝およびワールドシリーズ進出を果たした。

この年は、選手会が6月12日から7月31日にかけてストライキを実施したため、レギュラーシーズンがスト前・スト後の2シーズン制となり、東西両地区で前期・後期優勝球団による年間王者決定戦(地区シリーズ)が組まれた。年間成績ではアスレチックスが西地区1位だったのに対し、ヤンキースは東地区4位と例年であればポストシーズン出場を逃す順位だが[注釈 3]、前期を制していたため地区シリーズに進出し、そこからリーグ優勝決定戦出場権を得た。

両球団がリーグ優勝決定戦で対戦するのはこれが初めて。この年のレギュラーシーズンでは両球団は7試合対戦し、ヤンキースが4勝3敗と勝ち越していた[1]。今シリーズは、全3試合の総得点がヤンキースの20点に対しアスレチックスは4点にとどまり、アスレチックスがリードしたのは第2戦・4回表の半イニングのみと、一方的な展開に終始した[2]シリーズMVPには、全3試合で3打点ずつの計9打点を挙げ、打率.500・1本塁打OPS 1.488という成績を残したヤンキースのグレイグ・ネトルズが選出された。しかしヤンキースは、ワールドシリーズではナショナルリーグ王者ロサンゼルス・ドジャースに2勝4敗で敗れ、3年ぶり23度目の優勝を逃した。

今シリーズの第3戦は、記録として残る最初の観客によるウェーブが行われたことで知られる。チアリーダークレイジー・ジョージ・ヘンダーソンによれば、試合が3回に入ったとき「誰も見たことがないことをやってやろう」と思い立って周囲の観客に呼びかけ、3度目の挑戦で球場を一周させることに成功したという[3]。ただ彼は、記録として残されてはいないものの、より小規模なウェーブを2年前からアイスホッケーNHLコロラド・ロッキーズの試合で先導していた[4]

試合結果

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1981年のアメリカンリーグ優勝決定戦は10月13日に開幕し、3日間で3試合が行われた。日程・結果は以下の通り。

日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月13日(火) 第1戦 オークランド・アスレチックス 1-3 ニューヨーク・ヤンキース ヤンキー・スタジアム
10月14日(水) 第2戦 オークランド・アスレチックス 3-13 ニューヨーク・ヤンキース
10月15日(木) 第3戦 ニューヨーク・ヤンキース 4-0 オークランド・アスレチックス アラメダ・カウンティ・コロシアム
優勝:ニューヨーク・ヤンキース(3勝0敗 / 3年ぶり33度目)

第1戦 10月13日

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映像外部リンク
MLB.comによる動画(英語)
初回裏、グレイグ・ネトルズの3点二塁打でヤンキースが先制(1分12秒)
9回表、リッチ・ゴセージがデーブ・マッケイを左飛に打ち取り試合終了、ヤンキースが先勝(32秒)
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
オークランド・アスレチックス 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 6 1
ニューヨーク・ヤンキース 3 0 0 0 0 0 0 0 X 3 7 1
  1. 勝利トミー・ジョン(1勝)  
  2. セーブリッチ・ゴセージ(1S)  
  3. 敗戦マイク・ノリス(1敗)  
  4. 審判
    [球審]ニック・ブレミガン
    [塁審]一塁: ラス・ゲーツ、二塁: ジェリー・ニューデッカー、三塁: マーティー・スプリングステッド
    [外審]左翼: ダーウッド・メリル、右翼: ビック・ボルタジオ
  5. 試合開始時刻: 東部夏時間UTC-4)午後8時27分 試合時間: 2時間52分 観客: 5万5740人 気温: 53°F(11.7°C)
    詳細: Baseball-Reference.com
両チームの先発ラインナップ
オークランド・アスレチックス ニューヨーク・ヤンキース
打順 守備 選手 打席 打順 守備 選手 打席
1 R・ヘンダーソン 1 J・マンフリー
2 D・マーフィー 2 L・ミルボーン
3 DH C・ジョンソン 3 D・ウィンフィールド
4 T・アーマス 4 R・ジャクソン
5 M・クラッツ 5 DH O・ギャンブル
6 K・ムーア 6 G・ネトルズ
7 J・ニューマン 7 B・ワトソン
8 D・マッケイ 8 R・セローン
9 R・ピーチャロ 9 W・ランドルフ
先発投手 投球 先発投手 投球
M・ノリス T・ジョン

ヤンキースは初回裏、2番ラリー・ミルボーンの右前打と2四球で二死満塁の好機を作り、6番グレイグ・ネトルズが左中間へ走者一掃の適時二塁打を放って先制した。アスレチックスはこのとき、左翼手リッキー・ヘンダーソンに左翼線寄りを守るよう指示を出しており、それが裏目に出た[5]。アスレチックスの先発投手マイク・ノリスは、2回以降は立ち直って相手打線に追加点を許さず、味方打線の反撃を待つ。5回表、アスレチックスは一死二・三塁とし、2番ドウェイン・マーフィーの二ゴロで三塁走者ロブ・ピーチャロが生還して1点を返した。しかしヤンキースの先発投手トミー・ジョンは、次打者クリフ・ジョンソンを二ゴロに打ち取ってアスレチックスの反撃を断った。

ジョンは、アスレチックス打線に6イニングで2併殺打を含む10本の内野ゴロを打たせたものの[6]、6回表の途中で右足首を痛めた。ジョン自身は続投する気でおり、イニング終了後にはクラブハウスへ下がって患部にテーピングを施したが、ダグアウトへ戻ったジョンに監督のボブ・レモンは「何かあったらオフの間ずっと頭痛の種になる」と降板を告げた[5]。7回表、ヤンキースは2番手投手にロン・デービスを起用し、相手打線を三者凡退に封じる。しかし8回表、デービスは一死一塁から3番ジョンソンを四球で歩かせ、リッチ・ゴセージにマウンドを譲った。この打席でジョンソンは、バットが欠けたとしてタイムを要求し、交換に時間をかけた。このあとデービスは制球を乱し、3球連続ボールで四球を与えた。これについてアスレチックス関係者は、デービスの投球テンポを崩させて降板に追い込み、翌日の第2戦に向けてゴセージを温存させない狙いがあったと明かす[6]。ゴセージはこの場面を無失点で切り抜けると、9回表も三者凡退で終わらせて試合を締めた。

第2戦 10月14日

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映像外部リンク
MLB.comによる動画(英語)
2回表、アスレチックスのトニー・アーマスが放った本塁打性の打球を、左翼手デーブ・ウィンフィールドがフェンス上に手を伸ばして捕球(54秒)
4回裏、ルー・ピネラの3点本塁打でヤンキースが5点差に突き放す(1分7秒)
9回表、ジョージ・フレイジャーがドウェイン・マーフィーを一ゴロ併殺に打ち取り試合終了、ヤンキースが連勝(35秒)
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
オークランド・アスレチックス 0 0 1 2 0 0 0 0 0 3 11 1
ニューヨーク・ヤンキース 1 0 0 7 0 1 4 0 X 13 19 0
  1. 勝利ジョージ・フレイジャー(1勝)  
  2. 敗戦スティーブ・マキャーティー(1敗)  
  3. 本塁打
    NYY:ルー・ピネラ1号3ラン、グレイグ・ネトルズ1号3ラン
  4. 審判
    [球審]ラス・ゲーツ
    [塁審]一塁: ジェリー・ニューデッカー、二塁: マーティー・スプリングステッド、三塁: ダーウッド・メリル
    [外審]左翼: ビック・ボルタジオ、右翼: ニック・ブレミガン
  5. 試合開始時刻: 東部夏時間UTC-4)午後2時10分 試合時間: 3時間8分 観客: 4万8497人 気温: 61°F(16.1°C)
    詳細: Baseball-Reference.com
両チームの先発ラインナップ
オークランド・アスレチックス ニューヨーク・ヤンキース
打順 守備 選手 打席 打順 守備 選手 打席
1 R・ヘンダーソン 1 J・マンフリー
2 D・マーフィー 2 L・ミルボーン
3 K・ムーア 3 D・ウィンフィールド
4 T・アーマス 4 R・ジャクソン
5 M・クラッツ 5 DH O・ギャンブル
6 M・ヒース 6 G・ネトルズ
7 D・マッケイ 7 B・ワトソン
8 DH R・ボセッティ 8 R・セローン
9 F・スタンリー 9 W・ランドルフ
先発投手 投球 先発投手 投球
S・マキャーティー R・メイ

ヤンキースは前日に続きこの日も、初回裏に先制点を挙げる。一死一・三塁とし、4番レジー・ジャクソンの二ゴロ間に三塁走者ジェリー・マンフリーが先制のホームを踏んだ。その直後の2回表、アスレチックスの先頭打者トニー・アーマスが左翼方向へ飛球を打ち上げた。打球は左翼スタンド最前列への同点本塁打になりそうだったが、左翼手デーブ・ウィンフィールドが左翼フェンスに足をかけて手を伸ばし、もぎ取ってアウトにした。3回表が始まるとき、ジャクソンは右翼守備へ向かう際に左ふくらはぎに異常を感じ[7]ルー・ピネラに交代した。アスレチックスはその回、一死二塁から1番リッキー・ヘンダーソンの適時三塁打で同点に追いつく。さらに4回表、一死一・二塁から7番デーブ・マッケイの適時打で1点を勝ち越し、相手先発投手ルディ・メイを降板に追い込むと、2番手投手ジョージ・フレイジャーに対し一死満塁として、9番フレッド・スタンリーの適時打でもう1点を加えた。ただフレイジャーは、次打者R・ヘンダーソンは「狙い通り」に投ゴロ併殺に仕留めた[8]

その直後の4回裏、ヤンキースは先頭打者グレイグ・ネトルズが右前打で出塁したのを足がかりに反撃に転じる。一死一・二塁から9番ウィリー・ランドルフの適時打で1点を返し、次打者マンフリーはストレートの四球を選んで満塁とする。アスレチックスも先発投手スティーブ・マキャーティーを諦め、デーブ・ベアードをマウンドへ送った。ここでヤンキース打線は、2番ラリー・ミルボーンの適時打でまず同点とすると、3番ウィンフィールドの二塁打で2点を勝ち越し、さらに4番ピネラの3点本塁打で点差を5点に広げた。この本塁打は左翼スタンド最前列に飛び込んでおり、もし左翼手が身長5フィート10インチ(約177.8cm)のR・ヘンダーソンではなく6フィート6インチ(約198.1cm)のウィンフィールドであれば、2回表のアーマスの打球と同じ結果になっていたかもしれなかった[7]。このあと打者一巡となり、6番ネトルズはこの回の2打席目でも右前打を放った。これはさらなる追加点にはつながらなかったものの、ネトルズはリーグ優勝決定戦史上初となる1イニング2安打を達成した[8]

ヤンキースはその後もアスレチックス救援投手陣を打ち崩し、6回裏に7番ボブ・ワトソンの適時打で1点、7回裏には5番オスカー・ギャンブル犠牲フライと次打者ネトルズの3点本塁打で4点を追加して、13-3とした。フレイジャーは5回以降も続投し、アスレチックス打線に4点目を許さない。9回表には観客から、アスレチックス監督のビリー・マーチンへ向けて「グッバイ・ビリー」とチャントが発生した[9]。その状況下でフレイジャーは、一死一塁から2番ドウェイン・マーフィーを一ゴロ併殺に打ち取って試合を締めた。これによりヤンキースが連勝でシリーズ突破に王手をかけた。

第3戦 10月15日

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映像外部リンク
MLB.comによる動画(英語)
9回表二死満塁、グレイグ・ネトルズの走者一掃二塁打でヤンキースが4点差に突き放す(44秒)
その裏、リッチ・ゴセージがウェイン・グロスを二飛に打ち取り試合終了、ヤンキースのリーグ優勝が決定(28秒)
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
ニューヨーク・ヤンキース 0 0 0 0 0 1 0 0 3 4 10 0
オークランド・アスレチックス 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5 2
  1. 勝利デイブ・リゲッティ(1勝)  
  2. 敗戦マット・キーオ(1敗)  
  3. 本塁打
    NYY:ウィリー・ランドルフ1号ソロ
  4. 審判
    [球審]ジェリー・ニューデッカー
    [塁審]一塁: マーティー・スプリングステッド、二塁: ダーウッド・メリル、三塁: ビック・ボルタジオ
    [外審]左翼: ニック・ブレミガン、右翼: ラス・ゲーツ
  5. 試合開始時刻: 太平洋夏時間UTC-7)午後5時28分 試合時間: 3時間19分 観客: 4万7302人 気温: 63°F(17.2°C)
    詳細: Baseball-Reference.com
両チームの先発ラインナップ
ニューヨーク・ヤンキース オークランド・アスレチックス
打順 守備 選手 打席 打順 守備 選手 打席
1 J・マンフリー 1 R・ヘンダーソン
2 L・ミルボーン 2 D・マーフィー
3 D・ウィンフィールド 3 DH C・ジョンソン
4 DH B・マーサー 4 T・アーマス
5 O・ギャンブル 5 M・クラッツ
6 G・ネトルズ 6 K・ムーア
7 B・ワトソン 7 D・マッケイ
8 R・セローン 8 J・ニューマン
9 W・ランドルフ 9 R・ピーチャロ
先発投手 投球 先発投手 投球
D・リゲッティ M・キーオ

この試合は、アスレチックスの先発投手マット・キーオがヤンキースの先頭打者ジェリー・マンフリーに対し頭部死球すれすれの球を投じ、マンフリーが避けながら打席に倒れ込んで始まった。この初球について2番ラリー・ミルボーンは「あれは俺たちへのメッセージだろうな」と、キーオが故意に投げたと判断した[10]。試合後、アスレチックス監督のビリー・マーチンは「頭を狙わせたのか」と訊かれ「ノーコメント」と繰り返した[11]。ヤンキースはマンフリーの見逃し三振のあと、ミルボーンの安打と2四球で二死満塁としたが、6番グレイグ・ネトルズが右飛に打ち取られた。一方のアスレチックスも、ヤンキースの先発投手デイブ・リゲッティに対し一死一・二塁としたが、4番トニー・アーマスは遊ゴロ併殺で先制の好機を逸した。

キーオは2回表に二死一・三塁、3回表には一死三塁、4回表にも二死一・二塁と、初回から4イニング連続で得点圏に走者を背負いながら無失点で切り抜けた。リゲッティも、2回裏一死一・二塁や3回裏無死二塁でアスレチックスに先制点を許さなかった。0-0で試合が進むなか、アスレチックスは主力選手を故障で失う。初回裏には2番ドウェイン・マーフィー胸郭を、5回裏には1番リッキー・ヘンダーソンが左手首を、それぞれ打席で痛めて途中交代した[12]。6回表、ヤンキースは二死無走者で9番ウィリー・ランドルフがソロ本塁打を放ち、均衡を破った。ランドルフの本塁打は4月28日以来だった[10]。リゲッティはその裏を三者凡退に封じると「俺の仕事は6イニングを投げること。そのあとは(ロン)デービス(リッチ)ゴセージがいるからな」と話す通り、7回裏からはデービスにマウンドを譲った[12]。これに対してアスレチックスはキーオを続投させ、試合は1-0のまま8回を終えた。

9回表、ヤンキースの先頭打者マンフリーが四球で出塁し、2番ミルボーンは犠牲バントを試みて初球を転がした。この打球処理で二塁手デーブ・マッケイ失策を犯し、無死一・二塁となった。アスレチックスは、キーオが3番デーブ・ウィンフィールドを三振させたところで継投に入り、2番手にトム・アンダーウッドを投入した。しかしヤンキース打線はアンダーウッドを打ち崩す。4番ボビー・マーサー代打ルー・ピネラは左前打で、左翼手マイク・ヒース送球により二塁走者マンフリーは本塁憤死に。5番オスカー・ギャンブルの代打バリー・フットは右前打で、今度は二塁走者ミルボーンが三塁で止まり満塁となる。そして6番ネトルズが中堅手リック・ボセッティの頭上を越える二塁打で走者を一掃し、ヤンキースは3連打でリードを4点に広げた。その裏は抑え投手ゴセージが登板して無失点で締め試合終了、ヤンキースが3年ぶりのリーグ優勝を決めた。

ヤンキースは試合後、球団オーナーのジョージ・スタインブレナーがクラブハウスでのシャンパンファイトを「ワールドシリーズに勝ったわけではない」として禁じたため、カリフォルニア州オークランド市内のレストランで祝勝会を実施した[6]。この会で、ネトルズとレジー・ジャクソンが殴り合いの喧嘩をする事件が起きた。ジャクソンが会に友人を連れてきて、その友人がネトルズ夫妻のテーブルに割り込み妻に席をどくよう要求してきたため、ネトルズが激昂し喧嘩に発展したという[13]。ワールドシリーズ敗退後、ネトルズがヤンキースの主将に任命される一方、ジャクソンはヤンキースとの5年契約を満了してFAとなり、カリフォルニア・エンゼルスへ移籍する。

評価

[編集]

ハードボール・タイムズ』のクリス・ジャフは2012年10月、歴代のポストシーズン各シリーズのうち、優勝球団が初戦から全勝する "スウィープ" のシリーズを対象に「敗退球団がリードしたイニング数が10以上なら0ポイント、5以上10未満なら2ポイント、……全くなければ25ポイント」「1試合平均の得点差が2未満なら0ポイント、2以上2.5未満なら1ポイント、……3以上3.5未満なら5ポイント、以降は0.5点ごとに2ポイントずつ加算」などの条件を設定し、つまらなさを算出した。その結果、今シリーズは58ポイントを獲得し、同年の両リーグ優勝決定戦まで計67度のスウィープ中2位タイとなった[注釈 4][2]

脚注

[編集]

注釈

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  1. ^ 殿堂入りは指導者としてではなく、投手としての功績が評価されてのもの。
  2. ^ 殿堂入りは指導者としてではなく、捕手としての功績が評価されてのもの。
  3. ^ 東地区の年間勝率1位は、ミルウォーキー・ブルワーズ。ブルワーズは後期優勝を果たし地区シリーズに進出したが、ヤンキースに2勝3敗で敗れた。
  4. ^ 1位は1989年のワールドシリーズで67ポイント。58ポイントで今シリーズと並んだのは、1970年のアメリカンリーグ優勝決定戦である。

出典

[編集]
  1. ^ "1981 New York Yankees Schedule," Baseball-Reference.com. 2021年2月7日閲覧。
  2. ^ a b Chris Jaffe, "The 10 worst postseason sweeps ever," The Hardball Times, October 22, 2012. 2021年2月7日閲覧。
  3. ^ Finlo Rohrer, "Who invented the Mexican Wave?," BBC News, June 16, 2010. 2021年2月7日閲覧。
  4. ^ Joshua Kloke, "Colorado was the birthplace of ‘The Wave’," The Hockey News on Sports Illustrated, March 28, 2015. 2021年2月7日閲覧。
  5. ^ a b Murray Chass, "YANKS TOP A'S, 3-1, IN FIRST GAME OF PENNANT PLAYOFF," The New York Times, October 14, 1981. 2021年2月7日閲覧。
  6. ^ a b c Jim Kaplan, "ALL THE YANKEES WERE DANDIES," Sports Illustrated Vault, October 26, 1981. 2021年2月7日閲覧。
  7. ^ a b Ken Denlinger, "Of Hits and Heights: Winfield's Winsome Way," The Washington Post, October 15, 1981. 2021年2月7日閲覧。
  8. ^ a b Murray Chass, "YANKS ROUT A'S, 13-3, ON 7-RUN 4TH FOR 2-GAME LEAD," The New York Times, October 15, 1981. 2021年2月7日閲覧。
  9. ^ Mike Tully, UPI Sports Writer, "The New York Yankees found the answer to Billy...," UPI Archives, October 14, 1981. 2021年2月7日閲覧。
  10. ^ a b Murray Chass, Special to the New York Times, "YANKEES BEAT A'S, 4-0, AND GAIN WORLD SERIES," The New York Times, October 16, 1981. 2021年2月7日閲覧。
  11. ^ Dave Anderson, "SPORTS OF THE TIMES; FOR THE YANKEES, IT'S BOBBYBALL NOW," The New York Times, October 16, 1981. 2021年2月7日閲覧。
  12. ^ a b Gary Pomerantz, "Yankees Sweep A's," The Washington Post, October 16, 1981. 2021年2月7日閲覧。
  13. ^ Gary Pomerantz, "The Yankees Are At It Again," The Washington Post, October 17, 1981. 2021年2月7日閲覧。

外部リンク

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