ロン・ギドリー
サイン会でのギドリー(2013年5月12日) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ルイジアナ州ラファイエット |
生年月日 | 1950年8月28日(74歳) |
身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 162 lb =約73.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1971年 ドラフト3巡目 |
初出場 | 1975年7月27日 |
最終出場 | 1988年9月27日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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ロナルド・エイムズ・ギドリー(Ronald Ames Guidry, 1950年8月28日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手。アメリカ合衆国ルイジアナ州ラファイエット出身。ニックネームは「Louisiana Lightning」,「Gator」。
現役時代
[編集]1971年のMLBドラフトでニューヨーク・ヤンキースから3巡目に指名を受け入団。1975年はAAA級で6勝5敗14セーブ・防御率2.90を記録してメジャーに昇格し、7月27日のボストン・レッドソックス戦でメジャーデビュー。1976年は開幕をマイナーで迎えたが、好成績を残して昇格。しかし初登板で滅多打ちに遭いすぐに降格。マイナーでは5勝1敗9セーブ・防御率0.68を記録し、8月に再昇格するが目立った成績は残せなかった。チームは地区優勝し、カンザスシティ・ロイヤルズとのリーグチャンピオンシップシリーズではロースター入りを果たす。登板機会はなかったが第4戦で代走として出場した。この間にチームメイトでクローザーのスパーキー・ライルのスライダーに注目し、これを習得する。1977年のスプリングトレーニング中、オーナーのジョージ・スタインブレナーの意向でトレード要員になるが、ゲイブ・ポールGMが「大成する可能性がある」と言って制止する。開幕当初はリリーフでの起用だったが、5月中旬から先発ローテーション入りし、6月16日のロイヤルズ戦でメジャー初完封。後半戦で8連勝を含む10勝を挙げ、16勝7敗・防御率2.82を記録し、チームの地区連覇に貢献。前年に続きロイヤルズとの対戦となったリーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦に先発し、2失点完投勝利。最終第5戦では3回途中で降板するが、チームは9回に逆転して勝利しリーグ連覇を果たす。ロサンゼルス・ドジャースとのワールドシリーズでは第4戦に先発し2失点完投勝利。チームは4勝2敗で15年ぶりのワールドチャンピオンに輝いた。
1978年は初の開幕投手を務め、6月17日のカリフォルニア・エンゼルス戦で左腕投手としてのメジャー記録となる18奪三振。開幕から13連勝を記録し、オールスターゲームに初めて選出される。チームは一時レッドソックスに最大14ゲーム差を付けられるが9月に逆転。シーズン最終戦で同率で並ばれるが、ワンゲームプレーオフで先発して7回途中2失点で勝利投手となるなど25勝3敗・防御率1.74・248奪三振、いずれもリーグトップの勝率.893・9完封・WHIP0.95の好成績で最優秀防御率・最多勝の二冠を獲得し、地区3連覇に大きく貢献する。3年連続でロイヤルズとの対戦となったリーグチャンピオンシップシリーズでは第4戦に先発し、8回1失点の好投で勝利投手となり、リーグ3連覇を果たす。ドジャースとのワールドシリーズでは連敗後の第3戦に先発し、7四球を与えたものの1失点完投勝利。チームはその後3連勝でシリーズ連覇を達成した。オフにサイ・ヤング賞を満票で受賞し、MVPの投票でもジム・ライスに次ぐ2位に入った。1979年は6月に故障者リスト入りするなど前半戦は6勝に留まるが、後半戦で11連勝を含む12勝を挙げるなど18勝8敗・防御率2.78・201奪三振を記録し、2年連続の最優秀防御率を獲得した。1980年は4月は勝敗なしだったが5月に5連勝。17勝を挙げてチームの2年ぶりの地区優勝に貢献。4度目の対戦となったロイヤルズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発したが3回4失点で敗戦投手となり、チームも3連敗で敗退した。1981年は50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮されて前後期制の変則日程となる。ストライキ明けから6連勝するなど後半戦で防御率1.74を記録し、11勝5敗・防御率2.76の成績でチームは前期優勝。ミルウォーキー・ブルワーズとのディビジョンシリーズでは第1戦と第5戦に先発したが、共に5回を投げ切れない不本意な内容。リーグチャンピオンシップシリーズでは登板機会はなかったが、チームは3年ぶりのリーグ優勝。ドジャースとのワールドシリーズでは第1戦に先発し7回1失点で勝利投手。第5戦では6回まで無失点も7回にペドロ・ゲレーロ、スティーブ・イェーガーに連続本塁打を浴びて逆転を許し敗戦投手。チームは2勝4敗で敗退した。オフにフリーエージェントとなるが再契約。
1982年は3年ぶりのオールスターゲームに選出され、14勝8敗・防御率3.81を記録して初のゴールドグラブ賞を受賞し、以後4年連続で受賞する。1983年は後半戦だけで14完投を記録するなど21勝9敗・防御率3.42、リーグ最多の21完投の成績。1984年8月7日のシカゴ・ホワイトソックス戦で9回に3者連続で3球三振を記録し、リーグ史上8人目、メジャー史上20人目の快挙を達成。しかしその後故障で1ヶ月離脱し、10勝11敗・防御率4.51と初の負け越し。1985年は4月は1勝3敗だったが、5月から12連勝。22勝6敗・防御率3.27を記録し、2度目の最多勝を獲得。サイ・ヤング賞の投票ではブレット・セイバーヘイゲンに次ぐ2位。1986年3月4日にウィリー・ランドルフと共に副キャプテンに就任。しかし同年腕を痛め、途中7連敗を喫するなど9勝12敗に留まる。オフに再びフリーエージェントとなり、1987年5月1日に再契約。終盤故障で離脱するなど22試合の登板で5勝に終わる。1988年は僅か2勝に終わり、フリーエージェントとなってマイナー契約を結ぶが、1989年はマイナーでも結果を残せず、7月12日に現役引退を表明した。通算170勝は球団史上4位、1778奪三振はホワイティ・フォードに次ぐ2位。通算勝率も引退当時はフォードに次ぐ史上2位であった。
投手としての球種はスライダー。『guide to pitchers』(米書 より)
引退後
[編集]引退後はヤンキース傘下のマイナーで投手コーチなどを歴任。2003年8月23日に背番号『49』が球団史上16番目の永久欠番に指定された。ヤンキー・スタジアムのモニュメント・パークにレリーフが設置され、そこには「圧倒的な投手で、信頼の厚いリーダー」「真のヤンキースの一員」という文字が刻まれている。式典にはモニュメント・パークに自身のレリーフが設置されるほか、当時存命していた永久欠番選手のフィル・リズート、ヨギ・ベラ、フォード、レジー・ジャクソン、ドン・マッティングリーの5名が出席した。投手ではフォード以来2人目の欠番である。2006年にメル・ストットルマイヤーの後任として、2007年までヤンキースの投手コーチに就任した。現在はヤンキースのスペシャルアドバイザーとして、スプリング・トレーニングで後進の指導を行っている。
逸話
[編集]- ヤンキースの後輩にあたるアンディ・ペティットは、同じルイジアナ州出身の彼に憧れて野球を始めた。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1975 | NYY | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 69 | 15.2 | 15 | 0 | 9 | 0 | 1 | 15 | 1 | 0 | 6 | 6 | 3.45 | 1.53 |
1976 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 72 | 16.0 | 20 | 1 | 4 | 0 | 0 | 12 | 0 | 0 | 12 | 10 | 5.62 | 1.50 | |
1977 | 31 | 25 | 9 | 5 | 3 | 16 | 7 | 1 | -- | .696 | 850 | 210.2 | 174 | 12 | 65 | 2 | 0 | 176 | 6 | 0 | 72 | 66 | 2.82 | 1.13 | |
1978 | 35 | 35 | 16 | 9 | 3 | 25 | 3 | 0 | -- | .893 | 1057 | 273.2 | 187 | 13 | 72 | 1 | 1 | 248 | 7 | 1 | 61 | 53 | 1.74 | 0.95 | |
1979 | 33 | 30 | 15 | 2 | 1 | 18 | 8 | 2 | -- | .692 | 946 | 236.1 | 203 | 20 | 71 | 0 | 0 | 201 | 9 | 0 | 83 | 73 | 2.78 | 1.16 | |
1980 | 37 | 29 | 5 | 3 | 0 | 17 | 10 | 1 | -- | .630 | 929 | 219.2 | 215 | 19 | 80 | 1 | 1 | 166 | 5 | 0 | 97 | 87 | 3.56 | 1.34 | |
1981 | 23 | 21 | 0 | 0 | 0 | 11 | 5 | 0 | -- | .688 | 497 | 127.0 | 100 | 12 | 26 | 0 | 1 | 104 | 6 | 0 | 41 | 39 | 2.76 | 0.99 | |
1982 | 34 | 33 | 6 | 1 | 1 | 14 | 8 | 0 | -- | .636 | 935 | 222.0 | 216 | 22 | 69 | 3 | 1 | 162 | 6 | 1 | 104 | 94 | 3.81 | 1.28 | |
1983 | 31 | 31 | 21 | 3 | 3 | 21 | 9 | 0 | -- | .700 | 1024 | 250.1 | 232 | 26 | 60 | 3 | 2 | 156 | 4 | 2 | 99 | 95 | 3.42 | 1.17 | |
1984 | 29 | 28 | 5 | 1 | 3 | 10 | 11 | 0 | -- | .476 | 841 | 195.2 | 223 | 24 | 44 | 3 | 2 | 127 | 1 | 0 | 102 | 98 | 4.51 | 1.36 | |
1985 | 34 | 33 | 11 | 2 | 0 | 22 | 6 | 0 | -- | .786 | 1033 | 259.0 | 243 | 28 | 42 | 3 | 0 | 143 | 3 | 1 | 104 | 94 | 3.27 | 1.10 | |
1986 | 30 | 30 | 5 | 0 | 0 | 9 | 12 | 0 | -- | .429 | 809 | 192.1 | 202 | 28 | 38 | 2 | 1 | 140 | 3 | 0 | 94 | 85 | 3.98 | 1.25 | |
1987 | 22 | 17 | 2 | 0 | 0 | 5 | 8 | 0 | -- | .385 | 493 | 117.2 | 111 | 14 | 38 | 3 | 1 | 96 | 3 | 1 | 50 | 48 | 3.67 | 1.27 | |
1988 | 12 | 10 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | -- | .400 | 239 | 56.0 | 57 | 7 | 15 | 3 | 2 | 32 | 2 | 2 | 28 | 26 | 4.18 | 1.29 | |
MLB:14年 | 368 | 323 | 95 | 26 | 14 | 170 | 91 | 4 | -- | .651 | 9794 | 2392.0 | 2198 | 226 | 633 | 24 | 13 | 1778 | 56 | 8 | 953 | 874 | 3.29 | 1.18 |
- 各年度の太字はリーグ最高
- 「-」は記録なし
タイトル
[編集]- 最多勝利 2回:1978年, 1985年
- 最優秀防御率 2回:1978年, 1979年
表彰・記録
[編集]- サイ・ヤング賞 1回:1978年
- ゴールドグラブ賞 5回:1982年 - 1986年
- MLBオールスターゲーム選出 4回:1978年, 1979年, 1982年, 1983年
- ロベルト・クレメンテ賞 1回:1984年
- シーズン9完封:1978年 ※ベーブ・ルースと並ぶア・リーグ左投手最多タイ記録