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ビル・ガリクソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ビル・ガリクソン
Bill Gullickson
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミネソタ州マーシャル
生年月日 (1959-02-20) 1959年2月20日(65歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1977年 MLBドラフト1巡目
初出場 MLB / 1979年9月26日
NPB / 1988年4月9日
最終出場 MLB / 1994年8月7日
NPB / 1989年8月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ウィリアム・リー・ガリクソンWilliam Lee "Bill" Gullickson, 1959年2月20日 - )は、元プロ野球選手アメリカ合衆国ミネソタ州出身。右投げ右打ちの投手で、アメリカ・メジャーリーグの他、日本プロ野球の読売ジャイアンツでも選手として活動した。

経歴

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イリノイ州のジョリエットカソリック高校を卒業し、1977年6月のMLBドラフトモントリオール・エクスポズに1位指名(全体で2番目)されエクスポズに入団。1980年にブレークを果たし、10勝5敗という成績を残してナショナルリーグ新人王投票でスティーブ・ハウに続き2位に入る。また、その年の試合で挙げた18奪三振は、1998年ケリー・ウッドが20奪三振で更新するまでルーキーとしては最多であった。この18奪三振という記録は現在のワシントン・ナショナルズの球団記録である。

1981年にはエクスポズにとって唯一となる地区優勝に7勝9敗、防御率2.81で貢献する。この年は50日間に及ぶストライキの影響で試合数が少なく、勝ち星は伸びなかったが、その後ガリクソンは毎年2桁勝利を挙げ続ける事となった。1986年シンシナティ・レッズに移籍し、15勝12敗の成績を残す。翌シーズン途中にレッズからニューヨーク・ヤンキース移籍するが水が合わず、1988年1月13日に日本の読売ジャイアンツの2億円のオファーを受け海を渡る。

1988年1989年の2年間、巨人に在籍。1型糖尿病を患いながらも2年間で21勝(14敗)を挙げる。糖尿病は激しい運動は無理であるというイメージを持つ人々にとって、インスリンを打っての登板は衝撃的であった。この時の日本生活を振り返り、ガリクソンは「奇妙だった」「唯一見た英語単語SonyMitsubishiだけだった」と後述している。巨人在籍時代、ガリクソンは桑田真澄投手と仲が良く、彼のような真面目な大人になって欲しいと1988年に東京で生まれた息子、クレッグのミドルネームに「クワタ」と名づけている[1](桑田の選手生活晩年にメジャー挑戦を決意させたのも、この頃ガリクソンが桑田にメジャーについて語ったことが大きく影響している)。また、長嶋茂雄の息子、長嶋一茂がプロ入り初本塁打を打った相手投手はガリクソンであった。ピッチャーゴロを右手の素手でとる癖が見受けられた。1989年11月20日、巨人を退団した。

1990年よりメジャーリーグベースボールヒューストン・アストロズに復帰、1991年にはデトロイト・タイガースで自己最高となる20勝(9敗)を挙げアメリカンリーグ最多勝利投手に輝いた。1994年に怪我のため引退。

第一線の現役メジャーリーガーの日本球団入団も比較的異例だが、日本で実績を残し、さらに帰国後数年に渡って再びMLBでも活躍した稀有な選手の一人である。

引退後の1998年、社会的貢献をした1型糖尿病(小児糖尿病)患者を表彰するため、日本糖尿病協会が彼の名前を冠した「ガリクソン賞」を制定した。

妻のサンディとの間に1男5女をもうけ、その内次女のカーリー・ガリクソンはプロテニス選手となり、2009年全米オープン混合ダブルス優勝者になっている。また三女のチェルシーもテニス選手となり、大学テニスの名門校であるジョージア大学に進学しNCAA女子テニス選手権に出場している[2][3]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1979 MON 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 4 1.0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 2.00
1980 24 19 5 2 0 10 5 0 -- .667 593 141.0 127 6 50 2 2 120 5 0 53 47 3.00 1.26
1981 22 22 3 2 1 7 9 0 -- .438 640 157.1 142 3 34 4 4 115 4 0 54 49 2.80 1.12
1982 34 34 6 0 2 12 14 0 -- .462 990 236.2 231 25 61 2 4 155 11 3 101 94 3.57 1.23
1983 34 34 10 1 2 17 12 0 -- .586 990 242.1 230 19 59 4 4 120 4 1 108 101 3.75 1.19
1984 32 32 3 0 2 12 9 0 -- .571 919 226.2 230 27 37 7 1 100 5 0 100 91 3.61 1.18
1985 29 29 4 1 2 14 12 0 -- .538 759 181.1 187 8 47 9 1 68 1 1 78 71 3.52 1.29
1986 CIN 37 37 6 2 3 15 12 0 -- .556 1014 244.2 245 24 60 10 2 121 3 0 103 92 3.38 1.25
1987 27 27 3 1 1 10 11 0 -- .476 698 165.0 172 33 39 6 2 89 4 1 99 89 4.85 1.28
NYY 8 8 1 0 0 4 2 0 -- .667 198 48.0 46 7 11 1 1 28 0 0 29 26 4.88 1.19
'87計 35 35 4 1 1 14 13 0 -- .519 896 213.0 218 40 50 7 3 117 4 1 128 115 4.86 1.26
1988 巨人 26 26 14 3 1 14 9 0 -- .609 818 203.1 173 17 45 8 6 134 6 1 77 70 3.10 1.07
1989 15 15 6 0 0 7 5 0 -- .583 451 111.0 97 11 34 1 1 97 7 0 47 45 3.65 1.18
1990 HOU 32 32 2 1 1 10 14 0 -- .417 846 193.1 221 21 61 14 2 73 3 2 100 82 3.82 1.46
1991 DET 35 35 4 0 2 20 9 0 -- .690 954 226.1 256 22 44 13 4 91 4 0 109 98 3.90 1.33
1992 34 34 4 1 1 14 13 0 -- .519 919 221.2 228 35 50 5 0 64 6 0 109 107 4.34 1.25
1993 28 28 2 0 1 13 9 0 -- .591 699 159.1 186 28 44 3 3 70 2 0 106 95 5.37 1.44
1994 21 19 1 0 0 4 5 0 -- .444 521 115.1 156 24 25 2 4 65 4 0 79 76 5.93 1.57
MLB:14年 398 390 54 11 18 162 136 0 -- .544 10744 2560.0 2659 282 622 82 34 1279 56 8 1228 1118 3.93 1.28
NPB:2年 41 41 20 3 1 21 14 0 -- .600 1269 314.1 270 28 79 9 7 231 13 1 124 115 3.29 1.11
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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MLB

表彰

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NPB

背番号

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  • 34 (1979年 - 1987年途中)
  • 39 (1987年途中)
  • 45 (1987年途中 - 同年終了)
  • 20 (1988年 - 1989年)
  • 36 (1990年 - 1994年)

脚注

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  1. ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 5』講談社、2004年。 
  2. ^ 全米テニス協会 (2005年2月24日). “Chelsey Gullickson: Junior Spotlight of the Week”. 2010年4月25日閲覧。
  3. ^ ジョージア大学 (2008年8月9日). “Chelsey Gullickson”. 2010年4月25日閲覧。

著書

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  • ナイスコントロール!―ガリクソン投手のおくりもの(鈴木吉彦との共著、医歯薬出版、1990年1月)

関連項目

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外部リンク

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