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ジム・トーミ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジム・トーミ
Jim Thome
フィリーズ復帰後のトーミの走塁(2012年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州ピオリア
生年月日 (1970-08-27) 1970年8月27日(54歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
250 lb =約113.4 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 指名打者一塁手三塁手
プロ入り 1989年 MLBドラフト13巡目
初出場 1991年9月4日
最終出場 2012年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 2018年
得票率 89.8%
選出方法 BBWAA選出

ジェームス・ハワード・トーミJames Howard Thome, 1970年8月27日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州ピオリア出身の元プロ野球選手指名打者一塁手三塁手)。右投左打。

MLB歴代8位となる通算612本塁打を記録する[1]。2018年、アメリカ野球殿堂入りを果たした[2]

経歴

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クリーブランド・インディアンス時代(1991年 - 2002年)

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1989年MLBドラフトクリーブランド・インディアンスから13巡目(全体333位)に指名されプロ入り。

1991年9月4日ツインズ戦でメジャーデビュー。

1994年に初の2桁本塁打(20本)を記録して以来、2002年までインディアンスの中心打者として活躍。

1995年には自己最高となる打率.314、25本塁打を記録し、これはアメリカンリーグの三塁手でゲイリー・ガイエティの35本塁打に次ぐ2位だった[3]。チームは1954年以来51年ぶりにワールドシリーズへ進出し、計10試合のポストシーズン、トーミは打率は.213だったが、8本塁打、10打点を記録した。

1996年には38本塁打、116打点、122得点、123四球を記録し、1950年アル・ローゼン以来球団史上2人目となる30本塁打・100打点・100得点・100四球を達成[4]

1997年はトレードでマット・ウィリアムズが加入したため三塁手から一塁手へコンバートされた[5][6]。シーズン40本塁打を記録し、5月14日のレンジャーズ戦で通算100本塁打を達成[6]7月8日に行われたオールスターゲームに初めて選出された。

2001年に49本塁打を記録しハル・トラスキーの持つ左打者としてのシーズン本塁打球団記録を更新し、アルバート・ベルの通算本塁打の球団記録を更新[5]また、マービン・ミラー賞を受賞している。

2002年自己最多、1995年のベルが記録した球団記録の50本塁打を更新する52本塁打を記録し[7]、6月25日から7月3日にかけてMLB記録にあと1試合に迫る7試合連続本塁打を記録した[4]。シーズン終了後の10月22日にロベルト・クレメンテ賞を受賞[4]。インディアンスは5年6000万ドル前後の規模で契約延長を打診したが拒否し[8]、10月28日にフリーエージェントとなった。

フィラデルフィア・フィリーズ時代(2003年 - 2005年)

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2002年12月6日に6年総額8500万ドルでフィラデルフィア・フィリーズへ移籍[9][10]

フィリーズ時代(2005年)

補強の最大の目玉として[11]迎えた2003年マイク・シュミットの球団記録の48本にあと1本に迫る47本塁打を放ち[12]、自身初の本塁打王のタイトルを獲得し、打点は自己最多の131を記録した。チームはシーズン終盤ワイルドカード争いを繰り広げ、トーミは9月にナ・リーグ月間MVPを受賞。プレーオフ進出はならなかったが、監督のラリー・ボーワはトーミを絶賛した[11]。 

2004年オールスターまでに28本塁打、61打点を記録し、5年ぶりにオールスター選出を果たした。42本塁打を記録し、通算400本塁打を達成した。2005年は右ひじの故障のため59試合出場、打率.207、7本塁打、30打点に終わり、6月30日の出場を最後にシーズンを終え、8月には右ひじの手術をした[10]

トーミの後釜に入ったライアン・ハワード新人王を受賞する活躍で台頭。

シカゴ・ホワイトソックス時代(2006年 - 2009年)

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ホワイトソックス時代のトーミ(2008年)

2005年11月25日にトーミと球団には4年4600万ドルの契約が残っていたが、フィリーズはホワイトソックスに2200万ドルを支払い、アーロン・ローワンドらとのトレードでシカゴ・ホワイトソックスへ移籍した[10]

2006年から一塁手にはポール・コネルコがいたためトーミは指名打者として起用された。同年のオールスターゲーム以降は手首の故障とハムストリングの痛みに悩まされたが[13]、打率.288、42本塁打、109打点と復活を果たし、カムバック賞を受賞した。

2007年9月16日にサヨナラ本塁打でMLB史上23人目の500本塁打を達成[14]

6年契約には2007年に600打席以上または2007年・2008年の打席数が1100以上ならば2009年のオプションが自動的に行使される条項がある。トーミの2007年の打席数は536でオプション行使はならなかったが、2008年9月21日に2007年からの打席数が1100を上回ったため、オプションが行使され、2009年は年俸1300万ドルでプレーすることが決まった[15]。9月30日に行われたミネソタ・ツインズとのワンゲームプレーオフで、7回先頭打者のトーミはニック・ブラックバーンからソロ本塁打を放ち、試合の得点はこの本塁打の1点のみでホワイトソックスが勝利し[16]、3年ぶりの地区優勝となった。

ロサンゼルス・ドジャース時代(2009年)

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2009年8月31日にジャスティン・フラーとの交換トレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[17]が、足の故障もあり、大部分が代打での出場で、打率.235、3打点、本塁打0の成績で、同年シーズン終了後は再びフリーエージェントになる。

ミネソタ・ツインズ時代(2010年 - 2011年)

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インディアンス戦でソロ本塁打を打つトーミ(2010年9月21日)

2010年1月にミネソタ・ツインズと年俸150万ドル(約1億3000万円)で移籍。この契約は近年のトーミの成績を考えても破格の安さだが、打席数に応じて最大750万ドルの出来高払いがあるという。

このシーズンは休養を挟みながら108試合の出場にとどまったが、わずか276打数で25本塁打を記録する活躍でチームの地区優勝に貢献した。

2011年1月には引き続きツインズと年俸300万ドルで1年契約。前年同様打席に応じたボーナスがある。8月15日のデトロイト・タイガース戦で史上8人目の通算600本塁打を達成。

インディアンス復帰(2011年)

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2011年8月25日に1対1(後日に選手または金銭)の交換トレードでインディアンスに移籍し9年ぶりに復帰。合流初戦ではチームメイト全員がトーミのトレードマークであるストッキングを上げるオールドスタイルでプレーした。その試合後、復帰記念の花火大会を行った。

フィリーズ復帰(2012年)

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2012年

2012年にフィリーズに7年ぶりに復帰。6月23日に代打で出場して試合に終止符を打つ本塁打を放ち、これがMLB記録の通算13本目のサヨナラ本塁打となった[18]。このサヨナラ本塁打の記録はギネス世界記録に認定されている[19]

オリオールズ時代(2012年)

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2012年6月30日にボルチモア・オリオールズへ移籍。オフにFAになるが、このオリオールズでのプレーが現役最後となった。

引退後

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トーミのインディアンス在籍時の背番号「25」。
クリーブランド・インディアンスの永久欠番2018年指定。

2013年に古巣ホワイトソックスのGM補佐に就任した。

2018年1月25日、資格取得1年目でアメリカ野球殿堂入りを果たす[20]。また、殿堂入りを記念し、古巣インディアンスはトーミの在籍時の背番号「25」を永久欠番に指定、2018年8月18日に欠番表彰式が行われた[21]。なお、トーミの欠番指定翌年の2019年にインディアンスの永久欠番指定選手だったフランク・ロビンソンが死去したため、現在インディアンスの永久欠番指定選手で存命するのはトーミが唯一である。

選手としての特徴・人物

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打撃では昔ながらのクラシックなパワーヒッターとしての球のとらえ方を持ち味とする[22]。打席から一塁到達までのスピードは4.7秒と平均を大きく下回るが、強靭な脚力を生かしてバランスを保ち、バリー・ボンズジェイソン・ジアンビと比べてテクニックよりも純粋なパワーをもってして極端なアッパースイングから打球を飛ばし、インパクトの瞬間は独特の音を発する[22]ジェイコブス・フィールドで511フィート(約156メートル)の飛距離を記録したこともある[23]パワーは40歳を超えてなお健在で、2010年には本塁打の出にくいターゲット・フィールドを本拠地としながら25本中15本塁打をホームで放ち、MLB屈指の飛距離を維持している[24]

野球殿堂入りを果たした2018年1月の時点で、通算の本塁打及び四球の両方で歴代で10位以内に入る選手は、ベーブ・ルース、ボンズ、そしてトーミの3人のみである[25]

特にインディアンズ時代にこれだけ四球を記録した背景には、当時出塁重視のチームバッティングを徹底するよう指導されていたというのもある。一方、四球重視の打撃スタイルから見逃しの三振も非常に多く、現役時代にはシーズン最多三振を3回記録している。

薬物疑惑とも無縁(そのような疑惑に名前が上がったことがない)であるため、現役時代から将来の殿堂入りが確実視されている数少ない選手の一人であった。 2013年1月5日にはCBSスポーツ電子版が「現役選手で殿堂入りが確実な5人」を特集し、デレク・ジーターイチローアルバート・プホルスマリアノ・リベラの4人とともにトーミの名前が挙げられ、[26][27]そして2018年1月25日、殿堂入りを実際に(資格取得1年目で)果たしたのだった。

2018年にアメリカ野球殿堂入りを果たした際には「(インディアンス時代の)マニエル監督がいなかったら、自分はここにいなかった」「多くの三振を喫したけど、出塁率への高い意識はあった」と述べている[28]

人柄がよいことで知られ、ニューズデイの「強打者で、しかも最高のチームメートはだれか?」というアンケートでは、最もトーミが支持された[29]。また、現役時代のうち13シーズンを過ごしたインディアンスの本拠地であるプログレッシブ・フィールドには、打席でテークバックに入る前に投手に向けてバットを突き出す仕草をする姿のトーミの銅像が設置されている[30]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1991 CLE 27 104 98 7 25 4 2 1 36 9 1 1 0 0 5 1 1 16 4 .255 .298 .367 .665
1992 40 131 117 8 24 3 1 2 35 12 2 0 0 2 10 2 2 34 3 .205 .275 .299 .574
1993 47 192 154 28 41 11 0 7 73 22 2 1 0 5 29 1 4 36 3 .266 .385 .474 .859
1994 98 369 321 58 86 20 1 20 168 52 3 3 1 1 46 5 0 84 11 .268 .359 .523 .882
1995 137 557 452 92 142 29 3 25 252 73 4 3 0 3 97 3 5 113 8 .314 .438 .558 .996
1996 151 636 505 122 157 28 5 38 309 116 2 2 0 2 123 8 6 141 13 .311 .450 .612 1.062
1997 147 627 496 104 142 25 0 40 287 102 1 1 0 8 120 9 3 146 9 .286 .423 .579 1.002
1998 123 537 440 89 129 34 2 30 257 85 1 0 0 4 89 8 4 141 7 .293 .413 .584 .997
1999 146 629 494 101 137 27 2 33 267 108 0 0 0 4 127 13 4 171 6 .277 .426 .540 .966
2000 158 684 557 106 150 33 1 37 296 106 1 0 0 5 118 4 4 171 8 .269 .398 .531 .929
2001 156 644 526 101 153 26 1 49 328 124 0 1 0 3 111 14 4 185 9 .291 .416 .624 1.040
2002 147 613 480 101 146 19 2 52 325 118 1 2 0 6 122 18 5 139 5 .304 .445 .677 1.122
2003 PHI 159 698 578 111 154 30 3 47 331 131 0 3 0 5 111 11 4 182 5 .266 .385 .573 .958
2004 143 618 508 97 139 28 1 42 295 105 0 2 0 4 104 26 2 144 10 .274 .396 .581 .977
2005 59 242 193 26 40 7 0 7 68 30 0 0 0 2 45 4 2 59 5 .207 .360 .352 .712
2006 CWS 143 610 490 108 141 26 0 42 293 109 0 0 0 7 107 12 6 147 4 .288 .416 .598 1.014
2007 130 536 432 79 119 19 0 35 243 96 0 1 0 3 95 11 6 134 10 .275 .410 .563 .973
2008 149 602 503 93 123 28 0 34 253 90 1 0 0 4 91 9 4 147 17 .245 .362 .503 .865
2009 107 417 345 55 86 15 0 23 170 74 0 0 0 3 69 3 0 116 8 .249 .372 .493 .864
LAD 17 17 17 0 4 0 0 0 4 3 0 0 0 0 0 0 0 7 0 .235 .235 .235 .471
'09計 124 434 362 55 90 15 0 23 174 77 0 0 0 3 69 3 0 123 8 .249 .366 .481 .847
2010 MIN 108 340 276 48 78 16 2 25 173 59 0 0 0 2 60 4 2 82 8 .283 .412 .627 1.039
2011 71 242 206 21 50 12 0 12 98 40 0 0 0 1 35 3 0 69 5 .243 .351 .476 .827
CLE 22 82 71 11 21 4 0 3 34 10 0 0 0 0 11 1 0 23 1 .296 .390 .479 .869
'11計 93 324 277 32 71 16 0 15 132 50 0 0 0 1 46 4 0 92 6 .256 .361 .477 .838
2012 PHI 30 71 62 9 15 2 0 5 32 15 0 0 0 0 8 1 1 21 2 .242 .338 .516 .854
BAL 28 115 101 8 26 5 0 3 40 10 0 0 0 0 14 2 0 40 4 .257 .348 .396 .744
'12計 58 186 163 17 41 7 0 8 72 25 0 0 0 0 22 3 1 61 6 .252 .344 .442 .786
MLB:22年 2543 10313 8422 1583 2328 451 26 612 4667 1699 19 20 1 74 1747 173 69 2548 165 .276 .402 .554 .956
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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一塁(1B) 三塁(3B)
























1991 CLE - 27 12 60 8 6 .900
1992 - 40 21 61 11 3 .882
1993 - 47 29 86 6 10 .950
1994 - 94 62 173 15 12 .940
1995 - 134 75 214 16 22 .948
1996 - 150 86 262 17 24 .953
1997 145 1233 95 10 123 .993 -
1998 117 998 85 10 97 .991 -
1999 111 930 83 6 93 .994 -
2000 107 834 91 5 101 .995 -
2001 148 1177 78 10 105 .992 -
2002 128 1063 75 10 118 .991 -
2003 PHI 156 1372 86 5 132 .997 -
2004 134 1091 84 7 103 .994 -
2005 52 405 30 0 36 1.000 -
2006 CWS 3 21 0 0 1 1.000 -
2007 1 6 0 0 0 1.000 -
2011 CLE - 1 0 0 0 0 ----
2012 PHI 4 35 2 1 4 .974 -
MLB 1106 9165 709 64 913 .994 493 285 856 73 77 .940

タイトル

[編集]
MLB

表彰

[編集]
MiLB
MLB

記録

[編集]
MLB

背番号

[編集]

脚注

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  1. ^ Pujols alone in seventh on all-time homer list MLB.com (英語) (2017年9月15日) 2017年9月16日閲覧
  2. ^ 野茂のライバルらが米国野球殿堂入り 当選した4選手たちの球歴は!?”. スポーツナビ. 2018年1月25日閲覧。
  3. ^ 1995 Career Highlights:Jim Thome 25MLB.com 2008年3月22日閲覧.
  4. ^ a b c The Ballplayers - Jim Thome Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月4日閲覧。
  5. ^ a b The Ballplayers - Jim Thome Biography” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月4日閲覧。
  6. ^ a b 1997 Career Highlights:Jim Thome 25MLB.com 2008年3月22日閲覧.
  7. ^ Cleveland Indians Batting Leaders - Baseball-Reference.com 2008年1月7日閲覧.
  8. ^ Jim Thome Biography” (英語). JockBio. 2008年9月5日閲覧。
  9. ^ Jim Thome Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年9月4日閲覧。
  10. ^ a b c ESPN.com news services (2005年11月25日). “White Sox send Rowand to Phils for Thome” (英語). ESPN.com. 2009年7月7日閲覧。
  11. ^ a b 「2003年チーム・レポート Vol.8 フィラデルフィア・フィリーズ/新天地で結果を残し、トーメイは来季に手応え」『スラッガー』2003年12月号、日本スポーツ企画出版社、2003年、雑誌15509-12、77頁
  12. ^ Philadelphia Phillies Batting Leaders - Baseball-Reference.com 2008年1月7日閲覧.
  13. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、151頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  14. ^ The Official Site of The Chicago White Sox: News: Jim Thome 500 Home Runs 2008年1月7日閲覧
  15. ^ Merkin, Scott (2008年9月21日). “Thome's 2009 option kicks in” (英語). MLB.com. 2009年7月7日閲覧。
  16. ^ September 30, 2008 Minnesota Twins at Chicago White Sox Play by Play and Box Score -” (英語). Baseball-Reference.com. 2009年7月7日閲覧。
  17. ^ Dodgers trade for Thome, Garland Slugging DH, right-hander eligible for postseason rosters”. dodgers.com (2009年9月1日). 2009年9月1日閲覧。
  18. ^ Thome's walk-off caps day of Phils milestones” (英語). MLB.com. 2014年3月6日閲覧。
  19. ^ Most walk-off home runs in a Major League Baseball career” (英語). Guinness World Records. 2014年3月6日閲覧。
  20. ^ Chipper, Vlad, Hoffman, Thome elected to Hall” (英語). MLB.com. 2018年1月25日閲覧。
  21. ^ インディアンス、トーミ氏の「25」を永久欠番に”. 日刊スポーツ. 2018年8月19日閲覧。
  22. ^ a b スカウティング・レポート『月刊スラッガー』2003年6月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-6、50-53頁。
  23. ^ クリーブランドに打ち上がる大飛球『月刊スラッガー』2002年2月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-8、46-47頁。
  24. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2011』廣済堂出版、2011年、125頁頁。ISBN 978-4-331-51518-1 
  25. ^ ジョーンズ氏ら4人が野球殿堂入り、ボンズ氏とクレメンス氏は落選”. AFP時事. 2018年1月25日閲覧。
  26. ^ https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/01/07/kiji/K20130107004923590.html
  27. ^ https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20130107-1068891.html
  28. ^ 米殿堂入りのジョーンズ氏「常に全力でプレーしてきた」”. サンケイスポーツ. 2018年1月25日閲覧。
  29. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、244頁頁。ISBN 978-4-331-51093-3 
  30. ^ 野茂のライバルらが米国野球殿堂入り 当選した4選手たちの球歴は!?”. スポーツナビ. 2018年1月25日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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