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アーニー・バンクス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アーニー・バンクス
Ernie Banks
1969年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州の旗 テキサス州ダラス
生年月日 1931年1月31日
没年月日 (2015-01-23) 2015年1月23日(83歳没)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手一塁手
プロ入り 1953年
初出場 1953年9月17日
最終出場 1971年9月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1977年
得票率 83.81%
選出方法 全米野球記者協会選出

アーネスト・バンクスErnest Banks, 1931年1月31日 - 2015年1月23日)は、シカゴ・カブスに所属していた元プロ野球選手遊撃手一塁手)。1977年アメリカ野球殿堂入り。Mr. Cub (ミスター・カブ)といわれ、カブスの看板プレーヤーであった。バンクスがつけていた背番号14」は、シカゴ・カブスの永久欠番である。甥は1981年 - 1983年の3年間、レンジャーズでプレーした捕手、ボブ・ジョンソン

経歴

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プロ入り前

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1931年1月31日テキサス州ダラスで生まれ、少年時代はニグロリーグのダラス・グリーンモナークスやブラック・ジャイアンツで投手や捕手の経験がある父とキャッチボールをして育った[1]

高校時代のバンクスは学校に野球部がなかったため[2]、当初バスケットボール陸上競技に興味を示し、さらに学校に通う傍ら、綿摘み農場でアルバイトをしていた[1]

プロ入り後

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17歳の時にセミプロ球団アマリロ・コルツと1試合15ドルで契約[3][1]1950年ニグロリーグカンザスシティ・モナークスと月給300ドルで契約[4]。しかし、1951年から1953年にかけて兵役に就いたため出場することができなかったが、兵役から復帰した1953年にバンクスは打率.386、20本塁打を記録。シカゴ・ホワイトソックスと争奪戦となったが[4]、1953年9月8日、シカゴ・カブスと契約金2,000ドルで契約した[1][5]。9月17日にカブス球団史上初めての黒人選手としてメジャーデビューを果たし[1][5]、1956年に手の骨折で欠場するまで424試合連続試合出場を達成している。[3]

1954年ロイ・スモーリーに代わり遊撃手に定着し[3]、全154試合に出場した。打率.275、19本塁打、79打点を記録し、19本塁打は2007年トロイ・トゥロウィツキーに更新されるまでナ・リーグ遊撃手新人最多本塁打記録だった[6]ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票ではウォーリー・ムーンに次ぐ2位だった。

1955年にバットを軽量バットに変え[1]、リーグ3位の44本塁打を記録し、遊撃手としてのシーズン最多本塁打記録を樹立[4]。その内の5本は満塁本塁打でリーグ新記録となった[7]1958年にはリーグ最多の47本塁打、129打点を記録し、前年の遊撃手としてのシーズン最多本塁打記録を更新。同年、MVPを受賞しているが、チームは72勝82敗と負け越し、負け越したチームからのMVP選出は史上初(1931年にBBWAAによる表彰以降)。1959年もチームは74勝80敗で負け越したが、バンクスはリーグ初の2年連続でMVPを受賞。本塁打王をエディ・マシューズに譲ったものの、2年連続で打点王となった。

1955年から1960年にかけてMLB最多の248本塁打と記録[3]。守備では1958年にリーグ最多の32失策を記録したが、1959年に失策数は11まで減らし、1960年にはゴールドグラブ賞を受賞した。その後は膝の故障に悩まされ、1961年6月23日には連続試合出場が717で途切れた[8]。「メジャーリーグの遊撃手としてはやや守備範囲が狭いのでは?」との声も出てきており[9]1962年には一塁コンバートされた。

1966年レオ・ドローチャーがカブスの監督に就任してからは「併殺打の多い2割6分打者」と皮肉を言われるほどだった[1]

1965年9月2日に通算400本塁打を達成し、5年後の1970年5月12日にリグレー・フィールドで史上9人目の500本塁打を達成[10]1971年9月26日に現役を引退。

明るい性格から「ミスター・カブ」、「ミスター・サンシャイン」と呼ばれ、「レッツ・プレー・ツー」と選手を鼓舞し、野球を愛した[1][11]。バンクスは現在でも出場試合数2528、打数9421、塁打4706、などのカブスにおける球団記録を保持している[12]シカゴではマイケル・ジョーダンが登場するまで、最高のスポーツ選手だった[4]

個人的に優れた成績を残しながらもバンクスがカブスに在籍中はチームは1度もワールドシリーズへ進出できず、低迷していた[13]。そのため、どんなに個人が活躍してもチームが優勝できないことを、「アーニー・バンクス症候群(シンドローム)」と呼ばれるようになった。マイケル・ジョーダンも1991年にチームが優勝を果たすまで、そのように言われていた時期があった。

引退後

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バンクスの背番号「14」。
シカゴ・カブスの永久欠番1982年指定。
2009年

引退後はカブスのコーチを務め、アメリカ野球殿堂入り資格1年目の1977年に得票率83.81%で選出を果たし、1982年8月22日に自身の背番号「14」がカブス史上初の永久欠番に指定された[14][15]1999年メジャーリーグベースボール・オールセンチュリー・チームでは遊撃手として選出された。

2015年1月23日死去[16][17]。83歳没。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1953 CHC 10 39 35 3 11 1 1 2 20 6 0 0 0 -- 4 0 0 5 0 .314 .385 .571 .956
1954 154 649 593 70 163 19 7 19 253 79 6 10 5 4 40 4 7 50 11 .275 .326 .427 .753
1955 154 646 596 98 176 29 9 44 355 117 9 3 0 3 45 6 2 72 16 .295 .345 .596 .941
1956 139 593 538 82 160 25 8 28 285 85 6 9 0 3 52 18 0 62 7 .297 .358 .530 .887
1957 156 674 594 113 169 34 6 43 344 102 8 4 2 5 70 11 3 85 12 .285 .360 .579 .939
1958 154 682 617 119 193 23 11 47 379 129 4 4 1 8 52 12 4 87 14 .313 .366 614 .980
1959 155 671 589 97 179 25 6 45 351 143 2 4 2 9 64 20 7 72 18 .304 .374 .596 .970
1960 156 678 597 94 162 32 7 41 331 117 1 3 0 6 71 28 4 69 14 .271 .350 .554 .904
1961 138 573 511 75 142 22 4 29 259 80 1 2 0 6 54 21 2 75 11 .278 .346 .507 .852
1962 154 657 610 87 164 20 6 37 307 104 5 1 0 10 30 3 7 71 19 .269 .306 .503 .809
1963 130 484 432 41 98 20 1 18 174 64 0 3 1 8 39 16 7 73 7 .227 .292 .403 .695
1964 157 637 591 67 156 29 6 23 266 95 1 2 1 6 36 11 3 84 16 .264 .307 .450 .757
1965 163 680 612 79 162 25 3 28 277 106 3 5 0 7 55 19 6 64 16 .265 .328 .453 .781
1966 141 554 511 52 139 23 7 15 221 75 0 1 4 5 29 10 5 59 15 .272 .315 .432 .747
1967 151 615 573 68 158 26 4 23 261 95 2 2 8 4 27 8 3 93 20 .276 .310 .455 .765
1968 150 595 552 71 136 27 0 32 259 83 2 0 9 2 27 4 5 67 12 .246 .287 .469 .756
1969 155 629 565 60 143 19 2 23 235 106 0 0 8 7 42 7 7 101 15 .253 .309 .416 .725
1970 72 247 222 25 56 6 2 12 102 44 0 0 1 3 20 3 1 33 5 .252 .313 .459 .772
1971 39 92 83 4 16 2 0 3 27 6 0 0 3 0 6 1 0 14 1 .193 .247 .325 .572
MLB:19年 2528 10395 9421 1305 2583 407 90 512 4706 1636 50 53 45 *96 763 202 70 1236 229 .274 .330 .500 .830
  • 「-」は記録なし
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す

年度別守備成績

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内野守備


一塁(1B) 三塁(3B) 遊撃(SS)




































1953 CHC - - 10 19 33 1 9 .981
1954 - - 154 312 475 34 105 .959
1955 - - 154 290 482 22 102 .972
1956 - - 139 279 357 25 92 .962
1957 - 58 73 87 3 12 .982 100 168 261 11 59 .975
1958 - - 154 292 468 32 100 .960
1959 - - 154 271 519 12 95 .985
1960 - - 156 283 488 18 94 .977
1961 7 68 6 1 8 .987 - 104 173 358 19 68 .965
1962 149 1458 106 11 134 .993 3 4 1 0 1 1.000 -
1963 125 1178 78 9 97 .993 - -
1964 157 1565 132 10 122 .994 - -
1965 162 1682 93 15 143 .992 - -
1966 130 1178 81 10 88 .992 8 5 11 3 0 .842 -
1967 147 1383 91 10 111 .993 - -
1968 147 1379 88 6 118 .996 - -
1969 153 1419 87 4 116 .997 - -
1970 62 528 35 4 53 .993 - -
1971 20 167 12 0 15 1.000 - -
MLB 1259 12005 809 80 1005 .994 69 82 99 6 13 .968 1125 2087 3441 174 724 .969
外野守備


左翼(LF)












1961 CHC 23 33 2 1 0 .972
MLB 23 33 2 1 0 .972

タイトル

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表彰

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記録

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背番号

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  • 14(1953年 - 1971年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 芝山幹朗「ミスターカブの笑顔の影には」『月刊メジャー・リーグ』11月号、ベースボール・マガジン社、2007年、92-93頁。 
  2. ^ 鈴村裕輔 (2015年1月26日). “【追悼】アーニー・バンクス氏――「ミスター・カブ」は永遠に”. researchmap. 2015年1月27日閲覧。
  3. ^ a b c d The Ballplayers - Ernie Banks” (英語). BaseballLibrary.com. 2007年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月1日閲覧。
  4. ^ a b c d 藤澤文洋『メジャーリーグ・スーパースター名鑑』研究社、2003年、120-123頁。ISBN 4-327-37689-2 
  5. ^ a b Ernie Banks Statistics” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年2月27日閲覧。
  6. ^ Tulowitzki etches name in record books” (英語). MLB.com. 2008年2月27日閲覧。
  7. ^ Grand Slams Single Season National League Leaders” (英語). Baseball Almanac. 2008年10月1日閲覧。
  8. ^ Ernie Banks from the Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2012年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年6月6日閲覧。
  9. ^ 伊東一雄『メジャー・リーグ紳士録』ベースボール・マガジン社、26-27頁。ISBN 4-583-03411-3 
  10. ^ Ernie Banks Home Run Log (Batting)” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年2月27日閲覧。[リンク切れ]
  11. ^ National Baseball Hall of Fame and Museum: Hall of Famer detail” (英語). baseballhalloffame.org. 2007年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年2月27日閲覧。
  12. ^ Chicago Cubs Batting Leaders” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年2月27日閲覧。
  13. ^ メジャー現役野手“最もポストシーズンに縁がない男”は誰だ!?(2018年06月19日)BASEBALLKING 2018年7月6日閲覧。 リンク先では、バンクスはポストシーズンへの出場機会が無かった選手としての最多試合出場数の歴代1位(ワールドシリーズ出場経験無しでは歴代5位)を記録していると記載されている。
  14. ^ Ernie Banks Biography, Bio, Profile, pictures, photos from Netglimse.com” (英語). Netglimse.com. 2009年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年2月27日閲覧。
  15. ^ The Official Site of The Chicago Cubs: History: Cubs Retired Numbers” (英語). MLB.com. 2008年2月22日閲覧。
  16. ^ アーニー・バンクス氏死去 カブス一筋19年通算512発”. Sponichi Annex (2015年1月25日). 2020年10月30日閲覧。
  17. ^ “アーニー・バンクス氏死去=カブス一筋、2度のMVP-米大リーグ”. 時事通信. (2015年1月24日). オリジナルの2015年1月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150128142019/http://www.jiji.com/jc/zc?k=201501/2015012400200 2015年1月24日閲覧。 

外部リンク

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