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ジェイ・ベル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェイ・ベル
Jay Bell
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州エスカンビア郡ペンサコーラ
生年月日 (1965-12-11) 1965年12月11日(59歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手遊撃手
プロ入り 1984年 MLBドラフト1巡目
初出場 1986年9月29日
最終出場 2003年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

ジェイ・スチュアート・ベルJay Stuart Bell, 1965年12月11日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州エスカンビア郡ペンサコーラ出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。

経歴

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現役時代

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1984年MLBドラフト1巡目(全体8位)でミネソタ・ツインズから指名され、プロ入り。1985年8月1日にバート・ブライレブンとの大型トレードで、クリーブランド・インディアンスへ移籍した。

1986年9月29日の古巣のツインズ戦で9番・二塁手としてメジャーデビュー。この試合の先発で、交換トレードの相手だったブライレブンからメジャー初打席初本塁打を放つ。その後は内野の控えとしてメジャーに残ったが、開幕前の1989年3月25日、デニー・ゴンザレスとのトレードの後日発表選手として、ピッツバーグ・パイレーツへ移籍。その年の後半から遊撃のレギュラーを獲得。翌1990年からはアンディ・バンスライクバリー・ボンズボビー・ボニーヤらの主軸へつなぐ二番打者として、パイレーツのナ・リーグ東部地区(当時)3連覇に大きく貢献した。

しかし、チームは財政難だったため、主力が相次いで放出して低迷期に突入の中、1993年は稀代の名手オジー・スミスの13年連続受賞中だったゴールドグラブ賞を阻止し、初受賞。さらに、初の打率3割で初のオールスターに選出された。

チームは2年連続最下位と低迷の1996年12月13日、ジョー・ランダら若手選手のトレードで、ジェフ・キングと共に打線強化を目論むカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した。21本塁打、92打点と好調だったが、ロイヤルズも2年連続最下位と沈み、さらに財政難だったため、オフにはFAとなった。11月17日、翌1998年から参入のアリゾナ・ダイヤモンドバックスと5年契約を結んだ。

しかし、この大型契約に賛否両論が多く、1年目は低調に終わった。2年目の1999年は長年守った遊撃のポジションをトニー・バティスタに譲り、自身は二塁にコンバートし、打撃では開幕から本塁打王争いの参戦するほどの好調さで、オールスターに6年振り選出され、しかもファン投票ではクレイグ・ビジオヒューストン・アストロズ)を押し退け初の選出となった。打率.289・38本塁打・112打点・132得点の自己最高の成績でチームを創設2年目で初の地区優勝に貢献した。2001年は低迷したが、初のワールドシリーズに出場、16年目にして初のチャンピオンリングを手に入れた。 しかし2002年は故障もあったため、ジュニア・スパイビーにポジションを奪われ、2003年ニューヨーク・メッツと契約したが、その年限りで引退した。

引退後

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引退後はダイヤモンドバックス、パイレーツ、シンシナティ・レッズでコーチを務めた。

2017年ニューヨーク・ヤンキース傘下のA+級タンパ・ヤンキースの監督に就任し[1]、以降2019年までヤンキース傘下のマイナー球団(2018年はAA級トレントン・サンダー、2019年はAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダース)で指揮を執った。

2020年からはロサンゼルス・エンゼルス傘下のAA級ロケットシティ・トラッシュパンダズの監督に就任することになった[2]が、この年は新型コロナウイルスの影響でマイナーリーグの試合が開催されなかったため、実際に指揮を執ることは無かった。リーグ再開の2021年に一年間監督を務めて退任した。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1986 CLE 5 16 14 3 5 2 0 1 10 4 0 0 0 0 2 0 0 3 0 .357 .438 .714 1.152
1987 38 137 125 14 27 9 1 2 44 13 2 0 3 0 8 0 1 31 0 .216 .269 .352 .621
1988 73 236 211 23 46 5 1 2 59 21 4 2 1 2 21 0 1 53 3 .218 .289 .280 .569
1989 PIT 78 303 271 33 70 13 3 2 95 27 5 3 10 2 19 0 1 47 9 .258 .307 .351 .658
1990 159 696 583 93 148 28 7 7 211 52 10 6 39 6 65 0 3 109 14 .254 .329 .362 .691
1991 157 697 608 96 164 32 8 16 260 67 10 6 30 3 52 1 4 99 15 .270 .330 .428 .757
1992 159 712 632 87 167 36 6 9 242 55 7 5 19 2 55 0 4 103 12 .264 .326 .383 .709
1993 154 701 604 102 187 32 9 9 264 51 16 10 13 1 77 6 6 122 16 .310 .392 .437 .830
1994 110 487 424 68 117 35 4 9 187 45 2 0 8 3 49 1 3 82 15 .276 .353 .441 .794
1995 138 593 530 79 139 28 4 13 214 55 2 5 3 1 55 1 4 110 13 .262 .336 .404 .739
1996 151 598 527 65 132 29 3 13 206 71 6 4 6 6 54 5 5 108 10 .250 .323 .391 .714
1997 KC 153 660 573 89 167 28 3 21 264 92 10 6 3 9 71 2 4 101 13 .291 .368 .461 .829
1998 ARI 155 645 549 79 138 29 5 20 237 67 3 5 5 3 81 3 7 129 14 .251 .353 .432 .785
1999 151 688 589 132 170 32 6 38 328 112 7 4 4 9 82 2 4 132 9 .289 .374 .557 .931
2000 149 649 565 87 151 30 6 18 247 68 7 3 6 5 70 0 3 88 7 .267 .348 .437 .786
2001 129 509 428 59 106 24 1 13 171 46 0 1 8 4 65 3 4 79 9 .248 .349 .400 .749
2002 32 56 49 3 8 1 0 2 15 11 0 0 0 1 5 0 1 9 2 .163 .250 .306 .556
2003 NYM 72 142 116 11 21 1 0 0 22 3 0 0 1 1 22 1 2 38 4 .181 .319 .190 .509
MLB:18年 2063 8525 7398 1123 1963 394 67 195 3076 860 91 60 159 58 853 25 57 1443 165 .265 .343 .416 .759

表彰

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背番号

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  • 16(1986年 - 1988年)
  • 3(1989年 - 1996年、2003年)
  • 28(1997年)
  • 33(1998年 - 2002年、2005年 - 2006年)
  • 44(2003年)
  • 49(2014年 - 2015年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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