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ジム・ライス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジム・ライス
Jim Rice
1976年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 サウスカロライナ州アンダーソン
生年月日 (1953-03-08) 1953年3月8日(71歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手指名打者
プロ入り 1971年 ドラフト1巡目(全体15位)
初出場 1974年8月19日
最終出場 1989年8月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 2009年
得票率 76.43%
選出方法 BBWAA[:en]選出

ジェイムズ・エドワード・ライスJames Edward Rice, 1953年3月8日 - )は、MLBの元選手。ポジションは外野手指名打者アメリカ合衆国サウスカロライナ州アンダーソン出身。ニックネームは「Jim Ed」。

経歴

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ボストン・レッドソックス

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1971年のMLBドラフトボストン・レッドソックスから1巡目(全体15位)に指名を受け入団。1974年はAAA級で打率.337・25本塁打・93打点を記録して三冠王を達成し、MVPを獲得。8月19日のシカゴ・ホワイトソックス戦でメジャーデビュー。1975年はルーキーながら打率.309・22本塁打・102打点の好成績を挙げ、同じくルーキーでチームメイトのフレッド・リンと共に「Gold Dust Twins」と呼ばれ、地区優勝に大きく貢献。しかし9月21日のデトロイト・タイガース戦で手首に死球を受けて骨折し、離脱。チームはリーグチャンピオンシップシリーズワールドシリーズ3連覇中のオークランド・アスレティックスを下して8年ぶりのリーグ優勝を果たし、シンシナティ・レッズとのワールドシリーズでは激闘の末敗退するが、自身は出場できなかった。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票ではリンに次ぐ2位で、MVPの投票で3位に入った。1976年は25本塁打を記録するが、リーグワーストの123三振を喫した。1977年は前半戦で打率.313・23本塁打・59打点・10三塁打の成績でオールスターゲームに初めて選出される。8月29日のアスレティックス戦で1試合3本塁打を放つなど、最終的に打率.320(リーグ6位)・39本塁打・114打点(同3位)・206安打(同3位)・15三塁打(同2位)・長打率.593(同1位)を記録し、最多本塁打のタイトルを獲得。MVPの投票では4位に入り、最優秀指名打者賞を受賞した。

1978年は前半戦で打率.323・23本塁打・74打点・13三塁打を記録し、2年連続でオールスターゲームに選出され、初の先発出場。全試合に出場して打率.315、いずれもリーグトップの46本塁打・139打点・213安打・15三塁打・746打席・677打数・長打率.600・OPS.970・406塁打を記録し、最多本塁打・最多打点の二冠を獲得。チームは一時ニューヨーク・ヤンキースに最大14ゲーム差を付けたが9月に逆転され、シーズン最終戦で同率に並んだもののワンゲームプレイオフで敗れて地区優勝を逃した。オフにMVPを初受賞し、当時としては史上最高額となる7年総額540万ドルで契約延長。1979年はキャリアハイの打率.325、いずれもリーグ2位の39本塁打・130打点・201安打・長打率.596を記録。1980年は故障で6月下旬から1ヶ月離脱。8月30日のアスレティックス戦では4点リードされた9回にマット・キーオ(後阪神)から反撃の狼煙となる本塁打を放ち、その後同点となって延長に入り10回にキャリア初のサヨナラ本塁打を放った。1981年50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮された影響で17本塁打・62打点に終わった。1982年は3年ぶりの3割となる打率.309・24本塁打・97打点の成績も、リーグ最多の29併殺打。1983年は奇しくも前回と同日の8月29日のトロント・ブルージェイズ戦でキャリア2度目の1試合3本塁打。打率.305・39本塁打・126打点・191安打を記録し、6年ぶりに最多本塁打・最多打点の二冠を獲得。MVPの投票で4位に入り、初のシルバースラッガー賞を受賞した。1984年は序盤打率1割台と不振も徐々に復調し、7月4日のアスレティックス戦でサヨナラ満塁本塁打。9月3日ミルウォーキー・ブルワーズ戦で通算300本塁打を放つなど28本塁打・122打点を記録する一方で、2012年現在もメジャー記録の36併殺打を記録した。1985年は6月10日のブルワーズ戦でローリー・フィンガーズから逆転サヨナラ3点本塁打。9月に打率.525・25打点と打ちまくるが、9月20日を最後に戦線離脱。27本塁打・103打点、4年連続リーグ最多となる35併殺打を記録した。

1986年は5月10日のアスレティックス戦で通算2000安打を達成するなど前半戦で打率.334を記録。20本塁打に留まるが、打率.324・110打点・200安打を記録し、チームの11年ぶりの地区優勝に貢献。カリフォルニア・エンゼルスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.161と不振。チームは1勝3敗と追い込まれ、第5戦でも9回までリードを許すが逆転勝利し、第6・7戦も連勝してリーグ優勝を果たした。ニューヨーク・メッツとのワールドシリーズでは打率.333を記録するが、チームは王手をかけた第6戦でビル・バックナーの悪夢のトンネルで敗れ、3勝4敗で敗退した。MVPの投票では3位。1987年は序盤不振だったが7月下旬には一時打率3割まで巻き返す。しかし終盤またも不振に陥り、打率.277・13本塁打・62打点に留まる。9月は同年台頭したマイク・グリーンウェルにレフトの定位置を譲り指名打者での出場が多くなった。1988年は主に指名打者として出場し15本塁打・72打点に終わるが、チームは地区優勝。アスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.154と振るわず、チームも4連敗で敗退した。1989年は序盤好調だったが徐々に失速。故障もあって8月3日を最後に出場がなく、56試合で打率.234・3本塁打に終わり、オフに戦力外通告となり現役を引退。フリーエージェントで移籍する選手が多い中、レッドソックス一筋で過ごしたフランチャイズ・プレイヤーだった。

引退後

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ライスの背番号「14」。
ボストン・レッドソックスの永久欠番2009年指定。
2009年

1992年からレッドソックスでコーチを務め、1995年に球団の殿堂入り。アメリカ野球殿堂の投票では2006年2007年と2年連続で得票率63%。2008年は543票中392票で、得票率72.2%と僅かに及ばなかった。資格最終年となった2009年に539票中412票を獲得し、得票率76.4%で殿堂入りを果たした。同年7月22日に背番号14」がレッドソックスの永久欠番に指定された。

選手としての特徴

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打率・本塁打・打点のいずれも稼げるスラッガーで、通算で打率.298・382本塁打・1451打点を記録し、三塁打も79本記録した。反面四球は少なく打率の割に出塁率はあまり高くなかった。右打者で、前を打つのがウェイド・ボッグスドワイト・エバンスら出塁率の高い打者だったため併殺打が多く、1984年の36を筆頭に歴代6位タイの315を記録した。但し通算2,000回以上併殺打になり得る場面(無死又は1死で一塁に走者がいる状況)で打席に立っており、その状況で通算打率.310・長打率.515を記録している。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1974 BOS 24 75 67 6 18 2 1 1 25 13 0 0 0 3 4 0 1 12 2 .269 .307 .373 .680
1975 144 613 564 92 174 29 4 22 277 102 10 5 1 8 36 7 4 122 19 .309 .350 .491 .841
1976 153 624 581 75 164 25 8 25 280 85 8 5 2 9 28 2 4 123 18 .282 .315 .482 .797
1977 160 710 644 104 206 29 15 39 382 114 5 4 0 5 53 10 8 120 21 .320 .376 .593 .969
1978 163 746 677 121 213 25 15 46 406 139 7 5 1 5 58 7 5 126 15 .315 .370 .600 .970
1979 158 688 619 117 201 39 6 39 369 130 9 4 0 8 57 4 4 97 16 .325 .381 .596 .977
1980 124 542 504 81 148 22 6 24 254 86 8 3 1 3 30 5 4 87 16 .294 .336 .504 .840
1981 108 495 451 51 128 18 1 17 199 62 2 2 0 7 34 3 3 76 14 .284 .333 .441 .775
1982 145 638 573 86 177 24 5 24 283 97 0 1 0 3 55 6 7 98 29 .309 .375 .494 .868
1983 155 689 626 90 191 34 1 39 344 126 0 2 0 5 52 10 6 102 31 .305 .361 .550 .911
1984 159 708 657 98 184 25 7 28 307 122 4 0 0 6 44 8 1 102 36 .280 .323 .467 .791
1985 140 608 546 85 159 20 3 27 266 103 2 0 0 9 51 5 2 75 35 .291 .349 .487 .836
1986 157 693 618 98 200 39 2 20 303 110 0 1 0 9 62 5 4 78 19 .324 .384 .490 .874
1987 108 459 404 66 112 14 0 13 165 62 1 1 0 3 45 3 7 77 22 .277 .357 .408 .766
1988 135 542 485 57 128 18 3 15 197 72 1 1 0 6 48 2 3 89 18 .264 .330 .406 .736
1989 56 228 209 22 49 10 2 3 72 28 1 0 0 5 13 0 1 39 4 .234 .276 .344 .621
MLB:16年 2089 9058 8225 1249 2452 373 79 382 4129 1451 58 34 5 94 670 77 64 1423 315 .298 .352 .502 .854
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLB歴代最高

年度別守備成績

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左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































1974 BOS 3 4 0 1 0 .800 - -
1975 90 161 6 0 0 1.000 - -
1976 98 199 8 7 0 .967 - -
1977 19 42 2 1 0 .978 - 27 40 2 3 1 .933
1978 101 212 13 3 1 .987 1 1 0 0 0 1.000 15 32 0 0 0 1.000
1979 124 240 8 3 1 .988 - 1 3 0 1 0 .750
1980 108 232 10 3 2 .988 - 1 1 0 0 0 1.000
1981 108 237 9 3 0 .988 - -
1982 145 271 10 9 3 .969 - -
1983 151 339 20 6 4 .984 - -
1984 157 334 11 4 3 .989 - -
1985 130 236 8 9 1 .964 - -
1986 156 334 15 8 0 .978 - -
1987 94 155 12 4 2 .977 - -
1988 19 31 0 1 0 .969 - -
MLB 1503 3027 132 62 17 .981 1 1 0 0 0 1.000 44 76 2 4 1 .951
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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表彰

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外部リンク

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