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ジェシー・バーフィールド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェシー・バーフィールド
Jesse Barfield
2009年8月1日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州ジョリエット
生年月日 (1959-10-29) 1959年10月29日(65歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1977年 MLBドラフト9巡目(全体233位)でトロント・ブルージェイズから指名
初出場 MLB / 1981年9月3日
NPB / 1993年4月10日
最終出場 MLB / 1992年6月17日
NPB / 1993年10月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 2023年

ジェシー・リー・バーフィールドJesse Lee Barfield, 1959年10月29日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州ジョリエット出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

経歴

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プロ入りとブルージェイズ時代

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1977年MLBドラフト9巡目(全体233位)でトロント・ブルージェイズから指名され、プロ入り。1981年9月3日シカゴ・ホワイトソックス戦でメジャーデビュー。1982年に18本塁打をマークし、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票で8位に入る。1985年は打率.289・27本塁打・84打点・22盗塁の好成績で、球団創設以来初の地区優勝に貢献。カンザスシティ・ロイヤルズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、3勝1敗と王手をかけてから3連敗を喫し、リーグ優勝はならなかった。MVPの投票では7位に入った。1986年オールスターゲームに初めて選出される。打率.289・40本塁打・108打点を記録し、最多本塁打のタイトルを獲得。自身初のシルバースラッガー賞ゴールドグラブ賞を受賞し、MVPの投票でも5位に入る。同時期に活躍したジョージ・ベルロイド・モスビーと共に、ブルージェイズの「最高の外野トリオ」を形成した。当時のアメリカンリーグで最も肩が強いといわれていたのはドワイト・エバンスだったが、その彼に匹敵する肩とまでいわれていた[1]

ヤンキース時代

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1989年4月30日アル・ライターとのトレードで、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍した。

1990年4月26日シアトル・マリナーズ戦で、4回にランディ・ジョンソンから左中間へフェンスオーバーの大飛球を放ち、通算200本塁打達成かと思われたが、ケン・グリフィー・ジュニアのスーパーキャッチに阻まれた。しかし次の打席で本塁打を放ち記録を達成した。同年は25本塁打を記録したが、以降は故障もあって成績は下降。1992年は6月を最後に実戦から遠ざかり[2]、オフにFAとなり、一度は引退を余儀なくされる[3]

巨人時代

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1992年11月30日、メジャー通算241本塁打の実績を引っさげて読売ジャイアンツに入団。かつての同僚モスビーと再びチームメイトとなる。1993年横浜ベイスターズとの開幕戦で佐々木主浩から来日初安打初本塁打を放つなど実力の片りんを見せたが、右手首の手術直後であったことや変化球が苦手という弱点を執拗に突かれ、最終的に規定打席に到達し、チームトップの26本塁打・53打点を記録するものの、打率.215・127三振と低調な成績に終わり、シーズン終了後に解雇された。その後、当時ヤクルトスワローズ監督の野村克也がその強肩と長打力を高く評価して獲得に動き、12月14日に一旦入団が内定したが、メジャー球団(ヒューストン・アストロズ)との二重契約問題が発生したため12月27日に獲得を断念した。ちなみに当時のインタビュー等でたびたび「三ツ矢サイダー」好きを公言。販売元のアサヒ飲料から公式戦1号本塁打を放った日に1年分(365本)をプレゼントされた逸話がある。

巨人退団後

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1994年は開幕前、アストロズの右翼手のレギュラー筆頭候補だったが、スプリングトレーニング中に指を骨折して自由契約となった[4]

その後、アストロズ(1995年)とシアトル・マリナーズ1998年 - 1999年)のコーチを務めた。

2023年6月11日にカナダ野球殿堂入りを果たした[5]

家族

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息子のジョシュ・バーフィールド2001年のMLBドラフト4巡目(全体120位)でサンディエゴ・パドレスから指名を受け、入団した。

もう一人の息子ジェレミー・バーフィールド2006年のMLBドラフト9巡目(全体274位)でニューヨーク・メッツから指名を受けたが、同年に父ジェシーを口論の末に階段から突き落とし、逮捕された。[6]その後2008年のMLBドラフト8巡目(全体244位)でオークランド・アスレティックスから指名を受け、入団した。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1981 TOR 25 100 95 7 22 3 2 2 35 9 4 3 0 0 4 0 1 19 4 .232 .270 .368 .638
1982 139 446 394 54 97 13 2 18 168 58 1 4 6 1 42 3 3 79 7 .246 .323 .426 .749
1983 128 420 388 58 98 13 3 27 198 68 2 5 1 5 22 0 4 110 8 .253 .296 .510 .806
1984 110 360 320 51 91 14 1 14 149 49 8 2 1 2 35 5 2 81 5 .284 .357 .466 .822
1985 155 612 539 94 156 34 9 27 289 84 22 8 0 3 66 5 4 143 14 .289 .369 .536 .905
1986 158 671 589 107 170 35 2 40 329 108 8 8 0 5 69 5 8 146 9 .289 .368 .559 .927
1987 159 654 590 89 155 25 3 28 270 84 3 5 1 2 58 7 3 141 13 .263 .331 .458 .788
1988 137 520 468 62 114 21 5 18 199 56 7 3 4 6 41 6 1 108 10 .244 .302 .425 .728
1989 21 86 80 8 16 4 0 5 35 11 0 2 0 0 5 0 1 28 0 .200 .256 .438 .693
NYY 129 529 441 71 106 19 1 18 181 56 5 3 1 3 82 6 2 122 8 .240 .360 .410 .770
'89計 150 615 521 79 122 23 1 23 216 67 5 5 1 3 87 6 3 150 8 .234 .345 .415 .760
1990 153 570 476 69 117 21 2 25 217 78 4 3 2 5 82 4 5 150 6 .246 .359 .456 .815
1991 84 321 284 37 64 12 0 17 127 48 1 0 0 1 36 6 0 80 11 .225 .312 .447 .759
1992 30 105 95 8 13 2 0 2 21 7 1 1 0 1 9 2 0 27 5 .137 .210 .221 .431
1993 巨人 104 420 344 52 74 8 2 26 164 53 1 2 0 0 70 1 6 127 7 .215 .357 .477 .834
MLB:12年 1428 5394 4759 715 1219 216 30 241 2218 716 66 47 16 34 551 49 34 1234 100 .256 .335 .466 .802
NPB:1年 104 420 344 52 74 8 2 26 164 53 1 2 0 0 70 1 6 127 7 .215 .357 .477 .834
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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外野守備(MLB)


左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































1981 TOR - - 25 69 2 0 1 1.000
1982 1 1 0 0 0 1.000 3 1 0 0 0 1.000 136 216 14 9 4 .962
1983 1 1 0 0 0 1.000 1 0 0 0 0 ---- 118 212 17 8 4 .966
1984 - 9 12 0 1 0 .923 79 177 10 9 5 .954
1985 - 8 25 1 0 1 1.000 147 328 21 4 7 .989
1986 - 13 37 4 0 1 1.000 147 335 17 3 7 .992
1987 - 13 31 0 0 0 1.000 153 313 16 3 3 .991
1988 - 13 33 2 0 1 1.000 132 294 9 4 4 .987
1989 1 2 0 0 0 1.000 - 20 43 4 1 1 .979
NYY - 18 36 2 3 0 .927 120 257 14 6 3 .978
'89計 1 2 0 0 0 1.000 18 36 2 3 0 .927 140 300 18 7 4 .978
1990 - 4 8 0 1 0 .889 151 297 17 8 3 .975
1991 - - 81 178 10 0 3 1.000
1992 - - 30 53 3 2 0 .966
MLB 3 4 0 0 0 1.000 87 183 9 5 3 .975 1339 2772 154 57 45 .981
外野守備(NPB)


外野(OF)












1993 巨人 102 190 7 6 0 .970
NPB 102 190 7 6 0 .970

獲得タイトル・表彰・記録

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タイトル

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MLB

表彰

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NPB

背番号

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  • 29 (1981年 - 1989年途中、1989年途中 - 1993年、1995年、1998年 - 1999年)
  • 28 (1989年途中 - 同年途中)

脚注

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  1. ^ 伊東一雄『メジャー・リーグ紳士録』ベースボール・マガジン社、1997年、28-29頁。ISBN 4583034113 
  2. ^ 朝日新聞1993年3月25日22面(試合は昨年6月以来とのコメント)。
  3. ^ [biography]Jesse Barfield - officially endorsed Jesse Barfield sports memorabilia, autographed with certificate of authenticity(2014年7月1日時点のアーカイブ
  4. ^ 「ヒューストン・アストロズ」『1994 大リーグ総ガイド』 週刊ベースボール1994年4月23日増刊号 ベースボール・マガジン社 84頁
  5. ^ Scott Crawford (June 11, 2023). “BARFIELD, BOUCHER, HARDEN, WIWCHAR TO BE INDUCTED INTO CANADIAN BASEBALL HALL OF FAME & MUSEUM ON JUNE 17” (英語). Canadian Baseball Hall of Fame and Museum. June 15, 2023閲覧。
  6. ^ Barfield taken to hospital after fight with son

関連項目

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外部リンク

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