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ディック・ウィリアムズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ディック・ウィリアムズ
Dick Williams
2008年7月15日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミズーリ州の旗 ミズーリ州セントルイス
生年月日 (1929-05-07) 1929年5月7日
没年月日 (2011-07-07) 2011年7月7日(82歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手外野手
プロ入り 1947年
初出場 1951年6月10日
最終出場 1964年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
殿堂表彰者
選出年 2008年
得票率 81.25%
選出方法 ベテランズ委員会選出

リチャード・ハーシュフェルド・ウィリアムズ(Richard Hirschfeld "Dick" Williams, 1929年5月7日 - 2011年7月7日)は、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス出身の元プロ野球選手外野手内野手)・監督。右投右打。

1970年初めに「マスターシュ・ギャング」と呼ばれたオークランド・アスレチックスを率い、1971年にアメリカンリーグ西地区優勝、72年、73年にはワールドシリーズ連覇を成し遂げた(アスレチックスはアルビン・ダークに監督が代わった74年もシリーズを制し3連覇)。

経歴

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選手時代

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カリフォルニア州パサデナで少年期を過ごした後、1947年にブルックリンとプロ選手契約を結び、1951年にデビュー。当初は外野手だったのだが、ダイビングキャッチを試みた際に肩を負傷し、以後一塁や三塁のポジションを守ることが多くなった。選手としての実働は13年で1023試合に出場、通算打率.260という成績を残している。

コーチ・監督時代

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1964年レッドソックス在籍中に、ウィリアムズはロースターから外されAAAのシアトル・レイニアーズのコーチとなり、翌年からAAAのトロント・メープルリーフス(同名のアイスホッケーチームとは別組織)の監督を2年間務める。マイナーでの成果が認められ1967年にレッドソックスの監督に就任、チームは接戦のペナントレースを制し、ウイリアムズはレッドソックスに1946年以来のリーグ優勝をもたらした。

その後1970年にモントリオール・エクスポズのコーチを経て、1971年から指揮をとったオークランド・アスレチックスではワールドシリーズを2連覇する。この頃のアスレチックスは当時「マスターシュ・ギャング」と呼ばれ、オーナーの指令で主力選手達がみな髪を伸ばし髭を生やしていたことでも有名で、ウイリアムズ自身も髭を伸ばしていた。その後エンゼルス、エクスポズの監督を経て、1984年にはサンディエゴ・パドレスをリーグ制覇に導いている[1]1984年のワールドシリーズでは、スパーキー・アンダーソン率いるタイガースと対戦。どちらが勝っても史上初の「両リーグでのワールドシリーズ優勝監督」となるシリーズだったが、シリーズを制したのはアンダーソンだった。1986年から3年間シアトル・マリナーズの監督をつとめた後引退。

球界引退後

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2008年アメリカ野球殿堂顕彰者に選出。2011年7月7日、大動脈瘤のため死去。82歳没[2]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1951 BRO 23 64 60 5 12 3 1 1 20 5 0 0 0 - 4 - 0 10 0 .200 .250 .333 .583
1952 36 71 68 13 21 4 1 0 27 11 0 0 1 - 2 - 0 10 4 .309 .329 .397 .726
1953 30 60 55 4 12 2 0 2 20 5 0 0 1 - 3 - 1 10 1 .218 .271 .364 .635
1954 16 37 34 5 5 0 0 1 8 2 0 0 0 1 2 - 0 7 1 .147 .189 .235 .424
1956 7 7 7 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .286 .286 .286 .571
BAL 87 390 353 45 101 18 4 11 160 37 5 5 7 0 30 1 0 40 10 .286 .342 .453 .795
'56計 94 397 360 45 103 18 4 11 162 37 5 5 7 0 30 1 0 41 10 .286 .341 .450 .791
1957 47 184 167 16 39 10 2 1 56 17 0 1 3 0 14 3 0 21 6 .234 .293 .335 .628
CLE 67 220 205 33 58 7 0 6 83 17 3 4 1 1 12 0 1 19 7 .283 .324 .405 .729
'57計 114 404 372 49 97 17 2 7 139 34 3 5 4 1 26 3 1 40 13 .261 .310 .374 .684
1958 BAL 128 462 409 36 113 17 0 4 142 32 0 6 10 4 37 4 2 47 17 .276 .336 .347 .683
1959 KCA 130 538 488 72 130 33 1 16 213 75 4 1 11 6 28 1 5 60 13 .266 .309 .436 .746
1960 127 466 420 47 121 31 0 12 188 65 0 0 1 5 39 3 1 68 16 .288 .346 .448 .794
1961 BAL 103 340 310 37 64 15 2 8 107 24 0 4 5 5 20 0 0 38 7 .206 .251 .345 .596
1962 82 197 178 20 44 7 1 1 56 18 0 0 2 2 14 0 1 26 8 .247 .303 .315 .617
1963 BOS 79 152 136 15 35 8 0 2 49 12 0 0 0 1 15 0 0 25 3 .257 .329 .360 .689
1964 61 77 69 10 11 2 0 5 28 11 0 0 0 0 7 0 1 10 4 .159 .247 .406 .653
通算:13年 1023 3265 2959 358 768 157 12 70 1159 331 12 21 42 *25 227 *12 12 392 97 .260 .312 .392 .704
  • 「-」は記録なし。
  • 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す。
  • 1955年は試合出場なし。

年度別監督成績

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1967 BOS AL 162 92 70 .568 1位 年間最優秀監督賞
1968 162 86 76 .531 4位
1969 AL 東 153 82 71 .536 3位 9月22日
1971 OAK AL 西 161 101 60 .627 1位
1972 155 93 62 .600 1位 WS優勝
1973 162 94 68 .580 1位 WS優勝
1974 CAL 84 36 48 .429 6位 7月1日
1975 161 72 89 .447 6位
1976 96 39 57 .406 4位 7月22日
1977 MON NL 東 162 75 87 .463 5位
1978 162 76 86 .469 4位
1979 160 95 65 .594 2位
1980 162 90 72 .556 2位
1981 81 44 37 .543 2位 9月7日
1982 SD NL 西 162 81 81 .500 4位
1983 162 81 81 .500 4位
1984 162 92 70 .568 1位 リーグ優勝
1985 162 83 79 .512 3位
1986 SEA AL 西 133 58 75 .436 7位 5月9日
1987 162 78 84 .481 4位
1988 56 23 33 .411 7位 6月5日
通 算 3023 1571 1451 .520

記録

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脚注

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  1. ^ “元米大リーグ監督、ディック・ウィリアムズ氏が死去”. 日本経済新聞. (2011年7月8日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0800Y_Y1A700C1CC0000/ 2020年2月20日閲覧。 
  2. ^ 大リーグ:殿堂入りのウィリアムズ氏死去 毎日新聞 2011年7月8日閲覧

関連項目

[編集]

外部リンク

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