テリー・フランコーナ
シンシナティ・レッズ 監督 #77 | |
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クリーブランド・インディアンスでの監督時代 (2020年2月1日) | |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | サウスダコタ州アバディーン |
生年月日 | 1959年4月22日(65歳) |
身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 190 lb =約86.2 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手、一塁手 |
プロ入り | 1980年 MLBドラフト1巡目 |
初出場 | 1981年8月19日 |
最終出場 | 1990年4月19日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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テリー・ジョン・フランコーナ(Terry Jon Francona, 1959年4月22日 - )は、アメリカ合衆国サウスダコタ州アバディーン出身の元プロ野球選手(外野手)、監督。左投左打。愛称はティト(Tito)。
父親は1956年から1970年に主に外野手として活躍したティト・フランコーナで、通算1395安打、125本塁打、656打点などの成績を残した。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]アメリカ合衆国サウスダコタ州アバディーンで生まれ、ペンシルベニア州ニューブライトンで育つ。
1977年のMLBドラフト2巡目(全体38位)でシカゴ・カブスから指名されたが、契約せずにアリゾナ大学へ進学した。大学在学中の1980年には最優秀選手としてゴールデンスパイク賞を受賞する。
現役時代
[編集]1980年のMLBドラフト1巡目(全体22位)でモントリオール・エクスポズから指名され、プロ入り。
1981年8月にメジャー昇格を果たす。左打ちの外野手として活躍し、フィラデルフィア・フィリーズとのナショナルリーグ・ディビジョンシリーズでは12打数4安打で、チームのシリーズ勝利に貢献する。その後、一塁手に転向、確実性の高い打者として評価を受ける。
1985年のシーズン後にエクスポズから放出され、その後カブス、シンシナティ・レッズ、クリーブランド・インディアンス、ミルウォーキー・ブルワーズに在籍する。
1990年に引退した。10年間の通算成績は708試合出場、打率2割7分4厘、16本塁打、143打点という記録が残っている。
監督時代
[編集]1992年から指導者としてマイナーリーグの監督を任される。
1993年から1995年までシカゴ・ホワイトソックス傘下のAA級バーミングハム・バロンズの監督を務めた。その間の1994年には著名なバスケットボール選手であるマイケル・ジョーダンが在籍していた。
1996年には、デトロイト・タイガースで初めてメジャーレベルでのコーチを経験した(三塁コーチ)。
1997年から2000年までフィリーズの監督を務めるが、ナショナルリーグ東部地区2位以上の成績を残すことはできずに終わる。フィリーズ時代の最高成績は1999年の77勝85敗だった。
フィリーズ監督退任後の2001年から2003年の間は、インディアンスのGM補佐、テキサス・レンジャーズとオークランド・アスレチックスのベンチコーチをそれぞれ1年ずつ歴任した。
2003年のシーズン後にプレーオフの際の継投ミスの責任を問う形でボストン・レッドソックスは監督のグレイディ・リトルを解任したが、フランコーナはその後任として監督に就任した。
2004年のシーズンに98勝64敗でアメリカンリーグ東部地区2位の成績を残し、ワイルドカードを獲得する。ディビジョンシリーズでアナハイム・エンゼルスを3勝0敗で撃破し、リーグチャンピオンシップシリーズではニューヨーク・ヤンキースを史上初の3連敗4連勝で倒す。ワールドシリーズではセントルイス・カージナルスを4連勝で下し、レッドソックスを86年ぶりのワールドシリーズ制覇に導く。
喫煙者であるが、2007年のスプリングトレーニング中に禁煙宣言をした。もし、シーズン中に失敗した場合は、がんの研究機関に2万ドル寄付すると発表した一方で、今季終了まで続いた場合は、2度のがんを乗り越えた球団社長のラリー・ルキーノが研究機関に2万ドルを寄付するという(地区優勝のインタビューで、禁煙していたタバコをふかした。)。
2007年シーズンでは、投手と守備の補強と若手の台頭で、前半戦から首位を独走し、後半は疲れが出たものの、12年ぶりに地区優勝とメジャー最高勝率を果たし、ワールドシリーズでも初出場のコロラド・ロッキーズを4連勝で下し、3年ぶりの世界一に導いた。
2011年は、8月まではプレーオフ進出が確実な状況だったが、9月以降は歴史的な大失速でプレーオフ進出を逃した。この責任を取る形で、9月30日にレッドソックスの監督を退任した。
2011年時点での監督としての通算成績は1029勝915敗、勝率.529であった。
2012年はESPNの解説者を務めた。レギュラーシーズン終了後の10月6日に翌シーズンよりクリーブランド・インディアンスの監督に就任することが発表された[1]。
監督へと復帰した2013年はレギュラーシーズンを地区2位で終え、ワイルドカードゲームに進出した。また自身初の最優秀監督賞を獲得し[2]、復帰のシーズンに花を添えた。
2016年はワールドシリーズに出場し、2度目の最優秀監督賞を受賞した。
2017年、監督としてベンチ入りする予定だったオールスターでは、不整脈の治療に専念するため欠場した(代役はインディアンスのベンチコーチであるブラッド・ミルズが務めた。)[3]。
2022年オフの11月15日に全米野球記者協会(BBWAA)から1位票が17、2位票が9、計112ポイントで6年ぶり、史上9人目となる通算3度目の最優秀監督賞を受賞した[4]。
2023年8月5日のホワイトソックス戦の6回にホセ・ラミレスとティム・アンダーソンが乱闘を行ったが、フランコーナもこれに関わったとして退場処分を受けた[5]。
人物
[編集]試合中にベンチで通常のユニフォーム姿でいることはほとんどなく、常にトレーニングウェアやジャンパーを羽織っている。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1981 | MON | 34 | 104 | 95 | 11 | 26 | 0 | 1 | 1 | 31 | 8 | 1 | 0 | 3 | 0 | 5 | 1 | 1 | 6 | 0 | .274 | .317 | .326 | .643 |
1982 | 46 | 144 | 131 | 14 | 42 | 3 | 0 | 0 | 45 | 9 | 2 | 3 | 5 | 0 | 8 | 0 | 0 | 11 | 2 | .321 | .360 | .344 | .703 | |
1983 | 120 | 238 | 230 | 21 | 59 | 11 | 1 | 3 | 81 | 22 | 0 | 2 | 0 | 2 | 6 | 2 | 0 | 20 | 7 | .257 | .273 | .352 | .625 | |
1984 | 58 | 223 | 214 | 18 | 74 | 19 | 2 | 1 | 100 | 18 | 0 | 0 | 1 | 2 | 5 | 3 | 1 | 12 | 4 | .346 | .360 | .467 | .828 | |
1985 | 107 | 296 | 281 | 19 | 75 | 15 | 1 | 2 | 98 | 31 | 5 | 5 | 2 | 0 | 12 | 4 | 1 | 12 | 1 | .267 | .299 | .349 | .648 | |
1986 | CHC | 86 | 133 | 124 | 13 | 31 | 3 | 0 | 2 | 40 | 8 | 0 | 1 | 0 | 2 | 6 | 0 | 1 | 8 | 3 | .250 | .286 | .323 | .608 |
1987 | CIN | 102 | 219 | 207 | 16 | 47 | 5 | 0 | 3 | 61 | 12 | 2 | 0 | 1 | 0 | 10 | 1 | 1 | 12 | 5 | .227 | .266 | .295 | .561 |
1988 | CLE | 62 | 221 | 212 | 24 | 66 | 8 | 0 | 1 | 77 | 12 | 0 | 0 | 2 | 2 | 5 | 1 | 0 | 18 | 4 | .311 | .324 | .363 | .687 |
1989 | MIL | 90 | 244 | 233 | 26 | 54 | 10 | 1 | 3 | 75 | 23 | 2 | 1 | 1 | 2 | 8 | 3 | 0 | 20 | 4 | .232 | .255 | .322 | .577 |
1990 | 3 | 4 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .00 | |
MLB:10年 | 708 | 1826 | 1731 | 163 | 474 | 74 | 6 | 16 | 608 | 143 | 12 | 12 | 15 | 10 | 65 | 15 | 5 | 119 | 30 | .274 | .300 | .351 | .652 |
年度別監督成績
[編集]年 度 |
球 団 |
地 区 |
年 齢 |
試 合 |
勝 利 |
敗 戦 |
勝 率 |
順 位 |
備 考 |
ポストシーズン 勝敗 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | PHI | NL 東 | 38 | 162 | 68 | 94 | .420 | 5 / 5 | ||
1998 | 39 | 162 | 75 | 87 | .463 | 3 / 5 | ||||
1999 | 40 | 162 | 77 | 85 | .475 | 3 / 5 | ||||
2000 | 41 | 162 | 65 | 97 | .401 | 5 / 5 | ||||
2004 | BOS | AL 東 | 45 | 162 | 98 | 64 | .605 | 2 / 5 | WS優勝 | 11勝 | 3敗
2005 | 46 | 162 | 95 | 67 | .586 | 2 / 5 | ALDS敗退 | 0勝 3敗 | ||
2006 | 47 | 162 | 86 | 76 | .531 | 3 / 5 | ||||
2007 | 48 | 162 | 96 | 66 | .593 | 1 / 5 | WS優勝 | 11勝 | 3敗||
2008 | 49 | 162 | 95 | 67 | .586 | 2 / 5 | ALCS敗退 | 6勝 5敗 | ||
2009 | 50 | 162 | 95 | 67 | .586 | 2 / 5 | ALDS敗退 | 0勝 3敗 | ||
2010 | 51 | 162 | 89 | 73 | .549 | 3 / 5 | ||||
2011 | 52 | 162 | 90 | 72 | .556 | 3 / 5 | ||||
2013 | CLE | AL 中 | 54 | 162 | 92 | 70 | .568 | 2 / 5 | ALWC敗退 | 0勝 1敗 |
2014 | 55 | 162 | 85 | 77 | .525 | 3 / 5 | ||||
2015 | 56 | 161 | 81 | 80 | .503 | 3 / 5 | ||||
2016 | 57 | 161 | 94 | 67 | .584 | 1 / 5 | WS敗退 | 10勝 | 5敗||
2017 | 58 | 162 | 102 | 60 | .630 | 1 / 5 | ALDS敗退 | 2勝 3敗 | ||
2018 | 59 | 162 | 91 | 71 | .562 | 1 / 5 | ALDS敗退 | 0勝 3敗 | ||
2019 | 60 | 162 | 93 | 69 | .574 | 2 / 5 | ||||
2020 | 61 | 60 | 35 | 25 | .583 | 2 / 5 | ALWC敗退 | 0勝 2敗 | ||
2021 | 62 | 162 | 80 | 82 | .494 | 2 / 5 | ||||
2022 | 63 | 162 | 92 | 70 | .568 | 1 / 5 | ALDS敗退 | 4勝 3敗 | ||
MLB:22年 | 3460 | 1874 | 1586 | .542 | - | 44勝34敗 |
- 2022年度シーズン終了時。
- 年度の太字は最優秀監督賞受賞。
- 順位の太字はプレーオフ進出(ワイルドカードを含む)。
- WS…ワールドシリーズ、LCS…リーグチャンピオンシップシリーズ、DS…ディビジョンシリーズ、WC…ワイルドカードゲーム(ワイルドカードシリーズ)。
表彰
[編集]背番号
[編集]- 16(1981年 - 1986年)
- 10(1987年)
- 24(1988年)
- 30(1989年 - 1990年)
- 55(1996年)
- 7(1997年 - 2000年)
- 11(2002年)
- 47(2003年 - 2011年)
- 17(2013年 - 2017年)
- 77(2018年 - )
脚注
[編集]- ^ Indians hire Francona as next manager USA Today
- ^ Cleveland Indians' Terry Francona Wins AL Manager of the Year award Red Sox John Farrell Ffinishes Second NESN.com
- ^ “インディアンスのフランコア監督が球宴辞退、不整脈治療で手術を受ける”. Full-Count (2017年7月8日). 2018年10月6日閲覧。
- ^ “Guardians’ Terry Francona wins Manager of the Year for the third time” (英語). BBWAA – Baseball Writers' Association of America (November 15, 2022). November 16, 2022閲覧。
- ^ “J-Ram, TA get heated as benches clear in Cleveland” (英語). MLB.com (August 5, 2023). August 6, 2023閲覧。
- ^ “大リーグ 最優秀監督にドジャースのロバーツ監督 アはフランコナ氏”. スポニチアネックス. (2016年11月16日) 2016年11月16日閲覧。
関連項目
[編集]- メジャーリーグベースボールの選手一覧 F
- 親子のメジャーリーグベースボール選手一覧
- メジャーリーグベースボールの監督一覧
- フィラデルフィア・フィリーズの歴代監督一覧
- ボストン・レッドソックスの歴代監督一覧
- クリーブランド・ガーディアンズの歴代監督一覧
外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 監督の通算成績と情報 Baseball-reference.com
- アメリカ合衆国の野球選手
- イタリア系アメリカ人の野球選手
- 在カナダ・アメリカ人の野球選手
- シカゴ・カブスのドラフト指名選手
- アリゾナ大学出身の野球選手
- モントリオール・エクスポズのドラフト指名選手
- モントリオール・エクスポズの選手
- シカゴ・カブスの選手
- シンシナティ・レッズの選手
- クリーブランド・インディアンスの選手
- ミルウォーキー・ブルワーズの選手
- セントルイス・カージナルス傘下の選手
- デトロイト・タイガース関連人物
- アメリカ合衆国の野球監督
- MLB監督
- フィラデルフィア・フィリーズ関連人物
- テキサス・レンジャーズ関連人物
- オークランド・アスレチックス関連人物
- ボストン・レッドソックス関連人物
- クリーブランド・ガーディアンズ関連人物
- MLB解説者
- サウスダコタ州ブラウン郡出身の人物
- ペンシルベニア州ビーバー郡出身の人物
- 1959年生
- 存命人物