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「1978年の相撲」の版間の差分

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*: 幕内最高優勝 : [[北の湖敏満]](13勝2敗,11回目)
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*: 殊勲賞-富士櫻、敢闘賞-尾形、技能賞-蔵間
*: 殊勲賞-富士櫻、敢闘賞-尾形、技能賞-蔵間
*: 十両優勝 : [[大こう吉男|大觥吉男]](11勝4敗)
*: 十両優勝 : [[大觥吉男]](11勝4敗)
* 五月場所(蔵前国技館・7日~21日)
* 五月場所(蔵前国技館・7日~21日)
*: 幕内最高優勝 : 北の湖敏満(14勝1敗,12回目)
*: 幕内最高優勝 : 北の湖敏満(14勝1敗,12回目)

2020年8月12日 (水) 04:44時点における版

< 1978年 | 1978年のスポーツ

1978年の相撲(1978ねんのすもう)は、1978年の相撲関係のできごとについて述べる。

大相撲

できごと

  • 1月、元小結羽黒岩引退、年寄雷襲名。元前頭2枚目若ノ海引退、年寄大嶽襲名。元前頭3枚目大鷲引退、年寄中村襲名。元関脇旭川死去、72歳。協会役員改選で理事長春日野を3選。新理事に伊勢ヶ濱、武隈、伊勢ノ海、新監事に片男波。全国農業協同組合連合会賞が、幕内優勝力士に授与される。
  • 3月、学生相撲の近畿大学長岡、駒澤大学牧野が幕下付出。春場所後の番付編成会議で出羽嵐改め常の山の十両昇進を決定。鷲羽山の実兄で、36年ぶりの兄弟同時関取。
  • 4月、第1回師匠会。部屋持ち親方30人全員出席。伊勢ヶ濱部屋が文京区白山に落成。
  • 5月、元前頭2枚目朝登引退、年寄東関襲名。元前頭5枚目千代櫻引退、年寄君ヶ濱襲名。元小結成山死去、46歳。夏場所後、若三杉の横綱推挙決定。若三杉は若乃花幹士と改名。元前頭8枚目芳野嶺の熊ヶ谷部屋独立。ただ1人の弟子は息子。
  • 9月、秋場所で実業団出身の板井(大鳴戸)が前相撲よりデビュー。場所6日目に昭和天皇観戦。中国出身力士の清乃華が廃業。
  • 10月、福岡が水不足のため、力士乗り込みを遅らせる。
  • 11月、相撲教習所の校歌が作られる。
  • 12月、元小結巴潟が肝硬変で死去、67歳。

本場所

  • 一月場所(蔵前国技館・8日~22日)
    幕内最高優勝 : 北の湖敏満(15戦全勝,10回目)
     殊勲賞-豊山、敢闘賞-玉ノ富士、蔵間
    十両優勝 : 黒瀬川國行(11勝4敗)
  • 三月場所(大阪府立体育館・12日~26日)
    幕内最高優勝 : 北の湖敏満(13勝2敗,11回目)
     殊勲賞-富士櫻、敢闘賞-尾形、技能賞-蔵間
    十両優勝 : 大觥吉男(11勝4敗)
  • 五月場所(蔵前国技館・7日~21日)
    幕内最高優勝 : 北の湖敏満(14勝1敗,12回目)
     殊勲賞-琴風、敢闘賞-千代の富士
    十両優勝 :鷲羽山佳和(11勝4敗)
  • 七月場所(愛知県体育館・2日~16日)
    幕内最高優勝 : 北の湖敏満(15戦全勝,13回目)
     殊勲賞-富士櫻、敢闘賞-出羽の花
    十両優勝 : 鷲羽山佳和(10勝5敗)
  • 九月場所(蔵前国技館・10日~24日)
    幕内最高優勝 : 北の湖敏満(14勝1敗,14回目)
     敢闘賞-播竜山、技能賞-麒麟児
    十両優勝 : 巨砲丈士(11勝4敗)
  • 十一月場所(九電記念体育館・12日~26日)
    幕内最高優勝 : 若乃花幹士(15戦全勝,2回目)
     殊勲賞-麒麟児、敢闘賞-黒姫山、技能賞-青葉山
    十両優勝 : 谷嵐久(13勝2敗)
  • 年間最優秀力士賞:北の湖敏満(82勝8敗)
  • 年間最多勝:北の湖敏満(82勝8敗)

参考文献

  • 『相撲』誌各号
  • 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p80