コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「第二水雷戦隊」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m 外部リンクの修正 [https://www.jacar.go.jp/index.html (Botによる編集)
解散を解隊に変更
(5人の利用者による、間の9版が非表示)
1行目: 1行目:
{{出典の明記|date=2012年9月26日 (水) 10:42 (UTC)}}
{{日本海軍}}
{{日本海軍}}
'''第二水雷戦隊'''(だいにすいらいせんたい)は、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の部隊の一つ。略称は'''二水戦'''(にすいせん)。
'''第二水雷戦隊'''(だいにすいらいせんたい)は、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の部隊の一つ。略称は'''二水戦'''(にすいせん){{Sfn|戦史叢書56|1972|p=521a|ps=二水戦のマニラ進出}}。略字は'''2Sd'''{{Sfn|戦史叢書102|1980|pp=418-419|ps=付録第3 軍隊符号等(隊号・略字等)/2.海軍関係}}


== 概要 ==
== 概要 ==
'''第二水雷戦隊'''は、日本海軍の[[水雷戦隊]]。1914年(大正3年)に[[第一次世界大戦]]に備えた戦時編制で初めて編成された。[[漸減邀撃作戦]]における前線部隊に位置づけられた[[第二艦隊 (日本海軍)|第二艦隊]]に属し、最前線の攻撃部隊として活動した。
'''第二水雷戦隊'''は、日本海軍の[[水雷戦隊]]。[[漸減邀撃作戦]]における前進部隊<!-- 前進部隊であり、前線部隊ではない。 -->に位置づけられた[[第二艦隊 (日本海軍)|第二艦隊]]に属し{{Sfn|戦史叢書102|1980|p=527|ps=第二艦隊}}{{Sfn|戦史叢書102|1980|p=533|ps=(ハ)艦隊区分による主要部隊/前進部隊・遊撃部隊}}、最前線の攻撃部隊として活動した{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=138a|ps=連合艦隊と水雷戦隊}}
最初の第二水雷戦隊は、1914年(大正3年)8月18日に[[第一次世界大戦]]に備えた戦時編制で初めて編制された<ref name="制度4巻32a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ32-33(原本25-26頁)〔 大正三、八、一八(開戰前)※第一艦隊編制より抜粋 第一水雷戰隊(旗艦)音羽、第一、第二、第十六、第十七驅逐隊/※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 (旗艦)利根、第九、第十二、第十三驅逐隊 〕</ref>。[[装甲巡洋艦]]もしくは二等巡洋艦([[防護巡洋艦]]、[[軽巡洋艦]])が[[旗艦]]を務め、[[樺型駆逐艦]]や[[磯風型駆逐艦]]などの駆逐隊、最終時は[[峯風型駆逐艦]]で編制された駆逐隊を指揮した。[[第一次世界大戦]]終結後の[[1921年]](大正10年)12月1日、第二艦隊と共に解隊された<ref name="制度4巻37b">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ37-38(原本35-36頁)〔 大正十、一二、一(内令四七二)※第二艦隊編制より抜粋 なし|(編入)大正十年 第二艦隊 四、一八(内令一三八)北上(二水戰)|(削除)大正十年 四、二〇(内令一四〇)天龍(二水戰)|(備考)一二、一 第一、第二、第三艦隊及第一、第二遣外艦隊編制改定セラル但シ當分ノ間第二艦隊竝ニ第三艦隊第三水雷戰隊、第三艦隊第三潜水戰隊及第二遣外艦隊ハ之ヲ編成セス(内令四七二) 〕</ref>。
常に最新鋭艦が所属したが、[[太平洋戦争]]発起後に空母機動部隊の直衛をおこなう第十戦隊が編制されると([[陽炎型駆逐艦]]、[[夕雲型駆逐艦]]、[[秋月型駆逐艦]]主力)、二水戦には旧式艦も配備されるようになった。


二代目の第二水雷戦隊は、1922年(大正11年)12月1日に編制された<ref name="制度4巻38a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ38(原本36-37頁)〔 大正一一、一二、一(内令四三二 四三七)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 北上、第一、第三驅逐隊 〕</ref>(旗艦[[北上 (軽巡洋艦)|北上]]<ref name="T海軍公報3045" />)。当初は軽巡洋艦と並型駆逐艦([[神風型駆逐艦 (2代)|神風型]]、[[睦月型駆逐艦|睦月型]])で編制されていた。
[[1943年]](昭和18年)7月12日の[[コロンバンガラ島沖海戦]]で第二水雷戦隊司令部は旗艦「[[神通 (軽巡洋艦)|神通]]」沈没時に全滅。日本海軍は第四水雷戦隊の司令部と戦力(軽巡[[長良 (軽巡洋艦)|長良]]、駆逐艦[[時雨 (白露型駆逐艦)|時雨]]や[[五月雨 (駆逐艦)|五月雨]]など)を二水戦に転用し、従来の二水戦艦艇(駆逐艦[[長波 (駆逐艦)|長波]]など)を統合して再建された。この時点で、二水戦は[[初春型駆逐艦]]・[[白露型駆逐艦]]・[[夕雲型駆逐艦]]・[[島風 (島風型駆逐艦)|島風型駆逐艦]]の混成部隊となった。
1928年(昭和3年)12月10日より、5,500トン型軽巡([[長良型軽巡洋艦|長良型]]、[[川内型軽巡洋艦|川内型]])と[[吹雪型駆逐艦]](特型駆逐艦){{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=69-72|ps=特型「吹雪」の出現}}の組み合わせとなった<ref name="制度4巻42a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ42(原本44-45頁)〔 昭和三、一二、一〇(内令三四九)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 鬼怒、第十二、第二十三驅逐隊|(編入)昭和三年 第二艦隊 一二、一八(内令三六七)第十一驅逐隊(二水戰) 〕</ref><ref name="制度4巻65a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ65-66(原本91-92頁)〔 昭和三、一二、一〇(内令三五〇)|呉鎭守府|第二艦隊|第十二驅逐隊|東雲、薄雲、叢雲|(編入)叢雲(四、五、一〇 一五一)|昭和三、一二、一〇(内令三五〇)驅逐隊編制本表ノ通改定セラル/昭和三、一二、一八(内令三六六)呉鎭ノ部第十二驅逐隊ノ前ニ 第二艦隊、第十一驅逐隊(吹雪、白雪)ヲ加フ/昭和四、三、三〇(内令八二)第十一驅逐隊ニ初雪ヲ加フ/昭和四、六、二九(内令一八五)第十一驅逐隊ニ深雪ヲ加フ 〕</ref>。常に最新鋭艦が所属したが、[[太平洋戦争]]発起後に空母機動部隊の直衛をおこなう第十戦隊が編制されると([[陽炎型駆逐艦]]、[[夕雲型駆逐艦]]、[[秋月型駆逐艦]]主力){{Sfn|戦史叢書102|1980|p=115|ps=昭和17年(1942年)4月10日/大本営、昭和17年度海軍戦時編制実施を発令}}、二水戦には旧式艦も配備されるようになった。


[[1943年]](昭和18年)7月12日の[[コロンバンガラ島沖海戦]]で、第二水雷戦隊司令部は旗艦「[[神通 (軽巡洋艦)|神通]]」沈没時に全滅した{{Sfn|戦史叢書102|1980|p=186|ps=昭和18年(1943年)7月12日/第二水雷戦隊司令官指揮下にコロンバンガラ島増援兵力を輸送(同夜コロンバンガラ島沖海戦生起。旗艦軽巡神通沈没し第2水雷戦隊司令部全滅)}}。日本海軍は第四水雷戦隊の司令部と戦力(軽巡[[長良 (軽巡洋艦)|長良]]、駆逐艦[[時雨 (白露型駆逐艦)|時雨]]や[[五月雨 (駆逐艦)|五月雨]]など)を二水戦に転用し、従来の二水戦艦艇(駆逐艦[[長波 (駆逐艦)|長波]]など)を統合して再建した。この時点で、二水戦は[[初春型駆逐艦]]・[[白露型駆逐艦]]・[[夕雲型駆逐艦]]・[[島風 (島風型駆逐艦)|島風型駆逐艦]]の混成部隊となった。
[[1944年]](昭和19年)10月下旬の[[レイテ沖海戦]]で、第二水雷戦隊は旗艦「能代」と麾下駆逐艦多数を喪失<ref name="叢書九三30">[[#叢書93|戦史叢書93巻]]、30-34頁「大本営海軍部の水上兵力整頓の基本方針」</ref>。つづいて[[レイテ島の戦い|レイテ島地上戦]]にともなう[[多号作戦]](増援輸送作戦)で多数の駆逐艦が沈没し、さらに11月11日には第二水雷戦隊旗艦「[[島風 (島風型駆逐艦)|島風]]」沈没<ref name="叢書九三62">[[#叢書93|戦史叢書93巻]]、62-65頁「軍需品搭載船団の全滅」</ref>。島風と共に二水戦司令部はふたたび全滅した<ref name="叢書九三62" />。そこで[[大本営]]は第一水雷戦隊司令官[[木村昌福]]少将と一水戦司令部を二水戦に転用し、第二水雷戦隊を再建した<ref name="叢書九三67">[[#叢書93|戦史叢書93巻]]、67-69頁「第一水雷戦隊の解隊と第三十一戦隊の第五艦隊編入」</ref>。また第十戦隊の解隊により、同隊に所属していた[[陽炎型駆逐艦]]と[[秋月型駆逐艦]]が二水戦に増強された<ref name="叢書九三34">[[#叢書93|戦史叢書93巻]]、34-36頁「第一機動艦隊、第三艦隊の解隊(十一月十五日)」</ref>。


[[1944年]](昭和19年)10月下旬の[[レイテ沖海戦]]で、第二水雷戦隊は旗艦「[[能代 (軽巡洋艦)|能代]]」と麾下駆逐艦多数を喪失する{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=30a-34|ps=大本営海軍部の水上兵力整頓の基本方針}}。つづいて[[レイテ島の戦い|レイテ島地上戦]]にともなう[[多号作戦]](増援輸送作戦)で多数の駆逐艦が沈没し、さらに11月11日には第二水雷戦隊旗艦「[[島風 (島風型駆逐艦)|島風]]」が沈没、二水戦司令部は再び全滅した{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=62-65|ps=軍需品搭載船団の全滅}}。そこで[[大本営]]は第一水雷戦隊司令官[[木村昌福]]少将と一水戦司令部を二水戦に転用し、第二水雷戦隊を再建した{{Sfn|戦史叢書102|1980|p=267|ps=昭和19年(1944年)11月20日/海軍戦時編制改訂(第1水雷戦隊解隊、第2水雷戦隊改編、第31戦隊の第5艦隊編入等)(旧第1水雷戦隊司令官木村昌福少将を第2水雷戦隊司令官に任命)}}。また第十戦隊の解隊により、同隊に所属していた[[陽炎型駆逐艦]]と[[秋月型駆逐艦]]が二水戦に増強された{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=34-36|ps=第一機動艦隊、第三艦隊の解隊(十一月十五日)}}。
日本海軍最後の水上艦作戦行動となった[[1945年]](昭和20年)4月7日の[[坊ノ岬沖海戦]]で第二水雷戦隊は主力艦艇を喪失し<ref name="叢書九三277">[[#叢書93|戦史叢書93巻]]、277-278頁「海上特攻隊の編制と出撃準備」</ref>、4月20日付で第二艦隊や第一航空戦隊と共に解隊された<ref name="叢書九三180" /><ref name="叢書八三283">[[#叢書93|戦史叢書93巻]]、283-284頁「第二艦隊、第二水雷戦隊の解隊」</ref>。残存艦艇は[[第三十一戦隊]]に編入された<ref name="叢書八三283" />。また第二艦隊に所属していた[[第三十一戦隊]]と第十一水雷戦隊は[[連合艦隊]]附属となった<ref name="叢書九三180" /><ref name="叢書八三283" />。<!-- 第11水雷戦隊は1945年7月15日解隊なので、二水戦が日本海軍最後の水雷戦隊ではない -->

日本海軍最後の水上艦作戦行動となった[[1945年]](昭和20年)4月7日の[[坊ノ岬沖海戦]]で、第二水雷戦隊は主力艦艇を喪失する{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=227-228|ps=海上特攻隊の編制と出撃準備}}{{Sfn|戦史叢書102|1980|p=295|ps=昭和20年(1945年)4月7日/海上特攻隊(戦艦大和・第2水雷戦隊〈軽巡1・駆逐艦8〉、九州南西洋上で米艦載機(延300機以上)の攻撃を受け主力全滅(残存駆逐艦4)し沖縄突入作戦を断念}}。4月20日、二水戦は第二艦隊や第一航空戦隊と共に解隊された{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=283a-284|ps=第二艦隊、第二水雷戦隊の解隊}}。残存艦艇は[[第三十一戦隊]]に編入された{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=283b-284}}。また第二艦隊に所属していた[[第三十一戦隊]]と第十一水雷戦隊は[[連合艦隊]]附属となった{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=283b-284}}{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=180a-181|ps=第十一水雷戦隊の第二艦隊編入}}。<!-- 第11水雷戦隊は1945年7月15日解隊なので、二水戦が日本海軍最後の水雷戦隊ではない -->


== 解説 ==
== 解説 ==
=== 誕生 ===
=== 誕生 ===
[[日清戦争]]における[[威海衛の戦い|威海衛夜襲]]、[[日露戦争]]における[[日本海海戦]]の夜間雷撃戦を通じ、日本海軍水雷攻撃を砲撃と並ぶ二本柱として重視した。1914年大正3年)8月18日、[[ドイツ]]への宣戦布告に備えて戦時編制を組んだ際に、[[第一艦隊 (日本海軍)|第一艦隊]]に属す[[水雷戦隊#第一水雷戦隊|第一水雷]]とともに、第二隊用に第二水雷戦隊を編制し。こ2個戦隊は特設第三水雷戦隊以降とは違って常設となった。
[[日清戦争]]における[[威海衛の戦い|威海衛夜襲]]、[[日露戦争]]における[[日本海海戦]]の夜間雷撃戦を通じ、日本海軍は小型艦艇([[駆逐艦]]、[[水雷艇]]る水雷戦術の威力を認識した{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=64-65|ps=日本海夜と駆逐艦}}。[[イギリス海軍]]の駆逐水雷戦隊)は「敵艦襲撃」「主力艦隊の防御」という二つの性格持っていたのに対し日本海軍は主力艦兵力差を埋めるため駆逐艦(水雷戦隊)の攻撃力を重視し{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=65-67|ps=ジュットランド海戦と駆逐艦}}
1914年(大正3年)8月18日、[[ドイツ]]への宣戦布告に備えて戦時編制を組んだ際に、[[第一艦隊 (日本海軍)|第一艦隊]]{{#tag:Ref|当時の第一艦隊旗艦は巡洋戦艦[[金剛 (戦艦)|金剛]]であった<ref name="T海軍公報610" />。|group="注"}}に属する[[水雷戦隊#第一水雷戦隊|第一水雷戦隊]](旗艦[[音羽 (防護巡洋艦)|音羽]])とともに<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070242600|大正3年8月18日(火)海軍公報第六百四號附録 p.35}}〔 ○郵便物送付先 第一艦隊宛郵便物送付先左ノ通リ通知アリタリ 第一艦隊司令部竝後任司令部及金剛、攝津、薩摩、矢矧、筑摩、水雷戰隊司令部、音羽、第一、第二、第十六、第十七驅逐隊宛ノモノハ 佐世保郵便局氣付/周防、石見宛ノモノハ 呉郵便局氣付/河内、比叡、安藝宛ノモノハ從前ノ通リ 〕</ref>、第二艦隊{{#tag:Ref|当時の第二艦隊旗艦は巡洋戦艦[[鞍馬 (巡洋戦艦)|鞍馬]]<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070242600|大正3年8月12日(水)海軍公報第五百九十八號附録 p.13}}〔 ○旗艦變更 第二艦隊司令長官旗艦ヲ八月十一日磐手ヨリ鞍馬ニ變更セル旨報告アリ 〕</ref>もしくは戦艦[[周防 (戦艦)|周防]]<ref name="T海軍公報610" />であった。|group="注"}}用に第二水雷戦隊を編制した<ref name="制度4巻32a" />。[[日独戦争]]において、第二艦隊は[[青島の戦い|青島攻略作戦]]での[[海上封鎖]]等に参加した{{Sfn|戦史叢書91|1975|pp=144-146|ps=協同作戦の指揮権問題}}。

同年12月1日、日本海軍は艦隊平時編制を施行し、戦隊単位まで兵力を規定した{{Sfn|戦史叢書91|1975|pp=125-127|ps=艦隊平時編制標準と年度戦時編制}}。
1915年(大正4年)12月1日から1919年(大正8年)8月8日まで適用された艦隊平時編制標準では、主力部隊である第一艦隊麾下に第一水雷戦隊と第四水雷戦隊が、遊撃部隊である第二艦隊麾下に第二水雷戦隊が、予備隊としての性格をもつ第三艦隊{{Sfn|戦史叢書91|1975|p=128}}麾下に第三水雷戦隊が編制されていた{{#tag:Ref|第一艦隊と第二艦隊は主力部隊として「本邦、支那、東亜露領沿海及特ニ令セラレタル海面」を行動、第三艦隊は旧式艦が集められ「本邦及支那沿海並揚子江流域」を担任する{{Sfn|戦史叢書91|1975|pp=126-127}}。第一艦隊(第一戦隊:戦艦4隻、第二戦隊:戦艦・巡洋戦艦戦隊・巡洋艦4隻、第一水雷戦隊:巡洋艦1隻・駆逐隊4隊、第四水雷戦隊:巡洋艦もしくは海防艦1隻、潜水艇隊2隊)、第二艦隊(第三戦隊:巡洋戦艦4隻、第四戦隊:巡洋艦4隻、第二水雷戦隊:巡洋艦1隻・駆逐隊4隊)、第三艦隊(第五戦隊:戦艦・巡洋戦艦4隻、第六戦隊:戦艦・巡洋戦艦・巡洋艦4隻、第七戦隊:巡洋艦・海防艦・砲艦8隻、第三水雷戦隊:巡洋艦1隻・駆逐隊4隊)、練習艦隊(巡洋艦4隻)。|group="注"}}。


=== 位置付け ===
=== 位置付け ===
1922年(大正11年)12月1日(大正十二年度)から昭和五年度までの日本海軍の艦隊平時編制の標準は以下のようなものであり、1933年(昭和8年)5月19日まで適用された{{Sfn|戦史叢書91|1975|pp=204-206|ps=艦隊平時編制標準と年度戦時編制}}。艦の整備や人員不足のため、年度によっては編成されない戦隊や艦隊もあった{{Sfn|戦史叢書91|1975|p=206}}。[[航空母艦]](航空戦隊)や基地航空隊の発足、各種艦艇の充実、担任海域の拡大や国際情勢の変化により、艦隊平時編制標準は常に改定されている{{Sfn|戦史叢書91|1975|pp=358-359|ps=支那方面艦隊・第四艦隊新編と艦隊平時編制標準改定―昭和十二年十月}}{{Sfn|戦史叢書91|1975|pp=359-360|ps=支那事変に伴う戦時編制の発足―昭和十二年十一月}}。
第二艦隊が前線部隊であることから、第二水雷戦隊には、強力な装備と長大な航続力が要求された。このため、漸減邀撃作戦が瓦解した[[真珠湾攻撃]]以後も、第二水雷戦隊には強力な装備を誇る駆逐艦が投入された。
*第一艦隊
**第一戦隊、第二戦隊、第三戦隊、第一水雷戦隊、第一潜水戦隊
*第二艦隊
**第四戦隊、第五戦隊、第二水雷戦隊、第二潜水戦隊
*第三艦隊
**第六戦隊、第三水雷戦隊、第三潜水戦隊
*第一遣外艦隊
*第二遣外艦隊
*練習艦隊


日本海軍が想定していた日米艦隊決戦において、水雷戦隊は戦艦部隊に匹敵する対米戦の機軸戦力になりつつあった{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=140|ps=艦隊決戦での水雷戦隊}}。決戦部隊は主力部隊(第一艦隊を基幹とする戦艦部隊)と{{Sfn|戦史叢書102|1980|p=532|ps=(ハ)艦隊区分による主要部隊/主力部隊}}、前進部隊(第二艦隊司令長官を指揮官とする重巡洋艦と水雷戦隊){{Sfn|戦史叢書102|1980|p=533|ps=(ハ)艦隊区分による主要部隊/前進部隊・遊撃部隊}}に区分されていた{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=138a|ps=連合艦隊と水雷戦隊}}。前進部隊に所属する第二水雷戦隊には、強力な装備と長大な航続力が要求された。このため、漸減邀撃作戦が瓦解した[[真珠湾攻撃]]以後も、第二水雷戦隊には強力な装備を誇る駆逐艦が投入された。また水雷戦隊独力による敵警戒部隊の排除・突破ならびに敵主力艦隊への雷撃は不可能であったため、水雷戦隊に重巡洋艦戦隊を組み合わせて運用することになった{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|pp=142a-143|ps=夜戦戦力の編制}}{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|pp=144a-145|ps=艦隊決戦での夜戦兵力}}。
[[1944年]](昭和19年)10月下旬の[[レイテ沖海戦]]で日本海軍水上艦部隊が壊滅すると、[[11月15日]]附で第十戦隊が解隊され、所属駆逐隊は第一水雷戦隊と第二水雷戦隊に編入された<ref name="叢書九三34" />。ところが4日前の[[11月11日]]、第二水雷戦隊司令部は[[レイテ島の戦い|レイテ島地上戦]]にともなう増援輸送作戦「[[多号作戦]]」で、旗艦「[[島風 (島風型駆逐艦)|島風]]」沈没時に全滅状態になっていた(二水戦司令官[[早川幹夫]]少将戦死)<ref name="叢書九三62" /><ref name="叢書九三67" />。そこで第一水雷戦隊(司令官[[木村昌福]]少将)を解隊し、司令官・司令部職員とも第二水雷戦隊に転用して二水戦を再建した<ref name="叢書九三67" />。兵力不足となった第五艦隊には、[[松型駆逐艦]]主力の[[第三十一戦隊]]を編入した<ref name="叢書九三67" />。
太平洋戦争開戦時の夜戦部隊は、第二艦隊司令長官(夜戦部隊指揮官)直率部隊([[高雄型重巡洋艦]]4隻の第四戦隊)、支援隊([[金剛型戦艦]]4隻の第三戦隊)、第一夜戦隊([[妙高型重巡洋艦]]3隻の第五戦隊、第二水雷戦隊)、第二夜戦隊([[最上型重巡洋艦]]4隻の第七戦隊、第四水雷戦隊)、第三夜戦群([[古鷹型重巡洋艦|古鷹型]]と[[青葉型重巡洋艦]]の第六戦隊、第一水雷戦隊)、第二夜戦隊([[利根型重巡洋艦]]2隻の第八戦隊、第三水雷戦隊)であった{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=143}}。


[[太平洋戦争]]において、第二水雷戦隊が初めて大規模海戦に臨んだのは[[スラバヤ沖海戦]]であった{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|pp=164-165|ps=スラバヤ沖海戦}}。第五戦隊([[那智 (重巡洋艦)|那智]]、[[羽黒 (重巡洋艦)|羽黒]])の支援下で第二水雷戦隊と第四水雷戦隊が[[ABDA司令部|ABDA艦隊]]に対し魚雷戦をおこなうが、[[酸素魚雷]]の早爆などで課題を残した{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=165}}。その後の二水戦に大規模海戦を行う機会は訪れず、局地輸送に従事した{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=197|ps=局地輸送}}。[[ガダルカナル島]]への[[鼠輸送]]において生起したのが[[ルンガ沖夜戦]]{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|pp=176-177|ps=ルンガ沖海戦}}、[[コロンバンガラ島]]近海で生起したのが[[コロンバンガラ島沖海戦]]であった{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|pp=182-183|ps=コロンバンガラ島沖夜戦}}。
その後、第二艦隊(旗艦「[[大和 (戦艦)|大和]]」)には[[1945年]](昭和20年)3月15日に[[第三十一戦隊]](司令官[[鶴岡信道]]少将、旗艦「[[花月 (駆逐艦)|花月]]」)が編入された<ref>[[#叢書93|戦史叢書93巻]]、179-180頁「第三十一戦隊の第二艦隊編入」</ref>。4月1日、訓練練成部隊の第十一水雷戦隊(司令官[[高間完]]少将、旗艦「[[酒匂 (軽巡洋艦)|酒匂]]」、松型駆逐艦多数)が第二艦隊に編入された<ref name="叢書九三180">[[#叢書93|戦史叢書93巻]]、180-181頁「第十一水雷戦隊の第二艦隊編入」</ref>。

4月7日、[[坊ノ岬沖海戦]]で出撃した第一遊撃部隊([[第一航空戦隊]]〈大和〉、第二水雷戦隊)は主力艦艇を喪失<ref name="叢書九三277" />。
[[1944年]](昭和19年)10月下旬の[[レイテ沖海戦]]で日本海軍水上艦部隊が壊滅すると、[[11月15日]]附で第十戦隊が解隊され{{Sfn|戦史叢書102|1980|p=266|ps=昭和19年(1944年)11月15日}}、所属駆逐隊は第一水雷戦隊と第二水雷戦隊に編入された{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=34-36|ps=第一機動艦隊、第三艦隊の解隊(十一月十五日)}}。ところが4日前の[[11月11日]]、第二水雷戦隊司令部は[[レイテ島の戦い|レイテ島地上戦]]にともなう増援輸送作戦「[[多号作戦]]」で、旗艦「[[島風 (島風型駆逐艦)|島風]]」沈没時に全滅状態になっていた{{Sfn|戦史叢書56|1972|pp=538-541|ps=二水戦司令官戦死、第二船団全滅}}(二水戦司令官[[早川幹夫]]少将戦死){{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=67a-69|ps=第一水雷戦隊の解隊と第三十一戦隊の第五艦隊編入}}。そこで[[11月20日]]附で第一水雷戦隊(司令官[[木村昌福]]少将)を解隊し、司令官・司令部職員とも第二水雷戦隊に転用して二水戦を再建した{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=67b-69}}。兵力不足となった第五艦隊には、[[松型駆逐艦]]主力の[[第三十一戦隊]]を編入した{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=67b-69}}。
4月20日、日本海軍は[[第一航空戦隊]]、第二艦隊、第二水雷戦隊を解隊する<ref name="叢書八三283" />。第二艦隊所属だった第三十一戦隊と第十一水雷戦隊は連合艦隊附属となった<ref name="叢書八三283" /><ref name="叢書九三180" />。また第二水雷戦隊残存部隊(第7駆逐隊〈潮、響〉、第17駆逐隊〈雪風、初霜〉、第41駆逐隊〈冬月、涼月〉)は第三十一戦隊に編入された<ref name="叢書八三283" />。

その後、第二艦隊(旗艦「[[大和 (戦艦)|大和]]」)には[[1945年]](昭和20年)3月15日に[[第三十一戦隊]](司令官[[鶴岡信道]]少将、旗艦「[[花月 (駆逐艦)|花月]]」)が編入された{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=179-180|ps=第三十一戦隊の第二艦隊編入}}。4月1日、訓練練成部隊の第十一水雷戦隊(司令官[[高間完]]少将、旗艦「[[酒匂 (軽巡洋艦)|酒匂]]」、松型駆逐艦多数)が第二艦隊に編入された{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=180b-181}}。
4月7日、[[坊ノ岬沖海戦]]で出撃した第一遊撃部隊([[第一航空戦隊]]〈大和〉、第二水雷戦隊)は主力艦艇を喪失する{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=198|ps=菊水作戦}}。
4月20日、日本海軍は[[第一航空戦隊]]、第二艦隊{{Sfn|戦史叢書102|1980|p=527|ps=第二艦隊}}、第二水雷戦隊を解隊する{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=283b-284}}。第二艦隊所属だった第三十一戦隊と第十一水雷戦隊は連合艦隊附属となった{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=180b-181}}{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=283b-284}}。また第二水雷戦隊残存部隊は第三十一戦隊に編入された{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=283b-284}}。


=== 所属した駆逐艦の特性 ===
=== 所属した駆逐艦の特性 ===
編制当初は、最初に導入した[[東雲型駆逐艦|東雲型]]から[[神風型駆逐艦 (初代)|神風型]]までの三等駆逐艦がだぶついている一方、一等駆逐艦は[[海風型駆逐艦|海風型]]しかなく、二等駆逐艦も[[桜型駆逐艦|桜型]]とその量産型の[[樺型駆逐艦|樺型]]が量産中であったために参加できず、2個水雷戦隊はやむなく三等駆逐艦だけで編制した。1915年(大正4年)12月13日、一等・二等駆逐艦の量産が一段落したことから、ようやく第二水雷戦隊に一等・二等駆逐艦が供給された。以後、第二水雷戦隊には、[[峯風型駆逐艦|峯風型]]・[[神風型駆逐艦 (2代)|神風型]]・[[睦月型駆逐艦|睦月型]]・[[吹雪型駆逐艦|吹雪型]]・[[陽炎型駆逐艦|陽炎型]]・[[夕雲型駆逐艦|夕雲型]]・[[島風 (島風型駆逐艦)|島風型]]と、最新・最強の駆逐艦が投入された他、配属された兵員も練度が高い精鋭が集められた為、'''華の二水戦'''と謳われた。一方、最終防衛線で主力の[[戦艦]]を護衛する第一水雷戦隊には、第二水雷戦隊ほどの強力な武装を要求されなかった。このため、第二水雷戦隊に新型が導入されたために追い出された型落ちの駆逐艦(たとえば、吹雪型就役のために陳腐化した神風型や睦月型)が回されたり、もとより最前線での使用を考えられていなかった[[樅型駆逐艦|樅型]]や[[若竹型駆逐艦|若竹型]]などの二等駆逐艦、期待された性能に届かなかった[[初春型駆逐艦|初春型]][[白露型駆逐艦|白露型]]<!-- 朝潮型駆逐艦の第8駆逐隊(朝潮、大潮、満潮、荒潮)と第18駆逐隊(霞、霰、陽炎、不知火)は第二水雷戦隊主力部隊 -->は第一水雷戦隊でデビューした。それでも、第一水雷戦隊は、世代が違うほど旧式化した老朽駆逐艦をかき集めた[[水雷戦隊#第三水雷戦隊|第三水雷戦隊]]、<!-- 第四水雷戦隊は、最新鋭の陽炎型・第4駆逐隊(嵐、野分、萩風、舞風)を麾下に置く。 -->[[水雷戦隊#第五水雷戦隊|第五水雷戦隊]]、[[水雷戦隊#第六水雷戦隊|第六水雷戦隊]]などからみれば、充実した戦力を保有していたといえる。
編制当初の日本海軍は、最初に導入した[[東雲型駆逐艦|東雲型]]から[[神風型駆逐艦 (初代)|神風型]]までの三等駆逐艦がだぶついている一方、一等駆逐艦は[[海風型駆逐艦|海風型]]しかなく、二等駆逐艦も[[桜型駆逐艦|桜型]]とその量産型の[[樺型駆逐艦|樺型]]が量産中であったために参加できず、2個水雷戦隊はやむなく三等駆逐艦だけで編制した。1915年(大正4年)12月13日、一等・二等駆逐艦の量産が一段落したことから、ようやく第二水雷戦隊に一等・二等駆逐艦が供給された。以後、第二水雷戦隊には、[[峯風型駆逐艦|峯風型]]{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=78-79|ps=主力駆逐艦の元祖峯風型}}・[[神風型駆逐艦 (2代)|神風型]]・[[睦月型駆逐艦|睦月型]]・[[吹雪型駆逐艦|吹雪型]]・[[朝潮型駆逐艦|朝潮型]]・[[陽炎型駆逐艦|陽炎型]]・[[夕雲型駆逐艦|夕雲型]]・[[島風 (島風型駆逐艦)|島風型]]と、最新・最強の駆逐艦が投入された他、配属された兵員も練度が高い精鋭が集められた為、'''華の二水戦'''と謳われた。一例として1939年(昭和14年)11月15日の艦隊編制における二水戦は[[朝潮型駆逐艦]]と[[陽炎型駆逐艦]]で統一され{{Sfn|戦史叢書91|1975|pp=432-434|ps=三コ遣支艦隊の新編と第四艦隊の独立―昭和十四年十一月十五日}}、これまで二水戦の主力だった吹雪型駆逐艦は第四水雷戦隊(1939年11月15日新編)と第三水雷戦隊(1940年5月1日新編)にまわされた{{Sfn|戦史叢書91|1975|pp=434-435|ps=新艦隊編制の意義}}{{Sfn|戦史叢書91|1975|p=0a2|ps=付表第二}}。
一方、最終防衛線で主力の[[戦艦]]を護衛する第一水雷戦隊には、第二水雷戦隊ほどの強力な武装を要求されなかった。このため、第二水雷戦隊に新型が導入されたために追い出された型落ちの駆逐艦(たとえば、吹雪型就役のために陳腐化した神風型や睦月型。朝潮型や陽炎型就役のため旧式化した吹雪型)が回されたり、もとより最前線での使用を考えられていなかった[[樅型駆逐艦|樅型]]や[[若竹型駆逐艦|若竹型]]などの二等駆逐艦、期待された性能に届かなかった[[初春型駆逐艦|初春型]][[白露型駆逐艦|白露型]]{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=86-87|ps=兵装第一主義の犠牲となった初春型}}<!-- 朝潮型駆逐艦の第8駆逐隊(朝潮、大潮、満潮、荒潮)と第18駆逐隊(霞、霰、陽炎、不知火)は第二水雷戦隊主力部隊で同時編入 -->は第一水雷戦隊でデビューした。それでも、第一水雷戦隊は、世代が違うほど旧式化した老朽駆逐艦をかき集めた[[水雷戦隊#第三水雷戦隊|第三水雷戦隊]]、<!-- 第四水雷戦隊は、最新鋭の陽炎型・第4駆逐隊(嵐、野分、萩風、舞風)を麾下に置く。 -->[[水雷戦隊#第五水雷戦隊|第五水雷戦隊]]、[[水雷戦隊#第六水雷戦隊|第六水雷戦隊]]などからみれば、充実した戦力を保有していたといえる。


太平洋戦争の激化にともない駆逐艦の消耗が激しくなると、初春型や白露型も第二水雷戦隊へ順次編入され、最終時の二水戦は吹雪型(初雪型)、初春型、白露型、朝潮型(満潮型)、陽炎型(不知火型)、夕雲型、秋月型の寄せ集めとなった。
太平洋戦争の激化にともない駆逐艦の消耗が激しくなると、初春型や白露型も第二水雷戦隊へ順次編入され、最終時の二水戦は吹雪型(初雪型)、初春型、白露型、朝潮型(満潮型)、陽炎型(不知火型)、夕雲型、秋月型の寄せ集めとなった。
[[坊ノ岬沖海戦]]直前の4月6日午前9時、[[草鹿龍之介]]連合艦隊参謀長は各部隊に対し、二水戦所属駆逐艦を「月型2隻〈冬月、涼月〉、磯風型3隻〈雪風、磯風、浜風〉、若葉型3隻〈初霜、朝霜、霞〉」と説明している<ref>[[#S2004二水戦日誌(3)]]p.17四月六日〇九五六GF参謀長|EB〔(将旗)1YB (将旗)2sd〕|海上特攻〔大和矢矧d×8(月型二隻、磯風型三隻、若葉型三隻)〕Y-2日夕刻豊後水道出撃列島線西側ヲ経テY日極内密ニ沖縄島ニ突入ス味方識別ニ留意アリ度Y日ハ8日ヲ予定|無電</ref>。
[[坊ノ岬沖海戦]]直前の4月6日午前9時、[[草鹿龍之介]]連合艦隊参謀長は各部隊に対し、二水戦所属駆逐艦を「月型2隻〈冬月、涼月〉、磯風型3隻〈雪風、磯風、浜風〉、若葉型3隻〈初霜、朝霜、霞〉」と説明している<ref>[[#S2004二水戦日誌(3)]] p.17四月六日〇九五六GF参謀長|EB〔(将旗)1YB (将旗)2sd〕|海上特攻〔大和矢矧d×8(月型二隻、磯風型三隻、若葉型三隻)〕Y-2日夕刻豊後水道出撃列島線西側ヲ経テY日極内密ニ沖縄島ニ突入ス味方識別ニ留意アリ度Y日ハ8日ヲ予定|無電</ref>。
同日午後1時30分頃の電文では、[[誤射|誤爆・誤突入]]を避けるための艦型識別説明において、護衛駆逐艦を[[秋月型駆逐艦]]2隻(冬月、涼月)、[[夕雲型駆逐艦]]6隻(磯風、雪風、浜風、霞、初霜、朝霜)と説明している<ref>[[#S2004二水戦日誌(3)]]pp.19-20四月六日一三三八 サチ/GF(宛略)一.海上特攻隊ノ行動ニ関聯彼我ノ艦艇ノ混淆錯綜ヲ豫期サルヽ所我ガ飛行機ハ味方艦艇ニ接近セザル如ク注意セシムルト共ニ右特攻隊ノ兵力行動及艦型ノ特徴ヲ全搭乗員ニ教示徹底セシメ味方識別ニ関シ遺憾ナキ様期セラレ度/二.艦艇ノ側方識別ニ当リテハ先ズ檣樓及煙突ニ着眼スルモノトシ識別要点左ノ通(艦型名隻数特徴順トシ二重括弧内ハ其ノ類似艦ノ特徴ヲ示ス)|(イ)大和 檣樓太ク艦中央稍後方ニ傾斜シ屹立《細ク直立》煙突一本ニシテ檣樓トノ間隔大|(ロ)矢矧 略扁平ナル甲板上ニ檣樓及一本煙突(艦中央ニシテ前者ヨリ低シ)ニシテ屹立《英巡「レアンダー」型両者同一》|(ハ)秋月型二隻 極メテ太ク後方ニ偏曲セル獨特ノ一本煙突ニシテ変化ナク前方ニ偏在ス《艦首ヨリ全長ノ約1/3》《煙突細高々偏曲セズ》|(ニ)夕雲型六隻 艦橋(前面砲塔一基ニシテ切立《砲塔二段トナリ艦橋前面傾斜シテ見ユ 二本煙突ノ一番煙突ノミ極メテ太ク艦橋トノ間隔大《二本共細長艦橋トノ間隔小》|無電』</ref>。戦艦「[[大和 (戦艦)|大和]]」、軽巡洋艦「[[矢矧 (軽巡洋艦)|矢矧]]」と共に沖縄へ出撃した第二水雷戦隊所属駆逐艦の艦型は、秋月型2隻([[冬月 (駆逐艦)|冬月]]、[[涼月 (駆逐艦)|涼月]])、初春型1隻([[初霜 (初春型駆逐艦)|初霜]])、満潮型1隻([[霞 (朝潮型駆逐艦)|霞]])、不知火型(陽炎型)3隻([[磯風 (陽炎型駆逐艦)|磯風]]、[[雪風 (駆逐艦)|雪風]]、[[浜風 (陽炎型駆逐艦)|浜風]])、夕雲型1隻([[朝霜 (駆逐艦)|朝霜]])だった<ref name="叢書九三277" />
同日午後1時30分頃の電文では、[[誤射|誤爆・誤突入]]を避けるための艦型識別説明において、護衛駆逐艦を[[秋月型駆逐艦]]2隻(冬月、涼月)、[[夕雲型駆逐艦]]6隻(磯風、雪風、浜風、霞、初霜、朝霜)と説明している{{#tag:Ref|(昭和20年4月6日1338、連合艦隊参謀長発)<ref>[[#S2004二水戦日誌(3)]] pp.19-20四月六日一三三八 サチ/GF(宛略) 〕</ref>〔 一.海上特攻隊ノ行動ニ関聯彼我ノ艦艇ノ混淆錯綜ヲ豫期サルヽ所我ガ飛行機ハ味方艦艇ニ接近セザル如ク注意セシムルト共ニ右特攻隊ノ兵力行動及艦型ノ特徴ヲ全搭乗員ニ教示徹底セシメ味方識別ニ関シ遺憾ナキ様期セラレ度/二.艦艇ノ側方識別ニ当リテハ先ズ檣樓及煙突ニ着眼スルモノトシ識別要点左ノ通(艦型名隻数特徴順トシ二重括弧内ハ其ノ類似艦ノ特徴ヲ示ス)|(イ)大和 檣樓太ク艦中央稍後方ニ傾斜シ屹立《細ク直立》煙突一本ニシテ檣樓トノ間隔大|(ロ)矢矧 略扁平ナル甲板上ニ檣樓及一本煙突(艦中央ニシテ前者ヨリ低シ)ニシテ屹立《英巡「レアンダー」型両者同一》|(ハ)秋月型二隻 極メテ太ク後方ニ偏曲セル獨特ノ一本煙突ニシテ変化ナク前方ニ偏在ス《艦首ヨリ全長ノ約1/3》《煙突細高々偏曲セズ》|(ニ)夕雲型六隻 艦橋(前面砲塔一基ニシテ切立《砲塔二段トナリ艦橋前面傾斜シテ見ユ 二本煙突ノ一番煙突ノミ極メテ太ク艦橋トノ間隔大《二本共細長艦橋トノ間隔小》|無電 〕|group="注"}}
戦艦「[[大和 (戦艦)|大和]]」、軽巡洋艦「[[矢矧 (軽巡洋艦)|矢矧]]」と共に沖縄へ出撃した第二水雷戦隊所属駆逐艦の艦型は、秋月型2隻([[冬月 (駆逐艦)|冬月]]、[[涼月 (駆逐艦)|涼月]])、初春型1隻([[初霜 (初春型駆逐艦)|初霜]])、満潮型1隻([[霞 (朝潮型駆逐艦)|霞]])、不知火型(陽炎型)3隻([[磯風 (陽炎型駆逐艦)|磯風]]、[[雪風 (駆逐艦)|雪風]]、[[浜風 (陽炎型駆逐艦)|浜風]])、夕雲型1隻([[朝霜 (駆逐艦)|朝霜]])だった{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=227-228|ps=海上特攻隊の編制と出撃準備}}


=== 旗艦の特性 ===
=== 旗艦の特性 ===
黎明期の水雷艇や駆逐艦は居住性や航続力に限界があり、貨客船を改造した[[水雷母艦]]が水雷戦隊の旗艦を兼ねていた{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=20a|ps=初期の水雷戦隊旗艦}}{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=113a|ps=水雷戦隊旗艦の変遷}}。[[第一次世界大戦]]当時、イギリス海軍は水雷戦隊旗艦として大型駆逐艦([[嚮導艦|嚮導駆逐艦]])を開発した{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=21|ps=英国のフロチラ・リーダー}}。日本海軍は[[巡洋艦]]を旗艦とする方針を当初より採り、新編時は防護巡洋艦[[利根 (防護巡洋艦)|利根]]を旗艦に当てた<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070242600|大正3年8月21日(金)海軍公報 第607号附録 p.46}}〔 ○旗艦指定 第二艦隊司令長官旗艦ヲ八月二十日左ノ通指定セル旨報告アリ 栃内司令官旗艦 磐手 上村司令官旗艦 千歳 岡田司令官旗艦 利根 〕</ref>。
日本以外の国の水雷戦隊は、一回り大型の駆逐艦(嚮導駆逐艦)に司令官が座乗したが、日本は[[巡洋艦]]を旗艦とする方針を当初より採り、新編時は[[利根 (防護巡洋艦)|利根]] を旗艦に当てた。荒天時の索敵能力に優れ、のちには艦載機による索敵も可能となった。また遭遇戦では巡洋艦の強力な武装による敵水雷戦隊の制圧、逆に頑強な防御力を頼みにした囮役が期待された。現に、太平洋戦争時には、[[神通 (軽巡洋艦)|神通]]・[[川内 (軽巡洋艦)|川内]]らが敵軍の集中攻撃を受けているうちに、味方水雷戦隊の雷撃が成功している例がある。
とはいうものの、巡洋艦には最前線の洋上単独偵察という本来の任務があるため、最新鋭の巡洋艦を水雷戦隊旗艦の任務に充てるわけにはいかなかった。
1914年(大正3年)8月18日の第二水雷戦隊新編から半年も経たずに利根は第六戦隊へ転出し<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070247400|大正4年12月17日(金)海軍公報第千二号 p.32}}〔 ○旗艦指定 第三艦隊司令長官ハ本月十六日其ノ旗艦ヲ鹿島ニ、第六戰隊司令官ノ旗艦ヲ利根ニ指定セリ 〕</ref>、第二水雷戦隊旗艦は装甲巡洋艦[[出雲 (装甲巡洋艦)|出雲]]となった<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070247400|大正4年12月16日(水)海軍公報 第1001号 p.30}}〔 ○旗艦變更 第一艦隊司令長官ハ本日旗艦ヲ攝津ヨリ河内ニ變更セリ|○旗艦指定 第二水雷戰隊司令官ハ本月十三日旗艦ヲ出雲ニ指定セリ 〕</ref>。
その後も装甲巡洋艦[[吾妻 (装甲巡洋艦)|吾妻]]、[[日進 (装甲巡洋艦)|日進]]、[[浅間 (装甲巡洋艦)|浅間]]など、[[日露戦争]]時代の[[装甲巡洋艦]]で乗り切っている<ref name="制度4巻34b">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ34(原本29頁)〔 大正六、一二、一(内令二七九)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 吾妻、第一、第十七驅逐隊|(編入)大正六年 第二艦隊 三、二八(内令六四)日進(二水戰)/四、一(内令七七)第十五驅逐隊(二水戰)/四、一三(内令九〇)淺間(二水戰)/六、一(内令一三五)第十七驅逐隊(二水戰)/八、四(内令一七八)吾妻(二水戰)|(削除)大正六年 第一艦隊 三、二八(内令六四)出雲、磐手、日進(二戰)/第二艦隊 三、二八(内令六四)吾妻(二水戰)/四、一(内令七七)第十六驅逐隊(二水戰)/四、一三(内令九〇)日進(二水戰)、筑摩、平戸(四戰)/六、一(内令一三五)第十五驅逐隊(二水戰)/八、四(内令一七七)淺間(二水戰) 〕</ref>。


このような流れの中で、[[日露戦争]]以降の日本海軍はアメリカ海軍を仮想敵とし、太平洋上における艦隊決戦の構想を固める{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=20a|ps=初期の水雷戦隊旗艦}}。また大正元年度大演習では、日中に水雷戦隊を運用する可能性が認識された{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=20b}}。そこで、英海軍のスカウト(偵察艦)の流れをくむ一連の二等巡洋艦(軽巡洋艦)を水雷戦隊の旗艦とし、駆逐隊を指揮させることになった{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=20b}}。この構想下における水雷戦隊の旗艦には「水雷戦隊を率いるための速力と通信能力」「艦隊に随伴するための航続力」「敵艦隊に肉薄するための砲撃力と雷撃能力」が求められ{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|pp=24a-25|ps=五五〇〇トン型軽巡洋艦}}{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=134a|ps=軍縮時代前後の水雷戦隊}}、従来の貨客船改造型母艦では到底勤まらなくなっていた{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=113b}}。
とはいうものの、巡洋艦には最前線の洋上単独偵察という本来の任務があるため、最新鋭の巡洋艦を水雷戦隊旗艦の任務に充てるわけにはいかなかった。第一次世界大戦中は、最新鋭の筑摩型を充てることができず、旧式で機動性に劣る装甲巡洋艦の[[出雲 (装甲巡洋艦)|出雲]]や[[吾妻 (装甲巡洋艦)|吾妻]]で乗り切っている。しかし、日本海軍は大正期以降は巡洋艦の水雷戦隊旗艦としての用途を重視し、英海軍のスカウト(偵察艦)の流れをくむ一連の高速軽巡洋艦が開発された。3500t型と呼ばれる[[天龍型軽巡洋艦|天龍型]]とその拡大型である5500t型、[[球磨型軽巡洋艦|球磨型]]・[[長良型軽巡洋艦|長良型]]・[[川内型軽巡洋艦|川内型]]である。だが、就役当時は列強の羨望の的であった5500t型も日本の国力では後継艦の建造が思うに任せず、太平洋戦争時にはすでに旧式化していたが、[[阿賀野型軽巡洋艦|阿賀野型]]の就役までは第一線に立たざるを得なかった。また、本来の旗艦が損傷や修理で二水戦本隊と別行動になった場合、重巡洋艦[[衣笠 (重巡洋艦)|衣笠]](第二次ソロモン海戦で神通損傷時)、重巡洋艦[[高雄 (重巡洋艦)|高雄]](二水戦司令部の横須賀~パラオ回航時)と[[鳥海 (重巡洋艦)|鳥海]](能代横須賀修理時、2月中旬~4月上旬)<ref name="S1812二水戦(4)5">[[#S1812二水戦日誌(4)]]p.5『(2)中旬 十四日将旗ヲ一時高雄ニ移揚十五日高雄32dg(早波)ヲ率ヰ横須賀発二十二日「パラオ」着 二十二日鳥海ニ将旗ヲ移揚』</ref>が二水戦旗艦となった。
まず1918年(大正7年)1月下旬に[[筑摩型防護巡洋艦]]の[[平戸 (防護巡洋艦)|平戸]]が二水戦に編入された<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070259900|大正7年1月28日(月)海軍公報 第千六百十七号 p.27}}〔 ○旗艦指定 第二水雷戰隊司令官ハ一昨二十六日旗艦ヲ平戸ニ指定セリ 〕</ref>。駆逐艦の性能向上にともない筑摩型の能力不足が目立つようになり{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=134b}}、[[天龍型軽巡洋艦]]が建造された{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=20b}}。つづいてアメリカ海軍の[[オマハ級軽巡洋艦]]を意識して、天龍型の拡大型である5,500トン型軽巡洋艦([[球磨型軽巡洋艦|球磨型]]、[[長良型軽巡洋艦|長良型]]、[[川内型軽巡洋艦|川内型]])が竣工し、順次第二水雷戦隊に編入されていった{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=24b}}。5,500t型軽巡からは、艦載機による索敵も可能となった{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=24b}}。また昭和2年度の第二水雷戦隊は軽巡洋艦[[夕張 (軽巡洋艦)|夕張]]<ref name="T海軍公報4214" />および[[神風型駆逐艦 (2代)|神風型駆逐艦]]と[[睦月型駆逐艦]]で統一され、最新・最精鋭の水雷戦隊となった{{Sfn|写真日本の軍艦(8)軽巡(I)|1990|pp=120-121}}。
なお、遭遇戦では巡洋艦の強力な武装による敵水雷戦隊の制圧、逆に頑強な防御力を頼みにした囮役が期待された。現に、太平洋戦争時には、[[神通 (軽巡洋艦)|神通]]・[[川内 (軽巡洋艦)|川内]]らが敵軍の集中攻撃を受けているうちに、味方水雷戦隊の雷撃が成功している例がある。ただし日米艦隊決戦下における水雷戦隊は重巡洋艦部隊と共に四個夜戦隊で二個夜戦群を編成し、重巡洋艦戦隊もしくは[[金剛型戦艦]]が敵警戒部隊を排除したあと水雷戦隊が突撃する想定であった{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=142b}}。第二水雷戦隊(軽巡1、駆逐艦16)と共に第1夜戦隊を編成する戦隊は、[[妙高型重巡洋艦]]3隻([[妙高 (重巡洋艦)|妙高]]、[[那智 (重巡洋艦)|那智]]、[[羽黒 (重巡洋艦)|羽黒]])で編制された第五戦隊である{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=142b}}{{#tag:Ref|妙高型の第五戦隊は1940年(昭和15年)5月1日に重巡[[那智 (重巡洋艦)|那智]]と[[羽黒 (重巡洋艦)|羽黒]]で新編された{{Sfn|戦史叢書91|1975|pp=434-435|ps=新艦隊編制の意義}}。妙高型重巡3番艦の[[足柄 (重巡洋艦)|足柄]]は[[遣支艦隊#第二遣支艦隊|第二遣支艦隊]]旗艦を務めていたが、日米開戦前に[[第三艦隊_(日本海軍)#五代(1941年4月10日新編~1942年3月10日第二南遣艦隊へ改称)|第三艦隊]]旗艦となり{{Sfn|戦史叢書91|1975|pp=547-548}}、太平洋戦争開戦時は第十六戦隊に所属していた{{Sfn|戦史叢書91|1975|p=0a2|ps=付表第二}}。|group="注"}}。


こうして世界有数の軽巡洋艦戦力を擁するようになった日本海軍だが、日本の国力では後継艦の建造が思うに任せなかった{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=24b}}。太平洋戦争時の5,500t型軽巡はすでに旧式化していたが、[[阿賀野型軽巡洋艦|阿賀野型]]の就役までは第一線に立たざるを得なかった{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|p=24b}}。また、本来の旗艦が損傷や修理で二水戦本隊と別行動になった場合、重巡洋艦[[衣笠 (重巡洋艦)|衣笠]](第二次ソロモン海戦で神通損傷時){{Sfn|戦史叢書83|1975|p=24}}、重巡洋艦[[高雄 (重巡洋艦)|高雄]](二水戦司令部の横須賀~パラオ回航時)と[[鳥海 (重巡洋艦)|鳥海]](能代横須賀修理時、2月中旬~4月上旬)<ref name="S1812二水戦(4)5">[[#S1812二水戦日誌(4)]] p.5〔 (2)中旬 十四日将旗ヲ一時高雄ニ移揚十五日高雄32dg(早波)ヲ率ヰ横須賀発二十二日「パラオ」着 二十二日鳥海ニ将旗ヲ移揚 〕</ref>が二水戦旗艦となった。
米軍の制空権下で対空火器の貧弱な5500t型(二水戦においては[[神通 (軽巡洋艦)|神通]]、[[五十鈴 (軽巡洋艦)|五十鈴]]、[[長良 (軽巡洋艦)|長良]])を運用するのは困難だったため、戦場に突入する場合は朝潮型駆逐艦([[霞 (朝潮型駆逐艦)|霞]]〈[[礼号作戦]]、[[北号作戦]]〉)、陽炎型(早潮〈[[第三次ソロモン海戦]]〉、黒潮〈鼠輸送時〉)、夕雲型(長波〈[[ルンガ沖夜戦]]〉、浜波〈能代沈没後〉)、島風型(島風〈[[多号作戦]]〉)、秋月型([[照月 (駆逐艦)|照月]]〈鼠輸送時〉)などの駆逐艦が第二水雷戦隊旗艦を務めることも多かった。なお第二水雷戦隊解隊式は初春型駆逐艦[[初霜 (初春型駆逐艦)|初霜]]艦上でおこなわれた。

平時においても、駆逐艦を臨時の水雷戦隊旗艦とすることがあった<ref name="S海軍公報3768" /><ref name="S海軍公報3862" /><ref name="S海軍公報3910" />。太平洋戦争に突入すると、米軍の制空権下で対空火器の貧弱な5,500t型(二水戦においては[[神通 (軽巡洋艦)|神通]]、[[五十鈴 (軽巡洋艦)|五十鈴]]、[[長良 (軽巡洋艦)|長良]])を運用するのは困難だったため、戦場に突入する場合は朝潮型駆逐艦([[霞 (朝潮型駆逐艦)|霞]]〈[[礼号作戦]]、[[北号作戦]]〉)、陽炎型(早潮〈[[第三次ソロモン海戦]]〉、黒潮〈鼠輸送時〉)、夕雲型(長波〈[[ルンガ沖夜戦]]〉、浜波〈能代沈没後〉)、島風型(島風〈[[多号作戦]]〉)、秋月型([[照月 (駆逐艦)|照月]]〈鼠輸送時〉)などの駆逐艦が第二水雷戦隊旗艦を務めることも多かった。なお第二水雷戦隊解隊式は初春型駆逐艦[[初霜 (初春型駆逐艦)|初霜]]艦上でおこなわれた。


== 編制の沿革 ==
== 編制の沿革 ==
* 1914年(大正3年)8月18日、第一次世界大戦臨戦編制において初めて2個水雷戦隊を編制する<ref name="制度4巻32a" />。第一水雷戦隊は[[第一艦隊 (日本海軍)|第一艦隊]]に、第二水雷戦隊は[[第二艦隊 (日本海軍)|第二艦隊]]{{#tag:Ref|当時の第二艦隊司令長官は[[加藤定吉]]中将、旗艦は戦艦[[周防 (戦艦)|周防]](元ロシア帝国海軍の[[ペレスヴェート級戦艦]]「[[:ru:Победа (броненосец)|ポペーダ]]」)であった<ref name="T海軍公報610">{{アジア歴史資料センター|C12070242700|大正3年8月24日(月)海軍公報第六百十號附録 p.17}}〔 ○旗艦變更 加藤第二艦隊司令長官旗艦ヲ本月二十三日鞍馬ヨリ周防ニ變更セル旨報告アリ|○旗艦指定 上村第二艦隊司令官旗艦ヲ本月二十三日秋津洲ニ指定セル旨報告アリ/山屋第一艦隊司令官旗艦ヲ八月二十四日金剛ニ指定セル旨報告アリ 〕</ref>。|group="注"}}に所属した<ref name="制度4巻32a" />。以下、新編時より1914年(大正13年)12月1日までの変遷。
* 1914年(大正3年)8月18日、第一次世界大戦臨戦編制において初めて2個水雷戦隊を編制
** 防護巡洋艦:[[利根 (防護巡洋艦)|利根]]<ref name="制度4巻32a" /><ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ55-56(原本71-72頁)〔 大正二、一二、一 〕(駆逐隊編制要表より)</ref>
** 旗艦:利根
** 第9駆逐隊:[[白雪 (初代神風型駆逐艦)|白雪]]、[[野分 (初代神風型駆逐艦)|野分]]、[[白妙 (駆逐艦)|白妙]]([[膠州湾]]で戦没)、[[松風 (初代神風型駆逐艦)|松風]]
** 第9駆逐隊<ref name="海軍制度4巻55a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ55-56(原本71-72頁)〔 大正二、一二、一|佐世保鎭守府|第九驅逐隊|白雪、野分、白妙、松風|(編入)|(削除)白妙(三、九、八 二二〇)|〕</ref><ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ56(原本72-73頁)〔 大正三、一二、一|佐世保鎭守府|第九驅逐隊|白雪、野分、松風 〕</ref>:[[白雪 (初代神風型駆逐艦)|白雪]]、[[野分 (初代神風型駆逐艦)|野分]]、[[白妙 (駆逐艦)|白妙]]([[膠州湾]]で戦没、9月8日削除<ref name="海軍制度4巻55a" />、[[松風 (初代神風型駆逐艦)|松風]]
** 第12駆逐隊<ref name="制度4巻55a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ55-56(原本71-72頁)〔 大正二、一二、一|佐世保鎭守府|第十二驅逐隊|浦波、綾波、磯波、朝霧|(編入)|(削除)綾波(三、一二、一 三五七)|〕</ref>:[[浦波 (初代神風型駆逐艦)|浦波]]<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070242700|大正3年8月26日(水)海軍公報第六百十二號附録 p.29}}〔 ○司令驅逐艦變更 第十二驅逐隊司令驅逐艦ヲ八月十日綾波ヨリ浦波ニ變更セル旨報告アリ 〕</ref>、[[綾波 (初代神風型駆逐艦)|綾波]]{{#tag:Ref|大正3年12月1日、駆逐隊より削除<ref name="制度4巻55a" />。大正4年4月1日、再編入<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ56(原本72-73頁)〔 大正三、一二、一|佐世保鎭守府|第十二驅逐隊|浦波、磯波、朝霧|(編入)綾波(四、四、一 八七) 〕</ref>。|group="注"}}、[[磯波 (初代神風型駆逐艦)|磯波]]、[[朝霧 (春雨型駆逐艦)|朝霧]]<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070247400|大正4年12月8日(水)海軍公報第九百九十四號 p.13}}〔 ○郵便物送付先 第二艦隊司令部、軍艦鹿島、相模宛 本日以後ハ 横須賀/第十二驅逐隊司令部、磯波、浦波、綾波、朝霧宛 十二月九日迄ニ到箸見込ノモノハ 横濱 其ノ以後ハ 横須賀 〕</ref>
** 第12駆逐隊:[[春雨 (春雨型駆逐艦)|春雨]]、[[浦波 (初代神風型駆逐艦)|浦波]]、[[磯波 (初代神風型駆逐艦)|磯波]]、[[綾波 (初代神風型駆逐艦)|綾波]]
** 第13駆逐隊<ref name="海軍制度4巻55b">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ55-56(原本71-72頁)〔 大正二、一二、一|佐世保鎭守府|第十三驅逐隊|朝潮、白雲、陽炎、村雨|/馬公要港部|第十驅逐隊|薄雲、不知火|(備考)大正三、一二、一(内令三五一)佐鎭欄内ノ第十三驅逐隊及馬公要港部第十驅逐隊ヲ馬公要港部第十三驅逐隊(朝潮、白雲)ニ改ム 〕</ref><ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ56(原本72-73頁)〔 大正三、一二、一|佐世保鎭守府|馬公要港部|第十三驅逐隊|朝潮、白雲 〕</ref>:[[朝潮 (白雲型駆逐艦)|朝潮]]、[[白雲 (白雲型駆逐艦)|白雲]]、[[陽炎 (東雲型駆逐艦)|陽炎]]{{#tag:Ref|大正3年12月1日、駆逐隊より削除<ref name="海軍制度4巻55b" />。|group="注"}}、[[村雨 (春雨型駆逐艦)|村雨]]{{#tag:Ref|大正3年12月1日、駆逐隊より削除<ref name="海軍制度4巻55b" />。|group="注"}}
** 第13駆逐隊:[[村雨 (春雨型駆逐艦)|村雨]]、[[朝霧 (春雨型駆逐艦)|朝霧]]、[[朝潮 (白雲型駆逐艦)|朝潮]]、[[白雲 (白雲型駆逐艦)|白雲]]

* 1915年(大正4年)12月13日、初めて「大駆逐艦」を編入
* 1915年(大正4年)12月13日(内令312号<ref name="制度4巻33a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ33(原本27頁)〔 大正四、一二、一三(内令三一二)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 出雲、第十、第十一、第十六驅逐隊 〕</ref>。大正4年12月から大正5年12月までの変遷)。[[樺型駆逐艦]]と[[海風型駆逐艦]]を編入する。
** 旗艦:出雲
** 装甲巡洋艦:[[出雲 (装甲巡洋艦)|出雲]]<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070247400|大正4年12月14日(火)海軍公報第九百九十九号 p.24}}〔 ○旗艦指定 第二艦隊司令長官ハ本月十三日旗艦ヲ榛名ニ指定セル旨報告アリ|○郵便物發送先 第二艦隊司令長官ハ本月十三日旗艦ヲ榛名ニ指定セル旨報告アリ(中略)第二水雷戰隊司令部宛 本日以後ハ 横須賀郵便局氣付軍艦出雲/軍艦扶桑宛 本日以後ハ 呉 〕</ref>
** 第10駆逐隊:[[薄雲 (東雲型駆逐艦)|薄雲]]、[[東雲 (東雲型駆逐艦)|東雲]]、[[漣 (雷型駆逐艦)|漣]]、[[霞 (暁型駆逐艦)|霞]]、[[不知火 (東雲型駆逐艦)|不知火]]
** 第11駆逐隊[[叢雲 (東雲型駆逐艦)|叢雲]]、[[夕霧 (東雲型駆逐艦)|夕霧]]、[[不知火 (東雲型駆逐艦)|不知火]]、[[陽炎 (東雲型駆逐艦)|陽炎]]
** [[樺型駆逐艦#駆逐隊→第二十二駆逐隊→第六駆逐隊|第10駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ56-57(原本73-74頁)〔 大正四、一二、一|佐世保鎭守府|第十驅逐隊|桂、楓、梅、楠 〕</ref>(大正5年8月29日<ref name="制度4巻34a" />、二水戦より削除):[[ (型駆逐艦)|]]、[[ (型駆逐艦)|]]、[[ (型駆逐艦)|]]、[[ (型駆逐艦)|]]
** 第16駆逐隊[[海 (海風型駆逐艦)|海風]]、[[山風 (海風型駆逐艦)|山風]]、[[浦風 (浦風型駆逐艦)|浦風]]
** [[樺型駆逐艦#十一駆逐隊→第二十三駆逐隊→第七駆逐隊|第11駆逐隊]]<ref>[[#軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ56-57(原本73-74頁)〔 大正四、一二、一|佐世保鎭守府|第十一驅逐隊|榊、柏、松、杉 〕</ref>:[[榊 (樺型駆逐艦)|]]、[[ (駆逐艦)|柏]]、[[松 (樺型駆逐艦)|]]、[[ (型駆逐艦)|]]
** [[海風型駆逐艦#第十六駆逐隊→第二駆逐隊→第三十二駆逐隊→第十七駆逐隊→第六掃海隊|第16駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ56-57(原本73-74頁)〔 大正四、一二、一|横須賀鎭守府|第十六驅逐隊|海風、山風、浦風 〕</ref>:[[海風 (海風型駆逐艦)|海風]]、[[山風 (海風型駆逐艦)|山風]]、[[浦風 (浦風型駆逐艦)|浦風]]
* 1917年(大正6年)12月1日、2個[[特務艦隊]]編制のため削減
** [[桜型駆逐艦#第十七駆逐隊→第二十一駆逐隊|第17駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ56-57(原本73-74頁)〔 大正四、一二、一|横須賀鎭守府|第十七驅逐隊|櫻、橘、樺、桐 〕</ref>(大正5年8月10日、二水戦に編入)<ref name="制度4巻34a" />:[[桜 (桜型駆逐艦)|桜]]、[[橘 (桜型駆逐艦)|橘]]、[[樺 (樺型駆逐艦)|樺]]、[[桐 (樺型駆逐艦)|桐]]
** 旗艦:吾妻

** 第1駆逐隊:[[有明 (春雨型駆逐艦)|有明]]、[[吹雪 (春雨型駆逐艦)|吹雪]]、[[霰 (春雨型駆逐艦)|霰]]、[[弥生 (初代神風型駆逐艦)|弥生]]
*1916年(大正5年)12月1日(内令245号<ref name="制度4巻34a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ34(原本28頁)〔 大正五、一二、一(内令二四五)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 出雲、第十、第十一、第十六驅逐隊|(編入)大正五年 第二艦隊 八、一〇(内令一七五)第十七驅逐隊(二水戰)/八、二九(内令一八七)第十一驅逐隊|(削除)大正五年 第二艦隊 八、二九(内令一八七)第十驅逐隊(二水戰) 〕</ref>。大正5年12月から大正6年12月にかけての変遷)
** 第17駆逐隊:[[桜 (桜型駆逐艦)|桜]]、[[橘 (桜型駆逐艦)|橘]]、[[樺 (樺型駆逐艦)|樺]]、[[桐 (樺型駆逐艦)|桐]]
** 装甲巡洋艦:出雲(大正6年1月8日、第二戦隊旗艦となる)<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070254200|大正6年1月9日(火)海軍公報第千三百七号 p.7}}〔 ○旗艦指定 第二戰隊司令官ハ昨八日旗艦ヲ出雲ニ指定セリ 〕</ref>
* 1919年(大正8年)12月1日、最新型駆逐艦及び新鋭巡洋艦による編制となる
** 装甲巡洋艦:[[吾妻 (装甲巡洋艦)|吾妻]](大正6年3月28日まで在籍<ref name="制度4巻34b" />。同年8月4日<ref name="制度4巻34b" />、再編入)
** 旗艦:[[天龍 (軽巡洋艦)|天龍]]
** 装甲巡洋艦:[[日進 (装甲巡洋艦)|日進]](大正6年3月28日から同年4月13日まで)<ref name="制度4巻34b" />
** 第1駆逐隊:[[磯風 (磯風型駆逐艦)|磯風]]、[[浜風 (磯風型駆逐艦)|濱風]]、[[天津風 (磯風型駆逐艦)|天津風]]、[[時津風 (磯風型駆逐艦)|時津風]]
** 装甲巡洋艦:[[浅間 (装甲巡洋艦)|浅間]](大正6年4月13日から同年8月4日まで)<ref name="制度4巻34b" /><ref>{{アジア歴史資料センター|C12070255100|大正6年6月6日(水)海軍公報第千四百二十九号 p.16}}〔 ○郵便物發送先 第二水雷戰隊司令部、淺間、第一驅逐隊(天津風、磯風、濱風) 、第十七驅逐隊(樺、桐)宛 六月十四日迄ニ到達見込ノモノハ 山口縣藤生 同十八日迄ニ到達見込ノモノハ 呉 〕</ref>
** 第14駆逐隊:[[谷風 (江風型駆逐艦)|谷風]]、[[江風 (江風型駆逐艦)|江風]] (12月20日新たに竣工した[[樅型駆逐艦]][[菊 (駆逐艦)|菊]]、[[葵 (駆逐艦)|葵]]を編入) 
** 第10駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ57(原本74-75頁)〔 大正五、一二、一|佐世保鎭守府|第十驅逐隊|桂、楓、梅、楠 〕</ref>:桂、楓、梅、楠
* 1922年(大正11年)12月1日、「[[八八艦隊]]」計画駆逐艦デビュー
** 第11駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ57(原本74-75頁)〔 大正五、一二、一|佐世保鎭守府|第十一驅逐隊|榊、柏、松、杉 〕</ref>:榊、柏、松、杉
** 旗艦:[[北上 (軽巡洋艦)|北上]]
** [[桃型駆逐艦#第十五駆逐隊→第二十四駆逐隊|第15駆逐隊]]<ref name="海軍制度4巻57a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ57(原本74-75頁)〔 大正五、一二、一|大正六、四、一(内令七四)佐鎭ノ欄 第十二驅逐隊ノ次ニ第十五驅逐隊(桃、樫、檜)ヲ加フ/大正六、五、五(内令一一〇)第十五驅逐隊ニ柳ヲ加フ 〕</ref>(大正6年4月1日、二水戦に編入<ref name="制度4巻34b" />。同年6月1日<ref name="制度4巻34b" />、二水戦より削除):[[桃 (桃型駆逐艦)|桃]]、[[樫 (桃型駆逐艦)|樫]]、[[檜 (桃型駆逐艦)|檜]]、[[柳 (桃型駆逐艦)|柳]]{{#tag:Ref|大正6年5月5日、編入<ref name="海軍制度4巻57a" />。|group="注"}}
** [[峯風型駆逐艦#駆逐隊の変遷|第1駆逐隊]]:[[野風 (駆逐艦)|野風]]、[[波風 (駆逐艦)|波風]]、[[沼風 (駆逐艦)|沼風]]、[[神風_(2代神風型駆逐艦)|神風]]
** 第16駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ57(原本74-75頁)〔 大正五、一二、一|横須賀鎭守府|第十六驅逐隊|海風、山風、浦風| |(削除)浦風(六、四、一 七四) 〕</ref>(大正6年4月1日<ref name="制度4巻34b" />、二水戦より削除):[[海風 (海風型駆逐艦)|海風]]、[[山風 (海風型駆逐艦)|山風]]<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070254700|大正6年4月2日(月)海軍公報第千三百七十六号 p.3}}〔 ○司令驅逐艦變更 第十六驅逐隊司令ハ四月一日司令驅逐艦ヲ浦風ヨリ山風ニ變更セリ 〕</ref>、[[浦風 (浦風型駆逐艦)|浦風]]{{#tag:Ref|大正6年4月1日、第16駆逐隊からも削除<ref name="制度4巻34b" />。|group="注"}}
** 第3駆逐隊:[[汐風 (駆逐艦)|汐風]]、[[夕風 (駆逐艦)|夕風]]、[[太刀風 (駆逐艦)|太刀風]]、[[帆風 (駆逐艦)|帆風]]
** [[磯風型駆逐艦#第一駆逐隊→第三十三駆逐隊隊→第十八駆逐隊|第1駆逐隊]]<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070255500|大正6年8月10日(水)海軍公報第千四百八十四号 p.26}}〔 ○郵便物發送先 第二水雷戰隊司令部、吾妻、第一驅逐隊(天津風、濱風、磯風) 、第十七驅逐隊(樺、桐)宛 八月十二日迄ニ到箸見込ノモノハ 山口縣藤生 八月二十二日同 山口縣床山 其ノ後ハ 呉/時津風 八月十五日迄ニ到箸見込ノモノハ 八月二十二日同 山口縣徳山 其ノ後ハ 呉 〕</ref>{{#tag:Ref|大正6年4月1日、第1駆逐隊は[[磯風型駆逐艦]]で再編された<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ57(原本74-75頁)〔 大正五、一二、一|横須賀鎭守府|第一驅逐隊|有明、吹雪、霰、彌生|(編入)磯風、濱風(六、四、一 七四) 天津風(六、四、一四 九三) 時津風(六、五、三一 一三三) 〕</ref>。|group="注"}}(大正6年8月10日<ref name="制度4巻34b" />、二水戦編入):[[天津風 (磯風型駆逐艦)|天津風]]、[[磯風 (磯風型駆逐艦)|磯風]]、[[浜風 (磯風型駆逐艦)|浜風]]、[[時津風 (磯風型駆逐艦)|時津風]]<ref name="大正公報1484">{{アジア歴史資料センター|C12070255500|大正6年8月10日(水)海軍公報第千四百八十四号 p.26}}〔 ○郵便物發送先 第二水雷戰隊司令部、吾妻、第一驅逐隊(天津風、濱風、磯風) 、第十七驅逐隊(樺、桐)宛 八月十二日迄ニ到箸見込ノモノハ 山口縣藤生 八月二十二日同 山口縣床山 其ノ後ハ 呉/時津風 八月十五日迄ニ到箸見込ノモノハ 八月二十二日同 山口縣徳山 其ノ後ハ 呉 〕</ref>
* 1928年(昭和3年)12月10日 特型駆逐艦([[吹雪型駆逐艦]])デビュー
** 第17駆逐隊<ref name="大正公報1484" /><ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ57(原本74-75頁)〔 大正五、一二、一|横須賀鎭守府|第十七驅逐隊|櫻、橘、樺、桐| |(削除)櫻、橘(六、六、一 一三四) 〕</ref>(大正6年6月1日<ref name="制度4巻34b" />、二水戦に編入):樺、桐
** 旗艦:[[鬼怒 (軽巡洋艦)|鬼怒]]

** [[吹雪型駆逐艦#第十一駆逐隊|第11駆逐隊]]:[[吹雪 (駆逐艦)|吹雪]]、[[白雪 (吹雪型駆逐艦)|白雪]]、[[初雪 (吹雪型駆逐艦)|初雪]]、[[深雪 (駆逐艦)|深雪]]
* 1917年(大正6年)12月1日(内令249号<ref name="制度4巻34b" />。大正6年12月から大正7年12月にかけての変遷)、2個[[特務艦隊]]編制のため削減
** 第12駆逐隊:[[東雲 (吹雪型駆逐艦)|東雲]]、[[薄雲 (吹雪型駆逐艦)|薄雲]]、[[白雲 (吹雪型駆逐艦)|白雲]]、[[叢雲 (吹雪型駆逐艦)|叢雲]]
** 装甲巡洋艦:吾妻(大正7年1月24日まで在籍)<ref name="制度4巻35a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ35(原本30-31頁)〔 大正七、一二、一(内令三八八)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 平戸、第一驅逐隊 |(編入)大正七年 第二艦隊 一、二四(内令二三)平戸(二水戰)/七、二五(内令二四三)千歳(二水戰)/八、二四(内令二八二)平戸(二水戰)|(削除)大正七年 第二艦隊 一、二四(内令二三)吾妻(二水戰)/七、二五(内令二四三)平戸/八、二四(内令二八二)千歳(二水戰) 〕</ref>
** [[睦月型駆逐艦#第二十三駆逐隊|第23駆逐隊]]:[[菊月 (睦月型駆逐艦)|菊月]]、[[三日月 (睦月型駆逐艦)|三日月]]、[[望月 (駆逐艦)|望月]]、[[夕月 (駆逐艦)|夕月]]
** 防護巡洋艦:[[平戸 (防護巡洋艦)|平戸]](大正7年1月24日に編入され、同年7月25日まで在籍<ref name="制度4巻35a" />。同年8月24日に再編入される)<ref name="制度4巻35a" />
* 1936年(昭和11年)12月1日 [[ロンドン軍縮条約]]制限下最後の編制
** 防護巡洋艦:[[千歳 (防護巡洋艦)|千歳]](大正7年7月25日から同年8月24日まで在籍)<ref name="制度4巻35a" />
** 旗艦:[[神通 (軽巡洋艦)|神通]]
** [[磯風型駆逐艦#第一駆逐隊→第三十三駆逐隊隊→第十八駆逐隊|第1駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ57-58(原本75-76頁)〔 大正六、一二、一|横須賀鎭守府|第一驅逐隊|磯風、濱風、天津風、時津風 〕</ref>:[[磯風 (磯風型駆逐艦)|磯風]]、[[浜風 (磯風型駆逐艦)|浜風]]、[[天津風 (磯風型駆逐艦)|天津風]]、[[時津風 (磯風型駆逐艦)|時津風]](大正7年3月30日、座礁して廃艦。4月17日、削除<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ58(原本76-77頁)〔 大正七、四、一(内令九五)|横須賀鎭守府|第一驅逐隊|天津風、時津風、磯風、濱風| |(削除)時津風(七、四、一七 一二九) 〕</ref>。[[舞鶴海軍工廠]]で同名艦を建造)
** 第7駆逐隊:[[曙 (吹雪型駆逐艦)|曙]]、[[朧 (吹雪型駆逐艦)|朧]]、[[潮 (吹雪型駆逐艦)|潮]]
<!-- ** [[桜型駆逐艦#第十七駆逐隊→第二十一駆逐隊|第17駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ57-58(原本75-76頁)〔 大正六、一二、一|横須賀鎭守府|第十七驅逐隊|樺、桐| |(削除)樺、桐(七、二、五 四三)|(備考)大正七、二、五(内令四三)横鎭ノ欄第十七驅逐隊(樺、桐)ヲ削ル 呉鎭ノ欄第五驅逐隊(潮、外三隻)ヲ削リ第七驅逐隊ノ次ニ第十二驅逐隊(浦波、磯波、綾波)ヲ加フ 佐鎭ノ欄第十二驅逐隊(浦波外二隻)ヲ削リ第十五驅逐隊ノ次ニ第十七驅逐隊(樺、桐、櫻、橘)ヲ加フ 佐鎭ノ欄ノ次ニ舞鶴守府ノ欄ヲ設ケ第五驅逐隊(潮、外三隻)ヲ加フ 〕</ref><ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ58(原本76-77頁)〔 大正七、四、一(内令九五)|佐世保鎭守府|第二十一驅逐隊|櫻、樺、樺、桐 〕</ref>:[[樺 (樺型駆逐艦)|樺]]、[[桐 (樺型駆逐艦)|桐]]、[[桜 (桜型駆逐艦)|桜]](大正7年2月5日、編入)、[[橘 (桜型駆逐艦)|橘]](大正7年2月5日、編入) -->
** 第8駆逐隊:[[朝霧 (吹雪型駆逐艦)|朝霧]]、[[夕霧 (吹雪型駆逐艦)|夕霧]]、[[天霧 (駆逐艦)|天霧]]

** 第19駆逐隊:[[浦波 (吹雪型駆逐艦)|浦波]]、[[敷波 (吹雪型駆逐艦)|敷波]]、[[綾波 (吹雪型駆逐艦)|綾波]]
* 1918年(大正7年)12月1日(内令388号<ref name="制度4巻35a" />。大正7年12月から大正8年12月までの変遷)。
** 第20駆逐隊:東雲、吹雪、[[磯波 (吹雪型駆逐艦)|磯波]]
** 防護巡洋艦:平戸
* 1941年(昭和16年)12月10日 太平洋戦争開戦時の編制、甲型駆逐艦([[陽炎型駆逐艦]])デビュー
** 防護巡洋艦:[[筑摩 (防護巡洋艦)|筑摩]]<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070266000|大正8年9月8日(月)海軍公報 第2091号 p.31}}〔 ○郵便物發送先(中略)第二水雷戰隊司令部、平戸、筑摩、第一驅逐隊(濱風、磯風、天津風)、第三驅逐隊(谷風、江風)宛 九月十一日迄到達見込ノモノハ山口縣徳山(以下略) 〕</ref>(大正8年8月20日、編入)<ref name="制度4巻36a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ36(原本32頁)〔 大正八、一二、一(内令三九四)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 天龍、第一、第十四驅逐隊|(編入)大正八年 第二艦隊 二、一(内令一九)第三驅逐隊(二水戰)/八、二〇(内令二六六)筑摩(二水戰)/一一、一(内令三四八)第十四驅逐隊(二水戰) 〕</ref>
** 旗艦:神通
** 第1駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ58-59(原本77-78頁)〔 大正七、一二、一|横須賀鎭守府|第一驅逐隊|天津風、磯風、濱風 〕</ref>:天津風、磯風、浜風
** [[朝潮型駆逐艦#駆逐隊の変遷|第8駆逐隊]]:[[朝潮 (朝潮型駆逐艦)|朝潮]]、[[満潮 (駆逐艦)|満潮]]、[[大潮 (駆逐艦)|大潮]]、[[荒潮 (駆逐艦)|荒潮]]
** [[江風型駆逐艦#第三駆逐隊→第十四駆逐隊|第3駆逐隊]]{{#tag:Ref|大正8年2月1日、第3駆逐隊は[[江風型駆逐艦]]で再編された<ref name="制度4巻58a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ58-59(原本77-78頁)〔 大正七、一二、一|横須賀鎭守府|第三驅逐隊|白露、夕立、三日月、夕暮|(編入)江風、谷風(八、二、一 一七)|(削除)四隻(八、二、一 一七)/江風、谷風(八、一一、一 三四七)|大正八、二、一(内令一七)横鎭ノ欄ニ 第六驅逐隊(白露、夕立、三日月、夕暮)ヲ加フ/大正八、一一、一(内令三四七)横鎭ノ欄 第三驅逐隊ヲ削リ第七驅逐隊ヲ春風、初雪、時雨、初春ニ、第八驅逐隊ヲ有明、吹雪、神風、初霜、如月、響ニ改ム 呉鎭ノ欄 第十一驅逐隊ヲ陽炎、朧、曙ニ改メ第十三驅逐隊ノ次ニ第十四驅逐隊(江風、谷風)ヲ加フ 〕</ref>。同年11月1日、第3駆逐隊は第14駆逐隊へ改称した<ref name="制度4巻58a" />。|group="注"}}(大正8年2月1日<ref name="制度4巻36a" />、再編と共に二水戦へ編入):[[江風 (江風型駆逐艦)|江風]]、[[谷風 (江風型駆逐艦)|谷風]]
** [[陽炎型駆逐艦#駆逐隊の変遷|第15駆逐隊]]:[[黒潮 (駆逐艦)|黒潮]]、[[親潮 (駆逐艦)|親潮]]、[[早潮 (駆逐艦)|早潮]]、[[夏潮 (駆逐艦)|夏潮]]

** 第16駆逐隊:[[初風 (駆逐艦)|初風]]、[[雪風 (駆逐艦)|雪風]]、[[天津風 (陽炎型駆逐艦)|天津風]]、[[時津風 (陽炎型駆逐艦)|時津風]]
* 1919年(大正8年)12月1日(内令394号<ref name="制度4巻36a" />。大正8年12月から大正9年12月までの変遷)。[[天龍型軽巡洋艦]]と「[[八八艦隊]]」計画駆逐艦([[峯風型駆逐艦]])が[[デビュー]]する。
** 第18駆逐隊:[[霞 (朝潮型駆逐艦)|霞]]、[[霰 (朝潮型駆逐艦)|霰]]、[[陽炎 (陽炎型駆逐艦)|陽炎]]、[[不知火 (陽炎型駆逐艦)|不知火]]
** 軽巡洋艦:[[天龍 (軽巡洋艦)|天龍]]{{Sfn|写真日本の軍艦(8)軽巡(I)|1990|pp=17a-18|ps=軽巡洋艦『天龍』行動年表}}
** 第1駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ59(原本78-79頁)〔 大正八、一二、一|横須賀鎭守府|天津風、磯風、濱風|(編入)時津風(九、二、一九 三七)|(削除)四隻(九、一〇、一三 三八四)|大正九、一〇、一三(内令三八四)第一驅逐隊ヲ削リ舞鎭ノ欄ニ第三十三驅逐隊(天津風、磯風、濱風、時津風)ヲ加フ 〕</ref>(大正9年5月1日<ref name="制度4巻37a" />、二水戦より削除):磯風、浜風、天津風、[[時津風 (磯風型駆逐艦)|時津風]](舞鶴で建造された新造艦、大正9年2月19日に編入)
** [[峯風型駆逐艦#第二駆逐隊|第2駆逐隊]]{{#tag:Ref|大正9年5月29日、駆逐艦[[澤風 (駆逐艦)|澤風]]と[[峯風 (駆逐艦)|峯風]]で新編された<ref name="制度4巻59a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ59(原本78-79頁)〔 大正八、一二、一|大正九、五、二九(内令一六一)横鎭ノ欄ニ第二驅逐隊(澤風、峯風)ヲ加フ/大正九、七、一九(内令二四五)第二驅逐隊ニ矢風ヲ加フ/大正九年、八、一七(内令三〇〇)第二驅逐隊ニ沖風ヲ加フ 〕</ref>。|group="注"}}(大正9年5月29日<ref name="制度4巻37a" />、新編と共に二水戦編入):[[澤風 (駆逐艦)|澤風]]、[[峯風 (駆逐艦)|峯風]]、[[矢風 (標的艦)|矢風]](大正9年7月19日、編入)<ref name="制度4巻59a" />、[[沖風 (駆逐艦)|沖風]](大正9年8月17日、編入)<ref name="制度4巻59a" />
** [[江風型駆逐艦#第三駆逐隊→第十四駆逐隊|第14駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ59(原本78-79頁)〔 大正八、一二、一|呉鎭守府|第十四驅逐隊|江風、谷風 〕</ref>:江風、谷風

* 1920年(大正9年)12月1日(内令460号<ref name="制度4巻37a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ37(原本34-35頁)〔 大正九、一二、一(内令四六〇)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 天龍、第二、第五、第十四驅逐隊|(編入)大正九年 第二艦隊 五、二九(内令一六二)第二驅逐隊(二水戰)|(削除)大正九年 五、一(内令一三四)新高(一潜戰)、第一驅逐隊(二水戰) 〕</ref>。大正9年12月から大正10年12月までの変遷。)[[球磨型軽巡洋艦]]がデビュー。
** 軽巡洋艦:天龍(大正10年4月18日、二水戦旗艦を北上に譲る<ref name="T海軍公報2563" />。4月20日、二水戦より削除<ref name="制度4巻37b" />。予備艦となる{{Sfn|写真日本の軍艦(8)軽巡(I)|1990|pp=17b-18|ps=天龍行動年表}}。)
** 軽巡洋艦:[[北上 (軽巡洋艦)|北上]]<ref name="制度4巻37b" />(大正10年4月18日、編入{{Sfn|写真日本の軍艦(8)軽巡(I)|1990|pp=129a-130|ps=軽巡洋艦『大井・北上・夕張』行動年表 ◆北上◆}}。同日附で二水戦旗艦となる<ref name="T海軍公報2563" />。)
** 第2駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ59-60(原本79-80頁)〔 大正九、一二、一|横須賀鎭守府|第二驅逐隊|澤風、峯風、矢風、沖風 〕</ref>:澤風、峯風、矢風、沖風
** [[峯風型駆逐艦#第五駆逐隊→第四駆逐隊|第5駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ59-60(原本79-80頁)〔 大正九、一二、一|横須賀鎭守府|第五驅逐隊|羽風、島風|(編入)秋風(一〇、九、一 三一七) 灘風(一〇、九、三〇 三六四) 〕</ref>:[[羽風 (駆逐艦)|羽風]]、[[島風 (峯風型駆逐艦)|島風]]、[[秋風 (駆逐艦)|秋風]](大正10年9月1日編入)、[[灘風 (駆逐艦)|灘風]](大正10年9月30日編入)
** 第14駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ59-60(原本79-80頁)〔 大正九、一二、一|呉鎭守府|第十四驅逐隊|江風、谷風|(編入)菊、葵(九、一二、二五 三一七) 〕</ref><ref>{{アジア歴史資料センター|C12070275600|大正10年4月1日(金)海軍公報 第二千五百四十八号 pp.2-3}}〔 ○驅逐艦進水 舞鶴海軍工廠ニ於テ建造ノ驅逐艦太刀風三月三十一日午前十一時三十分進水セリ|○郵便物發送先 第二水雷戰隊司令部、天龍、第二驅逐隊(峯風、矢風、澤風、沖風) 第十四驅逐隊(谷風、江風、葵、菊)宛 四月三日迄到箸見込ノモノハ 静岡縣清水 其ノ後ハ 横須賀 第五驅逐隊(羽風、島風)宛 當分ノ間 横須賀 〕</ref>:谷風、江風、[[菊 (駆逐艦)|菊]](大正9年12月25日編入)、[[葵 (駆逐艦)|葵]](大正9年12月25日編入)

※ 1921年(大正10年)12月1日<ref name="制度4巻37b" />、[[第二艦隊 (日本海軍)|第二艦隊]]解隊<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070278100|大正10年12月2日(金)海軍公報 第2549号 p.4}}〔 ○旗艦指定 第三艦隊司令長官ハ本月一日旗艦ヲ安藝ニ指定セリ|○殘務整理 第二艦隊司令部ノ殘務整理ヲ軍艦金剛ニ於テ行フ(第二艦隊副官) 〕</ref>にともない、第二水雷戦隊も解隊。12月6日、残務整理終了<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070278100|大正10年12月6日(火)海軍公報 第2552号 p.19}}〔 ○殘務終了 第二水雷戰隊殘務整理本日終了セリ 〕</ref>。

* 1922年(大正11年)12月1日(内令432号、437号)第二水雷戦隊再編<ref name="制度4巻38a" />。[[神風型駆逐艦 (2代)|2代目神風型駆逐艦]]がデビュー。
** 軽巡洋艦:[[北上 (軽巡洋艦)|北上]]<ref name="制度4巻38a" />
** [[峯風型駆逐艦#第一駆逐隊|第1駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ60-61(原本81-83頁)〔 大正一一、一二、一(内令四三三)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第一驅逐隊|野風、沼風、波風|第一(一二、一、六 一)| |大正一一、一二、一(内令四三三)驅逐隊編制本表ノ通改定セラル 〕</ref>:[[野風 (駆逐艦)|野風]]、[[沼風 (駆逐艦)|沼風]]、[[波風 (駆逐艦)|波風]]、[[神風_(2代神風型駆逐艦)|第一駆逐艦]]{{#tag:Ref|大正12年1月6日編入、昭和3年8月1日附で2代目の[[神風]]<ref name="昭和3年達80号" />と改名される。|group="注"}}
** [[峯風型駆逐艦#第三駆逐隊(四代)|第3駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ60-61(原本81-83頁)〔 大正一一、一二、一(内令四三三)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第三驅逐隊|汐風、太刀風、夕風、帆風 〕</ref>:[[汐風 (駆逐艦)|汐風]]、[[夕風 (駆逐艦)|夕風]]、[[太刀風 (駆逐艦)|太刀風]]、[[帆風 (駆逐艦)|帆風]]

* 1923年(大正12年)12月1日(内令421号)<ref name="制度4巻39a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ39(原本38-39頁)〔 大正一二、一二、一(内令四二一)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 北上、第一、第二、第四、第五驅逐隊|(編入)大正十二年 第二艦隊 四、一〇(内令一五八)第四驅逐隊(二水戰)/五、一五(内令一九六)第二驅逐隊(二水戰) 〕</ref>。
** 軽巡洋艦:北上<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070292900|大正13年9月10日(水)海軍公報第3560号}}p.37〔 ○郵便物發送先 第二艦隊司令部、金剛 比叡、第五戰隊司令部、由良 名取 長良 川内、第二水雷戰隊司令部、北上、第一驅逐隊(波風 沼風 野風 第一號驅逐艦)、第二驅逐隊(沖風 澤風 峯風 夕風)、第四驅逐隊(太刀風 羽風 帆風 秋風)、第五驅逐隊(三號 五號 七號 九號驅逐艦)、第二潜水戰隊司令部、平戸長鯨 第二十六潜水隊(五十九 七十二 七十三潜水艦)、第十四潜水隊(四十五 五十八 六十二)及第四十四潜水艦宛(以下略) 〕</ref>
** 第1駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ61-62(原本83-84頁)〔 大正一二、一二、一(内令四二二)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第一驅逐隊|野風、沼風、波風、第一|大正一二、一二、一(内令四二二)驅逐隊編制本表ノ通改定セラル 〕</ref>:野風、沼風、波風、第一駆逐艦(2代目神風)
** 第2駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ61-62(原本83-84頁)〔 大正一二、一二、一(内令四二二)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第二驅逐隊|峯風、澤風、沖風、夕風 〕</ref>:峯風、澤風、沖風、夕風
** 第4駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ61-62(原本83-84頁)〔 大正一二、一二、一(内令四二二)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第四驅逐隊|羽風、秋風、太刀風、帆風 〕</ref>:羽風、秋風、太刀風、帆風
** [[神風型駆逐艦_(2代)#第五駆逐隊|第5駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ61-62(原本83-84頁)〔 大正一二、一二、一(内令四二二)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第五驅逐隊|第三、第五|第七號(一三、五、一 一一四) 第九號(一三、九、五 二一八) 〕</ref>:[[朝風 (2代神風型駆逐艦)|第三駆逐艦(朝風)]]、[[春風 (2代神風型駆逐艦)|第五駆逐艦(春風)]]、[[松風 (2代神風型駆逐艦)|第七駆逐艦(松風)]](大正13年5月1日編入)、[[旗風 (駆逐艦)|第九駆逐艦(旗風)]](大正13年9月5日編入)

* 1924年(大正13年)12月1日(内令294号)<ref name="制度4巻40a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ40(原本40-41頁)〔 大正一三、一二、一(内令二九四)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 五十鈴、第一、第四、第五驅逐隊 〕</ref>
** 軽巡洋艦:[[五十鈴 (軽巡洋艦)|五十鈴]]{{Sfn|写真日本の軍艦(8)軽巡(I)|1990|pp=175a-176|ps=軽巡洋艦『長良・五十鈴・名取』行動年表 ◆五十鈴◆}}
** 第1駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ62-63(原本85-86頁)〔 大正一三、一二、一(内令二九六)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第一驅逐隊|野風、沼風、波風、第一號 〕</ref>:野風、沼風、波風、第一号駆逐艦(2代目神風)
** 第4駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ62-63(原本85-86頁)〔 大正一三、一二、一(内令二九六)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第四驅逐隊|羽風、秋風、太刀風、帆風 〕</ref>:羽風、秋風、太刀風、帆風
** 第5駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ62-63(原本85-86頁)〔 大正一三、一二、一(内令二九六)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第五驅逐隊|第三號、第五號、第七號、第九號 〕</ref>:第三号(朝風)、第五号(春風)、第七号(松風)、第九号駆逐艦(旗風)

* 1925年(大正14年)12月1日(内令318号)<ref name="制度4巻40b">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ40(原本40-41頁)〔 大正一四、一二、一(内令三一八)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 五十鈴、第三、第五、第二十九驅逐隊|(編入)大正十四年 第二艦隊 八、三一(内令二三四)第五驅逐隊/九、一〇(内令一五〇)第二十九驅逐隊|(削除)大正十四年 第二艦隊(内令一七六)第五驅逐隊 〕</ref>
** 軽巡洋艦:五十鈴
** 第3駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ63(原本86-87頁)〔 大正一四、一二、一(内令三一九)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第三驅逐隊|汐風、島風、灘風、夕風 〕</ref>:汐風、島風、灘風、夕風
** 第5駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ63(原本86-87頁)〔 大正一四、一二、一(内令三一九)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第三驅逐隊|第三號、第五號、第七號、第九號 〕</ref>:第三号、第五号、第七号、第九号駆逐艦
** [[神風型駆逐艦_(2代)#第二十九駆逐隊|第29駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ63(原本86-87頁)〔 大正一四、一二、一(内令三一九)|佐世保鎭守府|第二艦隊|第二十九驅逐隊|第十一號、第十五號、第十七號|(編入)第十三號(一四、一二、二五 三六一) 〕</ref>:[[追風 (2代神風型駆逐艦)|第十一号(追風)]]、[[疾風 (2代神風型駆逐艦)|第十三号(疾風)]](大正14年12月25日編入)、[[朝凪 (駆逐艦)|第十五号(朝凪)]]、[[夕凪 (2代神風型駆逐艦)|第十七号駆逐艦(夕凪)]]

* 1926年(大正15年)12月1日(内令264号)<ref name="制度4巻41a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ41(原本42-43頁)〔 大正一五、一二、一(内令二六四)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 夕張、第五、第二十二、第二十九、第三十驅逐隊|(編入)大正十五年 第二艦隊 四、一(内令八二)第三十驅逐隊(二水戰) 〕</ref>。翌1927年(昭和2年)8月24日、[[美保関事件]]に巻き込まれる。第一水雷戦隊所属の第27駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ63-64(原本87-88頁)〔 大正一五、一二、一(内令二六五)|佐世保防備隊|第一艦隊|第二十七驅逐隊|菱、菫、蕨、葦|(削除)葦(昭和二、九、五 二八七)/蕨(昭和二、九、一五 二九四)| 〕</ref>は臨時に二水戦の指揮下に入り夜間演習を実施中、駆逐艦[[蕨 (駆逐艦)|蕨]]および[[葦 (駆逐艦)|葦]]と、第五戦隊の軽巡2隻([[神通 (軽巡洋艦)|神通]]、[[那珂 (軽巡洋艦)|那珂]])が衝突する{{Sfn|写真日本の軍艦(9)軽巡(II)|1990|pp=32-33}}。蕨が沈没し、他3隻は大破した{{Sfn|写真日本の軍艦(9)軽巡(II)|1990|pp=34-35|ps=連合艦隊の悲劇"美保ヶ関事件"の顛末}}。
** 軽巡洋艦:[[夕張 (軽巡洋艦)|夕張]]{{Sfn|写真日本の軍艦(8)軽巡(I)|1990|pp=130a-131|ps=軽巡洋艦『大井・北上・夕張』行動年表 ◆夕張◆}}
** 第5駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ63-64(原本87-88頁)〔 大正一五、一二、一(内令二六五)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第五驅逐隊|第三號、第五號、第七號、第九號|大正一五、一二、一(内令二六五)驅逐隊編制本表ノ通改定セラル/昭和二、五、一〇(内令一六五)第五驅逐隊ノ所属ヲ馬公要港部ニ改ム/昭和二、八、一(内令二六一)第五驅逐隊ノ所属ヲ第二艦隊ニ改ム 〕</ref>:第三号、第五号、第七号、第九号駆逐艦
** [[睦月型駆逐艦#第二十二駆逐隊|第22駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ63-64(原本87-88頁)〔 大正一五、一二、一(内令二六五)|佐世保防備隊|第二艦隊|第二十二驅逐隊|第二十七號、第二十九號|(編入)第二十八號(昭和二、四、一 一〇七)/第三十號(昭和二、五、二〇 一八〇) 〕</ref><ref>{{アジア歴史資料センター|C12070307800|昭和2年1月28日(金)海軍公報 第23号 p.38}}〔 ○郵便物發送先 第二水雷戰隊司令部宛及軍艦夕張、第二十二驅逐隊(驅二七、驅二九)、第二十九驅逐隊(驅一一、驅一三、驅一五、驅一七)、第三十驅逐隊(驅一九、驅二一、驅二三、驅二五)、第五驅逐隊(驅三、驅五、驅七、驅九)宛 二月十日迄ニ到達見込ノモノハ徳山(以下略) 〕</ref>:[[皐月 (睦月型駆逐艦)|第二十七号(皐月)]]、[[文月 (睦月型駆逐艦)|第二十九号(文月)]]、[[水無月 (睦月型駆逐艦)|第二十八号(水無月)]](昭和2年4月1日編入)、[[長月 (睦月型駆逐艦)|第三十号駆逐艦(長月)]](昭和2年5月20日編入)
** 第29駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ63-64(原本87-88頁)〔 大正一五、一二、一(内令二六五)|佐世保防備隊|第二艦隊|第二十九驅逐隊|第十一號、第十三號、第十五號、第十七號| 〕</ref>:第十一号、第十三号、第十五号、第十七号駆逐艦
** [[睦月型駆逐艦#第三十駆逐隊|第30駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ63-64(原本87-88頁)〔 大正一五、一二、一(内令二六五)|佐世保防備隊|第二艦隊|第三十驅逐隊|第十九號、第二十一號、第二十三號、第二十五號| 〕</ref>:[[睦月 (駆逐艦)|第十九号(睦月)]]、[[如月 (睦月型駆逐艦)|第二十一号(如月)]]、[[弥生 (睦月型駆逐艦)|第二十三号(弥生)]]、[[卯月 (睦月型駆逐艦)|第二十五号駆逐艦(卯月)]]

* 1927年(昭和2年)12月1日{{Sfn|戦史叢書91|1975|p=206}}(内令348号)<ref name="制度4巻41b">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ41-42(原本43-44頁)〔 昭和二、一二、一(内令三四八)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 名取、第二十二、第二十三、第二十九、第三十驅逐隊|(編入)昭和二年 第二艦隊 八、一(内令二六〇)第五驅逐隊(二水戰)|(削除)昭和二年 第二艦隊(内令一六四)第五驅逐隊(二水戰) 〕</ref>。1928年(昭和3年)8月1日附で、各駆逐艦に固有名詞が与えられる<ref name="昭和3年達80号">[[#達昭和3年6月]] pp.7-8〔 達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介 〕</ref>。
** 軽巡洋艦:[[名取 (軽巡洋艦)|名取]]{{Sfn|写真日本の軍艦(8)軽巡(I)|1990|pp=176a-177|ps=軽巡洋艦『長良・五十鈴・名取』行動年表 ◆名取◆}}
** 第22駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ64-65(原本88-90頁)〔 昭和二、一二、一(内令三八五)|佐世保鎭守府|第二艦隊|第二十二驅逐隊|第二十七號、第二十八號、第二十九號、第三十號| 〕</ref>:第二十七号、第二十八号、第二十九号、第三十号駆逐艦
** [[睦月型駆逐艦#第二十三駆逐隊|第23駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ64-65(原本88-90頁)〔 昭和二、一二、一(内令三八五)|佐世保鎭守府|第二艦隊|第二十三驅逐隊|第三十一號、第三十二號、第三十四號|(編入)第三十三號(三、六、三〇 一六八) 〕</ref>:[[菊月 (睦月型駆逐艦)|第三十一号(菊月)]]、[[三日月 (睦月型駆逐艦)|第三十二号(三日月)]]、[[夕月 (駆逐艦)|第三十四号(夕月)]]、[[望月 (駆逐艦)|第三十三号駆逐艦(望月)]](昭和3年6月30日編入)
** 第29駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ64-65(原本88-90頁)〔 昭和二、一二、一(内令三八五)|佐世保鎭守府|第二艦隊|第二十九驅逐隊|第十一號、第十三號、第十五號、第十七號| 〕</ref>:第十一号、第十三号、第十五号、第十七号駆逐艦
** 第30駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ64-65(原本88-90頁)〔 昭和二、一二、一(内令三八五)|佐世保鎭守府|第二艦隊|第三十驅逐隊|第十九號、第二十一號、第二十三號、第二十五號| 〕</ref>:第十九号、第二十一号、第二十三号、第二十五号駆逐艦

* 1928年(昭和3年)12月10日(内令367号)<ref name="制度4巻42a" /> 特型駆逐艦([[吹雪型駆逐艦]])がデビューする<ref name="制度4巻65a" />。
** 軽巡洋艦:[[鬼怒 (軽巡洋艦)|鬼怒]]{{Sfn|写真日本の軍艦(8)軽巡(I)|1990|pp=235a-236|ps=軽巡洋艦『由良・鬼怒・阿武隈』行動年表 ◆鬼怒◆}}
** [[吹雪型駆逐艦#第十一駆逐隊|第11駆逐隊]]<ref name="制度4巻65a" />(昭和3年12月18日編入)<ref name="制度4巻42a" />:[[吹雪 (吹雪型駆逐艦)|吹雪]]、[[白雪 (吹雪型駆逐艦)|白雪]]、[[初雪 (吹雪型駆逐艦)|初雪]](昭和4年3月30日編入)<ref name="制度4巻65a" />、[[深雪 (駆逐艦)|深雪]](昭和4年6月29日編入)<ref name="制度4巻65a" />
** 第12駆逐隊<ref name="制度4巻65a" />:[[東雲 (吹雪型駆逐艦)|東雲]]、[[薄雲 (吹雪型駆逐艦)|薄雲]]、[[白雲 (吹雪型駆逐艦)|白雲]]、[[叢雲 (吹雪型駆逐艦)|叢雲]](昭和4年5月10日編入)<ref name="制度4巻65a" />
** 第23駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ65-66(原本91-92頁)〔 昭和三、一二、一〇(内令三五〇)|佐世保鎭守府|第二艦隊|第二十三驅逐隊|菊月、三日月、望月、夕月| 〕</ref>:菊月、三日月、望月、夕月

* 1929年(昭和4年)11月30日(内令275号)<ref name="制度4巻43a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ43(原本46-47頁)〔 昭和四、一一、三〇(内令二七五)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 鬼怒、第十一、第十二、第十九驅逐隊|(編入)昭和三年 第二艦隊 一二、一八(内令三六七)第十一驅逐隊(二水戰) 〕</ref>。1930年(昭和5年)12月1日附の艦隊編制でも同編制(鬼怒、第11駆逐隊、第12駆逐隊、第19駆逐隊)<ref name="制度4巻43b">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ43-44(原本47-48頁)〔 昭和五、一二、一(内令二二八)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 鬼怒、第十一、第十二、第十九驅逐隊 〕</ref><ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ67-68(原本94-95頁)〔 昭和五、一二、一(内令二二九)驅逐隊編制本表ノ通改定セラル 〕</ref>。
** 軽巡洋艦:鬼怒
** 第11駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ66-67(原本93-94頁)〔 昭和四、一一、三〇(内令二七六)|呉鎭守府|第二艦隊|第十一驅逐隊|吹雪、白雪、初雪、深雪| 〕</ref>:吹雪、白雪、初雪、深雪
** 第12駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ66-67(原本93-94頁)〔 昭和四、一一、三〇(内令二七六)|呉鎭守府|第二艦隊|第十二驅逐隊|叢雲、東雲、薄雲、白雲| 〕</ref>:叢雲、東雲、薄雲、白雲
** 第19駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ66-67(原本93-94頁)〔 昭和四、一一、三〇(内令二七六)|呉鎭守府|第二艦隊|第十九驅逐隊|磯波、浦波|(編入)敷波(四、一二、二四 三〇三)/綾波(五、四、三〇 八一)| 〕</ref>:[[磯波 (吹雪型駆逐艦)|磯波]]、[[浦波 (吹雪型駆逐艦)|浦波]]、[[敷波 (吹雪型駆逐艦)|敷波]](昭和4年12月24日編入)、[[綾波 (吹雪型駆逐艦)|綾波]](昭和5年4月30日編入)

* 1931年(昭和6年)12月1日(内令214号)<ref name="制度4巻44a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ44(原本48-49頁)〔 昭和六、一二、一(内令二一四)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 神通、第七、第八、第十九、第二十驅逐隊 〕</ref>。[[ロンドン軍縮条約]]制限下最後の編制。[[川内型軽巡洋艦]]が二水戦に編入される。駆逐隊の定数が、4隻から3隻に減少する(例:第11駆逐隊〈吹雪、白雪、初雪、深雪〉 → 第11駆逐隊〈白雪、初雪、深雪〉)<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ68(原本96-97頁)〔 昭和六、一二、一(内令二一五)|呉鎭守府|第十一驅逐隊|白雪、初雪、深雪|昭和六、一二、一(内令二一五)驅逐隊編制本表ノ通改定セラル 〕</ref>。1932年(昭和7年)12月1日附の艦隊編制(内令372号、内令373号)<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ68-69(原本97-98頁)〔 昭和七、一二、一(内令二七三)|昭和七、一二、一(内令三七三)驅逐隊編制本表ノ通改定セラル| 〕</ref><ref name="制度4巻45a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ45(原本51頁)〔 昭和七、一二、一(内令三七二)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 神通、第七、第八、第十一、第十二驅逐隊 〕</ref>も神通、第7駆逐隊、第8駆逐隊、第11駆逐隊、第12駆逐隊で、ほぼ同編制<ref name="制度4巻45a" /><ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ46(原本52-53頁)〔 昭和八、五、二〇(内令一八二)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 神通、第七、第八、第十一、第十二驅逐隊 〕</ref>。1933年(昭和8年)5月1日に[[連合艦隊]]が常設された時も、二水戦はこの編制であった{{Sfn|戦史叢書91|1975|pp=256-258|ps=艦隊平時編制標準改定と聯合艦隊の常設―昭和八年}}。
** 軽巡洋艦:[[神通 (軽巡洋艦)|神通]]{{Sfn|写真日本の軍艦(9)軽巡(II)|1990|p=37a|ps=軽巡洋艦『川内、神通、那珂』行動年表 ◆神通◆}}
** [[吹雪型駆逐艦#第七駆逐隊|第7駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ68(原本96-97頁)〔 昭和六、一二、一(内令二一五)|横須賀鎭守府|第七驅逐隊|曙、朧、潮| 〕</ref>:[[曙 (吹雪型駆逐艦)|曙]]、[[朧 (吹雪型駆逐艦)|朧]]、[[潮 (吹雪型駆逐艦)|潮]]
** [[吹雪型駆逐艦#第八駆逐隊→第二十駆逐隊(II)|第8駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ68(原本96-97頁)〔 昭和六、一二、一(内令二一五)|横須賀鎭守府|第八驅逐隊|天霧、朝霧、夕霧| 〕</ref>:[[天霧 (駆逐艦)|天霧]]、[[朝霧 (吹雪型駆逐艦)|朝霧]]、[[夕霧 (吹雪型駆逐艦)|夕霧]]
** 第19駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ68(原本96-97頁)〔 昭和六、一二、一(内令二一五)|呉鎭守府|第十九驅逐隊|浦波、敷波、綾波| 〕</ref>:[[浦波 (吹雪型駆逐艦)|浦波]]、[[敷波 (吹雪型駆逐艦)|敷波]]、[[綾波 (吹雪型駆逐艦)|綾波]]
** [[吹雪型駆逐艦#第二十駆逐隊(I)|第20駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ68(原本96-97頁)〔 昭和六、一二、一(内令二一五)|呉鎭守府|第十九驅逐隊|東雲、吹雪、磯波| 〕</ref>:[[東雲 (吹雪型駆逐艦)|東雲]]、[[吹雪 (吹雪型駆逐艦)|吹雪]]、[[磯波 (吹雪型駆逐艦)|磯波]]

* 1933年(昭和8年)11月15日(内令351号)<ref name="制度4巻46b">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ46-47(原本53-55頁)〔 昭和八、一一、一五(内令三五一)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 那珂、第六、第十、第十一、第十二驅逐隊 〕</ref>。1934年(昭和9年)6月29日、演習中に深雪(第11駆逐隊)と電(第6駆逐隊)が衝突し、深雪が沈没する。
** 軽巡洋艦:[[那珂 (軽巡洋艦)|那珂]]{{Sfn|写真日本の軍艦(9)軽巡(II)|1990|pp=37c-38|ps=軽巡洋艦『川内、神通、那珂』行動年表 ◆那珂◆}}
** [[吹雪型駆逐艦#第六駆逐隊|第6駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ69-70(原本99-100頁)〔 昭和八、一一、一五(内令三五二)|横須賀鎭守府|第六驅逐隊|雷、電、響| 〕</ref>:[[雷 (吹雪型駆逐艦)|雷]]、[[電 (吹雪型駆逐艦)|電]]、[[響 (吹雪型駆逐艦)|響]]
** [[吹雪型駆逐艦#第十駆逐隊|第10駆逐隊]]<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ69-70(原本99-100頁)〔 昭和八、一一、一五(内令三五二)|横須賀鎭守府|第十驅逐隊|狭霧、漣、暁| 〕</ref>:[[狭霧 (駆逐艦)|狭霧]]、[[漣 (吹雪型駆逐艦)|漣]]、[[暁 (吹雪型駆逐艦)|暁]]
** 第11駆逐隊<ref name="海軍制度4巻69a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ69-70(原本99-100頁)〔 昭和八、一一、一五(内令三五二)|呉鎭守府|第十一驅逐隊|白雪、初雪、深雪|(削除)深雪(九、七、五 二七六) 〕</ref>:白雪、初雪、深雪(昭和9年6月29日沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=274|ps=深雪(みゆき)}}、7月5日削除<ref name="海軍制度4巻69a" /> )
** 第12駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ69-70(原本99-100頁)〔 昭和八、一一、一五(内令三五二)|呉鎭守府|第十二驅逐隊|叢雲、薄雲、白雲| 〕</ref>:叢雲、薄雲、白雲

* 1934年(昭和9年)11月15日(内令476号)<ref name="制度4巻47a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ47-48(原本55-56頁)〔 昭和九、一一、一五(内令四七六)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 神通、第六、第十、第十九、第二十驅逐隊 〕</ref>。
** 軽巡洋艦:神通{{Sfn|写真日本の軍艦(9)軽巡(II)|1990|p=37b|ps=神通行動年表}}
** 第6駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ70-71(原本100-102頁)〔 昭和九、一一、一五(内令四七七)|横須賀鎭守府|第六驅逐隊|雷、電、響| 〕</ref>:雷、電、響
** 第10駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ70-71(原本100-102頁)〔 昭和九、一一、一五(内令四七七)|横須賀鎭守府|第十驅逐隊|狭霧、漣、暁| 〕</ref>:狭霧、漣、暁
** 第19駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ70-71(原本100-102頁)〔 昭和九、一一、一五(内令四七七)|呉鎭守府|第十九驅逐隊|浦波、敷波、綾波| 〕</ref>:浦波、敷波、綾波
** 第20駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ70-71(原本100-102頁)〔 昭和九、一一、一五(内令四七七)|呉鎭守府|第二十驅逐隊|東雲、吹雪、磯波| 〕</ref>:東雲、吹雪、磯波

* 1935年(昭和10年)11月15日(内令458号)<ref name="制度4巻48a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ48-49(原本57-58頁)〔 昭和十、一一、一五(内令四五八)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 那珂、第六、第八、第十九、第二十驅逐隊 〕</ref>。
** 軽巡洋艦:那珂{{Sfn|写真日本の軍艦(9)軽巡(II)|1990|pp=37d-38|ps=那珂行動年表}}
** 第6駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ71(原本102-103頁)〔 昭和一〇、一一、一五(内令四五九)|横須賀鎭守府|第六驅逐隊|雷、電、響| 〕</ref>:雷、電、響
** 第8駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ71(原本102-103頁)〔 昭和一〇、一一、一五(内令四五九)|横須賀鎭守府|第八驅逐隊|天霧、朝霧| 〕</ref>:天霧、朝霧
** 第19駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ71(原本102-103頁)〔 昭和一〇、一一、一五(内令四五九)|呉鎭守府|第十九驅逐隊|浦波、敷波、綾波| 〕</ref>:浦波、磯波、綾波
** 第20駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ71(原本102-103頁)〔 昭和一〇、一一、一五(内令四五九)|呉鎭守府|第二十驅逐隊|東雲、吹雪、磯波| 〕</ref>:東雲、吹雪、磯波

* 1936年(昭和11年)12月1日。第20駆逐隊が解隊され、吹雪は第11駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ71-72(原本103-105頁)〔 昭和一一、一二、一(内令四七一)|呉鎭守府|第十一驅逐隊|吹雪、白雪、初雪| 〕</ref>、東雲は第12駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ71-72(原本103-105頁)〔 昭和一一、一二、一(内令四七一)|呉鎭守府|第十二驅逐隊|叢雲、東雲、薄雲、白雲| 〕</ref>、磯波は第20駆逐隊<ref name="制度4巻71a">[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ71-72(原本103-105頁)〔 昭和一一、一二、一(内令四七一)|呉鎭守府|第十九驅逐隊|磯波、浦波、敷波、綾波| 〕</ref>に編入。
** 軽巡洋艦:神通{{Sfn|写真日本の軍艦(9)軽巡(II)|1990|p=37b|ps=神通行動年表}}
** 第7駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ71-72(原本103-105頁)〔 昭和一一、一二、一(内令四七一)|横須賀鎭守府|第七驅逐隊|曙、朧、潮| 〕</ref>:曙、朧、潮
** 第8駆逐隊<ref>[[#海軍制度沿革(巻4、1939)]] コマ71-72(原本103-105頁)〔 昭和一一、一二、一(内令四七一)|横須賀鎭守府|第八驅逐隊|天霧、朝霧、夕霧| 〕</ref>:天霧、朝霧、夕霧
** 第19駆逐隊<ref name="制度4巻71a" />:磯波、浦波、敷波、綾波

*1938年(昭和13年)12月15日
** 軽巡洋艦:那珂{{Sfn|写真日本の軍艦(9)軽巡(II)|1990|pp=37d-38|ps=那珂行動年表}}
** 第8駆逐隊:朝霧、夕霧、天霧
** 第11駆逐隊:吹雪、白雪、初雪

* 1939年(昭和14年)11月15日{{Sfn|戦史叢書91|1975|p=0a1|ps=付表第二/聯合艦隊編制推移表(昭和14年11月15日~同16年12月10日)}}(昭和十五年度艦隊編制){{Sfn|戦史叢書38|1970|pp=73-77|ps=昭和十五年度艦隊編制(抜粋)(昭和一四・一一・一五付)}}。[[朝潮型駆逐艦]]と[[陽炎型駆逐艦]]を二水戦に編入。
** 軽巡洋艦:神通<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070381900|昭和14年11月18日(土)海軍公報(部内限)第3363号 p.51}}〔 ○旗艦指定 第二艦隊司令長官ハ第二水雷戰隊ノ旗艦ヲ神通ニ、第七戰隊ノ旗艦ヲ熊野ニ、第八戰隊ノ旗艦ヲ利根ニ、第三潜水戰隊ノ旗艦ヲ五十鈴ニ十一月五日孰モ指定セリ|第八戰隊司令官ハ十一月十六日旗艦ヲ利根ニ指定セリ|○将旗掲揚 第十三戰隊司令官ハ十一月十五日将旗ヲ飛鳥ニ掲揚セリ 〕</ref>
** [[朝潮型駆逐艦#駆逐隊の変遷|第8駆逐隊]]:[[朝潮 (朝潮型駆逐艦)|朝潮]]、[[大潮 (駆逐艦)|大潮]]、[[満潮 (駆逐艦)|満潮]]、[[荒潮 (駆逐艦)|荒潮]]
** 第16駆逐隊{{#tag:Ref|昭和15年1月27日、[[陽炎型駆逐艦]]3番艦[[黒潮 (駆逐艦)|黒潮]]と陽炎型8番艦[[雪風 (駆逐艦)|雪風]]の2隻で新編、同時に二水戦へ編入{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=115}}。|group="注"}}:[[雪風 (駆逐艦)|雪風]]、[[黒潮 (駆逐艦)|黒潮]]、[[初風 (駆逐艦)|初風]](昭和15年2月15日、編入){{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=115}}
** [[朝潮型駆逐艦#第十八駆逐隊|第18駆逐隊]]:[[霞 (朝潮型駆逐艦)|霞]]、[[霰 (朝潮型駆逐艦)|霰]]、[[陽炎 (陽炎型駆逐艦)|陽炎]]、[[不知火 (陽炎型駆逐艦)|不知火]](昭和14年12月20日、編入){{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=122}}

* 1940年(昭和15年)11月15日{{Sfn|戦史叢書91|1975|p=0a2|ps=付表第二}}(昭和十六年度艦隊編制、外戦部隊){{Sfn|戦史叢書38|1970|pp=80-82|ps=昭和十六年度艦隊編制(外戦部隊)(昭和一五・一一・一五)}}。
** 軽巡洋艦:神通
** 第8駆逐隊:朝潮、大潮、満潮、荒潮
** [[陽炎型駆逐艦#第十五駆逐隊|第15駆逐隊]]:[[親潮 (駆逐艦)|親潮]]、[[早潮 (駆逐艦)|早潮]]、[[夏潮 (駆逐艦)|夏潮]]、[[黒潮 (駆逐艦)|黒潮]]{{#tag:Ref|昭和15年11月15日、第16駆逐隊から除かれ第15駆逐隊に編入される{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=113}}。|group="注"}}
** [[陽炎型駆逐艦#第十六駆逐隊|第16駆逐隊]]:[[初風 (駆逐艦)|初風]]、[[雪風 (駆逐艦)|雪風]]、[[時津風 (陽炎型駆逐艦)|時津風]](昭和15年11月15日、編入){{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=115}}、[[天津風 (陽炎型駆逐艦)|天津風]](昭和15年12月15日、編入){{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=115}}
** [[陽炎型駆逐艦#第十八駆逐隊|第18駆逐隊]]:霞、霰、陽炎、不知火

* 1941年(昭和16年)12月10日{{Sfn|戦史叢書38|1970|pp=87-94|ps=戦時艦隊編制の改定(抜粋)(昭和一六・一二・一〇付)}}。太平洋戦争開戦時の編制
** 軽巡洋艦:神通
** 第8駆逐隊:朝潮、大潮、満潮、荒潮
** 第15駆逐隊:黒潮、親潮、早潮、夏潮{{#tag:Ref|昭和17年2月9日、[[スラウェシ島]][[マカッサル]]沖合で潜水艦の雷撃を受け大破、曳航中に沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=303b|ps=夏潮(なつしお)}}。|group="注"}}
** 第16駆逐隊:初風、雪風、天津風、時津風
** 第18駆逐隊:霞、霰、陽炎、不知火

* 1942年(昭和17年)4月10日 [[セイロン沖海戦]]後の編制
* 1942年(昭和17年)4月10日 [[セイロン沖海戦]]後の編制
** 艦:神通
** 軽巡洋艦:神通
** 第15駆逐隊:黒潮、親潮、早潮
** 第15駆逐隊:黒潮、親潮、早潮
** 第16駆逐隊:初風、雪風、天津風、時津風
** 第16駆逐隊:初風、雪風、天津風、時津風
** 第18駆逐隊:霞、霰{{#tag:Ref|昭和17年7月5日、[[キスカ島]]で潜水艦[[グロウラー (潜水艦)|グロウラー]]に撃沈される([[7月5日の海戦 (1942年)|7月5日の海戦]]){{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=301|ps=霰(あられ)}}。|group="注"}}、陽炎、不知火
** 第18駆逐隊:霞、霰、陽炎、不知火

* 1942年(昭和17年)7月14日 [[ミッドウェー海戦]]後の編制
* 1942年(昭和17年)7月14日 [[ミッドウェー海戦]]後の編制
** 軽巡洋艦:神通{{#tag:Ref|昭和17年8月25日、[[第二次ソロモン海戦]]で空襲を受け中破{{Sfn|戦史叢書49|1971|pp=586-588|ps=金龍丸及び「睦月」の沈没}}。|group="注"}}
** 旗艦:神通
** 第15駆逐隊:黒潮、親潮、早潮
** 第15駆逐隊:黒潮、親潮、早潮
** 第18駆逐隊{{#tag:Ref|霰が沈没、霞と不知火が大破して作戦不能となり、昭和17年9月15日附で解隊{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=123}}。|group="注"}}:陽炎{{#tag:Ref|第18駆逐隊の大損害にともない昭和17年7月20日附で第15駆逐隊へ転出{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=123}}。|group="注"}}、霞{{#tag:Ref|[[7月5日の海戦 (1942年)|昭和17年7月5日の海戦]]においてグロウラーの雷撃で大破、船体切断{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=302a|ps=霞(かすみ)}}。|group="注"}}、不知火{{#tag:Ref|[[7月5日の海戦 (1942年)|昭和17年7月5日の海戦]]においてグロウラーの雷撃で大破、船体切断{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=303a|ps=不知火(しらぬい)}}。|group="注"}}
** 第18駆逐隊:霞、霰、陽炎、不知火
** [[白露型駆逐艦#駆逐隊の変遷|第24駆逐隊]]:[[海風 (白露型駆逐艦)|海風]]、[[山風 (白露型駆逐艦)|山風]]、[[江風 (白露型駆逐艦)|江風]]、[[涼風 (駆逐艦)|涼風]]
** [[白露型駆逐艦#駆逐隊の変遷|第24駆逐隊]]:[[海風 (白露型駆逐艦)|海風]]、[[山風 (白露型駆逐艦)|山風]]{{#tag:Ref|6月下旬に潜水艦[[ノーチラス (潜水艦)|ノーチラス]]の雷撃で沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=295a|ps=山風(やまかぜ)}}、二水戦編入は書類上の措置。|group="注"}}、[[江風 (白露型駆逐艦)|江風]]、[[涼風 (駆逐艦)|涼風]]

* 1942年(昭和17年)9月25日 前月の[[第二次ソロモン海戦]]で神通損傷・二水戦除籍後の編制<ref>[[#S1709二水戦日誌(1)]]p.7『(二)自九月二十五日至九月三十日』</ref>
* 1942年(昭和17年)9月25日 前月の[[第二次ソロモン海戦]]で神通損傷・二水戦除籍後の編制<ref>[[#S1709二水戦日誌(1)]] p.7〔 (二)自九月二十五日至九月三十日 〕</ref>
** 旗艦:五十鈴
** 軽巡洋艦:五十鈴{{Sfn|写真日本の軍艦(8)軽巡(I)|1990|pp=175b-176|ps=五十鈴行動年表}}
** 第15駆逐隊:親潮、黒潮、陽炎、早潮
** 第15駆逐隊:親潮、黒潮、早潮{{#tag:Ref|昭和17年11月24日{{Sfn|戦史叢書83|1975|pp=425-426|ps=ラエ、サラモア輸送(「早潮」の沈没)}}、[[ラエ]]沖合で夜間空襲を受け沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=304a|ps=早潮(はやしお)}}。|group="注"}}、陽炎
** 第24駆逐隊:海風、江風、涼風
** 第24駆逐隊:海風、江風、涼風
** 第31駆逐隊:[[長波 (駆逐艦)|長波]]、[[巻波 (駆逐艦)|巻波]]、[[高波 (駆逐艦)|高波]])<ref>高波は10月1日附で第31駆逐隊に編入。</ref>
** 第31駆逐隊:[[長波 (駆逐艦)|長波]]、[[巻波 (駆逐艦)|巻波]]、[[高波 (駆逐艦)|高波]]{{#tag:Ref|昭和17年10月1日附で第31駆逐隊に編入、11月30日に[[ルンガ沖夜戦]]で沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=318a|ps=高波(たかなみ)}}|group="注"}}

* 1943年(昭和18年)1月31日 五十鈴の転出と神通の二水戦復帰<ref name="S1801二水戦日誌(1)7">[[#S1801二水戦日誌(1)]]p.7『備考(一)23日迄将旗ヲ長波ニ移揚 但シ第六次「ガ」島輸送作戦中一時黒潮ニ移揚|(二)23日小柳司令官退隊、長波将旗ヲ撤ス。30日伊崎司令官着任、神通ニ将旗ヲ掲グ|(三)旧司令官退隊ヨリ新司令官着任迄神通艦長海軍大佐藤田俊造第二水雷戦隊司令官ノ職務ヲ代理ス』</ref>、新司令官[[伊崎俊二]]少将着任時<ref>[[#S1801二水戦日誌(1)]]p.23『30日1415伊崎司令官着任将旗ヲ神通ニ掲揚』</ref>の編制
* 1943年(昭和18年)1月31日 五十鈴の転出{{Sfn|写真日本の軍艦(8)軽巡(I)|1990|pp=175b-176|ps=五十鈴行動年表}}、神通の二水戦復帰<ref name="S1801二水戦日誌(1)7">[[#S1801二水戦日誌(1)]] p.7〔 備考(一)23日迄将旗ヲ長波ニ移揚 但シ第六次「ガ」島輸送作戦中一時黒潮ニ移揚|(二)23日小柳司令官退隊、長波将旗ヲ撤ス。30日伊崎司令官着任、神通ニ将旗ヲ掲グ|(三)旧司令官退隊ヨリ新司令官着任迄神通艦長海軍大佐藤田俊造第二水雷戦隊司令官ノ職務ヲ代理ス 〕</ref>、新司令官[[伊崎俊二]]少将着任時<ref>[[#S1801二水戦日誌(1)]] p.23〔 30日1415伊崎司令官着任将旗ヲ神通ニ掲揚 〕</ref>の編制
** 旗艦:神通
** 軽巡洋艦:神通{{#tag:Ref|[[呉海軍工廠]]での修理を終え、1月16日附で二水戦編入{{Sfn|写真日本の軍艦(9)軽巡(II)|1990|p=37b|ps=神通行動年表}}。|group="注"}}
** 第15駆逐隊:陽炎、黒潮、親潮
** 第15駆逐隊:陽炎、黒潮、親潮
** 第24駆逐隊:涼風、江風、海風
** 第24駆逐隊:涼風、江風、海風
** 第31駆逐隊:巻波、[[大波 (駆逐艦)|大波]]、長波
** 第31駆逐隊:巻波、[[大波 (駆逐艦)|大波]]、長波

* 1943年(昭和18年)4月1日 [[ガダルカナル島]]撤退後の編制
* 1943年(昭和18年)4月1日 [[ガダルカナル島]]撤退後の編制
** 艦:神通
** 軽巡洋艦:神通
** 第15駆逐隊{{#tag:Ref|所属3隻(親潮、黒潮、陽炎)が[[コロンバンガラ島]]輸送作戦中に一挙に沈没し{{Sfn|戦史叢書96|1976|pp=160-163|ps=コロンバンガラ輸送―第五回(親潮、黒潮、陽炎)}}、昭和18年6月20日附で解隊{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=115}}。|group="注"}}:黒潮(昭和18年5月8日、沈没){{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=304b-305|ps=黒潮(くろしお)}}、親潮(昭和18年5月8日、沈没){{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=305a|ps=親潮(おやしお)}}、陽炎(昭和18年5月8日、沈没){{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=302b-303|ps=陽炎(かげろう)}}
** 第15駆逐隊:黒潮、親潮、陽炎
** 第24駆逐隊:海風、江風、涼風
** 第24駆逐隊:海風、江風、涼風
** [[夕雲型駆逐艦#駆逐隊の変遷|第31駆逐隊]]:長波、巻波、大波、[[清波 (駆逐艦)|清波]]
** [[夕雲型駆逐艦#駆逐隊の変遷|第31駆逐隊]]:長波、巻波、大波、[[清波 (駆逐艦)|清波]]

* 1943年(昭和18年)7月20日 [[コロンバンガラ島沖海戦]]で二水戦司令部全滅後、第四水雷戦隊統合時<ref>[[#S1806二水戦日誌(1)]]p.33『(六)艦隊編制 聯合艦隊第二艦隊第二水雷戦隊 七月二十日』</ref>
* 1943年(昭和18年)7月20日 [[コロンバンガラ島沖海戦]]で神通が沈没し二水戦司令部全滅後{{Sfn|図解海軍水雷戦隊|1996|pp=182-183|ps=コロンバンガラ島沖夜戦}}、第四水雷戦隊統合時<ref>[[#S1806二水戦日誌(1)]] p.33〔 (六)艦隊編制 聯合艦隊第二艦隊第二水雷戦隊 七月二十日 〕</ref>
** 旗艦:[[長良 (軽巡洋艦)|長良]]
** 軽巡洋艦:[[長良 (軽巡洋艦)|長良]]{{Sfn|写真日本の軍艦(8)軽巡(I)|1990|pp=174a-175|ps=軽巡洋艦『長良・五十鈴・名取』行動年表 ◆長良◆}}
** 第27駆逐隊:[[時雨 (白露型駆逐艦)|時雨]]、[[有明 (初春型駆逐艦)|有明]]、[[白露 (白露型駆逐艦)|白露]]、[[夕暮 (初春型駆逐艦)|夕暮]]
** 第27駆逐隊:[[時雨 (白露型駆逐艦)|時雨]]、[[白露 (白露型駆逐艦)|白露]]、[[有明 (初春型駆逐艦)|有明]]{{#tag:Ref|昭和18年7月28日、[[ニューブリテン島]]輸送作戦で空襲をうけ、駆逐艦[[三日月 (睦月型駆逐艦)|三日月]]と共に沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=290|ps=有明(ありあけ)}}。|group="注"}}、[[夕暮 (初春型駆逐艦)|夕暮]]{{#tag:Ref|昭和18年7月20日、[[コロンバンガラ島]]近海で夜間空襲を受け{{Sfn|戦史叢書96|1976|p=248}}、清波と共に沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=291a|ps=夕暮(ゆうぐれ)}}。|group="注"}}
** 第24駆逐隊:涼風、江風、海風
** 第24駆逐隊:涼風、海風、江風{{#tag:Ref|昭和18年8月6日、[[ベラ湾夜戦]]で沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=296a|ps=江風(かわかぜ)}}。|group="注"}}
** 第31駆逐隊:大波、清波、巻波、長波
** 第31駆逐隊:大波、巻波、長波、清波{{#tag:Ref|昭和18年7月20日、[[コロンバンガラ島]]近海で夜間空襲を受け{{Sfn|戦史叢書96|1976|p=248}}、夕暮と共に沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=318c|ps=清波(きよなみ)}}。|group="注"}}
** 玉波
** 玉波
** 付属:[[島風 (島風型駆逐艦)|島風]]、[[五月雨 (駆逐艦)|五月雨]]、神通
** 付属:[[島風 (島風型駆逐艦)|島風]]、[[五月雨 (駆逐艦)|五月雨]]、神通{{#tag:Ref|昭和18年7月12日、コロンバンガラ島沖海戦で沈没{{Sfn|写真日本の軍艦(9)軽巡(II)|1990|p=37b|ps=神通行動年表}}。|group="注"}}

* 1943年(昭和18年)9月1日 新型軽巡洋艦「[[能代 (軽巡洋艦)|能代]]」編入後の編制。第32駆逐隊は9月30日編入。
* 1943年(昭和18年)9月1日 新型軽巡洋艦「[[能代 (軽巡洋艦)|能代]]」編入後の編制。第32駆逐隊は9月30日編入。
** 軽巡洋艦:能代{{#tag:Ref|8月15日、二水戦に編入{{Sfn|写真日本の軍艦(9)軽巡(II)|1990|p=104a|ps=軽巡洋艦『能代』行動年表}}。|group="注"}}
** 旗艦:能代
** 第24駆逐隊{{#tag:Ref|約半年間で白露型3隻(海風、江風、涼風)が相次いで戦没し、昭和19年3月31日附で解隊<ref name="S19内令510">[[#内令昭和19年3月(5)]] p.39〔 内令第五百十號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年三月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第四駆逐隊ノ項中「野分、舞風、山雲」ヲ「野分、山雲、満潮」ニ改ム|第九駆逐隊ノ項ヲ削ル|第十六駆逐隊ノ項ヲ削ル|第十七駆逐隊ノ項中「濱風」ノ下ニ「、雪風」ヲ加ヘ同項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ|第十八駆逐隊/薄雲、霞、不知火|第二十二駆逐隊ノ項中「、文月」ヲ削ル|第二十四駆逐隊ノ項ヲ削ル 〕</ref>。|group="注"}}:海風{{#tag:Ref|昭和19年2月1日、潜水艦[[ガードフィッシュ (潜水艦)|ガードフィッシュ]]の雷撃で沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=295b-296|ps=海風(うみかぜ)}}。|group="注"}}、涼風{{#tag:Ref|昭和19年1月25日、潜水艦[[スキップジャック (潜水艦)|スキップジャック]]の雷撃で沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=296b-297|ps=涼風(すずかぜ)}}。|group="注"}}、満潮{{#tag:Ref|昭和18年10月31日、編入<ref>[[#内令昭和18年10月(5)]] p.38〔 内令第二千二百四十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月三十一日 海軍大 臣嶋田繁太郎 第九驅逐隊ノ項中「朝雲、」ヲ削ル/第十驅逐隊ノ項中「風雲」ノ下ニ「、朝雲」ヲ加フ/第二十四驅逐隊ノ項中「涼風」ノ下ニ「、満潮」ヲ加フ/第六十一驅逐隊ノ項中「若月」ノ下ニ「、秋月」ヲ加フ 〕</ref>。昭和19年3月31日の第24駆逐隊解隊にともない、第4駆逐隊へ転出<ref name="S19内令510" />。|group="注"}}
** 第24駆逐隊:海風、涼風
** [[初春型駆逐艦#駆逐隊の変遷|第27駆逐隊]]:時雨、白露、[[五月雨 (駆逐艦)|五月雨]]{{#tag:Ref|昭和18年10月1日、第27駆逐隊に編入<ref name="S18内令2035">[[#内令昭和18年10月(1)]] p.11〔 内令第二千三十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎  第二十七驅逐隊ノ項中「時雨」ノ下ニ「、五月雨」ヲ加フ/第三十二驅逐隊ノ項中「早波」ノ下ニ「、玉波」ヲ加フ 〕</ref>。|group="注"}}、[[春雨 (白露型駆逐艦)|春雨]]{{#tag:Ref|昭和18年11月30日、第27駆逐隊に編入<ref>[[#内令昭和18年11月(6)]] p.21〔 内令第二千五百二十一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十一月三十日 海軍大臣 嶋田繁太郎  第二十七驅逐隊ノ項中「五月雨」ノ下ニ「、春雨」ヲ加フ/第三十驅逐隊ノ項中「卯月」ノ下ニ「、夕月」ヲ加フ 〕</ref>。|group="注"}}
** [[初春型駆逐艦#駆逐隊の変遷|第27駆逐隊]]:時雨、白露
** 第31駆逐隊:長波{{#tag:Ref|昭和19年11月11日、[[ラバウル空襲]]で大破{{Sfn|戦史叢書96|1976|pp=414-415|ps=邀撃空戦と艦艇の被害}}。|group="注"}}、巻波{{#tag:Ref|昭和19年11月25日、[[セント・ジョージ岬沖海戦]]{{Sfn|戦史叢書96|1976|pp=429-431|ps=ブカ輸送と「セントジョージ岬沖海戦」}}で大波および夕霧と共に沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=317b|ps=巻波(まきなみ)}}。|group="注"}}、大波{{#tag:Ref|昭和19年11月25日、[[セント・ジョージ岬沖海戦]]で巻波および夕霧と共に沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=318b|ps=大波(おおなみ)}}。|group="注"}}
** 第31駆逐隊:長波、巻波、大波
** 第32駆逐隊:早波、涼波{{#tag:Ref|昭和19年11月11日、ラバウル空襲で沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=319a|ps=涼波(すずなみ)}}。|group="注"}}、藤波、玉波{{#tag:Ref|昭和18年10月1日、第32駆逐隊に編入<ref name="S18内令2035" />。|group="注"}}
** 第32駆逐隊:早波、涼波、藤波
** 島風、五月雨、玉波
** 島風

* 1944年(昭和19年)4月1日 戦時編制制度改定後の編制
* 1944年(昭和19年)4月1日 戦時編制制度改定後の編制
** 艦:能代
** 軽巡洋艦:能代
** 第27駆逐隊:白露{{#tag:Ref|マリアナ沖海戦にむけて補給部隊を護衛中の昭和19年6月15日、タンカーと衝突して沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=291b-292|ps=白露(しらつゆ)}}。|group="注"}}、時雨、五月雨、[[春雨 (白露型駆逐艦)|春雨]]{{#tag:Ref|昭和19年6月8日、[[渾作戦]]で空襲を受け沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=293-294|ps=春雨(はるさめ)}}。|group="注"}}
** 第27駆逐隊:白露、時雨、五月雨、[[春雨 (白露型駆逐艦)|春雨]]
** 第31駆逐隊:長波、[[沖波 (駆逐艦)|沖波]]、[[岸波 (駆逐艦)|岸波]]、[[朝霜 (駆逐艦)|朝霜]]
** 第31駆逐隊:長波、[[沖波 (駆逐艦)|沖波]]、[[岸波 (駆逐艦)|岸波]]、[[朝霜 (駆逐艦)|朝霜]]
** 第32駆逐隊:[[藤波 (駆逐艦)|藤波]]、[[早波 (駆逐艦)|早波]]、[[玉波 (駆逐艦)|玉波]]、[[浜波 (駆逐艦)|浜波]]
** 第32駆逐隊:[[藤波 (駆逐艦)|藤波]]、[[早波 (駆逐艦)|早波]]{{#tag:Ref|昭和19年6月7日、[[タウィタウィ島]]近海で潜水艦[[ハーダー (SS-257)|ハーダー]]の雷撃で沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=320a|ps=早波(はやなみ)}}。|group="注"}}、[[玉波 (駆逐艦)|玉波]]{{#tag:Ref|タンカーと軽巡洋艦[[北上 (軽巡洋艦)|北上]](かつての二水戦旗艦)を護衛中の昭和19年7月7日、マニラ沖合で潜水艦[[ミンゴ (潜水艦)|ミンゴ]]の雷撃で沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=318d-319|ps=玉波(たまなみ)}}。|group="注"}}、[[浜波 (駆逐艦)|浜波]]
** 島風
** 島風

* 1944年(昭和19年)8月15日 [[マリアナ沖海戦]]後の編制
* 1944年(昭和19年)8月15日 [[マリアナ沖海戦]]後の編制
** 軽巡洋艦:能代{{#tag:Ref|昭和19年10月25日、[[レイテ沖海戦]]で空襲を受け沈没した{{Sfn|戦史叢書56|1972|pp=470-471|ps=「能代」の沈没}}。|group="注"}}
** 旗艦:能代
** 第2駆逐隊:[[清霜 (駆逐艦)|清霜]]、[[秋霜 (駆逐艦)|秋霜]]、[[早霜 (駆逐艦)|早霜]]
** 第2駆逐隊:[[清霜 (駆逐艦)|清霜]]、[[秋霜 (駆逐艦)|秋霜]]、[[早霜 (駆逐艦)|早霜]]
** 第27駆逐隊{{#tag:Ref|昭和19年10月10日、解隊。|group="注"}}:時雨、五月雨{{#tag:Ref|昭和19年8月26日、[[パラオ諸島]]で座礁したあと潜水艦[[バットフィッシュ (潜水艦)|バットフィッシュ]]の雷撃で沈没した{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=294|ps=五月雨(さみだれ)}}。|group="注"}}
** 第27駆逐隊:時雨、五月雨
** 第31駆逐隊:長波、沖波、岸波、朝霜
** 第31駆逐隊:長波、沖波、岸波、朝霜
** 第32駆逐隊:藤波{{#tag:Ref|重巡[[鳥海 (重巡洋艦)|鳥海]]の生存者を収容して退避していたが{{Sfn|戦史叢書56|1972|p=482|ps=「藤波」}}、昭和19年10月27日に空襲を受け沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=319b-320|ps=藤波(ふじなみ)}}。|group="注"}}、浜波
** 第32駆逐隊:藤波、玉波、浜波
** 島風
** 島風

* 1944年(昭和19年)11月15日 第一機動艦隊・第三艦隊・第十戦隊解隊と二水戦再編時の編制<ref name="叢書九三34" />
* 1944年(昭和19年)11月15日 第一機動艦隊・第三艦隊・第十戦隊解隊と二水戦再編時の編制{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=34-36|ps=第一機動艦隊、第三艦隊の解隊(十一月十五日)}}
** 旗艦:矢矧(二水戦司令官[[早川幹夫]]少将は11月11日に島風で戦死、矢矧艦長[[吉村真武]]大佐が司令官代理<ref name="叢書九三67" />。島風は第一水雷戦隊に編入)
** 軽巡洋艦:矢矧{{Sfn|写真日本の軍艦(9)軽巡(II)|1990|p=105a|ps=軽巡洋艦『矢矧』行動年表}}{{#tag:Ref|二水戦司令官[[早川幹夫]]少将は11月11日に島風で戦死、矢矧艦長[[吉村真武]]大佐が司令官代理{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=67b-69}}。島風は第一水雷戦隊に編入されているが、11月11日に[[多号作戦]]で沈没している{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=323-324|ps=島風(しまかぜ)}}。|group="注"}}
** 第2駆逐隊:朝霜、清霜、秋霜〈11月13日、マニラで大破着底〉、早霜〈10月26日セミララ島で座礁〉
** 第2駆逐隊:朝霜、清霜、秋霜〈昭和19年11月13日、マニラで大破着底〉{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=322b|ps=秋霜(あきしも)}}、早霜〈昭和19年10月26日、セミララ島で座礁沈没〉{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=322a|ps=早霜(はやしも)}}
** 第17駆逐隊:雪風、浦風、浜風、磯風
** 第17駆逐隊:雪風、浦風、浜風、磯風
** 第41駆逐隊:霜月、涼月、冬月、若月〈11月11日、オルモック湾で沈没〉<ref name="叢書九三30" />
** 第41駆逐隊:霜月、涼月、冬月、若月〈昭和19年11月11日、[[多号作戦]]で沈没〉{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=327-328|ps=若月(わかつき)}}

* 1944年(昭和19年)11月20日<ref name="叢書九三67" /><ref>[[#S1911二水戦日誌(1)]]pp.19-20『11月20日2sd|機密二水戦法令特第一號 艦隊区分左ノ通定ム』</ref> 沈没艦も書類上在籍している
* 1944年(昭和19年)11月20日{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=67b-69}}<ref>[[#S1911二水戦日誌(1)]] pp.19-20〔 11月20日2sd|機密二水戦法令特第一號 艦隊区分左ノ通定ム 〕</ref> 沈没艦も書類上在籍している
** 旗艦:[[矢矧 (軽巡洋艦)|矢矧]]
** 軽巡洋艦:[[矢矧 (軽巡洋艦)|矢矧]]
** 第2駆逐隊:朝霜、清霜、秋霜〈着底状態〉、早霜〈座礁状態〉
** 第2駆逐隊:朝霜、清霜{{#tag:Ref|昭和19年12月26日{{Sfn|戦史叢書56|1972|pp=593-594|ps=「清霜」の沈没}}、[[礼号作戦]]で夜間空襲を受け沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=322c-323|ps=清霜(きよしも)}}。|group="注"}}、秋霜〈着底状態〉、早霜〈座礁状態〉
** [[吹雪型駆逐艦#駆逐隊の変遷|第7駆逐隊]]:[[潮 (吹雪型駆逐艦)|潮]]、霞、[[曙 (吹雪型駆逐艦)|曙]]〈11月13日、マニラで着底状態〉
** [[吹雪型駆逐艦#駆逐隊の変遷|第7駆逐隊]]:[[潮 (吹雪型駆逐艦)|潮]]、霞、[[曙 (吹雪型駆逐艦)|曙]]〈11月13日、マニラで大破着底〉{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=281-282|ps=曙(あけぼの)}}
** 第17駆逐隊:[[浦風 (陽炎型駆逐艦)|浦風]]〈11月21日沈没<ref>[[#叢書93|戦史叢書93巻]]、67頁「第二遊撃部隊のマニラ撤退と第一遊撃部隊の内地回航」</ref>、駆逐隊司令戦死〉、[[浜風 (陽炎型駆逐艦)|浜風]]、[[磯風 (陽炎型駆逐艦)|磯風]]、雪風
** 第17駆逐隊:[[浦風 (陽炎型駆逐艦)|浦風]]{{#tag:Ref|昭和19年11月21日、潜水艦[[シーライオン (SS-315)|シーライオンⅡ]]の雷撃により戦艦[[金剛 (戦艦)|金剛]]と共に撃沈される{{Sfn|戦史叢書93|1976|p=67|ps=第二遊撃部隊のマニラ撤退と第一遊撃部隊の内地回航}}。駆逐隊司令戦死{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=308-309|ps=浦風(うらかぜ)}}。|group="注"}}、[[浜風 (陽炎型駆逐艦)|浜風]]、[[磯風 (陽炎型駆逐艦)|磯風]]、雪風
** 第21駆逐隊:[[初霜 (初春型駆逐艦)|初霜]]、時雨、[[初春 (初春型駆逐艦)|初春]]
** 第21駆逐隊:[[初霜 (初春型駆逐艦)|初霜]]、時雨{{#tag:Ref|[[ヒ87船団]]を護衛中の昭和20年1月24日、潜水艦[[ブラックフィン (潜水艦)|ブラックフィン]]の雷撃で沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=292|ps=時雨(しぐれ)}}。|group="注"}}、[[初春 (初春型駆逐艦)|初春]]〈11月13日、マニラで大破着底〉{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=287-288|ps=初春(はつはる)}}
** 第31駆逐隊:岸波、沖波〈11月13日、マニラで大破着底〉、長波〈11月11日、オルモック湾で沈没〉、浜波〈11月11日、オルモック湾で沈没〉
** 第31駆逐隊:岸波{{#tag:Ref|昭和19年12月4日、潜水艦[[フラッシャー (潜水艦)|フラッシャー]]の雷撃で沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=321a|ps=岸波(きしなみ)}}。|group="注"}}、沖波〈11月13日、マニラで大破着底〉{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=320c-321|ps=沖波(おきなみ)}}、長波〈昭和19年11月11日、多号作戦で沈没〉{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=317a|ps=長波(ながなみ)}}、浜波〈昭和19年11月11日、多号作戦で沈没〉{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=320b|ps=浜波(はまなみ)}}
** [[秋月型駆逐艦#駆逐隊の変遷|第41駆逐隊]]:[[霜月 (駆逐艦)|霜月]]〈11月25日沈没、駆逐隊司令戦死〉、[[冬月 (駆逐艦)|冬月]]、[[涼月 (駆逐艦)|涼月]]、[[若月 (駆逐艦)|若月]]〈沈没〉
** [[秋月型駆逐艦#駆逐隊の変遷|第41駆逐隊]]:[[霜月 (駆逐艦)|霜月]]{{#tag:Ref|昭和19年11月25日、潜水艦[[カヴァラ (潜水艦)|カヴァラ]]の雷撃で沈没し、[[第三十一戦隊]]司令官および駆逐隊司令戦死{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=328|ps=霜月(しもつき)}}。|group="注"}}、[[冬月 (駆逐艦)|冬月]]、[[涼月 (駆逐艦)|涼月]]、[[若月 (駆逐艦)|若月]]〈多号作戦で沈没〉{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=327-328|ps=若月(わかつき)}}
* 1945年(昭和20年)1月10日<ref>[[#S1911二水戦日誌(2)]]pp.29-30『10日2sd|機密二水戦法令第一號 艦隊区分』</ref>

** 旗艦:矢矧
* 1945年(昭和20年)1月10日<ref>[[#S1911二水戦日誌(2)]] pp.29-30〔 10日2sd|機密二水戦法令第一號 艦隊区分 〕</ref>
** 第7駆逐隊:[[響 (吹雪型駆逐艦)|響]]、霞、潮
** 軽巡洋艦:矢矧
** 第17駆逐隊:磯風、濱風、雪風
** 第7駆逐隊:[[響 (吹雪型駆逐艦)|響]]、霞、潮{{#tag:Ref|横須賀で修理中、内海西部の二水戦主力には合同せず{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=282-283|ps=潮(うしお)}}。|group="注"}}
** 第17駆逐隊:磯風、浜風、雪風
** 第21駆逐隊:初霜、朝霜
** 第21駆逐隊:初霜、朝霜
** 第41駆逐隊:冬月、涼月
** 第41駆逐隊:冬月、涼月

* 1945年(昭和20年)3月10日 [[菊水作戦]]直前の編制(最終時の編制)<ref>[[#S2004二水戦日誌(1)]]p.43『(ハ)作戦指導(一)編制區分』</ref>
* 1945年(昭和20年)3月10日 [[菊水作戦]]直前の編制{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=227-228|ps=海上特攻隊の編制と出撃準備}}(最終時の編制)<ref>[[#S2004二水戦日誌(1)]] p.43〔 (ハ)作戦指導(一)編制區分 〕</ref>
** 旗艦:矢矧
** 軽巡洋艦:矢矧{{#tag:Ref|昭和20年4月7日、[[坊ノ岬沖海戦]]で沈没。|group="注"}}
** 第7駆逐隊:潮、響
** 第7駆逐隊:響{{#tag:Ref|昭和20年3月29日に触雷して損傷、沖縄には出撃せず{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=283-285|ps=響(ひびき)}}。|group="注"}}、潮
** 第17駆逐隊:磯風、濱風、雪風
** 第17駆逐隊:磯風{{#tag:Ref|昭和20年4月7日、坊ノ岬沖海戦で損傷、雪風により自沈処分{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=310-311|ps=磯風(いそかぜ)}}。|group="注"}}、浜風(昭和20年4月7日、沈没){{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=311-312|ps=浜風(はまかぜ)}}、雪風
** 第21駆逐隊:初霜、霞、朝霜(3月27日以降司令駆逐艦)
** 第21駆逐隊:初霜、霞{{#tag:Ref|昭和20年4月7日、坊ノ岬沖海戦で損傷、[[冬月 (駆逐艦)|冬月]]により自沈処分{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=302a|ps=霞(かすみ)}}。|group="注"}}、朝霜{{#tag:Ref|3月27日以降司令駆逐艦。昭和20年4月7日、坊ノ岬沖海戦で空襲を受け沈没{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=321b-322|ps=朝霜(あさしも)}}。|group="注"}}
** 第41駆逐隊:冬月、涼月
** 第41駆逐隊:冬月、涼月{{#tag:Ref|昭和20年4月7日、坊ノ岬沖海戦で大破{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=325-326|ps=涼月(すずつき)}}。|group="注"}}
* 1945年(昭和20年)4月20日 解散。以下は4月20日時の駆逐隊編制(残存艦のみ記載)<ref name="叢書八三283" />。

** 旗艦:初霜
* 1945年(昭和20年)4月20日 解隊。以下は4月20日時の駆逐隊編制(残存艦のみ記載){{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=283b-284}}。
** 第7駆逐隊:潮、響
** 第7駆逐隊:潮、響
** 第17駆逐隊:雪風、初霜(4月20日附で第17駆逐隊編入)
** 第17駆逐隊:雪風{{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|pp=307-308|ps=雪風(ゆきかぜ)}}、初霜(4月20日附で第17駆逐隊編入){{Sfn|陽炎型(光人社)|2014|p=121}}
** 第41駆逐隊:冬月、涼月
** 第41駆逐隊:冬月、涼月


173行目: 338行目:
*[[三村錦三郎]]:大正8年12月1日
*[[三村錦三郎]]:大正8年12月1日
*[[桑島省三]]:大正9年12月1日
*[[桑島省三]]:大正9年12月1日
* 【一時解】:大正10年12月1日
* 【一時解】:大正10年12月1日
*[[飯田延太郎]]:大正11年12月1日
*[[飯田延太郎]]:大正11年12月1日
*[[長沢直太郎]]:大正13年12月1日
*[[長沢直太郎]]:大正13年12月1日
194行目: 359行目:
*[[小柳冨次]]:昭和17年12月29日
*[[小柳冨次]]:昭和17年12月29日
**[[藤田俊造]]:昭和18年1月23日(神通艦長)<ref name="S1801二水戦日誌(1)7" />
**[[藤田俊造]]:昭和18年1月23日(神通艦長)<ref name="S1801二水戦日誌(1)7" />
*[[伊崎俊二]]:昭和18年1月21日(着任1月30日)<ref>[[#S1801二水戦日誌(1)]]p.11司令官|少将|小柳冨次|二十三日退隊|(伊崎俊二)|三十日着任</ref>…7月12日[[コロンバンガラ島沖海戦]]で戦死
*[[伊崎俊二]]:昭和18年1月21日(着任1月30日)<ref>[[#S1801二水戦日誌(1)]] p.11司令官|少将|小柳冨次|二十三日退隊|(伊崎俊二)|三十日着任</ref>…7月12日[[コロンバンガラ島沖海戦]]で戦死{{Sfn|戦史叢書96|1976|p=247}}
*[[高間完]]:昭和18年7月20日(第四水雷戦隊解隊にともない、四水戦司令官より転任)
*[[高間完]]:昭和18年7月20日(第四水雷戦隊解隊にともない、四水戦司令官より転任)
*[[早川幹夫]]:昭和18年12月15日(着任12月16日)<ref>[[#S1812二水戦日誌(1)]]p.20司令官|少将|高間完|補第十一水戰司令官、十二月十六日退任-同|同|早川幹夫|十二月十六日着任</ref>…昭和19年11月11日[[多号作戦|オルモック湾海戦]]で戦死<ref name="叢書九三62" />
*[[早川幹夫]]:昭和18年12月15日(着任12月16日)<ref>[[#S1812二水戦日誌(1)]] p.20司令官|少将|高間完|補第十一水戰司令官、十二月十六日退任-同|同|早川幹夫|十二月十六日着任</ref>…昭和19年11月11日[[多号作戦|オルモック湾海戦]]で戦死{{Sfn|戦史叢書56|1972|pp=538-541|ps=二水戦司令官戦死、第二船団全滅}}
**[[吉村真武]]:昭和19年11月11日(矢矧艦長、司令官代理)<ref name="叢書九三67" />
**[[吉村真武]]:昭和19年11月11日(矢矧艦長、司令官代理){{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=67b-69}}
*[[木村昌福]]:昭和19年11月20日(第一水雷戦隊解隊にともない、一水戦隊司令官より転任)<ref name="叢書九三67" /><ref>[[#S1911二水戦日誌(1)]]pp.9-10(1)十一月二十日「リンガ」回航中第一水雷戰隊解隊同隊所属駆逐艦ノ第二水雷戰隊編入ト共ニ本職第二水雷戰隊司令官ニ補職セラレ多號作戰部隊第一警戒部隊指揮官トシテ支援部隊ニ属シ當方面所在二水戰ヲ直接指揮スルコトトナレリ</ref>
*[[木村昌福]]:昭和19年11月20日{{Sfn|戦史叢書93|1976|pp=67b-69}}(第一水雷戦隊解隊にともない、一水戦隊司令官より転任)<ref>[[#S1911二水戦日誌(1)]] pp.9-10(1)十一月二十日「リンガ」回航中第一水雷戰隊解隊同隊所属駆逐艦ノ第二水雷戰隊編入ト共ニ本職第二水雷戰隊司令官ニ補職セラレ多號作戰部隊第一警戒部隊指揮官トシテ支援部隊ニ属シ當方面所在二水戰ヲ直接指揮スルコトトナレリ</ref>
*[[古村啓蔵]]:昭和20年1月3日
*[[古村啓蔵]]:昭和20年1月3日
*昭和20年4月20日解
*昭和20年4月20日解


== 歴代旗艦 ==
== 歴代旗艦 ==
* [[利根 (防護巡洋艦)|利根]](大正3年8月20日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070242600|大正3年8月21日(金)海軍公報 第607号附録 p.46}}〔 ○旗艦指定 第二艦隊司令長官旗艦ヲ八月二十日左ノ通指定セル旨報告アリ 栃内司令官旗艦 磐手 上村司令官旗艦 千歳 岡田司令官旗艦 利根 〕</ref> - )
* [[利根 (防護巡洋艦)|利根]](大正3年8月18日 - )
* [[出雲 (装甲巡洋艦)|出雲]](大正4年12月13日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070247400|大正4年12月16日(水)海軍公報 第1001号 p.30}}〔 ○旗艦變更 第一艦隊司令長官ハ本日旗艦ヲ攝津ヨリ河内ニ變更セリ|○旗艦指定 第二水雷戰隊司令官ハ本月十三日旗艦ヲ出雲ニ指定セリ 〕</ref> - )
* [[出雲 (装甲巡洋艦)|出雲]](大正4年12月13日 - )
* [[吾妻 (装甲巡洋艦)|吾妻]](大正6年1月 - 3月29日<ref name="T公報1374">{{アジア歴史資料センター|C12070254600|大正6年3月30日(金)海軍公報 第1374号 p.22}}〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ本月二十九日旗艦ヲ吾妻ヨリ日進ニ變更セリ 〕</ref> )
* [[吾妻 (装甲巡洋艦)|吾妻]](大正5年12月1日 - )
* [[日進 (装甲巡洋艦)|日進]](大正6年3月29日<ref name="T公報1374" /> - 4月14日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070254700|大正6年4月16日(月)海軍公報 第1386号 p.27}}〔 ○司令部 第二水雷戰隊司令官ハ一昨十四日 日進退艦當分ノ間同隊司令部事務ヲ横須賀水交支社内ニ於テ取扱フ 〕</ref> )
* [[平戸 (防護巡洋艦)|平戸]](大正7年12月1日 - )
** 横須賀[[水交社]]支社(当時の二水戦司令官は[[秋山真之]]少将<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070254800|大正6年4月25日(水)海軍公報 第1394号 p.3}}〔 ○事務所撤去 來ル二十六日ヨリ横須賀水交社支社ニ於ケル當隊ノ司令部事務所ヲ撤ス(第二水雷戰隊司令部) 〕</ref>。 )
* [[天龍 (軽巡洋艦)|天龍]](大正8年12月1日 - )
* [[浅間 (装甲巡洋艦)|浅間]](大正6年4月26日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070254800|大正6年4月26日(木)海軍公報 第1395号 p.5}}〔 ○旗艦變更 第一特務艦隊司令官ハ來ル五月一日旗艦ヲ矢矧ヨリ出雲ニ變更ノ豫定/○旗艦 第二水雷戰隊司令官ハ本日淺間ニ乗艦将旗ヲ掲揚セリ 〕</ref>。秋山少将の転地療養中は将旗を撤去する<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070254900|大正6年5月7日(月)海軍公報第千四百三号 p.16}}〔 ○旗艦變更 第三水雷戰隊司令官ハ本月五日旗艦ヲ肥前ヨリ阿蘇ニ變更セリ|○将旗撤去 第二水雷戰隊司令官ハ轉地療養不在中旗艦淺間ノ将旗ヲ徹セリ 〕</ref>。 )
* [[北上 (軽巡洋艦)|北上]](大正11年12月1日 - )
* [[吾妻 (装甲巡洋艦)|吾妻]](大正6年8月4日〈二水戦編入<ref name="制度4巻34b" />〉 - 大正7年1月25日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070259900|大正7年1月25日(金)海軍公報 第1615号 p.18}}〔 ○将旗撤去 第二水雷戰隊司令官ハ今二十五日旗艦吾妻ノ将旗ヲ撤去セリ|○郵便物發送先(中略)第二水雷戰隊司令部宛 本日以後 呉 軍艦平戸 〕</ref> )
* [[五十鈴 (軽巡洋艦)|五十鈴]](大正13年12月1日 - )
* [[平戸 (防護巡洋艦)|平戸]](大正7年1月26日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070259900|大正7年1月28日(月)海軍公報 第1617号 p.27}}〔 ○旗艦指定 第二水雷戰隊司令官ハ一昨二十六日旗艦ヲ平戸ニ指定セリ 〕</ref> - )
* [[夕張 (軽巡洋艦)|夕張]](大正15年12月10日 - )
* [[千歳 (防護巡洋艦)|千歳]](大正7年7月25日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070261400|大正7年7月26日(金)海軍公報 第1666号 p.15}}〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ本月二十五日旗艦ヲ平戸ヨリ千歳ニ變更セリ 〕</ref> - )
* [[名取 (軽巡洋艦)|名取]](昭和2年12月1日 - )
* 平戸(大正7年8月24日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070261600|大正7年8月26日(月)海軍公報 第1791号 p.31}}〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ一昨二十四日旗艦ヲ千歳ヨリ平戸ニ變更セリ|○事務所移轉 軍艦[[河内 (戦艦)|河内]]引揚方法調査會事務所ハ本月二十三日呉海軍港務部内ニ移轉セリ 〕</ref> - )
* [[鬼怒 (軽巡洋艦)|鬼怒]](昭和3年12月10日 - )
* [[天龍 (軽巡洋艦)|天龍]](大正8年12月1日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070266700|大正8年12月3日(水)海軍公報 第2160号 p.12}}〔 ○郵便物發送先 軍艦淀宛郵便物ハ當分上海日本郵便局氣付トス/第二水雷戰隊司令部宛 本日以後 横須賀軍艦天龍/第一艦隊司令部扶桑宛 本日以後 呉 〕</ref> - )
* [[神通 (軽巡洋艦)|神通]](昭和6年12月1日 - )
* [[北上 (軽巡洋艦)|北上]](大正10年4月18日<ref name="T海軍公報2563">{{アジア歴史資料センター|C12070275700|大正10年4月19日(火)海軍公報 第二千五百六十三号 p.25}}〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ本月十八日旗艦ヲ天龍ヨリ北上ニ變更セリ 〕</ref> - )
* [[那珂 (軽巡洋艦)|那珂]](昭和8年11月15日 - )
* 【一時解隊】: 大正10年12月1日 第二艦隊解隊<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070278200|大正10年12月19日(月)海軍公報 第2763号 p.14}}〔 ○殘務結了 舊第二艦隊殘務本月十六日結了セリ 〕</ref>にともない第二水雷戦隊解隊<ref name="制度4巻37b" />
* 神通(昭和9年11月15日 - )
* 北上(大正11年12月1日<ref name="T海軍公報3045">{{アジア歴史資料センター|C12070283900|大正11年12月2日(土)海軍公報 第3045号 p.43}}〔 ○旗艦指定 第二艦隊司令長官ハ旗艦ヲ金剛ニ、第五戰隊司令官ハ旗艦ヲ名取ニ、第二水雷戰隊司令官ハ旗艦ヲ北上ニ、第二潜水戰隊司令官ハ旗艦ヲ矢矧ニ孰モ本月一日指定セリ 〕</ref> - 大正13年12月1日<ref name="T海軍公報3559" /> )※第二艦隊再編にともない第二水雷戦隊再編<ref name="制度4巻38a" /><ref name="制度4巻39a" />
* 那珂(昭和13年12月15日 - )
** [[川内 (軽巡洋艦)|川内]](大正13年8月29日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070292800|大正13年8月30日(土)海軍公報 第3551号 }}p.5〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ノ旗艦ヲ本月二十九日北上ヨリ川内ニ一時變更セリ(第二艦隊司令長官) 〕</ref> - 9月7日<ref name="T海軍公報3559">{{アジア歴史資料センター|C12070292900|大正13年9月9日(火)海軍公報 第3559号 }}p.31〔 ○旗艦變更 第二艦隊司令長官ハ本月八日旗艦ヲ比叡ヨリ金剛ニ變更セリ|第二水雷戰隊司令官ノ旗艦ヲ本月七日ヨリ北上ニ變更セリ(第二艦隊司令長官) 〕</ref> )
* 神通(昭和14年11月15日 - )
* [[五十鈴 (軽巡洋艦)|五十鈴]](大正13年12月1日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070293600|大正13年12月6日(土)海軍公報 第3631号 p.34}}〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ旗艦ヲ北上ヨリ五十鈴ニ、第二潜水戰隊司令官ハ旗艦ヲ平戸ヨリ[[長鯨 (潜水母艦)|長鯨]]ニ十二月一日孰レモ變更セリ 〕</ref> - )<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070305200|大正15年11月26日(金)海軍公報 第4209号 p.30}}〔 ○郵便物發送先 第二水雷戰隊司令部宛 十一月三十日迄ニ到達見込ノモノハ横須賀(軍艦五十鈴)其ノ後ハ佐世保(軍艦夕張)|○第二水雷戰隊司令部事務ハ本月三十日迄軍艦五十鈴ニ於テ、十二月一日以後ハ軍艦夕張ニ於テ執行ノ豫定(第二水雷戰隊司令部) 〕</ref>
** 駆逐艦[[陽炎 (陽炎型駆逐艦)|陽炎]]([[第二次ソロモン海戦]]で神通中破時)<ref>[[#戦隊行動調書]]p.36『艦在所 8.28←炎陽→8.25』</ref>、重巡洋艦[[衣笠 (重巡洋艦)|衣笠]](駆逐艦輸送作戦指揮時)<ref>[[#戦隊行動調書]]p.36『艦在所 8.31←笠衣→8.28』</ref>、駆逐艦[[夕霧 (吹雪型駆逐艦)|夕霧]](トラック泊地回航時)<ref>[[#戦隊行動調書]]p.36『艦在所 9.2←霧夕→8.31』</ref>、神通(応急修理待機時)<ref>[[#戦隊行動調書]]p.36『艦在所 9.25←通神→9.2』</ref>
* [[夕張 (軽巡洋艦)|夕張]](大正15年12月1日<ref name="T海軍公報4214">{{アジア歴史資料センター|C12070305600|大正15年12月2日(木)海軍公報 第4214号 p.3}}〔 ○旗艦指定 第二艦隊司令長官ハ本月一日旗艦ヲ金剛ニ、第二水雷戰隊司令官ノ旗艦ヲ夕張ニ孰モ指定セリ 〕</ref> - )
* 五十鈴(昭和17年9月26日 - )<ref>[[#S1709二水戦日誌(1)]]p.3『九月二十六日旗艦ヲ神通ヨリ五十鈴ニ變更』</ref>
* [[名取 (軽巡洋艦)|名取]](昭和2年12月1日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070311200|昭和2年12月3日(土)海軍公報 第277号 p.7}}〔 ○旗艦變更 第二艦隊司令長官ハ本月一日第五戰隊司令官ノ旗艦ヲ加古ヨリ衣笠ニ、第二水雷戰隊司令官ノ旗艦ヲ夕張ヨリ名取ニ變更セリ 〕</ref> - )
** 駆逐艦[[早潮 (駆逐艦)|早潮]]([[第三次ソロモン海戦]]時)、[[長波 (駆逐艦)|長波]]([[ルンガ沖夜戦]]等)<ref name="S1801二水戦日誌(1)7" />、[[照月 (駆逐艦)|照月]](ドラム缶輸送時)、[[黒潮 (駆逐艦)|黒潮]](ドラム缶輸送時)<ref name="S1801二水戦日誌(1)7" />
* [[鬼怒 (軽巡洋艦)|鬼怒]](昭和3年12月10日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070317200|昭和3年12月11日(火)海軍公報 第581号 pp.39-40}}〔 ○旗艦變更 第一艦隊司令長官ハ本月十日旗艦ヲ長門ヨリ山城ニ變更セリ/第二艦隊司令長官ハ本月十日長官旗艦ヲ金剛ヨリ榛名ニ、第二水雷戰隊司令官旗艦ヲ名取ヨリ鬼怒ニ變更セリ 〕</ref> - )
* 神通(昭和18年1月23日 - )<ref name="S1801二水戦日誌(1)7" />
* [[長良 (軽巡洋艦)|長良]](昭和18720 - )<ref>[[#S1806二水戦(1)]]p.26『()4sd兵力ノ2sd編入竝ニ旗艦ノ變更』</ref>
* [[神通 (軽巡洋艦)|神通]](昭和6121{{Sfn|写真本の軍艦(9)軽巡(II)|1990|p=37b|ps=神通行動年表}} - )
* [[那珂 (軽巡洋艦)|那珂]](昭和8年11月15日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070339200|昭和8年11月17日(金)海軍公報 第2029号 p.7}}〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ神通ヨリ那珂ニ、第一潜水戰隊司令官ハ[[迅鯨 (潜水母艦)|迅鯨]]ヨリ[[長鯨 (潜水母艦)|長鯨]]ニ一昨十五日旗艦ヲ孰モ變更セリ 〕</ref> - )
* [[能代 (軽巡洋艦)|能代]](昭和18年8月15日 - )<ref>[[#S1806二水戦日誌(2)]]pp.3-4『(二)能代ノ2sd編入(旗艦豫定)及長良ノ8F編入豫定ニ關聯長良ハ急速内地ニ回航修理ノ事トナリ九日「トラック」發十四日呉着 十五日附能代2sd編入ニヨリ同日旗艦變更』</ref>
* 神通(昭和9年11月15日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070345500|昭和9年11月15日(木)海軍公報 第2322号 p.46}}〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ本十五日旗艦ヲ那珂ヨリ神通ニ變更セリ 〕</ref> - )
** 重巡洋艦[[高雄 (重巡洋艦)|高雄]](昭和19年2月14日 - 22日)<ref name="S1812二水戦(4)5" />、重巡洋艦[[鳥海 (重巡洋艦)|鳥海]](昭和19年2月22日 - )<ref name="S1812二水戦(4)5" />
* 那珂(昭和10年11月15日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070352600|昭和10年11月16日(土)海軍公報第2616号 p.1}}〔 ○旗艦變更 第二艦隊司令長官ハ鳥海ヨリ妙高ニ、第三艦隊司令長官ハ[[球磨 (軽巡洋艦)|球磨]]ヨリ[[出雲 (装甲巡洋艦)|出雲]]ニ、第一潜水戰隊司令官ハ多摩ヨリ迅鯨ニ、第二水雷戰隊司令官ハ神通ヨリ那珂ニ、第二潜水戰隊司令官ハ由良ヨリ鬼怒ニ、第二航空戰隊司令官ハ赤城ヨリ加賀ニ、第五水雷戰隊司令官ハ龍田ヨリ夕張ニ旗艦ヲ昨十五日變更セリ 〕</ref> - )
** 駆逐艦[[浜波 (駆逐艦)|浜波]](昭和19年10月26日、能代沈没後)、駆逐艦[[島風 (島風型駆逐艦)|島風]](11月11日[[多号作戦]]で沈没、早川司令官戦死)<ref name="叢書九三62" />
* 神通(昭和11年12月3日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070358700|昭和11年12月4日(金)海軍公報 第2925号 p.36}}〔 ○将旗掲揚 第二水雷戰隊司令官ハ本月三日神通ニ将旗ヲ掲揚セリ 〕</ref> - )
* 那珂(昭和13年12月15日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070376200|昭和13年12月23日(金)海軍公報(部内限)第3094号 p.18}}〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ十二月十五日旗艦ヲ神通ヨリ那珂ニ變更セリ|○殘務整理 第三驅逐隊ノ殘務整理ハ驅逐艦島風ニ於テ行フ 〕</ref> - )
* 神通(昭和14年11月15日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070381900|昭和14年11月15日(水)海軍公報(部内限)第3361号 p.35}}〔 ○将旗移揚 第二水雷戰隊司令官ハ十一月十五日将旗ヲ那珂ヨリ神通ニ移揚セリ 〕</ref> - 昭和17年9月26日<ref>[[#S1709二水戦日誌(1)]] p.3〔 九月二十六日旗艦ヲ神通ヨリ五十鈴ニ變更 〕</ref> )
** 駆逐艦[[夏潮 (駆逐艦)|夏潮]](昭和16年4月8日<ref name="S海軍公報3768">{{アジア歴史資料センター|C12070394200|昭和16年4月11日(金)海軍公報(部内限)第3768号 p.43}}〔 ○旗艦指定 第三艦隊司令長官ハ四月十日旗艦ヲ長良ニ指定セリ|○将旗一時移揚 第二水雷戰隊司令官ハ四月八日将旗ヲ一時夏潮ニ移揚セリ|○司令驅逐艦一時變更 第十五驅逐隊司令ハ四月八日司令驅逐艦ヲ一時夏潮ニ變更セリ 〕</ref> - 4月15日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070394300|昭和16年4月18日(金)海軍公報(部内限)第3774号 p.33}}〔 ○将旗掲揚 第四航空戰隊司令官ハ四月十四日将旗ヲ龍驤ニ掲揚セリ|○将旗一時移揚 第三潜水戰隊司令官ハ四月八日一時将旗ヲ伊號第八潜水艦ニ移揚、同十三日五十鈴ニ復歸セリ|○将旗復歸 第二水雷戰隊司令官ハ四月十五日将旗ヲ神通ニ復歸セリ|○司令驅逐艦指定 第四驅逐隊司令ハ四月一日嵐ニ指定セリ|○司令驅逐艦一時變更 第十八驅逐隊司令ハ四月十三日司令驅逐艦ヲ一時霰ヨリ不知火ニ變更セリ 〕</ref> )
** 駆逐艦[[朝潮 (朝潮型駆逐艦)|朝潮]](昭和16年7月30日<ref name="S海軍公報3862">{{アジア歴史資料センター|C12070402300|昭和16年8月4日(月)海軍公報(部内限)第3862号 p.24}}〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ七月三十日旗艦ヲ神通ヨリ朝潮ニ變更セリ/第一航空艦隊司令長官ハ八月一日旗艦ヲ赤城ニ變更セリ 〕</ref> - 8月14日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070402500|昭和16年8月18日(月)海軍公報(部内限)第3874号 p.8}}〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ八月十四日旗艦ヲ朝潮ヨリ神通ニ變更セリ 〕</ref> )
** 駆逐艦[[天津風 (陽炎型駆逐艦)|天津風]](昭和16年9月16日 - 9月24日)<ref name="S海軍公報3910">{{アジア歴史資料センター|C12070397600|昭和16年9月30日(火)海軍公報(部内限)第3910号 p.25}}〔 ○代将旗一時移揚 第二水雷戰隊司令官ハ九月十六日代将旗ヲ一時天津風ニ移揚、同二十四日神通ニ復歸セリ|○旗艦變更 第二艦隊司令長官ハ九月二十五日旗艦ヲ高雄ヨリ摩耶ニ變更セリ/第一水雷戰隊司令官ハ九月二十六日旗艦ヲ暁ヨリ阿武隈ニ變更セリ/第一航空艦隊司令長官ハ九月二十七日旗艦ヲ赤城ヨリ加賀ニ變更セリ 〕</ref>
** 駆逐艦[[陽炎 (陽炎型駆逐艦)|陽炎]]{{Sfn|戦史叢書49|1971|p=587}}([[第二次ソロモン海戦]]で神通中破時)<ref>[[#戦隊行動調書]] p.36〔 艦在所 8.28←炎陽→8.25 〕</ref>
** 重巡洋艦[[衣笠 (重巡洋艦)|衣笠]](駆逐艦輸送作戦指揮時)<ref>[[#戦隊行動調書]] p.36〔 艦在所 8.31←笠衣→8.28 〕</ref>
** 駆逐艦[[夕霧 (吹雪型駆逐艦)|夕霧]]{{Sfn|戦史叢書83|1975|p=33}}(トラック泊地回航時<ref>[[#戦隊行動調書]] p.36〔 艦在所 9.2←霧夕→8.31 〕</ref>。その後はトラック泊地で応急修理中の神通<ref>[[#戦隊行動調書]] p.36〔 艦在所 9.25←通神→9.2 〕</ref> )
* 五十鈴(昭和17年9月26日<ref>{{アジア歴史資料センター|C12070423100|昭和17年10月14日(水)海軍公報(部内限)第4219号 p.32}}〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ九月二十六日旗艦ヲ五十鈴ニ變更セリ 〕</ref> - )
** 駆逐艦[[早潮 (駆逐艦)|早潮]]([[第三次ソロモン海戦]]時){{Sfn|戦史叢書83|1975|p=379}}
** 駆逐艦[[長波 (駆逐艦)|長波]]([[ルンガ沖夜戦]]等){{Sfn|戦史叢書83|1975|p=433}}
** 駆逐艦[[照月 (駆逐艦)|照月]](ドラム缶輸送時){{Sfn|戦史叢書83|1975|p=441}}
** 駆逐艦[[黒潮 (駆逐艦)|黒潮]](ドラム缶輸送時){{Sfn|戦史叢書83|1975|p=513}}
* 神通(昭和18年1月23日<ref name="S1801二水戦日誌(1)7" /> - 7月12日沈没{{Sfn|戦史叢書96|1976|p=238}} )
* [[長良 (軽巡洋艦)|長良]](昭和18年7月20日<ref>[[#S1806二水戦日誌(1)]] p.26〔 (一)4sd兵力ノ2sd編入竝ニ旗艦ノ變更 〕</ref> - 8月15日<ref name="S1806二水戦p3">[[#S1806二水戦日誌(2)]] pp.3-4〔 (二)能代ノ2sd編入(旗艦豫定)及長良ノ8F編入豫定ニ關聯長良ハ急速内地ニ回航修理ノ事トナリ九日「トラック」發十四日呉着 十五日附能代2sd編入ニヨリ同日旗艦變更 〕</ref> )
* [[能代 (軽巡洋艦)|能代]](昭和18年8月15日<ref name="S1806二水戦p3" /> - 昭和19年10月26日沈没{{Sfn|戦史叢書56|1972|pp=470-471|ps=「能代」の沈没}} )
** 重巡洋艦[[高雄 (重巡洋艦)|高雄]](昭和19年2月14日 - )<ref name="S1812二水戦(4)5" />
** 重巡洋艦[[鳥海 (重巡洋艦)|鳥海]](昭和19年2月22日より<ref name="S1812二水戦(4)5" />。軽巡[[能代 (軽巡洋艦)|能代]]は昭和19年4月9日にリンガ泊地到着{{Sfn|写真日本の軍艦(9)軽巡(II)|1990|p=104b|ps=能代行動年表}}。 )
* 駆逐艦[[浜波 (駆逐艦)|浜波]](昭和19年10月26日、能代沈没後){{Sfn|戦史叢書56|1972|p=471}}
** 戦艦[[大和 (戦艦)|大和]](昭和19年10月30日から11月1日にかけて、ブルネイ泊地で二水戦司令部が臨時に滞在{{Sfn|戦史叢書56|1972|p=521a|ps=二水戦のマニラ進出}} )
* 駆逐艦[[清霜 (駆逐艦)|清霜]](昭和19年11月1日 - 11月4日){{Sfn|戦史叢書56|1972|p=521b}}
* 駆逐艦[[島風 (島風型駆逐艦)|島風]](昭和19年11月4日{{Sfn|戦史叢書56|1972|p=521b}} - 11月11日[[多号作戦]]で沈没{{Sfn|戦史叢書102|1980|p=265|ps=昭和19年(1944年)11月10日}}、早川司令官戦死)
* [[矢矧 (軽巡洋艦)|矢矧]](昭和19年12月5日 - )※内海で待機、第二水雷戦隊司令官・二水戦司令部とも矢矧には乗艦せず。
* [[矢矧 (軽巡洋艦)|矢矧]](昭和19年12月5日 - )※内海で待機、第二水雷戦隊司令官・二水戦司令部とも矢矧には乗艦せず。
** 駆逐艦[[霞 (朝潮型駆逐艦)|霞]](昭和19年11月20日 - 11月29日)<ref>[[#S1911二水戦日誌(1)]]p.11十一月二十九日一六〇〇将旗ヲ潮ニ移揚ス</ref>駆逐艦[[潮 (吹雪型駆逐艦)|潮]](11月29日 - 12月9日)<ref>[[#戦隊行動調書]]p.37艦在所 12.9←潮→11.27</ref>駆逐艦[[清霜 (駆逐艦)|清霜]](12月9日)<ref name="S1911二水戦(1)12">[[#S1911二水戦日誌(1)]]p.12…清霜亦急速整備ヲ完了シ十二月九日将旗ヲ之ニ移揚「リンガ」ニ進出ス即日将旗ヲ朝霜ニ揚ス</ref>駆逐艦[[朝霜 (駆逐艦)|朝霜]](12月9日 - 14日)<ref name="S1911二水戦(1)12" /><ref>[[#S1911二水戦日誌(1)]]p.12朝霜探照燈反射鏡破損シ之ガ換装ノ爲十一日昭南ニ回航整備ノ上十二日「リンガ」出撃ノ2YBニ合同北上十三日初霜霞ヲ合同十四日「カムラン」着将旗ヲ大淀ニ移揚ス</ref>
** 駆逐艦[[霞 (朝潮型駆逐艦)|霞]](昭和19年11月20日 - 11月29日)<ref>[[#S1911二水戦日誌(1)]] p.11十一月二十九日一六〇〇将旗ヲ潮ニ移揚ス</ref>
** 駆逐艦[[潮 (吹雪型駆逐艦)|潮]](11月29日 - 12月9日)<ref>[[#戦隊行動調書]] p.37艦在所 12.9←潮→11.27</ref>
** 駆逐艦[[清霜 (駆逐艦)|清霜]](12月9日)<ref name="S1911二水戦(1)12">[[#S1911二水戦日誌(1)]] p.12…清霜亦急速整備ヲ完了シ十二月九日将旗ヲ之ニ移揚「リンガ」ニ進出ス即日将旗ヲ朝霜ニ揚ス</ref>
** 駆逐艦[[朝霜 (駆逐艦)|朝霜]](12月9日 - 14日)<ref name="S1911二水戦(1)12" /><ref>[[#S1911二水戦日誌(1)]] p.12朝霜探照燈反射鏡破損シ之ガ換装ノ爲十一日昭南ニ回航整備ノ上十二日「リンガ」出撃ノ2YBニ合同北上十三日 初霜 霞ヲ合同十四日「カムラン」着将旗ヲ大淀ニ移揚ス</ref>
* [[大淀 (軽巡洋艦)|大淀]](昭和19年12月14日 - 昭和20年1月1日)<ref>[[#S1911二水戦日誌(1)]]p.17備考(略)三.十二月十四日以降一時将旗ヲ大淀ニ掲揚ス大淀ノ行動朝霜ニ同シ-p.61二八(天候略)二〇三〇将旗ヲ大淀ニ移揚ス</ref>
* [[大淀 (軽巡洋艦)|大淀]](昭和19年12月14日 - 昭和20年1月1日)<ref>[[#S1911二水戦日誌(1)]] p.17備考(略)三.十二月十四日以降一時将旗ヲ大淀ニ掲揚ス大淀ノ行動朝霜ニ同シ-p.61二八(天候略)二〇三〇将旗ヲ大淀ニ移揚ス</ref>
* [[霞 (駆逐艦)|霞]](昭和20年1月1日 - 2月23日)([[礼号作戦]]、[[北号作戦]]時)<ref>[[#戦隊行動調書]]p.37艦在所 2.23←霞→20.1.1』</ref><ref>[[#S1911二水戦日誌(2)]]p.10(1)一日昭南歸着将旗ヲ大淀ヨリ霞ニ復歸ス</ref>
** 駆逐艦[[霞 (駆逐艦)|霞]](昭和20年1月1日 - 2月23日)([[礼号作戦]]、[[北号作戦]]時)<ref>[[#戦隊行動調書]] p.37艦在所 2.23←霞→20.1.1 〕、[[#S1911二水戦日誌(2)]] p.10(1)一日昭南歸着将旗ヲ大淀ヨリ霞ニ復歸ス</ref>
* 矢矧(昭和20年2月23日 - )<ref>[[#戦隊行動調書]]p.37艦在所 2.23←矧矢→4.7</ref>
* 矢矧(昭和20年2月23日 - 4月7日沈没)<ref>[[#戦隊行動調書]] p.37艦在所 2.23←矧矢→4.7</ref>
* [[初霜 (初春型駆逐艦)|初霜]](矢矧沈没後、昭和20年4月7日 - 4月20日)
* 駆逐艦[[初霜 (初春型駆逐艦)|初霜]](矢矧沈没後、昭和20年4月7日 - 4月20日)

==脚注==
{{reflist|2}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
<!-- 著者五十音順 -->
*<!--ホウエイチョウ93 -->{{Cite book|和書|author=防衛庁防衛研修所戦史室|title=戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<7> {{small|―戦争最終期―}}|volume=第93巻|year=1976|month=3|publisher=朝雲新聞社|ref=叢書93}}
*<!-- オオクマ2016-10 -->{{Cite book|和書|author=大熊安之助ほか|authorlink=|year=2016|month=10|title=海軍水雷戦隊 {{small|駆逐艦と魚雷と軽巡が織りなす大海戦の実相}}|publisher=潮書房光人社|isbn=978-4-7698-1629-4|ref={{SfnRef|海軍水雷戦隊|2016}}}}
**(86-92頁){{small|元十九駆逐隊付・海軍主計大尉}}小池英策『伝家の宝刀"夜戦"こそ連合艦隊の必勝法 {{small|虚々実々の駆引きと猛訓練でレーダーに対した太平洋海戦五年の記録}}』
**(93-102頁){{small|元第二艦隊参謀長・海軍少将}}小柳冨次『艦隊決戦に放った雄大無比の一斉魚雷戦 {{small|根っからの水雷屋提督が綴る艦隊決戦に果たす軽巡の役割と魚雷戦}}』
**(103-112頁){{small|元「矢矧」艦長・海軍大佐}}原為一『日本海軍水雷戦隊の"魚雷戦法"入門 {{small|酸素魚雷を擁し米軍をふるえあがらせた水雷戦術と勝利の秘密}}』
**(113-124頁){{small|元大本営海軍部主席副官・海軍大佐}}有田雄三『近代海戦の尖兵"水雷屋"誕生秘話 {{small|軍縮条約の制約を克服すべく質の向上に邁進した精強水雷戦隊の八十年}}』
**(200-210頁){{small|元二水戦首席参謀・海軍大佐}}遠山安巳『米海軍を驚倒させた田中式駆逐艦戦法 {{small|"水雷屋の神様"と称されて神業を発揮した田中頼三少将の素顔}}』
**(232-261頁){{small|当時二水戦司令官・海軍少将}}田中頼三、{{small|当時二水戦首席参謀・海軍中佐}}遠山安巳『水雷戦隊の雄"二水戦"司令官と参謀の回想 {{small|勇将のもと戦闘に護衛に輸送に獅子奮迅した精強戦隊の戦歴と素顔}}』
**(262-267頁)「丸」編集部『二水戦旗艦「神通」ソロモンに全員戦死す {{small|探照灯を照射、集中砲火を浴びた火の玉軽巡のコロンバンガラ沖夜戦}}』
**(268-275頁){{small|当時「島風」機関長・海軍少佐}}上村嵐『第二水雷戦隊旗艦「島風」最後の疾走 {{small|機関長が第三次オルモック輸送で体験した快足駆逐艦の撃沈遭難記}}』
**(276-287頁){{small|当時二水戦機関参謀・海軍少佐}}大迫吉二『最新鋭水雷戦隊旗艦「矢矧」非情の海に死す {{small|二水戦旗艦のはかなくも悲しき最後をみとった機関参謀の手記}}』
*<!-- シゲモト2014-10 -->{{Cite book|和書|author=重本俊一ほか|year=2014|month=10|title=陽炎型駆逐艦 {{small|水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦}}|publisher=潮書房光人社|isbn=978-4-7698-1577-8|ref={{SfnRef|陽炎型(光人社)|2014}}}}
**(62-75頁){{small|戦史研究家}}山内隆『駆逐艦の発達五十年 {{small|生い立ちから防空直衛艦や戦時急造艦をうむにいたるまでの進歩変遷の歩み}}』
**(76-97頁){{small|元海軍造船官・海軍技術大佐}}牧野茂『日本駆逐艦造船論 {{small|造船技術界の至宝が自ら手がけた駆逐艦の長所短所を明かす建造秘録}}』
**(109-123頁){{small|戦史研究家}}落合康夫『駆逐隊別「陽炎型駆逐艦」全作戦行動ダイアリィ {{small|第四、第十五、第十六、第十七、第十八駆逐隊 太平洋奮迅録}}』
**(255-342頁){{small|戦史研究家}}伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 {{small|太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後}}』
*<!-- ハヤシ2016-10 -->{{Cite book|和書|author1=林譲治(文)|author2=吉原昌宏(画)|date=1996-09|title={{small|コンバットAtoZシリーズ4}} 図解 海軍水雷戦隊|publisher=並木書房|isbn=4-89063-073-2|ref={{SfnRef|図解海軍水雷戦隊|1996}}}}
*<!--ホウエイチョウ38 -->{{Cite book|和書|author=防衛庁防衛研修所戦史室|title=戦史叢書 中部太平洋方面海軍作戦<1> {{small|昭和17年5月まで}}|volume=第38巻|year=1970|month=10|publisher=[[朝雲新聞社]]|ref={{SfnRef|戦史叢書38|1970}}}}
*<!--ホウエイチョウ49 -->{{Cite book|和書|author=防衛庁防衛研修所戦史室|title=戦史叢書 南東方面海軍作戦<1> {{small|ガ島奪還作戦開始まで}}|volume=第49巻|year=1971|month=9|publisher=朝雲新聞社|ref={{SfnRef|戦史叢書49|1971}}}}
*<!--ホウエイチョウ56 -->{{Cite book|和書|author=防衛庁防衛研修所戦史室|title=戦史叢書 海軍捷号作戦<2> {{small|フィリピン沖海戦}}|volume=第56巻|year=1972|month=6|publisher=朝雲新聞社|ref={{SfnRef|戦史叢書56|1972}}}}
*<!--ホウエイチョウ83 -->{{Cite book|和書|author=防衛庁防衛研修所戦史室|title=戦史叢書 南東方面海軍作戦<2> {{small|ガ島撤収まで}}|volume=第83巻|year=1975|month=8|publisher=朝雲新聞社|ref={{SfnRef|戦史叢書83|1975}}}}
*<!--ホウエイチョウ91 -->{{Cite book|和書|author=防衛庁防衛研修所戦史室|title=戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<1> {{small|―開戦まで―}}|volume=第91巻|year=1975|month=12|publisher=朝雲新聞社|ref={{SfnRef|戦史叢書91|1975}}}}
*<!--ホウエイチョウ93 -->{{Cite book|和書|author=防衛庁防衛研修所戦史室|title=戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<7> {{small|―戦争最終期―}}|volume=第93巻|date=1976-03|publisher=朝雲新聞社|ref={{SfnRef|戦史叢書93|1976}}}}
*<!--ホウエイチョウ96 -->{{Cite book|和書|author=防衛庁防衛研修所戦史室|title=戦史叢書 南東方面海軍作戦<3> {{small|ガ島撤収後}}|volume=第96巻|year=1976|month=8|publisher=朝雲新聞社|ref={{SfnRef|戦史叢書96|1976}}}}
*<!--ホウエイチョウ102 -->{{Cite book|和書|author=防衛庁防衛研修所戦史室|title=戦史叢書 陸海軍年表 {{small|付 兵器・兵語の解説}}|volume=第102巻|year=1980|month=1|publisher=朝雲新聞社|ref={{SfnRef|戦史叢書102|1980}}}}
*<!--マル1990-8巻-->{{Cite book|和書|editor=雑誌『[[丸 (雑誌)|丸]]』編集部/編|year=1990|month=3|title=写真 日本の軍艦 {{small|軽巡I}} 天龍型・球磨型・夕張・長良型|volume=第8巻|publisher=光人社|isbn=4-7698-0458-X|ref={{SfnRef|写真日本の軍艦(8)軽巡(I)|1990}}}}
*<!--マル1990-9巻-->{{Cite book|和書|editor=雑誌『[[丸 (雑誌)|丸]]』編集部/編|year=1990|month=4|title=写真 日本の軍艦 {{small|軽巡II}} 川内型・阿賀野型・大淀・香取型 砲艦|volume=第9巻|publisher=光人社|isbn=4-7698-0459-8|ref={{SfnRef|写真日本の軍艦(9)軽巡(II)|1990}}}}

*[http://dl.ndl.go.jp/ 国立国会図書館デジタルコレクション] - [[国立国会図書館]]
**{{Cite book|和書|author=海軍大臣官房|year=1939|month=|title=海軍制度沿革. 巻4(1939年印刷)|publisher=海軍大臣官房|url={{NDLDC|1886711}}|ref=海軍制度沿革(巻4、1939)}}


* [https://www.jacar.go.jp/index.html アジア歴史資料センター(公式)](防衛省防衛研究所)
* [https://www.jacar.go.jp/index.html アジア歴史資料センター(公式)](防衛省防衛研究所)
**Ref.{{Cite book|和書|author=C12070089800|title=昭和3年達完/6月|ref=達昭和3年6月}}
**Ref.{{Cite book|和書|author=C12070181100|title=昭和18年9~10月 内令4巻/昭和18年10月(1)|ref=内令昭和18年10月(1)}}
**Ref.{{Cite book|和書|author=C12070181500|title=昭和18年9~10月 内令4巻/内令昭和18年10月(5)|ref=内令昭和18年10月(5)}}
**Ref.{{Cite book|和書|author=C12070182500|title=昭和18年11~12月 内令 5巻/昭和18年11月(6)|ref=内令昭和18年11月(6)}}
**Ref.{{Cite book|和書|author=C12070196900|title=昭和19年1月~7月 内令/昭和19年3月(5)|ref=内令昭和19年3月(5)}}
**Ref.{{Cite book|和書|author=C08051772000|title=昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書|ref=戦隊行動調書}}
**Ref.{{Cite book|和書|author=C08051772000|title=昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書|ref=戦隊行動調書}}
**Ref.{{Cite book|和書|author=C08030097200|title=昭和17年9月1日~昭和17年10月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)|ref=S1709二水戦日誌(1)}}
**Ref.{{Cite book|和書|author=C08030097200|title=昭和17年9月1日~昭和17年10月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)|ref=S1709二水戦日誌(1)}}
254行目: 476行目:
**Ref.{{Cite book|和書|author=C08030103100|title=昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)|ref=S2004二水戦日誌(2)}}
**Ref.{{Cite book|和書|author=C08030103100|title=昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)|ref=S2004二水戦日誌(2)}}
**Ref.{{Cite book|和書|author=C08030103200|title=昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)|ref=S2004二水戦日誌(3)}}
**Ref.{{Cite book|和書|author=C08030103200|title=昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)|ref=S2004二水戦日誌(3)}}

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注|2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[水雷戦隊]]
*[[水雷戦隊]]
*[[漸減邀撃作戦]]
*[[第二艦隊 (日本海軍)]]


{{gunji-stub}}
{{デフォルトソート:たいにすいらいせんたい}}
{{デフォルトソート:たいにすいらいせんたい}}
[[Category:大日本帝国海軍の艦隊|すいらいせんたい02]]
[[Category:大日本帝国海軍の艦隊|すいらいせんたい02]]

2020年2月27日 (木) 04:38時点における版

第二水雷戦隊(だいにすいらいせんたい)は、日本海軍の部隊の一つ。略称は二水戦(にすいせん)[1]。略字は2Sd[2]

概要

第二水雷戦隊は、日本海軍の水雷戦隊漸減邀撃作戦における前進部隊に位置づけられた第二艦隊に属し[3][4]、最前線の攻撃部隊として活動した[5]。 最初の第二水雷戦隊は、1914年(大正3年)8月18日に第一次世界大戦に備えた戦時編制で初めて編制された[6]装甲巡洋艦もしくは二等巡洋艦(防護巡洋艦軽巡洋艦)が旗艦を務め、樺型駆逐艦磯風型駆逐艦などの駆逐隊、最終時は峯風型駆逐艦で編制された駆逐隊を指揮した。第一次世界大戦終結後の1921年(大正10年)12月1日、第二艦隊と共に解隊された[7]

二代目の第二水雷戦隊は、1922年(大正11年)12月1日に編制された[8](旗艦北上[9])。当初は軽巡洋艦と並型駆逐艦(神風型睦月型)で編制されていた。 1928年(昭和3年)12月10日より、5,500トン型軽巡(長良型川内型)と吹雪型駆逐艦(特型駆逐艦)[10]の組み合わせとなった[11][12]。常に最新鋭艦が所属したが、太平洋戦争発起後に空母機動部隊の直衛をおこなう第十戦隊が編制されると(陽炎型駆逐艦夕雲型駆逐艦秋月型駆逐艦主力)[13]、二水戦には旧式艦も配備されるようになった。

1943年(昭和18年)7月12日のコロンバンガラ島沖海戦で、第二水雷戦隊司令部は旗艦「神通」沈没時に全滅した[14]。日本海軍は第四水雷戦隊の司令部と戦力(軽巡長良、駆逐艦時雨五月雨など)を二水戦に転用し、従来の二水戦艦艇(駆逐艦長波など)を統合して再建した。この時点で、二水戦は初春型駆逐艦白露型駆逐艦夕雲型駆逐艦島風型駆逐艦の混成部隊となった。

1944年(昭和19年)10月下旬のレイテ沖海戦で、第二水雷戦隊は旗艦「能代」と麾下駆逐艦多数を喪失する[15]。つづいてレイテ島地上戦にともなう多号作戦(増援輸送作戦)で多数の駆逐艦が沈没し、さらに11月11日には第二水雷戦隊旗艦「島風」が沈没、二水戦司令部は再び全滅した[16]。そこで大本営は第一水雷戦隊司令官木村昌福少将と一水戦司令部を二水戦に転用し、第二水雷戦隊を再建した[17]。また第十戦隊の解隊により、同隊に所属していた陽炎型駆逐艦秋月型駆逐艦が二水戦に増強された[18]

日本海軍最後の水上艦作戦行動となった1945年(昭和20年)4月7日の坊ノ岬沖海戦で、第二水雷戦隊は主力艦艇を喪失する[19][20]。4月20日、二水戦は第二艦隊や第一航空戦隊と共に解隊された[21]。残存艦艇は第三十一戦隊に編入された[22]。また第二艦隊に所属していた第三十一戦隊と第十一水雷戦隊は連合艦隊附属となった[22][23]

解説

誕生

日清戦争における威海衛夜襲日露戦争における日本海海戦の夜間雷撃戦を通じ、日本海軍は小型艦艇(駆逐艦水雷艇)による水雷戦術の威力を認識した[24]イギリス海軍の駆逐艦(水雷戦隊)は「敵艦襲撃」「主力艦隊の防御」という二つの性格を持っていたのに対し、日本海軍は主力艦の兵力差を埋めるため駆逐艦(水雷戦隊)の攻撃力を重視した[25]。 1914年(大正3年)8月18日、ドイツへの宣戦布告に備えて戦時編制を組んだ際に、第一艦隊[注 1]に属する第一水雷戦隊(旗艦音羽)とともに[27]、第二艦隊[注 2]用に第二水雷戦隊を編制した[6]日独戦争において、第二艦隊は青島攻略作戦での海上封鎖等に参加した[29]

同年12月1日、日本海軍は艦隊平時編制を施行し、戦隊単位まで兵力を規定した[30]。 1915年(大正4年)12月1日から1919年(大正8年)8月8日まで適用された艦隊平時編制標準では、主力部隊である第一艦隊麾下に第一水雷戦隊と第四水雷戦隊が、遊撃部隊である第二艦隊麾下に第二水雷戦隊が、予備隊としての性格をもつ第三艦隊[31]麾下に第三水雷戦隊が編制されていた[注 3]

位置付け

1922年(大正11年)12月1日(大正十二年度)から昭和五年度までの日本海軍の艦隊平時編制の標準は以下のようなものであり、1933年(昭和8年)5月19日まで適用された[33]。艦の整備や人員不足のため、年度によっては編成されない戦隊や艦隊もあった[34]航空母艦(航空戦隊)や基地航空隊の発足、各種艦艇の充実、担任海域の拡大や国際情勢の変化により、艦隊平時編制標準は常に改定されている[35][36]

  • 第一艦隊
    • 第一戦隊、第二戦隊、第三戦隊、第一水雷戦隊、第一潜水戦隊
  • 第二艦隊
    • 第四戦隊、第五戦隊、第二水雷戦隊、第二潜水戦隊
  • 第三艦隊
    • 第六戦隊、第三水雷戦隊、第三潜水戦隊
  • 第一遣外艦隊
  • 第二遣外艦隊
  • 練習艦隊

日本海軍が想定していた日米艦隊決戦において、水雷戦隊は戦艦部隊に匹敵する対米戦の機軸戦力になりつつあった[37]。決戦部隊は主力部隊(第一艦隊を基幹とする戦艦部隊)と[38]、前進部隊(第二艦隊司令長官を指揮官とする重巡洋艦と水雷戦隊)[4]に区分されていた[5]。前進部隊に所属する第二水雷戦隊には、強力な装備と長大な航続力が要求された。このため、漸減邀撃作戦が瓦解した真珠湾攻撃以後も、第二水雷戦隊には強力な装備を誇る駆逐艦が投入された。また水雷戦隊独力による敵警戒部隊の排除・突破ならびに敵主力艦隊への雷撃は不可能であったため、水雷戦隊に重巡洋艦戦隊を組み合わせて運用することになった[39][40]。 太平洋戦争開戦時の夜戦部隊は、第二艦隊司令長官(夜戦部隊指揮官)直率部隊(高雄型重巡洋艦4隻の第四戦隊)、支援隊(金剛型戦艦4隻の第三戦隊)、第一夜戦隊(妙高型重巡洋艦3隻の第五戦隊、第二水雷戦隊)、第二夜戦隊(最上型重巡洋艦4隻の第七戦隊、第四水雷戦隊)、第三夜戦群(古鷹型青葉型重巡洋艦の第六戦隊、第一水雷戦隊)、第二夜戦隊(利根型重巡洋艦2隻の第八戦隊、第三水雷戦隊)であった[41]

太平洋戦争において、第二水雷戦隊が初めて大規模海戦に臨んだのはスラバヤ沖海戦であった[42]。第五戦隊(那智羽黒)の支援下で第二水雷戦隊と第四水雷戦隊がABDA艦隊に対し魚雷戦をおこなうが、酸素魚雷の早爆などで課題を残した[43]。その後の二水戦に大規模海戦を行う機会は訪れず、局地輸送に従事した[44]ガダルカナル島への鼠輸送において生起したのがルンガ沖夜戦[45]コロンバンガラ島近海で生起したのがコロンバンガラ島沖海戦であった[46]

1944年(昭和19年)10月下旬のレイテ沖海戦で日本海軍水上艦部隊が壊滅すると、11月15日附で第十戦隊が解隊され[47]、所属駆逐隊は第一水雷戦隊と第二水雷戦隊に編入された[18]。ところが4日前の11月11日、第二水雷戦隊司令部はレイテ島地上戦にともなう増援輸送作戦「多号作戦」で、旗艦「島風」沈没時に全滅状態になっていた[48](二水戦司令官早川幹夫少将戦死)[49]。そこで11月20日附で第一水雷戦隊(司令官木村昌福少将)を解隊し、司令官・司令部職員とも第二水雷戦隊に転用して二水戦を再建した[50]。兵力不足となった第五艦隊には、松型駆逐艦主力の第三十一戦隊を編入した[50]

その後、第二艦隊(旗艦「大和」)には1945年(昭和20年)3月15日に第三十一戦隊(司令官鶴岡信道少将、旗艦「花月」)が編入された[51]。4月1日、訓練練成部隊の第十一水雷戦隊(司令官高間完少将、旗艦「酒匂」、松型駆逐艦多数)が第二艦隊に編入された[52]。 4月7日、坊ノ岬沖海戦で出撃した第一遊撃部隊(第一航空戦隊〈大和〉、第二水雷戦隊)は主力艦艇を喪失する[53]。 4月20日、日本海軍は第一航空戦隊、第二艦隊[3]、第二水雷戦隊を解隊する[22]。第二艦隊所属だった第三十一戦隊と第十一水雷戦隊は連合艦隊附属となった[52][22]。また第二水雷戦隊残存部隊は第三十一戦隊に編入された[22]

所属した駆逐艦の特性

編制当初の日本海軍は、最初に導入した東雲型から神風型までの三等駆逐艦がだぶついている一方、一等駆逐艦は海風型しかなく、二等駆逐艦も桜型とその量産型の樺型が量産中であったために参加できず、2個水雷戦隊はやむなく三等駆逐艦だけで編制した。1915年(大正4年)12月13日、一等・二等駆逐艦の量産が一段落したことから、ようやく第二水雷戦隊に一等・二等駆逐艦が供給された。以後、第二水雷戦隊には、峯風型[54]神風型睦月型吹雪型朝潮型陽炎型夕雲型島風型と、最新・最強の駆逐艦が投入された他、配属された兵員も練度が高い精鋭が集められた為、華の二水戦と謳われた。一例として1939年(昭和14年)11月15日の艦隊編制における二水戦は朝潮型駆逐艦陽炎型駆逐艦で統一され[55]、これまで二水戦の主力だった吹雪型駆逐艦は第四水雷戦隊(1939年11月15日新編)と第三水雷戦隊(1940年5月1日新編)にまわされた[56][57]

一方、最終防衛線で主力の戦艦を護衛する第一水雷戦隊には、第二水雷戦隊ほどの強力な武装を要求されなかった。このため、第二水雷戦隊に新型が導入されたために追い出された型落ちの駆逐艦(たとえば、吹雪型就役のために陳腐化した神風型や睦月型。朝潮型や陽炎型就役のため旧式化した吹雪型)が回されたり、もとより最前線での使用を考えられていなかった樅型若竹型などの二等駆逐艦、期待された性能に届かなかった初春型白露型[58]は第一水雷戦隊でデビューした。それでも、第一水雷戦隊は、世代が違うほど旧式化した老朽駆逐艦をかき集めた第三水雷戦隊第五水雷戦隊第六水雷戦隊などからみれば、充実した戦力を保有していたといえる。

太平洋戦争の激化にともない駆逐艦の消耗が激しくなると、初春型や白露型も第二水雷戦隊へ順次編入され、最終時の二水戦は吹雪型(初雪型)、初春型、白露型、朝潮型(満潮型)、陽炎型(不知火型)、夕雲型、秋月型の寄せ集めとなった。 坊ノ岬沖海戦直前の4月6日午前9時、草鹿龍之介連合艦隊参謀長は各部隊に対し、二水戦所属駆逐艦を「月型2隻〈冬月、涼月〉、磯風型3隻〈雪風、磯風、浜風〉、若葉型3隻〈初霜、朝霜、霞〉」と説明している[59]。 同日午後1時30分頃の電文では、誤爆・誤突入を避けるための艦型識別説明において、護衛駆逐艦を秋月型駆逐艦2隻(冬月、涼月)、夕雲型駆逐艦6隻(磯風、雪風、浜風、霞、初霜、朝霜)と説明している[注 4]。 戦艦「大和」、軽巡洋艦「矢矧」と共に沖縄へ出撃した第二水雷戦隊所属駆逐艦の艦型は、秋月型2隻(冬月涼月)、初春型1隻(初霜)、満潮型1隻()、不知火型(陽炎型)3隻(磯風雪風浜風)、夕雲型1隻(朝霜)だった[19]

旗艦の特性

黎明期の水雷艇や駆逐艦は居住性や航続力に限界があり、貨客船を改造した水雷母艦が水雷戦隊の旗艦を兼ねていた[61][62]第一次世界大戦当時、イギリス海軍は水雷戦隊旗艦として大型駆逐艦(嚮導駆逐艦)を開発した[63]。日本海軍は巡洋艦を旗艦とする方針を当初より採り、新編時は防護巡洋艦利根を旗艦に当てた[64]。 とはいうものの、巡洋艦には最前線の洋上単独偵察という本来の任務があるため、最新鋭の巡洋艦を水雷戦隊旗艦の任務に充てるわけにはいかなかった。 1914年(大正3年)8月18日の第二水雷戦隊新編から半年も経たずに利根は第六戦隊へ転出し[65]、第二水雷戦隊旗艦は装甲巡洋艦出雲となった[66]。 その後も装甲巡洋艦吾妻日進浅間など、日露戦争時代の装甲巡洋艦で乗り切っている[67]

このような流れの中で、日露戦争以降の日本海軍はアメリカ海軍を仮想敵とし、太平洋上における艦隊決戦の構想を固める[61]。また大正元年度大演習では、日中に水雷戦隊を運用する可能性が認識された[68]。そこで、英海軍のスカウト(偵察艦)の流れをくむ一連の二等巡洋艦(軽巡洋艦)を水雷戦隊の旗艦とし、駆逐隊を指揮させることになった[68]。この構想下における水雷戦隊の旗艦には「水雷戦隊を率いるための速力と通信能力」「艦隊に随伴するための航続力」「敵艦隊に肉薄するための砲撃力と雷撃能力」が求められ[69][70]、従来の貨客船改造型母艦では到底勤まらなくなっていた[71]。 まず1918年(大正7年)1月下旬に筑摩型防護巡洋艦平戸が二水戦に編入された[72]。駆逐艦の性能向上にともない筑摩型の能力不足が目立つようになり[73]天龍型軽巡洋艦が建造された[68]。つづいてアメリカ海軍のオマハ級軽巡洋艦を意識して、天龍型の拡大型である5,500トン型軽巡洋艦(球磨型長良型川内型)が竣工し、順次第二水雷戦隊に編入されていった[74]。5,500t型軽巡からは、艦載機による索敵も可能となった[74]。また昭和2年度の第二水雷戦隊は軽巡洋艦夕張[75]および神風型駆逐艦睦月型駆逐艦で統一され、最新・最精鋭の水雷戦隊となった[76]。 なお、遭遇戦では巡洋艦の強力な武装による敵水雷戦隊の制圧、逆に頑強な防御力を頼みにした囮役が期待された。現に、太平洋戦争時には、神通川内らが敵軍の集中攻撃を受けているうちに、味方水雷戦隊の雷撃が成功している例がある。ただし日米艦隊決戦下における水雷戦隊は重巡洋艦部隊と共に四個夜戦隊で二個夜戦群を編成し、重巡洋艦戦隊もしくは金剛型戦艦が敵警戒部隊を排除したあと水雷戦隊が突撃する想定であった[77]。第二水雷戦隊(軽巡1、駆逐艦16)と共に第1夜戦隊を編成する戦隊は、妙高型重巡洋艦3隻(妙高那智羽黒)で編制された第五戦隊である[77][注 5]

こうして世界有数の軽巡洋艦戦力を擁するようになった日本海軍だが、日本の国力では後継艦の建造が思うに任せなかった[74]。太平洋戦争時の5,500t型軽巡はすでに旧式化していたが、阿賀野型の就役までは第一線に立たざるを得なかった[74]。また、本来の旗艦が損傷や修理で二水戦本隊と別行動になった場合、重巡洋艦衣笠(第二次ソロモン海戦で神通損傷時)[79]、重巡洋艦高雄(二水戦司令部の横須賀~パラオ回航時)と鳥海(能代横須賀修理時、2月中旬~4月上旬)[80]が二水戦旗艦となった。

平時においても、駆逐艦を臨時の水雷戦隊旗艦とすることがあった[81][82][83]。太平洋戦争に突入すると、米軍の制空権下で対空火器の貧弱な5,500t型(二水戦においては神通五十鈴長良)を運用するのは困難だったため、戦場に突入する場合は朝潮型駆逐艦(礼号作戦北号作戦〉)、陽炎型(早潮〈第三次ソロモン海戦〉、黒潮〈鼠輸送時〉)、夕雲型(長波〈ルンガ沖夜戦〉、浜波〈能代沈没後〉)、島風型(島風〈多号作戦〉)、秋月型(照月〈鼠輸送時〉)などの駆逐艦が第二水雷戦隊旗艦を務めることも多かった。なお第二水雷戦隊解隊式は初春型駆逐艦初霜艦上でおこなわれた。

編制の沿革

  • 1917年(大正6年)12月1日(内令249号[67]。大正6年12月から大正7年12月にかけての変遷)、2個特務艦隊編制のため削減
  • 1918年(大正7年)12月1日(内令388号[111]。大正7年12月から大正8年12月までの変遷)。
  • 1920年(大正9年)12月1日(内令460号[120]。大正9年12月から大正10年12月までの変遷。)球磨型軽巡洋艦がデビュー。
    • 軽巡洋艦:天龍(大正10年4月18日、二水戦旗艦を北上に譲る[123]。4月20日、二水戦より削除[7]。予備艦となる[124]。)
    • 軽巡洋艦:北上[7](大正10年4月18日、編入[125]。同日附で二水戦旗艦となる[123]。)
    • 第2駆逐隊[126]:澤風、峯風、矢風、沖風
    • 第5駆逐隊[127]羽風島風秋風(大正10年9月1日編入)、灘風(大正10年9月30日編入)
    • 第14駆逐隊[128][129]:谷風、江風、(大正9年12月25日編入)、(大正9年12月25日編入)

※ 1921年(大正10年)12月1日[7]第二艦隊解隊[130]にともない、第二水雷戦隊も解隊。12月6日、残務整理終了[131]

  • 1924年(大正13年)12月1日(内令294号)[141]
    • 軽巡洋艦:五十鈴[142]
    • 第1駆逐隊[143]:野風、沼風、波風、第一号駆逐艦(2代目神風)
    • 第4駆逐隊[144]:羽風、秋風、太刀風、帆風
    • 第5駆逐隊[145]:第三号(朝風)、第五号(春風)、第七号(松風)、第九号駆逐艦(旗風)
  • 1929年(昭和4年)11月30日(内令275号)[168]。1930年(昭和5年)12月1日附の艦隊編制でも同編制(鬼怒、第11駆逐隊、第12駆逐隊、第19駆逐隊)[169][170]
    • 軽巡洋艦:鬼怒
    • 第11駆逐隊[171]:吹雪、白雪、初雪、深雪
    • 第12駆逐隊[172]:叢雲、東雲、薄雲、白雲
    • 第19駆逐隊[173]磯波浦波敷波(昭和4年12月24日編入)、綾波(昭和5年4月30日編入)
  • 1934年(昭和9年)11月15日(内令476号)[192]
    • 軽巡洋艦:神通[193]
    • 第6駆逐隊[194]:雷、電、響
    • 第10駆逐隊[195]:狭霧、漣、暁
    • 第19駆逐隊[196]:浦波、敷波、綾波
    • 第20駆逐隊[197]:東雲、吹雪、磯波
  • 1935年(昭和10年)11月15日(内令458号)[198]
    • 軽巡洋艦:那珂[199]
    • 第6駆逐隊[200]:雷、電、響
    • 第8駆逐隊[201]:天霧、朝霧
    • 第19駆逐隊[202]:浦波、磯波、綾波
    • 第20駆逐隊[203]:東雲、吹雪、磯波
  • 1936年(昭和11年)12月1日。第20駆逐隊が解隊され、吹雪は第11駆逐隊[204]、東雲は第12駆逐隊[205]、磯波は第20駆逐隊[206]に編入。
    • 軽巡洋艦:神通[193]
    • 第7駆逐隊[207]:曙、朧、潮
    • 第8駆逐隊[208]:天霧、朝霧、夕霧
    • 第19駆逐隊[206]:磯波、浦波、敷波、綾波
  • 1938年(昭和13年)12月15日
    • 軽巡洋艦:那珂[199]
    • 第8駆逐隊:朝霧、夕霧、天霧
    • 第11駆逐隊:吹雪、白雪、初雪
  • 1941年(昭和16年)12月10日[216]。太平洋戦争開戦時の編制
    • 軽巡洋艦:神通
    • 第8駆逐隊:朝潮、大潮、満潮、荒潮
    • 第15駆逐隊:黒潮、親潮、早潮、夏潮[注 18]
    • 第16駆逐隊:初風、雪風、天津風、時津風
    • 第18駆逐隊:霞、霰、陽炎、不知火
  • 1942年(昭和17年)4月10日 セイロン沖海戦後の編制
    • 軽巡洋艦:神通
    • 第15駆逐隊:黒潮、親潮、早潮
    • 第16駆逐隊:初風、雪風、天津風、時津風
    • 第18駆逐隊:霞、霰[注 19]、陽炎、不知火
  • 1943年(昭和18年)1月31日 五十鈴の転出[225]、神通の二水戦復帰[229]、新司令官伊崎俊二少将着任時[230]の編制
    • 軽巡洋艦:神通[注 28]
    • 第15駆逐隊:陽炎、黒潮、親潮
    • 第24駆逐隊:涼風、江風、海風
    • 第31駆逐隊:巻波、大波、長波
  • 1943年(昭和18年)4月1日 ガダルカナル島撤退後の編制
    • 軽巡洋艦:神通
    • 第15駆逐隊[注 29]:黒潮(昭和18年5月8日、沈没)[232]、親潮(昭和18年5月8日、沈没)[233]、陽炎(昭和18年5月8日、沈没)[234]
    • 第24駆逐隊:海風、江風、涼風
    • 第31駆逐隊:長波、巻波、大波、清波
  • 1944年(昭和19年)11月15日 第一機動艦隊・第三艦隊・第十戦隊解隊と二水戦再編時の編制[18]
    • 軽巡洋艦:矢矧[262][注 55]
    • 第2駆逐隊:朝霜、清霜、秋霜〈昭和19年11月13日、マニラで大破着底〉[264]、早霜〈昭和19年10月26日、セミララ島で座礁沈没〉[265]
    • 第17駆逐隊:雪風、浦風、浜風、磯風
    • 第41駆逐隊:霜月、涼月、冬月、若月〈昭和19年11月11日、多号作戦で沈没〉[266]
  • 1945年(昭和20年)1月10日[280]
    • 軽巡洋艦:矢矧
    • 第7駆逐隊:、霞、潮[注 61]
    • 第17駆逐隊:磯風、浜風、雪風
    • 第21駆逐隊:初霜、朝霜
    • 第41駆逐隊:冬月、涼月
  • 1945年(昭和20年)4月20日 解隊。以下は4月20日時の駆逐隊編制(残存艦のみ記載)[22]
    • 第7駆逐隊:潮、響
    • 第17駆逐隊:雪風[288]、初霜(4月20日附で第17駆逐隊編入)[289]
    • 第41駆逐隊:冬月、涼月

歴代司令官

歴代旗艦

参考文献

  • 大熊安之助ほか『海軍水雷戦隊 駆逐艦と魚雷と軽巡が織りなす大海戦の実相』潮書房光人社、2016年10月。ISBN 978-4-7698-1629-4 
    • (86-92頁)元十九駆逐隊付・海軍主計大尉小池英策『伝家の宝刀"夜戦"こそ連合艦隊の必勝法 虚々実々の駆引きと猛訓練でレーダーに対した太平洋海戦五年の記録
    • (93-102頁)元第二艦隊参謀長・海軍少将小柳冨次『艦隊決戦に放った雄大無比の一斉魚雷戦 根っからの水雷屋提督が綴る艦隊決戦に果たす軽巡の役割と魚雷戦
    • (103-112頁)元「矢矧」艦長・海軍大佐原為一『日本海軍水雷戦隊の"魚雷戦法"入門 酸素魚雷を擁し米軍をふるえあがらせた水雷戦術と勝利の秘密
    • (113-124頁)元大本営海軍部主席副官・海軍大佐有田雄三『近代海戦の尖兵"水雷屋"誕生秘話 軍縮条約の制約を克服すべく質の向上に邁進した精強水雷戦隊の八十年
    • (200-210頁)元二水戦首席参謀・海軍大佐遠山安巳『米海軍を驚倒させた田中式駆逐艦戦法 "水雷屋の神様"と称されて神業を発揮した田中頼三少将の素顔
    • (232-261頁)当時二水戦司令官・海軍少将田中頼三、当時二水戦首席参謀・海軍中佐遠山安巳『水雷戦隊の雄"二水戦"司令官と参謀の回想 勇将のもと戦闘に護衛に輸送に獅子奮迅した精強戦隊の戦歴と素顔
    • (262-267頁)「丸」編集部『二水戦旗艦「神通」ソロモンに全員戦死す 探照灯を照射、集中砲火を浴びた火の玉軽巡のコロンバンガラ沖夜戦
    • (268-275頁)当時「島風」機関長・海軍少佐上村嵐『第二水雷戦隊旗艦「島風」最後の疾走 機関長が第三次オルモック輸送で体験した快足駆逐艦の撃沈遭難記
    • (276-287頁)当時二水戦機関参謀・海軍少佐大迫吉二『最新鋭水雷戦隊旗艦「矢矧」非情の海に死す 二水戦旗艦のはかなくも悲しき最後をみとった機関参謀の手記
  • 重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8 
    • (62-75頁)戦史研究家山内隆『駆逐艦の発達五十年 生い立ちから防空直衛艦や戦時急造艦をうむにいたるまでの進歩変遷の歩み
    • (76-97頁)元海軍造船官・海軍技術大佐牧野茂『日本駆逐艦造船論 造船技術界の至宝が自ら手がけた駆逐艦の長所短所を明かす建造秘録
    • (109-123頁)戦史研究家落合康夫『駆逐隊別「陽炎型駆逐艦」全作戦行動ダイアリィ 第四、第十五、第十六、第十七、第十八駆逐隊 太平洋奮迅録
    • (255-342頁)戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後
  • 林譲治(文)、吉原昌宏(画)『コンバットAtoZシリーズ4 図解 海軍水雷戦隊』並木書房、1996年9月。ISBN 4-89063-073-2 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 中部太平洋方面海軍作戦<1> 昭和17年5月まで』 第38巻、朝雲新聞社、1970年10月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南東方面海軍作戦<1> ガ島奪還作戦開始まで』 第49巻、朝雲新聞社、1971年9月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍捷号作戦<2> フィリピン沖海戦』 第56巻、朝雲新聞社、1972年6月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南東方面海軍作戦<2> ガ島撤収まで』 第83巻、朝雲新聞社、1975年8月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<1> ―開戦まで―』 第91巻、朝雲新聞社、1975年12月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<7> ―戦争最終期―』 第93巻、朝雲新聞社、1976年3月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南東方面海軍作戦<3> ガ島撤収後』 第96巻、朝雲新聞社、1976年8月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 陸海軍年表 付 兵器・兵語の解説』 第102巻、朝雲新聞社、1980年1月。 
  • 雑誌『』編集部/編 編『写真 日本の軍艦 軽巡I 天龍型・球磨型・夕張・長良型』 第8巻、光人社、1990年3月。ISBN 4-7698-0458-X 
  • 雑誌『』編集部/編 編『写真 日本の軍艦 軽巡II 川内型・阿賀野型・大淀・香取型 砲艦』 第9巻、光人社、1990年4月。ISBN 4-7698-0459-8 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C12070089800『昭和3年達完/6月』。 
    • Ref.C12070181100『昭和18年9~10月 内令4巻/昭和18年10月(1)』。 
    • Ref.C12070181500『昭和18年9~10月 内令4巻/内令昭和18年10月(5)』。 
    • Ref.C12070182500『昭和18年11~12月 内令 5巻/昭和18年11月(6)』。 
    • Ref.C12070196900『昭和19年1月~7月 内令/昭和19年3月(5)』。 
    • Ref.C08051772000『昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。 
    • Ref.C08030097200『昭和17年9月1日~昭和17年10月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。 
    • Ref.C08030100200『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。 
    • Ref.C08030101000『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。 
    • Ref.C08030101100『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。 
    • Ref.C08030101800『昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。 
    • Ref.C08030102100『昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。 
    • Ref.C08030102400『昭和19年11月20日~昭和19年12月30日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。 
    • Ref.C08030102500『昭和19年11月20日~昭和19年12月30日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。 
    • Ref.C08030102600『昭和19年11月20日~昭和19年12月30日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。 
    • Ref.C08030102700『昭和19年11月20日~昭和19年12月30日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。 
    • Ref.C08030103000『昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。 
    • Ref.C08030103100『昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。 
    • Ref.C08030103200『昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。 

脚注

注釈

  1. ^ 当時の第一艦隊旗艦は巡洋戦艦金剛であった[26]
  2. ^ 当時の第二艦隊旗艦は巡洋戦艦鞍馬[28]もしくは戦艦周防[26]であった。
  3. ^ 第一艦隊と第二艦隊は主力部隊として「本邦、支那、東亜露領沿海及特ニ令セラレタル海面」を行動、第三艦隊は旧式艦が集められ「本邦及支那沿海並揚子江流域」を担任する[32]。第一艦隊(第一戦隊:戦艦4隻、第二戦隊:戦艦・巡洋戦艦戦隊・巡洋艦4隻、第一水雷戦隊:巡洋艦1隻・駆逐隊4隊、第四水雷戦隊:巡洋艦もしくは海防艦1隻、潜水艇隊2隊)、第二艦隊(第三戦隊:巡洋戦艦4隻、第四戦隊:巡洋艦4隻、第二水雷戦隊:巡洋艦1隻・駆逐隊4隊)、第三艦隊(第五戦隊:戦艦・巡洋戦艦4隻、第六戦隊:戦艦・巡洋戦艦・巡洋艦4隻、第七戦隊:巡洋艦・海防艦・砲艦8隻、第三水雷戦隊:巡洋艦1隻・駆逐隊4隊)、練習艦隊(巡洋艦4隻)。
  4. ^ (昭和20年4月6日1338、連合艦隊参謀長発)[60]〔 一.海上特攻隊ノ行動ニ関聯彼我ノ艦艇ノ混淆錯綜ヲ豫期サルヽ所我ガ飛行機ハ味方艦艇ニ接近セザル如ク注意セシムルト共ニ右特攻隊ノ兵力行動及艦型ノ特徴ヲ全搭乗員ニ教示徹底セシメ味方識別ニ関シ遺憾ナキ様期セラレ度/二.艦艇ノ側方識別ニ当リテハ先ズ檣樓及煙突ニ着眼スルモノトシ識別要点左ノ通(艦型名隻数特徴順トシ二重括弧内ハ其ノ類似艦ノ特徴ヲ示ス)
  5. ^ 妙高型の第五戦隊は1940年(昭和15年)5月1日に重巡那智羽黒で新編された[56]。妙高型重巡3番艦の足柄第二遣支艦隊旗艦を務めていたが、日米開戦前に第三艦隊旗艦となり[78]、太平洋戦争開戦時は第十六戦隊に所属していた[57]
  6. ^ 当時の第二艦隊司令長官は加藤定吉中将、旗艦は戦艦周防(元ロシア帝国海軍のペレスヴェート級戦艦ポペーダ」)であった[26]
  7. ^ 大正3年12月1日、駆逐隊より削除[87]。大正4年4月1日、再編入[89]
  8. ^ 大正3年12月1日、駆逐隊より削除[91]
  9. ^ 大正3年12月1日、駆逐隊より削除[91]
  10. ^ 大正6年5月5日、編入[104]
  11. ^ 大正6年4月1日、第16駆逐隊からも削除[67]
  12. ^ 大正6年4月1日、第1駆逐隊は磯風型駆逐艦で再編された[108]
  13. ^ 大正8年2月1日、第3駆逐隊は江風型駆逐艦で再編された[117]。同年11月1日、第3駆逐隊は第14駆逐隊へ改称した[117]
  14. ^ 大正9年5月29日、駆逐艦澤風峯風で新編された[121]
  15. ^ 大正12年1月6日編入、昭和3年8月1日附で2代目の神風[133]と改名される。
  16. ^ 昭和15年1月27日、陽炎型駆逐艦3番艦黒潮と陽炎型8番艦雪風の2隻で新編、同時に二水戦へ編入[212]
  17. ^ 昭和15年11月15日、第16駆逐隊から除かれ第15駆逐隊に編入される[215]
  18. ^ 昭和17年2月9日、スラウェシ島マカッサル沖合で潜水艦の雷撃を受け大破、曳航中に沈没[217]
  19. ^ 昭和17年7月5日、キスカ島で潜水艦グロウラーに撃沈される(7月5日の海戦[218]
  20. ^ 昭和17年8月25日、第二次ソロモン海戦で空襲を受け中破[219]
  21. ^ 霰が沈没、霞と不知火が大破して作戦不能となり、昭和17年9月15日附で解隊[220]
  22. ^ 第18駆逐隊の大損害にともない昭和17年7月20日附で第15駆逐隊へ転出[220]
  23. ^ 昭和17年7月5日の海戦においてグロウラーの雷撃で大破、船体切断[221]
  24. ^ 昭和17年7月5日の海戦においてグロウラーの雷撃で大破、船体切断[222]
  25. ^ 6月下旬に潜水艦ノーチラスの雷撃で沈没[223]、二水戦編入は書類上の措置。
  26. ^ 昭和17年11月24日[226]ラエ沖合で夜間空襲を受け沈没[227]
  27. ^ 昭和17年10月1日附で第31駆逐隊に編入、11月30日にルンガ沖夜戦で沈没[228]
  28. ^ 呉海軍工廠での修理を終え、1月16日附で二水戦編入[193]
  29. ^ 所属3隻(親潮、黒潮、陽炎)がコロンバンガラ島輸送作戦中に一挙に沈没し[231]、昭和18年6月20日附で解隊[212]
  30. ^ 昭和18年7月28日、ニューブリテン島輸送作戦で空襲をうけ、駆逐艦三日月と共に沈没[237]
  31. ^ 昭和18年7月20日、コロンバンガラ島近海で夜間空襲を受け[238]、清波と共に沈没[239]
  32. ^ 昭和18年8月6日、ベラ湾夜戦で沈没[240]
  33. ^ 昭和18年7月20日、コロンバンガラ島近海で夜間空襲を受け[238]、夕暮と共に沈没[241]
  34. ^ 昭和18年7月12日、コロンバンガラ島沖海戦で沈没[193]
  35. ^ 8月15日、二水戦に編入[242]
  36. ^ 約半年間で白露型3隻(海風、江風、涼風)が相次いで戦没し、昭和19年3月31日附で解隊[243]
  37. ^ 昭和19年2月1日、潜水艦ガードフィッシュの雷撃で沈没[244]
  38. ^ 昭和19年1月25日、潜水艦スキップジャックの雷撃で沈没[245]
  39. ^ 昭和18年10月31日、編入[246]。昭和19年3月31日の第24駆逐隊解隊にともない、第4駆逐隊へ転出[243]
  40. ^ 昭和18年10月1日、第27駆逐隊に編入[247]
  41. ^ 昭和18年11月30日、第27駆逐隊に編入[248]
  42. ^ 昭和19年11月11日、ラバウル空襲で大破[249]
  43. ^ 昭和19年11月25日、セント・ジョージ岬沖海戦[250]で大波および夕霧と共に沈没[251]
  44. ^ 昭和19年11月25日、セント・ジョージ岬沖海戦で巻波および夕霧と共に沈没[252]
  45. ^ 昭和19年11月11日、ラバウル空襲で沈没[253]
  46. ^ 昭和18年10月1日、第32駆逐隊に編入[247]
  47. ^ マリアナ沖海戦にむけて補給部隊を護衛中の昭和19年6月15日、タンカーと衝突して沈没[254]
  48. ^ 昭和19年6月8日、渾作戦で空襲を受け沈没[255]
  49. ^ 昭和19年6月7日、タウィタウィ島近海で潜水艦ハーダーの雷撃で沈没[256]
  50. ^ タンカーと軽巡洋艦北上(かつての二水戦旗艦)を護衛中の昭和19年7月7日、マニラ沖合で潜水艦ミンゴの雷撃で沈没[257]
  51. ^ 昭和19年10月25日、レイテ沖海戦で空襲を受け沈没した[258]
  52. ^ 昭和19年10月10日、解隊。
  53. ^ 昭和19年8月26日、パラオ諸島で座礁したあと潜水艦バットフィッシュの雷撃で沈没した[259]
  54. ^ 重巡鳥海の生存者を収容して退避していたが[260]、昭和19年10月27日に空襲を受け沈没[261]
  55. ^ 二水戦司令官早川幹夫少将は11月11日に島風で戦死、矢矧艦長吉村真武大佐が司令官代理[50]。島風は第一水雷戦隊に編入されているが、11月11日に多号作戦で沈没している[263]
  56. ^ 昭和19年12月26日[268]礼号作戦で夜間空襲を受け沈没[269]
  57. ^ 昭和19年11月21日、潜水艦シーライオンⅡの雷撃により戦艦金剛と共に撃沈される[271]。駆逐隊司令戦死[272]
  58. ^ ヒ87船団を護衛中の昭和20年1月24日、潜水艦ブラックフィンの雷撃で沈没[273]
  59. ^ 昭和19年12月4日、潜水艦フラッシャーの雷撃で沈没[275]
  60. ^ 昭和19年11月25日、潜水艦カヴァラの雷撃で沈没し、第三十一戦隊司令官および駆逐隊司令戦死[279]
  61. ^ 横須賀で修理中、内海西部の二水戦主力には合同せず[281]
  62. ^ 昭和20年4月7日、坊ノ岬沖海戦で沈没。
  63. ^ 昭和20年3月29日に触雷して損傷、沖縄には出撃せず[283]
  64. ^ 昭和20年4月7日、坊ノ岬沖海戦で損傷、雪風により自沈処分[284]
  65. ^ 昭和20年4月7日、坊ノ岬沖海戦で損傷、冬月により自沈処分[221]
  66. ^ 3月27日以降司令駆逐艦。昭和20年4月7日、坊ノ岬沖海戦で空襲を受け沈没[286]
  67. ^ 昭和20年4月7日、坊ノ岬沖海戦で大破[287]

出典

  1. ^ a b 戦史叢書56 1972, p. 521a二水戦のマニラ進出
  2. ^ 戦史叢書102 1980, pp. 418–419付録第3 軍隊符号等(隊号・略字等)/2.海軍関係
  3. ^ a b 戦史叢書102 1980, p. 527第二艦隊
  4. ^ a b 戦史叢書102 1980, p. 533(ハ)艦隊区分による主要部隊/前進部隊・遊撃部隊
  5. ^ a b 図解海軍水雷戦隊 1996, p. 138a連合艦隊と水雷戦隊
  6. ^ a b c d e #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ32-33(原本25-26頁)〔 大正三、八、一八(開戰前)※第一艦隊編制より抜粋 第一水雷戰隊(旗艦)音羽、第一、第二、第十六、第十七驅逐隊/※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 (旗艦)利根、第九、第十二、第十三驅逐隊 〕
  7. ^ a b c d e #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ37-38(原本35-36頁)〔 大正十、一二、一(内令四七二)※第二艦隊編制より抜粋 なし|(編入)大正十年 第二艦隊 四、一八(内令一三八)北上(二水戰)|(削除)大正十年 四、二〇(内令一四〇)天龍(二水戰)|(備考)一二、一 第一、第二、第三艦隊及第一、第二遣外艦隊編制改定セラル但シ當分ノ間第二艦隊竝ニ第三艦隊第三水雷戰隊、第三艦隊第三潜水戰隊及第二遣外艦隊ハ之ヲ編成セス(内令四七二) 〕
  8. ^ a b c d #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ38(原本36-37頁)〔 大正一一、一二、一(内令四三二 四三七)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 北上、第一、第三驅逐隊 〕
  9. ^ a b 大正11年12月2日(土)海軍公報 第3045号 p.43」 アジア歴史資料センター Ref.C12070283900 〔 ○旗艦指定 第二艦隊司令長官ハ旗艦ヲ金剛ニ、第五戰隊司令官ハ旗艦ヲ名取ニ、第二水雷戰隊司令官ハ旗艦ヲ北上ニ、第二潜水戰隊司令官ハ旗艦ヲ矢矧ニ孰モ本月一日指定セリ 〕
  10. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 69–72特型「吹雪」の出現
  11. ^ a b c #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ42(原本44-45頁)〔 昭和三、一二、一〇(内令三四九)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 鬼怒、第十二、第二十三驅逐隊|(編入)昭和三年 第二艦隊 一二、一八(内令三六七)第十一驅逐隊(二水戰) 〕
  12. ^ a b c d e f g #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ65-66(原本91-92頁)〔 昭和三、一二、一〇(内令三五〇)|呉鎭守府|第二艦隊|第十二驅逐隊|東雲、薄雲、叢雲|(編入)叢雲(四、五、一〇 一五一)|昭和三、一二、一〇(内令三五〇)驅逐隊編制本表ノ通改定セラル/昭和三、一二、一八(内令三六六)呉鎭ノ部第十二驅逐隊ノ前ニ 第二艦隊、第十一驅逐隊(吹雪、白雪)ヲ加フ/昭和四、三、三〇(内令八二)第十一驅逐隊ニ初雪ヲ加フ/昭和四、六、二九(内令一八五)第十一驅逐隊ニ深雪ヲ加フ 〕
  13. ^ 戦史叢書102 1980, p. 115昭和17年(1942年)4月10日/大本営、昭和17年度海軍戦時編制実施を発令
  14. ^ 戦史叢書102 1980, p. 186昭和18年(1943年)7月12日/第二水雷戦隊司令官指揮下にコロンバンガラ島増援兵力を輸送(同夜コロンバンガラ島沖海戦生起。旗艦軽巡神通沈没し第2水雷戦隊司令部全滅)
  15. ^ 戦史叢書93 1976, pp. 30a-34大本営海軍部の水上兵力整頓の基本方針
  16. ^ 戦史叢書93 1976, pp. 62–65軍需品搭載船団の全滅
  17. ^ 戦史叢書102 1980, p. 267昭和19年(1944年)11月20日/海軍戦時編制改訂(第1水雷戦隊解隊、第2水雷戦隊改編、第31戦隊の第5艦隊編入等)(旧第1水雷戦隊司令官木村昌福少将を第2水雷戦隊司令官に任命)
  18. ^ a b c 戦史叢書93 1976, pp. 34–36第一機動艦隊、第三艦隊の解隊(十一月十五日)
  19. ^ a b c 戦史叢書93 1976, pp. 227–228海上特攻隊の編制と出撃準備
  20. ^ 戦史叢書102 1980, p. 295昭和20年(1945年)4月7日/海上特攻隊(戦艦大和・第2水雷戦隊〈軽巡1・駆逐艦8〉、九州南西洋上で米艦載機(延300機以上)の攻撃を受け主力全滅(残存駆逐艦4)し沖縄突入作戦を断念
  21. ^ 戦史叢書93 1976, pp. 283a-284第二艦隊、第二水雷戦隊の解隊
  22. ^ a b c d e f 戦史叢書93 1976, pp. 283b-284.
  23. ^ 戦史叢書93 1976, pp. 180a-181第十一水雷戦隊の第二艦隊編入
  24. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 64–65日本海夜戦と駆逐艦
  25. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 65–67ジュットランド海戦と駆逐艦
  26. ^ a b c 大正3年8月24日(月)海軍公報第六百十號附録 p.17」 アジア歴史資料センター Ref.C12070242700 〔 ○旗艦變更 加藤第二艦隊司令長官旗艦ヲ本月二十三日鞍馬ヨリ周防ニ變更セル旨報告アリ|○旗艦指定 上村第二艦隊司令官旗艦ヲ本月二十三日秋津洲ニ指定セル旨報告アリ/山屋第一艦隊司令官旗艦ヲ八月二十四日金剛ニ指定セル旨報告アリ 〕
  27. ^ 大正3年8月18日(火)海軍公報第六百四號附録 p.35」 アジア歴史資料センター Ref.C12070242600 〔 ○郵便物送付先 第一艦隊宛郵便物送付先左ノ通リ通知アリタリ 第一艦隊司令部竝後任司令部及金剛、攝津、薩摩、矢矧、筑摩、水雷戰隊司令部、音羽、第一、第二、第十六、第十七驅逐隊宛ノモノハ 佐世保郵便局氣付/周防、石見宛ノモノハ 呉郵便局氣付/河内、比叡、安藝宛ノモノハ從前ノ通リ 〕
  28. ^ 大正3年8月12日(水)海軍公報第五百九十八號附録 p.13」 アジア歴史資料センター Ref.C12070242600 〔 ○旗艦變更 第二艦隊司令長官旗艦ヲ八月十一日磐手ヨリ鞍馬ニ變更セル旨報告アリ 〕
  29. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 144–146協同作戦の指揮権問題
  30. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 125–127艦隊平時編制標準と年度戦時編制
  31. ^ 戦史叢書91 1975, p. 128.
  32. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 126–127.
  33. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 204–206艦隊平時編制標準と年度戦時編制
  34. ^ a b 戦史叢書91 1975, p. 206.
  35. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 358–359支那方面艦隊・第四艦隊新編と艦隊平時編制標準改定―昭和十二年十月
  36. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 359–360支那事変に伴う戦時編制の発足―昭和十二年十一月
  37. ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, p. 140艦隊決戦での水雷戦隊
  38. ^ 戦史叢書102 1980, p. 532(ハ)艦隊区分による主要部隊/主力部隊
  39. ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, pp. 142a-143夜戦戦力の編制
  40. ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, pp. 144a-145艦隊決戦での夜戦兵力
  41. ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, p. 143.
  42. ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, pp. 164–165スラバヤ沖海戦
  43. ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, p. 165.
  44. ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, p. 197局地輸送
  45. ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, pp. 176–177ルンガ沖海戦
  46. ^ a b 図解海軍水雷戦隊 1996, pp. 182–183コロンバンガラ島沖夜戦
  47. ^ 戦史叢書102 1980, p. 266昭和19年(1944年)11月15日
  48. ^ a b 戦史叢書56 1972, pp. 538–541二水戦司令官戦死、第二船団全滅
  49. ^ 戦史叢書93 1976, pp. 67a-69第一水雷戦隊の解隊と第三十一戦隊の第五艦隊編入
  50. ^ a b c d e f 戦史叢書93 1976, pp. 67b-69.
  51. ^ 戦史叢書93 1976, pp. 179–180第三十一戦隊の第二艦隊編入
  52. ^ a b 戦史叢書93 1976, pp. 180b-181.
  53. ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, p. 198菊水作戦
  54. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 78–79主力駆逐艦の元祖峯風型
  55. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 432–434三コ遣支艦隊の新編と第四艦隊の独立―昭和十四年十一月十五日
  56. ^ a b 戦史叢書91 1975, pp. 434–435新艦隊編制の意義
  57. ^ a b c 戦史叢書91 1975, p. 0a2付表第二
  58. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 86–87兵装第一主義の犠牲となった初春型
  59. ^ #S2004二水戦日誌(3) p.17〔 四月六日〇九五六GF参謀長|EB〔(将旗)1YB (将旗)2sd〕|海上特攻〔大和矢矧d×8(月型二隻、磯風型三隻、若葉型三隻)〕Y-2日夕刻豊後水道出撃列島線西側ヲ経テY日極内密ニ沖縄島ニ突入ス味方識別ニ留意アリ度Y日ハ8日ヲ予定|無電 〕
  60. ^ #S2004二水戦日誌(3) pp.19-20〔 四月六日一三三八 サチ/GF(宛略) 〕
  61. ^ a b 図解海軍水雷戦隊 1996, p. 20a初期の水雷戦隊旗艦
  62. ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, p. 113a水雷戦隊旗艦の変遷
  63. ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, p. 21英国のフロチラ・リーダー
  64. ^ 大正3年8月21日(金)海軍公報 第607号附録 p.46」 アジア歴史資料センター Ref.C12070242600 〔 ○旗艦指定 第二艦隊司令長官旗艦ヲ八月二十日左ノ通指定セル旨報告アリ 栃内司令官旗艦 磐手 上村司令官旗艦 千歳 岡田司令官旗艦 利根 〕
  65. ^ 大正4年12月17日(金)海軍公報第千二号 p.32」 アジア歴史資料センター Ref.C12070247400 〔 ○旗艦指定 第三艦隊司令長官ハ本月十六日其ノ旗艦ヲ鹿島ニ、第六戰隊司令官ノ旗艦ヲ利根ニ指定セリ 〕
  66. ^ 大正4年12月16日(水)海軍公報 第1001号 p.30」 アジア歴史資料センター Ref.C12070247400 〔 ○旗艦變更 第一艦隊司令長官ハ本日旗艦ヲ攝津ヨリ河内ニ變更セリ|○旗艦指定 第二水雷戰隊司令官ハ本月十三日旗艦ヲ出雲ニ指定セリ 〕
  67. ^ a b c d e f g h i j k l m #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ34(原本29頁)〔 大正六、一二、一(内令二七九)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 吾妻、第一、第十七驅逐隊|(編入)大正六年 第二艦隊 三、二八(内令六四)日進(二水戰)/四、一(内令七七)第十五驅逐隊(二水戰)/四、一三(内令九〇)淺間(二水戰)/六、一(内令一三五)第十七驅逐隊(二水戰)/八、四(内令一七八)吾妻(二水戰)|(削除)大正六年 第一艦隊 三、二八(内令六四)出雲、磐手、日進(二戰)/第二艦隊 三、二八(内令六四)吾妻(二水戰)/四、一(内令七七)第十六驅逐隊(二水戰)/四、一三(内令九〇)日進(二水戰)、筑摩、平戸(四戰)/六、一(内令一三五)第十五驅逐隊(二水戰)/八、四(内令一七七)淺間(二水戰) 〕
  68. ^ a b c 図解海軍水雷戦隊 1996, p. 20b.
  69. ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, pp. 24a-25五五〇〇トン型軽巡洋艦
  70. ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, p. 134a軍縮時代前後の水雷戦隊
  71. ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, p. 113b.
  72. ^ 大正7年1月28日(月)海軍公報 第千六百十七号 p.27」 アジア歴史資料センター Ref.C12070259900 〔 ○旗艦指定 第二水雷戰隊司令官ハ一昨二十六日旗艦ヲ平戸ニ指定セリ 〕
  73. ^ 図解海軍水雷戦隊 1996, p. 134b.
  74. ^ a b c d 図解海軍水雷戦隊 1996, p. 24b.
  75. ^ a b 大正15年12月2日(木)海軍公報 第4214号 p.3」 アジア歴史資料センター Ref.C12070305600 〔 ○旗艦指定 第二艦隊司令長官ハ本月一日旗艦ヲ金剛ニ、第二水雷戰隊司令官ノ旗艦ヲ夕張ニ孰モ指定セリ 〕
  76. ^ 写真日本の軍艦(8)軽巡(I) 1990, pp. 120–121.
  77. ^ a b 図解海軍水雷戦隊 1996, p. 142b.
  78. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 547–548.
  79. ^ 戦史叢書83 1975, p. 24.
  80. ^ a b c #S1812二水戦日誌(4) p.5〔 (2)中旬 十四日将旗ヲ一時高雄ニ移揚十五日高雄32dg(早波)ヲ率ヰ横須賀発二十二日「パラオ」着 二十二日鳥海ニ将旗ヲ移揚 〕
  81. ^ a b 昭和16年4月11日(金)海軍公報(部内限)第3768号 p.43」 アジア歴史資料センター Ref.C12070394200 〔 ○旗艦指定 第三艦隊司令長官ハ四月十日旗艦ヲ長良ニ指定セリ|○将旗一時移揚 第二水雷戰隊司令官ハ四月八日将旗ヲ一時夏潮ニ移揚セリ|○司令驅逐艦一時變更 第十五驅逐隊司令ハ四月八日司令驅逐艦ヲ一時夏潮ニ變更セリ 〕
  82. ^ a b 昭和16年8月4日(月)海軍公報(部内限)第3862号 p.24」 アジア歴史資料センター Ref.C12070402300 〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ七月三十日旗艦ヲ神通ヨリ朝潮ニ變更セリ/第一航空艦隊司令長官ハ八月一日旗艦ヲ赤城ニ變更セリ 〕
  83. ^ a b 昭和16年9月30日(火)海軍公報(部内限)第3910号 p.25」 アジア歴史資料センター Ref.C12070397600 〔 ○代将旗一時移揚 第二水雷戰隊司令官ハ九月十六日代将旗ヲ一時天津風ニ移揚、同二十四日神通ニ復歸セリ|○旗艦變更 第二艦隊司令長官ハ九月二十五日旗艦ヲ高雄ヨリ摩耶ニ變更セリ/第一水雷戰隊司令官ハ九月二十六日旗艦ヲ暁ヨリ阿武隈ニ變更セリ/第一航空艦隊司令長官ハ九月二十七日旗艦ヲ赤城ヨリ加賀ニ變更セリ 〕
  84. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ55-56(原本71-72頁)〔 大正二、一二、一 〕(駆逐隊編制要表より)
  85. ^ a b #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ55-56(原本71-72頁)〔 大正二、一二、一|佐世保鎭守府|第九驅逐隊|白雪、野分、白妙、松風|(編入)|(削除)白妙(三、九、八 二二〇)|〕
  86. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ56(原本72-73頁)〔 大正三、一二、一|佐世保鎭守府|第九驅逐隊|白雪、野分、松風 〕
  87. ^ a b #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ55-56(原本71-72頁)〔 大正二、一二、一|佐世保鎭守府|第十二驅逐隊|浦波、綾波、磯波、朝霧|(編入)|(削除)綾波(三、一二、一 三五七)|〕
  88. ^ 大正3年8月26日(水)海軍公報第六百十二號附録 p.29」 アジア歴史資料センター Ref.C12070242700 〔 ○司令驅逐艦變更 第十二驅逐隊司令驅逐艦ヲ八月十日綾波ヨリ浦波ニ變更セル旨報告アリ 〕
  89. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ56(原本72-73頁)〔 大正三、一二、一|佐世保鎭守府|第十二驅逐隊|浦波、磯波、朝霧|(編入)綾波(四、四、一 八七) 〕
  90. ^ 大正4年12月8日(水)海軍公報第九百九十四號 p.13」 アジア歴史資料センター Ref.C12070247400 〔 ○郵便物送付先 第二艦隊司令部、軍艦鹿島、相模宛 本日以後ハ 横須賀/第十二驅逐隊司令部、磯波、浦波、綾波、朝霧宛 十二月九日迄ニ到箸見込ノモノハ 横濱 其ノ以後ハ 横須賀 〕
  91. ^ a b c #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ55-56(原本71-72頁)〔 大正二、一二、一|佐世保鎭守府|第十三驅逐隊|朝潮、白雲、陽炎、村雨|/馬公要港部|第十驅逐隊|薄雲、不知火|(備考)大正三、一二、一(内令三五一)佐鎭欄内ノ第十三驅逐隊及馬公要港部第十驅逐隊ヲ馬公要港部第十三驅逐隊(朝潮、白雲)ニ改ム 〕
  92. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ56(原本72-73頁)〔 大正三、一二、一|佐世保鎭守府|馬公要港部|第十三驅逐隊|朝潮、白雲 〕
  93. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ33(原本27頁)〔 大正四、一二、一三(内令三一二)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 出雲、第十、第十一、第十六驅逐隊 〕
  94. ^ 大正4年12月14日(火)海軍公報第九百九十九号 p.24」 アジア歴史資料センター Ref.C12070247400 〔 ○旗艦指定 第二艦隊司令長官ハ本月十三日旗艦ヲ榛名ニ指定セル旨報告アリ|○郵便物發送先 第二艦隊司令長官ハ本月十三日旗艦ヲ榛名ニ指定セル旨報告アリ(中略)第二水雷戰隊司令部宛 本日以後ハ 横須賀郵便局氣付軍艦出雲/軍艦扶桑宛 本日以後ハ 呉 〕
  95. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ56-57(原本73-74頁)〔 大正四、一二、一|佐世保鎭守府|第十驅逐隊|桂、楓、梅、楠 〕
  96. ^ a b c #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ34(原本28頁)〔 大正五、一二、一(内令二四五)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 出雲、第十、第十一、第十六驅逐隊|(編入)大正五年 第二艦隊 八、一〇(内令一七五)第十七驅逐隊(二水戰)/八、二九(内令一八七)第十一驅逐隊|(削除)大正五年 第二艦隊 八、二九(内令一八七)第十驅逐隊(二水戰) 〕
  97. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ56-57(原本73-74頁)〔 大正四、一二、一|佐世保鎭守府|第十一驅逐隊|榊、柏、松、杉 〕
  98. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ56-57(原本73-74頁)〔 大正四、一二、一|横須賀鎭守府|第十六驅逐隊|海風、山風、浦風 〕
  99. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ56-57(原本73-74頁)〔 大正四、一二、一|横須賀鎭守府|第十七驅逐隊|櫻、橘、樺、桐 〕
  100. ^ 大正6年1月9日(火)海軍公報第千三百七号 p.7」 アジア歴史資料センター Ref.C12070254200 〔 ○旗艦指定 第二戰隊司令官ハ昨八日旗艦ヲ出雲ニ指定セリ 〕
  101. ^ 大正6年6月6日(水)海軍公報第千四百二十九号 p.16」 アジア歴史資料センター Ref.C12070255100 〔 ○郵便物發送先 第二水雷戰隊司令部、淺間、第一驅逐隊(天津風、磯風、濱風) 、第十七驅逐隊(樺、桐)宛 六月十四日迄ニ到達見込ノモノハ 山口縣藤生 同十八日迄ニ到達見込ノモノハ 呉 〕
  102. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ57(原本74-75頁)〔 大正五、一二、一|佐世保鎭守府|第十驅逐隊|桂、楓、梅、楠 〕
  103. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ57(原本74-75頁)〔 大正五、一二、一|佐世保鎭守府|第十一驅逐隊|榊、柏、松、杉 〕
  104. ^ a b #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ57(原本74-75頁)〔 大正五、一二、一|大正六、四、一(内令七四)佐鎭ノ欄 第十二驅逐隊ノ次ニ第十五驅逐隊(桃、樫、檜)ヲ加フ/大正六、五、五(内令一一〇)第十五驅逐隊ニ柳ヲ加フ 〕
  105. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ57(原本74-75頁)〔 大正五、一二、一|横須賀鎭守府|第十六驅逐隊|海風、山風、浦風| |(削除)浦風(六、四、一 七四) 〕
  106. ^ 大正6年4月2日(月)海軍公報第千三百七十六号 p.3」 アジア歴史資料センター Ref.C12070254700 〔 ○司令驅逐艦變更 第十六驅逐隊司令ハ四月一日司令驅逐艦ヲ浦風ヨリ山風ニ變更セリ 〕
  107. ^ 大正6年8月10日(水)海軍公報第千四百八十四号 p.26」 アジア歴史資料センター Ref.C12070255500 〔 ○郵便物發送先 第二水雷戰隊司令部、吾妻、第一驅逐隊(天津風、濱風、磯風) 、第十七驅逐隊(樺、桐)宛 八月十二日迄ニ到箸見込ノモノハ 山口縣藤生 八月二十二日同 山口縣床山 其ノ後ハ 呉/時津風 八月十五日迄ニ到箸見込ノモノハ 八月二十二日同 山口縣徳山 其ノ後ハ 呉 〕
  108. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ57(原本74-75頁)〔 大正五、一二、一|横須賀鎭守府|第一驅逐隊|有明、吹雪、霰、彌生|(編入)磯風、濱風(六、四、一 七四) 天津風(六、四、一四 九三) 時津風(六、五、三一 一三三) 〕
  109. ^ a b 大正6年8月10日(水)海軍公報第千四百八十四号 p.26」 アジア歴史資料センター Ref.C12070255500 〔 ○郵便物發送先 第二水雷戰隊司令部、吾妻、第一驅逐隊(天津風、濱風、磯風) 、第十七驅逐隊(樺、桐)宛 八月十二日迄ニ到箸見込ノモノハ 山口縣藤生 八月二十二日同 山口縣床山 其ノ後ハ 呉/時津風 八月十五日迄ニ到箸見込ノモノハ 八月二十二日同 山口縣徳山 其ノ後ハ 呉 〕
  110. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ57(原本74-75頁)〔 大正五、一二、一|横須賀鎭守府|第十七驅逐隊|櫻、橘、樺、桐| |(削除)櫻、橘(六、六、一 一三四) 〕
  111. ^ a b c d e #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ35(原本30-31頁)〔 大正七、一二、一(内令三八八)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 平戸、第一驅逐隊 |(編入)大正七年 第二艦隊 一、二四(内令二三)平戸(二水戰)/七、二五(内令二四三)千歳(二水戰)/八、二四(内令二八二)平戸(二水戰)|(削除)大正七年 第二艦隊 一、二四(内令二三)吾妻(二水戰)/七、二五(内令二四三)平戸/八、二四(内令二八二)千歳(二水戰) 〕
  112. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ57-58(原本75-76頁)〔 大正六、一二、一|横須賀鎭守府|第一驅逐隊|磯風、濱風、天津風、時津風 〕
  113. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ58(原本76-77頁)〔 大正七、四、一(内令九五)|横須賀鎭守府|第一驅逐隊|天津風、時津風、磯風、濱風| |(削除)時津風(七、四、一七 一二九) 〕
  114. ^ 大正8年9月8日(月)海軍公報 第2091号 p.31」 アジア歴史資料センター Ref.C12070266000 〔 ○郵便物發送先(中略)第二水雷戰隊司令部、平戸、筑摩、第一驅逐隊(濱風、磯風、天津風)、第三驅逐隊(谷風、江風)宛 九月十一日迄到達見込ノモノハ山口縣徳山(以下略) 〕
  115. ^ a b c #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ36(原本32頁)〔 大正八、一二、一(内令三九四)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 天龍、第一、第十四驅逐隊|(編入)大正八年 第二艦隊 二、一(内令一九)第三驅逐隊(二水戰)/八、二〇(内令二六六)筑摩(二水戰)/一一、一(内令三四八)第十四驅逐隊(二水戰) 〕
  116. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ58-59(原本77-78頁)〔 大正七、一二、一|横須賀鎭守府|第一驅逐隊|天津風、磯風、濱風 〕
  117. ^ a b #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ58-59(原本77-78頁)〔 大正七、一二、一|横須賀鎭守府|第三驅逐隊|白露、夕立、三日月、夕暮|(編入)江風、谷風(八、二、一 一七)|(削除)四隻(八、二、一 一七)/江風、谷風(八、一一、一 三四七)|大正八、二、一(内令一七)横鎭ノ欄ニ 第六驅逐隊(白露、夕立、三日月、夕暮)ヲ加フ/大正八、一一、一(内令三四七)横鎭ノ欄 第三驅逐隊ヲ削リ第七驅逐隊ヲ春風、初雪、時雨、初春ニ、第八驅逐隊ヲ有明、吹雪、神風、初霜、如月、響ニ改ム 呉鎭ノ欄 第十一驅逐隊ヲ陽炎、朧、曙ニ改メ第十三驅逐隊ノ次ニ第十四驅逐隊(江風、谷風)ヲ加フ 〕
  118. ^ 写真日本の軍艦(8)軽巡(I) 1990, pp. 17a-18軽巡洋艦『天龍』行動年表
  119. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ59(原本78-79頁)〔 大正八、一二、一|横須賀鎭守府|天津風、磯風、濱風|(編入)時津風(九、二、一九 三七)|(削除)四隻(九、一〇、一三 三八四)|大正九、一〇、一三(内令三八四)第一驅逐隊ヲ削リ舞鎭ノ欄ニ第三十三驅逐隊(天津風、磯風、濱風、時津風)ヲ加フ 〕
  120. ^ a b c #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ37(原本34-35頁)〔 大正九、一二、一(内令四六〇)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 天龍、第二、第五、第十四驅逐隊|(編入)大正九年 第二艦隊 五、二九(内令一六二)第二驅逐隊(二水戰)|(削除)大正九年 五、一(内令一三四)新高(一潜戰)、第一驅逐隊(二水戰) 〕
  121. ^ a b c #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ59(原本78-79頁)〔 大正八、一二、一|大正九、五、二九(内令一六一)横鎭ノ欄ニ第二驅逐隊(澤風、峯風)ヲ加フ/大正九、七、一九(内令二四五)第二驅逐隊ニ矢風ヲ加フ/大正九年、八、一七(内令三〇〇)第二驅逐隊ニ沖風ヲ加フ 〕
  122. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ59(原本78-79頁)〔 大正八、一二、一|呉鎭守府|第十四驅逐隊|江風、谷風 〕
  123. ^ a b c 大正10年4月19日(火)海軍公報 第二千五百六十三号 p.25」 アジア歴史資料センター Ref.C12070275700 〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ本月十八日旗艦ヲ天龍ヨリ北上ニ變更セリ 〕
  124. ^ 写真日本の軍艦(8)軽巡(I) 1990, pp. 17b-18天龍行動年表
  125. ^ 写真日本の軍艦(8)軽巡(I) 1990, pp. 129a-130軽巡洋艦『大井・北上・夕張』行動年表 ◆北上◆
  126. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ59-60(原本79-80頁)〔 大正九、一二、一|横須賀鎭守府|第二驅逐隊|澤風、峯風、矢風、沖風 〕
  127. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ59-60(原本79-80頁)〔 大正九、一二、一|横須賀鎭守府|第五驅逐隊|羽風、島風|(編入)秋風(一〇、九、一 三一七) 灘風(一〇、九、三〇 三六四) 〕
  128. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ59-60(原本79-80頁)〔 大正九、一二、一|呉鎭守府|第十四驅逐隊|江風、谷風|(編入)菊、葵(九、一二、二五 三一七) 〕
  129. ^ 大正10年4月1日(金)海軍公報 第二千五百四十八号 pp.2-3」 アジア歴史資料センター Ref.C12070275600 〔 ○驅逐艦進水 舞鶴海軍工廠ニ於テ建造ノ驅逐艦太刀風三月三十一日午前十一時三十分進水セリ|○郵便物發送先 第二水雷戰隊司令部、天龍、第二驅逐隊(峯風、矢風、澤風、沖風) 第十四驅逐隊(谷風、江風、葵、菊)宛 四月三日迄到箸見込ノモノハ 静岡縣清水 其ノ後ハ 横須賀 第五驅逐隊(羽風、島風)宛 當分ノ間 横須賀 〕
  130. ^ 大正10年12月2日(金)海軍公報 第2549号 p.4」 アジア歴史資料センター Ref.C12070278100 〔 ○旗艦指定 第三艦隊司令長官ハ本月一日旗艦ヲ安藝ニ指定セリ|○殘務整理 第二艦隊司令部ノ殘務整理ヲ軍艦金剛ニ於テ行フ(第二艦隊副官) 〕
  131. ^ 大正10年12月6日(火)海軍公報 第2552号 p.19」 アジア歴史資料センター Ref.C12070278100 〔 ○殘務終了 第二水雷戰隊殘務整理本日終了セリ 〕
  132. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ60-61(原本81-83頁)〔 大正一一、一二、一(内令四三三)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第一驅逐隊|野風、沼風、波風|第一(一二、一、六 一)| |大正一一、一二、一(内令四三三)驅逐隊編制本表ノ通改定セラル 〕
  133. ^ a b #達昭和3年6月 pp.7-8〔 達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介 〕
  134. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ60-61(原本81-83頁)〔 大正一一、一二、一(内令四三三)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第三驅逐隊|汐風、太刀風、夕風、帆風 〕
  135. ^ a b #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ39(原本38-39頁)〔 大正一二、一二、一(内令四二一)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 北上、第一、第二、第四、第五驅逐隊|(編入)大正十二年 第二艦隊 四、一〇(内令一五八)第四驅逐隊(二水戰)/五、一五(内令一九六)第二驅逐隊(二水戰) 〕
  136. ^ 大正13年9月10日(水)海軍公報第3560号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070292900 p.37〔 ○郵便物發送先 第二艦隊司令部、金剛 比叡、第五戰隊司令部、由良 名取 長良 川内、第二水雷戰隊司令部、北上、第一驅逐隊(波風 沼風 野風 第一號驅逐艦)、第二驅逐隊(沖風 澤風 峯風 夕風)、第四驅逐隊(太刀風 羽風 帆風 秋風)、第五驅逐隊(三號 五號 七號 九號驅逐艦)、第二潜水戰隊司令部、平戸長鯨 第二十六潜水隊(五十九 七十二 七十三潜水艦)、第十四潜水隊(四十五 五十八 六十二)及第四十四潜水艦宛(以下略) 〕
  137. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ61-62(原本83-84頁)〔 大正一二、一二、一(内令四二二)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第一驅逐隊|野風、沼風、波風、第一|大正一二、一二、一(内令四二二)驅逐隊編制本表ノ通改定セラル 〕
  138. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ61-62(原本83-84頁)〔 大正一二、一二、一(内令四二二)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第二驅逐隊|峯風、澤風、沖風、夕風 〕
  139. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ61-62(原本83-84頁)〔 大正一二、一二、一(内令四二二)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第四驅逐隊|羽風、秋風、太刀風、帆風 〕
  140. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ61-62(原本83-84頁)〔 大正一二、一二、一(内令四二二)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第五驅逐隊|第三、第五|第七號(一三、五、一 一一四) 第九號(一三、九、五 二一八) 〕
  141. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ40(原本40-41頁)〔 大正一三、一二、一(内令二九四)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 五十鈴、第一、第四、第五驅逐隊 〕
  142. ^ 写真日本の軍艦(8)軽巡(I) 1990, pp. 175a-176軽巡洋艦『長良・五十鈴・名取』行動年表 ◆五十鈴◆
  143. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ62-63(原本85-86頁)〔 大正一三、一二、一(内令二九六)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第一驅逐隊|野風、沼風、波風、第一號 〕
  144. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ62-63(原本85-86頁)〔 大正一三、一二、一(内令二九六)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第四驅逐隊|羽風、秋風、太刀風、帆風 〕
  145. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ62-63(原本85-86頁)〔 大正一三、一二、一(内令二九六)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第五驅逐隊|第三號、第五號、第七號、第九號 〕
  146. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ40(原本40-41頁)〔 大正一四、一二、一(内令三一八)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 五十鈴、第三、第五、第二十九驅逐隊|(編入)大正十四年 第二艦隊 八、三一(内令二三四)第五驅逐隊/九、一〇(内令一五〇)第二十九驅逐隊|(削除)大正十四年 第二艦隊(内令一七六)第五驅逐隊 〕
  147. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ63(原本86-87頁)〔 大正一四、一二、一(内令三一九)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第三驅逐隊|汐風、島風、灘風、夕風 〕
  148. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ63(原本86-87頁)〔 大正一四、一二、一(内令三一九)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第三驅逐隊|第三號、第五號、第七號、第九號 〕
  149. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ63(原本86-87頁)〔 大正一四、一二、一(内令三一九)|佐世保鎭守府|第二艦隊|第二十九驅逐隊|第十一號、第十五號、第十七號|(編入)第十三號(一四、一二、二五 三六一) 〕
  150. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ41(原本42-43頁)〔 大正一五、一二、一(内令二六四)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 夕張、第五、第二十二、第二十九、第三十驅逐隊|(編入)大正十五年 第二艦隊 四、一(内令八二)第三十驅逐隊(二水戰) 〕
  151. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ63-64(原本87-88頁)〔 大正一五、一二、一(内令二六五)|佐世保防備隊|第一艦隊|第二十七驅逐隊|菱、菫、蕨、葦|(削除)葦(昭和二、九、五 二八七)/蕨(昭和二、九、一五 二九四)| 〕
  152. ^ 写真日本の軍艦(9)軽巡(II) 1990, pp. 32–33.
  153. ^ 写真日本の軍艦(9)軽巡(II) 1990, pp. 34–35連合艦隊の悲劇"美保ヶ関事件"の顛末
  154. ^ 写真日本の軍艦(8)軽巡(I) 1990, pp. 130a-131軽巡洋艦『大井・北上・夕張』行動年表 ◆夕張◆
  155. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ63-64(原本87-88頁)〔 大正一五、一二、一(内令二六五)|横須賀鎭守府|第二艦隊|第五驅逐隊|第三號、第五號、第七號、第九號|大正一五、一二、一(内令二六五)驅逐隊編制本表ノ通改定セラル/昭和二、五、一〇(内令一六五)第五驅逐隊ノ所属ヲ馬公要港部ニ改ム/昭和二、八、一(内令二六一)第五驅逐隊ノ所属ヲ第二艦隊ニ改ム 〕
  156. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ63-64(原本87-88頁)〔 大正一五、一二、一(内令二六五)|佐世保防備隊|第二艦隊|第二十二驅逐隊|第二十七號、第二十九號|(編入)第二十八號(昭和二、四、一 一〇七)/第三十號(昭和二、五、二〇 一八〇) 〕
  157. ^ 昭和2年1月28日(金)海軍公報 第23号 p.38」 アジア歴史資料センター Ref.C12070307800 〔 ○郵便物發送先 第二水雷戰隊司令部宛及軍艦夕張、第二十二驅逐隊(驅二七、驅二九)、第二十九驅逐隊(驅一一、驅一三、驅一五、驅一七)、第三十驅逐隊(驅一九、驅二一、驅二三、驅二五)、第五驅逐隊(驅三、驅五、驅七、驅九)宛 二月十日迄ニ到達見込ノモノハ徳山(以下略) 〕
  158. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ63-64(原本87-88頁)〔 大正一五、一二、一(内令二六五)|佐世保防備隊|第二艦隊|第二十九驅逐隊|第十一號、第十三號、第十五號、第十七號| 〕
  159. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ63-64(原本87-88頁)〔 大正一五、一二、一(内令二六五)|佐世保防備隊|第二艦隊|第三十驅逐隊|第十九號、第二十一號、第二十三號、第二十五號| 〕
  160. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ41-42(原本43-44頁)〔 昭和二、一二、一(内令三四八)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 名取、第二十二、第二十三、第二十九、第三十驅逐隊|(編入)昭和二年 第二艦隊 八、一(内令二六〇)第五驅逐隊(二水戰)|(削除)昭和二年 第二艦隊(内令一六四)第五驅逐隊(二水戰) 〕
  161. ^ 写真日本の軍艦(8)軽巡(I) 1990, pp. 176a-177軽巡洋艦『長良・五十鈴・名取』行動年表 ◆名取◆
  162. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ64-65(原本88-90頁)〔 昭和二、一二、一(内令三八五)|佐世保鎭守府|第二艦隊|第二十二驅逐隊|第二十七號、第二十八號、第二十九號、第三十號| 〕
  163. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ64-65(原本88-90頁)〔 昭和二、一二、一(内令三八五)|佐世保鎭守府|第二艦隊|第二十三驅逐隊|第三十一號、第三十二號、第三十四號|(編入)第三十三號(三、六、三〇 一六八) 〕
  164. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ64-65(原本88-90頁)〔 昭和二、一二、一(内令三八五)|佐世保鎭守府|第二艦隊|第二十九驅逐隊|第十一號、第十三號、第十五號、第十七號| 〕
  165. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ64-65(原本88-90頁)〔 昭和二、一二、一(内令三八五)|佐世保鎭守府|第二艦隊|第三十驅逐隊|第十九號、第二十一號、第二十三號、第二十五號| 〕
  166. ^ 写真日本の軍艦(8)軽巡(I) 1990, pp. 235a-236軽巡洋艦『由良・鬼怒・阿武隈』行動年表 ◆鬼怒◆
  167. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ65-66(原本91-92頁)〔 昭和三、一二、一〇(内令三五〇)|佐世保鎭守府|第二艦隊|第二十三驅逐隊|菊月、三日月、望月、夕月| 〕
  168. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ43(原本46-47頁)〔 昭和四、一一、三〇(内令二七五)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 鬼怒、第十一、第十二、第十九驅逐隊|(編入)昭和三年 第二艦隊 一二、一八(内令三六七)第十一驅逐隊(二水戰) 〕
  169. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ43-44(原本47-48頁)〔 昭和五、一二、一(内令二二八)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 鬼怒、第十一、第十二、第十九驅逐隊 〕
  170. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ67-68(原本94-95頁)〔 昭和五、一二、一(内令二二九)驅逐隊編制本表ノ通改定セラル 〕
  171. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ66-67(原本93-94頁)〔 昭和四、一一、三〇(内令二七六)|呉鎭守府|第二艦隊|第十一驅逐隊|吹雪、白雪、初雪、深雪| 〕
  172. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ66-67(原本93-94頁)〔 昭和四、一一、三〇(内令二七六)|呉鎭守府|第二艦隊|第十二驅逐隊|叢雲、東雲、薄雲、白雲| 〕
  173. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ66-67(原本93-94頁)〔 昭和四、一一、三〇(内令二七六)|呉鎭守府|第二艦隊|第十九驅逐隊|磯波、浦波|(編入)敷波(四、一二、二四 三〇三)/綾波(五、四、三〇 八一)| 〕
  174. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ44(原本48-49頁)〔 昭和六、一二、一(内令二一四)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 神通、第七、第八、第十九、第二十驅逐隊 〕
  175. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ68(原本96-97頁)〔 昭和六、一二、一(内令二一五)|呉鎭守府|第十一驅逐隊|白雪、初雪、深雪|昭和六、一二、一(内令二一五)驅逐隊編制本表ノ通改定セラル 〕
  176. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ68-69(原本97-98頁)〔 昭和七、一二、一(内令二七三)|昭和七、一二、一(内令三七三)驅逐隊編制本表ノ通改定セラル| 〕
  177. ^ a b #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ45(原本51頁)〔 昭和七、一二、一(内令三七二)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 神通、第七、第八、第十一、第十二驅逐隊 〕
  178. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ46(原本52-53頁)〔 昭和八、五、二〇(内令一八二)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 神通、第七、第八、第十一、第十二驅逐隊 〕
  179. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 256–258艦隊平時編制標準改定と聯合艦隊の常設―昭和八年
  180. ^ 写真日本の軍艦(9)軽巡(II) 1990, p. 37a軽巡洋艦『川内、神通、那珂』行動年表 ◆神通◆
  181. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ68(原本96-97頁)〔 昭和六、一二、一(内令二一五)|横須賀鎭守府|第七驅逐隊|曙、朧、潮| 〕
  182. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ68(原本96-97頁)〔 昭和六、一二、一(内令二一五)|横須賀鎭守府|第八驅逐隊|天霧、朝霧、夕霧| 〕
  183. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ68(原本96-97頁)〔 昭和六、一二、一(内令二一五)|呉鎭守府|第十九驅逐隊|浦波、敷波、綾波| 〕
  184. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ68(原本96-97頁)〔 昭和六、一二、一(内令二一五)|呉鎭守府|第十九驅逐隊|東雲、吹雪、磯波| 〕
  185. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ46-47(原本53-55頁)〔 昭和八、一一、一五(内令三五一)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 那珂、第六、第十、第十一、第十二驅逐隊 〕
  186. ^ 写真日本の軍艦(9)軽巡(II) 1990, pp. 37c-38軽巡洋艦『川内、神通、那珂』行動年表 ◆那珂◆
  187. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ69-70(原本99-100頁)〔 昭和八、一一、一五(内令三五二)|横須賀鎭守府|第六驅逐隊|雷、電、響| 〕
  188. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ69-70(原本99-100頁)〔 昭和八、一一、一五(内令三五二)|横須賀鎭守府|第十驅逐隊|狭霧、漣、暁| 〕
  189. ^ a b #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ69-70(原本99-100頁)〔 昭和八、一一、一五(内令三五二)|呉鎭守府|第十一驅逐隊|白雪、初雪、深雪|(削除)深雪(九、七、五 二七六) 〕
  190. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 274深雪(みゆき)
  191. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ69-70(原本99-100頁)〔 昭和八、一一、一五(内令三五二)|呉鎭守府|第十二驅逐隊|叢雲、薄雲、白雲| 〕
  192. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ47-48(原本55-56頁)〔 昭和九、一一、一五(内令四七六)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 神通、第六、第十、第十九、第二十驅逐隊 〕
  193. ^ a b c d e 写真日本の軍艦(9)軽巡(II) 1990, p. 37b神通行動年表
  194. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ70-71(原本100-102頁)〔 昭和九、一一、一五(内令四七七)|横須賀鎭守府|第六驅逐隊|雷、電、響| 〕
  195. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ70-71(原本100-102頁)〔 昭和九、一一、一五(内令四七七)|横須賀鎭守府|第十驅逐隊|狭霧、漣、暁| 〕
  196. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ70-71(原本100-102頁)〔 昭和九、一一、一五(内令四七七)|呉鎭守府|第十九驅逐隊|浦波、敷波、綾波| 〕
  197. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ70-71(原本100-102頁)〔 昭和九、一一、一五(内令四七七)|呉鎭守府|第二十驅逐隊|東雲、吹雪、磯波| 〕
  198. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ48-49(原本57-58頁)〔 昭和十、一一、一五(内令四五八)※第二艦隊編制より抜粋 第二水雷戰隊 那珂、第六、第八、第十九、第二十驅逐隊 〕
  199. ^ a b 写真日本の軍艦(9)軽巡(II) 1990, pp. 37d-38那珂行動年表
  200. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ71(原本102-103頁)〔 昭和一〇、一一、一五(内令四五九)|横須賀鎭守府|第六驅逐隊|雷、電、響| 〕
  201. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ71(原本102-103頁)〔 昭和一〇、一一、一五(内令四五九)|横須賀鎭守府|第八驅逐隊|天霧、朝霧| 〕
  202. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ71(原本102-103頁)〔 昭和一〇、一一、一五(内令四五九)|呉鎭守府|第十九驅逐隊|浦波、敷波、綾波| 〕
  203. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ71(原本102-103頁)〔 昭和一〇、一一、一五(内令四五九)|呉鎭守府|第二十驅逐隊|東雲、吹雪、磯波| 〕
  204. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ71-72(原本103-105頁)〔 昭和一一、一二、一(内令四七一)|呉鎭守府|第十一驅逐隊|吹雪、白雪、初雪| 〕
  205. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ71-72(原本103-105頁)〔 昭和一一、一二、一(内令四七一)|呉鎭守府|第十二驅逐隊|叢雲、東雲、薄雲、白雲| 〕
  206. ^ a b #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ71-72(原本103-105頁)〔 昭和一一、一二、一(内令四七一)|呉鎭守府|第十九驅逐隊|磯波、浦波、敷波、綾波| 〕
  207. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ71-72(原本103-105頁)〔 昭和一一、一二、一(内令四七一)|横須賀鎭守府|第七驅逐隊|曙、朧、潮| 〕
  208. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939) コマ71-72(原本103-105頁)〔 昭和一一、一二、一(内令四七一)|横須賀鎭守府|第八驅逐隊|天霧、朝霧、夕霧| 〕
  209. ^ 戦史叢書91 1975, p. 0a1付表第二/聯合艦隊編制推移表(昭和14年11月15日~同16年12月10日)
  210. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 73–77昭和十五年度艦隊編制(抜粋)(昭和一四・一一・一五付)
  211. ^ 昭和14年11月18日(土)海軍公報(部内限)第3363号 p.51」 アジア歴史資料センター Ref.C12070381900 〔 ○旗艦指定 第二艦隊司令長官ハ第二水雷戰隊ノ旗艦ヲ神通ニ、第七戰隊ノ旗艦ヲ熊野ニ、第八戰隊ノ旗艦ヲ利根ニ、第三潜水戰隊ノ旗艦ヲ五十鈴ニ十一月五日孰モ指定セリ|第八戰隊司令官ハ十一月十六日旗艦ヲ利根ニ指定セリ|○将旗掲揚 第十三戰隊司令官ハ十一月十五日将旗ヲ飛鳥ニ掲揚セリ 〕
  212. ^ a b c d e 陽炎型(光人社) 2014, p. 115.
  213. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 122.
  214. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 80–82昭和十六年度艦隊編制(外戦部隊)(昭和一五・一一・一五)
  215. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 113.
  216. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 87–94戦時艦隊編制の改定(抜粋)(昭和一六・一二・一〇付)
  217. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 303b夏潮(なつしお)
  218. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 301霰(あられ)
  219. ^ 戦史叢書49 1971, pp. 586–588金龍丸及び「睦月」の沈没
  220. ^ a b 陽炎型(光人社) 2014, p. 123.
  221. ^ a b 陽炎型(光人社) 2014, p. 302a霞(かすみ)
  222. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 303a不知火(しらぬい)
  223. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 295a山風(やまかぜ)
  224. ^ #S1709二水戦日誌(1) p.7〔 (二)自九月二十五日至九月三十日 〕
  225. ^ a b 写真日本の軍艦(8)軽巡(I) 1990, pp. 175b-176五十鈴行動年表
  226. ^ 戦史叢書83 1975, pp. 425–426ラエ、サラモア輸送(「早潮」の沈没)
  227. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 304a早潮(はやしお)
  228. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 318a高波(たかなみ)
  229. ^ a b c #S1801二水戦日誌(1) p.7〔 備考(一)23日迄将旗ヲ長波ニ移揚 但シ第六次「ガ」島輸送作戦中一時黒潮ニ移揚|(二)23日小柳司令官退隊、長波将旗ヲ撤ス。30日伊崎司令官着任、神通ニ将旗ヲ掲グ|(三)旧司令官退隊ヨリ新司令官着任迄神通艦長海軍大佐藤田俊造第二水雷戦隊司令官ノ職務ヲ代理ス 〕
  230. ^ #S1801二水戦日誌(1) p.23〔 30日1415伊崎司令官着任将旗ヲ神通ニ掲揚 〕
  231. ^ 戦史叢書96 1976, pp. 160–163コロンバンガラ輸送―第五回(親潮、黒潮、陽炎)
  232. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 304b-305黒潮(くろしお)
  233. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 305a親潮(おやしお)
  234. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 302b-303陽炎(かげろう)
  235. ^ #S1806二水戦日誌(1) p.33〔 (六)艦隊編制 聯合艦隊第二艦隊第二水雷戦隊 七月二十日 〕
  236. ^ 写真日本の軍艦(8)軽巡(I) 1990, pp. 174a-175軽巡洋艦『長良・五十鈴・名取』行動年表 ◆長良◆
  237. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 290有明(ありあけ)
  238. ^ a b 戦史叢書96 1976, p. 248.
  239. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 291a夕暮(ゆうぐれ)
  240. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 296a江風(かわかぜ)
  241. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 318c清波(きよなみ)
  242. ^ 写真日本の軍艦(9)軽巡(II) 1990, p. 104a軽巡洋艦『能代』行動年表
  243. ^ a b #内令昭和19年3月(5) p.39〔 内令第五百十號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年三月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第四駆逐隊ノ項中「野分、舞風、山雲」ヲ「野分、山雲、満潮」ニ改ム|第九駆逐隊ノ項ヲ削ル|第十六駆逐隊ノ項ヲ削ル|第十七駆逐隊ノ項中「濱風」ノ下ニ「、雪風」ヲ加ヘ同項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ|第十八駆逐隊/薄雲、霞、不知火|第二十二駆逐隊ノ項中「、文月」ヲ削ル|第二十四駆逐隊ノ項ヲ削ル 〕
  244. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 295b-296海風(うみかぜ)
  245. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 296b-297涼風(すずかぜ)
  246. ^ #内令昭和18年10月(5) p.38〔 内令第二千二百四十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月三十一日 海軍大 臣嶋田繁太郎 第九驅逐隊ノ項中「朝雲、」ヲ削ル/第十驅逐隊ノ項中「風雲」ノ下ニ「、朝雲」ヲ加フ/第二十四驅逐隊ノ項中「涼風」ノ下ニ「、満潮」ヲ加フ/第六十一驅逐隊ノ項中「若月」ノ下ニ「、秋月」ヲ加フ 〕
  247. ^ a b #内令昭和18年10月(1) p.11〔 内令第二千三十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎  第二十七驅逐隊ノ項中「時雨」ノ下ニ「、五月雨」ヲ加フ/第三十二驅逐隊ノ項中「早波」ノ下ニ「、玉波」ヲ加フ 〕
  248. ^ #内令昭和18年11月(6) p.21〔 内令第二千五百二十一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十一月三十日 海軍大臣 嶋田繁太郎  第二十七驅逐隊ノ項中「五月雨」ノ下ニ「、春雨」ヲ加フ/第三十驅逐隊ノ項中「卯月」ノ下ニ「、夕月」ヲ加フ 〕
  249. ^ 戦史叢書96 1976, pp. 414–415邀撃空戦と艦艇の被害
  250. ^ 戦史叢書96 1976, pp. 429–431ブカ輸送と「セントジョージ岬沖海戦」
  251. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 317b巻波(まきなみ)
  252. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 318b大波(おおなみ)
  253. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 319a涼波(すずなみ)
  254. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 291b-292白露(しらつゆ)
  255. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 293–294春雨(はるさめ)
  256. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 320a早波(はやなみ)
  257. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 318d-319玉波(たまなみ)
  258. ^ a b 戦史叢書56 1972, pp. 470–471「能代」の沈没
  259. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 294五月雨(さみだれ)
  260. ^ 戦史叢書56 1972, p. 482「藤波」
  261. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 319b-320藤波(ふじなみ)
  262. ^ 写真日本の軍艦(9)軽巡(II) 1990, p. 105a軽巡洋艦『矢矧』行動年表
  263. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 323–324島風(しまかぜ)
  264. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 322b秋霜(あきしも)
  265. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 322a早霜(はやしも)
  266. ^ a b 陽炎型(光人社) 2014, pp. 327–328若月(わかつき)
  267. ^ #S1911二水戦日誌(1) pp.19-20〔 11月20日2sd|機密二水戦法令特第一號 艦隊区分左ノ通定ム 〕
  268. ^ 戦史叢書56 1972, pp. 593–594「清霜」の沈没
  269. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 322c-323清霜(きよしも)
  270. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 281–282曙(あけぼの)
  271. ^ 戦史叢書93 1976, p. 67第二遊撃部隊のマニラ撤退と第一遊撃部隊の内地回航
  272. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 308–309浦風(うらかぜ)
  273. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 292時雨(しぐれ)
  274. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 287–288初春(はつはる)
  275. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 321a岸波(きしなみ)
  276. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 320c-321沖波(おきなみ)
  277. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 317a長波(ながなみ)
  278. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 320b浜波(はまなみ)
  279. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 328霜月(しもつき)
  280. ^ #S1911二水戦日誌(2) pp.29-30〔 10日2sd|機密二水戦法令第一號 艦隊区分 〕
  281. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 282–283潮(うしお)
  282. ^ #S2004二水戦日誌(1) p.43〔 (ハ)作戦指導(一)編制區分 〕
  283. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 283–285響(ひびき)
  284. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 310–311磯風(いそかぜ)
  285. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 311–312浜風(はまかぜ)
  286. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 321b-322朝霜(あさしも)
  287. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 325–326涼月(すずつき)
  288. ^ 陽炎型(光人社) 2014, pp. 307–308雪風(ゆきかぜ)
  289. ^ 陽炎型(光人社) 2014, p. 121.
  290. ^ #S1801二水戦日誌(1) p.11〔 司令官|少将|小柳冨次|二十三日退隊|(伊崎俊二)|三十日着任 〕
  291. ^ 戦史叢書96 1976, p. 247.
  292. ^ #S1812二水戦日誌(1) p.20〔 司令官|少将|高間完|補第十一水戰司令官、十二月十六日退任 〕-〔 同|同|早川幹夫|十二月十六日着任 〕
  293. ^ #S1911二水戦日誌(1) pp.9-10〔 (1)十一月二十日「リンガ」回航中第一水雷戰隊解隊同隊所属駆逐艦ノ第二水雷戰隊編入ト共ニ本職第二水雷戰隊司令官ニ補職セラレ多號作戰部隊第一警戒部隊指揮官トシテ支援部隊ニ属シ當方面所在二水戰ヲ直接指揮スルコトトナレリ 〕
  294. ^ 大正3年8月21日(金)海軍公報 第607号附録 p.46」 アジア歴史資料センター Ref.C12070242600 〔 ○旗艦指定 第二艦隊司令長官旗艦ヲ八月二十日左ノ通指定セル旨報告アリ 栃内司令官旗艦 磐手 上村司令官旗艦 千歳 岡田司令官旗艦 利根 〕
  295. ^ 大正4年12月16日(水)海軍公報 第1001号 p.30」 アジア歴史資料センター Ref.C12070247400 〔 ○旗艦變更 第一艦隊司令長官ハ本日旗艦ヲ攝津ヨリ河内ニ變更セリ|○旗艦指定 第二水雷戰隊司令官ハ本月十三日旗艦ヲ出雲ニ指定セリ 〕
  296. ^ a b 大正6年3月30日(金)海軍公報 第1374号 p.22」 アジア歴史資料センター Ref.C12070254600 〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ本月二十九日旗艦ヲ吾妻ヨリ日進ニ變更セリ 〕
  297. ^ 大正6年4月16日(月)海軍公報 第1386号 p.27」 アジア歴史資料センター Ref.C12070254700 〔 ○司令部 第二水雷戰隊司令官ハ一昨十四日 日進退艦當分ノ間同隊司令部事務ヲ横須賀水交支社内ニ於テ取扱フ 〕
  298. ^ 大正6年4月25日(水)海軍公報 第1394号 p.3」 アジア歴史資料センター Ref.C12070254800 〔 ○事務所撤去 來ル二十六日ヨリ横須賀水交社支社ニ於ケル當隊ノ司令部事務所ヲ撤ス(第二水雷戰隊司令部) 〕
  299. ^ 大正6年4月26日(木)海軍公報 第1395号 p.5」 アジア歴史資料センター Ref.C12070254800 〔 ○旗艦變更 第一特務艦隊司令官ハ來ル五月一日旗艦ヲ矢矧ヨリ出雲ニ變更ノ豫定/○旗艦 第二水雷戰隊司令官ハ本日淺間ニ乗艦将旗ヲ掲揚セリ 〕
  300. ^ 大正6年5月7日(月)海軍公報第千四百三号 p.16」 アジア歴史資料センター Ref.C12070254900 〔 ○旗艦變更 第三水雷戰隊司令官ハ本月五日旗艦ヲ肥前ヨリ阿蘇ニ變更セリ|○将旗撤去 第二水雷戰隊司令官ハ轉地療養不在中旗艦淺間ノ将旗ヲ徹セリ 〕
  301. ^ 大正7年1月25日(金)海軍公報 第1615号 p.18」 アジア歴史資料センター Ref.C12070259900 〔 ○将旗撤去 第二水雷戰隊司令官ハ今二十五日旗艦吾妻ノ将旗ヲ撤去セリ|○郵便物發送先(中略)第二水雷戰隊司令部宛 本日以後 呉 軍艦平戸 〕
  302. ^ 大正7年1月28日(月)海軍公報 第1617号 p.27」 アジア歴史資料センター Ref.C12070259900 〔 ○旗艦指定 第二水雷戰隊司令官ハ一昨二十六日旗艦ヲ平戸ニ指定セリ 〕
  303. ^ 大正7年7月26日(金)海軍公報 第1666号 p.15」 アジア歴史資料センター Ref.C12070261400 〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ本月二十五日旗艦ヲ平戸ヨリ千歳ニ變更セリ 〕
  304. ^ 大正7年8月26日(月)海軍公報 第1791号 p.31」 アジア歴史資料センター Ref.C12070261600 〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ一昨二十四日旗艦ヲ千歳ヨリ平戸ニ變更セリ|○事務所移轉 軍艦河内引揚方法調査會事務所ハ本月二十三日呉海軍港務部内ニ移轉セリ 〕
  305. ^ 大正8年12月3日(水)海軍公報 第2160号 p.12」 アジア歴史資料センター Ref.C12070266700 〔 ○郵便物發送先 軍艦淀宛郵便物ハ當分上海日本郵便局氣付トス/第二水雷戰隊司令部宛 本日以後 横須賀軍艦天龍/第一艦隊司令部扶桑宛 本日以後 呉 〕
  306. ^ 大正10年12月19日(月)海軍公報 第2763号 p.14」 アジア歴史資料センター Ref.C12070278200 〔 ○殘務結了 舊第二艦隊殘務本月十六日結了セリ 〕
  307. ^ a b 大正13年9月9日(火)海軍公報 第3559号 」 アジア歴史資料センター Ref.C12070292900 p.31〔 ○旗艦變更 第二艦隊司令長官ハ本月八日旗艦ヲ比叡ヨリ金剛ニ變更セリ|第二水雷戰隊司令官ノ旗艦ヲ本月七日ヨリ北上ニ變更セリ(第二艦隊司令長官) 〕
  308. ^ 大正13年8月30日(土)海軍公報 第3551号 」 アジア歴史資料センター Ref.C12070292800 p.5〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ノ旗艦ヲ本月二十九日北上ヨリ川内ニ一時變更セリ(第二艦隊司令長官) 〕
  309. ^ 大正13年12月6日(土)海軍公報 第3631号 p.34」 アジア歴史資料センター Ref.C12070293600 〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ旗艦ヲ北上ヨリ五十鈴ニ、第二潜水戰隊司令官ハ旗艦ヲ平戸ヨリ長鯨ニ十二月一日孰レモ變更セリ 〕
  310. ^ 大正15年11月26日(金)海軍公報 第4209号 p.30」 アジア歴史資料センター Ref.C12070305200 〔 ○郵便物發送先 第二水雷戰隊司令部宛 十一月三十日迄ニ到達見込ノモノハ横須賀(軍艦五十鈴)其ノ後ハ佐世保(軍艦夕張)|○第二水雷戰隊司令部事務ハ本月三十日迄軍艦五十鈴ニ於テ、十二月一日以後ハ軍艦夕張ニ於テ執行ノ豫定(第二水雷戰隊司令部) 〕
  311. ^ 昭和2年12月3日(土)海軍公報 第277号 p.7」 アジア歴史資料センター Ref.C12070311200 〔 ○旗艦變更 第二艦隊司令長官ハ本月一日第五戰隊司令官ノ旗艦ヲ加古ヨリ衣笠ニ、第二水雷戰隊司令官ノ旗艦ヲ夕張ヨリ名取ニ變更セリ 〕
  312. ^ 昭和3年12月11日(火)海軍公報 第581号 pp.39-40」 アジア歴史資料センター Ref.C12070317200 〔 ○旗艦變更 第一艦隊司令長官ハ本月十日旗艦ヲ長門ヨリ山城ニ變更セリ/第二艦隊司令長官ハ本月十日長官旗艦ヲ金剛ヨリ榛名ニ、第二水雷戰隊司令官旗艦ヲ名取ヨリ鬼怒ニ變更セリ 〕
  313. ^ 昭和8年11月17日(金)海軍公報 第2029号 p.7」 アジア歴史資料センター Ref.C12070339200 〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ神通ヨリ那珂ニ、第一潜水戰隊司令官ハ迅鯨ヨリ長鯨ニ一昨十五日旗艦ヲ孰モ變更セリ 〕
  314. ^ 昭和9年11月15日(木)海軍公報 第2322号 p.46」 アジア歴史資料センター Ref.C12070345500 〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ本十五日旗艦ヲ那珂ヨリ神通ニ變更セリ 〕
  315. ^ 昭和10年11月16日(土)海軍公報第2616号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C12070352600 〔 ○旗艦變更 第二艦隊司令長官ハ鳥海ヨリ妙高ニ、第三艦隊司令長官ハ球磨ヨリ出雲ニ、第一潜水戰隊司令官ハ多摩ヨリ迅鯨ニ、第二水雷戰隊司令官ハ神通ヨリ那珂ニ、第二潜水戰隊司令官ハ由良ヨリ鬼怒ニ、第二航空戰隊司令官ハ赤城ヨリ加賀ニ、第五水雷戰隊司令官ハ龍田ヨリ夕張ニ旗艦ヲ昨十五日變更セリ 〕
  316. ^ 昭和11年12月4日(金)海軍公報 第2925号 p.36」 アジア歴史資料センター Ref.C12070358700 〔 ○将旗掲揚 第二水雷戰隊司令官ハ本月三日神通ニ将旗ヲ掲揚セリ 〕
  317. ^ 昭和13年12月23日(金)海軍公報(部内限)第3094号 p.18」 アジア歴史資料センター Ref.C12070376200 〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ十二月十五日旗艦ヲ神通ヨリ那珂ニ變更セリ|○殘務整理 第三驅逐隊ノ殘務整理ハ驅逐艦島風ニ於テ行フ 〕
  318. ^ 昭和14年11月15日(水)海軍公報(部内限)第3361号 p.35」 アジア歴史資料センター Ref.C12070381900 〔 ○将旗移揚 第二水雷戰隊司令官ハ十一月十五日将旗ヲ那珂ヨリ神通ニ移揚セリ 〕
  319. ^ #S1709二水戦日誌(1) p.3〔 九月二十六日旗艦ヲ神通ヨリ五十鈴ニ變更 〕
  320. ^ 昭和16年4月18日(金)海軍公報(部内限)第3774号 p.33」 アジア歴史資料センター Ref.C12070394300 〔 ○将旗掲揚 第四航空戰隊司令官ハ四月十四日将旗ヲ龍驤ニ掲揚セリ|○将旗一時移揚 第三潜水戰隊司令官ハ四月八日一時将旗ヲ伊號第八潜水艦ニ移揚、同十三日五十鈴ニ復歸セリ|○将旗復歸 第二水雷戰隊司令官ハ四月十五日将旗ヲ神通ニ復歸セリ|○司令驅逐艦指定 第四驅逐隊司令ハ四月一日嵐ニ指定セリ|○司令驅逐艦一時變更 第十八驅逐隊司令ハ四月十三日司令驅逐艦ヲ一時霰ヨリ不知火ニ變更セリ 〕
  321. ^ 昭和16年8月18日(月)海軍公報(部内限)第3874号 p.8」 アジア歴史資料センター Ref.C12070402500 〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ八月十四日旗艦ヲ朝潮ヨリ神通ニ變更セリ 〕
  322. ^ 戦史叢書49 1971, p. 587.
  323. ^ #戦隊行動調書 p.36〔 艦在所 8.28←炎陽→8.25 〕
  324. ^ #戦隊行動調書 p.36〔 艦在所 8.31←笠衣→8.28 〕
  325. ^ 戦史叢書83 1975, p. 33.
  326. ^ #戦隊行動調書 p.36〔 艦在所 9.2←霧夕→8.31 〕
  327. ^ #戦隊行動調書 p.36〔 艦在所 9.25←通神→9.2 〕
  328. ^ 昭和17年10月14日(水)海軍公報(部内限)第4219号 p.32」 アジア歴史資料センター Ref.C12070423100 〔 ○旗艦變更 第二水雷戰隊司令官ハ九月二十六日旗艦ヲ五十鈴ニ變更セリ 〕
  329. ^ 戦史叢書83 1975, p. 379.
  330. ^ 戦史叢書83 1975, p. 433.
  331. ^ 戦史叢書83 1975, p. 441.
  332. ^ 戦史叢書83 1975, p. 513.
  333. ^ 戦史叢書96 1976, p. 238.
  334. ^ #S1806二水戦日誌(1) p.26〔 (一)4sd兵力ノ2sd編入竝ニ旗艦ノ變更 〕
  335. ^ a b #S1806二水戦日誌(2) pp.3-4〔 (二)能代ノ2sd編入(旗艦豫定)及長良ノ8F編入豫定ニ關聯長良ハ急速内地ニ回航修理ノ事トナリ九日「トラック」發十四日呉着 十五日附能代2sd編入ニヨリ同日旗艦變更 〕
  336. ^ 写真日本の軍艦(9)軽巡(II) 1990, p. 104b能代行動年表
  337. ^ 戦史叢書56 1972, p. 471.
  338. ^ a b 戦史叢書56 1972, p. 521b.
  339. ^ 戦史叢書102 1980, p. 265昭和19年(1944年)11月10日
  340. ^ #S1911二水戦日誌(1) p.11〔 十一月二十九日一六〇〇将旗ヲ潮ニ移揚ス 〕
  341. ^ #戦隊行動調書 p.37〔 艦在所 12.9←潮→11.27 〕
  342. ^ a b #S1911二水戦日誌(1) p.12〔 …清霜亦急速整備ヲ完了シ十二月九日将旗ヲ之ニ移揚「リンガ」ニ進出ス即日将旗ヲ朝霜ニ揚ス 〕
  343. ^ #S1911二水戦日誌(1) p.12〔 朝霜探照燈反射鏡破損シ之ガ換装ノ爲十一日昭南ニ回航整備ノ上十二日「リンガ」出撃ノ2YBニ合同北上十三日 初霜 霞ヲ合同十四日「カムラン」着将旗ヲ大淀ニ移揚ス 〕
  344. ^ #S1911二水戦日誌(1) p.17〔 備考(略)三.十二月十四日以降一時将旗ヲ大淀ニ掲揚ス大淀ノ行動朝霜ニ同シ 〕-p.61〔 二八(天候略)二〇三〇将旗ヲ大淀ニ移揚ス 〕
  345. ^ #戦隊行動調書 p.37〔 艦在所 2.23←霞→20.1.1 〕、#S1911二水戦日誌(2) p.10〔 (1)一日昭南歸着将旗ヲ大淀ヨリ霞ニ復歸ス 〕
  346. ^ #戦隊行動調書 p.37〔 艦在所 2.23←矧矢→4.7 〕

関連項目