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浦波 (吹雪型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浦波
基本情報
建造所 佐世保海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆逐艦
級名 吹雪型駆逐艦(特I型)
艦歴
発注 昭和2年度艦艇補充計画
起工 1927年4月28日
進水 1928年11月29日
就役 1929年6月30日
最期 1944年10月26日戦没
除籍 1944年12月10日
要目
基準排水量 1,680t
公試排水量 1,980t
全長 118.5メートル
最大幅 10.36メートル
吃水 3.19メートル
機関 艦本式タービン2基2軸
艦本式ロ号専焼缶4基
50,000馬力
最大速力 38.0ノット
航続距離 5,000/14ノット
乗員 兵員: 219人
兵装 12.7cm50口径連装砲×3
7.7mm機銃×2
61cm魚雷発射管×9 他
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浦波(うらなみ)は日本海軍駆逐艦(2代目)[1][2]吹雪型駆逐艦の10番艦[3]。 特型駆逐艦の波級[4]浦波級として紹介されたこともある[5]。 当初の艦名は第四十四号駆逐艦[6][7]。 「磯波」までの特I型と煙突基部の缶室給気路が改正され異なっており、特改I型と呼ばれる場合がある(日本海軍の法令上は吹雪型駆逐艦[3]。吹雪型1番艦吹雪[8]と吹雪型2番艦白雪[9]沈没後は初雪型駆逐艦[10]

概要

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一等駆逐艦「浦波」(建造時艦名、第四十四号駆逐艦)は[2][1]1929年(昭和4年)6月に竣工した日本海軍の駆逐艦[11]。吹雪型4隻(磯波、浦波、綾波、敷波)による第19駆逐隊を編成[12]日中戦争を経て、太平洋戦争に突入[11]。大戦中盤までの第19駆逐隊は第三水雷戦隊に所属[11]。1943年(昭和18年)9月より第十六戦隊に所属した[11]1944年(昭和19年)10月26日、「浦波」はレイテ沖海戦に伴う輸送作戦に従事中[13]、米軍機の空襲により長良型軽巡洋艦5番艦「鬼怒」等と共に撃沈された[11][14]。 「浦波」が参加した主な作戦は、南方作戦ミッドウェー海戦(主力部隊護衛)、ガダルカナル島の戦い駆逐艦輸送)、第三次ソロモン海戦ビスマルク海海戦渾作戦レイテ沖海戦多号作戦)。

艦名

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艦名の「浦波」はに寄せる波に由来し、初代は神風型駆逐艦 (初代)の「浦波[15][16]1926年(大正15年)11月、初代神風型駆逐艦(三等駆逐艦)は掃海艇への艦種変更時に潮型掃海艇に改称[17]、まもなく浦波型掃海艇へ改称された[18]。 初代「浦波」は1924年(大正13年)12月1日附で駆逐艦から掃海艇へ類別変更[19]1928年(昭和3年)8月1日附で本艦(第44号駆逐艦)が「浦波」と改名されると[1][20]、同日附で初代「浦波」は第8号掃海艇と改名された[21][22]

本艦沈没後、「浦波」の艦名は、海上自衛隊あやなみ型護衛艦3番艦「うらなみ」に継承された。

艦歴

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建造

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佐世保海軍工廠で建造[23]1927年(昭和2年)4月26日、日本海軍は横浜船渠で建造の駆逐艦を第三十六号駆逐艦(白雪)[24][7]浦賀船渠で建造の駆逐艦を第三十八号駆逐艦(深雪)[7]藤永田造船所の駆逐艦を第三十九号駆逐艦(叢雲)[7]、佐世保海軍工廠の駆逐艦を第四十四号駆逐艦と命名する[25][2]。 第44号駆逐艦は、同日附で第三十五号型駆逐艦に類別される[26]。 命名から2日後の4月28日、第44号駆逐艦は佐世保海軍工廠で起工[23]

1928年(昭和3年)8月1日附で第44号駆逐艦は「浦波」に改名[27]。同日附で第三十五号型駆逐艦も吹雪型駆逐艦に改訂され、「浦波」は吹雪型10番艦となる[3]。同年11月29日、進水[23][28]

1929年(昭和4年)1月15日、五藤存知中佐(当時、駆逐艦灘風艦長)は浦波艤装員長に任命される[29]。4月25日、五藤存知中佐(浦波艤装員長)は制式に浦波駆逐艦長(初代)となる[30]。主要初代幹部は、水雷長桝本要大尉、砲術長井筒義三大尉、航海長宮雄次郎大尉、浦波機関長森本芳夫機関大尉[30]。 6月10日、佐世保海軍工廠の浦波艤装員事務所を撤去[31]。6月30日、浦波は竣工した[23][32]

竣工後

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1929年(昭和4年)11月30日、日本海軍は吹雪型2隻(磯波、浦波)により第19駆逐隊を編制(昭和4年12月24日敷波編入。昭和5年4月30日綾波編入)[12]。第19駆逐隊司令神山忠大佐は、司令駆逐艦を「浦波」に指定した[33]。 同日附で行われた艦隊編制替えにより、第19駆逐隊は第二艦隊第二水雷戦隊に所属[34]。この時点の第二水雷戦隊は、長良型軽巡洋艦5番艦「鬼怒」以下第11駆逐隊(吹雪白雪初雪深雪)、第12駆逐隊(叢雲東雲薄雲白雲)、第19駆逐隊(磯波、浦波、敷波、綾波)という編制だった[34][12]

1930年(昭和5年)11月2日、五藤存知中佐(浦波駆逐艦長)は樅型駆逐艦で編制された第27駆逐隊()司令へ転任(太平洋戦争開戦時、第六戦隊司令官。サボ島沖海戦で旗艦「青葉」大破時に戦死)[35][36]江戸兵太郎少佐(当時、駆逐艦追風艦長)が浦波駆逐艦長に任命される[35]。 12月1日の艦隊再編でも、第二水雷戦隊(旗艦「鬼怒」)は前年度の編制を維持する[37]

1931年(昭和6年)12月1日、吹雪型駆逐艦3隻(東雲吹雪磯波)による第20駆逐隊の編制により、第19駆逐隊は3隻(浦波、綾波、敷波)となった[38]。 同日附で行われた艦隊再編で、第二水雷戦隊旗艦は「鬼怒」から川内型軽巡洋艦2番艦「神通」に交代[39]。 第二水雷戦隊は神通以下第7駆逐隊()、第8駆逐隊(天霧朝霧夕霧)、第19駆逐隊(浦波、敷波、綾波)、第20駆逐隊(東雲、吹雪、磯波)となった[39][38]

1932年(昭和7年)12月1日、江戸兵太郎中佐(浦波駆逐艦長)は姉妹艦の薄雲艦長へ転任[40]八島元徳中佐(当時、特務艦鳴門副長)が浦波駆逐艦長となる[40]。同日附の艦隊再編で、第19駆逐隊は第二水雷戦隊より除かれた[41]

1933年(昭和8年)5月1日、八島元徳中佐(浦波艦長)は海軍航空廠総務部部員となり、海軍砲術学校教官木村進中佐が浦波駆逐艦長に補職[42]。 同年11月15日、木村進中佐(浦波駆逐艦長)は姉妹艦駆逐艦長へ転任[43]古木百蔵中佐(当時、砲艦二見艦長)が後任の浦波駆逐艦長として着任した[43]。 同年12月11日より各鎮守府(横須賀鎮守府呉鎮守府佐世保鎮守府)に警備戦隊が新設され、第19駆逐隊(浦波、敷波、綾波)は呉警備戦隊に所属[44]。 編制直後の呉警備戦隊は、巡洋艦5隻(加古妙高那智阿武隈神通)、第13駆逐隊(呉竹若竹早苗)、第19駆逐隊(浦波、敷波、綾波)、第20駆逐隊(東雲、磯波、吹雪)、第18潜水隊、練習特務艦「朝日」など[45][46][44]

1934年(昭和9年)11月15日附で実施された艦隊再編により第二水雷戦隊旗艦は軽巡洋艦神通となり[47]、麾下駆逐隊も第6駆逐隊()、第10駆逐隊(狭霧)、第19駆逐隊(浦波敷波綾波)、第20駆逐隊(東雲吹雪磯波)となった[48][49]

1935年(昭和10年)1月15日、古木百蔵中佐(浦波駆逐艦長)は新高型防護巡洋艦2番艦対馬副長へ転任[50]久宗米次郎中佐(当時、姉妹艦初雪駆逐艦長)が浦波駆逐長となる[50]。 3月4日夜、第二水雷戦隊(旗艦《神通》、第6駆逐隊《響、雷》、第10駆逐隊《漣、暁》、第19駆逐隊《綾波、浦波》、第20駆逐隊《東雲、吹雪、磯波》)は第二艦隊夜間演習のため種子島沖合を航行中だった[51]。 午後8時、姉妹艦「吹雪」(艦長平井恭次中佐)が航行中に突如操舵不能となり、「浦波」(艦長久宗米次郎中佐)の右舷に衝突する[52]。前年の吹雪型2隻衝突(深雪沈没、大破)程ではなかったが、衝突艦2隻(浦波、吹雪)は呉海軍工廠で修理することになった[53]

同年11月1日、久宗米次郎中佐(浦波駆逐艦長)は二等駆逐艦3隻(夕顔、菊、葵)の第14駆逐隊司令へ転任(後日、久宗はサボ島沖海戦時の重巡青葉艦長。同海戦で吹雪沈没、元浦波初代艦長の五藤存知少将戦死。)[36][54]田原吉興中佐(当時、駆逐艦初春艦長)が、久宗の後任の浦波駆逐艦長に任命される[54]。 11月15日の艦隊再編で、第二水雷戦隊旗艦は軽巡洋艦那珂となる[55]。 那珂麾下の第二水雷戦隊所属駆逐隊は、第6駆逐隊(雷、電、響)、第8駆逐隊(天霧、朝霧)、第19駆逐隊(浦波、敷波、綾波)、第20駆逐隊(東雲、吹雪、磯波)となった[55][56]

1936年(昭和11年)12月1日、田原中佐(浦波駆逐艦長)は青葉型重巡洋艦1番艦「青葉」副長へ転任[57]。当時の大湊要港部参謀島崎利雄中佐が浦波駆逐艦長となる[57]。また、かつての浦波艦長木村進大佐(当時、第30駆逐隊司令)が第19駆逐隊司令に補職され、西村祥治大佐(第19駆逐隊司令)は軍令部出仕となる(西村は翌年10月31日より最上型4番艦「熊野」初代艦長)[57]。 同日附で行われた艦隊編制変更により第20駆逐隊は除籍され、「吹雪」は第11駆逐隊、「東雲」は第12駆逐隊、「磯波」は第19駆逐隊にそれぞれ編入[58][59]。第19駆逐隊は波級4隻(磯波、浦波、綾波、敷波)に戻った[59]

日中戦争に際しては1937年(昭和12年)、上海杭州湾上陸作戦に参加。

1937年(昭和12年)8月19日日付変更直後、佐世保から横須賀に向けて航海中の「浦波」は前方から接近するさんとす丸級貨客船1番船「さんとす丸」(大阪商船)を発見[60]。これを回避すべく左に舵をとったところ、後続していた「磯波」が浦波左舷三番砲塔附近に追突した[61][62]。同日夕刻、損傷した「浦波」は横須賀に到着[63]。本格的な修理に入る。 同年12月1日、島崎利雄中佐(浦波駆逐艦長)は若竹型駆逐艦3隻(朝顔芙蓉刈萱)の第16駆逐隊司令へ転任[64]。「浦波」を退艦した(本艦は予備艦となる)[65]。日本海軍は、吹雪型駆逐艦12番艦「敷波」駆逐艦長折田常雄少佐に対し、敷波艦長と浦波艦長の兼務を命じた[64]。 また木村進大佐(第19駆逐隊司令)は軽巡洋艦川内艦長へ転任、金桝義夫中佐(当時第26駆逐隊司令)が第19駆逐隊司令として着任する[64]

1938年(昭和13年) 10月5日、折田常雄少佐(敷波・浦波艦長)は姉妹艦白雪駆逐艦長へ転任(後日、駆逐艦浜風初代艦長、駆逐艦照月初代艦長等を歴任)[66]。敷波艦長には大原利道少佐(当時艤装員長)、浦波艦長には野間口兼知少佐(当時山風艦長。後任は吉川潔少佐)が任命される[66]

1939年(昭和14年)11月15日、浦波駆逐艦長は野間口兼知中佐から仙波繁雄中佐(当時、姉妹艦磯波艦長)に交代[67]。野間口中佐は翌年5月より陽炎型駆逐艦夏潮艤装員長[68]および初代艦長となった[69]

1940年(昭和15年)11月15日の艦隊再編で、第19駆逐隊は第三水雷戦隊(旗艦「川内」)に所属。 1941年(昭和16年)4月15日、仙波繁雄少佐(浦波艦長)は呉鎮守府附となる[70](同年7月1日より夕雲型駆逐艦1番艦夕雲艤装員長[71]および初代艦長[72])。萩尾力少佐(当時、駆逐艦追風艦長)が浦波駆逐艦長に任命される[70]。 8月11日、第19駆逐隊司令橘正雄大佐は白露型駆逐艦4隻(村雨夕立春雨五月雨)の第2駆逐隊司令へ転任[73]。第3駆逐隊司令大江覧治大佐が、後任の第19駆逐隊司令となる[73]。第19駆逐隊は大江大佐の指揮下で太平洋戦争に突入した。

太平洋戦争緒戦

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1941年(昭和16年)12月8日太平洋戦争開戦時、第三水雷戦隊はマレー作戦南方作戦)に参加。

12月19日、コタバル沖で軽巡洋艦「川内」搭載機がオランダ潜水艦「O20」を発見して爆撃し、その後駆逐艦などが爆雷攻撃を行った[74]。損傷させた潜水艦が夜間浮上するであろうとの判断から、それに対するため「浦波」が配置された[75]。日没後、「浦波」は「O20」を発見して砲撃を開始[76]。先の爆雷攻撃で潜航不能となっていた「O20」も応射し、魚雷も2本発射したが命中しなかった[77]。艦影を見失った後、「浦波」は爆雷2個を投下した[75]。翌朝、泳いでいた「O20」乗員を発見し、先任将校以下32名を救助した[78]。「浦波」乗員は「O20」に乗り込み、同艦はすぐに沈んでしまったものの機密文書を回収している[77]

1942年(昭和17年)1月18日から19日にかけて、悪天候により「浦波」は船体に軽度の被害を受けた[79]。 6月上旬のミッドウェー作戦における第三水雷戦隊(軽巡川内、第11駆逐隊《吹雪、白雪、初雪、叢雲》、第19駆逐隊《磯波、浦波、敷波、綾波》)は、連合艦隊旗艦大和以下主力隊(本隊《大和、陸奥、長門》、空母隊《鳳翔、夕風》、特務隊《千代田、日進》、第一補給隊《鳴戸、東栄丸、有明》)の警戒隊として参加[80][81]。同ミッドウェー作戦中の6月9日、「浦波」は「磯波」に衝突されて損傷(磯波は艦首損傷により速力11ノットに低下)[82][83]。6月11日、2隻(川内、浦波)は主力艦隊から落伍・行方不明となり、空母「鳳翔」の九六式艦上攻撃機によって発見され、大和以下主力部隊に合流することができた[82][84]。その後、ガダルカナル島の戦いにともなう駆逐艦輸送作戦(鼠輸送)に従事する。

1942年(昭和17年)11月14日深夜、前進部隊指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官麾下の日本艦隊(重巡2隻《愛宕〔第二艦隊旗艦〕、高雄》、戦艦1隻《霧島》、軽巡2隻《長良川内》、駆逐艦《朝雲照月五月雨白雪初雪、浦波、綾波、敷波》)はウィリス・A・リー少将指揮下の米艦隊(戦艦2隻《ワシントンサウスダコタ》、駆逐艦4隻)と交戦、米戦艦1隻損傷(サウスダコタ)・駆逐艦3隻沈没(撃沈《ウォーク、プレストン》、自沈《ベンハム》)と引き換えに日本側2隻(戦艦《霧島》、駆逐艦《綾波》)が沈没[85]。「浦波」は綾波乗組員の救助を行った[11]。第19駆逐隊は3隻(磯波、浦波、敷波)に減少する[86]。本艦は、一旦日本本土に帰投した[11]

昭和18年の行動

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1943年(昭和18年)1月25日、第19駆逐隊司令大江覧治大佐は横須賀鎮守府附となる[87](大江は2月3日より第61駆逐隊司令)[88]。第19駆逐隊司令には、1月10日まで陽炎型駆逐艦9番艦「天津風」艦長だった原為一中佐が任命された[87]2月1日原為一中佐は第19駆逐隊司令の職務を解かれ[89]、横須賀鎮守府附となる(3月8日より駆逐艦時雨以下の第27駆逐隊司令)[90]。当時の第一掃海隊司令福岡徳治郎中佐が第19駆逐隊司令に任命された[89]

3月3日南東方面艦隊司令長官草鹿任一中将指揮下の第三水雷戦隊(司令官木村昌福少将。旗艦「白雪」)は、駆逐艦8隻(白雪型3隻《白雪、敷波、浦波》、朝潮型3隻《朝潮荒潮朝雲 》、陽炎型2隻《雪風時津風》)、輸送船8隻をもってラバウルよりニューギニア島ラエおよびサラモアへの輸送作戦を実施中、米軍基地航空隊の大規模空襲を受ける(ビスマルク海海戦)。一連の空襲により駆逐艦4隻(白雪、朝潮、荒潮、時津風)と輸送船8隻が沈没[91]。白雪沈没により木村司令官(負傷中)は「敷波」に将旗を掲げ、残存駆逐艦4隻と応援の「初雪」(第11駆逐隊)で沈没艦生存者の救助を行った[92]。ラバウル帰投後、第三水雷戦隊司令官は3月6日附で木村昌福少将から江戸兵太郎少将(浦波2代目艦長)に交代した[93]。 3月10日、第19駆逐隊は第八艦隊の指揮下を離れた[94]

なおサボ島沖海戦における吹雪沈没[95]により吹雪型駆逐艦は白雪型駆逐艦と改定されていたが[8]、白雪沈没により初雪型駆逐艦に改訂されている[9]

4月2日、「浦波」はセレベス島マカッサルの南西約60浬のデプリン礁附近で座礁[96]。4月21日に離礁し[97]、スラバヤで8月13日まで修理を行った[11]4月9日、第19駆逐隊僚艦「磯波」は米潜水艦トートグに撃沈される[98]。第19駆逐隊は初雪型2隻(浦波、敷波)となった[99]。 5月15日、田中知生少佐(当時、駆逐艦帆風艦長)は浦波駆逐艦長に任命される[100]。萩尾中佐(元浦波艦長)は駆逐艦舞風艦長に任命され[101]トラック島空襲における同艦沈没時に戦死した[102]

9月20日、3隻(重巡《足柄》、第19駆逐隊《浦波、敷波》)は第十六戦隊に編入[103][104]。 第十六戦隊(同戦隊司令官は9月16日附で志摩清英中将から左近允尚正少将に交代)[105]の所属艦艇は、巡洋艦5隻(足柄大井北上球磨鬼怒《呉所在、修理中。10月中旬[106]シンガポール着》)、駆逐艦2隻(浦波、敷波)となった[107][108]。 9月25日、スラバヤにおける「浦波」の修理完了[107]。以後、東南アジア方面で護衛任務に従事した[109][110]。 また基地航空隊の訓練にも協力した[106][111][112]

12月10日、第19駆逐隊司令は福岡徳治郎大佐から大原利道大佐に交代[113]。12月15日、大修理を終えた重巡洋艦青葉は呉を出撃[114]。第十六戦隊に編入され、シンガポールに進出した。

昭和19年の行動

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1943年12月31日、ラムリー島がイギリス軍の小規模な部隊による襲撃を受けた[115]。そのため独立混成第24旅団の一部のメルギーへの輸送が決定され、「浦波」と重巡洋艦「足柄」、「青葉」、軽巡洋艦「球磨」が1944年1月3日にシンガポールから出航し、ペナンで陸兵約2000名を乗せ1月6日にメルギーに到着した[115]。また、この機会に航空部隊の雷爆撃訓練が3度実施された[116]。続いて4回目の訓練のため「球磨」と「浦波」は1月11日にペナンから出航しペラク島沖へと向かったが、その途中で「球磨」はイギリス潜水艦「タリホー」の雷撃により撃沈された[116]。「浦波」は球磨生存者(球磨艦長杉野修一大佐を含む)を救助[117]後ペナンで燃料を補給し、それから対潜掃討を行ったが成果は無く1月16日にシンガポールに戻った[118]

2月25日、「足柄」は第十六戦隊より除かれ第五艦隊麾下の第21戦隊(那智、足柄、多摩、木曾)に編入[119][120]。第十六戦隊旗艦は「青葉」となった[121]。 同時期、南西方面艦隊は応援部隊(利根筑摩)を加えてサ号作戦を発動(3月18日に利根でビハール号事件発生)[122]。 3月1日、駆逐艦「天霧」が第19駆逐隊に編入され、19駆は吹雪型3隻編制(浦波、敷波、天霧)となる[123]

4月15日、浦波駆逐艦長は田中知生少佐[124]から佐古加栄少佐に交代[125]。田中少佐は駆逐艦満潮艦長に任命され[126]、レイテ沖海戦スリガオ海峡夜戦における満潮沈没から生還した[127]。 同時期の「浦波」は、中部太平洋諸島(サイパン、グアム)への輸送作戦に従事した[11]

4月23日、姉妹艦「天霧」は機雷によりマカッサル海峡で沈没[128]。第19駆逐隊は2隻(浦波、敷波)となる[129]

5月末、連合軍はビアク島に来襲してビアク島の戦いが始まる。連合艦隊(司令長官豊田副武大将、参謀長草鹿龍之介中将)はビアク島への増援を決定し、第十六戦隊司令官左近允尚正少将指揮下の輸送作戦を実施することになった(渾作戦[130]6月2日、日本艦隊は左近允少将直率の輸送隊本隊(巡洋艦2隻《青葉鬼怒》、駆逐艦《敷波浦波時雨》)、輸送支援隊(敷設艦《津軽厳島》、第127号輸送艦第36号駆潜艇第37号駆潜艇)、警戒隊(第五戦隊《妙高羽黒》、第27駆逐隊《春雨白露五月雨》)、間接護衛隊(戦艦《扶桑》、第10駆逐隊《風雲朝雲》)という編制でダバオミンダナオ島)を出撃[130]。だが翌日にB-24爆撃機に触接されて奇襲作戦の見込みがなくなり、輸送隊はソロン(ニューギニア島西端)に進撃(6月4日着)、警戒隊・間接護衛隊はダバオに引き返した[130][131]

6月8日午前3時、第27駆逐隊司令白浜政七大佐(春雨座乗)指揮下の駆逐艦6隻(第27駆逐隊《春雨、五月雨、白露、時雨》、第19駆逐隊《浦波、敷波》)はソロンを出撃、ビアク島へ向かう途中でB-25爆撃機の空襲により旗艦「春雨」が沈没(白浜司令戦死)[132][133]。残る駆逐艦5隻で作戦を続行したが、連合軍艦隊(巡洋艦3隻、駆逐艦14隻)に迎撃されて夜間水上戦闘となり、損傷を受けつつ浦波以下5隻は脱出に成功した[134]。 6月10日、連合艦隊司令部は第一戦隊司令官宇垣纏中将指揮下の大和型戦艦2隻(大和武蔵)と第二水雷戦隊(司令官早川幹夫少将)を渾部隊に編入して第三次渾作戦を実施しようとした[135]。だがサイパン島東方に米軍機動部隊が出現したため、6月13日附で「あ号作戦決戦用意」を発令、渾作戦は中止された(ビアク島の日本陸軍守備隊は玉砕[135]

7月の十六戦隊3隻(青葉、鬼怒、浦波)はシンガポールで訓練と修理に従事した[136][137]。 7月19日、輸送任務従事中の第十六戦隊2隻(大井、敷波)は米潜水艦フラッシャーに襲撃され、同艦の雷撃により「大井」が沈没した[138][139]。 また軽巡洋艦北上も損傷を修理するため、マニラを経由して佐世保に帰投[140][141]。同艦がシンガポールに戻ることはなかった[142][143]

8月、第十六戦隊と応援部隊を含めた5隻(第十六戦隊《青葉、鬼怒、浦波》、第27駆逐隊《時雨五月雨》)はパラオ諸島セブ島への輸送任務に従事する[144][145]。 この時、姉妹艦「敷波」は座礁してシンガポールでの修理を余儀なくされた[146][147]。 8月7日、5隻はシンガポールを出撃して8月11日にマニラ到着[145][148]8月15日、各艦(セブ隊《青葉、浦波》、パラオ隊《鬼怒、時雨、五月雨》)はマニラを出撃[149][150]ルソン島南東部ビコル地方ソルソゴン州ソルソゴン湾英語版で仮泊、ここでパラオ隊(鬼怒、時雨、五月雨)と分離する[151][152]8月16日、十六戦隊(青葉、鬼怒)はセブ島に到着[153]。一方、パラオ隊(鬼怒、時雨、五月雨)は8月18日にパラオ近海で駆逐艦「五月雨」が座礁[145][154]8月26日、「五月雨」は米潜水艦バッドフィッシュの雷撃で船体切断、放棄に至った[155][145]。 また五月雨座礁と同日(8月18日)、米潜水艦ハードヘッドサンベルナルジノ海峡東方海面で軽巡洋艦名取を雷撃して撃沈する[156][157]。「浦波」は名取救援に向かったが発見できず、21日にセブ島へ戻った[145][158]。 8月24日、第十六戦隊(青葉、鬼怒、浦波)はセブ島を出発[159]、シンガポールへ戻った[145][150]

9月12日、ヒ72船団護衛中の姉妹艦「敷波」は米潜水艦グロウラーの雷撃で沈没[160][142]。 9月25日附で、第十六戦隊(1番艦青葉、2番艦鬼怒、3番艦浦波)は第二艦隊司令長官栗田健男中将(旗艦「愛宕」)が指揮する第一遊撃部隊に編入され[161]、マラッカ海峡からリンガ泊地へ移動(スマトラ島東岸)[142][162]。遊撃部隊各艦と訓練を実施する[163][164]。 「浦波」1隻となった第19駆逐隊は10月10日附で解隊された[165]

沈没

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捷号作戦の発動にともない、第十六戦隊(青葉、鬼怒、浦波)はマニラ方面の日本陸軍部隊をレイテ島に輸送する任務を与えられ、南西方面艦隊(司令長官三川軍一中将)の指揮下に入った[166][163]10月18日、第十六戦隊の3隻は第一遊撃部隊(指揮官栗田健男第二艦隊長官)と共にリンガ泊地を出港してブルネイ泊地(ボルネオ島北岸)に移動[166][167]10月21日午後6時、第十六戦隊(青葉、鬼怒、浦波)は陸軍部隊レイテ輸送のためブルネイを出撃する[168][169]10月23日午前4時30分、マニラ湾口南西約70浬で米潜水艦ブリーム[170]が重巡「青葉」(第十六戦隊旗艦)を雷撃、魚雷1本命中により「青葉」は大破[171][172]。 「鬼怒」は被雷した「青葉」を曳航し[173]、同日夜にマニラへ到着した[172][174]。左近允少将は旗艦を「青葉」から「鬼怒」に変更する[175][176]。「鬼怒」は小発動艇2隻を搭載した[177]

10月24日朝、第十六戦隊(鬼怒、浦波)はマニラを出撃、他に第一号型輸送艦3隻(6号、9号、10号)、第百一号型輸送艦2隻(101号、102号)も輸送作戦に投入されていた[178][179]。 だが2隻(鬼怒、浦波)はマニラ出撃時点から断続的に空襲を受ける[180]。 「浦波」は戦死傷者31名、至近弾と機銃掃射により重油タンクが破損[181]。 同日夕刻「鬼怒」が警戒する中[181]、「浦波」はセミララ島附近で応急修理を実施した[182][183]

10月25日午前9時30分頃、2隻(鬼怒、浦波)は米軍大型爆撃機の空襲を受けるが、被害はなかった[184][185]。 15時45分、2隻(鬼怒、浦波)はカガヤン(ミンダナオ島)に到着して陸軍部隊を収容、夕刻出発[184][185]。輸送艦部隊は先行してオルモックに向かった[14]

10月26日黎明にオルモックレイテ島)に到着して兵員を揚陸した[186][187]。 午前5時、2隻(鬼怒、浦波)はオルモック湾を出発、コロン島に向け帰途につく[188]。だがパナイ島西方で米空母機の爆撃を受ける[189]。午前10時30分以降の空襲で「浦波」は大破(艦長戦死、航海長指揮)[186]。11時30分、軍艦旗降下および総員退去[190]。11時52分、沈没(鬼怒記録12時24分)[190][191]。沈没地点記録北緯11度56分 東経123度23分 / 北緯11.933度 東経123.383度 / 11.933; 123.383[192]。 沈没時点での浦波戦死者は艦長以下92名[193]。 10月24日のマニラ出撃から26日の沈没迄における浦波戦死者は103名、戦傷者91名と記録されている[194]。浦波生存者のうち少なくとも35名がフィリピンの戦いにおける陸上兵力に転用された[195]

同日午後5時20分[196]、空襲を受けて損傷していた「鬼怒」も沈没[197][198]。左近允司令官は第10号輸送艦に旗艦を変更(マニラ帰投後、「青葉」に移乗)[199][200]。第102号輸送艦も撃沈された[189][14]。 さらに南西方面艦隊第五艦隊(長官志摩清英中将)に鬼怒曳航命令を出しており[201]、「鬼怒」沈没を知らないまま救援に向かっていた第五艦隊所属・第一水雷戦隊(司令官木村昌福少将)麾下の駆逐艦「不知火」(第18駆逐隊司令駆逐艦)も[14]10月27日に空襲を受けセミララ島近海(駆逐艦早霜擱座地点附近)で轟沈[189]。18駆司令井上良雄大佐以下不知火全乗組員が戦死した[202][189]

11月15日、堀剣二郎中尉(浦波航海長)は呉鎮守府附となる(堀は青葉に便乗して内地に帰投。戦後、護衛艦あまつかぜ」艦長等を歴任)[203]。 12月10日、駆逐艦「浦波」は初雪型駆逐艦[10]、 帝国駆逐艦籍[204]より除籍された。

歴代艦長

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※脚注なき限り『艦長たちの軍艦史』274-275頁による。

艤装員長

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  1. 五藤存知 中佐:1929年1月15日[29] - 1929年4月25日[30]

艦長

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  1. 五藤存知 中佐:1929年4月25日[30] - 1931年11月2日[35]
  2. 江戸兵太郎 少佐:1931年11月2日[35] - 1932年12月1日[40]
  3. 八島元徳 中佐:1932年12月1日[40] - 1933年5月1日[42]
  4. 木村進 中佐:1933年5月1日[42] - 1933年11月15日[43]
  5. 古木百蔵 中佐:1933年11月15日[43] - 1935年1月15日[50]
  6. 久宗米次郎 中佐:1935年1月15日[50] - 1935年10月31日[54]
  7. 田原吉興 中佐:1935年10月31日[54] - 1936年12月1日[57]
  8. 島崎利雄 中佐:1936年12月1日[57] - 1937年12月1日[64]
  9. (兼)折田常雄 少佐:1937年12月1日[64] - 1938年10月5日[66]
  10. 野間口兼知 少佐:1938年10月5日[66] - 1939年11月15日[67]
  11. 仙波繁雄 中佐:1939年11月15日[67] - 1941年4月15日[70]
  12. 萩尾力 少佐:1941年4月15日[70] -
  13. 田中知生 少佐:1943年5月15日[100] - 1944年4月15日[124]
  14. 佐古加栄 少佐:1944年4月15日[125] - 1944年10月26日戦死[193]

参考文献

[編集]
  • 生出寿連合艦隊・名指揮官の生涯 戦場の将器 木村昌福』光人社、1997年12月。ISBN 4-7698-0835-6 
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。
  • 岸見勇美『地獄のレイテ輸送作戦 敵制空権下の多号作戦の全貌光人社、2010年12月。ISBN 978-4-7698-2666-8 
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年7月。 
  • 左近允尚敏『捷号作戦はなぜ失敗したのか レイテ沖海戦の教訓中央公論社、2010年10月。ISBN 978-4-12-004169-3 
  • 重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8 
    • 当時「時津風」主計科員・海軍上等主計兵曹芝田博之『八方破れ「時津風」が演じたガダルの奇蹟 ガ島撤収作戦に一役かった時津風に訪れたダンピール海峡の悲劇
    • 戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後
  • 須藤幸助『駆逐艦「五月雨」出撃す ソロモン海の火柱』光人社NF文庫、2010年1月。ISBN 978-4-7698-2630-9 
  • 竹村悟『太平洋戦記ノンフィクション 軍艦青葉は沈まず 完勝!第一次ソロモン海戦』今日の話題社、1986年4月。ISBN 4-87565-117-1 
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    • 当時「球磨」戦闘記録員・海軍一等主計兵曹松岡清徹『英潜の奇襲に潰えた「球磨」の惨劇 戦闘記録員が見たマラッカ海峡被雷沈没までの衝撃の十二分間
    • 戦史研究家伊達久『航跡でたどる軽巡二十五隻の栄光と悲惨』
    • 「丸」編集部『外国戦史に見る日本軽巡の最後』
    • 戦史研究家落合康夫『日本海軍軽巡洋艦戦歴一覧』
  • 福田幸弘『連合艦隊 サイパン・レイテ海戦記』時事通信社、1981年7月。ISBN 4-7887-8116-6 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 ミッドウェー海戦』 戦史叢書第43巻、朝雲新聞社、1971年3月。 
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集16 駆逐艦 吹雪型[特型]』光人社、1997年。
  • 防衛庁防衛研修所 戦史室、『戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降』、朝雲新聞社
  • 木俣滋郎、『日本軽巡戦史』、図書出版社、1989年
  • 木俣滋郎『潜水艦攻撃 日本軍が撃沈破した連合軍潜水艦』光人社、2000年、ISBN 4-7698-2289-8
  • 防衛庁防衛研修所 戦史室、『戦史叢書54巻 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降』、朝雲新聞社
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。Ref.C08051772000。 
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    • 『第2226号 昭和3年6月21日 駆逐艦及掃海艇中改名の件』。Ref.C11080473600。 
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    • 『昭和3年達完/6月』。Ref.C12070089800。 
    • 『昭和17年11月(4) 内令(昭和17年11月17日~昭和17年11月25日)』。Ref.C12070173700。 
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    • 『艦艇/駆逐艦(1) 恩給叙勲年加算調査 上巻 参考法例 在籍艦艇 昭和9年12月31日』。Ref.C14010003300。 
    • 『艦艇/駆逐艦(3) 恩給叙勲年加算調査 上巻 参考法例 在籍艦艇 昭和9年12月31日』。Ref.C14010003500。 
    • 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/駆逐艦(2)』。Ref.C14010006000。 
    • 『昭和11年12月1日現在10版内令提要追録第1号原稿/ 巻1追録/第2類編制』。Ref.C13071967300。 
    • 『昭和12年12月1日現在10版内令提要追録第3号原稿/巻1追録/第6類機密保護』。Ref.C13071974300。 
    • 『第3049号 10.7.5駆逐艦曙、狭霧及第8(天霧、朝霧、夕霧)駆逐隊各艦第11(白雪、初雪)第12(叢雲、薄雲、白雲)第20(磯波、吹雪、東雲)駆逐隊各艦後部上甲板1部補強の件』。Ref.C05034250300。 
    • 『19駆隊機密第32号の13 10.3.10吹雪、浦波触衝事件報告』。Ref.C05034647200。 
    • 『駆逐艦 浦波 昭和12年8月1日~8月31日』。Ref.C11084441100。 
    • 『駆逐艦 浦波 昭和12年12月1日~12月31日』。Ref.C11084442300。 
    • 『支那事変 第8回功績概見表綴 駆逐隊 潜水隊 水雷隊 掃海隊 海軍武功調査/19駆隊機密第39号の245 第19駆逐隊支那事変第8回功績概見表』。Ref.C14120970300。 
    • 『支那事変 海軍武功調査/支那事変第9回駆逐隊功績概見表/19駆隊機密第39号の5 第19駆逐隊支那事変第9回功績概見表』。Ref.C14120979900。 
    • 『支那事変 海軍武功調査/支那事変第10回駆逐隊功績概見表/19駆隊機密第39号 第19駆逐隊支那事変第10回功績概見表』。Ref.C14120988700。 
    • 『昭和16年12月~昭和17年1月 駆逐艦浦波戦闘詳報(1)』。Ref.C08030751800。 
    • 『昭和16年12月~昭和17年1月 駆逐艦浦波戦闘詳報(2)』。Ref.C08030751900。 
    • 『昭和16年12月~昭和17年1月 駆逐艦浦波戦闘詳報(3)』。Ref.C08030752000。 
    • 『昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030040100。 
      表題は「あ号作戦」だが、ミッドウェー海戦時の第一水雷戦隊・第二水雷戦隊日誌、第三水雷戦隊戦時日誌を収録
    • 『昭和17年9月14日〜昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030022500。 
    • 『昭和17年9月14日〜昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030022600。 
    • 『昭和17年9月14日〜昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030022700。 
    • 『昭和17年9月14日〜昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030022800。 
    • 『昭和17年9月14日〜昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(5)』。Ref.C08030022900。 
    • 『昭和17年9月14日〜昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(6)』。Ref.C08030023000。 
    • 『昭和16年12月1日〜昭和19年6月30日 第五艦隊戦時日誌AL作戦(5)』。Ref.C08030019400。 
    • 『昭和18年8月1日~昭和18年11月30日 第16戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030056400。 
    • 『昭和18年8月1日~昭和18年11月30日 第16戦隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030056500。 
    • 『昭和18年8月1日~昭和18年11月30日 第16戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030056600。 
    • 『昭和18年8月1日~昭和18年11月30日 第16戦隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030056700。 
    • 『第732海軍航空隊戦闘詳報 第2号 昭和19年1月11日球磨襲撃の敵潜水艦に対する索敵攻撃』。Ref.C13120025900。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年1月31日 軍艦球磨戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030575700。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年1月31日 軍艦球磨戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030575800。 
    • 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第16戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030057100。 
    • 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第16戦隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030057200。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年1月24日 第27駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。Ref.C08030148600。 
    • 『昭和19年10月23日 軍艦青葉戦闘詳報』。Ref.C08030569100。 
    • 『昭和19年10月23日~昭和19年10月29日 軍艦青葉戦闘詳報(菲島西方海面対潜水艦戦闘 マニラ湾 対空戦闘)(1)』。Ref.C08030748400。 
    • 『昭和19年10月23日~昭和19年10月29日 軍艦青葉戦闘詳報(菲島西方海面対潜水艦戦闘 マニラ湾 対空戦闘)(2)』。Ref.C08030748500。 
    • 『昭和19年10月18日~昭和19年10月26日 軍艦鬼怒戦闘詳報』。Ref.C08030579300。 
    • 『昭和19年10月18日~昭和19年10月26日 駆逐艦浦波戦闘詳報』。Ref.C08030589200。 
    • 『第1表/2.1944年10月18日以降増援兵力』。Ref.C14061098700。 

脚注

[編集]
  1. ^ a b c #達昭和3年6月pp.7-10『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス 昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第四十四號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 ウラナミ トス』
  2. ^ a b c #達昭和2年4月pp.45-46『達第五十四號 艦艇製造費ヲ以テ昭和二年度ニ於テ建造ニ着手スベキ一等驅逐艦三隻ニ左ノ通命名ス 昭和二年四月二十六日 海軍大臣 岡田啓介|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 第三十八號驅逐艦|藤永田造船所ニ於テ建造 第三十九號驅逐艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 第四十四號驅逐艦』
  3. ^ a b c #海軍制度沿革(巻8、1940)p.66『昭和三年六月二十日(内令一六〇)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 本令ハ昭和三年八月一日ヨリ施行ス 驅逐艦ノ部中「第一號型」、「第十九號型」及「第三十五號型」ノ各項ヲ左ノ如ク改ム |神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、朝凪、夕凪/睦月型|睦月、如月、彌生、卯月、皐月、水無月、文月、長月、菊月、三日月、望月、夕月/吹雪型|吹雪、白雪、初雪、深雪、叢雲、東雲、薄雲、白雲、磯波、浦波、綾波| 同部中「第二號型」ノ項ヲ左ノ如ク改ム |若竹型|若竹、呉竹、早苗、早蕨、朝顔、夕顔、芙蓉、刈萱| 掃海艇ノ部中「浦波型」ノ項ヲ左ノ如ク改ム |第七號型|第七號、第八號、第九號、第十號、第十一號、第十二號| 備考第二號中但書ヲ削リ第四號ヲ左ノ如ク改ム  四 掃海艇ヲ稱呼スルニハ「第何號掃海艇」ヲ以テス 同五號中「「第三十五號型驅逐艦」、」ヲ削ル
  4. ^ 日本軍艦集2600年版p.43『― 一等驅逐艦―浦波(うらなみ) 基準排水量1,700噸、長さ113.2米、幅10.3米、平均喫水2.97米、速力34節、備砲12.7糎砲6門、魚雷發射管9門、起工昭和2年4月28日、進水昭和3年11月29日、竣工昭和4年6月30日、建造所佐世保海軍工廠―特型驅逐艦。波級には、ほかに敷波、綾波、磯波の三隻がある。』
  5. ^ ポケット海軍年鑑(1935)p.47『一等驅逐艦"浦波 うらなみ" 全要目{基準排水量1,700噸、速力34節、備砲12.7糎砲6門、魚雷發射管9門、起工昭和2年4月、竣工昭和4年6月、建造所佐世保海軍工廠}驅逐艦の最も他の艦艇に勝れてゐるのは速力である。名だたる大巡洋艦と雖も速力に於てはこの驅逐艦に到底敵はない。元來驅逐艦と云ふ艦種は種として夜襲が得意のものであつたが、現在の如く砲熕威力のみならず總てが大きくなつては夜襲のみに止まらず晝間戰闘に於ても適時堂々捨身の襲撃を敵主力に對して敢行することが可能である。|日露戰筝當時の250噸前後の驅逐艦からこの浦波級の1,700噸への躍進は、我が海軍の國防海面の著しく廣大され來つたと共に海戰術の進歩をも合せ物語るものである。|浦波は全長113.20米、最大幅10.30米、平均吃水2.97米。|昭和10年度は第二艦隊第二水雷戰隊に編入され日夜戰技訓練に從事中である』
  6. ^ #S3.06.21駆逐艦掃海艇改名p.4『艦艇名改正表(一)一等驅逐艦|隊名:―|現艦名:第四十四號驅逐艦|改正艦名:ウラ ナミ|』
  7. ^ a b c d #艦艇・駆逐艦(1)pp.2-3『驅逐艦改稱新舊對照表』
  8. ^ a b #内令昭和17年11月(4)p.24『内令第二千百十五號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年十一月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等ノ部中「吹雪型」ヲ「白雪型」ニ改メ同項中「、吹雪」「、叢雲」「、朧」ヲ、同朝潮型ノ項中「、夏雲」ヲ削ル』
  9. ^ a b #内令昭和18年4月(1)p.20『内令第五百六十八號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十八年四月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等ノ部中「白雪型」ヲ「初雪型」ニ改メ同項中「白雪、」ヲ、同白露型ノ項中「、村雨」ヲ削リ同「潮潮型」ヲ「満潮型」ニ改メ同項中「、朝潮、大潮」「、荒潮」「、峯雲」ヲ、同陽炎型ノ項中「時津風、」ヲ削ル』
  10. ^ a b #秘海軍公報昭和19年12月(2)p.12『内令第一三三三號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十九年十二月十日海軍大臣 驅逐艦、一等初雪型ノ項中「浦波、」ヲ、同初春型ノ項中「、若葉」ヲ、同不知火型ノ項中「不知火、」ヲ、同夕雲型ノ項中「、藤波」ヲ、同秋月型ノ項中「秋月、」「、初月」ヲ削ル』
  11. ^ a b c d e f g h i #陽炎型(2014)278頁『浦波(うらなみ)』
  12. ^ a b c #海軍制度沿革(巻4、1939)p.66『昭和四、一一、三〇(内令二七六)|呉鎮守府|第二艦隊|第十九驅逐隊|磯波、浦波|敷波(四、一二、二四 三〇三)/綾波(五、四、三〇 八一)|昭和四、一一、三〇(内令二七六)驅逐隊編成本表ノ通改定セラル』
  13. ^ #レイテ浦波p.17『別紙浦波行動圖(自昭和十九年十月二十三日至同十月二十六日』
  14. ^ a b c d #比島方面海軍作戦(2)p.99-101『(ロ)第一次多號作戰 第一次多號作戰は、前述の第十六戰隊を基幹へ威力として、一九四四年十月二十五日の日本海軍部隊のレイテ突入作戰に策應して行はれた。(以下略)第一次多號作戰は、その目的とする第三十師團の一部約二,〇〇〇名のレイテ輸送には成功したが、わが犠牲は、鬼怒、浦波、第一〇二號輸送艦及び前述の不知火を數へ少からぬものがあつた。』
  15. ^ #海軍制度沿革(巻11、1940)p.567『浦波|掃海艇|(要目略)|舞鶴工廠|40-5-1|40-12-28|41-10-2|(武装略)』
  16. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.206『◎驅逐艦浦波磯波綾波命名ノ件 明治四十年七月九日(達七九)舞鶴海軍工廠ニ於テ建造ノ驅逐艦三隻ニ左ノ通命名ス 第三十號驅逐艦 浦波ウラナミ 第三十一號驅逐艦 磯波イソナミ 第三十二號驅逐艦 綾波アヤナミ』
  17. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.64-66『◎艦艇類別等級 大正十五年十一月二十九日(内令二三八)艦艇類別等級別表ノ通定ム(別表)』-『驅逐艦|一等|第一號型|第一號、第三號、第七號、第九號、第十一號、第十三號、第十五號、第十七號』-『驅逐艦|三等|白露、三日月』-『掃海艇|潮型|潮、夕立、夕暮、神風、初霜、如月、響、浦波、磯波、水無月、長月、菊月、綾波、子日、朝風、若葉、春風、初雪』
  18. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.66『昭和三年四月一日(内令九〇)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦ノ部海防艦二等ノ項中「千歳、明石、」ヲ、砲艦一等ノ項中「最上、」ヲ削ル|驅逐艦三等ノ項中「白露型」及「白露、三日月」ヲ削ル|掃海艇ノ部中「潮型」ヲ「浦波型」ニ改メ同部中「潮、夕立、夕暮、神風、初霜、如月、響」及「、子日、朝風、若葉、春風、初雪」ヲ削ル』
  19. ^ #除籍駆逐艦(2)pp.25-26『舊浦波(千噸以下)大正一三.一二.一掃海艇籍ニ入ル第八號掃海艇ノ部参照(略)(大正一三.一二.一驅逐艦浦波第八號掃海艇トナル)』
  20. ^ #艦艇・駆逐艦(3)p.17『浦波』-『第四十四號驅逐艦 昭和三、八、一浦波ト改稱』
  21. ^ #S3.06.21駆逐艦掃海艇改名p.6『(三)掃海艇(旧三等駆逐艦|隊名:第六掃海隊|現艦名:浦波|改正艦名:第八號掃海艇|』
  22. ^ #達昭和3年6月pp.7-10『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス 昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|掃海艇 浦波 ヲ 第八號掃海艇 トス』
  23. ^ a b c d #艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『浦波|一等駆逐艦|(艦要目略)|佐世保工廠|昭和2-4-28|3-11-29|4-6-30|(艦装備略)』
  24. ^ #達昭和2年4月p.45『達第五十三號 艦艇製造費ヲ以テ昭和元年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和二年四月二十六日 海軍大臣 岡田啓介|横濱船渠會社ニ於テ建造 第三十六號驅逐艦』
  25. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.208『◎第三十八號驅逐艦外二隻命名ノ件 昭和二年四月二十六日(達五四) 艦艇製造費ヲ以テ昭和二年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ一等驅逐艦三隻ニ左ノ通命名ス|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 第三十八號驅逐艦|藤永田造船所ニ於テ建造 第三十九號驅逐艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 第四十四號驅逐艦』
  26. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.66『昭和二年四月二十六日(内令一四三)艦艇類別等級表中驅逐艦一等第三十五號型ノ項「第四十三號」ノ下ニ「第四十四號」ヲ加フ』
  27. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)pp.208-209『◎驅逐艦及掃海艇中改名ノ件 昭和三年六月二十日(達八〇)驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス(略)第四十四號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 ウラ ナミ トス』
  28. ^ 昭和3年11月30日(金)海軍公報第571号 p.24」 アジア歴史資料センター Ref.C12070317000 『○驅逐艦進水 佐世保海軍工廠ニ於テ建造ノ驅逐艦浦波本月二十九日午前九時四十五分進水セリ』
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  31. ^ 昭和4年6月13日(木)海軍公報第721号 p.47」 アジア歴史資料センター Ref.C12070321000 『○事務所撤去 驅逐艦浦波艤装員事務所ヲ佐世保海軍工廠内ニ設置中ノ處本月十日撤去セリ』
  32. ^ 公文備考F艦船 巻6/司令駆逐艦変更の件(4) p.3」 アジア歴史資料センター Ref.C04021847600 『四、六、三〇前一〇-〇二佐世保/前一〇-四〇海軍省着(四一九)佐世保鎮守府司令長官 海軍大臣 駆逐艦浦波竣本日無事授受結了』
  33. ^ 昭和4年12月10日(火)海軍公報第870号 p.39」 アジア歴史資料センター Ref.C12070323400 『○司令驅逐艦指定 第十九驅逐隊司令ハ本月四日司令驅逐艦ヲ浦波ニ指定セリ』
  34. ^ a b #海軍制度沿革(巻4、1939)p.43『昭和四、一一、三〇(内令二七五)|聯合艦隊|第二艦隊|第四戰隊 妙高、那智、足柄、羽黒/第五戰隊 加古、衣笠、青葉/第二水雷戰隊 鬼怒、第十一、第十二、第十九驅逐隊/第二潜水戦隊 長鯨、第十八、第十九潜水隊|昭和四年/第二艦隊 四、一(内令八九)第十九潜水隊(二潜隊)|昭和四年 第二艦隊 一一、七(内令二五〇)古鷹(五戰)』
  35. ^ a b c d 昭和4年11月4日(水)官報第1455号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ5五藤免職(原文57三段)、コマ6江戸補職(原本58一段)
  36. ^ a b 故海軍中将五藤存知位階追陞ノ件 p.5」 アジア歴史資料センター Ref.A11115329800 
  37. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)pp.43-44『昭和五、一二、一(内令二二八)|聯合艦隊|第二艦隊|第四戰隊 妙高、那智、足柄、羽黒/第五戰隊 青葉、古鷹/第二水雷戰隊 鬼怒、第十一、第十二、第十九驅逐隊/第二潜水戦隊 長鯨、第十九、第二十八潜水隊』
  38. ^ a b #海軍制度沿革(巻4、1939)p.68『昭和六、一二、一(内令二一五)|横須賀鎮守府|第七驅逐隊|曙、朧、潮|/|第八驅逐隊|天霧、朝霧、夕霧|(略)|呉鎮守府| |第十一驅逐隊|白雪、初雪、深雪|/|第十二驅逐隊|叢雲、薄雲、白雲|(略)第二艦隊|第十九驅逐隊|浦波、敷波、綾波|/|第二十驅逐隊|東雲、吹雪、磯波』
  39. ^ a b #海軍制度沿革(巻4、1939)p.44『昭和六、一二、一(内令二一四)|聯合艦隊|第二艦隊|第四戰隊 妙高、足柄、羽黒、那智/第五戰隊/第二水雷戰隊 神通、第七、第八、第十九、第二十驅逐隊/第二潜水戦隊 長鯨、第十八、第二十八潜水隊』
  40. ^ a b c d 昭和7年12月2日(金)官報第1778号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ8八島補職・江戸免職(原本49三段)
  41. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.45『昭和七、一二、一(内令三七一)|聯合艦隊|第二艦隊|第四戰隊 高雄、愛宕、摩耶、鳥海/第五戰隊 衣笠、加古、青葉/第二水雷戰隊 神通、第七、第八、第十一、第十二驅逐隊/第二潜水戦隊 球磨、第十八、第十九潜水隊』
  42. ^ a b c 昭和8年5月2日(火)官報第1897号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ9八島免職・木村補職(原本49)
  43. ^ a b c d 昭和8年11月16日(木)官報第2064号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ8木村免職(原本405二段)・古木補職(同四段)
  44. ^ a b #海軍制度沿革(巻4、1939)pp.49-50『昭和八、一二、一一(内令四〇三)|呉警備戰隊|加古、妙高、那智、阿武隈、神通/第十三驅逐隊、第十六驅逐隊、第十九驅逐隊、第二十驅逐隊/第十八潜水隊/朝日|昭和九年六、一五(内令二五一)伊勢|昭和九年二、一(内令四二)那智 妙高 第十八潜水隊』
  45. ^ 昭和9年6月25日(月)海軍公報第(部内限)第1824号 p.29」 アジア歴史資料センター Ref.C12070347600 『○郵便物發送先 呉警備戰隊司令部、軍艦阿武隈、第十三驅逐隊(呉竹若竹早苗)、第十九驅逐隊(敷波綾波浦波)、第二十驅逐隊(東雲磯波吹雪)宛(略)』
  46. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)pp.69-70『昭和八、一一、一五(内令三五二)|呉鎮守府|第十三驅逐隊|若竹、呉竹、早苗|/|第十九驅逐隊|浦波、敷波、綾波|/|第二十驅逐隊|東雲、吹雪、磯波|(以下略)|昭和八、一一、一五(内令三五二)驅逐隊編制本表ノ通改定セラル』
  47. ^ 昭和9年11月16日(金)海軍公報第2323号 p.2」 アジア歴史資料センター Ref.C12070345700 『○旗艦變更 聯号艦隊司令長官ハ金剛ヨリ山城ニ、第一戰隊司令官ハ日向ヨリ伊勢ニ、第一水雷戰隊司令官ハ川内ヨリ阿武隈ニ、第一潜水戰隊司令官ハ長鯨ヨリ多摩ニ、第一航空戰隊司令官ハ赤城ヨリ鳳翔ニ、第二水雷戰隊司令官ハ那珂ヨリ神通ニ、横須賀警備戰隊司令官ハ木曾ヨリ那珂ニ、呉警備戰隊司令官ハ神通ヨリ日向ニ、佐世保警備戰隊司令官ハ龍田ヨリ北上ニ昨十五日旗艦ヲ孰モ變更セリ』
  48. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.48『昭和九、一一、一五(内令四七六)|聯合艦隊|第二艦隊|第四戰隊 高雄愛宕摩耶鳥海/第五戰隊/第六戰隊/古鷹衣笠青葉/第二水雷戰隊 神通 第六 第十 第十九 第二十驅逐隊/第二潜水戰隊 由良 長鯨 第十八 第二十八 第二十九潜水隊/第二航空戰隊 赤城、第二驅逐隊』
  49. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.70『昭和九、一一、一五(内令四七七)|横須賀鎮守府|第六驅逐隊|雷、電、響/第十驅逐隊|狭霧、漣、暁|/呉鎮守府|第十九驅逐隊|浦波、敷波、磯波/第二十驅逐隊|東雲、吹雪、磯波|』
  50. ^ a b c d 昭和10年1月16日(水)官報第2409号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ4古木免職・久宗補職(原本276一段)
  51. ^ #吹雪浦波触衝報告p.18『驅逐艦吹雪触衝事件報告 吹雪當直将校海軍大尉有馬高泰 昭和十年三月四日午後八時過キ驅逐艦吹雪ハ第二水雷戰隊三番隊ノ二番艦トシテ右奇数第三竝陣列針路百五十度強速力 航行灯 艦尾警戒灯点出ノ状況ヲ以テ第二艦隊夜戰訓練配備ニ就キツツアリ當時ノ陣形概ネ左ノ如シ』
  52. ^ #吹雪浦波触衝報告p.8『駆逐艦吹雪浦波触衝報告|一、昭和十年三月四日夜間第二水雷戰隊(電、狭霧、敷波欠)ハ本職指揮ノ下ニ第二艦隊夜戰訓練配備ニツク為右奇数第三並陣列針路百五十度強速力航海灯ノミ点出航行中第二十駆逐隊吹雪(駆逐艦長海軍中佐平井恭次)ハ種子島喜志鹿崎ノ九十度二十五浬ノ地点ニ於テ内方ニ転舵シタル侭操艦意ノ如クナラザルニ至リ第二聯隊ニ近接遂ニ第十九駆逐隊浦波(駆逐艦長海軍中佐久宗米次郎)ト触衝セリ』
  53. ^ #吹雪浦波触衝報告pp.9-10『三、事後ノ処置 神通ハ状況調査ノ爲損傷艦附近ニ引返シ一、二番隊ハ先任司令指揮ノ下ニ教練配備ニ就カシム 調査ノ結果浦波ハ其ノ侭自力航行ニ差支ナカリシヲ以テ司令(綾波乗艦)士気ノ下ニ一旦有明湾ニ回航命ヲ待タシム/吹雪ハ自力航行差支ナキガ如キモ艦首損傷大ナルヲ以テ其ノ位置ニ漂泊シテ應急補強ヲ行ハシメ終ツテ神通東雲之ヲ護衛シ微速力ニテ有明湾ニ回航神通投錨後神通ノ艦尾ニ繋留シテ更ニ補強作業ヲ施セリ/右作業終了後三月五日午前十時半第二艦隊司令長官ノ命ニ依リ浦波吹雪共ニ有明湾発呉ニ回航修理セシム』
  54. ^ a b c d 昭和10年11月2日(土)官報第2651号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ4久宗免職(原本6二段)・田原補職(同三段)
  55. ^ a b #海軍制度沿革(巻4、1939)pp.48-49『昭和一〇、一一、一五(内令四五八)|聯合艦隊|第二艦隊|第五戰隊 妙高、那智、羽黒/第七戰隊 衣笠、青葉/第二水雷戰隊 那珂、第六、第八、第十九、第十二驅逐隊/第二潜水戦隊 鬼怒、第十二、第三十潜水隊/第二航空戰隊 加賀、第二十九驅逐隊|昭和十年(略)第二艦隊 四、一(内令一二四)第九驅逐隊(二空戰)/一二、一六(内令五一〇)愛宕(五戰)|昭和十年(略)第二艦隊 四、一(内令一二四)第二驅逐隊(二空戰)』
  56. ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)p.71『昭和一〇、一一、一五(内令四五九)|横須賀鎮守府| |第六驅逐隊|雷、電、響|/|第八驅逐隊|天霧、朝霧|(略)|呉鎮守府| |第十九驅逐隊|浦波、敷波、綾波|/|第二十驅逐隊|東雲、吹雪、磯波|(略)|昭和一〇、一一、一五(内令四五九)驅逐隊編制本表ノ通改定セラル』
  57. ^ a b c d e 昭和11年12月2日(水)官報第2976号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ21木村補職(原文72四段)、コマ22田原免職(原文74二段)・島崎補職(同四段)
  58. ^ #内令提要編制(1936年12月1日)pp.5-6『驅逐隊編制 昭和十一年十二月一日 内令第四百七十一號』
  59. ^ a b #海軍制度沿革(巻4、1939)p.72『昭和一一年.一二.一(内令四七一)|呉鎮守府|第十一驅逐隊|吹雪、白雪、初雪』-『第十二驅逐隊|叢雲、東雲、薄雲、白雲』-『第十九驅逐隊|磯波、浦波、敷波、綾波』
  60. ^ #S12年8月浦波日誌p.21『0012|舟右70°2070ニ大阪商船さんとす丸左舷灯ヲ認ム』
  61. ^ #S12年8月浦波日誌p.21『0015|本艦三番砲左舷側ヲ約40度ノ交角ヲ以テ磯波ニ触衝サル/状況別表附図ノ如シ』
  62. ^ #S12年8月浦波日誌p.19『昭和12年8月19日木曜日航海中碇泊(大王崎至横須賀)』-『別圖第一』
  63. ^ #S12年8月浦波日誌p.21『1709|入港用意』
  64. ^ a b c d e 昭和12年12月1日(発令12月1日付)海軍辞令公報(号外)第99号 p.22木村免職、p.24金桝補職、p.26島崎免職、p.35折田補職」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700 
  65. ^ #S12年12月浦波日誌p.1『昭和十二年十二月一日水曜日 呉碇泊』-『1256|艦長退艦』
  66. ^ a b c d 昭和13年10月5日(発令10月5日付)海軍辞令公報(部内限)号外 第247号 p.9折田免職・野間口補職、p.10吉川補職」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074400 
  67. ^ a b c 昭和14年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第402号 p.35村六免職、p.39橘補職、p.45野間口免職、p.48仙波補職」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076700 
  68. ^ 昭和15年5月1日(発令5月1日付)海軍辞令公報(部内限)第472号 p.11」 アジア歴史資料センター Ref.C13072078000 
  69. ^ 昭和15年9月2日(発令8月31日付)海軍辞令公報(部内限)第521号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072078800 
  70. ^ a b c d 昭和16年4月15日(発令4月15日付)海軍辞令公報(部内限)第620号 p.10仙波免職・萩尾補職」 アジア歴史資料センター Ref.C13072080800 
  71. ^ 昭和16年7月31日(発令7月31日付)海軍辞令公報(部内限)第681号 p.50」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081600 
  72. ^ 昭和16年10月20日(発令10月16日付)海軍辞令公報(部内限)第732号 p.13」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082900 
  73. ^ a b 昭和16年8月11日(発令8月11日付)海軍辞令公報(部内限)第688号 p.24橘免職、p.25大江補職」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081700 
  74. ^ 潜水艦攻撃、22ページ
  75. ^ a b 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、519ページ
  76. ^ 潜水艦攻撃、22-23ページ、戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、519ページ
  77. ^ a b 潜水艦攻撃、23ページ
  78. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、520ページ
  79. ^ #S1612浦波戦闘詳報(3)p.3『一.経過概要 作戰ノ爲昭和十七年一月十六日ヨリ一月十九日ノ間佛印南東方海上行動ス、/北東信風強勢ニシテ始終海上荒天状態ニ在リ/被害ハ一月十八日〇七〇〇ヨリ十九日〇二〇〇ニ至ル間ニ生起シタルモノニシテ此ノ間ノ針路、速力、風速等ノ関係ハ別表ノ如シ』
  80. ^ #叢書43ミッドウェー海戦191頁『主隊』
  81. ^ #あ号作戦(4)p.22『(ロ)任務編制配備 本月當初M.I A.L作戰開始期ニ於テハ3sd 24dg(涼風山風欠)及27dg(有明欠)ヲ併セ指揮シ主力部隊水雷戰隊トシテ主力部隊直衛トナル』
  82. ^ a b #叢書43ミッドウェー海戦534-535頁『主力の内地帰投』
  83. ^ #叢書43ミッドウェー海戦601頁『水上艦艇の被害』
  84. ^ #日本空母戦史302頁
  85. ^ #陽炎型(2014)278-279頁『綾波(あやなみ)』
  86. ^ #内令昭和17年12月(3)pp.2-3『内令第二千二百九十號 驅逐隊編成中左ノ通改定セラル 昭和十七年十二月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎 第二驅逐隊ノ項中「夕立、」ヲ削ル 第六驅逐隊ノ項中「、暁」ヲ削ル 第十九驅逐隊ノ項中「、綾波」ヲ削ル』
  87. ^ a b 昭和18年1月25日(発令1月25日付)海軍辞令公報(部内限)第1041号 p.21大江免職、p.22原補職」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089500 
  88. ^ 昭和18年2月3日(発令2月3日付)海軍辞令公報(部内限)第1047号 p.42」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089600 
  89. ^ a b 昭和18年2月1日(発令2月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1046号 p.22原免職・福岡補職」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089600 
  90. ^ 昭和18年3月9日(発令3月8日付)海軍辞令公報(部内限)第1065号 p.35瀬戸山免職・原補職」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089900 
  91. ^ #陽炎型(2014)273-274頁『白雪(しらゆき)』、297頁『朝潮(あさしお)』、298頁『荒潮(あらしお)』、305-306頁『時津風(ときつかぜ)』
  92. ^ #戦場の将器62-64頁
  93. ^ 昭和18年3月6日(発令3月6日付)海軍辞令公報(部内限)第1064号 p.29」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089900 
  94. ^ #S1709八艦隊日誌(6)p.16『(三)軍隊区分ノ變更|十九駆(磯波缺)|三-一〇|GF機密第〇七一六五七番電ニ依リ南西部隊ニ編入』
  95. ^ #陽炎型(2014)273頁『吹雪(ふぶき)』
  96. ^ 戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降、166ページ
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  98. ^ #陽炎型(2014)277-278頁『磯波(いそなみ)』
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  100. ^ a b 昭和18年5月15日(発令5月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1115号 p.3田中補職」 アジア歴史資料センター Ref.C13072091000 
  101. ^ 昭和18年6月22日(発令6月22日付)海軍辞令公報(部内限)第1155号 p.19」 アジア歴史資料センター Ref.C13072091700 
  102. ^ 昭和19年6月8日(発令2月17日付)海軍辞令公報(部内限)第1509号 p.16」 アジア歴史資料センター Ref.C13072099500 
  103. ^ #S1808十六戦隊日誌(2)p.4『(二)十二日八潜戰ヲ南西方面部隊ニ編入サレ、二十日 二十三航戰、二十八航戰ヲ以テ第十三航空艦隊ヲ編制(GKF長官、13AF長官兼務)、足柄及第十九駆逐隊ヲ第十六戰隊ニ編入サル』
  104. ^ #S1808十六戦隊日誌(2)p.8『(五)其ノ他(略)二十日 足柄及第十九駆逐隊、第十六戰隊ニ編入 同日旗艦ヲ北上ヨリ足柄ニ變更(以下略)』
  105. ^ #S1808十六戦隊日誌(2)p.10『二.人員ノ現状(イ)司令部(一)職員官氏名』
  106. ^ a b #S1808十六戦隊日誌(3)p.6『(2)鬼怒ハ内地ニ於テ修理中ノ処二十六日昭南着合同ス 浦波ハ二十三日以后航空部隊雷爆撃目標艦トシテ「スラバヤ」方面ニ派遣セリ』
  107. ^ a b #S1808十六戦隊日誌(2)pp.7-8『(四)訓練整備/(1)鬼怒ハ八日以降引續キ呉ニ在リテ修理ニ從事/(2)浦波ハ二十五日迄「スラバヤ」ニ在リテ修理單獨訓練ニ從事/(3)爾餘ノ警戒部隊(北上、大井、球磨、足柄、第十九驅逐隊《敷波》)ハ前述各種任務遂行ノ傍ラ極力訓練ヲ實施セシムルト共ニ十一日以後ハ其ノ大部ヲ「リンガ」泊地ニ集合同地ニ於テ警戒部隊トシテノ聯合各種訓練ヲ實施急速術力向上ニ邁進セリ/(4)南西方面艦隊機密第二二一〇四〇番電ニ依リ敷波ヲシテ二十九日以後一週間昭南ニ於テ入渠修理ニ從事セシム』
  108. ^ #S1808十六戦隊日誌(2)p.9『(二)麾下艦船部隊ノ行動』
  109. ^ #S1808十六戦隊日誌(3)p.5『(二)陸兵輸送 左ニ依リ麾下ノ各艦ヲシテ印度洋離島ニ対シ陸軍部隊ノ急速輸送ニ任ゼシメタリ/(1)球磨自一日至七日 昭南「アンダマン」間(16Sキデ二九一一二五)/浦波ハ自二日至五日間右球磨ノ護衛ニ從事ス』
  110. ^ #S1808十六戦隊日誌(3)p.7『(二)麾下艦船部隊行動(十月)』
  111. ^ #S1808十六戦隊日誌(4)p.4『(三)航空隊雷爆撃目標艦ノ派遣/(a)浦波ハ前月ニ引續キ六日迄「スラバヤ」方面ニ於テ航空隊ノ雷爆撃訓練目標刊ノ任務ニ從事ス(GKF電令第一四四號参照)』
  112. ^ #S1808十六戦隊日誌(4)p.5『(ハ)麾下艦船部隊ノ行動』
  113. ^ 昭和18年12月10日(発令12月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1278号 p.17福岡免職・大原補職」 アジア歴史資料センター Ref.C13072094800 
  114. ^ #青葉は沈まず224頁
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  118. ^ 戦史叢書54巻 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降、327ページ
  119. ^ #第五艦隊AL作戦(5)p.9『二 麾下艦船部隊ノ行動』
  120. ^ #第五艦隊AL作戦(5)p.15-16『二十五(天候略)21dg、22dgヲHTFニ編入 足柄ヲ21Sニ編入』
  121. ^ #戦隊行動調書p.16『二.二五足柄ヲ16Sヨリ除ク(将旗)ヲ青葉ヘ』
  122. ^ #戦隊行動調書p.16『二.二四 三.一五)サ一号作戦』
  123. ^ #内令昭和19年3月(1)p.8『内令第三百八十八號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年三月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第九驅逐隊ノ項中「霞」ノ下ニ「、不知火」ヲ加フ|第十九驅逐隊ノ項中「敷波」ノ下ニ「、天霧」ヲ加フ』
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  129. ^ #内令昭和19年6月(2)p.12『内令第七百四十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年六月十日 海軍大臣嶋田繁太郎|第六驅逐隊ノ項ヲ削ル|第十驅逐隊ノ項中「秋雲、」ヲ削ル|第十九驅逐隊ノ項中「、天霧」ヲ削ル』
  130. ^ a b c #サイパン・レイテ海戦記36-39頁『IIIビアク来攻と渾作戦』
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  136. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.4『(ロ)記事 青葉 七月四日ヨリ十五日迄入渠/鬼怒 同十二日ヨリ十日迄入渠/浦波 同六日ヨリ三十日迄入渠』
  137. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.5『(ハ)麾下艦船部隊ノ行動(七月)第十六戰隊』
  138. ^ #軽巡二十五隻186-187頁『▽フラッシャーの雷撃に沈んだ大井』
  139. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.3『(イ)経過概要(略)大井敷波ハ右任務終了後昭南回航ノ途次十九日一二一七北緯十三度十二分東経百十四度五十二分ニ於テ大井敵潜ノ襲撃ヲ受ケ同日一七四〇沈没敷波ハ大井乗員ノ大部ヲ救助「サンジャック」継受二十二日昭南ニ歸投補給整備ノ上二十九日「リンガ」作業地ニ回航セリ』
  140. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.3『(イ)経過概要(略)北上ハ昭南ニ於ケル應急修理ヲ一應完了シ二日内地ニ向ケ昭南ヲ出港セシモ途中浸水ノ爲七日「マニラ」ニ寄港以後同地ニ於テ再ビ應急修理ニ從事中ナリ』
  141. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.41『(イ)経過概要(略)北上ハ九日「マニラ」發高速船団ニ加入シテ十四日佐世保着爾後本修理ニ從事中ナリ』
  142. ^ a b c #S1907十六戦隊日誌(2)p.3『(イ)経過概要 第十六戰隊《青葉鬼怒十九駆(浦波)》ハ五日迄「マラッカ」泊地ニ在リテ諸訓練ヲ實施シ六日昭南ニ回航爾後十八日迄同地ニ在リテ各種訓令工事ニ從事シタル後十九日昭南發「リンガ」作業地ニ回航各種訓練ニ從事セリ/北上ハ引續キ佐世保ニ在リテ本修理ニ從事中ナリ/敷波ハ昭南ニ於ケル應急修理完成セシヲ以テ四日昭南發船團護衛ニ協力シツゝ内地回航ノ途次十二日〇六一二北緯十八度三十五分東経百十四度三十分ニ於テ敵潜水艦ト交戰被雷沈没セリ』
  143. ^ #S1907十六戦隊日誌(2)pp.18-19『(ハ)麾下艦船部隊ノ行動(十月)16S司令部』
  144. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.47『七(天候略)16S《旗艦青葉、鬼怒、十九駆(浦波》)及二十七駆(時雨、五月雨)NSB電令作第五二五号ニ依リ「マニラ」ニ向ケ昭南発|二十七駆ヲ16S司令官ノ作戰指揮下ニ入ラシメル』
  145. ^ a b c d e f #S1907十六戦隊日誌(1)pp.40-41『(イ)経過概要(略)第十六戰隊《旗艦青葉、鬼怒、十九駆(浦波)》及第二十七駆逐隊ハ南西方面部隊警戒部隊指揮官之ヲ指揮シ南西方面部隊電令作第五二五號ニ依リ七日昭南發、十一日「マニラ」着輸送打合及搭載作業ヲ行ヒ十五日「マニラ」發南西方面部隊電令作第五四一號及仝第五四四號所定ニ依リ行動 第十六戰隊《旗艦青葉、十九駆(浦波)》ハ十六日、鬼怒及第二十七駆逐隊(時雨)ハ二十二日夫々「セブ」着「パラオ」及「セブ」ニ對スル作戰輸送任務ヲ終了セリ/此ノ間五月雨ハ十八日〇一一六「ガルアングル」島(「パラオ」諸島)西方珊瑚礁ニ坐礁極力離礁ニ努メタルモ遂ニ二十六日艦ヲ放棄スルノ己ム無キニ到レリ 尚第十九駆逐隊(浦波)ハ南西方面部隊電令作第五五一號ニ依リ十八日「セブ」發名取ノ護衛救助ニ向ヒタルモ之ヲ發見シ得ズ空シク二十一日「セブ」ニ歸投セリ/第十六戰隊《旗艦青葉、鬼怒、十九駆(浦波)》ハ二十四日「セブ」發二十七日昭南着補給ノ上三十日「マラッカ」作業地ニ回航諸訓練ニ從事セリ』
  146. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)pp.40-41『(イ)経過概要 第十六戰隊《将旗青葉、鬼怒、十九駆(敷波)》ハ前月ニ引續キ「リンガ」作業地ニ在リテ諸訓練實施中ノ處南西方面部隊信電令作第五二一號ニ依リ三日昭南ニ回航待機ス、但シ敷波ハ第十六戰隊第一遊撃部隊ト聯合訓練實施中一日二二三二「チエンパ」島(ハル)ノ二八度三五〇〇米ニ在ル暗礁ニ坐礁セシモ三日離礁四日昭南ニ回航爾後同地ニ在リテ應急修理ニ從事セリ(以下略)』
  147. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.46『一(天候略)16S《将旗青葉、鬼怒 十九駆(敷波)》一YBト聯合訓練實施中敷波ハ北緯0度七.三分東経一〇四度一八.一分ニ於テ坐礁ス|青葉キヌハ敷波離礁作業ニ協力ス』
  148. ^ #五月雨出撃す295頁『八月十一日(マニラ)』
  149. ^ #五月雨出撃す296頁『八月十五日(航海中)』
  150. ^ a b #S1907十六戦隊日誌(1)pp.42-43『(ロ)麾下艦船部隊ノ行動(八月)第十六戰隊』
  151. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.49『一五(天候略)16S《旗艦青葉、十九駆(浦波》)及鬼怒二十七駆ハ夫々NSB電令作第五四四号及同五四一号ニ依リ「マニラ」「セブ」間輸送任務ノ爲〇五三〇「マニラ」発仝日夕刻「ソルソゴン」湾ニ假泊燃料補給ノ上翌日朝各目的地ニ向フ|「ソルソゴン」湾仮泊中青葉ヨリ鬼怒及二十七駆ニ對シ燃料ヲ搭載ス』
  152. ^ #S1906二七駆日誌(5)p.1『一.坐礁ニ至ル迄ノ経緯』
  153. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.49『十六(天候略)16S《旗艦青葉、十九駆(浦波》)「セブ」着|青葉搭載中ノ陸兵ヲ「セブ」ニ揚搭ス』
  154. ^ #五月雨出撃す296-299頁『八月十八日(パラオ近海)』
  155. ^ #陽炎型(2014)294頁『五月雨(さみだれ)』
  156. ^ #軽巡二十五隻84頁『▽名取』
  157. ^ #軽巡二十五隻190-191『▽灼熱の永別を告げた名取』
  158. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.50『二一(天候略)十九駆(浦波)「セブ」帰着』
  159. ^ #S1907十六戦隊日誌(1)p.50『二四(天候略)16S《将旗青葉、鬼怒 十九駆(浦波)》昭南ニ向ケ「セブ」發』
  160. ^ #陽炎型(2014)279頁『敷波(しきなみ)』
  161. ^ #S1907十六戦隊日誌(2)p.4『(ロ)記事 二十五日附第十六戰隊ヲ第一遊撃部隊ニ編入セラル』
  162. ^ #S1907十六戦隊日誌(2)p.5『(ハ)麾下艦船部隊ノ行動(九月)第十六戰隊』
  163. ^ a b #レイテ鬼怒p.1『(一)任務、企圖 第十六戰隊二番艦トシテ九月二十五日第一遊撃部隊ニ編入十月十八日第一遊撃部隊第四部隊トシテ「リンガ」泊地出撃十月二十日「ブルネイ」着同日機密聯合艦隊電令作第三五九号ニ依リ第一遊撃部隊ヨリ除カレ南西方面部隊ニ編入第二遊撃部隊トシテ十月二十一日「ブルネイ」出撃警戒部隊トシテ在「カガヤン」陸軍部隊ノ急速「レイテ」島方面揚搭作戰及「レイテ」島方面敵兵力ノ撃滅ニ任ズ』
  164. ^ #S1907十六戦隊日誌(2)p.21『16S(青葉鬼怒浦波)「リンガ」ニ在リテ各種訓練ニ從事中』
  165. ^ #内令(秘)昭和19年10月(2)pp.35-36『内令第一一六二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年十月十日海軍大臣|第十九驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十七驅逐隊ノ項ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「、夕凪」ヲ削ル|第四十三驅逐隊ノ項中「松、」ヲ削リ「槇」ノ下ニ「、桐」ヲ加フ』
  166. ^ a b #サイパン・レイテ海戦記135-136頁
  167. ^ #レイテ青葉(1)p.3『(イ)任務企圖 第十六戰隊旗艦トシテ作戰ニ從事中ノトコロ九月二十五日第一遊撃部隊ニ編入十月十八日「リンガ」泊地出撃十月二十日「ブルネイ」着同日機密聯合艦隊電令作第三五九号ニ依リ第一遊撃部隊ヨリ除カレ第二遊撃部隊ニ編入十月二十一日「ブルネイ」出撃、在「カヾヤン」陸軍部隊ノ急速「レイテ」島方面揚搭作戰及「レイテ」島方面敵兵力ノ撃滅ニ任ズ』
  168. ^ #サイパン・レイテ海戦記137頁
  169. ^ #レイテ浦波p.3『(イ)任務企図 南西方面艦隊第二遊撃部隊第十六戰隊三番艦トシテ十月二十一日「ブルネー」出撃在「カガヤン」陸軍部隊ノ急速「レイテ」島方面輸送作戰及「レイテ」島方面敵へ威力ノ撃滅ニ任ズ』
  170. ^ #サイパン・レイテ海戦記153頁
  171. ^ #レイテ浦波p.4『十-二三晴〇四〇〇|青葉被雷セルヲ以テ附近ニ於テ攻撃警戒ニ任ズ、爆雷効果不明|青葉「マニラ」西方約五〇浬ニ於テ敵潜ノ雷撃一ヲ受ケ航行不能』
  172. ^ a b #レイテ鬼怒p.5『十 二三晴〇四〇〇|青葉被雷セルヲ以テ附近ニ於テ警戒ニ任ズルト共ニ青葉曳航準備ヲ行フ|青葉(旗艦)「マニラ」ノ西方約五〇浬ニ於テ敵潜ノ雷撃(一本命中)ヲ受ケ航行不能 浦波敵潜攻撃効果不明/〇七三〇|青葉ヲ曳航「マニラ」ニ向フ/二〇四五|青葉ヲ「マニラ」湾「二コルス」礁ノ二〇五度六浬ニ曳航投錨セシメタル後旗艦ヲ鬼怒ニ変更「マニラ」港ニ向フ 「マニラ」港ニ於テ補給並ニ陸兵及物件一部搭載』
  173. ^ #軽巡二十五隻330-331頁『鬼怒(きぬ)』
  174. ^ #レイテ青葉(1)p.12『一八一五|「マニラ」湾ニ入ル』
  175. ^ #レイテ浦波p.3『十-二十三 二〇四五|鬼怒ト共ニ「マニラ」港ニ回航補給|旗艦ヲ青葉ヨリ鬼怒ニ変更セラル』
  176. ^ #レイテ青葉(1)p.15『二十三日二一〇一(司令官)16S|(宛略)|旗艦ヲ鬼怒ニ変更セリ』
  177. ^ #レイテ鬼怒p.2『(ハ)特ニ準備セル兵力、兵器作戰資材施設訓練等 自十月十一日至十月十六日出撃準備ヲ昭南軍港ニ於テ完成(工事ノ一部未完成)十月二十四日「マニラ」ニ於テ陸兵揚搭用小發二隻搭載』
  178. ^ 地獄のレイテ輸送作戦24頁
  179. ^ #レイテ鬼怒pp.16-17『16S司令官二四日〇五五六|(宛略))NSGB機密第二四〇五五六番電 NSGB電令作第一三號 NSB電令作第六八四號ニ依ル第一次陸兵輸送ハ左ノ要領ニ依リ之ヲ實施ス|一、軍隊區分(隊名 兵力 指揮官)本隊 鬼怒浦波 直率/第一輸送隊 第六第九第一〇輸送艦 先任艦長/第二輸送隊 第一〇一第一〇二輸送艦 先任艦長|二、輸送區分(艦名 輸送兵員数)鬼怒五〇〇 浦波一五〇 第一輸送隊各艦三五〇 第二輸送隊各艦四〇〇 但員数多少ノ増減差支ナシ 携行物件ハ各員数ノ割合ニテ搭載スルモノトス|三、予定上陸点「レイテ」島「オルモック」|四、「ボホル」海峡ヲ経テ「カモテス」諸島北方ヨリ「オルモック」ニ至ル|五、行動要領 各隊「オルモック」着ヲ二十六日〇四〇〇「カガヤン」發ヲ二十五日左ノ時刻ト予定ス 2/2略』
  180. ^ #レイテ鬼怒pp.5-6『十.二四晴〇七〇〇 〇七三〇|「マニラ」出撃 「マニラ」湾内ニ於テ敵戰斗機約三〇機ト交戰/戰果 撃墜五機(内不確実二機)/被害 銃撃ニ依リ戰死八名戰傷四一名 船体銃撃ニ依ル小破口一四三|浦波仝上 浦波仝上交戰/〇八三六|「マニラ」湾口(掃海水路内)ニ於テ敵艦爆五機ト交戰五〇乃至一〇〇米ニ爆彈数発ヲ受クルモ被害ナシ/戰果撃墜一機|仝上/〇九五二|「コレヒドール」ノ西方約四〇浬ニ於テ敵艦爆八機ト交戰五〇米以内三發一〇〇米以内約一〇発二〇〇米以内約一〇発/戰果撃墜三機|仝上』
  181. ^ a b #レイテ浦波pp.3-4『十-二四晴〇七〇〇-〇七三〇|「マニラ」出撃/「マニラ」港内ニ於テ敵「グラマン」戰闘機約三〇機ト交戰/戰果三機撃墜、被害銃撃ニ依リ戰死五名戰傷二六名 重油「タンク」銃撃ニ依リ重油噴出航續力半減ス/〇八三六|「マニラ」湾口(掃海水路内)ニ於テ敵艦爆五機ト交戰五〇乃至一〇〇米ニ爆彈数發ヲ受クルモ被害ナシ 戰果一機撃墜/〇九五二|「コレヒドール」ノ西方約四〇浬ニ於テ敵艦爆八機ト交戰五〇乃至二〇〇米ニ至近彈数発アリタルモ被害ナシ 戰果ナシ/一八〇〇 二〇〇〇|「セミララ」島西岸ニ漂泊重油「タンク」破孔閉塞ヲ行フ|鬼怒ハ浦波ヲ移動警戒ス』
  182. ^ #レイテ浦波p.9『(旗艦)鬼怒二十四日一七〇〇|浦波|速ニ破孔閉塞準備ヲナシ置ケ/一八〇〇頃「セミララ」島西岸ニテ修理セシムル豫定』
  183. ^ #レイテ鬼怒p.37『別紙鬼怒行動図(自十月二十三日至十月二十六日)(海図第一六七五號ト同尺度)』
  184. ^ a b #レイテ浦波p.4『十-二五晴〇九三〇|「ミンダナオ」海西口附近ニ於テ敵大型爆撃機約五〇機ト交戰五〇乃至三〇〇米ニ至近彈数十發ヲ受クルモ被害ナシ 戰果一機撃破/一五四五|「ミンダナオ」島「カガヤン」ン入港鬼怒陸兵搭載中警戒ヲ行フ/一七三〇|仝右終了「レイテ」島「オルモック」ニ向フ』
  185. ^ a b #レイテ鬼怒p.6『十.二五晴〇八二五|「ミンダナオ」海西口附近ニ於テ敵大型爆撃機約五十機ト交戰五〇米以内六発一〇〇米以内約三〇發二〇〇米以内約三〇發ノ爆彈ヲ受クルモ被害ナシ/戰果B-24大型機一機|浦波仝上交戰被害ナシ/一五四五|「ミンダナオ」島「カガヤン」ニ入港陸兵三四七名其ノ他物件搭載開始/一七三〇|仝右終了出港「レイテ」島「オルモック」ニ向フ』
  186. ^ a b #レイテ浦波p.5『十-二六晴〇三四五-〇五〇〇|「レイテ」島「オルモック」ニ入港揚搭載終了出港「コロン」湾ニ向フ/〇六三五|敵哨戒機ニ被発見觸接セラル/一〇二〇|北緯一一度五〇分東経一二二度四〇分ニ於テ敵戰爆雷約五〇機ト交戰/一〇二一|艦長・水雷長戰死 先任将校重傷 航海長指揮ヲ執ル 機銃彈竝ニ六〇粁爆彈ノ至近彈ニ依リ一・二・三區破口多数ヲ生ジ浸水/一〇四〇|十三粍機銃臺ニ直撃彈命中第一罐室ニ於テ炸裂大火災、二・三罐及艦底大破瞬時ニシテ第二罐室満水シ在室員總員戰死亡/同時ニ右舷二・三罐室蒸気管ヨリ蒸気噴出右舷機一時使用不能速力十六節トナル/同時ニ主給水「タンク」ノ水量急減両舷給水交通弁ヲ一時閉鎖ス/一号罐点火ヲ命ズ』
  187. ^ #レイテ鬼怒p.18『GKF長官二六日一六五三|捷号作戰部隊|NSB機密第二六一六五三番電 NSB戰斗速報(十月二十六日)NSGBハ二十六日〇五〇〇第一次増援兵力(二ヶ大隊)ノ「オルモック」揚陸ニ成功セリ』
  188. ^ #レイテ鬼怒pp.6-7『十.二六晴〇三四五|「レイテ」島「オルモック」ニ入港揚搭開始/〇五〇〇|仝右終了出港「コロン」湾ニ向フ』
  189. ^ a b c d 地獄のレイテ輸送作戦28頁
  190. ^ a b #レイテ浦波p.8『一一三〇|軍艦旗ヲ降下シ總員退去ス/一一五二|船體艦首ヨリ沈没』
  191. ^ #レイテ鬼怒p.8『一二二四浦波沈没』
  192. ^ #レイテ鬼怒p.19『16S司令官二六日一四四七(宛略)NSGB機密第二六一四四七番電 一二二四浦波沈没地点N11°56′E123°23′/鬼怒後部機械室被彈火災浸水ノタメ目下航行不能第一〇、九、六號輸送艦ヲ合同シ警戒中』
  193. ^ a b #レイテ浦波p.9『浦波航海長 二十六日一七一五|(旗艦)鬼怒|一、戰果G戰一機撃墜/二、被害艦長先任将校水雷戰戰死 機銃彈ニ依ル小破口ノ浸水爆彈ニ依ル破口ノ浸水ニヨリ沈没/三、戰死者九十二名 戰死者六十四名』
  194. ^ #レイテ浦波p.10『五 戰果及被害(一)戰果(イ)對空銃砲火ニ依リ撃墜八機 仝右ニ依リ撃破一機|(二)被害(イ)銃撃及被彈並ニ沈没時ノ戰死准士官以上六名下士官兵九七名/戰傷准士官以上一名下士官兵九十名』
  195. ^ #10月18日以降増援兵力p.2『(方面)北比|(地區)マニラ|(所轄)浦波|(進出期日 編制期日)一九四四 一〇.二四|(員数)三五』
  196. ^ #レイテ鬼怒p.9『一七二〇|沈没』
  197. ^ 地獄のレイテ輸送作戦29-30頁『「不知火」不運』
  198. ^ #軽巡二十五隻192-194頁『▽蜂の巣になった鬼怒』
  199. ^ #S1907十六戦隊日誌(2)p.17『二十六日鬼怒浦波「パネー」島北方海面ニ於テ對空戰斗ニ依リ沈没将旗ヲ一時第十號輸送艦ニ移揚ス/二十七日将旗ヲ一時青葉ニ移揚ス』
  200. ^ #戦隊行動調書p.17『一〇.二六「オルモック」突入成功セルモ帰途鬼怒浦波被雷沈没(将旗)ヲ一時一〇号輸送艦ヘ|一〇.二七10CD(旗艦)「マニラ」着 将旗ヲ青葉ヘ』
  201. ^ #レイテ鬼怒p.20『二六日二〇四六GKF参謀長|二六日二一三五 5F長官通報1sd 16S|GKF機密第二六二〇四六番電 鬼怒航行不能同艦ノ曳航ニ関シ然ル可ク配慮アリ度一六五五鬼怒位置N11°44′E127°17′』
  202. ^ #陽炎型(2014)303頁『不知火(しらぬい)』
  203. ^ 昭和19年11月19日(発令11月15日付)海軍辞令公報(甲)第1647号 p.17堀免職」 アジア歴史資料センター Ref.C13072102000 
  204. ^ #秘海軍公報昭和19年12月(2)p.18『内令第一三四〇號|呉鎮守府在籍 驅逐艦 浦波、驅逐艦 不知火|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 若葉 驅逐艦 秋月 驅逐艦 初月|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 藤波|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(中略) 昭和十九年十二月十日 海軍大臣』

関連項目

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外部リンク

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