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若竹 (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

昭和5年、第一水雷戦隊に編入時の「若竹」
艦歴
発注 1918年度計画
起工 1921年12月13日
進水 1922年7月24日
就役 1922年9月30日
その後 1944年3月30日戦没
除籍 1944年5月10日
性能諸元
排水量 基準:820トン
全長 83.8m
全幅 8.08m
吃水 2.51m
機関 オールギアードタービン2基2軸
21,500shp
最大速力 35.5ノット
航続距離
乗員
兵装 12.0cm単装砲3基
6.5mm単装機銃2基
53cm連装発射管2基4門

若竹(わかたけ)は、日本海軍駆逐艦若竹型駆逐艦1番艦である。

艦歴(年表)

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  • 1922年(大正11年)7月 進水 - (株式会社川崎造船所 建造) 進水時の名称は「第二駆逐艦」。
    • 9月30日 - 竣工
  • 1924年(大正13年)4月1日 - 「第二号駆逐艦」に艦名変更。
  • 1928年(昭和3年)8月1日 - 「若竹」に艦名変更。
  • 1932年(昭和7年)12月5日 - 暴風雨により沈没した早蕨乗組員の救助活動を行う[1]
  • 1937年(昭和12年) - 日中戦争に参戦。華南沿岸の諸作戦に参加。
  • 1941年(昭和16年) 駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦。船団護衛任務に従事。
  • 1944年(昭和19年)3月30日 - パラオ大空襲に際して、脱出を図るパタ07船団の護衛についたが、パラオ湾口3km沖にて4発を被弾し15秒で沈没した。
パラオ空襲下の若竹
若竹の最期。若竹は船団を護衛して逃れようとしたが発見され、爆弾4発を受けて15秒で沈んだ。

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』376-377頁による。

艤装員長

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  • 穂本繁治 少佐:1922年7月20日 -

駆逐艦長

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  • 穂本繁治 少佐:1922年9月30日 - 1924年12月1日
  • 栗田健男 少佐:1924年12月1日 - 1925年12月2日[2]
  • 福原一郎 少佐:1925年12月2日 - 1926年12月1日
  • 藤田類太郎 少佐:1926年12月1日 - 1927年6月20日[3]
  • 勝野実 少佐:1927年6月20日 - 1927年11月1日
  • 西村祥治 少佐:1927年11月1日 - 1928年12月10日
  • 小柳冨次 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月30日
  • 板倉得止 少佐:1929年11月30日 - 1930年11月1日[4]
  • 倉永恒記 大尉:1930年11月1日 - 1932年12月1日
  • 森寛 大尉:1932年12月1日 - 1934年10月22日[5]
  • 新谷喜一 大尉:1934年10月22日[6] -
  • 馬場昇 大尉:1934年11月15日 -
  • 新谷喜一 少佐:不詳 - 1935年10月31日[7]
  • 溪口泰麿 少佐:1935年10月31日 - 1936年12月1日
  • 瀬尾昇 少佐:1936年12月1日 - 1938年12月1日
  • (兼)工藤俊作 少佐:1938年12月1日[8] - 1939年1月20日[9]
  • 種子島洋二 少佐:1940年10月15日 - 1941年4月10日[10]
  • 古要桂次 少佐:1941年4月10日 - 1941年9月15日[11]
  • 吉田謙吾 大尉:1941年9月15日 -
  • 高橋達彦 少佐:1943年6月10日 -
  • 田中茂雄 大尉:1944年3月10日 - 3月30日に戦死

脚注

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  1. ^ 駆逐艦「早蕨」、台湾沖合で沈没『東京日日新聞』昭和7年12月5日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p47 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  2. ^ 『官報』第3984号、大正14年12月4日。
  3. ^ 『官報』第142号、昭和2年6月21日。
  4. ^ 『官報』第1155号、昭和5年11月4日。
  5. ^ 『官報』第2344号、昭和9年10月23日。
  6. ^ 『官報』第2344号(昭和9年10月23日)で「呉竹」と記載されたが、『官報』第2347号(昭和9年10月26日)で「若竹」と訂正。
  7. ^ 『官報』第2651号、昭和10年11月2日。
  8. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第267号 昭和13年12月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074700 
  9. ^ 海軍辞令公報(部内限)第289号 昭和14年1月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075300 
  10. ^ 海軍辞令公報(部内限)第614号 昭和16年4月10日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072080700 
  11. ^ 海軍辞令公報(部内限)第714号 昭和16年9月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082100 

参考文献

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  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9