坂本伊久太
坂本 伊久太 | |
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生誕 |
1887年6月17日 日本 熊本県 |
死没 | 1974年1月26日(86歳没) |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1908年 - 1942年 |
最終階級 | 海軍中将 |
坂本 伊久太(さかもと いくた、1887年(明治20年)6月17日[1] - 1974年(昭和49年)1月26日[1])は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。位階勲等は従三位勲二等[2]。
経歴
[編集]熊本県出身[1]。1908年(明治41年)11月、海軍兵学校第36期を卒業し[1][2]、1909年(明治42年)1月に海軍少尉に任官した[2]。「敷島」「秋津洲」各分隊長などを経て[2]、1916年(大正5年)6月に海軍水雷学校高等科学生となった[2]。その後、「薩摩」分隊長[2]、海軍水雷学校教官兼分隊長を経て[2]、1919年(大正8年)12月に海軍大学校甲種第19期学生となり[1][2]、1920年(大正9年)12月に海軍少佐に進級した[3]。1921年(大正10年)12月に「栗」駆逐艦長に着任し[3]、1922年(大正11年)12月には第1水雷戦隊参謀に転じ[3]、さらに第1艦隊参謀兼連合艦隊参謀[3]、海軍水雷学校教官兼海軍砲術学校教官を歴任した[3]。1924年(大正14年)12月に海軍中佐に進級し[3]、第2水雷戦隊参謀[3]、海軍省教育局局員[3]、第5駆逐隊司令を務めた[3]。
1930年(昭和5年)12月1日、海軍大佐進級と同時に「鬼怒」艦長に着任した[3]。1931年(昭和6年)12月に海軍水雷学校教頭に転じ[3]、1933年(昭和8年)11月に「衣笠」艦長[3]、1935年(昭和10年)11月に呉防備戦隊司令官と歴任した[3]。1936年(昭和11年)11月1日に第3水雷戦隊司令官に着任し[4]、12月1日に第2水雷戦隊司令官に転補されると同時に海軍少将に進級した[3]。1937年(昭和12年)12月に呉警備戦隊司令官に転じ[3]、1938年(昭和13年)4月に佐世保海兵団長を経て[3]、1939年(昭和14年)11月には海軍水雷学校長に着任し[3]、1940年(昭和15年)11月に海軍中将に進級した[3]。1941年(昭和16年)9月1日に鎮海要港部司令官に親補され[3]、同年11月20日に鎮海要港部が鎮海警備府に改編されたことにより[5]、同日より鎮海警備府司令長官となった[3]。1942年(昭和17年)9月15日に軍令部出仕となり[3]、12月15日に待命[3]、12月21日に予備役に編入された[3]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]。
年譜
[編集]- 1908年(明治41年)11月21日 - 海軍兵学校卒業、宗谷乗組[2]
- 1909年(明治42年)8月2日 - 鹿島乗組[2]
- 1910年(明治43年)
- 1911年(明治44年)
- 1912年(明治45年)4月24日 - 第15艇隊附[2]
- 1913年(大正2年)12月1日 - 敷島乗組[2]
- 1914年(大正3年)12月1日 - 海軍大尉、敷島分隊長[2]
- 1915年(大正4年)
- 1916年(大正5年)
- 1917年(大正6年)12月1日 - 海軍水雷学校教官兼分隊長[2]
- 1919年(大正8年)12月1日 - 海軍大学校甲種学生[2]
- 1920年(大正9年)12月1日 - 海軍少佐[3]
- 1921年(大正10年)12月1日 - 栗駆逐隊長[3]
- 1922年(大正11年)12月1日 - 第1水雷戦隊参謀[3]
- 1922年(大正12年)11月20日 - 第1艦隊参謀兼連合艦隊参謀[3]
- 1923年(大正13年)12月1日 - 海軍水雷学校教官兼海軍砲術学校教官[3]
- 1924年(大正14年)12月1日 - 海軍中佐[3]
- 1925年(大正15年)12月1日 - 第2水雷戦隊参謀[3]
- 1927年(昭和2年)12月1日 - 海軍省教育局局員[3]
- 1929年(昭和4年)11月30日 - 第5駆逐隊司令[3]
- 1930年(昭和5年)12月1日 - 海軍大佐、鬼怒艦長[3]
- 1931年(昭和6年)12月1日 - 海軍水雷学校教頭[3]
- 1933年(昭和8年)11月15日 - 衣笠艦長[3]
- 1934年(昭和9年)11月15日 - 横須賀鎮守府附[3]
- 1935年(昭和10年)11月15日 - 呉防備戦隊司令官[3]
- 1936年(昭和11年)
- 1937年(昭和12年)12月1日 - 呉警備戦隊司令官[3]
- 1938年(昭和13年)4月20日 - 佐世保海兵団長[3]
- 1939年(昭和14年)11月15日 - 海軍水雷学校校長[3]
- 1940年(昭和15年)11月15日 - 海軍中将[3]
- 1941年(昭和16年)
- 1942年(昭和17年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e 福川 2000, 175頁.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 海軍歴史保存会 1995, 248頁.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au 海軍歴史保存会 1995, 249頁.
- ^ a b 外山 1981, 135頁.
- ^ 秦 2005, 454頁.
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」69頁。
参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。ISBN 482950272X。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500034。
- 秦郁彦 編『日本陸海軍総合事典 第2版』東京大学出版会、2005年。ISBN 4130301357。