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桂 (樺型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
計画 1914年度[1]
起工 1914年12月1日[1]
進水 1915年3月4日[1]
就役 1915年3月31日[1]
除籍 1932年4月1日[1]
性能諸元(計画公表値)
排水量 基準:公表値 595トン
常備:計画 665トン
全長 全長:82.90 m [注釈 1]
水線長:82.29m[注釈 2]
垂線間長:260 ftin (79.25 m)
全幅 24 ft 0+38 in (7.32 m)
水線幅 24 ft 0 in (7.32 m)
吃水 7 ft 9 in (2.36 m)
深さ 15 ft 3 in (4.65 m)
機関 推進:3軸
主機:直立4気筒3段レシプロ 3基
出力:計画 9,500馬力
ボイラー:ロ号艦本式缶 重油専焼2基、混焼2基
速力 30ノット
1931年時 31ノット
燃料 重油137トン、石炭100トン
航続距離 1,600カイリ / 15ノット
乗員 竣工時定員 90名[2]
1920年調 94名
1928年公表値 96名
兵装 40口径12cm単装砲 1門[注釈 3]
40口径8cm単装砲 4門[注釈 4]
45cm連装魚雷発射管 2基4門
搭載艇 4隻
備考 ※トンは英トン

(かつら)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、樺型駆逐艦の4番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「桂」(未成艦)があるため、こちらは「桂 (初代)」や「桂I」などと表記される。

艦歴

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1914年大正3年)12月1日、呉海軍工廠で起工[3][4]1915年(大正4年)3月4日、進水し[3][5]、同年3月31日、竣工[3][6]

第一次世界大戦では、1917年(大正6年)から1919年(大正8年)まで、シンガポール方面警備と地中海の海上護衛に従事した[1]

1932年昭和7年)4月1日に除籍。

艦長

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※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

駆逐艦長
  • 岡本郁男 少佐:1915年3月1日 - 1916年8月1日
兼呉海軍工廠艤装員(1915年3月1日[7] - 1915年3月31日[8]
  • 高橋正雄 少佐:1916年8月1日 - 1917年2月7日
  • 高橋雄三郎 少佐:1917年2月7日 - 1918年2月21日[9]
  • 江口喜八 少佐:1918年2月21日[9] - 1919年12月1日[10]
  • 森田重房 少佐:1919年12月1日[10] - 1920年12月1日[11]
  • 松田鹿三 少佐:1920年12月1日[11] - 1922年6月16日[12]
  • 角田貞雄 少佐:1922年6月16日[12] - 1923年10月20日[13]
  • (心得)中原達平 大尉:1923年10月20日[13] - 12月1日
  • 中原達平 少佐:1923年12月1日[14] - 1925年10月15日[15]
  • 木村一郎 大尉:1925年10月15日[15] - 1927年11月1日[16]
  • 森友一 少佐:1927年11月1日[16] - 1928年9月27日[17]
  • 門前鼎 少佐:1928年9月27日 - 1929年11月1日
  • 大石堅志郎 少佐:1929年11月1日[18] - 1930年12月1日[19]
  • (兼)市坪正雄 大尉:1930年12月1日[19] - 1931年4月1日[20]

脚注

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注釈

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  1. ^ #軍艦基本計画資料Sheet14、樺完成常備状態の値として、全長82.906m、水線長82.308m、垂線間長79.260m、水線幅7.325mとしている。
  2. ^ #日本の駆逐艦p.293では全長82.29mとしている。
  3. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」による。四一式。
  4. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」による。安式8cm砲。

出典

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  1. ^ a b c d e f 『日本海軍史』第7巻、296頁。
  2. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)p.530『大正四年二月六日(内令三七) 海軍定員令中ノ通改正セラル 別表「二等驅逐艦定員表」ノ下ニ「其一」ヲ加フ 別表中ヘ附表ノ通二等驅逐艦定員表其二ヲ加フ | 艦第二十表ノ二 |二等 驅逐艦定員表 其二 | 驅逐艦名 | 樺、桂、榊、楓、梅、楠、柏、松、桐、杉 |(以下略)』將校同相當官5人、兵曹長同相當官、准士官3人、下士22人、卒60人。
  3. ^ a b c #帝国海軍機関史下巻p.543(四五三頁)
  4. ^ #T14公文備考41艦船1/中型巡洋艦製造一件 桐、樺、桂、杉、柏、松、榊、楓、栂、楠(4)画像8『大正三年十二月一日(中略)駆逐艦桂本日午前十時起工致候 右報告ス(了)』
  5. ^ #T14公文備考41艦船1/中型巡洋艦製造一件 桐、樺、桂、杉、柏、松、榊、楓、栂、楠(4)画像9『駆逐艦桂午前十時無事進水セリ 三月四日呉鎮長官』
  6. ^ #T14公文備考41艦船1/中型巡洋艦製造一件 桐、樺、桂、杉、柏、松、榊、楓、栂、楠(4)画像16『大正四年三月三十一日(中略)桂本日授受結了』
  7. ^ 海軍辞令公報 大正4年3月」 アジア歴史資料センター Ref.C13072071000 
  8. ^ 海軍辞令公報 大正4年4月」 アジア歴史資料センター Ref.C13072071100 
  9. ^ a b 海軍辞令公報 大正7年2月」 アジア歴史資料センター Ref.C12070262500 
  10. ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  11. ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  12. ^ a b 『官報』第2962号、大正11年6月17日。
  13. ^ a b 『官報』第3350号、大正12年10月22日。
  14. ^ 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
  15. ^ a b 『官報』第3945号、大正14年10月16日。
  16. ^ a b 『官報』第255号、昭和2年11月2日。
  17. ^ 『官報』第529号、昭和3年9月28日。
  18. ^ 『官報』第854号、昭和4年11月2日。
  19. ^ a b 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。
  20. ^ 『官報』第1275号、昭和6年4月2日。

参考文献

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  • 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5 
  • 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』海人社、2012年12月。
  • 日本舶用機関史編集委員会/編 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 福田啓二/編 編『軍艦基本計画資料』今日の話題社、1989年5月。ISBN 4-87565-207-0 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。 
  • 森恒英『軍艦メカニズム図鑑 日本の駆逐艦』グランプリ出版、1995年1月。ISBN 4-87687-154-X 
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正4年 公文備考 巻41 艦船1/中型巡洋艦製造一件 桐、樺、桂、杉、柏、松、榊、楓、栂、楠(4)』。Ref.C08020599600。 

関連項目

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