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島風 (峯風型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
島風
基本情報
建造所 舞鶴海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆逐艦
哨戒艇
級名 峯風型駆逐艦
第一号型哨戒艇
建造費 2,028,495円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 1917年度(八四艦隊案
起工 1919年9月5日
進水 1920年3月31日
竣工 1920年11月15日
最期 1943年1月12日被雷沈没
除籍 1943年2月10日
その後 1940年4月1日哨戒艇編入、第一号哨戒艇と改名
1941年高速輸送艦に改造
要目
基準排水量 駆逐艦時:1,215トン
哨戒艇時:1,270トン
公試排水量 駆逐艦時:1,345トン
哨戒艇時:1,700トン
全長 102.6メートル
水線長 99.8メートル
最大幅 8.92メートル
吃水 駆逐艦時:2.79メートル
哨戒艇時:2.9メートル
ボイラー 駆逐艦時ロ号艦本式缶 4基
哨戒艇時:ロ号艦本式缶 2基
主機 パーソンズタービン 2基
推進 2軸
出力 駆逐艦時:38,500馬力
哨戒艇時:19,250馬力
速力 駆逐艦時:40.698ノット
哨戒艇時:20.0ノット
燃料 重油395トン
航続距離 14ノットで3,600カイリ
乗員 154名
兵装 駆逐艦時
45口径三年式12cm砲 4門
三年式機銃 2挺
53.3cm連装魚雷発射管 3基
(魚雷8本)
一号機雷 16個
哨戒艇時
45口径三年式12cm砲 2門
九六式25mm機銃 連装3基、単装4挺
爆雷 18個
搭載艇 内火艇x1隻、20ftカッターx2隻、20ft通船x1隻
その他 大発2隻
陸戦隊約250名収容可能
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島風(しまかぜ)は、日本海軍駆逐艦峯風型駆逐艦の4番艦である。日本の駆逐艦として公試運転時に40.698ノットの新記録を出したことで知られる。1940年に哨戒艇に改造され第一号哨戒艇(だいいちごうしょうかいてい、旧字体:第一號哨戒艇)と改名し、艦名は2代「島風」に引き継がれた。「島風」の名は「島に吹く風」または「島より吹き来る風」[1]に由来する。

艦歴

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舞鶴海軍工廠で建造。一等駆逐艦に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。竣工後直ちに第3駆逐隊に編入された。

1928年(昭和3年)10月11日午後9時20分、浦賀水道において、小演習に参加していた「島風」に僚艦「夕風」が衝突し、右舷艦首に大破口が生じ横須賀で修理を行った。

1937年(昭和12年)から翌年にかけて、日中戦争に伴う華中華南での沿岸諸作戦に参加。1937年9月25日、第二次上海事変に際し黄浦江にて作戦中、中国軍の射撃を受け、乗艦していた第三駆逐隊司令博義王中佐と皇族付武官・早川幹夫中佐が戦傷を受けた。

1938年(昭和13年)12月、第三駆逐隊は解隊し予備艦となる。

1940年(昭和15年)4月、哨戒艇に改装され艦種変更、「第一号哨戒艇」と改名される。太平洋戦争開戦直前、後甲板・艦尾を改造し、大発2隻を搭載する強襲揚陸艦となり、12cm単装砲1門と魚雷兵装を撤去し陸戦隊約250名収容可能の居住区を設けた。

開戦後、フィリピン蘭印攻略作戦に参加。1942年3月から4月には西部ニューギニア戡定作戦に参加。ついでソロモン諸島方面で活動。1943年(昭和18年)1月12日、給油船「あけぼの丸」を護衛中、米潜水艦「ガードフィッシュ」の雷撃によりビスマルク諸島カビエン沖で沈没。

歴代艦長

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※脚注無き限り『艦長たちの軍艦史』222-223頁による。階級は就任時のもの。

艤装員長

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  • (心得)岩城茂身 少佐:1920年8月23日[2] - 1920年9月17日[3]
  • (兼・心得)岩城茂身 少佐:1920年9月17日[3] -

駆逐艦長

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第一哨戒艇隊特務艇長[注釈 1]

注釈

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  1. ^ 海軍辞令公報上の職名は全員が「第一哨戒艇隊特務艇長兼分隊長」で、誰がどの艇の艇長なのかは記載されていないが、本艇については「第一哨戒艇隊第一号哨戒艇事変日誌」 アジア歴史資料センター Ref.C08030620500 と突合せを行うことにより、当時の特務艇長の特定が可能。なお第一哨戒艇隊特務艇長は海軍省が発令するもので、防備隊編制令や哨戒艇乗員標準による制限を受けない。

脚注

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  1. ^ 1928年 東京水交社 出版 浅井将秀 編 「#日本海軍艦船名考」P.125〔島風 しまかぜ Simakaze.島ヨリ吹キ來ル風。〕
  2. ^ 『官報』第2419号、大正9年8月24日。
  3. ^ a b c 『官報』第2440号、大正9年9月18日。
  4. ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  5. ^ 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
  6. ^ 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
  7. ^ a b 『官報』第3586号、大正13年8月6日。
  8. ^ 『官報』第3722号、大正14年1月21日。
  9. ^ 『日本海軍史』第9巻、226頁。
  10. ^ 『官報』第37号、昭和2年2月16日。
  11. ^ 『官報』第808号、昭和4年9月6日。
  12. ^ 『官報』第1478号、昭和6年12月2日。
  13. ^ 『官報』第1778号、昭和7年12月2日。
  14. ^ a b 『官報』第2053号、昭和8年11月2日。
  15. ^ 『官報』第2089号、昭和8年12月16日。
  16. ^ 『官報』第2288号、昭和9年8月16日。
  17. ^ a b 昭和12年9月29日付 海軍辞令公報号外 第63号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072300 
  18. ^ a b 昭和12年12月1日付 海軍辞令公報号外 第99号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700 
  19. ^ a b 昭和14年1月16日付 海軍辞令公報 (部内限) 第287号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075300 
  20. ^ 昭和14年3月10日付 海軍辞令公報 (部内限) 第312号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075500 
  21. ^ 昭和16年11月20日付 海軍辞令公報 (部内限) 第752号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072083200 
  22. ^ 昭和17年4月10日付 海軍辞令公報(部内限)第841号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072085100 

参考文献

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  • 『丸スペシャル』第51号 日本の駆逐艦Ⅱ、潮書房、1981年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。

関連項目

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