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第二号哨戒特務艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第二号哨戒特務艇
戦後放置された第二号哨戒特務艇 (1947年春、川崎港)
戦後放置された第二号哨戒特務艇
(1947年春、川崎港
基本情報
建造所 船体:山西造船鉄工所
兵装艤装:横須賀海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
艦種 特務艇
級名 第一号型哨戒特務艇
建造費 1,307,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル戦計画
竣工 1945年5月20日
除籍 1947年5月3日
その後 1947年11月22日漁船改造許可
要目
基準排水量 238トン
水線長 28.50m
水線幅 6.14m
吃水 2.35m
機関 400型中速ディーゼル1基、1軸
出力 400bhp
速力 9.0ノット
燃料 重油26トン
航続距離 8ノットで4,000カイリ
乗員 34名
兵装 25mm機銃 連装1基、単装2基
爆雷12個
搭載艇 短艇1隻
レーダー 13号電探1基
ソナー 三式水中探信儀1基
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第二号哨戒特務艇[注釈 1](だいにごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の2番艇。

艇歴

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マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の2番艇、仮称艦名第2122号艦として計画。1944年11月5日、第二号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の2番艇に定められ、本籍を横須賀鎮守府と仮定。1945年4月30日、船体概成により株式会社山西造船鉄工所から横須賀海軍工廠へ引き渡し。5月20日竣工し、本籍を横須賀鎮守府に定められ、連合艦隊第二十二戦隊第一監視艇隊に編入。哨戒線へ出撃した記録は残されていない。

7月1日、第一監視艇隊から削除され舞鶴防備隊に編入。終戦時は横浜に所在[注釈 2]、もしくは舞鶴で掃海作業中[注釈 3]。戦後は川崎港の旭造船所に回航され、同地で繋留放置。

1947年2月1日、行動不能艦艇(特)に定められる。5月3日、第二号哨戒特務艇は海軍編制の廃止に伴い除籍された。5月31日、旭造船所で東京財務局神奈川管財支所長立会いのもと、渡部某[注釈 4]に引き渡された。11月22日、在東京アメリカ極東海軍司令部から、本船の漁船への改造許可が出された。

脚注

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注釈
  1. ^ 本来の艇名表記は第二號哨戒特務艇。
  2. ^ 世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』、p. 113の記述による。
  3. ^ 丸スペシャル『駆潜艇・哨戒艇』、p. 62の記述による。
  4. ^ 個人のため、姓のみ記述する。
脚注

参考文献

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  • 海軍省復員庁
    • 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
    • 昭和20年5月20日付 内令第445号、内令第446号。
    • 昭和20年7月1日付 内令第587号、内令第588号。
    • 昭和20年7月16日付 秘海軍公報 第5070号。
    • 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。
    • 昭和22年2月19日付 横須賀地方復員局管船部 横管修第753号。
    • 昭和22年5月3日付 復員庁第二復員局 復二第327号。
    • 昭和22年6月11日付 横須賀地方復員局総務部 横復総第?号(原典の擦れにより文書番号の特定はできない。本文書はアジア歴史資料センター レファレンスコード C08011235400 で閲覧可能)。
    • 第二十二戦隊戦時日誌。
  • 在東京アメリカ極東海軍司令部
    • 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
      • (a) 解撤スベキ艦船ノリスト。
      • (b) 民需用トシテ内務省ヘ引渡スベキ艦艇ノリスト。
  • 坂本正器/福川秀樹 『日本海軍編制事典』、芙蓉書房出版、2003年。ISBN 4-8295-0330-0
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。