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第二十七号哨戒特務艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第二十七号哨戒特務艇
基本情報
建造所 村上造船所[注釈 1]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 特務艇
級名 第一号型哨戒特務艇
建造費 1,307,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル戦計画
進水 1945年6月18日
最期 1945年8月17日船体工程90%で工事中止[注釈 2]
その後 1947年11月22日漁船改造許可
要目(計画時)
基準排水量 238トン
水線長 28.50m
水線幅 6.14m
吃水 2.35m
機関 400型中速ディーゼル1基、1軸
出力 400bhp
速力 9.0ノット
燃料 重油26トン
航続距離 8ノットで4,000カイリ
乗員 34名
兵装 25mm機銃 連装1基、単装2基
爆雷12個
搭載艇 短艇1隻
レーダー 13号電探1基
ソナー 三式水中探信儀1基
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第二十七号哨戒特務艇[注釈 3](だいにじゅうななごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の12番艇。

艇歴

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マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の27番艇、仮称艦名第2147号艦として計画。1945年5月5日、第二十七号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の12番艇に定められ、本籍を横須賀鎮守府と仮定。1945年6月18日、村上造船所で進水。

終戦時未成。8月17日、工事中止が発令され船体工程90%[注釈 2]で工事中止となり、戦後は船台上に引き揚げられ放置されていた。

1947年2月1日、行動不能艦艇(特)に定められる。11月22日、在東京アメリカ極東海軍司令部から本艇の漁船への改造許可が出されたが、解体された。

脚注

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注釈
  1. ^ 本艇の建造所名は村比造船所(昭和22年2月1日付 二復総第49号)、村山造船所(昭和22年2月19日付 横管修第753号)と表記ゆれが見られるが、本記事では昭和20年5月5日付 達第97号の表記に従う。
  2. ^ a b 進捗率は昭和22年2月1日付 二復総第49号による。福井静夫『昭和軍艦概史III』 p. 66では95%としているが、同ページには「ごく大体のもの」と注意書きが添えられている。
  3. ^ 本来の艇名表記は第二十七號哨戒特務艇。
脚注

参考文献

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  • 海軍省復員庁
    • 昭和20年5月5日付 達第97号、内令第381号、内令第389号。
    • 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。
    • 昭和22年2月19日付 横須賀地方復員局管船部 横管修第753号。
  • 在東京アメリカ極東海軍司令部
    • 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
      • (a) 解撤スベキ艦船ノリスト。
      • (b) 民需用トシテ内務省ヘ引渡スベキ艦艇ノリスト。
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。