「与島」の版間の差分
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{{otheruses|香川県坂出市の島|徳島県海陽町の島|四島 (徳島県)}} |
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|島名=与島 |
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|画像=[[ファイル:Yoshima Island 2019.jpg|280px]]<br />与島全体の空中写真 |
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'''与島'''(よしま)は[[香川県]][[坂出市]]の[[瀬戸内海]]に浮かぶ[[塩飽諸島]]の[[島]] |
'''与島'''(よしま)は、[[香川県]][[坂出市]]の[[瀬戸内海]]に浮かぶ[[塩飽諸島]]の[[島]]<ref name="島嶼大辞典"/>。 |
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与島を中心に、坂出市に属する[[櫃石島]]、[[岩黒島]]、[[塩飽諸島#各島の概要|鍋島]]、[[小与島]]、[[瀬居島]]、[[沙弥島]]などを束ねて与島諸島とも言う<ref name="島嶼大辞典"/>。 |
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== 概要 == |
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人口142人、面積1.10平方km、周囲6.9km。全域が[[香川県]][[坂出市]]与島町に属している。島の北部と西部は大部分が[[与島パーキングエリア]]と瀬戸大橋の架橋用地となっている。 |
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==地勢== |
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[[ファイル:与島諸島.jpg|thumb|left|250px|与島諸島略図(島々を横断する緑線が瀬戸大橋)]] |
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かつては全域が「'''仲多度郡[[与島村]]'''」(よしまそん)に属していたが、[[1953年]]に坂出市に編入された。[[1988年]]には瀬戸大橋が開通し本土へ陸続きで渡れるようになった。 |
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[[File:Sunchine on Great Seto Bridge.jpg|left|thumb|250px|与島に架かる[[瀬戸大橋]]]] |
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=== 年表 === |
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[[File:An alley in Yoshima island (22120765944).jpg|thumb|left|250px|与島の路地と石積み]] |
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* [[1953年]]([[昭和]]28年)[[4月1日]] - 仲多度郡[[与島村]]が坂出市に合併。 |
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古くから[[瀬戸内海]]([[備讃瀬戸]])の重要港だった[[四国]]の[[宇多津町|宇多津]]と[[本州]]・[[下津井地区|下津井]](現[[倉敷市]]の一部)の両港のほぼ中間地点に位置する島である<ref name="平凡地名_与島"/><ref name="平凡地名_宇多津"/>。 |
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* [[1983年]]([[昭和]]58年)[[7月8日]] - [[瀬戸大橋]][[与島高架橋]]工事着工。 |
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* [[1988年]]([[昭和]]63年)[[4月10日]] - 瀬戸大橋開通。 |
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[[塩飽諸島]]を構成する主要7島(塩飽七島)の一つで、主に[[花崗岩]]からなり、面積1.10km{{sup|2}}、周囲6.9km<ref name="日立_与島"/><ref name="小学館_与島"/><ref name="島嶼大辞典"/>。周囲に[[羽佐島]]、[[岩黒島]]、[[小与島]]、[[塩飽諸島#各島の概要|鍋島]]、[[三つ子島]]を従えている<ref name="平凡地名_与島"/>。「与島」という名称が確認できる最古の文献は1590([[天正]]18)年に遡り、これらの島々が組になっていることから「与する島」というのが島名の由来とする説がある<ref name="角川地名_与島"/>。塩飽諸島のうち、坂出市に属する島を与島諸島とも言う<ref name="島嶼大辞典"/>。 |
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島の東西それぞれに標高60-70mほどの南北に走る丘があり、かつては採石場だった<ref name="島嶼大辞典"/><ref name="平凡地名_与島"/>。北にはかつて入り江があって、島は馬蹄形をしていたが、江戸末期に[[塩田]]を作るために入り江が埋め立てられ、今は円形の島である。埋め立てられた一帯は今は「塩浜」地区となっている<ref name="平凡地名_与島"/><ref name="島嶼大辞典"/>。かつての「馬蹄」の先端部は「長崎鼻」などと呼ばれており、石棺や列石が見つかっている<ref name="東山魁夷"/><ref name="島嶼大辞典"/>。 |
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島の南東側には「浦城」地区があり、100mほど沖に小さな鍋島があったが、今は防波堤で与島と鍋島は接続されており、港になっている<ref name="平凡地名_与島"/>。鍋島にある[[鍋島灯台]]は1872(明治5)年築の石造りの灯台で、日本で2番めに古い灯台とされている<ref name="平凡地名_与島"/>。 |
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植生は[[クロマツ]]や[[アカマツ]]が多く、農地では麦作や花卉栽培が行われている<ref name="島嶼大辞典"/>。古くは漁業と石材業が島の中心産業で、浦城の漁港を中心に[[鯛]]・[[サワラ|鰆]]・[[メバル|鮴]]・[[タコ|蛸]]などを獲っていた<ref name="角川地名_与島"/>。[[瀬居島]]との間の海域や牛島の南など、あたりは岩礁の多い好漁場だったが、それゆえに近隣の浜との諍いが絶えず、[[備前国]](岡山県)側とも[[讃岐国]](香川県)側とも対立した<ref name="角川地名_与島"/>。島で切り出した石材を運ぶための回漕業も発達し、[[島原の乱]]では[[板倉重昌]]が与島で24隻の船を徴発して資材の運送に充てた<ref name="角川地名_与島"/>。島民は船員として秀でており、[[河村瑞賢]]による[[西廻海運]]開拓、[[咸臨丸]]の[[小笠原諸島|小笠原]]航海にも参加した<ref name="角川地名_与島"/>。塩飽諸島独特の制度として、戦国末期に作られた「'''人名'''(にんみょう)」というものがあり、幕府の海事に船員として労力を提供する代わりに世襲で漁業権や島の土地の権利を保証された<ref name="日立_人名制"/>。塩飽の島々は「人名の島」とも呼ばれ、「人名」の名称は現代も島域の山林の管理組合などに残されている<ref name="角川地名_与島"/>。江戸後期には入浜式の[[塩田]]が拓かれ、製塩業もはじまり移住者が増えた<ref name="角川地名_与島"/>。塩田を築いたのは備前国出身者だったので、香川県内の他の塩田とは設計が異なっているのが特徴である<ref name="角川地名_与島"/>。塩田は1972(昭和47)年まで操業していたが、[[塩#日本における塩の専売|国の塩業政策]]にともなって廃止になり、跡地は瀬戸大橋建設のための資材置き場となった。これが現在の塩浜地区にあたる<ref name="角川地名_与島"/>。 |
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==行政== |
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全域が[[香川県]][[坂出市]]与島町に属している。[[日本の郵便番号|郵便番号]]は762-0071([[坂出郵便局]]管区)。 |
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1590([[天正]]18)年に[[太閤検地]](塩飽検地)があり、居住者40と記録されている<ref name="平凡地名_与島"/>。[[江戸時代]]には幕府の直轄となり、島年寄と[[庄屋]]がおかれた<ref name="平凡地名_与島"/><ref name="角川地名_与島"/>。1875(明治8)年の記録では78戸339人となっている<ref name="平凡地名_与島"/>。 |
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1878(明治11)年に「[[那珂郡 (香川県)|那珂郡]]」に編入されたのち、1890(明治23)年に周辺の島々を集めて「'''[[与島村]]'''」(與嶋村、よしまそん)が発足した<ref name="平凡地名_坂出市"/>。1899(明治32)年には那珂郡が隣接する郡と合併して[[仲多度郡]]となった<ref name="平凡地名_坂出市"/>。1953(昭和28)年に与島村は[[坂出市]]に編入された<ref name="平凡地名_坂出市"/>。 |
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==人口== |
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1980年には島民は361名であり、多くの家庭が採石業に関連した仕事をしていた<ref name="mainichidamepo"/>。瀬戸大橋の建設に伴って建設労働者の宿舎が建築され1988年には人口は500人以上に増えた<ref name="mainichidamepo"/>。瀬戸大橋開通後に期待した観光業は数年で廃れ、人口流出が続いた<ref name="mainichidamepo"/>。1990年には277<ref name="mainichidamepo"/>人、2005年には73世帯142人<ref name="しまネット_与島データ"/>、2010年には63世帯115人<ref name="香川県_計画"/>、2015年には81<ref>{{Cite web|和書|title=離島統計情報|url=https://www.pref.kagawa.lg.jp/chiiki/seto-island/statistics.html|accessdate=2021-10-25|language=ja-JP}}</ref>人となり高齢化も進行している。 |
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==西方遺跡== |
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1988(昭和63)年には[[瀬戸大橋]]が開通するにあたり、島の西側の尾根一帯は架橋用地となり、[[与島パーキングエリア]]が設けられた<ref name="平凡地名_与島"/>。この西の尾根には[[旧石器]]が出土する'''西方遺跡'''があり、瀬戸大橋の工事に先立って発掘調査が行われた<ref name="平凡地名_与島"/>。一帯からは[[讃岐岩]](サヌカイト)の[[剥片石器]]や[[ナイフ形石器]]など2000点あまりが出土したが、花崗岩の風化が著しく住居跡などは確認できなかったため、詳しいことはわかっていない<ref name="平凡地名_与島"/>。 |
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==与島石== |
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周辺の島々と同様に、与島でもかつて採石業が盛んだった<ref name="mainichidamepo"/>。豊臣秀吉の検地に際して、与島は5ヶ所ある「御用石帳場」の1つになっている<ref name="平凡地名_与島"/>。江戸時代から明治時代には石の切り出しがさらに盛んになり<ref name="平凡地名_与島"/>、与島と隣接する小与島では「'''与島石'''」と呼ばれる良質な花崗岩を産出し昭和の最盛期には30社もの業者が操業していた<ref name="mainichidamepo"/><ref name="小学館_与島"/><ref name="しまネット_小与島"/><ref name="さかいで3島物語"/>。石材を搬出する海運業も栄え<ref name="mainichidamepo"/>、50隻の運搬船が使用された<ref name="mainichidamepo"/>。 |
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瀬戸大橋の建設に伴って橋脚やパーキングエリアや観光施設に土地を譲渡する形で多くの業者が廃業した<ref name="mainichidamepo"/>。採石は露天掘りで実施されており、操業停止後は雨水が溜まり池となっている場所も、航空写真で散見できる。 |
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近年は安価な外国産石材におされて採石事業は低調であり、外国産石材の加工業が営まれている<ref name="講談社_与島"/><ref name="小学館_与島"/>。 |
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{{clear}} |
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== 交通 == |
== 交通 == |
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かつて与島は「離島」だったが、[[瀬戸大橋]]の開通と[[与島パーキングエリア]]の開業により、本州・四国の本土と陸路で接続されている。本州の岡山県、四国の香川県とは公共交通(バス)による定期便が運行されている。一方、2015年現在、与島への定期航路はない<ref name="香川県_計画"/>。 |
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===与島港=== |
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{{multiple image |
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| direction = vertical |
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| width = 250 |
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| image1 = 与島諸島付近の航路.jpg |
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| caption1 = [[備讃瀬戸航路]]と[[水島航路]] |
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| image2 = Yoshima plaza.JPG |
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| caption2 = [[与島パーキングエリア]]の与島プラザ |
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| image3 = Kotosan Bus.jpg |
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| caption3 = 瀬戸大橋フィッシャーマンズワーフに停車中の[[琴参バス]]の車両。 |
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与島は、石材の積み出し地として栄えてきた。港湾施設は島の南東岸の浦城地区、北岸の塩浜地区(与島塩浜港)、与島から東に300m沖にある小与島の西岸、さらに羽佐島の東岸にあり、これらをまとめて'''与島港'''とする<ref name="坂出市_港_全体図"/>。与島港は[[地方港湾]]に指定されており、坂出市が管理をしている<ref name="香川県_与島港"/><ref name="国交省_港湾一覧"/>。 |
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港湾地区の一つである南東岸の浦城地区の港は浦城港と呼ばれており、かつては定期船が出入りしていた。現在はもっぱら漁業に利用されている。岸壁から100mほどにある鍋島まで防潮堤で接続されており、鍋島には[[鍋島灯台]]がある<ref name="坂出市_港_浦城"/><ref name="にぎわい室20130528"/>。 |
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北岸の塩浜地区の埋立地にある与島塩浜港では、[[瀬戸大橋]]の開通にあわせて大型商業施設の「フィッシャーマンズワーフ」が整備され、瀬戸大橋観光遊覧船が就航していた([[#観光とフィッシャーマンズワーフ]]参照)。与島塩浜港には浮桟橋と荷揚げ用の岸壁が整備されており、もっぱら交通用途に利用されている<ref name="坂出市_港_塩浜"/><ref name="香川県_与島港"/><ref name="与島桟橋"/>。 |
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このほか、小与島にも波止場があり、与島港の一部をなしている。ただし2015年現在、小与島への定期航路はない<ref name="坂出市_港_小与島"/><ref name="しまネット_小与島"/>。 |
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与島は大型船舶が数多く航行する瀬戸内海の海上交通の幹線上にある。島の南には、島や浅瀬の間を縫うように[[備讃瀬戸航路]]が設定されている。与島付近では、備讃瀬戸航路は3つに細分化されている。このうち与島の東側では幅1.4kmの海域が「[[備讃瀬戸東航路]]」と設定されていて、北寄りの幅700mの海域が西行き航路、南寄りの幅700mの海域が東行き航路の対面航行になっている。一方、瀬戸大橋の西側の海域では、西へ向かう船舶は[[本島 (香川県)|本島]]と[[牛島 (香川県)|牛島]]の間を通り、与島の南をかすめる「[[備讃瀬戸北航路]]」になっている。東へ向かう船舶は「[[備讃瀬戸南航路]]」を通り、牛島と四国本島の間を抜ける<ref name="備讃瀬戸_ガイド"/><ref name="備讃瀬戸_特徴"/>。 |
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さらに、与島の西側には[[倉敷市]]の[[水島港]]から出てくる[[水島航路]]が設定されており、与島の南西沖で備讃瀬戸航路に合流する。与島周辺では、これらの航路の内外で[[こませ網漁]]も行われている<ref name="備讃瀬戸_ガイド"/><ref name="備讃瀬戸_特徴"/>。 |
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=== 道路 === |
=== 道路 === |
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1988(昭和63)年開通の[[瀬戸大橋]]が与島を南北に貫いている。瀬戸大橋は複数の橋梁・高架橋で構成されており、このうち[[羽佐島]]と与島の間を[[与島橋]](877m)、与島の上を[[与島高架橋]](717m)、与島から[[三つ子島]]の間を[[北備讃瀬戸大橋]](1611m)が繋いでいる。 |
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* [[瀬戸中央自動車道]] [[与島インターチェンジ]] / [[与島パーキングエリア]] |
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瀬戸大橋には[[瀬戸中央自動車道]]と鉄道の[[瀬戸大橋線]]が走っており、このうち瀬戸中央自動車道には[[与島パーキングエリア]]および[[与島インターチェンジ]](与島IC)が設けられている。与島パーキングエリアには750台の駐車場があり、駐車場から与島北部の与島港へ行くことが出来る。与島ICは島民専用であり、島民関係者および路線バスなどは専用カードにより島民用ゲートを開いて島内道路へ入ることが可能。島民以外の自動車が利用できるのは第2駐車場(塩浜地区)までであり、島の南部へ行くためには路線バスを使うことになる。 |
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* [[香川県道274号与島線]] |
* [[香川県道274号与島線]] |
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[[与島パーキングエリア]]には750台の駐車場があり、駐車場から与島北部の[[与島港]]へ行くことが出来る。 |
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路線バス及び島民関係者は専用カードによりゲートを開いて島内道路へ入ることが可能。島民以外の自動車は第2駐車場(塩浜地区)までであり、[[与島インターチェンジ|島民用ゲート]]を通れないので、島の南部へ行くためには路線バスを使うこととなる。 |
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=== バス === |
=== バス === |
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2021年3月31日まで四国側からは[[坂出駅]]・与島間([[琴参バス]]<!--http://www.kotosan.co.jp/rosen/setooohasi/index.html-->)、本州側からは[[児島駅]]・与島間([[下津井電鉄]]<!--http://www.shimoden.net/rosen/rosen/pdf/timetable/setoohashi.pdf-->)の路線バスが運行されていた<ref name="うどん県"/>。2021年4月1日より坂出駅から児島駅まで直通の路線バス(琴参バス)が運行されている<ref>{{Cite web|和書|date= 2021-04-01|url=https://www.kotosan.co.jp//archives/002/202103/a3d1c89ca07851d238d553030abf8fab793c17aa368e9f3f26abf55ab175ba6a.pdf |title= 瀬戸大橋線 時刻表・運賃表|format=pdf |publisher=琴参バス |accessdate= 2021-04-05}}</ref>。詳細は[[瀬戸大橋線 (バス路線)|瀬戸大橋線]]参照。 |
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* [[下津井電鉄]]・[[琴参バス]]:[[瀬戸大橋線 (バス路線)|瀬戸大橋線]] |
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===鉄道=== |
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瀬戸大橋には[[瀬戸大橋線]]が通っているが、与島を含めて橋の途中には鉄道駅はない。しかし、鉄道通過による騒音は島へも影響があり、環境基準としての騒音の目標値である80[[デシベル|dB]]が設定されている<ref name="鉄道騒音"/>。実際の騒音値は72-82dBで推移しており、平均値では目標値をやや下回るものの、[[国鉄キハ181系気動車|キハ181系]]や[[国鉄113系電車|113系]]を使用する列車を中心に基準を超える騒音が発せられる場合もあった<ref name="鉄道騒音"/>。このため騒音対策として車輪の改良が行われている<ref name="鉄道騒音"/>。 |
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===その他の社会インフラ=== |
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与島では1960(昭和35)年に簡易水道が敷設され、1980(昭和55)年には岡山県[[高梁川]]から水道が開通した<ref name="角川地名_与島"/>。現在は坂出市から瀬戸大橋の防災用送水管を経由して上水道が供給されている<ref name="香川県_計画"/>。一方、下水道は未整備で、浄化槽の設置や収集車によるし尿回収によって生活排水を処理している<ref name="香川県_計画"/>。電気は1966(昭和41)年に送電が始まり<ref name="角川地名_与島"/>、香川県から供給されている<ref name="香川県_計画"/>。通信設備については携帯電話や3.5世代移動通信は利用できるものの、有線回線としては長らく[[ISDN]]回線までであったが<ref name="香川県_計画"/>、[[フレッツ光ネクスト]]が[[2015年]][[2月6日]]より提供されるようになった。 |
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医療については、診療所はあるものの常勤医師はおらず、坂出市から週1回の巡回診療が行われている<ref name="香川県_計画"/>。明治期から昭和初期には与島を含む周辺各島に小学校が整備されていたが、高齢化と少子化により、小学校・中学校は2008(平成20)年に廃校となった<ref name="角川地名_与島"/><ref name="香川県_計画"/>。中学生までは四国本土へのバス通学をする場合には交通費の95%が補助金で賄われるが、高校生以上には交通費の補助や下宿の補助金はない<ref name="香川県_計画"/>。 |
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== 観光とフィッシャーマンズワーフ == |
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瀬戸大橋が完成した翌年の1989年には、774万人の観光客を集めた(ただしこれらの数値には与島パーキングエリアの立ち寄り客が含まれている。)が、2007年には258万人まで減少した<ref>現職の評価、焦点に 好立地生かせたか 坂出市長選、10日告示 [[朝日新聞]]2009年5月8日24ページ</ref>{{refnest|group="注"|その後は2008年261万人、2009年419万人、2010年366万人などとなっている<ref name="香川県_計画"/>。}}。瀬戸大橋の開通にあわせてフィッシャーマンズ・ワーフという商業施設が設けられ、当初はおおいに賑わったものの、2011年11月30日に閉鎖されている<ref name="香川県_計画"/>。 |
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== フィッシャーマンズワーフ == |
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=== 開業と京阪電鉄撤退 === |
=== 開業と京阪電鉄撤退 === |
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[[File:Fisherman's wharf.JPG|thumb|250px|瀬戸大橋フィッシャーマンズワーフ]] |
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[[瀬戸中央自動車道]]の開通により、[[1988年]]に[[京阪電気鉄道]]が観光型商業施設「瀬戸大橋京阪フィッシャーマンズ・ワーフ」<!---施設名称は京阪の社史による--->を開業した<ref name="mainichiiroiro">香川を飛ぶ:2013空撮点描/1 与島パーキングエリア 橋開通25年、にぎわいなく /香川 [[毎日新聞]] 2013年1月24日 地方版</ref>。当初は年間516万人の利用者があり<ref name="shikokusinnbunn2011">フィッシャーマンズ・ワーフ、11月末で休業へ 香川のニュース [[四国新聞社]] 経済一覧 2011年9月17日</ref>予想を上回る年間103億円を売り上げた。与島を周遊する観光船(後述)や観光ヘリコプターが運行され<ref name="mainichiiroiro"/>、[[レーシングカート]]場も建設された。隣の[[小与島]]に建設されたリゾートホテル「アクア小与島」との間に[[索道|ロープウエイ]]を建設する計画まであったが、ブームが去ると観光客が急減。1990年代には年間250万人に減少し<ref name="mainichidamepo">瀬戸大橋:「陸続き」島を翻弄 観光は開通3年で陰り 毎日新聞 2013年4月10日</ref>、[[神戸淡路鳴門自動車道]]や「[[しまなみ海道]]」がオープンすると更に減少した<ref name="shikokusinnbunn2011"/>。不採算部門は次々と閉鎖・縮小されたが、[[2003年]]に京阪電鉄は撤退。累積赤字は清算された。 |
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[[瀬戸中央自動車道]]の開通した1988(昭和63)年に[[京阪電気鉄道]]が観光型商業施設「瀬戸大橋京阪フィッシャーマンズ・ワーフ」<!---施設名称は京阪の社史による--->を開業した<ref name="mainichiiroiro">香川を飛ぶ:2013空撮点描/1 与島パーキングエリア 橋開通25年、にぎわいなく /香川 [[毎日新聞]] 2013年1月24日 地方版</ref>。当初は年間516万人の利用者があり<ref name="shikokusinnbunn2011">フィッシャーマンズ・ワーフ、11月末で休業へ 香川のニュース [[四国新聞社]] 経済一覧 2011年9月17日</ref>予想を上回る年間103億円を売り上げた。与島を周遊する観光船(後述)や観光ヘリコプターが運行され<ref name="mainichiiroiro"/>、[[レーシングカート]]場も建設された。 |
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翌1989年にも島全体で774万人の観光客を集め<ref name="朝日20090508">現職の評価、焦点に 好立地生かせたか 坂出市長選、10日告示 [[朝日新聞]]2009年5月8日24ページ</ref>、隣の[[小与島]]に建設されたリゾートホテル「アクア小与島」との間に[[索道|ロープウエイ]]を建設する計画まであったが、ブームが去ると観光客が急減。1990年代には年間250万人に減少し<ref name="mainichidamepo">瀬戸大橋:「陸続き」島を翻弄 観光は開通3年で陰り 毎日新聞 2013年4月10日</ref>、[[神戸淡路鳴門自動車道]]や「[[しまなみ海道]]」がオープンすると更に減少した<ref name="shikokusinnbunn2011"/>。不採算部門は次々と閉鎖・縮小されたが、[[2003年]]に京阪電鉄は撤退。累積赤字は清算された。 |
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=== 八幡建設へ譲渡後 === |
=== 八幡建設へ譲渡後 === |
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[[File:Photovoltaics in Yoshima Island.jpg|thumb|瀬戸大橋フィッシャーマンズワーフ跡に設置された太陽光発電施設(2021年3月30日撮影)]] |
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事業は同年4月に[[鳥取市]]秋里の[[八幡建設]]<ref>八幡建設は鳥取県を中心に土木、舗装など建設業、生コン製造販売、不動産賃貸などを手掛ける総合建設会社</ref>に譲渡され「[[瀬戸大橋フィッシャーマンズワーフ]]」として再オープンした。遊覧船を含む全施設と土地を八幡建設が取得し職員・パート90人も受けついだ<ref>島「フィッシャーマンズ・ワーフ」 鳥取の業者が営業継続 京阪譲渡 2003年2月6日 一面-15版 1頁 山陽新聞朝刊</ref>。八幡建設は観光・レジャー産業へは初進出であった。譲渡後から同年12月までの来場者数は45万8000人で、前年同期比12万人減であり譲渡後も来訪客の減少が止まらなかった<ref name="sanyo20040122">温泉掘削始まる 坂出・与島フィッシャーマンズ・ワーフ ホテル整備 立ち寄り型から滞在型へ 2004年1月22日 香川-15版 28頁 山陽新聞朝刊 写有</ref>。2004年1月22日より[[ボーリング]]による温泉の掘削を開始<ref name="sanyo20040122"/>。当初は滞在型のリゾートホテルを建設する予定であったが<ref name="sanyo20040122"/>、レーシングカート場跡地に[[オアシスパーク瀬戸大橋]]という[[足湯]]を2007年4月に建設するに留まった<ref>地下2000mから毎分35Lの温泉が湧出し、加温して利用していた;出典 瀬戸大橋と融合 癒やしの拠点に 与島に「オアシスパーク」オープン 足湯や庭園、イチゴ園整備 四国新聞社 2007年4月2日 朝刊 23頁 地域</ref>。「ベゴニア海花園」という温室庭園も2006年7月にオープンした<ref name="mainichiiroiro"/><ref name="kanrin"/>。「ベゴニア海花園」には、[[ベゴニア]]を中心に約1万株の花々が植えられ<ref name="kanrin"/><ref>壮観1万株 与島に「ベゴニア海花園」オープン 四国新聞社 2006年7月30日 朝刊 1頁 総合</ref>、[[アンデス山脈]]の標高3000m付近の植生が再現された<ref name="kanrin"/>。四季咲きのローズガーデンやイチゴ園も併設された<ref name="kanrin"/>。温室は3000平方メートルの広さで西日本最大級の規模であった<ref name="yosimabego"/>。鹿児島県などから運んだケヤキやクスノキ、イチョウなどの大木を植樹し、築山、池を造成した庭園は、面積2万1000平方メートルの広さがあった。これらの新規観光施設開設によって年間20-40万人の入園者を見込んでいた<ref>出典によって数値が異なる</ref>が2007年実績で3万人に留まり<ref>フィッシャーマンズ・ワーフ 一部の施設休業 来月から 原油高、入園者低迷 四国新聞社 2008年11月8日 朝刊 27頁 社会</ref>、2008年11月末には双方とも閉鎖となった<ref name="yosimabego">与島ベゴニア園“最後の営業日” 利用客ら名残惜しむ 四国新聞社 2008年12月1日 朝刊 17頁 地域</ref>。最終的には施設本館で土産物販売とレストランを営業するのみとなり<ref name="shikokusinnbunn2011"/>、2011年11月に全面閉鎖された<ref name="mainichiiroiro"/><ref name="shikokusinnbunn2011"/>。管理者は今後跡地を更地とし、利用方法を検討したいとしている<ref name="mainichiiroiro"/>。 |
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事業は同年4月に[[鳥取市]]秋里の[[八幡建設]]<ref group="注">八幡建設は鳥取県を中心に土木、舗装など建設業、生コン製造販売、不動産賃貸などを手掛ける総合建設会社</ref>に譲渡され「[[瀬戸大橋フィッシャーマンズワーフ]]」として再オープンした。遊覧船を含む全施設と土地を八幡建設が取得し職員・パート90人も受けついだ<ref>島「フィッシャーマンズ・ワーフ」 鳥取の業者が営業継続 京阪譲渡 2003年2月6日 一面-15版 1頁 山陽新聞朝刊</ref>。八幡建設は観光・レジャー産業へは初進出であった。譲渡後から同年12月までの来場者数は45万8000人で、前年同期比12万人減であり譲渡後も来訪客の減少が止まらなかった<ref name="sanyo20040122">温泉掘削始まる 坂出・与島フィッシャーマンズ・ワーフ ホテル整備 立ち寄り型から滞在型へ 2004年1月22日 香川-15版 28頁 山陽新聞朝刊 写有</ref>。 |
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2004年1月22日より[[ボーリング]]による温泉の掘削を開始<ref name="sanyo20040122"/>。当初は滞在型のリゾートホテルを建設する予定であったが<ref name="sanyo20040122"/>、レーシングカート場跡地に[[オアシスパーク瀬戸大橋]]という[[足湯]]を2007年4月に建設するに留まった<ref>地下2000mから毎分35Lの温泉が湧出し、加温して利用していた;出典 瀬戸大橋と融合 癒やしの拠点に 与島に「オアシスパーク」オープン 足湯や庭園、イチゴ園整備 四国新聞社 2007年4月2日 朝刊 23頁 地域</ref>。 |
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=== 咸臨丸 === |
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フィッシャーマンズワーフ開業に合わせて咸臨丸(かんりんまる)が就航した。幕末に太平洋横断をおこなった[[咸臨丸]]を模した観光船で<ref name="kanrin">[http://www.shikoku-gasnen.co.jp/bari/spot/kagawa_l003/ 見どころあり、スリルもあり!瀬戸大橋が架る海をクルージング 遊覧船咸臨丸]</ref><ref>その背景には、咸臨丸には地元の[[塩飽諸島]]から35人が水夫として乗り組んでいたという史実がある。</ref>、帆船風に3本のマストを装備していた。[[瀬戸大橋]]の下をくぐって[[羽佐島]]、[[櫃石島]]などを巡る約30分の[[クルーズ]]が人気で初年度は117万人が乗船した。客足が落ちると共に週末のみの航行となったが、建造後20年を経過して各部分の劣化が進行し、[[2008年]]1月末で運行を停止した。 |
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「ベゴニア海花園」という温室庭園も2006年7月にオープンした<ref name="mainichiiroiro"/><ref name="kanrin"/>。「ベゴニア海花園」には、[[ベゴニア]]を中心に約1万株の花々が植えられ<ref name="kanrin"/><ref>壮観1万株 与島に「ベゴニア海花園」オープン 四国新聞社 2006年7月30日 朝刊 1頁 総合</ref>、[[アンデス山脈]]の標高3000m付近の植生が再現された<ref name="kanrin"/>。四季咲きのローズガーデンやイチゴ園も併設された<ref name="kanrin"/>。温室は3000平方メートルの広さで西日本最大級の規模であった<ref name="yosimabego"/>。鹿児島県などから運んだケヤキやクスノキ、イチョウなどの大木を植樹し、築山、池を造成した庭園は、面積2万1000平方メートルの広さがあった。これらの新規観光施設開設によって年間20-40万人の入園者を見込んでいた<ref group="注">出典によって数値が異なる</ref>が2007年実績で3万人に留まり<ref>フィッシャーマンズ・ワーフ 一部の施設休業 来月から 原油高、入園者低迷 四国新聞社 2008年11月8日 朝刊 27頁 社会</ref>、2008年11月末には双方とも閉鎖となった<ref name="yosimabego">与島ベゴニア園“最後の営業日” 利用客ら名残惜しむ 四国新聞社 2008年12月1日 朝刊 17頁 地域</ref>。 |
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== 採石業 == |
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周辺の島々と同様に、与島でもかつて採石業が盛んであった<ref name="mainichidamepo"/>。良質な花崗岩を産出し昭和の最盛期には30社もの業者が操業していた<ref name="mainichidamepo"/>。また石材を搬出する海運業も栄え<ref name="mainichidamepo"/>、50隻の運搬船が使用された<ref name="mainichidamepo"/>。瀬戸大橋の建設に伴って橋脚やパーキングエリアや観光施設に土地を譲渡する形で多くの業者が廃業した<ref name="mainichidamepo"/>。採石は露天掘りで実施されており、操業停止後は雨水が溜まり池になっている場所もある<ref>google mapで確認できる</ref>。 |
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最終的には施設本館で土産物販売とレストランを営業するのみとなり<ref name="shikokusinnbunn2011"/>、2011年11月30日に全面閉鎖された<ref name="mainichiiroiro"/><ref name="shikokusinnbunn2011"/>。管理者は今後跡地を更地とし、利用方法を検討したいとしている<ref name="mainichiiroiro"/>。 |
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== 観光 == |
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瀬戸大橋が完成した翌年の1989年には、774万人の観光客を集めたが、2007年には258万人に減少した<ref>現職の評価、焦点に 好立地生かせたか 坂出市長選、10日告示 [[朝日新聞]]2009年5月8日24ページ</ref>。 |
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2015年11月現在は、建物があった場所に[[ソーラーパネル]]が設置され、[[太陽光発電]]施設として利用されている。 |
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== 人口 == |
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1980年には島民は361名であり、多くの家庭が採石業に関連した仕事をしていた<ref name="mainichidamepo"/>。瀬戸大橋の建設に伴って建設労働者の宿舎が建築され1988年には人口は500人以上に増えた<ref name="mainichidamepo"/>。瀬戸大橋開通後に期待した観光業は数年で廃れ、人口流出が続いた<ref name="mainichidamepo"/>。1990年には277人、2010年には115人となり高齢化も進行している<ref name="mainichidamepo"/>。 |
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== |
=== 咸臨丸 === |
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フィッシャーマンズワーフ開業に合わせて「咸臨丸」(かんりんまる)が就航した。これは幕末の[[咸臨丸]]を模して帆船風に3本のマストを装備した観光船で<ref name="kanrin">[http://www.shikoku-gasnen.co.jp/bari/spot/kagawa_l003/ 見どころあり、スリルもあり!瀬戸大橋が架る海をクルージング 遊覧船咸臨丸]</ref>、1861([[文久]]元)年に咸臨丸が[[小笠原諸島]]への航海を行った際に[[塩飽諸島]]から42名の船員が参加したことに因んでいる(このうち与島からは4名)<ref name="角川地名_与島"/>。観光船は[[瀬戸大橋]]の下をくぐって[[羽佐島]]、[[櫃石島]]などを巡り、約30分の[[クルーズ]]が人気で初年度は117万人が乗船した。客足が落ちると共に週末のみの航行となったが、建造後20年を経過して各部分の劣化が進行し、[[2008年]]1月末で運行を停止した。 |
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== 年表 == |
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[[ファイル:Yo-shima Island.jpg|thumb|250px|与島全体の空中写真(瀬戸大橋開通前の1980年撮影)。{{国土航空写真}}]] |
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* 1590([[天正]]18) - 豊臣秀吉による塩飽検地<ref name="平凡地名_与島"/>。「与島」の初出<ref name="角川地名_与島"/>。 |
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* 1769([[明和]]{{0}}6) - 塩飽島大工騒動。<ref name="平凡地名_与島"/> |
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* 1840([[天保]]11) - 入り江が埋め立てられて塩田ができる。(着工は1838年)<ref name="平凡地名_与島"/> |
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* 1861([[文久]]元) - [[咸臨丸]]の[[小笠原諸島|小笠原]]航海に島民4名が参加<!--塩飽諸島全域からは42名--><ref name="角川地名_与島"/>。 |
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* 1878(明治11) - [[那珂郡 (香川県)|那珂郡]]に編入。<ref name="平凡地名_坂出市"/> |
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* 1890(明治23) - [[与島村]]発足。<ref name="平凡地名_坂出市"/> |
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* 1899(明治32) - [[仲多度郡]]に編入。<ref name="平凡地名_坂出市"/> |
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* 1953([[昭和]]28)4月1日 - 仲多度郡[[与島村]]が[[坂出市]]に合併。<ref name="平凡地名_坂出市"/> |
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* 1960(昭和35) - 簡易水道が敷設<ref name="角川地名_与島"/>。 |
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* 1966(昭和41) - 電線が開通<ref name="角川地名_与島"/>。 |
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* 1972(昭和47) - 塩田が廃止<ref name="角川地名_与島"/>。 |
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* 1980(昭和55) - 水道が開通。水源は岡山県[[高梁川]]<ref name="角川地名_与島"/>。 |
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* 1983(昭和58)7月8日 - [[瀬戸大橋]][[与島高架橋]]工事着工。 |
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* 1988(昭和63)4月10日 - 瀬戸大橋開通。<ref name="平凡地名_瀬戸大橋"/> |
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== 主な施設・文化 == |
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{{File clip | Nabeshima Lighthouse.JPG | width = 128 | 0 | 25 | 0 | 5 | w = 800 | h = 293 | [[鍋島灯台]]}} |
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[[File:Lilium japonicum 'Hyuga form' 2.jpg|120px|alt=Lilium japonicum 'Hyuga form' in Mount Hokodake|link=File:Lilium japonicum 'Hyuga form'.jpg|right|thumb|[[ササユリ]]]] |
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* 坂出市与島出張所 |
* 坂出市与島出張所 |
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* 坂出市立与島中学校(廃校) - 1947(昭和22)年開校、瀬戸大橋開通後に塩浜地区に移転していた<ref name="角川地名_与島"/>。2002(平成14)年休校、2008(平成20)年廃校<ref name="香川県_計画"/><ref name="しまネット_与島じまん"/>。 |
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* 坂出市立与島中学校(休校中) |
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* 坂出市立与島小学校(廃校) - 1887(明治20)年に簡易小学校設置、1891(明治24)年に与島[[尋常小学校]]として開校、明治末期までに与島諸島の各島には分教場が整備された。1947(昭和22年)に与島小学校となる<ref name="角川地名_与島"/>。1960(昭和35)年に小学校に白黒テレビが設置されたとの記録がある<ref name="角川地名_与島"/>。2000(平成12)年休校、2008(平成20)年廃校<ref name="香川県_計画"/>。 |
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* 坂出市立与島小学校(休校中) |
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* 坂出与島郵便局 |
* 坂出与島郵便局 |
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* [[坂出警察署]]与島駐在所 |
* [[坂出警察署]]与島駐在所 - 与島のほか、[[岩黒島]]・[[沙弥島]]・[[瀬居島]]・小瀬居島を受け持っている<ref name="警察"/> |
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* 与島学習資料館 - 与島中学校が収集していた石器類を展示<ref name="しまネット_与島じまん"/> |
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* 塩飽水軍与島資料館 |
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* 塩飽水軍与島資料館 - 民俗資料などを展示する私設の資料館<ref name="しまネット_与島じまん"/> |
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* 天津神社 |
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* 天津神社 - 社伝では[[明和]]3年(1766ないし1767年)の再築<ref name="角川地名_与島"/>。 |
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* 法輪寺 |
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* 慈眼山法輪寺 - [[丸亀市]]の[[正覚院 (丸亀市)|正覚院]]の末寺。[[空海]]による創建との言い伝えがある。<ref name="平凡地名_与島"/> |
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* [[鍋島灯台]] - 明治5年に[[リチャード・ヘンリー・ブラントン]]により建設された灯台。与島ではないが防波堤により接続。 |
* [[鍋島灯台]] - 明治5年に[[リチャード・ヘンリー・ブラントン]]により建設された灯台。与島ではないが防波堤により接続。 |
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* 与島の盆踊り - 国の[[選択無形民俗文化財]](2004(平成16)年選択)。家族が位牌を背負って踊るもので、古典的なゆったりとした所作が特徴。<ref name="しまネット_与島じまん"/> |
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* [[小与島]]の[[ササユリ]] - 与島港をはさんで対岸の小与島はササユリの名所で、[[香川県]]の[[天然記念物]]<ref name="平凡地名_与島"/><ref name="しまネット_小与島"/>。 |
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画像:Yoshima Town hall-0.jpg|坂出市与島出張所 |
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画像:Yoshima Lower secondary school-02.jpg|坂出市立与島中学校(廃校) |
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画像:Yoshima Elementary School-01.jpg|坂出市立与島小学校(廃校) |
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画像:Yoshima Post office-01.jpg|坂出与島郵便局 |
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画像:Yoshima Residential police box-01.jpg|[[坂出警察署]]与島駐在所 |
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</gallery> |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
{{脚注ヘルプ}} |
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===注釈=== |
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{{Reflist}} |
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{{Reflist|group="注"}} |
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===出典=== |
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{{Reflist|2|refs= |
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*<ref name="島嶼大辞典">『島嶼大辞典』p531「与島」「与島諸島」</ref> |
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*<ref name="香川県_計画">香川県 2013年 {{PDFlink|[http://www.pref.kagawa.lg.jp/chiiki/seto-island/pdf/promotionplan5.pdf 塩飽諸島地域振興計画]}} 2015年12月21日閲覧。</ref> |
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*<ref name="東山魁夷">香川県立東山魁夷せとうち美術館 美術館周辺の観光・史跡 [http://www.pref.kagawa.jp/higashiyama/guidance/ 長崎鼻石棺] 2015年12月12日閲覧。</ref> |
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*<ref name="しまネット_与島データ">さぬき瀬戸しまネッ島([[坂出市]]公式サイト) [http://www.city.sakaide.lg.jp/island/yoshima/index.htm 与島・島データ] 2015年12月12日閲覧。</ref> |
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*<ref name="しまネット_与島じまん">さぬき瀬戸しまネッ島([[坂出市]]公式サイト) [https://www.city.sakaide.lg.jp/island/yoshima/jiman.htm 与島・島じまん] 2015年12月12日閲覧。</ref> |
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*<ref name="さかいで3島物語">[[坂出市]]産業課にぎわい室 さかいで3島物語~与島・小与島編~ 2014秋 [http://www.city.sakaide.lg.jp/soshiki/nigiwai/sakaide3island-yoshima-koyoshima.html さかいで3島物語~与島・小与島編~] 2015年12月12日閲覧。</ref> |
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*<ref name="しまネット_小与島">さぬき瀬戸しまネッ島([[香川県]]公式サイト) [http://www.pref.kagawa.lg.jp/chiiki/seto-island/detail/koyoshima/ 人と自然の造形美の島(小与島)] 2015年12月12日閲覧。</ref> |
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*<ref name="平凡地名_瀬戸大橋">『[[日本歴史地名大系]]38 香川県の地名』p23</ref> |
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*<ref name="平凡地名_宇多津">『[[日本歴史地名大系]]38 香川県の地名』p250「宇多津」</ref> |
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*<ref name="平凡地名_坂出市">『[[日本歴史地名大系]]38 香川県の地名』p255-257「坂出市」</ref> |
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*<ref name="平凡地名_与島">『[[日本歴史地名大系]]38 香川県の地名』p277-278「与島」「西方遺跡」</ref> |
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*<ref name="角川地名_与島">『[[角川日本地名大辞典]]37 香川県』p834-835「与島」「与島浜」</ref> |
|||
*<ref name="講談社_与島">『日本の地名がわかる事典』[[講談社]])([[コトバンク]] [https://kotobank.jp/word/与島-1048157 与島]による)2015年12月12日閲覧。</ref> |
|||
*<ref name="小学館_与島">『[[日本大百科全書]](ニッポニカ)』[[小学館]])([[コトバンク]] [https://kotobank.jp/word/与島-1048157 与島]による)2015年12月12日閲覧。</ref> |
|||
*<ref name="日立_与島">『世界大百科事典』株式会社日立ソリューションズ・クリエイト)([[コトバンク]] [https://kotobank.jp/word/与島-1048157 与島]による)2015年12月12日閲覧。</ref> |
|||
*<ref name="日立_人名制">『世界大百科事典』第2版株式会社日立ソリューションズ・クリエイト)([[コトバンク]] [https://kotobank.jp/word/人名制-1193442 人名制]による)2015年12月20日閲覧。</ref> |
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*<ref name="警察">[[香川県警察]] [[坂出警察署]] [http://www.pref.kagawa.jp/police/oshirase/sakaide/yoshima.html 与島駐在所] 2015年12月12日閲覧。</ref> |
|||
*<ref name="うどん県">香川県観光協会 うどん県旅ネット(香川県公式観光サイト) [http://www.my-kagawa.jp/point/point.php?id=613 与島] 2015年12月12日閲覧。</ref> |
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<!--与島港--> |
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*<ref name="国交省_港湾一覧">[[国土交通省]] [https://www.mlit.go.jp/kowan/data/pdf/H19.4.1kowan_kanrisya.pdf 港湾管理者一覧表] 2015年12月21日閲覧。</ref> |
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*<ref name="香川県_与島港">香川県庁 土木部港湾課 [http://www.pref.kagawa.lg.jp/kowan/ports/yoshima.html 与島港] 2015年12月21日閲覧。</ref> |
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*<ref name="坂出市_港_全体図">坂出市 みなと課 {{PDFlink|[https://www.city.sakaide.lg.jp/uploaded/attachment/183.pdf 与島港分区指定計画図]}} 2015年12月21日閲覧。</ref> |
|||
*<ref name="坂出市_港_塩浜">坂出市 みなと課 {{PDFlink|[https://www.city.sakaide.lg.jp/uploaded/attachment/184.pdf 与島港臨港地区(分区)指定図(塩浜)]}} 2015年12月21日閲覧。</ref> |
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*<ref name="坂出市_港_浦城">坂出市 みなと課 {{PDFlink|[https://www.city.sakaide.lg.jp/uploaded/attachment/185.pdf 与島港臨港地区(分区)指定図(浦城)]}} 2015年12月21日閲覧。</ref> |
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*<ref name="坂出市_港_小与島">坂出市 みなと課 {{PDFlink|[https://www.city.sakaide.lg.jp/uploaded/attachment/186.pdf 与島港臨港地区(分区)指定図(小与島)]}} 2015年12月21日閲覧。</ref> |
|||
*<ref name="与島桟橋">高松海上タクシー [http://www.marin-taxi.jp/のりば案内/本島海域のりば/与島桟橋/ 与島桟橋] 2015年12月21日閲覧。</ref> |
|||
*<ref name="にぎわい室20130528">坂出市 産業課にぎわい室 2013年5月28日付 [http://www.city.sakaide.lg.jp/soshiki/nigiwai/sakaide-sanntou.html さかいで3島めぐり~与島・小与島編~ 2013春] 2015年12月21日閲覧。</ref> |
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<!--航路--> |
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*<ref name="備讃瀬戸_ガイド">海上保安庁 備讃瀬戸海上交通センター [http://www6.kaiho.mlit.go.jp/bisan/succor/kouhou/index.htm 通航ガイド] 2015年12月21日閲覧。</ref> |
|||
*<ref name="備讃瀬戸_特徴">海上保安庁 備讃瀬戸海上交通センター [http://www6.kaiho.mlit.go.jp/bisan/succor/tokuchou/ 備讃海域の特徴] 2015年12月21日閲覧。</ref> |
|||
<!--交通--> |
|||
*<ref name="鉄道騒音">香川県環境保健研究センター,田村章・串田光祥,2004, {{PDFlink|[http://www.pref.kagawa.jp/kankyo/e_center/syohou/pdf/2004/report_2004_016tamura.pdf 与島における瀬戸大橋鉄道騒音について]}} 2015年12月21日閲覧。</ref> |
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}} |
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==参考文献== |
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*『島嶼大辞典』,[[日外アソシエーツ]],1991 |
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*『[[日本歴史地名大系]]38 香川県の地名』,[[平凡社]],1989 |
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*『[[角川日本地名大辞典]]37 香川県』,[[角川書店]],1985 |
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==関連項目== |
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*[[塩飽諸島]] |
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**[[坂出市]]に属する島(与島諸島) - [[櫃石島]]・[[岩黒島]]・[[塩飽諸島#各島の概要|鍋島]]・小与島・[[三つ子島]]・[[瀬居島]]・[[沙弥島]] |
|||
**[[丸亀市]]に属する島 - [[広島 (香川県)|広島]]・[[本島 (香川県)|本島]] |
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*[[水島諸島]] - 六口島など、倉敷市側の島々 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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{{commonscat|Yoshima}} |
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* [http://www.city.sakaide.lg.jp/island/yoshima/index.htm さぬき瀬戸 しまネッ島・与島] |
* [http://www.city.sakaide.lg.jp/island/yoshima/index.htm さぬき瀬戸 しまネッ島・与島] |
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{{日本の指定離島}} |
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{{デフォルトソート:よしま}} |
{{デフォルトソート:よしま}} |
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[[Category:香川県の島]] |
[[Category:香川県の島]] |
2024年9月15日 (日) 07:05時点における最新版
与島 | |
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与島全体の空中写真 | |
所在地 | 日本(香川県坂出市) |
所在海域 | 瀬戸内海 |
所属諸島 | 塩飽諸島 |
座標 | 北緯34度23分21秒 東経133度49分10秒 / 北緯34.38917度 東経133.81944度座標: 北緯34度23分21秒 東経133度49分10秒 / 北緯34.38917度 東経133.81944度 |
面積 | 1.10[1] km² |
海岸線長 | 4.3[1] km |
最高標高 | 74[1] m |
プロジェクト 地形 |
与島(よしま)は、香川県坂出市の瀬戸内海に浮かぶ塩飽諸島の島[2]。
与島を中心に、坂出市に属する櫃石島、岩黒島、鍋島、小与島、瀬居島、沙弥島などを束ねて与島諸島とも言う[2]。
地勢
[編集]古くから瀬戸内海(備讃瀬戸)の重要港だった四国の宇多津と本州・下津井(現倉敷市の一部)の両港のほぼ中間地点に位置する島である[3][4]。
塩飽諸島を構成する主要7島(塩飽七島)の一つで、主に花崗岩からなり、面積1.10km2、周囲6.9km[5][6][2]。周囲に羽佐島、岩黒島、小与島、鍋島、三つ子島を従えている[3]。「与島」という名称が確認できる最古の文献は1590(天正18)年に遡り、これらの島々が組になっていることから「与する島」というのが島名の由来とする説がある[7]。塩飽諸島のうち、坂出市に属する島を与島諸島とも言う[2]。
島の東西それぞれに標高60-70mほどの南北に走る丘があり、かつては採石場だった[2][3]。北にはかつて入り江があって、島は馬蹄形をしていたが、江戸末期に塩田を作るために入り江が埋め立てられ、今は円形の島である。埋め立てられた一帯は今は「塩浜」地区となっている[3][2]。かつての「馬蹄」の先端部は「長崎鼻」などと呼ばれており、石棺や列石が見つかっている[8][2]。
島の南東側には「浦城」地区があり、100mほど沖に小さな鍋島があったが、今は防波堤で与島と鍋島は接続されており、港になっている[3]。鍋島にある鍋島灯台は1872(明治5)年築の石造りの灯台で、日本で2番めに古い灯台とされている[3]。
植生はクロマツやアカマツが多く、農地では麦作や花卉栽培が行われている[2]。古くは漁業と石材業が島の中心産業で、浦城の漁港を中心に鯛・鰆・鮴・蛸などを獲っていた[7]。瀬居島との間の海域や牛島の南など、あたりは岩礁の多い好漁場だったが、それゆえに近隣の浜との諍いが絶えず、備前国(岡山県)側とも讃岐国(香川県)側とも対立した[7]。島で切り出した石材を運ぶための回漕業も発達し、島原の乱では板倉重昌が与島で24隻の船を徴発して資材の運送に充てた[7]。島民は船員として秀でており、河村瑞賢による西廻海運開拓、咸臨丸の小笠原航海にも参加した[7]。塩飽諸島独特の制度として、戦国末期に作られた「人名(にんみょう)」というものがあり、幕府の海事に船員として労力を提供する代わりに世襲で漁業権や島の土地の権利を保証された[9]。塩飽の島々は「人名の島」とも呼ばれ、「人名」の名称は現代も島域の山林の管理組合などに残されている[7]。江戸後期には入浜式の塩田が拓かれ、製塩業もはじまり移住者が増えた[7]。塩田を築いたのは備前国出身者だったので、香川県内の他の塩田とは設計が異なっているのが特徴である[7]。塩田は1972(昭和47)年まで操業していたが、国の塩業政策にともなって廃止になり、跡地は瀬戸大橋建設のための資材置き場となった。これが現在の塩浜地区にあたる[7]。
行政
[編集]全域が香川県坂出市与島町に属している。郵便番号は762-0071(坂出郵便局管区)。
1590(天正18)年に太閤検地(塩飽検地)があり、居住者40と記録されている[3]。江戸時代には幕府の直轄となり、島年寄と庄屋がおかれた[3][7]。1875(明治8)年の記録では78戸339人となっている[3]。
1878(明治11)年に「那珂郡」に編入されたのち、1890(明治23)年に周辺の島々を集めて「与島村」(與嶋村、よしまそん)が発足した[10]。1899(明治32)年には那珂郡が隣接する郡と合併して仲多度郡となった[10]。1953(昭和28)年に与島村は坂出市に編入された[10]。
人口
[編集]1980年には島民は361名であり、多くの家庭が採石業に関連した仕事をしていた[11]。瀬戸大橋の建設に伴って建設労働者の宿舎が建築され1988年には人口は500人以上に増えた[11]。瀬戸大橋開通後に期待した観光業は数年で廃れ、人口流出が続いた[11]。1990年には277[11]人、2005年には73世帯142人[1]、2010年には63世帯115人[12]、2015年には81[13]人となり高齢化も進行している。
西方遺跡
[編集]1988(昭和63)年には瀬戸大橋が開通するにあたり、島の西側の尾根一帯は架橋用地となり、与島パーキングエリアが設けられた[3]。この西の尾根には旧石器が出土する西方遺跡があり、瀬戸大橋の工事に先立って発掘調査が行われた[3]。一帯からは讃岐岩(サヌカイト)の剥片石器やナイフ形石器など2000点あまりが出土したが、花崗岩の風化が著しく住居跡などは確認できなかったため、詳しいことはわかっていない[3]。
与島石
[編集]周辺の島々と同様に、与島でもかつて採石業が盛んだった[11]。豊臣秀吉の検地に際して、与島は5ヶ所ある「御用石帳場」の1つになっている[3]。江戸時代から明治時代には石の切り出しがさらに盛んになり[3]、与島と隣接する小与島では「与島石」と呼ばれる良質な花崗岩を産出し昭和の最盛期には30社もの業者が操業していた[11][6][14][15]。石材を搬出する海運業も栄え[11]、50隻の運搬船が使用された[11]。
瀬戸大橋の建設に伴って橋脚やパーキングエリアや観光施設に土地を譲渡する形で多くの業者が廃業した[11]。採石は露天掘りで実施されており、操業停止後は雨水が溜まり池となっている場所も、航空写真で散見できる。
近年は安価な外国産石材におされて採石事業は低調であり、外国産石材の加工業が営まれている[16][6]。
交通
[編集]かつて与島は「離島」だったが、瀬戸大橋の開通と与島パーキングエリアの開業により、本州・四国の本土と陸路で接続されている。本州の岡山県、四国の香川県とは公共交通(バス)による定期便が運行されている。一方、2015年現在、与島への定期航路はない[12]。
与島港
[編集]与島は、石材の積み出し地として栄えてきた。港湾施設は島の南東岸の浦城地区、北岸の塩浜地区(与島塩浜港)、与島から東に300m沖にある小与島の西岸、さらに羽佐島の東岸にあり、これらをまとめて与島港とする[17]。与島港は地方港湾に指定されており、坂出市が管理をしている[18][19]。
港湾地区の一つである南東岸の浦城地区の港は浦城港と呼ばれており、かつては定期船が出入りしていた。現在はもっぱら漁業に利用されている。岸壁から100mほどにある鍋島まで防潮堤で接続されており、鍋島には鍋島灯台がある[20][21]。
北岸の塩浜地区の埋立地にある与島塩浜港では、瀬戸大橋の開通にあわせて大型商業施設の「フィッシャーマンズワーフ」が整備され、瀬戸大橋観光遊覧船が就航していた(#観光とフィッシャーマンズワーフ参照)。与島塩浜港には浮桟橋と荷揚げ用の岸壁が整備されており、もっぱら交通用途に利用されている[22][18][23]。
このほか、小与島にも波止場があり、与島港の一部をなしている。ただし2015年現在、小与島への定期航路はない[24][14]。
与島は大型船舶が数多く航行する瀬戸内海の海上交通の幹線上にある。島の南には、島や浅瀬の間を縫うように備讃瀬戸航路が設定されている。与島付近では、備讃瀬戸航路は3つに細分化されている。このうち与島の東側では幅1.4kmの海域が「備讃瀬戸東航路」と設定されていて、北寄りの幅700mの海域が西行き航路、南寄りの幅700mの海域が東行き航路の対面航行になっている。一方、瀬戸大橋の西側の海域では、西へ向かう船舶は本島と牛島の間を通り、与島の南をかすめる「備讃瀬戸北航路」になっている。東へ向かう船舶は「備讃瀬戸南航路」を通り、牛島と四国本島の間を抜ける[25][26]。
さらに、与島の西側には倉敷市の水島港から出てくる水島航路が設定されており、与島の南西沖で備讃瀬戸航路に合流する。与島周辺では、これらの航路の内外でこませ網漁も行われている[25][26]。
道路
[編集]1988(昭和63)年開通の瀬戸大橋が与島を南北に貫いている。瀬戸大橋は複数の橋梁・高架橋で構成されており、このうち羽佐島と与島の間を与島橋(877m)、与島の上を与島高架橋(717m)、与島から三つ子島の間を北備讃瀬戸大橋(1611m)が繋いでいる。
瀬戸大橋には瀬戸中央自動車道と鉄道の瀬戸大橋線が走っており、このうち瀬戸中央自動車道には与島パーキングエリアおよび与島インターチェンジ(与島IC)が設けられている。与島パーキングエリアには750台の駐車場があり、駐車場から与島北部の与島港へ行くことが出来る。与島ICは島民専用であり、島民関係者および路線バスなどは専用カードにより島民用ゲートを開いて島内道路へ入ることが可能。島民以外の自動車が利用できるのは第2駐車場(塩浜地区)までであり、島の南部へ行くためには路線バスを使うことになる。
バス
[編集]2021年3月31日まで四国側からは坂出駅・与島間(琴参バス)、本州側からは児島駅・与島間(下津井電鉄)の路線バスが運行されていた[27]。2021年4月1日より坂出駅から児島駅まで直通の路線バス(琴参バス)が運行されている[28]。詳細は瀬戸大橋線参照。
鉄道
[編集]瀬戸大橋には瀬戸大橋線が通っているが、与島を含めて橋の途中には鉄道駅はない。しかし、鉄道通過による騒音は島へも影響があり、環境基準としての騒音の目標値である80dBが設定されている[29]。実際の騒音値は72-82dBで推移しており、平均値では目標値をやや下回るものの、キハ181系や113系を使用する列車を中心に基準を超える騒音が発せられる場合もあった[29]。このため騒音対策として車輪の改良が行われている[29]。
その他の社会インフラ
[編集]与島では1960(昭和35)年に簡易水道が敷設され、1980(昭和55)年には岡山県高梁川から水道が開通した[7]。現在は坂出市から瀬戸大橋の防災用送水管を経由して上水道が供給されている[12]。一方、下水道は未整備で、浄化槽の設置や収集車によるし尿回収によって生活排水を処理している[12]。電気は1966(昭和41)年に送電が始まり[7]、香川県から供給されている[12]。通信設備については携帯電話や3.5世代移動通信は利用できるものの、有線回線としては長らくISDN回線までであったが[12]、フレッツ光ネクストが2015年2月6日より提供されるようになった。 医療については、診療所はあるものの常勤医師はおらず、坂出市から週1回の巡回診療が行われている[12]。明治期から昭和初期には与島を含む周辺各島に小学校が整備されていたが、高齢化と少子化により、小学校・中学校は2008(平成20)年に廃校となった[7][12]。中学生までは四国本土へのバス通学をする場合には交通費の95%が補助金で賄われるが、高校生以上には交通費の補助や下宿の補助金はない[12]。
観光とフィッシャーマンズワーフ
[編集]瀬戸大橋が完成した翌年の1989年には、774万人の観光客を集めた(ただしこれらの数値には与島パーキングエリアの立ち寄り客が含まれている。)が、2007年には258万人まで減少した[30][注 1]。瀬戸大橋の開通にあわせてフィッシャーマンズ・ワーフという商業施設が設けられ、当初はおおいに賑わったものの、2011年11月30日に閉鎖されている[12]。
開業と京阪電鉄撤退
[編集]瀬戸中央自動車道の開通した1988(昭和63)年に京阪電気鉄道が観光型商業施設「瀬戸大橋京阪フィッシャーマンズ・ワーフ」を開業した[31]。当初は年間516万人の利用者があり[32]予想を上回る年間103億円を売り上げた。与島を周遊する観光船(後述)や観光ヘリコプターが運行され[31]、レーシングカート場も建設された。
翌1989年にも島全体で774万人の観光客を集め[33]、隣の小与島に建設されたリゾートホテル「アクア小与島」との間にロープウエイを建設する計画まであったが、ブームが去ると観光客が急減。1990年代には年間250万人に減少し[11]、神戸淡路鳴門自動車道や「しまなみ海道」がオープンすると更に減少した[32]。不採算部門は次々と閉鎖・縮小されたが、2003年に京阪電鉄は撤退。累積赤字は清算された。
八幡建設へ譲渡後
[編集]事業は同年4月に鳥取市秋里の八幡建設[注 2]に譲渡され「瀬戸大橋フィッシャーマンズワーフ」として再オープンした。遊覧船を含む全施設と土地を八幡建設が取得し職員・パート90人も受けついだ[34]。八幡建設は観光・レジャー産業へは初進出であった。譲渡後から同年12月までの来場者数は45万8000人で、前年同期比12万人減であり譲渡後も来訪客の減少が止まらなかった[35]。
2004年1月22日よりボーリングによる温泉の掘削を開始[35]。当初は滞在型のリゾートホテルを建設する予定であったが[35]、レーシングカート場跡地にオアシスパーク瀬戸大橋という足湯を2007年4月に建設するに留まった[36]。
「ベゴニア海花園」という温室庭園も2006年7月にオープンした[31][37]。「ベゴニア海花園」には、ベゴニアを中心に約1万株の花々が植えられ[37][38]、アンデス山脈の標高3000m付近の植生が再現された[37]。四季咲きのローズガーデンやイチゴ園も併設された[37]。温室は3000平方メートルの広さで西日本最大級の規模であった[39]。鹿児島県などから運んだケヤキやクスノキ、イチョウなどの大木を植樹し、築山、池を造成した庭園は、面積2万1000平方メートルの広さがあった。これらの新規観光施設開設によって年間20-40万人の入園者を見込んでいた[注 3]が2007年実績で3万人に留まり[40]、2008年11月末には双方とも閉鎖となった[39]。
最終的には施設本館で土産物販売とレストランを営業するのみとなり[32]、2011年11月30日に全面閉鎖された[31][32]。管理者は今後跡地を更地とし、利用方法を検討したいとしている[31]。
2015年11月現在は、建物があった場所にソーラーパネルが設置され、太陽光発電施設として利用されている。
咸臨丸
[編集]フィッシャーマンズワーフ開業に合わせて「咸臨丸」(かんりんまる)が就航した。これは幕末の咸臨丸を模して帆船風に3本のマストを装備した観光船で[37]、1861(文久元)年に咸臨丸が小笠原諸島への航海を行った際に塩飽諸島から42名の船員が参加したことに因んでいる(このうち与島からは4名)[7]。観光船は瀬戸大橋の下をくぐって羽佐島、櫃石島などを巡り、約30分のクルーズが人気で初年度は117万人が乗船した。客足が落ちると共に週末のみの航行となったが、建造後20年を経過して各部分の劣化が進行し、2008年1月末で運行を停止した。
年表
[編集]- 1590(天正18) - 豊臣秀吉による塩飽検地[3]。「与島」の初出[7]。
- 1769(明和 6) - 塩飽島大工騒動。[3]
- 1840(天保11) - 入り江が埋め立てられて塩田ができる。(着工は1838年)[3]
- 1861(文久元) - 咸臨丸の小笠原航海に島民4名が参加[7]。
- 1878(明治11) - 那珂郡に編入。[10]
- 1890(明治23) - 与島村発足。[10]
- 1899(明治32) - 仲多度郡に編入。[10]
- 1953(昭和28)4月1日 - 仲多度郡与島村が坂出市に合併。[10]
- 1960(昭和35) - 簡易水道が敷設[7]。
- 1966(昭和41) - 電線が開通[7]。
- 1972(昭和47) - 塩田が廃止[7]。
- 1980(昭和55) - 水道が開通。水源は岡山県高梁川[7]。
- 1983(昭和58)7月8日 - 瀬戸大橋与島高架橋工事着工。
- 1988(昭和63)4月10日 - 瀬戸大橋開通。[41]
主な施設・文化
[編集]- 坂出市与島出張所
- 坂出市立与島中学校(廃校) - 1947(昭和22)年開校、瀬戸大橋開通後に塩浜地区に移転していた[7]。2002(平成14)年休校、2008(平成20)年廃校[12][42]。
- 坂出市立与島小学校(廃校) - 1887(明治20)年に簡易小学校設置、1891(明治24)年に与島尋常小学校として開校、明治末期までに与島諸島の各島には分教場が整備された。1947(昭和22年)に与島小学校となる[7]。1960(昭和35)年に小学校に白黒テレビが設置されたとの記録がある[7]。2000(平成12)年休校、2008(平成20)年廃校[12]。
- 坂出与島郵便局
- 坂出警察署与島駐在所 - 与島のほか、岩黒島・沙弥島・瀬居島・小瀬居島を受け持っている[43]
- 与島学習資料館 - 与島中学校が収集していた石器類を展示[42]
- 塩飽水軍与島資料館 - 民俗資料などを展示する私設の資料館[42]
- 天津神社 - 社伝では明和3年(1766ないし1767年)の再築[7]。
- 慈眼山法輪寺 - 丸亀市の正覚院の末寺。空海による創建との言い伝えがある。[3]
- 鍋島灯台 - 明治5年にリチャード・ヘンリー・ブラントンにより建設された灯台。与島ではないが防波堤により接続。
- 与島の盆踊り - 国の選択無形民俗文化財(2004(平成16)年選択)。家族が位牌を背負って踊るもので、古典的なゆったりとした所作が特徴。[42]
- 小与島のササユリ - 与島港をはさんで対岸の小与島はササユリの名所で、香川県の天然記念物[3][14]。
-
坂出市与島出張所
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坂出市立与島中学校(廃校)
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坂出市立与島小学校(廃校)
-
坂出与島郵便局
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坂出警察署与島駐在所
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d さぬき瀬戸しまネッ島(坂出市公式サイト) 与島・島データ 2015年12月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『島嶼大辞典』p531「与島」「与島諸島」
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- ^ 『日本歴史地名大系38 香川県の地名』p250「宇多津」
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- ^ a b c 『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館)(コトバンク 与島による)2015年12月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 『角川日本地名大辞典37 香川県』p834-835「与島」「与島浜」
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- ^ 『世界大百科事典』第2版株式会社日立ソリューションズ・クリエイト)(コトバンク 人名制による)2015年12月20日閲覧。
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