シンボリクリスエス
この記事は「新馬齢表記」で統一されています。 |
シンボリクリスエス | |||||||||||||||
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2003年宝塚記念 | |||||||||||||||
欧字表記 | Symboli Kris S[1] | ||||||||||||||
品種 | サラブレッド[1] | ||||||||||||||
性別 | 牡[1] | ||||||||||||||
毛色 | 黒鹿毛[1] | ||||||||||||||
生誕 | 1999年1月21日[1] | ||||||||||||||
死没 | 2020年12月8日(21歳没)[2] | ||||||||||||||
登録日 | 2001年7月5日 | ||||||||||||||
抹消日 | 2003年12月28日[3] | ||||||||||||||
父 | Kris S.[1] | ||||||||||||||
母 | Tee Kay[1] | ||||||||||||||
母の父 | Gold Meridian[1] | ||||||||||||||
生国 | アメリカ合衆国[1] | ||||||||||||||
生産者 | Takahiro Wada[1] | ||||||||||||||
馬主 | シンボリ牧場[1] | ||||||||||||||
調教師 | 藤沢和雄(美浦)[1] | ||||||||||||||
調教助手 |
松田幸吉[4] 葛西成人[5] | ||||||||||||||
厩務員 | 浴中孝[4][6] | ||||||||||||||
競走成績 | |||||||||||||||
タイトル |
JRA賞年度代表馬(2002 - 2003年)[1] JRA賞最優秀3歳牡馬(2002年)[1] JRA賞最優秀4歳以上牡馬(2003年)[1] | ||||||||||||||
生涯成績 | 15戦8勝[1] | ||||||||||||||
獲得賞金 | 9億8472万4000円[1] | ||||||||||||||
IC |
119IL(2002年)[7] 124L(2003年)[8] | ||||||||||||||
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シンボリクリスエス (欧字名:Symboli Kris S、1999年1月21日 - 2020年12月8日)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。アメリカで生産された外国産馬である[1]。
2002年から2003年にかけて、史上初めて天皇賞(秋)(GI)連覇、史上4頭目となる有馬記念(GI)連覇を達成。そのうえそのダブル連覇は史上初めてであった。ラストランとなった2003年の有馬記念では、GI競走最大着差タイとなる9馬身差をつけて優勝している。
2002年、2003年のJRA賞年度代表馬。2002年のJRA賞最優秀3歳牡馬、2003年のJRA賞最優秀4歳以上牡馬。その他の主な勝ち鞍に、2002年の青葉賞(GII)、神戸新聞杯(GII)がある。
競走馬引退後は種牡馬として、GI優勝馬のルヴァンスレーヴやサクセスブロッケン、エピファネイアの父となり、2017年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬のレイデオロや、障害競走において多くの新記録を樹立したオジュウチョウサンなどの母父となった。
デビューまで
誕生までの経緯
ティーケイは、1991年にアメリカで生産された父ゴールドメリディアンの牝馬である[9]。競走馬として、1994年のマーサワシントンステークス(G3)を勝利するなど、31戦4勝[9]。引退後は、アメリカで繁殖牝馬となった。初年度は、ゴーンウェストと交配して初仔の牡馬を生産[10]。2年目は、不受胎に終わり、3年目は、クリスエスと交配[10]。受胎した後、1998年11月のキーンランドの繁殖牝馬セールに上場され、シンボリ牧場に30万ドルで購入された[11]。
シンボリ牧場は、千葉県成田市や北海道日高町などを拠点とするオーナーブリーダーである[11]。1921年に和田孝一郎が開き、イギリス留学から帰ってきた孝一郎の長男、共弘は2代目としてヨーロッパ流の配合や育成を実践[11]。メジロアサマやサクラショウリ、スピードシンボリ、さらにシンボリルドルフやシリウスシンボリを生産した[11]。やがて共弘は、日本の競馬に対する興味を失い、外国で100頭以上の競走馬を所有し、特にヨーロッパに傾倒[11]。共弘の長男、孝弘によれば「(シンボリ)ルドルフで得た金を全部ヨーロッパに投資してしまった[12]」という。共弘は日本の牧場を廃業して霊園に転向することなどを検討していたが、孝弘がコンピューター会社を退職して跡を継ぎ[注釈 1]、3代目となった[11][13]。共弘の亡くなった1994年以降、孝弘はヨーロッパに偏る状況から、共弘の嫌ったアメリカ流の配合や血統を積極的に牧場へ導入するようになる[13]。1995年にアメリカケンタッキー州、レキシントンで繁殖牝馬を購入する[13]。現地に預託して生産された仔は、日本に渡ってシンボリインディ[注釈 2]となり、美浦トレーニングセンターの藤沢和雄厩舎に入厩している[13][14]。
シンボリ牧場は、購入したティーケイをアメリカ、ケンタッキー州のミルリッジファームに預託[15]。1999年1月21日、ミルリッジファームにてティーケイの2番仔(後のシンボリクリスエス)が誕生する[15]。孝弘は2番仔の父、種牡馬のクリスエスについて「跳ね返ってくるような強烈な雰囲気があったんだ[11]」、また「中・長距離向きで、精神的にも落ち着いており、日本の競馬に合うだろう[16]」と見立てていた。
幼駒時代
生後3カ月の2番仔を見た孝弘は「脚の長い、ひょろっとした馬だな[15]」、アメリカの牧場に検分に訪れた藤沢は「黒くてでっかくて見栄えがする。この馬なら高く売れるでしょう[16]」とそれぞれ評している。
シンボリ牧場はこの年、アメリカに3頭の牡の仔を所有していたが、2番仔は最も期待された馬ではなかった[12]。日本のとある調教師から管理の申し出があったが、孝弘はそれを断り、2番仔を整理の対象とした[12][注釈 4]。1歳に達した2番仔は、幼駒セリに上場、希望価格40万ドルに設定して売却が図られた[11]。しかし、入札額は37万5000ドルに留まって主取りとなり、所有はシンボリ牧場に留まった[11]。
シンボリ牧場がアメリカで所有した3頭の牡の仔のうち、最も期待されていたのは、重賞2着となったシンボリスウォード[注釈 5]、重賞を制したスイートオーキッド[注釈 6]の弟である[12]。「シンボリスウォードの弟」は当初、日本に移り、シンボリインディと同様に藤沢厩舎からデビューする予定であった[17]。しかし、移動させる前に死亡、代わりとして2番仔が選ばれた[17]。アメリカで育成が進められ、2歳時に日本へ移動する[15][20]。
2番仔は「父にそっくりだった[16]」ことから、シンボリ牧場の冠名「シンボリ」に、父の名をそのまま用いた「クリスエス」を組み合わせて「シンボリクリスエス」と命名された[16]。シンボリクリスエスは、藤沢厩舎に、「シンボリスウォードの弟」の代わりとして入厩[17]。生産者の名義は、シンボリクリスエスの生誕したミルリッジファームではなく、繁殖牝馬の所有者である和田孝弘もとい、アメリカでの呼称"Takahiro Wada"である[15]。日本の生産者ではあるが、外国産馬に分類された[15]。
競走馬時代
2 - 3歳(2001 - 02年)
東京優駿(日本ダービー)2着
2歳の2001年10月13日、東京競馬場の新馬戦(芝1600メートル)に、岡部幸雄が騎乗しデビュー。クビ差先着して初勝利を挙げた[21]。その後、藤沢は成長を促すために3か月半の休養を与え、年が明けて3歳となった2002年、1月に復帰し、クビ差の2着[22]。2月は、ハナと1馬身4分の1差の3着[23]。3月は、クビと3馬身半差の3着となり、3連敗[24]。すべて、後方から差し届かずという内容であった[16]。500万円以下4戦目、4月6日の山吹賞では、これまでとは異なってスタートから先行、好位を保った[16]。直線で抜け出し、後方に1馬身4分の3差をつけて先頭で入線、2勝目を挙げた[25]。
続いて4月27日、東京優駿のトライアル競走である青葉賞(GII)で重賞初出走。ここまで5戦は岡部と横山典弘が騎乗していたが、どちらも事情[注釈 7]があり、騎乗できなかった[26]。そこで、本番の東京優駿で騎乗する馬が既に決まっていた武豊が「代打」を務めた[26]。単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持される[27]。2枠3番からスタートし、好位の内側に位置[27]。残り200メートル地点にて、馬場の最も内側から抜け出し、差を広げた[27]。大外から追い込んだ8番人気バンブーユベントスに2馬身半差をつけ、先頭で入線、重賞初勝利となった[注釈 8][27]。レース後、武は、藤沢に「いいですね。この馬!秋には絶対よくなりますよ![26]」と述べている。
5月26日、東京優駿(日本ダービー)(GI)に出走。前年に外国産馬参戦が解禁されており、この年が2年目であった。青葉賞勝利に導いた武は、先約である皐月賞およびNHKマイルカップ3着のタニノギムレットを選択、シンボリクリスエスには岡部が舞い戻った。タニノギムレットが単勝オッズ2.6倍の1番人気、皐月賞優勝馬のノーリーズンが5.0倍、そしてシンボリクリスエスは6.2倍の3番人気であった[29]。
スタートから中団に位置[30]。第3コーナーは中団の内側を追走していたが、最終コーナーでは外に持ち出した[30]。直線では、馬場の中央から追い上げを開始。先頭を6番人気マチカネアカツキ、13番人気ゴールドアリュールが争っていたが、それらをすべて差し切った[31]。しかし、シンボリクリスエスの後方で待機し、大外から追い込んだタニノギムレットの末脚に屈し、1馬身差をつけられて2着に敗れた[31]。
神戸新聞杯
東京優駿の後は、北海道沙流郡門別町のファンタストクラブで夏休みを過ごす[注釈 9][32]。秋は9月22日、菊花賞のトライアル競走である神戸新聞杯(GII)で復帰、単勝オッズ2.1倍の1番人気に推された。以降人気は、ノーリーズン、宝塚記念3着のローエングリンと続いた[33]。スタートから中団を追走、最終コーナーでは、先行馬群に阻まれ、進路を確保できず追い上げることができなかった[34]。直線で前が開いて進路を得ると、他すべて差し切り、大外からノーリーズンの追い上げに2馬身半差をつけて入線[34]。重賞2勝目を挙げた[注釈 10]。
その後については、神戸新聞杯参戦前の時点で選択肢は二つ存在していた[12]。3歳馬のみが出走を許されるクラシック最終戦で、芝3000メートルで行われる菊花賞。そして、秋の古馬王道GI路線の初戦であり、出走馬のほとんどを古馬が占め、芝2000メートルで行われる天皇賞(秋)である[12]。藤沢は神戸新聞杯決着直後、検量室でシンボリクリスエスの鞍を外していた際、和田孝弘に「この馬は相当強いから、天皇賞に持って行きましょう[12]」と提案[15]。孝弘はすぐに承諾し、次走が天皇賞(秋)に決定した[15]。
天皇賞(秋)
10月27日の天皇賞(秋)(GI)は、東京競馬場が改修工事のため、1967年以来35年ぶり2度目となる中山競馬場での開催となった[36]。出走メンバーは、シンボリクリスエスを除いてすべて古馬であった[注釈 12][36]。牝馬二冠を含むGI3勝、札幌記念(GII)優勝から臨む4歳牝馬、テイエムオーシャンが単勝オッズ4.9倍。菊花賞優勝馬でこの年GII3戦3勝、6歳牡馬のナリタトップロードが5.1倍。シンボリクリスエスは6.5倍の3番人気であった[39]。
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2002年 天皇賞(秋)(GI) レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
「好スタート[38]」(阿部珠樹)から、18頭中6番手という中団、馬場の最も内側に位置[38]。第3コーナーから、後方勢が位置を上げて馬群は密集した[38]。シンボリクリスエスは変わらず中団で、前方をブレイクタイムとイブキガバメントに阻まれるなど、馬群に囲まれながら最終コーナーを通過した[38]。直線では、テイエムオーシャンが抜け出し、それにブレイクタイムが並びかけ、ブレイクタイムとイブキガバメントの間に隙が生まれた[36]。進路を得たシンボリクリスエスは、そこから追い上げを開始、末脚を見せて抜け出した[36]。シンボリクリスエスの後方で待機し、直線外から追い込んだナリタトップロードに4分の3馬身差をつけ、先頭で入線。GI初勝利となった[36]。
3歳馬による優勝は、1937年ハツピーマイト、1996年バブルガムフェローに続いて史上3頭目[38]。外国産馬による優勝は、前年のアグネスデジタルに続いて史上4頭目[注釈 13][38]。デビュー9戦目での優勝は、バブルガムフェローの7戦に次ぐ史上2位の記録であった[36]。また走破タイム1分58秒5は、コースレコードタイであった[36]。藤沢はバブルガムフェロー以来2勝目、加えて岡部は、1990年ヤエノムテキ以来となる天皇賞(秋)2勝目であった[38][36]。また岡部はこの時53歳11か月であり、史上最年長GI勝利記録を樹立した[注釈 14][15]。さらにシンボリ牧場系列にとっては、1967年春スピードシンボリ、1985年春のシンボリルドルフ以来3度目の天皇賞優勝であった[36]。
それから11月24日、同じく中山競馬場で行われたジャパンカップ(GI)に、オリビエ・ペリエへ乗り替わって出走。外国調教馬7頭を迎えたこの競走は、4番人気まで日本調教馬が占め、シンボリクリスエスが単勝オッズ3.4倍の1番人気。以降人気は、ナリタトップロード、前年の優勝馬で天皇賞(春)2着から臨むジャングルポケット、ノーリーズンと続いた[41][42]。発馬機内で暴れて出遅れ、後方に位置[41]。最終コーナーにて外から追い上げたが、内から伸びる外国調教馬2頭、9番人気ファルブラヴ、11番人気サラファンの争いにクビ差届かず3着となった[41]。
有馬記念
天皇賞(秋)優勝直後、孝弘は「年内はジャパンカップだけの予定[38]」と述べていたが、12月22日の有馬記念(GI)に出走。ファン投票では、8万3623票を集め、ナリタトップロードに次ぐ2位で選出された[43]。ファン投票3位、6戦6勝で秋華賞とエリザベス女王杯を勝利した3歳牝馬のファインモーションが、単勝オッズ2.6倍。シンボリクリスエスは、それに次ぐ3.7倍の2番人気であり、3歳馬が1、2番人気を占めた。以降、ジャングルポケットが4倍、ナリタトップロードが10倍と続いた[44]。
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2002年 有馬記念(GI) レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
スタートからファインモーションとタップダンスシチーがハナを争う中、シンボリクリスエスは5、6番手の好位に位置[45]。しばらく先頭はファインモーションであったが、2周目の向こう正面ではタップダンスシチーに代わった[46]。最終コーナーでは、タップダンスシチーが逃げ、その他は8馬身差を追う形となり、後続のほとんどが早めに動いてその差を縮めようとしていた[46][47]。一方、中団の内側にいたシンボリクリスエスは、すぐには追わず、直線に入ってから、外に持ち出してから、追い上げを開始した。早めに動いた後続は伸びあぐねており、タップダンスシチーは独走中[46]。そこに、シンボリクリスエスが末脚を発揮すると「他馬が止まって見えるほど強烈な速度[46]」(『優駿』編集部)でタップダンスシチーとの差を縮め、ゴール板手前で差し切った[46][47]。タップダンスシチーに半馬身差先着して入線。GI2勝目を挙げた[47]。
外国産馬による優勝は1998年、1999年連覇のグラスワンダー以来史上2頭目、3例目[10]。グレード制導入した1984年以降、その年の天皇賞(秋)と有馬記念を優勝したのは、2000年のテイエムオペラオー以来2頭目であった[10]。ペリエ、藤沢は共に有馬記念初優勝であり[46]、外国人騎手の優勝は史上初めてであった[10][48]。加えてシンボリ牧場系列にとっては、1969年、1970年スピードシンボリ、1984年、1985年のシンボリルドルフ以来5勝目であった[46]。
この年のJRA賞では、全281票中277票を集めてJRA賞年度代表馬に[注釈 15]、280票を集めてJRA賞最優秀3歳牡馬に選出された[注釈 16][4] 。
4歳(2003年)
宝塚記念
有馬記念優勝後は、シンボリ牧場で放牧[49]。藤沢はこの年、宝塚記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の4戦を予定する。春夏の出走が宝塚記念のみなのは、距離の適性のない天皇賞(春)参戦を見送ったことと、秋に疲れを残さないようにするためであった[15]。また、宝塚記念の出走は、藤沢は「秋の天皇賞の前に一度レースを使いたかった」ためだったという[50]。シンボリ牧場での放牧と調整の間に馬体は成長しており、藤沢は「また一回り馬が大きく成長してきたみたいですね。3歳の夏から秋にかけての成長も凄かったけど、今回もまた一段と逞しくなっていますよ[49]」と述べている[49]。5月10日に帰厩[49]。5月28日には東京優駿に出走するゼンノロブロイ、ゼンノジャンゴの最終追い切りに参加した[49]。
ファン投票は1位となる5万9817票を集めた[51]。6月29日の宝塚記念(GI)にケント・デザーモが騎乗し出走。春にクラシック二冠を果たした3歳のネオユニヴァース、GI級6勝のアグネスデジタルなどが出走し「宝塚記念史上、最高のメンバー[52]」(『優駿』編集部)とも呼ばれた中、単勝オッズ2.1倍の1番人気に推された[53]。スタートから中団の内側に位置[52]。最終コーナーで抜け出し、外から位置を上げたタップダンスシチーとの競り合ったが、外から追い込むヒシミラクルやツルマルボーイにかわされ、5着に敗れた[52]。その後は、ファンタストクラブで夏休みを過ごす[54]。
天皇賞(秋)
秋は11月2日、東京競馬場の天皇賞(秋)で始動、再びペリエに乗り替わった。単勝オッズ2.7倍の1番人気に推され、人気はヨーロッパ遠征帰国初戦のローエングリン、香港を含むGI級3勝のエイシンプレストン、アグネスデジタル、ツルマルボーイと続いた[55]。
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2003年 天皇賞(秋)(GI) レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
不利とされる大外枠から発走する[56]。ローエングリンとゴーステディがハナを争う一方、馬群の外側、中団に位置した[50]。ハナを争った2頭は、後続に20馬身差をつける大逃げとなり、1000メートルを56.9秒で通過するハイペース[注釈 17]を形成[56]。直線では、逃げる2頭が失速し、追う後続が優勢となった。シンボリクリスエスは、進路を外から内に切り替えて末脚を発揮、他の後だツルマル続勢を上回る脚で抜け出した[56]。以後、先頭を守って入線。最後方で待機し大外から追い込んボーイに、1馬身半差をつけて勝利した[56]。
GI3勝目、史上初めて天皇賞(秋)連覇となった[57]。また走破タイム1分58秒0は、コースレコードを樹立[57]。改修前の旧コースで1990年スペシャルウィークが記録したレースレコードに並ぶものであった[57]。加えてペリエは天皇賞(秋)初勝利となり、外国人騎手が天皇賞を制したのは史上初めてのことであった[57]。ペリエは前年に騎乗した際に感じた悪癖が見られなかったことから「馬に乗っているというよりも空を飛んでいるような感じでした[57]。」と述べている。
続いて11月30日、東京競馬場のジャパンカップに出走。外国調教馬9頭を含む18頭が参戦する中、単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持された[58]。スタートから中団につけ、第3コーナーからは常にペリエにより促され続けた[58]。直線では大外から追い込んだが、抜け出すことはできなかった[58]。単騎逃げのタップダンスシチーに逃げ切りを許し、9馬身以上後れを取る3着[58]。タップダンスシチーは2位に9馬身差をつけて入線、グレード制導入された1984年以降、GI競走の史上最大着差での優勝を果たしている[59]。
有馬記念
ファン投票では1位となる12万5116票を集め[60]、12月28日の有馬記念に出走。これが引退レースと予告されていた[60]。藤沢は「ただ勝つだけではだめなんだ」と考え、シンボリクリスエスにこれまでにない量の調教を課したうえで参戦であった。12頭が参戦する中、単勝オッズ2.6倍の1番人気に推された。ジャパンカップを制したタップダンスシチーが3.9倍、東京優駿2着と菊花賞4着のゼンノロブロイが5.9倍、ザッツザプレンティと菊花賞2着のリンカーンが8倍台で続いていた[61]。
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2003年 有馬記念(GI) レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
ザッツザプレンティとアクティブバイオが2頭で逃げ、ハイペースを刻む一方、シンボリクリスエスは、ゼンノロブロイやウインブレイズ、リンカーンとともに中団に位置した[62]。2周目の第3コーナーからは、中団勢が逃げる2頭に接近。中団勢はリンカーン、離れてシンボリクリスエスとゼンノロブロイ、そしてウインブレイズの順であった[62]。やがてリンカーンが逃げ馬に代わって先頭に立ち、シンボリクリスエスはそれを追走。最終コーナーをリンカーンの直後で通過した[59]。シンボリクリスエスは、促されながら直線に向くと、残り300メートルでリンカーンをかわした[63]。リンカーンを突き放して以後、独走状態。後続はリンカーンすらかわせず、シンボリクリスエスは差を広げる一方、後方に9馬身差をつけて先頭で入線した[59]。
GI4勝目、スピードシンボリ、シンボリルドルフ、グラスワンダーに続く史上4頭目の有馬記念連覇となった[64]。そのうえ史上初めてとなる天皇賞(秋)、有馬記念のダブル連覇を果たした[47]。また走破タイム2分30秒5は、1991年有馬記念でダイユウサクが記録したレースレコードおよびコースレコードを0.1秒更新[62]。加えて、2着リンカーンに9馬身差の優勝は、1967年の優勝カブトシロー、2着リュウフアーロスの6馬身を上回る有馬記念史上最大着差であり[62]、タップダンスシチーが勝利した前出のジャパンカップと並び立つGI競走史上最大着差記録となった[59]。
開催終了後の中山競馬場にて、引退式を開催[65][66]。同日付で、JRAの競走馬登録を抹消された[3]。この年のJRA賞では、全287票中220票を集めてJRA賞年度代表馬[注釈 18]に、275票を集めてJRA賞最優秀4歳以上牡馬に選出された[注釈 19][5]。2年連続となる年度代表馬受賞であった[5]。
種牡馬時代
古馬となった2003年の時点で、この年限りでの引退と、種牡馬入りを見据え、社台グループに所有権の半分が譲渡されていた[67]。引退後は、北海道安平町の社台スタリオンステーションに繋養され、翌2004年から種牡馬として供用[68]。初年度から200頭を超える繁殖牝馬を集め、2015年まで年間三桁の交配数を保った[69]。2016年からは、北海道日高町のブリーダーズ・スタリオン・ステーションに移動した。2019年に41頭の繁殖牝馬と交配した後、高齢に伴う受胎率の低下と、体調を考慮して種牡馬を引退[68]。千葉県成田市のシンボリ牧場にて功労馬として余生を過ごした[70]。2020年9月に蹄葉炎を発症、12月7日には起立不能となり、翌8日に21歳で死亡した[71][72]。
2007年に初年度産駒がデビュー。8月11日、小倉競馬場の未勝利戦でギンザフローラルが産駒初勝利[73][74]。1年目は出走68頭中18頭が勝ち上がり、ファーストシーズンサイアーとなった[75]。2008年3月1日のアーリントンカップ(JpnIII)にて、初年度産駒で3歳となったダンツキッスイが優勝し、産駒重賞初勝利となった[76][77]。また同年7月9日のジャパンダートダービー(JpnI)にて、同じく初年度産駒のサクセスブロッケンが優勝し、産駒GI級競走初勝利[78][79]。そのうえサクセスブロッケンは、翌2009年2月22日のフェブラリーステークス(GI)も優勝し、産駒JRA-GI初勝利となった[79]。それから、アルフレードが2011年の朝日杯フューチュリティステークス(GI)を、ストロングリターンが2012年の安田記念(GI)を優勝[80][81]、それまで勝利したJRA-GIはすべて1600メートルの競走であった[82]。2013年10月20日、エピファネイアが菊花賞(GI)を優勝し、産駒クラシック初勝利を達成[82]。翌年のジャパンカップも制して種牡馬となり、産駒には2020年の牝馬三冠を達成したデアリングタクト、2021年の皐月賞と天皇賞(秋)を制したエフフォーリアなどのGI優勝馬がいる[83][84]。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.com[85]およびJBISサーチ[86]に基づく。
競走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離 (馬場) |
頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | タイム (上り3F) |
着差 | 騎手 | 斤量 [kg] |
1着馬(2着馬) | 馬体重 [kg] |
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2001.10.13 | 東京 | 2歳新馬 | 芝1600m(良) | 9 | 1 | 1 | 6.5 (4人) | 1着 | 1:36.5(34.9) | -0.1 | 岡部幸雄 | 53 | (アサクサキニナル) | 540 | |
2002. 1.27 | 東京 | セントポーリア賞 | 5下 | 芝1800m(不) | 14 | 8 | 14 | 3.6 (2人) | 2着 | 1:53.3(36.5) | 0.1 | 横山典弘 | 55 | タイムレスワールド | 538 |
2. 9 | 東京 | ゆりかもめ賞 | 5下 | 芝2400m(良) | 16 | 8 | 16 | 1.7 (1人) | 3着 | 2:30.8(34.7) | 0.2 | 横山典弘 | 55 | トウカイアロー | 538 |
3.10 | 中山 | 3歳500万下 | 芝1800m(良) | 16 | 5 | 9 | 1.8 (1人) | 3着 | 1:48.0(34.2) | 0.6 | 岡部幸雄 | 55 | マイネルリバティー | 530 | |
4. 6 | 中山 | 山吹賞 | 5下 | 芝2200m(良) | 16 | 8 | 15 | 2.8 (2人) | 1着 | 2:14.3(34.7) | -0.3 | 岡部幸雄 | 55 | (マイネルアムンゼン) | 526 |
4.27 | 東京 | 青葉賞 | GII | 芝2400m(良) | 18 | 2 | 3 | 2.2 (1人) | 1着 | 2:26.4(34.1) | -0.4 | 武豊 | 56 | (バンブーユベントス) | 526 |
5.26 | 東京 | 東京優駿 | GI | 芝2400m(良) | 18 | 6 | 11 | 6.2 (3人) | 2着 | 2:26.4(35.2) | 0.2 | 岡部幸雄 | 57 | タニノギムレット | 520 |
9.22 | 阪神 | 神戸新聞杯 | GII | 芝2000m(良) | 16 | 5 | 9 | 2.1 (1人) | 1着 | 1:59.1(35.1) | -0.4 | 岡部幸雄 | 56 | (ノーリーズン) | 522 |
10.27 | 中山 | 天皇賞(秋) | GI | 芝2000m(良) | 18 | 4 | 8 | 6.5 (3人) | 1着 | 1:58.5(34.4) | -0.1 | 岡部幸雄 | 56 | (ナリタトップロード) | 530 |
11.24 | 中山 | ジャパンカップ | GI | 芝2200m(良) | 16 | 4 | 7 | 3.4 (1人) | 3着 | 2:12.3(35.7) | 0.1 | O.ペリエ | 55 | ファルブラヴ | 536 |
12.22 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500m(稍) | 14 | 1 | 1 | 3.7 (2人) | 1着 | 2:32.6(34.6) | -0.1 | O.ペリエ | 55 | (タップダンスシチー) | 528 |
2003. 6.29 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 芝2200m(良) | 17 | 3 | 5 | 2.1 (1人) | 5着 | 2:12.3(37.0) | 0.3 | K.デザーモ | 58 | ヒシミラクル | 524 |
11. 2 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 芝2000m(良) | 18 | 8 | 18 | 2.7 (1人) | 1着 | R1:58.0(33.6) | -0.2 | O.ペリエ | 58 | (ツルマルボーイ) | 534 |
11.30 | 東京 | ジャパンカップ | GI | 芝2400m(重) | 18 | 3 | 5 | 1.9 (1人) | 3着 | 2:30.3(37.1) | 1.6 | O.ペリエ | 57 | タップダンスシチー | 540 |
12.28 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500m(良) | 12 | 8 | 12 | 2.6 (1人) | 1着 | R2:30.5(35.3) | -1.5 | O.ペリエ | 57 | (リンカーン) | 538 |
- Rはレコード勝ちを示す。
種牡馬成績
以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく[69]。
種付年度 | 種付頭数 | 生産頭数 | 血統登録頭数 | 出走頭数 | 勝馬頭数 | 重賞勝馬頭数 | AEI | CPI | 該当GI級優勝産駒 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | 216 | 150 | 145 | 136 | 99 | 4 | 2.05 | サクセスブロッケン | |
2005 | 227 | 174 | 168 | 154 | 99 | 6 | 2.27 | ストロングリターン | |
2006 | 183 | 125 | 123 | 110 | 69 | 2 | 1.30 | ||
2007 | 169 | 117 | 117 | 113 | 83 | 3 | 1.25 | ||
2008 | 217 | 167 | 165 | 155 | 99 | 2 | 1.21 | アルフレード | |
2009 | 207 | 147 | 146 | 139 | 100 | 3 | 1.48 | エピファネイア | |
2010 | 183 | 126 | 123 | 116 | 79 | 2 | 1.26 | ||
2011 | 134 | 92 | 90 | 83 | 59 | 1 | 0.82 | ||
2012 | 203 | 135 | 132 | 126 | 88 | 2 | 0.78 | ||
2013 | 167 | 114 | 112 | 107 | 71 | 4 | 0.86 | ||
2014 | 133 | 88 | 86 | 81 | 51 | 1 | 0.84 | ルヴァンスレーヴ | |
2015 | 135 | 81 | 80 | 73 | 43 | 0 | 0.48 | ||
2016 | 64 | 25 | 25 | 24 | 16 | 2 | 1.25 | ||
2017 | 78 | 32 | 32 | 30 | 15 | 1 | 0.65 | ||
2018 | 64 | 14 | 14 | 11 | 4 | - | 0.32 | ||
2019 | 41 | 5 | 4 | 0 | - | - | - | ||
合計 | 1,562 | 1,458 | 975 | 33 | 1.37 | 1.72 |
- 情報は、2021年12月15日時点。
- 出走頭数、勝馬頭数、重賞勝馬頭数、アーニングインデックス、コンパラブルインデックスは、平地競走に限る。
主な産駒
GI級競走優勝馬
太字強調は、GI級競走を表す。
- 2005年産
- サクセスブロッケン(牡、母父:サンデーサイレンス)2008年ジャパンダートダービー、2009年フェブラリーステークス、東京大賞典)[87]
- 2006年産
- ストロングリターン(牡、母父:Smart Strike)2011年京王杯スプリングカップ、2012年安田記念)[88]
- 2009年産
- アルフレード(牡、母父:サンデーサイレンス)2011年朝日杯フューチュリティステークス)[89]
- 2010年産
- 2015年産
- ルヴァンスレーヴ(牡、母父:ネオユニヴァース)2017年全日本2歳優駿、2018年ユニコーンステークス、ジャパンダートダービー、マイルチャンピオンシップ南部杯、チャンピオンズカップ)[91]
グレード制重賞優勝馬
アスタリスクは、地方競馬各主催者が独自に定める格付けた重賞を表す(ダートグレード競走を除く)。
- 2005年産
- 2006年産
- サンカルロ(牡、母父:Crafty Prospector(2009年ニュージーランドトロフィー、2011年阪急杯、2011年・2012年阪神カップ)[95]
- アプレザンレーヴ(牡、母父:Highest Honor(2009年青葉賞)[96]
- パワーストラグル(牡、母父:アフリート(2010年白山大賞典)[97]
- クリーバレン(牡、母父:サンデーサイレンス(2011年新潟ジャンプステークス)[98]
- ランフォルセ(牡、母父:Machiavellian(2011年エルムステークス、2012年ダイオライト記念、2013年浦和記念、2014年佐賀記念)[99]
- ダノンカモン(牡、母父:オジジアン(2014年名古屋大賞典)[100]
- 2007年産
- 2008年産
- 2009年産
- サナシオン(牡、母父:サンデーサイレンス(2015年東京ハイジャンプ、2016年阪神スプリングジャンプ)[105]
- 2010年産
- 2011年産
- 2013年産
- 2014年産
- 2017年産
地方重賞優勝馬
地方重賞とは、地方競馬各主催者が独自に定める格付けた重賞のことである(ダートグレード競走を除く)。
- 2008年産
- 2009年産
- 2012年産
- 2013年産
- 2014年産
- 2017年産
- 2018年産
ブルードメアサイアーとしての産駒
- 2010年産
- ケイアイチョウサン(牡、父:ステイゴールド)2013年ラジオNIKKEI賞)[123]
- 2011年産
- オジュウチョウサン(牡、父:ステイゴールド)2016年東京ジャンプステークス、2017年・2019 - 20年阪神スプリングジャンプ、2016 - 20年中山グランドジャンプ、2016 - 17年東京ハイジャンプ、2016 - 17年中山大障害)[124]
- 2012年産
- 2014年産
- 2015年産
- レイエンダ(牡、父:キングカメハメハ)2019年エプソムカップ)[132]
- アルクトス(牡、父:アドマイヤオーラ)2019年プロキオンステークス、2020 - 21年マイルチャンピオンシップ南部杯、2021年さきたま杯)[133]
- 2016年産
- 2017年産
- 2018年産
血統表
シンボリクリスエスの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ロベルト系 |
[§ 2] | ||
父 Kris S. 1977 黒鹿毛 アメリカ |
父の父 Roberto 1969鹿毛 アメリカ |
Hail to Reason | Turn-to | |
Nothirdchance | ||||
Bramalea | Nashua | |||
Rarelea | ||||
父の母 Sharp Queen 1965鹿毛 アメリカ |
Princequillo | Prince Rose | ||
Cosquilla | ||||
Bridgework | Occupy | |||
Feale Bridge | ||||
母 Tee Kay 1991 黒鹿毛 アメリカ |
Gold Meridian 1982 黒鹿毛 アメリカ |
Seattle Slew | Bold Reasoning | |
My Charmer | ||||
Queen Louie | Crimson Satan | |||
Reagent | ||||
母の母 Tri Argo 1982黒鹿毛 アメリカ |
Tri Jet | Jester | ||
Haze | ||||
Hail Proudly | Francis S. | |||
Spanglet F-No.8-h | ||||
母系(F-No.) | 8号族(FN:8-h) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Royal Charger5×5 | [§ 4] | ||
出典 |
|
近親には母の全妹Tritheniaを2代母として持つWell Armed(ドバイワールドカップなどGI2勝)がいる。
脚注
注釈
- ^ 孝弘は、帯広畜産大学を卒業した後、半年間ニュージーランドの牧場に留学。帰国後に父と不和となり家出し就職したという経緯がある[13]。孝弘は、後に受けた吉川良の取材に対し、家出の理由として「逃げたんですよ。自信をなくして[11]」と答えている。
- ^ ティーケイを購入した繁殖牝馬セールと同時期の1998年11月に競走馬デビュー。その半年後の1999年5月、NHKマイルカップ(GI)を優勝する[14]。
- ^ 『名馬を読む2』85頁(著:江面弘也)には27万ドル、『優駿』2019年6月号 80頁(著:軍土門隼夫)には26万ドルとされている。
- ^ 同じく、2番仔の母ティーケイも整理の対象となった。キングマンボとの仔を受胎した後に上場、26万ドル[注釈 3]で売却されている[17][15]。
- ^ シンボリスウォードは、日本の競走馬。父はグリーンデザートである。1999年のバーデンバーデンカップ(OP)、キーンランドカップ(OP)優勝。1999年の函館スプリントステークス(GIII)2着、2001年のアイビスサマーダッシュ(GIII)2着となった。通算成績28戦8勝[18]。
- ^ スイートオーキッドは、日本の競走馬。父はゴーンウェストである。2000年のクリスタルカップ(GIII)優勝。通算成績14戦3勝[19]。
- ^ 岡部、横山はともに青葉賞に別の馬で参戦している。岡部は、シンボリクリスエスと同じ藤沢厩舎のボールドブライアン、横山は、松田博資厩舎のダディーズドリームに騎乗していた[26]。岡部は藤沢の采配のため、横山は先約があったため、シンボリクリスエスに騎乗することができなかった[26]。
- ^ 外国産馬のため、東京優駿の優先出走権は与えられなかった[28]。
- ^ 藤沢和雄の兄、藤沢民雄が場長を務めていた[32]。
- ^ 外国産馬のため、菊花賞の優先出走権は与えられなかった[35]。
- ^ 出馬投票を行った外国産馬が出走可能頭数を超過した場合は、「過去1年間のGI、GII、GIII競走で獲得した収得賞金の多い順」に決定していた。
- ^ 外国産馬に与えられた出走枠は2。前年の有馬記念2着のアメリカンボス、前年のマイルチャンピオンシップ優勝のゼンノエルシドを押しのけ、シンボリクリスエスの出走が実現した[注釈 11][37][38]
- ^ 他に1954年オパールオーキツト、1956年ミツドフアーム。(1971年から1999年まで外国産馬は出走できなかった。)
- ^ 岡部にとって生涯最後のGI優勝となる。[40]
- ^ 他、ファインモーション3票、タニノギムレット1票[4]。
- ^ 他、タニノギムレット1票[4]。
- ^ 1000メートル通過は、1998年のサイレンススズカの逃げよりも0.5秒速い、天皇賞(秋)史上最速であった。『優駿』によれば「スプリント戦なみの超ハイペース[56]」だった。ハイペースの場合、一般的に後方に位置した馬が有利となる。
- ^ 他に、スティルインラブ58票、ヒシミラクル6票、ネオユニヴァース2票、該当馬なし1票[5]。
- ^ 他に、ヒシミラクル12票[5]。
出典
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- ^ “オジュウチョウサン”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “ベルラップ”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “シングウィズジョイ”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “レイデオロ”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “アドミラブル”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ クイーンマンボ - netkeiba、2017年10月6日閲覧
- ^ “ローズプリンスダム”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “ミスパンテール”. JBISサーチ. 2018年4月9日閲覧。
- ^ “レイエンダ”. JBISサーチ. 2019年6月28日閲覧。
- ^ “アルクトス”. JBISサーチ. 2020年6月4日閲覧。
- ^ “ランブリングアレー”. JBISサーチ. 2021年6月4日閲覧。
- ^ “オーソリティ”. JBISサーチ. 2020年6月4日閲覧。
- ^ “マジックキャッスル”. JBISサーチ. 2021年6月4日閲覧。
- ^ “アカイイト”. www.jbis.or.jp. 2021年12月14日閲覧。
- ^ “ソーヴァリアント”. www.jbis.or.jp. 2021年12月14日閲覧。
参考文献
- 江面弘也「シンボリクリスエス シンボリ牧場、父子の葛藤」『名馬を読む2』三賢社、2019年8月30日、ISBN 4908655146
- 『優駿』(日本中央競馬会)
- 1999年7月号
- 吉川良「【競作ノンフィクション・シリーズ】ルドルフの風よ吹け ~シンボリ牧場、馬づくり70年~」
- 2002年1月号
- 「【平成14年度競馬番組発表!】4.外国産馬の出走制限緩和」
- 2002年6月号
- 石田敏徳「【ダービー・プレビュー 2002】混戦ダービーに強力な外国産馬、現る シンボリクリスエス」
- 2002年7月号
- 阿部珠樹「【Play-back the Grade-I Races 2002】日本ダービー まれに見る『いいダービー』」
- 2002年11月号
- 「【Play-back the Grade Races 2002】2002年9月7日 - 10月6日 第50回神戸新聞杯(GII)」
- 「【重賞データファイル】第50回神戸新聞杯(GII) シンボリクリスエス」
- 2002年12月号
- 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2002】天皇賞(秋) シンボリクリスエス」
- 平松さとし「【藤沢和雄調教師が語る】"シンボリクリスエス"と"3歳馬による天皇賞挑戦"」
- 「【重賞データファイル】第126回天皇賞(秋) シンボリクリスエス」
- 2003年1月号
- 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2002】ジャパンカップ ファルブラヴ」
- 2003年2月号
- 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2002】有馬記念 シンボリクリスエス」
- 「【2002年度JRA賞決定!】年度代表馬はシンボリクリスエス」
- 「【2002年JPNクラシフィケーション発表!】日本調教馬の最高評価はシンボリクリスエスの119ポンド」
- 「【重賞データファイル】有馬記念(第47回グランプリ) シンボリクリスエス」
- 2003年3月号
- 吉川良「【競作ノンフィクション・シリーズ】さらなる情熱をかきたてて」
- 2003年7月号
- 平松さとし「【今年の宝塚記念は何かが違う!?】シンボリクリスエス」
- 優駿編集部「【杉本清の競馬談義 218】シンボリ牧場社長 和田孝弘さん」
- 2003年8月号
- 「【Play-back the Grade-I Races 2003】宝塚記念 ヒシミラクル」
- 2003年9月号
- 村本浩平「【有力馬の次走・近況報告】シンボリクリスエス」
- 2003年11月号
- 平松さとし「【特集 第128回天皇賞(秋)】シンボリクリスエス」
- 2003年12月号
- 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2003】天皇賞(秋) シンボリクリスエス」
- 「【重賞データファイル】第128回天皇賞(秋)シンボリクリスエス」
- 2004年1月号
- 石田敏徳「【有馬記念 有力馬の勝算・徹底分析】シンボリクリスエス」
- 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2003】ジャパンカップ タップダンスシチー」
- 2004年2月号
- 後藤正俊「【優駿先取り情報局】04年初供用種牡馬への期待」
- 「【2003年度JRA賞決定!】年度代表馬は2年連続でシンボリクリスエス」
- 「【2003年JPNクラシフィケーション発表!】シンボリクリスエスが2年連続で日本調教馬の最高評価」
- 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2003】有馬記念 シンボリクリスエス」
- 「【今月のトピックス】シンボリクリスエスが引退式を挙行」
- 「【重賞データファイル】有馬記念(第48回グランプリ) シンボリクリスエス」
- 2019年6月号
- 1999年7月号
外部リンク
- ミルリッジファーム - 生産牧場
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post エラー:
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が未定義です。(参照1・参照2) - シンボリクリスエス(USA) - 競走馬のふるさと案内所