オジジアン
オジジアン | |
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オールドフレンズにて(2006年。当時23歳) | |
欧字表記 | Ogygian |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1983年3月17日[1] |
死没 | 2015年3月15日(32歳没)[2] |
父 | Damascus |
母 | Gonfalon |
生国 | アメリカ合衆国 |
生産者 | Tartan Farms Corp.[1] |
馬主 | Tartan Farms[1] |
調教師 | Jan H. Nerud[1] |
競走成績 | |
生涯成績 | 10戦7勝[1] |
獲得賞金 | 455,520ドル[1] |
オジジアン (Ogygian, 1983年3月17日 - 2015年3月15日) とはアメリカ合衆国で生産・調教されたサラブレッドの競走馬、および種牡馬である。1985年のフューチュリティステークスなどに優勝し、後に日本で種牡馬入りしている。代表産駒にはエイシンワシントンやバトルラインがいる。
なお、日本の書籍などでは当馬の名前を「オジジアン」と記述するのが一般的だが、現役時代のオーナーは「オガイジャン」と発音するのが正しいとしている[3]。名前の由来は『オデュッセイア』に登場する、オデュッセウスが海の女神カリュプソーに引き止められたオギュギアの島であるため、それに倣うなら「オギュギアン」となる。
経歴
[編集]- 特記がない限り、競走はすべてダートコース。競走格付けは開催当時のもの。
1983年に生まれた牡馬で、同世代にはブロードブラッシュやモガンボなどがいる。
1985年に競走馬デビューした。2歳時はデビュー戦から3戦3勝と無敗の成績を誇り、特にフューチュリティステークス(ベルモントパーク・7ハロン・G1)では2着グルーヴィに9馬身半差をつけての圧勝劇を演じ、同年のブリーダーズカップ・ジュヴェナイルを制したタッソーと並んで2歳馬トップの126ポンドのレーティングを与えられた[2][4]。3歳時はクラシック路線こそ故障により未出走に終わったが[4]、7月にはドワイヤーステークス(ベルモントパーク・9ハロン・G1)で優勝、さらに9月のジェロームハンデキャップ(アケダクト・8ハロン・G1)ではモガンボ相手にアタマ差で勝ち、通算10戦7勝・G1競走3勝の好成績で引退した[4]。
1988年からクレイボーンファームにて種牡馬入りした[2]。日本では重賞を2勝したエイシンワシントンの活躍でその名が知れわたるようになり、エイシンワシントンが現役で活躍中の1996年から、浦河町のイーストスタッドで供用されるようになる。その後も外国産馬としてすでに輸入されていたバトルライン、持込馬のタイキダイヤが重賞を勝ったものの、日本での産駒はジョーディシラオキが唯一の中央重賞勝ち馬と、成績は尻すぼみとなっていった。なお、日本での繋養中に左目を失明している[注 1]。
2005年、オジジアンは22歳の時に功労馬保護団体オールドフレンズによってアメリカへと買い戻された[2]。ケンタッキー州の同施設で余生を送り、2015年3月14日に疝痛による合併症で32歳で安楽死となった。17世代の産駒からは733頭が競走馬となり、うち473頭が勝ち上がり、23頭がステークス勝ち馬となった[2]。獲得賞金は約5230万ドル。重賞勝ち馬11頭を含む23頭がステークスウィナーとなった。母の父としては史上2頭目のエクリプス賞とカルティエ賞の最優秀2歳牡馬となったヨハネスブルグを筆頭に、種牡馬成績を上回る実績を残している。
評価
[編集]主な勝鞍
[編集]- 1985年(2歳) 3戦3勝
- フューチュリティステークス (G1)
- 1986年(3歳) 7戦4勝
- ドワイヤーステークス (当時G1)、ジェロームハンデキャップ (G1)、リヴァリッジステークス
主な産駒
[編集]- 1991年産
- エイシンワシントン(CBC賞、セントウルステークス、スプリンターズステークス2着、種牡馬)
- 1993年産
- バトルライン(プロキオンステークス、エルムステークス、全日本サラブレッドカップ、マイルチャンピオンシップ南部杯2着、帝王賞2着、種牡馬)
- 1996年産
- タイキダイヤ(クリスタルカップ)
- 1997年産
- 1998年産
- フジノコンドル(サラブレッドチャレンジカップ、サマーチャンピオン、新緑賞、マーチカップ)
アメリカに残した産駒もG2勝ちが最高で、有力な後継種牡馬には恵まれなかった。
母の父としての成績
[編集]- 1998年産
- 1999年産
- Gygistar / ジジスター - キングズビショップステークス
- Johannesburg / ヨハネスブルグ - フェニックスステークス、モルニ賞、ミドルパークステークス、ブリーダーズカップ・ジュヴェナイル
- 2000年生
- Spartacus / スパルタカス - フェニックスステークス、グランクリテリウム
- 2001年産
- ワイルドソルジャー - 名古屋グランプリ
- 2004年産
- Street Boss / ストリートボス - トリプルベンドインビテーショナルハンデキャップ、ビングクロスビーハンデキャップ
- サンツェッペリン - 京成杯、皐月賞2着
- 2006年産
- 2008年産
血統表
[編集]オジジアンの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ダマスカス系 |
[§ 2] | ||
父 Damascus 1964 鹿毛 アメリカ |
父の父 Sword Dancer1956 栗毛 アメリカ |
Sunglow | Sun Again | |
Rosern | ||||
Highland Fling | By Jimminy | |||
Swing Time | ||||
父の母 Kerala1958 鹿毛 アメリカ |
My Babu | Djebel | ||
Perfume | ||||
Blade of Time | Sickle | |||
Bar Nothing | ||||
母 Gonfalon 1975 栗毛 アメリカ |
Francis S. 1957 栗毛 アメリカ |
Royal Charger | Nearco | |
Sun Princess | ||||
Blue Eyed Momo | War Admiral | |||
Big Event | ||||
母の母 Grand Splendor1962 鹿毛 アメリカ |
Correlation | Free America | ||
Braydore | ||||
Cequillo | Princequillo | |||
Boldness | ||||
母系(F-No.) | (FN:16-a) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Blue Larkspur 5x5 | [§ 4] | ||
出典 |
母ゴンファロンは12頭の競走馬を産み、そのうち8頭が勝ち上がるという優秀な繁殖成績を収めた。他の近親に、甥のオナーアンドグローリーがいる。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 小川晃夫『驚異のマル外種牡馬事典』講談社、2000年。ISBN 4-06-210133-5。
注釈
[編集]- ^ オールドフレンズのHPに掲載されている画像では、左目を失っていることが判る
出典
[編集]- ^ a b c d e f “Ogygian (FL)”. EQUIBASE. 2021年5月25日閲覧。
- ^ a b c d e “Grade I Winner and Sire Ogygian Dies at 32”. Blood-Horse (2015年3月15日). 2021年5月25日閲覧。
- ^ 合田直弘「全米のマスコミが震え上がった"オジジアン事件"とは」『別冊宝島340 競馬種牡馬読本2』、宝島社、1997年、48頁。
- ^ a b c 小川 p.184
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|オジジアン(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ(JBIS-Search). 日本軽種馬協会. 2021年5月25日閲覧。
- ^ a b c d “オジジアンの血統表”. netkeiba.com. 2021年5月25日閲覧。
外部リンク
[編集]- OGYGIAN -1983-2015 - Old Friends - オールドフレンズ(英語)
- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ、Racing Post