アカネテンリュウ
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
アカネテンリュウ | ||||||
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品種 | サラブレッド | |||||
性別 | 牡 | |||||
毛色 | 黒鹿毛 | |||||
生誕 | 1966年4月30日 | |||||
死没 | 1985年1月15日(20歳没・旧表記) | |||||
父 | チャイナロック | |||||
母 | ミチアサ | |||||
生国 | 日本(北海道三石町) | |||||
生産者 | 大塚牧場 | |||||
馬主 | 関野栄一 | |||||
調教師 | 橋本輝雄(東京) | |||||
競走成績 | ||||||
生涯成績 | 36戦13勝 | |||||
獲得賞金 | 1億4260万2100円 | |||||
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アカネテンリュウとは、日本の競走馬である。1969年菊花賞の優勝馬で、同年の最優秀4歳馬牡馬。同期はトウメイ(天皇賞・秋・有馬記念)・ダイシンボルガード(ダービー)・リキエイカン(天皇賞・春)・メジロアサマ(天皇賞・安田記念)・ワイルドモア(皐月賞)等。主戦騎手は丸目敏栄。後に星野信幸。スピードシンボリの主戦騎手として有名な野平祐二も、アカネテンリュウに騎乗して目黒記念(秋)を制している。
戦績
[編集]主な勝ち鞍は、菊花賞・アメリカジョッキークラブカップ・東京新聞杯・セントライト記念・日本経済賞・目黒記念(秋)。有馬記念2年連続2着で、菊花賞を優勝した後の有馬記念ではスピードシンボリを追い詰める2着、翌年の有馬記念では同年の菊花賞馬ダテテンリュウとスピードシンボリとの3頭の壮絶な叩きあいで再度2着となった。
春シーズンは下級馬であったが、夏の函館から「戦後最大の上がり馬」と形容されるほど急成長した。このため当馬の活躍以後はしばしば上がり馬が「アカネテンリュウの再来」と表現された。菊花賞は直線で大きく内外を蛇行しながら勝利し、2着には翌春の天皇賞勝ち馬リキエイカンが入った。
アカネテンリュウは道悪馬場も得意であり、不良馬場の安田記念を制した重馬場巧者の牝馬ラファールに条件付ながらも勝利した事もあった。また、斤量負けする馬でもなく、最後の勝利となった東京新聞杯とオープン[1](3回)を60キログラム以上の斤量で勝利した。
古馬になってからは、天皇賞に出走したが全て敗退、挑戦した4回の内の3回が同期の馬(リキエイカン・メジロアサマ・トウメイ)の優勝であった。1972年の天皇賞・春を最後に引退した。
エピソード
[編集]- 長距離に適性があったが、1800メートルの中山記念でトウショウピット(トウショウボーイの半兄・パーソロン産駒)に差されはしたものの、2着の実績もある。父チャイナロックの産駒はタケシバオーやハイセイコーのような500キログラムを超える巨漢馬が活躍したが、アカネテンリュウは470キロ前後の中型馬であった。
- 長らくコンビを組んでいた丸目騎手は、1971年の日本経済賞[2]で落馬して重傷を負い、以後は1971年の目黒記念(秋)、天皇賞(秋)、有馬記念の3戦で野平祐二が騎乗したのを除いて星野信幸が騎乗した。なお引退式では、丸目騎手が騎乗している。
引退後
[編集]種牡馬として日本軽種馬協会那須種馬場に寄贈され、1973年から供用された。
代表産駒は900万下条件勝ち馬のモガミテンリュウ[3]。
母の父として、産駒クリカンナがシャイニングスター[4](ステイヤーズS 2着 1989年)を出している。
1985年1月14日に腸閉塞を発症し、翌日死亡した。
血統表
[編集]アカネテンリュウの血統(ハイペリオン系/Gainsborough 4×5=9.38%、Cicero、Wood Daisy 5×5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 * チャイナロック China Rock 1953 栃栗毛 |
父の父 Rockfella1941 黒鹿毛 |
Hyperion | Gainsborough | |
Selene | ||||
Rockfel | Felstead | |||
Rockliffe | ||||
父の母 May Wong1934 栗毛 |
Rustom Pasha | Son-in-Law | ||
Cos | ||||
Wezzan | Friar Marcus | |||
Woodsprite | ||||
母 ミチアサ 1960 黒鹿毛 |
* ヒンドスタン Hindostan 1946 黒鹿毛 |
Bois Roussel | Vatout | |
Plucky Liege | ||||
Sonibai | Solario | |||
Udaipur | ||||
母の母 プレイガイドクイン1949 黒鹿毛 |
* ダイオライト Diolite |
Diophon | ||
Needle Rock | ||||
ウェッディングラス | * シアンモア | |||
第弐ウェッディングサーフ F-No.16-c |
母系は小岩井農場のヘレンサーフ系。
注釈
[編集]- ^ サラ系平地競走では、1983年まで競走名の付いていない平場のオープン競走が施行されていた。有力馬が調整目的で出走する事も多く、負担重量の軽減と経験を積ませる目的で、見習騎手(斤量を減らせる特典がある)が騎乗する事も少なくなかった。有力馬を尻目にオープン競走で勝利を重ねる馬も居て、コーヨー(1972年馬インフルエンザの影響で福島で代替開催された関東の金杯勝利馬)やヤマブキオーの様な、八大競走には縁が無くともハンデ戦の重賞や平場オープンなどで活躍する馬を指した「オープン大将」という言葉も存在していた。なお現在ではオープンクラスは特別競走もしくは重賞競走だけになっているので、見習騎手による減量の恩恵は受けられない。障害競走では平場戦が残っているため、重賞勝ち馬でも見習騎手による減量の恩恵は受けられるが、中山グランドジャンプ・中山大障害の勝馬は平場戦ではほとんどの競走で5キロ以上多く背負わされるため、出走できる競走は限られる。このためそのような馬が調整目的で平地競走に出走する例が見られる。
- ^ 前年はアカネテンリュウが勝利している。
- ^ “種牡馬情報:種牡馬成績 |アカネテンリユウ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年6月16日閲覧。
- ^ “シャイニングスター | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2022年6月16日閲覧。