朝日新聞
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朝日新聞 | |
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種類 | 日刊紙 |
サイズ | ブランケット判 |
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事業者 | 株式会社朝日新聞社 |
本社 |
大阪府大阪市北区中之島2-3-18 東京都中央区築地5-3-2 愛知県名古屋市中区栄1-3-3 福岡県北九州市小倉北区室町1-1-1 |
代表者 | 渡辺雅隆 |
創刊 | 1879年(明治12年)1月25日 |
言語 | 日本語 |
価格 |
1部 (朝刊)150円 (夕刊)50円 月極 (朝夕刊セット版)4,037円 (統合版)3,093円 |
発行数 |
(朝刊)約710万部 (夕刊)約240万部 |
ウェブサイト | http://www.asahi.com/ |
朝日新聞(あさひしんぶん、英語: The Asahi Shimbun)は、朝日新聞社が編集・発行する新聞の一つであり、同社のメイン新聞である[1]。2014年1月-6月の販売部数(日本ABC協会調べ)は朝刊が約710万部、夕刊が約240万部であり[2]、日本国内では読売新聞に次ぐ業界2位[3]。
沿革
- 1879年
- 1888年7月10日 東京の『めさまし新聞』を買収・改題し、『東京朝日新聞』を創刊[4]。
- 1889年1月3日 大阪本社発行の新聞を『大阪朝日新聞』と改題[5][6]。
- 1904年
- 1912年7月30日 大正改元を号外速報[4]。
- 1915年
- 1916年3月29日 東京朝日新聞でコラム「青鉛筆」が掲載開始[4]。
- 1918年
- 1921年5月1日 東京朝日新聞の日曜夕刊に岡本一平の漫画欄を新設[4]。
- 1925年4月 外地版「朝鮮朝日」がスタート[7]。
- 1928年7月 「朝鮮朝日」を「南鮮版」と「西北版」に分割[7]。
- 1933年11月 外地版「満洲版」「台湾版」がスタート[7]。
- 1935年
- 1940年9月1日 大阪朝日新聞と東京朝日新聞の題号を『朝日新聞』に統一[4]。
- 1943年1月1日 中野正剛の寄稿「戦時宰相論」掲載により発禁[4]。
- 1944年3月6日 夕刊の発行休止[8]。
- 1945年
- 1946年11月21日 現代仮名遣いを採用[4]。
- 1947年6月8日 新聞小説が復活し、石坂洋次郎の『青い山脈』が連載開始[4][注 5]。同年10月4日に完結。
- 1949年11月30日 『夕刊朝日新聞』として夕刊が復活し、長谷川町子の漫画『サザエさん』が連載開始[8][4][注 6]。
- 1950年9月27日 伊藤律会見報道事件[10]。
- 1951年
- 1957年10月1日 「親さがし運動」の記事で第1回日本新聞協会賞を受賞[4]。
- 1959年6月1日 北海道支社で発行開始[11]。
- 1960年6月17日 安保闘争をめぐり、朝日新聞を含む在京7紙[注 8]で共同宣言「暴力を排し議会主義を守れ」を朝刊に掲載[4]。
- 1965年
- 1968年[3月]] 日中記者交換協定に同意。
- 1974年2月21日 『サザエさん』が連載終了。
- 1976年2月5日 ロッキード事件を日本の新聞として第一報[4]。
- 1979年1月4日 園山俊二の漫画『ペエスケ』が夕刊で連載開始[12]。
- 1981年7月20日 紙面の文字を1段14字に変更。
- 1983年1月 紙面の文字を1段13字に変更。
- 1986年1月1日 ロンドンで国際衛星版を発行開始[4]。
- 1987年9月19日 昭和天皇の病気をスクープし、本年度の日本新聞協会賞を受賞[4]。
- 1988年6月18日 リクルート事件をスクープ[4]。
- 1989年4月20日 珊瑚記事捏造事件[13]。
- 1991年
- 1992年
- 1995年8月 ニュースサイト「asahi.com」を開設[14]。
- 1999年10月15日 和歌山毒物カレー事件報道で日本新聞協会賞を受賞[4]。
- 2000年4月2日 「くらし」欄を新設[4]。
- 2001年4月1日 1段11字に変更して活字拡大[4][注 10]。
- 2002年
- 3月 日曜版を廃止し、同年4月6日より土曜版「be」を創刊[4]。
- 4月1日 しりあがり寿の漫画『地球防衛家のヒトビト』が夕刊で連載開始。
- 2005年
- 2006年1月25日 朝日新聞創刊127周年を記念した「ジャーナリスト宣言。」というキャッチコピーのもと、大々的に宣伝する[15]。
- 2007年
- 2月1日 読売新聞Webサイトの記事盗用発覚により、「ジャーナリスト宣言。」キャンペーンを自粛[16]。
- 4月1日 紙面が刷新され、朝刊の1面題字左側に天気マークが記載される[注 11]。
- 2008年
- 2009年
- 2010年
- 1月1日 子供向けコラム「しつもん!ドラえもん」が朝刊で連載開始[18]。この日以降、一面にタイトルおよび質問[注 12]とともに、ドラえもんのイラストと「新聞をひらいてこたえをさがしにいこう」という文章が掲載されている{{refnest|group="注"|まれに、ドラえもん以外のキャラクター(野比のび太、源静香、骨川スネ夫、剛田武など)が登場することもある。。
- 5月1日 朝刊1部売りの値段を130円から150円に値上げ[19]。夕刊1部売りと宅配の月ぎめ購読料は据え置き[20]。
- 9月21日 大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件をスクープし、史上初となる「追加受賞」での日本新聞協会賞を受賞[21]。
- 2011年
- 2012年1月23日 asahi.comのブランド名を朝日新聞デジタルに統一[26]。
- 2014年
- 4月1日 消費税の8%増税に伴い、月極購読料を朝夕刊セット4,037円、朝刊統合版3,093円に改定(1部売りは朝・夕刊とも変わらず)。
- 8月5日・6日 - 32年前の1982年9月2日大阪本社版朝刊社会面に初掲載した吉田清治の証言にもとづき1990年代初めまでの計16回掲載の慰安婦強制連行に関する記事は裏付け得られず虚偽であったと特集報道[27]。
- 9月11日 - 木村伊量社長や取締役編集担当らが記者会見を行い、5月20日付朝刊で報じた福島第一原発の社員が吉田所長の待機命令に違反し、撤退したとされる記事の取り消しを読者と東京電力の関係者に謝罪、同時に慰安婦強制連行記事の取り消しについても謝罪を行った[28]。
- 9月14日 - 2012年6月8日東京・大阪・名古屋各本社版経済面の「ゲーム大手4社に聞く」顔写真入りインタビュー記事で、任天堂岩田聡社長にインタビューせず、HP動画発言を引用掲載したと朝刊で訂正・謝罪した[29]。
- 9月29日 - 1982年9月2日大阪本社版朝刊社会面の吉田の記事初掲載以来計16回掲載されたが、初掲載とした元記者は吉田清治の講演日当日は渡航履歴から日本に居らず、数回記載したが初掲載は書いていないと明かし、別の元記者は1回だけ書いており初掲載は自分かもしれないと名乗り出たと、32年前の初記載元記者に関する訂正を行った[30][31]。
- 10月9日 - 慰安婦報道の第三者委員会初会合。中込秀樹委員長、委員岡本行夫、北岡伸一、田原総一朗、波多野澄雄、林香里(東京大学大学院情報学環教授)、保阪正康計7名[32]。
- 10月11日 - 第三者機関「報道と人権委員会」(2001年発足)に吉田調書報道の審査・見解を求めた[33]。
- 10月14日 - 「信頼回復と再生のための委員会」発足。吉田証言、吉田調書、新聞ななめ読み掲載見合わせなど一連の問題うけた委員会。委員江川紹子、国広正(弁護士)、志賀俊之、古市憲寿、社内委員上席執行役員飯田真也委員長ほか3名計8名[34]。
- 12月5日 - 臨時株主総会と臨時取締役会を開き、従軍慰安婦報道や吉田調書などの責任をとり木村伊量社長の辞任を決定[35]。
紙面・論調の変遷
現在、主要五紙のなかにおいては他紙とは一線を画した革新的論調として知られる(5点を中心に保守をプラス、革新をマイナスにスケールを取ったとき、読売新聞5.6、産経新聞5.3、日本経済新聞5.2、毎日新聞5.0、朝日新聞4.4)[36]。
歴史的に見れば、朝日新聞の紙面・論調はその時々の時代背景に応じて変化し、一定ではない。
創業期から明治時代
- 創刊期は、新聞小説と通俗記事が主体の大阪ローカルの小新聞だった[37]。また、参議の伊藤博文らが同じく参議の大隈重信を政府から追放した明治14年政変の翌年以降、政府と三井銀行から極秘裡に経営資金援助を受ける御用新聞として経営基盤を固めた[38][39]。その間に東京の『めさまし新聞』を買収して『東京朝日新聞』を創刊し、東京に進出した。日露戦争前には主戦論を展開し、日露講和にも反対した[注 13]。
大正時代
- 大正デモクラシー期には憲政擁護運動の一角を担い、当時の寺内正毅内閣を批判した[40][41][42][43]。また、1918年の米騒動では新興財閥の鈴木商店に対して、米の買い占めを行っている悪徳業者であると攻撃した[44]朝日新聞[45]。これにより、鈴木商店は米価の高騰に苦しむ民衆の反感を買い、同年8月12日に焼き打ちされた。この事件を再調査した城山三郎は、当時の鈴木商店が米を買い占めていた事実はなく、焼き打ちは大阪朝日新聞が事実無根の捏造報道を行って米騒動を煽ったことによる「風評被害」[46]であり、鈴木商店と対立していた三井と朝日の「共同謀議」という仮説を立て、ノンフィクション小説として発表している[44]。これに関連して、寺内内閣を批判した記事に書かれていた「白虹日を貫けり」という字句が新聞紙法の「朝憲紊乱」に当たるとして当局に発禁を迫られ、同年10月15日に編集局幹部らが退社し、同記事を執筆した記者は有罪となり社を追われた(白虹事件)。事件後、朝日新聞は「不偏不党」「評論の穏健妥当」などを標榜する綱領を発表した[注 14]。
- 第一次世界大戦後は軍縮支持[47]、シベリア出兵反対[注 15]、普通選挙実施を主張し[48]、反軍・リベラルの論調だった。しかし、満州事変以降は概して対外強硬論を取るようになり[49][注 16]、軍部への迎合に転換し、第二次世界大戦終了までは戦争賛美の論調だった[49]。背景には在郷軍人会や神社関係者による不買運動があり、営業面を考慮した結果だったとされる[49]。
昭和時代の第二次世界大戦終結以前
- 1930年代後半からは首相・近衛文麿の戦時政府(近衛新体制運動)を積極的に支持した[50]。緒方竹虎主筆[注 17]の承認の下、笠信太郎[注 18]、佐々弘雄[注 19]、尾崎秀実といった朝日新聞社の有力な論説委員、記者たちが近衛政権のシンクタンクである昭和研究会の中心メンバーとなった[55]。緒方主筆自身も、新体制準備委員として新体制運動に積極的に関与した。日中戦争拡大の論陣を張り、後に朝日新聞社を退社しコミンテルンの工作員であった尾崎秀実、および、朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎や同部員磯野清は、ソ連軍のスパイであったリヒャルト・ゾルゲが組織したゾルゲ諜報団の一員として検挙され、尾崎は首謀者の1人として裁判を経て死刑に処された[56]。
- 大日本帝国陸軍が満州事変を起こし、満州国を建国した後、国際連盟に拒否されて脱退した際には「連盟よさらば」という歌を作成して代表の松岡洋右を賞賛している[注 20]。
- 日中戦争(支那事変)・太平洋戦争(大東亜戦争)中は主戦論を主張。革新官僚・軍部の御用新聞として君臨し[57][58]、毎日新聞や読売新聞[注 21]といった他紙と同様の戦争翼賛報道を行い、大本営発表をそのまま記事にした。
第二次世界大戦終結以後から冷戦期
- 日本の敗戦後は、社説「自らを罪するの弁」(1945年8月23日)、声明「国民と共に立たん(関西版では「―起たん」)」(1945年11月7日)を発表し、村山社主家の村山長挙社長以下幹部が辞任した。ただし、村山長挙・上野精一両社主は公職追放解除後に復帰した[注 22]。
- 戦前は朝鮮人による日本への密航や朝鮮人密航組織、さらに朝鮮人労働者が高収入を得ていたという報道を頻繁に行っていたが[注 23][注 24][59][60][61][62][63][64]、1959年以降に北朝鮮への帰還事業が行われるようになると次第に左傾化し、在日朝鮮人は強制連行されたものであるという報道を行い始めた[65]。
- 戦後の一時期まで、朝日新聞は購読者層として政官財のトップエリートを含む社会の高学歴層に支持されてきた傾向があったとされる[66]。しかし同時に、記者をはじめとする朝日新聞社員のエリート意識も極めて高く、同社員の外部に対応する態度は「Donaru(怒鳴る)」「Ibaru(威張る)」「Yobitukeru(呼びつける)」の「朝日のDIY」と言われ、そのことが珊瑚記事捏造事件の時のように、必要以上に相手の反感を買っているという指摘もなされている[67]。
- 戦後は長らく政権与党であった自由民主党に対し、批判的な傾向が見られるが[68]、笠信太郎が論説主幹だった時代からリベラル派の宏池会とは比較的近い関係にある[69]。朝日新聞社出身の緒方竹虎、石井光次郎、河野一郎を強く首相に推していた時期もあった。さらに近年では小泉純一郎政権時(主に2005年頃)に、小泉が推進した構造改革路線を積極的に支持したこともある[注 25]。
冷戦終結以後から現在
- 革新[70]・進歩[注 26]・リベラル[72][73]言論の代表紙と評されている。
- 平和主義の維持を主張し、復古的改憲論には否定的である[49]。特に日本国憲法第9条については堅持を主張している[49]。近年はそれと共に、生存権保障規程である日本国憲法第25条についても同程度の比重で取り上げる傾向にある[74]。
- 日本国憲法第21条が保障する表現の自由に関しては、映画『靖国 YASUKUNI』や『ザ・コーヴ』が、肖像権侵害や日本文化差別などに対する抗議活動の影響で上映中止・自粛した問題で、「表現の自由に対する深刻な事態」と懸念を表明している[75][76]。
- 政治家の靖国神社参拝を公私を問わず反対しており、国会議員が入閣する際には必ず靖国神社に参拝するか質問している。また参拝した議員には公的か私的かを質問している。
- 人権擁護法案を容認する見解を表明している[77][78]。ただし、同法案がメディアの取材による報道被害も救済の対象としていることについては、表現の自由・報道の自由を守る観点から反対の姿勢を示している。また、法案の目的を実現するために設置される「人権委員会」が法務省の外局とされることについて、組織の独立性に問題ありとの見方を示している[78]。
- 国際報道の中でも中国関連報道には力を入れており、近年ではボーン・上田記念国際記者賞を受賞するなど、世界的な評価を得ているとしている[79][80]。社説・コラム等では中華人民共和国の立場に理解を示す姿勢が散見され、中国人民解放軍によるチベット侵攻以後のチベット人に対する迫害についても、とりわけ1970年代以前は度々容認的論調を展開した[81][82]。近年も概ね中華人民共和国(中国共産党)に親和的な論調は継続されているが[注 27][注 28]、チベット独立運動やウイグル独立運動の活動家を肯定的に取り上げた記事を掲載するなど[85][86]、主に人権面で中華人民共和国に対して批判的な記事も掲載されるようになっており、尖閣諸島問題でも比較的厳しい論調の対中報道を行っている[87][88]。
- 原子力発電に関しては、戦後から1970年代にかけては好意的な論調だったが[89][90][注 29]、スリーマイル島原子力発電所事故(1979年)やチェルノブイリ原子力発電所事故(1986年)を受け、しだいに抑制的な姿勢に転換[89]。2011年の福島第一原子力発電所事故以降は、原発政策の推進に対する慎重姿勢を強め[92][93][94]、同年7月13日には「提言 原発ゼロ社会」と題した2ページにわたる社説特集を組み、社論として「脱原発」を掲げている[95]。
- 死刑制度に関しては、「安易に死刑判決を出すべきではない」としながらも、制度そのものは肯定している[96]。宮崎勤事件の際には、死刑廃止論者や死刑廃止運動を揶揄したとも取れるようなネタを『フジ三太郎』で掲載し、死刑廃止団体から抗議を受けているが、その際も「世論の怒りを素直に描いたもの」と釈明している[96]。
- 21世紀以降、それまでの論調を転換する動きも見られる。例えば、2002年9月17日付社説では自衛隊のPKO派遣を容認し、2003年4月27日付社説では条件付で有事立法を「検討に値する」とした。さらに、2007年5月3日付社説では、少なくとも「論憲」は認める立場へと転換した[97]。
- 歴史認識を巡って漫画家の小林よしのりと意見の相違があり、彼の作品である『戦争論』等を巡って社説で直接批判したことがある[98]。小林も自著で朝日新聞の報道姿勢を批判している。ただ、小林のインタビュー記事が紙面に掲載される等、全面的な対立関係ではない[99]。
- 在日外国人の内、在日韓国・朝鮮人の氏名表記にあたっては原則として通名(日本名)での表記を行っている[注 30]。また、漢字文化圏の人名については、漢字表記と現地語読みの併記を行っている[注 31]。
- 教職員の卒業式や入学式での国歌「君が代」斉唱・起立義務は、個人の思想・信条に反して「強制」されているものであると批判している[102]。ただし、国歌斉唱そのものに反対しているわけではない[103]。
- 科学欄ではかなり踏み込んだ専門的な記事もあり[104][105][106]、文化欄[注 32]や読書欄[注 33]などで紙面の充実を図っていることが特徴的である。
- 3つの重点報道テーマとして「環境」「教育」「医療・健康」を挙げており[107]、特に教育は関連記事に力を入れている[108]。大学入試問題における記事採用数も他社と比較して多く、自社サイトでは「受験に強い」と称している[109]。
- 東京大学と連携してシンポジウムや世論調査などを行っており、度々紙面に調査内容が反映されている[110][111]。
- サッカー日本代表の大スポンサーであり、試合の翌日にはかなりの分量の紙面を割くことがある[112]。また、2002 FIFAワールドカップの日韓共同開催を提案する社説(執筆者は若宮啓文)を初めて掲載した新聞である[113]。
- 特定秘密の保護に関する法律の成立に対し、一貫して反対の姿勢である。
- 集団的自衛権の行使容認に対し、一貫して反対の姿勢である。
報道と取材の事例
注目を集めた報道・スクープ
- 1912年7月30日、大正改元をスクープし、号外速報を行った[114]。
- 1934年4月29日、阿武山古墳発見のスクープ[115]。
- 1945年9月12日、前日に自殺を図ったが未遂に終わった東條英機(東條英機自殺未遂事件)について、現場に居合わせた朝日新聞記者が聞き取った言葉を「東條大将の遺言」として掲載した[116]。
- 1948年8月7日、埼玉県本庄町にて、織物業者と警察・検察幹部との癒着を指摘する記事を書いた朝日新聞記者が暴力団とつながりのある町議から暴行・脅迫を受けるという事件が発生。これを発端として、朝日新聞紙面と地域住民が一体となった暴力団追放キャンペーンが起こった。→詳細は「本庄事件」を参照
- 1954年、第三頁の総合解説面が評価され、第2回菊池寛賞を受賞した[117]。
- 1956年2月25日より、朝日新聞社と全国社会福祉協議会が主体となって、行方知れずの肉親を探し出す「親さがし運動」が始まった。このキャンペーン報道は、翌1957年に創設されたばかりの日本新聞協会賞の第1号受賞となった[118]。
- 1958年2月28日より、22日間にわたって連載「神風タクシー」を掲載した[119]。当時の社会問題となっていた無謀走行を繰り返すタクシー運転手を取り上げ、問題の本質は長時間労働と過酷なノルマ強要にあるとし、タクシー会社に待遇改善を訴えるキャンペーンを張った。これを受け、日本労働組合総評議会などは神風タクシー撲滅運動を展開した。その結果、神風タクシーは厳しく摘発されほとんど姿を消した[120]。この報道により、1958年度日本新聞協会賞を受賞した[118]。
- 1959年7月14日、熊本大学医学部の水俣奇病総合研究班が水俣病の原因は有機水銀中毒であることを突き止めたと報道した[121]。
- 1960年、紙面に「世界の鼓動」欄を創設した。これにより、1960年度日本新聞協会賞を受賞した[118]。
- 1962年、朝日新聞東京本社論説委員(当時)茂木政が特派員として世界各地をまわり、複数の海外記事を掲載した。この報道により、1962年度日本新聞協会賞を受賞した[118]。
- 1962年5月17日、西ドイツのサリドマイド薬害による胎児の先天性奇形(サリドマイド胎芽病)を報道した。これにより、大日本製薬はサリドマイドの製造販売の自主的停止を決定し[122]、同年9月18日には市場に出回った製品の回収を開始した。1963年6月28日、大日本製薬を被告として損害賠償請求が提訴され、1974年10月13日に全国サリドマイド訴訟統一原告団と国および大日本製薬との間で和解確認書が調印された。同年10月26日には東京地裁で和解が成立し、その後、同年11月12日までに、全国8地裁で順次和解が成立した[123]。
- 1964年、前年の1963年に朝日新聞で連載された本多勝一・藤本高嶺両記者のカナダ・エスキモーに関する記事について、「未開民族の内に身を挺して、苦楽の生活を共にし、画期的な報道をした功績」と評価され、第12回菊池寛賞を受賞した[117]。
- 1968年、ベトナム戦争を取材した本多勝一記者の記事および書籍「戦場の村」が評価され、日本ジャーナリスト会議[124]が贈る第11回JCJ賞の本賞を受賞した[125]。本多勝一はボーン国際記者賞を受賞し、書籍は毎日出版文化賞を受賞した[126]
- 1968年1月、「エンタープライズ日本海入口に」と題し、長崎県佐世保基地に直航するため日本近海を航行していたアメリカ海軍の航空母艦エンタープライズの報道写真を掲載。この報道により、1968年度日本新聞協会賞を受賞した[118]。
- 1969年、読者投稿欄「声」が評価され、第12回JCJ賞の奨励賞を受賞した[125]。
- 1971年、朝日新聞のほか東京新聞、東京タイムズ、神奈川新聞、共同通信社、NHKの記者13名による川崎公害報道研究会の報道・活動が「公害報道と住民運動との結合」として評価され、第14回JCJ賞の本賞を受賞した[125]。
- 1974年、連載「企業都市」が評価され、第17回JCJ賞の本賞を受賞した[125]。
- 1976年2月5日、アメリカ合衆国航空機製造大手のロッキード社による不正旅客機受注問題に関するロイターの第一報を、日本の新聞としていち早く転載した[注 34][127]。この事件は日本政財界にも波及し、元首相の田中角栄や全日本空輸[注 35]幹部、丸紅幹部をはじめとする複数人の大物政財界人の逮捕に繋がった。同年8月には朝日新聞アメリカ総局員がロッキード社前副会長のカール・コーチャンと単独会見を行い、会見記を連載した。この報道により、1977年度日本新聞協会賞を受賞した[118]。→詳細は「ロッキード事件」を参照
- 1978年6月、1976年8月6日に収賄罪容疑で逮捕され[注 36]、同年8月11日に福島県知事を辞任した木村守江に関する朝日新聞の報道記事[注 37]をまとめた『木村王国の崩壊―ドキュメント福島県政汚職』が発売された。一連の報道により、1978年度日本新聞協会賞[118]と第21回JCJ賞の本賞[125]を受賞した。
- 1979年10月2日、国際電信電話(KDD)[128]の社員2人が成田空港で、海外から高級ブランド品を不法に持ち込もうとして東京税関成田支所から摘発された。事件の第一報は日本経済新聞によって報じられたが、朝日新聞がその後、KDDの乱脈経理をスクープしたことにより、警視庁・検察庁が合同捜査を開始。同年10月25日には、KDD社長(当時)板野学が引責辞任し、翌1980年2月24日にはKDD前社長室長の佐藤陽一が業務上横領と関税法違反容疑で逮捕された[129]。また同年3月18日、郵政省電気通信監理官(当時)松井清武と同省郵務局国際業務課長(当時)日高英実の2人が収賄容疑で逮捕された[注 38]。さらに同年4月5日、警視庁は辞任したKDD前社長の板野を、業務上横領容疑で逮捕した[注 39]。→詳細は「KDD事件」を参照
- 1980年9月12日、埼玉県所沢市の富士見産婦人科病院で子宮癌を宣告された妊婦患者が他の病院でも診察を受けたところ、子宮には全く問題なかったことが判明したと報道した。同様の事例は数百件にのぼり、富士見産婦人科病院の乱診乱療が疑われた。また、当時の理事長が、超音波検査を用いた診療を無資格で行っていたことも明らかになった。また、事件が注目される中、富士見産婦人科病院側が斎藤邦吉厚生大臣(鈴木善幸内閣)に政治献金を行っていたことが発覚し、斎藤は引責辞任した。傷害罪に関しては証拠不十分で不起訴処分となったが、元理事長の無資格診療については、元理事長が医師法違反、理事長の妻の元院長が保助看法違反の容疑でそれぞれ起訴された。1988年1月29日、浦和地裁は元理事長と元院長に対し、執行猶予付きの有罪判決を言い渡した[注 40]。民事訴訟では、1981年に元患者の女性ら63人が「でたらめな診断で正常な子宮などを摘出された」として賠償を求める訴訟を起こした。1999年6月、東京地裁は元理事長、元院長ら7人に賠償を命じた。元理事長と元院長は控訴を断念し、もう1人の医師は1億5000万円の支払いで和解が成立したが、残る4人の医師が控訴した。2004年7月13日、最高裁は4人の医師の上告を棄却し、元理事長らと合わせて5億1400万円の支払いを命じた。翌2005年3月2日、厚生労働省の医道審議会は元院長の医師免許取消、元勤務医2名の医業停止2年、1名の医業停止6ケ月、1名の戒告を決定する行政処分を下した[130]。→詳細は「富士見産婦人科病院事件」を参照
- 1981年、歴史教科書問題を巡る報道が評価され、第24回JCJ賞の本賞を受賞した[125]。
- 1982年、公共事業を巡る茨城県の土木建築業の談合の実態を描くキャンペーン報道を展開。この報道により、1982年度日本新聞協会賞を受賞した[118]。
- 1982年8月29日、「47点の秘宝、大半はニセ」の見出しで、東京・日本橋の三越デパート本店で同年8月23日から30日にかけて開催された「古代ペルシア秘宝展」で展示された総額21億円にのぼる美術品の大半が偽物であることを報道した[131]。→詳細は「三越事件」を参照
- 1983年、風景写真を取り上げた連載「風景シリーズ」が評価され、第26回JCJ賞の本賞を受賞した[125]。
- 1983年、兵器生産の現場の取材記事が評価され、第26回JCJ賞の奨励賞を受賞した[125]。
- 1983年、東京医科歯科大学の教授選考過程において、金銭の授受などの汚職があったことを報道した[131][132]。この報道により、1984年度日本新聞協会賞を受賞した[118]。
- 1984年3月14日、栃木県宇都宮市の精神科病院「報徳会宇都宮病院」で、前年(1983年)に看護職員らの暴行によって患者2名が死亡したことをスクープした[133]。→詳細は「宇都宮病院事件」を参照
- 1986年、読者欄「語りあうページ」が評価され、第29回JCJ賞の本賞を受賞した[125]。
- 1986年8月23日、朝日新聞が入手したチェルノブイリ原子力発電所事故の報告書[134]をもとに、放射能汚染が当初想定されていた以上の範囲に及ぶことを報道し、その後も事故の現状を日本の新聞としていち早く伝えた。この報道により、1987年度日本新聞協会賞を受賞した[118]。
- 1987年、国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案を巡る報道が評価され、第30回JCJ賞の本賞を受賞した[125]。
- 1987年3月19日、東芝の子会社である東芝機械が対共産圏輸出統制委員会(ココム)の協定に違反し、工作機械をソ連に輸出したことで、同国の潜水艦関連技術が向上した恐れがあるとし、米国政府が日本政府に対して調査を要請したことを報道。外国為替及び外国貿易法違反事件として問題視され、日米間の国際問題に発展した。→詳細は「東芝機械ココム違反事件」を参照
- 1987年9月19日、「天皇陛下、腸のご病気」と報道し、実際に3日後、昭和天皇は入院して手術を受けた[注 41]。この報道により、1988年度日本新聞協会賞を受賞した[118]。
- 1988年6月18日、リクルート関連会社の株式譲渡にからむ川崎市助役への利益供与疑惑を調査報道した。その後、リクルートが自社関連会社の未公開株を中曽根康弘、竹下登、宮澤喜一、安倍晋太郎、渡辺美智雄などの大物政治家に対して店頭公開前に譲渡していたことが発覚。問題は政財官界に広がり、最終的に90人を超える政治家が関わる大事件となった。この報道により、第31回JCJ賞の本賞を受賞し[125]、翌年には米国調査報道協会特別表彰を受けた。しかし1996年11月、ジャーナリストの岩瀬達哉が『Views』1997年1月号で、リクルート事件発覚前の1987年4月に朝日新聞編集委員の疋田桂一郎(元天声人語執筆者)と本多勝一、元社会部長らが、当時リクルートコスモスが運営していた安比高原スキー場でスキー旅行の接待を受け(リクルートの江副浩正会長も参加)、中江利忠専務取締役(当時)もリクルートの経営する会員制クラブで江副会長の接待を受けていたことを明らかにした。→詳細は「リクルート事件」を参照
- 1991年より、日本全国から集めた女性の手記をもとに、連載「女たちの太平洋戦争」を掲載した。この報道が評価され、第35回JCJ賞の本賞を受賞した[125]。
- 1991年1月1日、「西武百貨店→関西新聞→イトマン 転売で二十五億円高騰」「絵画取引十二点の実態判明、差額はどこへ流れた?」との大見出しで、大阪の商社イトマンが関わる不正価格の絵画取引疑惑をスクープした。これにより、在日韓国人の許永中による絵画やゴルフ場開発などの不正経理が明るみに出た。同年7月23日、商法の特別背任、並びに法人税法違反の罪で許永中は逮捕され、2001年に地裁で懲役7年6か月、罰金5億円の実刑判決を言い渡された(2005年10月、最高裁で上告が棄却され、実刑判決が確定)。→詳細は「イトマン事件」を参照
- 1992年、紙面に「メディア」欄を創設した。これにより、1992年度日本新聞協会賞を受賞した[118]。
- 1992年8月22日、自民党副総裁の金丸信に対して東京佐川急便から5億円の違法献金が行われていたことをスクープした。これによって金丸は失脚し、1993年3月6日に東京地検による聴取を受け、同日脱税の容疑で逮捕された。この報道により、1993年度日本新聞協会賞[118]と第36回JCJ賞の選考委員会特別賞[125]を受賞した。→詳細は「東京佐川急便事件」を参照
- 1993年2月3日、前年9月30日と10月1日に放送されたNHKスペシャル「奥ヒマラヤ 禁断の王国・ムスタン」にて、撮影スタッフに高山病にかかった演技をさせるなど、複数の箇所で「やらせ」が行われていたと報道した[注 42]。NHKは調査委員会を設置し、後日、訂正・お詫びの特別番組を放送した。また、「やらせ」を指示したチーフディレクターなど、番組制作担当者7人を処分した[135]。
- 1994年、連載記事「この国の足音」を掲載した。これが評価され、第2回坂田記念ジャーナリズム賞の第2部門(国際交流・貢献報道)を受賞した。
- 1994年6月より、核兵器を巡る検証連載記事「核兵器廃絶への道」を掲載した。これが評価され、第38回JCJ賞の本賞[125]と第3回坂田記念ジャーナリズム賞の第2部門(国際交流・貢献報道)を受賞した。
- 1995年3月から同年10月にかけて、中心的なサンプルとして静岡市の住民調査結果を用いて、同一人物の支持政党の移り変わりを定点観測調査した。この報道により、1995年度日本新聞協会賞を受賞した[118]。
- 1996年11月から1998年9月にかけて、「核兵器廃絶への道」の続編である「続・核兵器廃絶への道」を掲載した。これが評価され、第6回坂田記念ジャーナリズム賞の第2部門(国際交流・貢献報道)を受賞した。
- 1997年、大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件や住専問題、さらに高級官僚の不祥事により世論の批判にさらされていた大蔵省を取り上げた記事および書籍「大蔵支配 歪んだ権力」が評価され、第40回JCJ賞の奨励賞を受賞した[125]。
- 1997年から1999年にかけて、神戸連続児童殺傷事件をきっかけとし、中学生の心の動きをルポする連載「素顔の中学生 保健室から」を掲載。この報道により、1998年度日本新聞協会賞を受賞した[118]。
- 1998年8月25日、同年7月25日に和歌山県和歌山市園部地区で発生した毒物カレー事件に関連し、事件前にも同地区の住民がヒ素中毒で入院していたことを報道した[136]。入院した住民が出入りしていた家の夫婦は保険金詐欺が疑われ、その後、毒物カレー事件の容疑者として逮捕された。この報道により、1999年度日本新聞協会賞を受賞した[118]。→詳細は「和歌山毒物カレー事件」を参照
- 2000年5月29日、アメリカ国立公文書記録管理局で秘密指定が解かれた公文書類の中に、1972年の沖縄返還に至る日米交渉で、返還協定で定められていた米国側の負担費(約1億8700万ドル)を日本側が負担するという密約を記録した公文書が存在することを報道した[137][注 43]。それに関連し、2009年7月11日には、2001年4月の情報公開法施行に先立って2000年に中央省庁各所で行われた書類処分により、密約関係の書類も廃棄されていた疑いがあることをスクープした[138]。さらに2010年12月23日には、密約関係の機密扱い訓電3通が焼却処分されていた事も判明した[139]。→詳細は「西山事件 § 米国の公文書公開以降」を参照
- 2001年11月から2002年2月にかけて、アメリカ同時多発テロ事件の実行犯の中心人物であるモハメド・アタを取り上げた連載「テロリストの軌跡 アタを追う」が掲載された。この報道により、2002年度日本新聞協会賞を受賞した[118]。
- 2003年3月11日、名古屋刑務所の刑務官による受刑者への傷害致死傷事件をスクープした。この報道により、第46回JCJ賞の本賞を受賞した[140]。→詳細は「名古屋刑務所事件」を参照
- 2004年7月23日、大阪市の第三セクター大阪港埠頭ターミナルが野菜の産地を偽装していたことをスクープした。大阪府警同月30日、同社および下請け会社のオー・エス・サービスなど5ヶ所を不正競争防止法違反(偽装表示)容疑で家宅捜索した。米国産ブロッコリーの箱に中国産を混ぜたほか、トンガ産カボチャをメキシコ産と偽っていたことも明らかになり、パプリカやミカン、ゴボウでも産地偽装の疑いが出た[141]。この報道により、第12回坂田記念ジャーナリズム賞の第1部門(スクープ・企画報道)を受賞した。
- 2004年11月14日、清子内親王(当時。現在は結婚改姓で黒田清子)[注 44]と東京都職員黒田慶樹の婚約内定をスクープした[142]。この報道により、2005年度日本新聞協会賞を受賞した[118]。
- 2005年1月20日、降幡賢一による「9年間のオウム法廷取材とその報道」により、第9回新聞労連ジャーナリスト大賞の優秀賞を受賞した[143]。
- 2005年4月25日より、同日に発生したJR福知山線脱線事故の発生から運転再開までの一連の動きを詳細に写真報道した。この報道により、2005年度日本新聞協会賞を受賞した[118]。
- 2006年7月17日から2009年3月27日にかけて、戦前・戦中の写真を取り上げた毎月1回の連載「写真が語る戦争」を掲載した。これが評価され、第17回坂田記念ジャーナリズム賞の第2部門(国際交流・貢献報道)を受賞した。
- 2006年3月、日本スケート連盟の不正経理をスクープ。同年6月30日の任期切れに際し、藤森光三会長代行以下、理事8人が引責辞任する事態となった[144][145]。→詳細は「日本スケート連盟 § 2006年不正経理事件」を参照
- 2006年7月31日、キヤノンの宇都宮工場や子会社の大分キヤノンなどで、偽装請負が行われている実態を報道。同年秋には都道府県労働局がキヤノンに対して指導を行い、その後も続報が続くなど騒動は広がりを見せた。2007年2月には、キヤノンユニオン宇都宮支部長が衆議院予算委員会の公聴会に招かれ、偽装請負について意見を述べた。一連の報道より、第11回新聞労連ジャーナリスト大賞の優秀賞と2007年度石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(公共奉仕部門)を受賞した。この追及記事を受け、キヤノンは報復として1年以上にわたって広告を引き揚げた[146]。→詳細は「偽装請負 § キヤノン」を参照
- 2007年、児童虐待をテーマにした連載「ルポ虐待」を掲載した。これが評価され、第15回坂田記念ジャーナリズム賞の奨励賞を受賞した。
- 2007年3月より、2003年4月13日投開票の鹿児島県議会議員選挙の際に中山信一の陣営が選挙区住民に対して買収工作を行ったとされる事件が鹿児島県警察によるでっちあげであったことを継続的に報道した。この報道により、2007年度石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(草の根民主主義部門)を受賞。公共奉仕部門とのダブル受賞は史上初[147]。また、第13回新聞労連ジャーナリスト大賞も受賞した[148]。→詳細は「志布志事件」を参照
- 2007年4月より、夕刊において、日中戦争・太平洋戦争における自社を含めたマスメディアの戦争責任を問い直す連載「新聞と戦争」を一年にわたって掲載。これが評価され、第51回JCJ賞の大賞を受賞し[140]、第12回新聞労連ジャーナリスト大賞[148]と2008年度石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(公共奉仕部門)も受賞した。
- 2007年6月20日、北海道加ト吉が製造した「COOP牛肉コロッケ」から豚肉が検出されたと報道[149][150]。コロッケの原料はミートホープ社から購入されたものであり、日本生協連の立ち入り検査によって食品原料の偽装が確認された。→詳細は「ミートホープ事件」を参照
- 2008年10月6日、複数の企業が「低料第三種郵便物」割引制度(郵便の障害者割引)を不正利用し、東京の自称・障害者団体「白山会」などの名義でダイレクトメールの大量発送を行っていたことを報道[151]。問題発覚により、広告会社「新生企業」や自称・障害者団体「凛の会」、郵便事業、厚生労働省、博報堂[152]、ベスト電器など、複数の企業・団体の関係者が逮捕・起訴された[153][154]。→詳細は「障害者郵便制度悪用事件」を参照
- 2009年6月16日、鳩山由紀夫首相の資金管理団体「友愛政経懇話会」の政治資金収支報告書にて、既に死去している人物からの献金記録が記載されている事実が朝日新聞の調査報道により発覚した。これをきっかけとし、事務所費の虚偽記載問題や実母からの資金提供をめぐる疑惑などが浮上した。→詳細は「鳩山由紀夫 § 個人献金虚偽記載問題」を参照
- 2010年9月12日、普天間基地移設問題について「沖縄 怒り 疲れ 虚脱 ヤマトよ偽善だ」と題して1面から総合面に続く長文記事を掲載。市民団体「メディア・アンビシャス」が贈る2010年度活字部門・アンビシャス賞を受賞[155]。
- 2010年9月21日、障害者郵便制度悪用事件において、証拠のフロッピーディスクに収録されていたファイルのタイムスタンプ(最終更新日時)が、被告にとって不利になるよう検察官によって改竄されていた事実を調査報道し、特別捜査部の実態が白日の下に曝されるきっかけを作った。この報道により、2010年度日本新聞協会賞を追加受賞し[118]、第54回JCJ賞の大賞[156]や第15回新聞労連ジャーナリスト大賞[148][157]、第18回坂田記念ジャーナリズム賞も受賞した[158]。→詳細は「大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件」を参照
- 2011年3月11日、菅直人首相の資金管理団体「草志会」が、2006年と2009に在日韓国人系金融機関の元理事(韓国籍)から、計104万円の献金を受けていた事実を調査報道した[159]。これは外国人からの献金を禁じた政治資金規制法違反にあたり、同様の問題で同年3月6日には、民主党の前原誠司が外務大臣を辞任していた。同年4月26日、菅首相は東日本大震災直後の3月14日に、献金を行った在日韓国人へ返金していたことを認めた[160]。→詳細は「菅直人 § 在日韓国人違法献金問題」を参照
- 2011年5月4日、米国政府が在沖縄米軍海兵隊のグアム移転費用を水増しして日本側の負担を見かけ上減らし、日本政府もそれを了承していた事実を、ウィキリークスから提供された公電を分析して報道した[161][162]。「ウィキリークスにかかわる一連の報道」として、2011年度活字部門・アンビシャス賞を受賞[163]。
- 2011年10月3日より、福島第一原子力発電所事故のルポ「プロメテウスの罠」を連載開始。2011年度活字部門・メディア賞[163]と2012年度日本新聞協会賞[164]、2012年度石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(公共奉仕部門)[165]を受賞した。
- 2011年10月から2012年12月まで、朝日新聞を含む日本のメディアが原子力発電をどのように扱い、報道してきたかを検証するシリーズ企画「原発とメディア」を連載。第17回新聞労連ジャーナリズム大賞を受賞した[166]。
- 2012年6月28日より、福島第一原子力発電所事故の原因究明問題に関連し、東京電力のテレビ会議記録の公開キャンペーン報道を展開。2013年度石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(公共奉仕部門)の奨励賞を受賞した[167]。
- 2013年1月4日、福島第一原子力発電所事故とそれに伴い放出された放射性物質の除染作業の過程で、低レベル放射性廃棄物として回収・封じ込めされなければならない土や落ち葉、枯れ枝、汚水などが、放置されたりすぐ脇の小川に流されるという手抜きが、下請け業者によって行われている実態を指摘[168]。放射性物質汚染対処特措法違反であり、環境省が現地調査を開始する事態に発展した[169]。この報道により、2013年度日本新聞協会賞を受賞した[170]。しかし、その後、本報道が朝日新聞の記者によって設定されたやらせではないかとの報道がなされたため、同社は報道した新潮社に抗議をした[171]。
- 2013年10月30日、日展において、入選者の総数を有力会派で予め分け合い、公募作の当選数を減らす談合・不正が行なわれていた事をスクープ[172][173]。この影響により2013年の日展では、内閣総理大臣賞や文部科学大臣賞などの選考を、すべての部門で初めて自粛した。また、日展側からの後援辞退の申し入れにより文化庁は後援を中止した[174]。
- 2013年11月17日、従来から存在が囁かれていた、郵便局におけるお年玉付郵便はがきの売り上げノルマ強要(数千枚から1万枚)が実在することをスクープ。ノルマを達成出来なかった職員達は、売れ残った分を自腹で買い取り[175]、離れた地域の金券ショップに持ち込んで換金しているという[176]。
- 2014年7月28日、中部電力の政界担当元役員からの直接聞き取りにより、同社が1972年から18年間、歴代の内閣総理大臣(田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登。中曽根以外全員が故人)に対し年2回、一回当たり1千万円を政治献金し続けていた事実、原資は全額が消費者から徴収した電気料金だったことをスクープ[177]。
捏造が認められた報道
- 1918年7月23日から始まった米騒動の際に大阪朝日新聞は、鈴木商店は米の買い占めを行っている悪徳業者であるとの捏造記事を掲載し攻撃した。この結果、鈴木商店は米価の高騰に苦しむ民衆の反感を買い、同年8月12日に焼き打ちされた[44][178]。
- 1950年9月27日、潜行中の日本共産党幹部伊藤律との単独会見記事を掲載。後にこれが担当記者により捏造されたものであることが判明する。→詳細は「伊藤律会見報道事件」を参照
- 1989年4月20日付の夕刊において、沖縄の自然環境保全地域指定海域にある世界最大のアザミサンゴ[179]に傷が付けられていることを取り上げ、その象徴として「K・Y」というイニシャルが刻まれた珊瑚の写真と共に、日本人のモラル低下を嘆く記事を掲載する。しかし、疑問を抱いた地元ダイバーらの調査の結果、カメラマン自身によって無傷の状態であった珊瑚にイニシャルが刻まれたという事実が発覚し、記事捏造事件に発展[180][181]。社長(当時)一柳東一郎が引責辞任に追い込まれる事態となった。→詳細は「朝日新聞珊瑚記事捏造事件」を参照
- 2005年8月21日の朝刊にて、亀井静香と田中康夫が長野県内で会談を行ったという記事が掲載された。この記事は取材を伴わない虚偽のメモをもとに作成されたもので、実際は東京都内で会談が行われていた。この事件などをきっかけとして朝日新聞の取材体制の改革が行われた。→詳細は「朝日新聞の新党日本に関する捏造事件」を参照
- 2012年6月8日付東京版経済面において、コンピュータゲームの主要プラットフォーム各社の責任者へのインタビュー記事を掲載したが、そのうち任天堂の岩田聡社長からはインタビューを断られたため、無断で任天堂のWebサイトにあった動画の内容をまとめたものを岩田社長のインタビューとして掲載した。掲載後、任天堂から抗議を受け水面下では謝罪したが、2014年9月に他メディアによって暴露された。これを受けて、紙面でもようやく捏造だったことを認め、読者にも謝罪する訂正記事を載せた[182][183]。
誤報や問題視された報道
- 1923年9月3日、大阪朝日新聞が関東大震災時の号外に「朝鮮人の暴徒が起こって横浜、神奈川を経て八王子に向かって盛んに火を放ちつつあるのを見た」という記事を掲載した[184]。
- 1923年9月4日、大阪朝日新聞が関東大震災時に「不逞鮮人の一派は随所に蜂起せんとするの模樣あり、中には爆彈を持って市内を密行し、又石油鑵を持ち運び混雜に紛れて大建築物に放火せんとするの模樣あり」と報道。なお、震災当時は東京の報道機能がマヒしていたため、他の新聞でもこのようなデマが取り上げられた例がある[注 45]。石井光次郎の著作『回想八十八年』によると、これらのデマの情報源は、当時の警視庁官房主事・正力松太郎だとされている。→「関東大震災 § 朝鮮人暴動および流言による騒動」も参照
- 1975年4月19日の夕刊2面において、4月17日のクメール・ルージュ(ポル・ポト政権)のプノンペン制圧に関し、「武力解放のわりには、流血の跡がほとんど見られなかった」と述べ、「敵を遇するうえで、きわめてアジア的な優しさにあふれているようにみえる」という文章を掲載した事を問題視する向きがある。実際にはポル・ポト派はプノンペン入城後、民衆へ農村への強制移住命令を出し、逆らう物は容赦なく殺戮していたことが、ヘン・サムリンによってポル・ポト政権が事実上崩壊した後に明らかとなる[185]が、この報道時点において「敵」であるロン・ノル派に対してポル・ポト派が殺戮行為を行わなかったのは紙面の表現通り事実である。指摘は、「スターリンは、反対者をおさえるに血の粛清をもってした。中国では、こんどはもちろん、以前にもそれがほとんどなかった[注 46]」という瓜二つの記事に共通する、粛清ソ連に代えてなおもアジアの共産主義を「応援[注 47]」しようとする報道姿勢が物事を見えにくくしたのではないか[注 48]、という処にある。なお、以下の点もまた事実である。署名入りでこの記事を書いた当の記者は、陥落時にプノンペンには居らず[186]、直にポルポト派に接した日本人記者も、陥落前兵士に取材した読売記者以外いなかった[187]。
- 1984年8月4日、西部本社版夕刊で、「日記と写真もあった 南京大虐殺 悲惨さ写した三枚 宮崎の元兵士 後悔の念をつづる」という見出しで、都城歩兵第23連隊の元上等兵が虐殺に直接携わり、苦しむ心情をつづった日記と、惨殺された中国人と見られる男性や女性の生首が転がっているシーンなどの写真3枚が見つかったと報じた。これに対して都城23連隊会[注 49]は、同連隊は南京虐殺とは無関係だと主張し、朝日新聞社宮崎支局長中村大別に対して抗議したが、朝日側は訂正・謝罪を拒否した。しかし1985年12月28日、世界日報が生首を写した写真は偽物であることを報じ、さらに同紙は1986年1月13日に、朝日新聞が報じた写真と同じ写真の持ち主が現れ、偽写真であることが確定したと報じた。これを受けて朝日新聞は同年1月21日、「写真三枚については南京事件当時のものではないことがわかりました。記事のうち、写真に関する記述は、おわびして取り消します」としたが、「日記は現存します」とした。同月25日、都城23連隊会側と朝日新聞西部本社側の話し合いが持たれたが、朝日側は「写真についてのお詫びで終止符を打っていただきたい」とし、日記の公表は「守秘義務」として拒否した。
- 1984年10月31日、朝刊1面において、「旧日本軍による毒ガス戦の決定的な証拠写真発見」の見出しと共に、煙が濛々と立ち上る白黒写真を掲載した。一橋大学教授(当時)藤原彰が「日中戦争での化学戦の実証的研究を進めている元陸軍士官の歴史学者」として紹介され、当該写真は旧日本軍による中国での毒ガス戦を写したものだと断定した。しかし、程なくして産経新聞から煙幕ではないかと疑問を呈され[188]、同月11月13日には毎日新聞社発行の『決定版昭和史』第9巻から同じ写真が確認され、毒ガス戦を写した写真ではない事が確定した。翌11月14日、朝日新聞は「日本軍の『化学戦』の写真、かん湘作戦とわかる」との見出しを付け、毒ガス作戦を報じた写真が間違いであったことは認めたが、謝罪はしなかった。
- 1991年から翌年にかけて「従軍慰安婦」問題の連載キャンペーンを展開。吉田清治著の『私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録』にある「昭和18年(1943年)に軍の命令で韓国の済州島で女性を強制連行して慰安婦にした」という体験談を、4回(この4回を含め、吉田に関しては計16回)にわたり報道し、朝日は「(朝鮮)総督府の五十人、あるいは百人の警官といっしょになって村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振るって女性を殴り、けり、トラックに詰め込む」「吉田さんらが連行した女性は、少なくみても九百五十人はいた」(1992年1月23日1面コラム「窓 論説委員室から」)などと報道した。この吉田の「体験談」は秦郁彦・拓殖大学教授(当時)の調査により嘘であることが判明し[189]、吉田清治本人も一部がフィクションであることを認め[190]、朝日新聞も「確認できない」という事実上の訂正記事を出した[191]。また、1991年8月11日付の朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「日中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊として戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が名乗り出た」と報じた(記者は植村隆)。この朝鮮人慰安婦の「女子挺身隊として戦場に連行され」たという話にも、「当時、女子挺身隊という制度自体が無いばかりか彼女は親により公娼として売られたことを語っており、全くの捏造である」との反対意見が出された[192]。日本維新の会の中山成彬(当時文科相)は2013年3月8日の衆議院予算委員会において、朝日新聞が慰安婦資料を歪曲したとして、当時の資料を引用して朝日新聞の慰安婦報道を批判している[193]。読売新聞は朝日新聞が「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた」と報じたことが従軍慰安婦問題の発端であり、日韓間の外交問題に発展したもので、朝日新聞は「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」などと、戦時勤労動員制度の「女子挺身隊」を「慰安婦狩り」と誤って報じた部分があったとしている[194]。→詳細は「植村隆」および「慰安婦 § 慰安婦問題」を参照
- 2014年8月5日になって、朝日新聞は独自検証の結果、吉田証言の証拠が見つからず、虚偽と認定し記事を撤回した。しかし謝罪は一切無く、しない方針も社長の木村伊量により明らかにされたが[195][196][197][198][199]、2014年5月の東京電力の「吉田調書」に関する誤報(「吉田調書」の誤報については後述)について同年9月、謝罪会見をし、その中で「吉田証言」に関する誤報についても木村社長は謝罪をした。
- 2014年8月に朝日新聞が自社のこれまでの慰安婦報道を検証し、誤報は認めたが謝罪がなかったことについて、池上彰が連載していた同紙のコラム「新聞斜め読み」にて「朝日新聞は謝罪するべきだ」とする批判記事を掲載しようとしたところ、朝日から池上に「掲載できない」とする連絡があり、池上はこの連載の中止を申し出た[200]。この朝日の対応は広く知られることになり、「言論の封殺ではないか」といった批判が社外だけでなく、同社の記者からもtwitterを通じて発生し、結果的に朝日は、池上に対し「掲載したい」と連絡をつけた。池上は自身のコメントを「おことわり」として加えることで掲載に承諾。2014年9月4日朝刊に、池上の執筆した記事を全文掲載し、同時に朝日新聞はこの件について同日の紙面で謝罪、また後日おこなわれた「吉田調書誤報謝罪会見」で再度謝罪をおこなった[201]。
- 2015年1月26日、『朝日新聞』の慰安婦問題に対する報道により、日本国民の人格や名誉が傷つけられたとして渡部昇一上智大学名誉教授ら8,749人が東京地裁に対し損害賠償と謝罪広告の掲載を求める訴訟が提起された[202]。
- 2002年6月5日、中田英寿選手が2002 FIFAワールドカップをもってサッカー日本代表を引退する決意を固めたと報道した。その後、中田選手が否定して抗議したにもかかわらず謝罪しなかった。しかし、4ヵ月後に中田選手は再び日本代表となり、朝日新聞は「記事内容と異なる結果になったことをおわびします」と謝罪した[203]。
- 2005年1月12日、自民党の安倍晋三・中川昭一両議員から2001年1月30日放送のNHK番組の編集について、NHK上層部に圧力があったのではないかとする報道を行った。同年7月、朝日新聞は上記報道の検証記事を掲載した。同年8月には社内関係者が番組改変の証拠とされる録音テープを魚住昭にリークし、講談社の月刊誌『現代』にその内容を記した記事が掲載された。同年9月30日、朝日新聞社がNHK番組改変疑惑の信憑性の検証を委託した第三者機関『NHK報道』委員会は「(記者が疑惑を)真実と信じた相当の理由はあるにせよ、取材が十分であったとは言えない」(委員会の見解より引用)という見解を出す。これを受けて朝日新聞社は取材の不十分さを認めたが、記事の訂正・謝罪は無かった。委員会の見解でも、朝日新聞は検証が十分ではないと指摘されている。問題の記事を執筆した記者は激しい批判を受け、2006年に異動になった。→詳細は「NHK番組改変問題」を参照
- 2007年1月6日の夕刊にて、「スポーツ総合誌 苦境」という記事が掲載された。この記事はスポーツ総合誌を「冬の時代に入った」と評する内容であったが、『Number』(文藝春秋社)に関して事実と反する部分が存在した[204]。
- 2007年2月1日、同年1月30日の夕刊で掲載された富山県のかんもち作りに関する記事で、朝日新聞東京本社編集局の駐在員が、読売新聞のインターネット版に1月27日に掲載された「寒風で育つかんもち」という記事を盗用していたことが判明[205]。問題の駐在員は「読売新聞のホームページの記事を参考にしながら自分の原稿を書き直した」と述べ、朝日新聞東京本社は2月1日午後に読売新聞に謝罪した。その後、他の2件の記事も同じく読売新聞のホームページ記事から引用されていることが判明し、記事を書いた記者は解雇された[206]。
- 2008年12月6日の朝刊にて、ジョギング中の男性を殴って怪我をさせたとして大阪府警に殺人未遂容疑で逮捕された男性(傷害罪で起訴されたが、一・二審で無罪判決)について、「現場の防犯カメラに男性と似た男が映っていた」と記載したが、男性は「記事の内容に誤りがある」などとして、朝日新聞社と大阪府を相手取り大阪地方裁判所に訴訟を起こした。2012年4月11日に同地裁は、男性の訴えのうち朝日新聞社に対する訴えを一部認め、朝日新聞社に22万円の支払いを命じた[207]。
- 2009年4月25日、朝日新聞は同年1月11日号に掲載した奈良県川上村の元森林組合長が「選挙区は民主、比例は共産」と、共産党への「選挙協力」を主導しているという記事について、事実でない部分があったとして紙面で「おわび」を掲載した。元森林組合長からの申し立てにより、朝日新聞社の「報道と人権委員会」が調査を行った結果、「記述の一部は事実として認めることができなかった」とする見解を出した[208][209][210]。
- 2010年10月15日、東京大学医科学研究所が開発した「がんペプチドワクチン」の臨床試験において被験者に起きた消化管出血を他の病院に知らせていなかったとして、これを問題視する報道を行った[211]。翌16日には「研究者の良心が問われる」と題した社説を掲載した[212]。一連の報道に対し、東京大学医科学研究所や、風評被害を受けたオンコセラピー・サイエンスは、「医学的誤り・事実誤認はおろか、ねつ造と判断せざるを得ない重大な問題が多数含まれている」として反論を行っている。同月20日には、がん患者団体有志一同が声明を発表し[213]、同月22日には日本癌学会と日本がん免疫学会が朝日新聞に対して抗議声明を発表した[214]。これに対して同月24日付の記事で、朝日新聞社広報部は「記事は確かな取材に基づくもの」と主張した[215]。
- 2010年10月22日、同年10月19日付の文化面において、大阪本社記者が共同通信の配信記事を盗作したことが発覚。盗用元の配信記事「マニ教の宇宙図が国内で発見された」は朝日新聞にも配信されており、酷似が容易に発見できるような内容であった[216]。
- 2012年4月9日、夕刊の社会面トップで四国電力の橘湾火力発電所が「電気事業法に定められた自主点検を約1年間、怠っている」と指摘し、「配管内部の劣化や損傷を、少なくとも年2回チェックすることになっている」などと報じた。しかし、電気事業法は、年2回チェックするように義務付けてはおらず[217]、橘湾火力発電所は法令通りの頻度でチェックを行なっていることが分かった[218]。
- 2014年6月16日朝刊一面「『米艦で邦人救出』米拒む」との見出しで、周辺事態法では避難する日本人を米軍が運ぶ項目がアメリカの強い要望で削除されたとしたが、防衛省はこの報道を否定した[219]。防衛省の抗議を受け、朝日側は「日本人救出を断っていた」を「他国民の救出を確約しない」にトーンダウンさせ、「日本人の米艦乗船は極めて困難だ」との指摘も消した[220]。実際には、日米両国は日米防衛協力のガイドライン(日米両国が避難民の退避で協力する規定)に基づいて毎年、共同訓練で国外に住む日本人を対象にした輸送訓練を実施しており[219]、1998年には紛争中のエリトリアから3人、2011年にはリビアから4人の日本人がアメリカの用意した艦船で運ばれた例もあった[221]。
- 2014年1月10日、国が主導するアルツハイマー病研究J-ADNIに対して一面を使って報じた[222]ことを皮切りに、研究そのものに対する批判を展開した。報道が重なるにつれ、特報部による一連の「スクープ」は研究の心理データの責任者杉下守弘の「内部告発」がきっかけである事が明らかにされた。その結果J-ADNIは研究半ばで予算執行が凍結され、事実上の中止に追い込まれた。その後、東京大学独自調査[223]、第三者委員会[224]による調査の結果「改ざん」ではなく、不適切な判断の結果混乱が重なったことが発表された。さらに、「告発者」として登場した杉下の責任について追及する文言も盛り込まれた結果、一連の報道は研究内部の意見の対立を利用した可能性が高まった。2015年3月13日、政府はJ-ADNIに関連した維新の党の川田龍平参院議員からの質問に対し、「第三者調査委員会」の報告書を引用し、故意のデータ改ざんを否定する答弁書を閣議決定した[225]。
吉田調書
- 2014年5月20日の朝刊にて、福島第一原発事故の政府事故調の「吉田調書」を入手したと発表。「震災四日後には所長命令を無視し、福島第一所員は九割が逃げ出した」と報じ[226]、同日の夕刊のコラム(素粒子)でも「傾く船から逃げ出す」などという言葉を用いて2014年韓国フェリー転覆事故と同質の事象が起こっていたかのような記述を行った[227]。これについて門田隆将は『週刊ポスト』(2014年6月20日号)にて、「吉田調書」には「九割の所員が逃げ出した」という記述は一切存在せず、朝日の報道は誤報であるとして、「従軍慰安婦報道」と同じことが行われていると批判した[228]。朝日新聞社は、「記事は確かな取材に基づいており、『虚報』『誤報』との指摘は誤っている」として、訂正および謝罪記事の掲載を要求する文書を送付した[229]。8月17日には産経新聞が吉田調書を入手[230]。8月24日にはNHKも吉田調書を入手[231]。産経新聞は現場関係者が吉田所長の命令に背いて撤退したとの記載はないとした[230]。その後、朝日新聞への批判・疑義は、産経新聞に続いて読売・毎日新聞、共同通信社からも上がった[232]。東谷暁は、8月26日のおはよう寺ちゃん_活動中の中でそもそも「撤退」という言葉自体が当時の民主党政権の誰かが使いそれを朝日が流用しているだけで正式には「退避」という言葉しか出ていないと論じ、当時経産相であった海江田万里も「私は撤退ではなく退避という言葉を聞いた。」「撤退という言葉がどこから出てきたのかは今となってはつまびらかではない」とした[233]。同報道をもととし、海外メディアからは「パニックに陥った作業員が原発から逃走した」[234]、「韓国のセウォル号に匹敵する責任放棄だ」と報じられるなど影響は国外にも波及していた[235][236]。しかし、同年9月11日に至り朝日新聞は同報道について訂正する方針へと変わった[237]。背景として日本政府が吉田調書の公開を9月中に行う方針を発表しており、9月11日には同調書について何らかの発表を行うという情報があった[237]。朝日新聞は同年8月の慰安婦報道訂正などで社会的な信頼は失墜しており、報道機関としての見識が厳しく問われている[237]最中での出来事となり、同新聞社、木村伊量社長の辞任も取りざたされたという[237]。9月11日夜に朝日新聞社は記者会見を実施、木村伊量社長は、「社内の精査の結果、吉田調書を読み解く過程で評価を誤り、多くの東電社員らがその場から逃げ出したかのような印象を与え、間違った記事だと判断した」と謝罪、また「編集部門を含む抜本改革などに道筋を付けたうえで、自らの進退を決断する」と述べた[238][239]。朝日新聞は、誤報の原因として「1F(福島第1原発)の線量の低い所へ待機」と書かれているとされる柏崎刈羽原発所員の個人的なメモを根拠とし「当時の所員への直接取材を徹底しなかった」と釈明しているが、これに対し産経新聞は、最大の問題は事実を率直に受け止めず、都合の悪い情報は排除するという「思い込み」にあると論じている[240]。
- 2014年11月12日報道を検証する第三者機関がまとめた見解によると、担当記者が資料を抱え込み、編集幹部や当番編集長が「調書を見せてほしい」と頼んでも取材源の秘匿を理由に応じなかった。見せてもらえたのは、産経新聞が異なる内容を報じた8月18日以降だという。[241]
慰安婦「強制連行」報道
1982年9月2日に吉田清治をはじめて取り上げて以降、1991年の吉田清治の証言の再紹介、同年の植村隆の「女子挺身隊の名で戦場に連行され」たなどとする慰安婦を強制連行したとの記事を継続して掲載しつづけた。吉田清治の証言記事については本人が創作であったことを認めた後に至っても長らく訂正することなく、植村隆の記事についてもあきらかなミスなどが早くから指摘されていたもののこちも長らく同様であった。この間、慰安婦強制連行問題は国際社会へと拡散されていった。国際問題化する過程では、朝日報道を韓国メディアが引用して取り上げることで、韓国世論で日本への批判が高まり、今度は朝日がそれを再び報じるということが繰り返され、朝日と韓国のメディア、世論による一種の「共鳴」とも言える状況がみられた[242]。2014年8月に至り、ようやく、朝日新聞は訂正記事を出したものの謝罪はなく、社会問題化する中で、2014年9月、上述の吉田調書問題とともに朝日新聞は社長出席の記者会見を開き、一連の騒動を謝罪した。しかし、朝日新聞の慰安婦報道が国際社会に与えた影響については同紙の組織した「第三者委員会」も委員ごとの3つの見解、「韓国に影響を与えたことはなかったことを跡付け」、「欧米、韓国に影響を与えたかどうかは認知できない」、「韓国における慰安婦問題に対する過激な言説をいわば裏書きし、さらに過激化させた」を併記するにとどまり[243]、朝日新聞が公表している「第三者委員会の報告の対する朝日新聞社の見解と取り組み」でも責任の所在を明確にしていない[244]。
2015年1月26日、日本国内外の8749人は、朝日新聞が掲載した計13本の記事について「虚報」とした上で、「多くの海外メディアに紹介され、ねじ曲げられた歴史を国際社会に拡散させた」、「日本国と国民の国際的評価は著しく低下し、原告らを含む国民の人格や名誉が傷つけられた」とし、1人あたり1万円の慰謝料と謝罪広告の掲載を求める訴訟を東京地裁に起こした[245]。
また、同年、2月18日、慰安婦をめぐる朝日新聞の報道(吉田証言を基とする記事、および、女子挺身隊と慰安婦を混同した記事計52本)で「誤報を長年放置した結果、慰安婦像が建てられて嫌がらせを受けるなど精神的苦痛を負った」として、米カリフォルニア州グレンデール市近隣に住む日本人3人と国内の大学教授ら計約2千人が、同社に慰謝料と主要米紙などへの謝罪広告の掲載を求める訴訟を東京地裁に起こした。訴状では「慰安婦問題に関する誤った事実と見解が真実として世界に広まり、慰安婦像の設置などで定着した」と指摘し、「日本人の尊厳を傷つけて国際社会における客観的評価を下げた。世界に対し謝罪を発信することが必要だ」とした[246]。
同年、2月19日には、朝日新聞の慰安婦報道を外部から検証してきた「朝日新聞『慰安婦報道』に対する独立検証委員会」が報告書を発表し、1991年から1992年にかけての朝日新聞の慰安婦報道について「強制連行プロパガンダ(宣伝)」と断定し、このプロパガンダによって国際社会に誤った事実が拡散し、日本の名誉を傷つけていると結論づけた。また、朝日新聞の組織した「第三者委員会」の「影響は限定的であった」との検証結果については「朝日の責任を回避する議論に終始した」と指摘した[247][248][249]。
同年、2月23日、1月26日付けで集団訴訟を起こした原告側事務局の「朝日新聞を糺す国民会議」は、2月中にも2次訴訟に踏み切り、原告数が2万3000人に達する見込みだと発表[250]。3月に原告数は2万5700人となった[251]。
チュニジアテロ取材での謝罪
2015年3月19日、チュニジアの博物館襲撃テロで負傷し、首都チュニスのシャルル・ニコル病院に入院、手術を受けた直後の女性が、朝日新聞記者と応対にあたった在地の日本大使館員とのやりとりについて「『取材をさせてください。あなたに断る権利はない』と日本語で怒鳴っている声が聞こえ、ショックでした」と手記中であかした。記者はしばらくのやりとりの後、病棟から退出したという。朝日新聞の石合力・国際報道部長は「記者には大声を出したつもりはありませんでしたが、手記で記されていることを重く受け止め、女性におわびします」と謝罪した。手記で女性は大使館の職員から「朝日新聞の記者の方がインタビューをさせてほしいと言っているが、受ける必要はない。体調も良くないし、インタビューがどう使われるかわからないし、あなたには断る権利があります」と励まされ「涙が出るほどうれしかった」と述べている[252]。
批判
- 右派・保守派からは左翼偏向、自虐史観的だと批判されている[253][254][255][256]。特に産経新聞[257]、正論[258]、WiLL[259]、SAPIO[260]、週刊文春[261]、日本文化チャンネル桜[262]など、一部の保守論壇からは激しい論調で批判されている。現在「WiLL」の編集長を務める花田紀凱は、週刊文春編集長時代から数多くの朝日新聞批判を行っており[263]、花田の元部下だった勝谷誠彦も、朝日新聞の報道姿勢を「築地をどり」と揶揄している[注 50]。酒井信彦は慰安婦報道や珊瑚記事捏造事件などを問題視している[264]。森清勇は、「中国・韓国の宣伝紙」「日本や日本人を世界の笑いものにする報道に力を傾けている」と非難した[265]。
- 社会主義陣営に対する報道姿勢が批判されることが多い。広岡知男が社長だった頃は、親中華人民共和国・文化大革命礼賛路線を採り、朝日新聞社内の中ソ対立で、親ソ連派が勝利した後は、一転して親ソ連的な報道を行い、「朝日は日本のプラウダか?」と評されることもあった[注 51]。ソ連崩壊後は親中華人民共和国[注 52]路線に戻ったとされ、近年は保守派から「反日ファシズムの一翼を担うもの」[267]、「親中・媚中」と評されている[268][269]。また、中国共産党側も中国共産党中央委員会機関紙『人民日報』を通じて、安倍晋三首相への批判に絡み、朝日新聞に対して賛辞を送るなど好意的な論調を展開している[270]。
- 在日外国人が起こした事件に関する報道において、在日韓国・朝鮮人が被疑者になっている場合、通名のみ、あるいは曖昧な表現を用いて報じることが多く、在日韓国・朝鮮人の犯罪かどうか判別するのが困難である、として批判の対象となっている[注 53][271][272]。
- 2004年2月1日から4日間、「声」欄で陸上自衛隊の装備品に酷似した小銃とヘルメットを使った「異国の空の下」と題するイラストを採用したが、自衛隊関係者から「“兵士の墓標”を連想させる」と批判された。丁度、陸上自衛隊の自衛隊イラク派遣本隊が、現地サマーワに到着する時期であり、「読者や隊員、ご家族に不快感を与える恐れについて想像力に欠けていた」と謝罪し、同月5日からイラストを変更した[273]。
- 2005年3月27日付朝刊の若宮啓文のコラム「風向計 - 竹島と独島 これを「友情島」に…の夢想」にて、島根県の日本海沖にある竹島(韓国名:独島)を「いっそのこと、島を(大韓民国に)譲ってしまったら……」と記述したため[274]、保守・右翼団体や街宣車などが朝日新聞東京本社に詰め掛け、「国賊」「売国」「腹を切れ」などの非難を浴びせられた。後日「風向計 - 言論の覚悟 ナショナリズムの道具ではない」(2006年12月26日付朝刊)で若宮は、その時の抗議を振り返り「領土を譲るなどとは夢にも口にすべきでない」とは記述したが[275]、その後2013年1月30日に、韓国の東西大学校の碩座教授に着任している[276]。
- 2006年1月10日付夕刊のコラム「素粒子」で、東京ディズニーランドで同月9日に行われた浦安市の成人式について、「浦安の新成人。遊園地のネズミ踊りに甘ったれた顔して喜んでるようじゃ、この先思いやられる」と書いた[277]。浦安市はこのコラムを中傷であると抗議し、12日付で浦安市長及び浦安市教育委員会は抗議書を郵送した[注 54]。しかし、朝日新聞社広報部からの返事は、「決して浦安市の新成人を中傷することを意図したものではありません」というもので、謝罪はしなかった[278]。
- 2006年から2007年にかけて、当時の首相だった安倍晋三に対する朝日新聞の報道が「ネガティブ・キャンペーン」である、と批判された。2007年9月14日付東海新報では「朝日新聞の安倍政権に対するネガティブキャンペーンはすさまじかった」とし[279][注 55]、産経新聞の古森義久は「全国紙がここまで特定の政治家や政権に非難を浴びせ、その打倒を図るという政治的キャンペーンは、日本のジャーナリズムの歴史にも異様な一章として特記されるかもしれない」と批判した[280]。特に、第168回国会の所信表明演説直後に安倍首相が辞任した際、2007年9月24日に掲載したコラムで、"責任を放棄する"の意で「アベする」という言葉が流行しているとしたが、逆にインターネット上で「アサヒる」という言葉が朝日新聞による捏造・偏向報道の呼称として流行し、やがて朝日新聞への批判やパロディ化の一形態として使用されるようになった。この言葉は現代用語の基礎知識2008年版に採用された。
- 第45回衆議院議員総選挙前の麻生内閣に対する報道について、西村博之は、「政治家を批判する記事を書くとして、政策についての議論であれば、日本の未来の方向性についての予測が立てられたりするので、読む側としても価値を感じられます。けれど、ホテルのバーの値段がどうこうとか、漢字がどうこうとか、カップラーメンの値段がどうこうってどうでもいい」[281]と評し、加地伸行は「マスコミとりわけ朝日・毎日等新聞やテレビの自民党攻撃はすさまじかった。一方、なんでも民主党を褒めそやしていた。今でもそうだ。麻生前首相がホテルのバーを使って贅沢していると非難したが、鳩山由紀夫内閣総理大臣に対しては、その衣服や装身具がどのブランドものなどと紹介してはしゃいでいる。頭がおかしいんじゃないか」[282]と非難した。→詳細は「アサヒる問題」を参照
- 2008年6月18日付夕刊のコラム「素粒子」において、同月17日に死刑執行を指示した、法務大臣の鳩山邦夫に対し、「永世死刑執行人 鳩山法相。『自信と責任』に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」と表現した。これに対して、鳩山は強く抗議し[注 56]、また「法相は職務を全うしているだけ」「死に神とはふざけすぎ」など1800件あまりの抗議文が、朝日新聞に送られた。同紙に対して、特に強い批判を続けたのが「全国犯罪被害者の会」であり、同会の三度に渡る公開質問状により、朝日新聞はコラムの表現が不適切であったことを認めた[283]。
- 2008年10月3日、山口県光市で起こった光市母子殺害事件に対する、当時の大阪府知事・橋下徹による、タレント弁護士時代の『たかじんのそこまで言って委員会』でのテレビ発言について「橋下TV発言、弁護士資格を返上しては」との社説を掲載。これについて橋下は、同月19日に陸上自衛隊伊丹駐屯地で開かれた「中部方面隊創隊48周年記念行事」の祝辞の中で、「人の悪口ばっかり言ってるような朝日新聞のような大人が増えると日本はダメになります」と批判し[284]、翌20日には「朝日新聞は事実誤認があったら廃業するのか。(朝日新聞は)無くなったほうが、世の中のためになる。全く愚かな言論機関。すぐさま廃業した方がいい。権力の悪口を言っていればいいと思っているのではないか」と批判した[285]。10月19日、橋下知事は先の発言の真意について、「命がけで頑張っている自衛隊に敬意を表さないといけない場で、その対極にいる愚かな朝日を批判するのが最適だと思った」と説明。テレビでの発言をもとに弁護士資格の返上を提案した社説については「朝日はからかい半分で、事実誤認もあり今すぐ廃業すべきだ」と述べた[285]。
- 2012年9月3日に出版された創誠天志塾塾長・小川榮太郎の著書『約束の日 安倍晋三試論』では、同著者が三宅久之(元毎日新聞記者・政治評論家)から聞いた話として、当時の朝日新聞論説主幹・若宮啓文と三宅の会話が描かれている。その中で、三宅が若宮に対し「朝日は安倍というといたずらに叩くけど、いいところはきちんと認めるような報道はできないものなのか」と質問したところ、若宮が「できません。社是だからです」と返答したという記述があったため、同記述を元に朝日新聞を批判する意見も現れた[286][287]。2014年2月6日、ジェイ・キャストが朝日新聞社の広報部に本件についての取材を行ったところ[288]、広報部側は「当社幹部が、政治評論家の三宅久之に対し、『安倍政権の打倒は社是である』と発言した事実は一切ありません」と述べ[288]、また、実際に定めている社是があるのかも質問したところ回答は得られなかった[288]。
- 2014年10月30日には、衆議院予算委員会で、安倍晋三内閣総理大臣による「撃ち方やめ」発言報道[注 57][289]に関する質問を受けて、首相の安倍晋三は「きょうの朝日新聞ですかね、『撃ち方やめ』と私が言ったとそういう報道がありました。これは捏造です。まあ、朝日新聞は安倍政権を倒すことを社是としていると、かつて主筆がしゃべったということでございますが。これはブリーフをした萩生田議員[注 58]に聞いていただければ明らかでありまして、私に確認すれば、すぐわかることです。私が言ったかどうか。親しい朝日新聞記者がいるんですから。一回も残念ながら問い合わせがないまま、私が言ってもいない発言が出ているので、大変驚いたところでございます。」と答弁にした。これに対して、翌10月31日付『朝日新聞』では、同社東京本社報道局の話として「記事は意図的に話をつくった捏造ではなく、取材にもとづいて書いたものです。また、朝日新聞社に「安倍政権を倒す」という社是はなく、主筆が話したこともありません。」とする記事を掲載した[290]。
- 2012年12月18日付の産経新聞は、アメリカCSISのマイケル・グリーンが、フィリピンのアルバート・デルロサリオ外相が中華人民共和国の軍拡への抑止として日本が消極平和主義憲法を捨てて「再軍備」を進めてほしいと言明した[291]事を指摘した上で、「日本がアジア全体への軍事的脅威になるという中国の主張は他のアジア諸国では誰も信じないでしょう。東南アジア諸国はむしろ日本の軍事力増強を望んでいます」と語り、また「米側ではいわゆる慰安婦問題を機に左派のエリートやニューヨーク・タイムズ、ロサンゼルス・タイムズが安倍氏を『危険な右翼』としてたたきました。安倍氏の政府間レベルでの戦略的な貢献を認識せずに、でした。その『安倍たたき』は日本側で同氏をとにかく憎む朝日新聞の手法を一部、輸入した形でした。今後はその繰り返しは避けたいです」と語り、朝日新聞の報道姿勢を批判した事を報じた[292]。
- 2013年1月22日の朝日新聞朝刊にて、アルジェリア人質事件における日本人被害者の親族である本白水智也との約束[293]に反して、実名を公表しないという約束で本白水が答えた取材の内容に被害者実名を加えた報道が行われ、さらに同記事において本白水のFacebookのページに掲載されていた写真が無断で掲載された事が、本白水本人のブログにおいて報告された[294]。そして、無許可で朝日新聞社が犠牲者の実名報道を行った事に対し、同社代表取締役社長の木村伊量宛に本白水智也から『朝日新聞の実名報道及び無許可報道に対する抗議文』と題した抗議文が提出された[295][296]。また、2013年1月20日に朝日新聞社横浜総局の松本龍三郎より本白水に対し『この映像の中に邦人と思われる遺体が3人映っているのでご確認お願いします』という電話があり[293][297]、それに続いてイナメナスの残酷な映像を見るようメールが送られて来た事もそのメールのスクリーンショットと共に報告されている[298]。
- 2014年6月13日、朝日川柳に「『安倍総理バンザイ』と散る自衛隊」が入選していており、週刊新潮2014年6月26日号に"「朝日新聞」川柳まで「『安倍総理バンザイ』と散る自衛隊」が見苦しい"なる批判記事が掲載された[299]。
吉田調書、慰安婦「強制連行」報道への批判
2014年8月に朝日新聞がながらく訂正してこなかった一連の慰安婦「強制連行」報道について訂正記事を掲載したことは新聞各社や言論界で大きく取り上げられ、国会議員からも国会審議によって追求する可能性が示された[300]。同時期に発覚した吉田調書の事実と異なる恣意的な報道もまた新聞各社、メディアからの批判が相次ぎ、朝日新聞はこれらの問題に対し同年9月11日に社長出席の記者会見にて吉田調書報道については訂正及び謝罪、慰安婦「強制連行」報道についてもはじめて謝罪するに至った[301]。
こうした中で、仁比聡平(日本共産党)・渡辺美奈(女たちの戦争と平和資料館〔WAM〕事務局長)・北原みのり(ラブピースクラブ主宰)、黒澤いつき(明日の自由を守る若手弁護士の会共同代表)・伊藤和子(弁護士、ヒューマンライツ・ナウ事務局長)・新崎盛吾(日本新聞労働組合連合委員長)・内田浩(出版労連書記次長)・中野晃一(『ヤスクニとむきあう』著者)・佐高信(週刊金曜日)・福島瑞穂(社会民主党副党首)・海渡雄一(福島瑞穂の事実婚夫)・白眞勲・有田芳生(民主党)らは、朝日新聞への批判の動きについて「戦前と同じ状況。戦争ファシズムは反対派の排除から始まる。急速な右傾化への危機感。いまは朝日を応援することが大事」などと主張、また、慰安婦問題についての国際世論は吉田清治の証言ではなく金学順の証言によって形成されたなどと主張し、朝日新聞への批判には虚偽性があるとし、批判した[302]。
同年9月21日、朝日新聞社が過去の慰安婦記事の一部取り消しのために同社幹部らが一部の省庁幹部に対して検証記事の意図や事情などを説明して回ったことが週刊ポストにより報じられた[303]。同記事では、朝日新聞社幹部が朝日新聞社を批判する新聞や雑誌など複数のメディアを挙げ「誤報を認めた部分以外をメディアから攻撃されたら、朝日の紙面で反論するだけでなく、積極的に提訴する方針だ」と述べたとする某省のメモを入手したと報じている[303]。同メモ内には朝日新聞社に批判的なメディアとしてSAPIOや産経新聞などが名指しされており「朝日が訴えたらそれらのメディアはひとたまりもないだろう。彼らは取材力が劣っているからだ」という主旨の発言が朝日新聞社幹部からあったと週刊ポストは報じている[303]。
2015年3月、慰安婦をめぐる朝日新聞の報道により誤った事実が国際社会に広まり、日本国民の人格権や名誉を傷つけたとする集団提訴は原告数2万5700人という史上空前の集団提訴となった[251][304]。
読者層
朝日新聞の読者は読売新聞に次いで首都圏と関西圏で多く、中日新聞に次いで名古屋圏で多い[305]。2013年現在シェア1位の都道府県はないが、全国的に満遍なく読まれている[305]。
また、読者の政治的革新性、大卒・院卒および上層ホワイトカラーの割合[306]、読者の平均世帯年収[307]、一部上場企業の課長・部長クラスへの到達率[308]等の要素について、全国紙の中で日本経済新聞読者に次ぐ水準であるという調査結果が存在する。
紙面
題字・地紋
- 朝日新聞の題字は、唐の書家である欧陽詢の『宗聖観記』の中の筆跡から作字したもので、1879年の創刊から使われている[309]。題字の「新」の中の「木」の部分は「未」となっている。これは古い字体であり、この文字が書かれた当時は誤字ではなかった。また、その「新」の字が『宗聖観記』の中に無かったことから、「親」の偏と「柝」の旁から点を取り除いたものを組み合わせて「新」を作字した[310]。
- 題字の地紋は、東日本(静岡県以東)と西日本(愛知県以西)で異なっている。東京本社と北海道支社の地紋は、1888年に「東京朝日新聞」として東京に進出した頃から使用している「サクラ」であり、「敷島の大和心を人をはば 朝日ににほふ山桜花」の古歌の意味を表している[309]。大阪本社と西部本社、名古屋本社の地紋は「浪速の葦(なにわのあし)」であり、大阪で創刊された新聞であることを表している[注 59]。
- なお、2007年頃から題字の左横には、朝刊には発行対象地域の天気予報(全国分は社会面)と主要注目記事目次と概要、更にその下に主要連載記事目次(大阪版は題字左横に主要連載記事目次<夕刊も同様>、天気予報は注目記事目次の下)、夕刊には「Be Evening」の記事紹介が掲載されている。なお天気予報については後述の番組表(除・大阪本社版)に一時期掲載されていたことがあった。
- テレビ番組の提供クレジットや広告媒体においては、題字とは異なるロゴが使われている。これは角ばった文字で書かれたもので、2001年頃から採用されている。当初の数年は「日」と「新」の一部を赤文字にして「21」に見えるようにしていたが、現在は「日」だけを赤文字にしたもの(他は黒文字)を採用している。
文字表記
- 1950年代から、当用漢字表外の漢字の表記について朝日新聞社が独自に簡略化した通称朝日文字と呼ばれる字体が使用されていたが[311]、2007年1月15日[312]に約900の漢字について康熙字典体に基づく字体に改められ、紙面から姿を消した。
- 朝日新聞が用いる書体も独自に開発したものであるが、出版社・新聞社やデザイナーより使用したいという要望が多く寄せられていたことから、2013年7月よりイワタを通じて書体がOpenType形式で順次発売されることになった[313]。
- 日付欄は2009年(平成21年)1月1日(木曜日)のように西暦と月日が太字で、元号と曜日が普通の字で表記されている。
広告
- 天声人語などのコラムが入試問題になることも多いため[注 60]、教育関連や就職情報などの広告が他紙に比べて多い(特集記事として「朝日求人」が掲載されることもある)。
- 過去に『週刊新潮』などが自社に批判的な記事を載せた際、事実誤認であると主張し、何度か広告掲載を拒否した事例もある(2005年12月15日、2006年10月4日)。
- 宗教関連の広告は、書籍広告を中心に出稿を受け付けている。幸福の科学については、同教団グループ会社の幸福の科学出版からの出稿のみ受け付けている[注 61]。近年は広告収入減の傾向にあるため、書籍広告に限り、創価学会[注 62]の広告も受け入れるようになった。ただし、冨士大石寺顕正会からの出稿は過去2度に渡って断っており、特に1997年7月16日朝刊に出稿を依頼した「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」の全面広告は他紙が軒並み受けたのに対し、朝日新聞だけは断固として拒否した[315]。→「冨士大石寺顕正会 § 歴史」も参照
- 2009年12月4日付の朝刊にて、40ページ中の9面にわたってONE PIECEの全面広告が掲載された[316][317]。
- 2010年4月20日付の朝刊にて、幻冬舎より発売の元バレリーナ草刈民代のヌード広告を掲載した。朝日新聞社は取材に対して、「弊社広告掲載基準にそって審査し、掲載しました」とコメントを発表[318]。
- 2011年2月3日付の朝刊にて、アイドルグループ「嵐」のメンバー5人の肖像画を、各人が主演したドラマの原作漫画家が書き下ろすという8ページ立ての広告特集が組まれた[319]。担当した漫画家は松本大洋(鉄コン筋クリート)、羽海野チカ(ハチミツとクローバー)、神尾葉子(花より男子)、長友健篩(バーテンダー)、藤子不二雄A(怪物くん)の5人。
番組表
1972年7月までは、番組表は東京本社と大阪本社の朝刊で中面に掲載(最終面は地方版)されていたが、最近では新聞休刊日を除き最終面に掲載。
1992年4月より、Gコード番組表を日本の新聞として初めて掲載した[320]。
- 当初は、東京版では夕刊の番組表を本編から切り離して別冊『Gセクション』として掲載。1面に在京キー局の翌日の放送開始から終了時(24時間放送の局は翌日基点時間〜翌々日の基点時間)の番組表、最終面には当日夕方17時から放送終了時(または翌日基点時)の番組表をフルサイズで掲載。その他、中面にはエンターテインメント関連の記事や、関東地方の独立UHF放送局、衛星放送、ラジオの番組表が掲載されていた。
- 大阪など他地区では、夕刊にジャンル別のGコード番組表を掲載。夕刊のない地域では土曜日に1週間のジャンル別番組表を載せた。
- その後、他の新聞にも掲載されるようになり、朝日新聞東京版夕刊の別冊記事は廃止され、夕刊・朝刊とも原則として最終面(休刊日は2日分を中面)にGコード番組表が載る様になった。
テレビ欄の掲載の特徴として、関東地方・近畿2府4県と系列放送局のない地域(山梨県・富山県・鳥取県・島根県・徳島県・高知県・佐賀県)、および加盟局がありながらもクロスネットである福井県・宮崎県を除いて、テレビ朝日系列(ANN)を日本放送協会の地上波の2チャンネルの次に載せている(関東・近畿はチャンネル順で、その他は開局順)。なお山陰地方では、系列外ではあるが朝日新聞社が主要株主であるBSSテレビが民放最左端である。また、NHK Eテレのデジタル別編成番組については別欄とせず、その日の深夜放送の番組の下(番組表の末尾)に載せている。なお、1996年ごろから、東京本社発行分では個別のラジオ番組の解説がなくなり、現在ではラジオ欄そのものを除いたラジオに関係する記事は、社会面などに掲載される場合を除くと、週1回掲載される「ラジオアングル」だけになっている[注 63]。
2009年3月30日付からは、関東地方向けのテレビ欄がテレビ放送開始以来長年続いたアナログチャンネル番号の小さい順から、地上デジタル放送のリモコン番号の小さい順に再編[注 64]され、中面に掲載されていたBSデジタル放送とWOWOWの番組表が最終面での掲載に変更された[注 65]。名古屋本社版では、およそ20年ぶりにテレビ愛知の番組表が在名他社より縮小され、ぎふチャン(岐阜放送)や三重テレビのサイズに近付いた[注 66]が、2010年春に元に戻った。また、ラジオ欄の局名表記は2009年3月30日付から東京本社版・名古屋本社版・北海道支社版では、長年掲載されていた周波数の表記が省略され、局名と問い合わせ電話番号のみの表記になった。ただし、関東版では同年5月頃に周波数表記が再開された[注 67]。
番組表は朝日新聞グループの日刊スポーツ新聞社の関連会社である日刊編集センターから配信されたものを掲載している[321]。
また、2011年3月31日まで大阪本社版(紙面配置スペースの関係上1面掲載)を除いて、最終面のテレビ面には全国の発行日付の天気予報が収録されていたが、文字のサイズ拡大に伴い、同年4月1日以後は、主要都市当日分は1面の題字左横、その他の都市の当日分を含む1週間分の天気は社会面に掲載するようになった(大阪は従前と同じ。1面題字左横は主要連載記事の目次[注 68]を載せている)。
版立て
最終版は、朝刊14版、夕刊4版。紙面枠外の上部に記載されている。 記事・写真の入稿締め切り時刻や、版ごとの配達地域は公表されていない。
4コマ漫画
1949年以降のものを記載。
- 朝刊
- ブロンディ(Murat Bernard "Chic" Young作) 1949年1月1日 - 1951年4月15日
- サザエさん(長谷川町子作) 1951年4月16日 - 1953年1月15日、1953年4月1日 - 1974年2月21日
- トンちゃん(矢崎武子作) 1953年1月16日 - 1953年3月31日
- フジ三太郎(サトウサンペイ作) 1979年1月1日 - 1991年9月30日
- となりのやまだ君(1997年1月1日より「ののちゃん」に改題、いしいひさいち作) 1991年10月10日 - 連載中(2009年11月22日から2010年2月28日まで、作者・いしいの病気療養のため休載)
- 夕刊
- サザエさん(長谷川町子作) 1949年11月30日 - 1951年4月15日(夕刊朝日新聞で連載)
- クリちゃん(根本進作) 1951年2月1日 - 1965年3月31日(1951年9月30日までは夕刊朝日新聞で連載)
- フジ三太郎(サトウサンペイ作) 1965年4月1日 - 1978年12月28日
- ペエスケ(園山俊二作) 1979年1月4日 - 1992年6月27日
- サミット学園(山井教雄作) 1993年6月1日 - 1996年3月30日
- Mr.ボォ(2000年4月3日より「ワガハイ」に改題、砂川しげひさ作) 1996年4月1日 - 2002年3月30日
- 地球防衛家のヒトビト(しりあがり寿作) 2002年4月1日 - 連載中
発行地域
夕刊発行地域
夕刊がある「朝夕刊セット版」の発行地域は北海道のうち上川、空知、石狩、後志、胆振、関東地方全都県(山梨県を含む)、静岡県、東海地方全県[注 69]、近畿地方全府県[注 69]、山口県、福岡県、沖縄県の以上22都道府県[322][注 70]。それ以外の地区では、朝刊のみの「統合版」が発行されている[322]。
縮刷版
- 一か月分の朝日新聞(朝日新聞東京本社発行の東京23区内最終版)の全紙面をA4サイズに縮小し、一冊の本にまとめたもの[323]。全国の図書館などで閲覧できるほか[324]、一般販売もされている[323]。
- 戦前は東京朝日新聞(現・朝日新聞東京本社)と大阪朝日新聞(現・朝日新聞大阪本社)が別々に縮刷版を発行していた[325]。
- 1950年9月27日に掲載した伊藤律の捏造会見(伊藤律会見報道事件)については、白紙にし「(お断り)こゝに掲載された伊藤律氏との会見記は事実無根と判明したので全文を削除しました。」と記述されており、元々掲載されていた記事を閲覧することはできなくなっている[326][注 71]。
- 1989年4月号には、4月20日付夕刊一面に掲載された、珊瑚記事捏造事件に発展した「サンゴ汚したK・Yってだれだ」の見出しによる写真記事がそのまま収録され、同日付の欄外に、「おことわり 写'89『地球は何色?』の写真については、本社の取材に過ちがありました。『おわび』を五月十六日付と同二十日付の朝刊一面に掲載しています。」と記述したお詫び文が記載されている。
- 通常の縮刷版とは別に、重大災害・事件・事故の際に「特別縮刷版」が発行される場合がある。1989年の昭和天皇崩御[327]や1995年の阪神・淡路大震災[328]、2011年の東日本大震災[329]の際は、重要記事を中心とした特別縮刷版が発行されている。
ネット事業
- 朝日新聞デジタル(2012年1月23日にasahi.comを統合)
- ブック・アサヒ・コム
- WEBRONZA
- どらく
- アピタル
- ジョブラボ
- アスパラクラブ
- コトバンク
- 朝日新聞スポーツ記者の表話・裏話(旧「スポーツポッドコーナー」ポッドキャスティング番組)
- ウェブ朝日新聞(2007年6月30日をもって休止)
- 新s(朝日新聞・日本経済新聞・読売新聞の3紙共同運営、2012年2月29日をもって休止)
冠ニュース番組
脚注
注釈
- ^ 2011年1月25日のサッカーアジア杯準決勝の日韓戦で、韓国代表の奇誠庸(キ・ソンヨン)選手がいわゆる「猿まねパフォーマンス」に対する釈明として旭日旗を持ち出して以降、にわかに朝日新聞社の社旗が注目されることとなった。朝鮮日報(2012年9月3日付)では『「軍国主義の亡霊」旭日旗、日本では一般的』と題し、「朝日新聞の社旗にも旭日旗の模様があしらわれている」と紹介されている。
- ^ 「朝日」の由来は、「旭日昇天 万象惟明」を基に、編集主幹だった津田貞の提案「毎朝、早く配達され、何よりも早く人が手にするもの」から。
- ^ 朝日新聞に掲載された最初の写真。
- ^ 現存するのは、同年12月発行の通号第4号から。
- ^ 2009年6月6日付の朝日新聞では、1947年6月9日連載開始とされている。
- ^ 1951年4月16日からは朝日新聞朝刊で連載。
- ^ 1951年10月1日からは朝日新聞夕刊で連載。
- ^ 朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞、産経新聞、東京新聞、東京タイムズの7紙。
- ^ 1979年1月からは朝日新聞朝刊で連載。
- ^ 2006年9月11日付の夕刊からは、文字の横線をやや太くした。
- ^ 大阪本社版は1面インデックス下側に記載。
- ^ ドラえもんが問いかける様な文体になっている。
- ^ 1905年9月1日付の朝日新聞では、「講和会議は主客転倒」「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」「小村許し難し」などと書かれた[39]。
- ^ 1918年11月15日に『大阪朝日新聞』と『東京朝日新聞』で共通の「朝日新聞編輯綱領」を制定し、同年12月1日に紙面で発表した。内容は「天壌無窮の皇基を護り、国家の安泰国民の幸福を図る事」「国民の思想を善導」「不偏不党の地に立ちて、公平無私の心を持し、正義人道に本きて、評論の穏健妥当、報道の確実敏速を期する事」「新聞の社会に及ぼす影響を考慮し宜しく忠厚の風を存すべき事」など。
- ^ 出兵反対派だった『大阪朝日新聞』は、1918年4月と同年5月に発売禁止処分を受けた。
- ^ 一例として、第一次上海事変中に敵陣に突入爆破した日本兵士を肉弾三勇士と称して勇者とし、歌を公募して戦意高揚を煽った。
- ^ 緒方竹虎は頭山満らによって1881年に結成された玄洋社の主要なメンバーの一人である。後にA級戦犯として文官でただ一人絞首刑となった広田弘毅も玄洋社の主要なメンバーの一人だった。広田は頭山の葬儀委員長、緒方は副委員長であった。
- ^ 笠信太郎は、朝日新聞社に入社する前は大原社会問題研究所のマルクス主義経済学者であり、著書『日本経済の再編成』(中央公論社、1939年)で中央政府による計画経済を主張した。
- ^ 佐々弘雄は、国家主義者の政治家である佐々友房の息子。近衛と近い右翼的な皇道派の将軍たちと結び、元蔵相の井上準之助、三井財閥の総帥團琢磨男爵および犬養毅首相を暗殺した血盟団事件、五・一五事件の極右テロリストたちとも手を組んだ[51][52][53]。1944年、彼らは海軍省教育局長高木惣吉少将らと共に、陸軍内部で皇道派と対立していた統制派のメンバーだった東條英機首相の暗殺を企てている[54]。
- ^ 作詞:東京朝日新聞「今日の問題」子、作曲:江口夜詩。
- ^ 当時の題字は『讀賣報知』である。
- ^ 村山長挙・上野精一の両社主は公職追放で1947年11月1日に社主から追放されたが、1951年8月8日に両者とも社主に復帰した。村山は追放期間中の経営陣をパージして会長に返り咲き(1951年11月30日。村山「復辟」という)、さらに社長に復帰した(1960年6月29日)。また、同じく追放された上野も取締役(1951年11月30日復帰)から会長に復帰した(1960年6月29日)。
- ^ 大阪朝日新聞・南鮮版 1938年12月28日付『密航朝鮮人送還』
二十六日朝釜山入航の釜博聯絡船珠丸で佐賀縣唐津から密航朝鮮人百八十名の大量送還があつたが、彼ら百八十名の朝鮮人は十月、十一月にわたり釜山松島海岸から密航をなしたものである - ^ 大阪朝日新聞・南鮮版 1939年1月31日付『密航朝鮮人送還』
三十日朝釜山入航の關釜聯絡船で福岡縣から密航朝鮮人四十六名が送還されて来たが、厳重な警戒を潜つて内地へ密航をなし送還されて来たもので新年に入つてから僅か一ケ月間に三百名に上つてゐる - ^ 2005年8月23日付社説「一つの法案に反対した前議員を容赦なく追いつめる。非情と映るやり方ではあっても、自民党を政策本位の政党に作り替える剛腕だと評価もできる」
2005年9月11日付社説「小泉首相はこれまで見たこともない型の指導者だ」
2005年9月12日付社説「首相は最後まで郵政民営化一本やりを貫き、『国民に聞きたい』と問い続けた。その意味でこの選挙は、まぎれもなく民営化の是非を問う国民投票だった。それが圧倒的に支持された以上、郵政法案をすみやかに成立させるべきなのはいうまでもない」 - ^ かつては進歩的文化人と同義で「朝日文化人」という用語も使用されていた[71]。
- ^ 2008年のチベット騒乱に端を発した北京オリンピックの聖火リレーへの抗議行動について、「五輪の祝賀ムードに水を差す」と非難した[83]。
- ^ 尖閣諸島中国漁船衝突事件に関連した記事でも、中華人民共和国寄りの論調が散見される[84]。
- ^ 1970年代当時の論説委員対談では「社論としては反原発の立場はとらない。反原発は署名記事で書くべき」「原発にはイエスバットだ」「原子力発電はすでに全電力の1割に到達しており反原発は非現実的だ」等の意見が述べられている[91]。
- ^ 北朝鮮のミサイル発射のために必要な発射台となるタンクローリーの不正輸出事件の報道においても他紙とは異なり、容疑者の実名・国籍の報道を行わない姿勢を貫いた[100]。ただし、本名で報道した事例も存在する[101]。
- ^ (例)中華人民共和国:胡錦濤→フー・チンタオ、中華民国:李登輝→リー・トンホイ、韓国:李明博→イ・ミョンバク、北朝鮮:金正日→キム・ジョンイル。
- ^ 朝日歌壇、朝日川柳など。
- ^ 朝日選書、朝日新書も参照。
- ^ ただし、該当記事にロイターのクレジットは入っていない。
- ^ 当時は朝日新聞社が大株主だった。
- ^ 1979年1月、仙台高等裁判所で懲役1年6か月、執行猶予5年の判決が確定。
- ^ 1976年8月から1977年12月まで、計235回の連載。
- ^ 1985年4月26日、懲役1年(執行猶予3年)および収賄額分の追徴金の判決。
- ^ 1985年4月26日、懲役1年6か月(執行猶予3年)の判決。板野は控訴したが、1994年10月に最高裁は上告を棄却し、懲役10か月(執行猶予2年)が確定。
- ^ 元理事長は懲役1年6か月執行猶予4年、元院長は懲役8か月執行猶予3年。
- ^ 病名は十二指腸乳頭周囲腫瘍。
- ^ その他にも、「警察官を国境警備員として紹介した」「自分の馬が死んで悲しむ少年の表情を映した場面で、実際に死んだのは別の馬だった」「わざと落石させて撮影を行った」「3カ月間、雨が降っていないと解説されたが、実際は少量だが降雨はあった」などの問題点が指摘された。
- ^ 当該公文書は琉球大学教授の我部政明と朝日新聞社が共同で入手。
- ^ 今上天皇と皇后美智子の第一皇女。
- ^ 河北新報「朝鮮人大暴動 食糧不足を口実に盛に掠奪 神奈川県知事よりは大阪、兵庫に向かひ食料の供給方を懇請せり。東京市内は全部食料不足を口実として全市に亘り朝鮮人は大暴動を起こしつつあり……」、福島民友「歩兵と不逞朝鮮人戦斗を交ゆ 京浜間に於て衝突す 火災に乗じ不逞鮮人跋扈 近県より応援巡査派遣……」など。
- ^ 1966・9・6付「紅衛兵三つの問題」森恭三論説主幹 朝日新聞の文革礼賛は、この記事の翌年、毛沢東が死去する1976年まで続いたとされている。(192頁 『朝日新聞の戦後責任』片岡正巳)
- ^ 元読売新聞サイゴン支局記者でポルポト兵士への取材経験もある山田寛は、「日本のジャーナリスト、学者にも『解放勢力』を応援し、主観的に『ポルポトは虐殺していない』と唱え続けた人たちがいた」と書いている。(5頁『ポルポト革命史』山田寛)
- ^ 1973年末、日本人記者とカメラマンが別々にポルポト占領区に入り、行方不明になっていた。80年代に死亡を確認(58頁 『ポルポト革命史』山田寛)。投降したポルポト側兵士が記者会見で、「新聞記者を捕まえたら殺せ」との命令が出ていた、と語っていた(52頁 同前)。1974年3月、投降したクメール・ベトミン幹部二人は、ハノイ・クメールの仲間達が粛清されていることを記者会見で明かした(60頁 同前)。記事4日後の4月23日バッタンバン市で、ロンノル派将校や下士官が何百人と虐殺された件は、早くから国外にも伝わった(69頁 同前)。
- ^ 都城歩兵第23連隊の生存者で結成する団体であり、宮崎市に事務局を置く。
- ^ 雑誌『WiLL』に勝谷が寄稿しているコラム「あっぱれ!築地をどり」や、勝谷のWeb日記「勝谷誠彦の××な日々。」(2007年1月末で終了。以降、有料メールマガジン「勝谷誠彦の××な日々。」で記述)では、常に朝日新聞の社説や論調に対する批判を書き綴っている。ただし、ラジオ番組などで朝日新聞のすっぱ抜き記事を紹介する際に賛美を贈ることもある。
- ^ 香山健一・渡部昇一の対談「朝日は日本のプラウダか? なぜ虚報批判に答えないのか」を掲載した『諸君!』昭和58年4月号の広告コピー。朝日新聞はこの広告コピーを「朝日はなぜ回答しないのか」に変えて掲載した。
- ^ 中華人民共和国憲法の総則では社会主義国家を謳っているが、現在の中国が実態として社会主義国か否かについては議論がある[266]。
- ^ 辛坊治郎は、日本テレビ『ズームイン!!SUPER』(2008年9月10日)のコーナーにて「在日朝鮮人が犯罪を起こした時に通名で報道する朝日はおかしい」と批判した。
- ^ 浦安市は抗議書の中で「新成人にとっては、一生に一度の成人式である。その成人式を自分たちの手で作り上げてきた新成人たちを中傷する貴社の記事は到底許されるものではなく、強く抗議する」と伝えた。
- ^ 「安倍首相辞任で一番ガッカリしているのは朝日新聞だろう。なにせ毎日いじめていた相手が突然転校してしまったのだから。むろんこれは逆説だ。しかし同紙の安倍政権に対するネガティブ(否定)キャンペーンはすさまじく、これにはいくら強靱な神経の持ち主でも参るだろう。」[279]
- ^ 具体的には「人の命を絶つという極刑を実施するのだから、心境は穏やかではない。しかし、どんなにつらくても社会正義のためにやらざるを得ない。宮崎勤死刑囚らにも人権も人格もある。司法の慎重な判断、法律の規定があり、苦しんだ揚げ句に執行した。死に神に連れていかれたというのは違うと思う。(記事は)執行された方に対する侮辱だ。私を死に神と表現することがどれだけ悪影響を与えるか。そういう軽率な文章を平気で載せる態度自身が世の中を悪くしていると思う」と述べ、朝日新聞を批判した。
- ^ 同日付の『朝日新聞』では、前日10月29日の昼食会(首相側近の萩生田光一衆議院議員、山本一太参議院議員が同席)において、民主党幹事長の枝野幸男衆議院議員を巡る、政治資金の問題が発覚したことを念頭に、安倍晋三首相が「これで『撃ち方止め』になればいい」と発言したと報道した。なお、同発言に関しては、朝日新聞のほか、産経新聞、毎日新聞、日本経済新聞、共同通信が、同時に報道している。
- ^ 自由民主党総裁特別補佐の萩生田光一衆議院議員
- ^ 朝日新聞社の社旗も東日本と西日本で異なっており、東日本では朝の字が左端にあって旭光が右に向かっているのに対し、西日本では逆に朝の字が右端にあって旭光が左に向かっている。
- ^ 他紙と比較して大学入試における採用数が多い傾向にあり、ベネッセグループ・プランディットの集計では2010年度で265大学518記事(2位の新聞は21大学32記事)である[314]。
- ^ 教団発足当初の1990年12月から、大川隆法の著作や東京ドーム講演会などの広告を掲載していた。
- ^ 出版社関連では聖教新聞社、潮出版社、第三文明社など。
- ^ 大阪本社版は現在もラジオ番組の解説がある。
- ^ 2009年3月29日付まで日本テレビ→TBSテレビ→フジテレビ→テレビ朝日→テレビ東京の順番だったが、日本テレビ→テレビ朝日→TBSテレビ→テレビ東京→フジテレビという順番に再編。日刊スポーツ、日本経済新聞、産経新聞東京本社版(首都圏版)、聖教新聞東京都内版、読売新聞東京本社版(首都圏版)は2011年7月24日より朝日新聞と同様、地上デジタルのリモコン番号順に再編されている。
- ^ スター・チャンネル、BSイレブン、TwellVは従来通り中面に掲載。
- ^ テレビ愛知の番組欄は、夕刊では従来通りフルサイズ掲載。
- ^ 左端の「ラジオ」コーナー表記の下に全局一括掲載。
- ^ 大阪本社以外は主要注目記事目次の下。
- ^ a b 三重県でも全域で夕刊を販売しているが、伊賀・東紀州では大阪本社版、他は名古屋本社版の夕刊である。
- ^ 山間部、離島などの一部では統合版のみの地域もある。
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参考文献
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- 読売新聞論説委員会編 編『読売vs朝日 社説対決北朝鮮問題』辺真一・柘植久慶解説、中央公論新社〈中公新書ラクレ〉、2002年12月。ISBN 4-12-150072-5。
- 読売新聞論説委員会編 編『読売vs朝日 21世紀・社説対決』中央公論新社〈中公新書ラクレ〉、2004年8月。ISBN 4-12-150143-8。
- 読売新聞論説委員会編 編『読売vs朝日 21世紀・日本のゆくえ』中央公論新社〈中公新書ラクレ〉、2008年1月。ISBN 978-4-12-150266-7。
- 読売新聞編集局『徹底検証 朝日「慰安婦」報道』中央公論新社、2014年9月。ISBN 978-4-12-150509-5。
- 産経新聞社『歴史戦 朝日新聞が世界にまいた「慰安婦」の嘘を討つ』阿比留瑠比、産経新聞出版、2014年10月。ISBN 978-4-819-11253-6。
- 文藝春秋 編『「従軍慰安婦」朝日新聞VS.文藝春秋』文藝春秋〈文春新書〉、2014年10月。ISBN 978-4-16-660997-0。
- 安田将三、石橋孝太郎『朝日新聞の戦争責任 東スポもびっくり!の戦争記事を徹底検証』太田出版、1995年8月。ISBN 4-87233-236-9。
朝日新聞批評書籍
- 小林よしのり、井沢元彦 『朝日新聞の正義』、小学館、1999年11月、ISBN 978-4094023039
- 朝南政昭 『朝日新聞のトンデモ読者投稿』、晋遊舎、2007年4月、ISBN 978-4883806164
- 勝谷誠彦 『あっぱれ!懲りない朝日新聞』、ワック、2013年2月、ISBN 978-4898316757
- 古森義久 『朝日新聞は日本の「宝」である』、ビジネス社、2014年11月、ISBN 978-4828417820
- 室谷克実 『朝日新聞「戦時社説」を読む』、毎日ワンズ、2014年11月、ISBN 978-4901622813
- 朝日新聞記者有志 『朝日新聞 日本型組織の崩壊』、文藝春秋、2015年1月、ISBN 978-4166610150
- 渡辺龍太 『「朝日新聞」もう一つの読み方』、日新報道、2015年2月、ISBN 978-4817407832
関連著名人
提携通信社・新聞社
関連項目
- 朝日新聞を糺す国民会議
- 大阪朝日新聞
- 東京朝日新聞
- 夕刊朝日新聞
- 朝日新聞国際衛星版
- 朝日新聞デジタル
- 天声人語
- 素粒子
- be
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外部リンク
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