澤柳亮太郎
福岡ソフトバンクホークス #38 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都青梅市 |
生年月日 | 2000年3月8日(24歳) |
身長 体重 |
178 cm 88 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2023年 ドラフト5位 |
初出場 | 2024年4月4日 |
年俸 | 1000万円(2024年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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澤柳 亮太郎(さわやなぎ りょうたろう、2000年3月8日 - )は、東京都青梅市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]青梅市立第二小学校5年生のときに『青梅ファイヤーホークス』で野球を始め[2]、青梅市立第二中学校では硬式野球の『福生シニア』でプレーし、投手であった[3]。
明治学院東村山高校では3年春から背番号1を付け[2]、3年夏は西東京大会ベスト32であった[3]。
明治学院大学へ進学し、1年春から起用され[4]、2年春からエース[2]。3年時から[3]はチーム事情により、試合の中盤以降にマウンドへ上がり、最後まで投げ切る役割を任された[5]。4年間首都大学リーグ二部でプレーし、プロ志望届を提出するも指名漏れ[6]。社会人野球へ進むため、知り合いの伝手をたどって社会人チームに「一度見てくれませんか?」と視察を直談判し[2]、門前払いされたこともあったが、ロキテクノ富山の藤田太陽監督が興味を持ち、入部が決まった[6]。
ロキテクノ富山では1年目にチーム初となる都市対抗出場に貢献[6]。秋には日本代表としてU-23ワールドカップに出場し、勝ちパターンを任され、チーム2位の5試合に登板して優勝に貢献した[4]。2年目は都市対抗北信越予選準決勝でバイタルネットに敗れ[7]、日本選手権北信越予選準決勝ではバイタルネットに勝利したが[8]、決勝で信越クラブに敗れた[9]。
2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、福岡ソフトバンクホークスから5位指名を受けた[注 1]。11月23日に契約金4000万円・年俸1000万円(いずれも金額は推定)で仮契約を結び[1]、12月4日、福岡市内で入団発表会見が行われた[10]。背番号は38[11]。担当スカウトは松本輝[12]。
ソフトバンク時代
[編集]2024年は新人合同自主トレ終盤に左膝の違和感でブルペン投球を回避し、春季キャンプはC組スタートとなった[13]。2月27日(最終クール)からB班に合流し[14]、対外試合では5試合連続無失点[15]。3月17日から一軍に合流し[16]、開幕も一軍で迎え[17][18]、4月4日の千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初登板となり、1イニングを投げ、プロ初奪三振を含む三者凡退に抑えた[19]。同26日に出場選手登録を抹消されて[20]以降は5月に二度[21][22]、6月に一度再登録されたが[23]、いずれも登板機会が無いまま登録抹消[24]。ただ、7月5日に再登録されて[25]以降は一軍登板を重ねた。8月1日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では4点リードの4回裏二死満塁、小深田大翔を迎えた場面で先発の大山凌をリリーフ。小深田を空振り三振に仕留めると、5回裏も続投し[26]、二死二・三塁のピンチを招いたものの、浅村栄斗を空振り三振に仕留め、プロ初勝利を挙げた[27]。しかし8月10日、対楽天16回戦(みずほPayPayドーム福岡)で、先発有原航平が3回6失点で降板した後の4回表に2番手で登板した際、右肘の異変で緊急降板[28]、9月4日、横浜市内の病院にて右肘関節内側側副靭帯再建術(トミー・ジョン手術)および右肘頭骨接合術を行い、復帰までおよそ1年〜1年半の見込みであることが球団から発表された[29]。ソフトバンクのレギュラーシーズン日程終了後の10月7日、育成選手契約への移行を前提とした戦力外通告を受けた[30]。
選手としての特徴
[編集]ストレートの最速はアマチュア時代に151km/h[2]、プロ入り後は154km/hを計測[15]。また、ホップ成分は55cm前後[31]、回転数は最高2570rpm・平均2453rpm(都市対抗での計測)と回転数も多い[4]。
変化球は2種類(縦・横)のカットボール[6]、変化量が60cmを超える落差のあるカーブ[31]、独特な落ち方をするフォークを投じる[2]。
三振を奪えることが特徴[4]。社会人時代はカットボールとフォークを決め球としていたが[6]、福山龍太郎アマスカウトチーフは「ウチなら、藤井(皓哉)クラスの真っすぐとモイネロのカーブの落差。110cmを超える変化量のある幅は、球界で言えば宮城(大弥)やモイネロなどのピッチャーの成分」と投球割合が少なかったカーブを高く評価した[31]。
詳細情報
[編集]記録
[編集]- 初記録
- 初登板:2024年4月4日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(福岡PayPayドーム)7回表に2番手で救援登板、1回無失点[19]
- 初奪三振:同上、7回表に中村奨吾から空振り三振[19]
- 初勝利 : 2024年8月1日、対東北楽天ゴールデンイーグルス15回戦(東京ドーム)4回裏に2番手で救援登板、1回1/3を無失点[27]
背番号
[編集]- 38(2024年 - )
代表歴
[編集]- 2022年 - 第4回 WBSC U-23ワールドカップ[32]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 「【ソフトバンク】ドラフト5位、ロキテクノ富山・沢柳亮太郎が契約金4000万円で仮契約」『日刊スポーツ』2023年11月23日。2023年11月23日閲覧。
- ^ a b c d e f 「学生時代は無名ながら最速151キロ2500回転の直球に独特フォーク 沢柳亮太郎がロキテクノ富山から初のプロ入り狙う」『中日スポーツ』2023年5月18日。2023年11月23日閲覧。
- ^ a b c 「ソフトバンクのスカウトが〝一目ぼれ〟した「モイネロ級カーブ」、ドラ5社会人右腕は摂津正になれる即戦力の「お宝」(3/3ページ)」『西スポWEB otto!』2023年11月2日。2023年11月23日閲覧。
- ^ a b c d e 「2023/10/26 澤柳亮太郎投手 ドラフト指名」『明治学院東村山高校野球部OB・OG会』2023年10月26日。2024年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月17日閲覧。
- ^ 「【大学野球】 明学大からプロを目指す150キロ右腕・沢柳亮太郎 救援で4回6K無失点」『スポーツ報知』2021年9月19日。2023年11月23日閲覧。
- ^ a b c d e f 「ソフトバンク5位のロキテクノ富山・沢柳亮太郎「無名でも諦めずに努力すれば必ず道は開ける」指名漏れに門前払いも経験」『西スポWEB otto!』2023年10月27日。2023年11月23日閲覧。
- ^ 「【都市対抗北信越予選】バイタルネット新潟県勢9年ぶり本戦王手 反撃逃げ切り2年ぶり代表決定戦」『日刊スポーツ』2023年6月4日。2023年11月23日閲覧。
- ^ 「新潟県勢バイタルネットが準決勝で敗退、3年連続の本大会出場逃す」『新潟日報デジタルプラス』2023年9月16日。2023年11月23日閲覧。
- ^ 「大逆転劇に監督絶叫 信越クラブ、4大会ぶり日本選手権 社会人野球」『毎日新聞』2023年9月17日。2023年11月23日閲覧。
- ^ 「ドラ1・前田悠伍の目標は「200勝投手」福岡ソフトバンク新入団選手発表会見」『スポーツナビ』2022年12月4日。2023年12月22日閲覧。
- ^ 「【ソフトバンク】新人背番号一覧 ドラ1前田悠伍は千賀の41、ドラ2岩井俊介は27」『日刊スポーツ』2023年12月4日。2024年3月10日閲覧。
- ^ 「【ドラフト】ソフトバンク5位ロキテクノ富山・沢柳亮太郎、同社の創部以来初のプロ入り」『日刊スポーツ』2023年10月26日。2024年8月3日閲覧。
- ^ 「ソフトバンク・ドラ5沢柳亮太郎、早期の〝宮崎行き〟を誓う 左膝の違和感も「しっかりした状態で上がりたい」」『西スポWEB otto!』2024年1月27日。2024年3月28日閲覧。
- ^ 「ソフトバンク沢柳亮太郎がB組へ「ここから気負うことなくやっていく」 左膝の違和感で出遅れも、筑後で状態取り戻す」『西スポWEB otto!』2024年2月25日。2024年3月28日閲覧。
- ^ a b 「「天国みたいな場所にいる」ソフトバンク沢柳亮太郎、プロの環境が後押しする右肩上がりの成長曲線」『西スポWEBotto!』2024年3月17日。2024年3月17日閲覧。
- ^ 「ソフトバンク ドラフト5位の沢柳が1軍合流「結構びっくり」16日のウエスタン戦で好投」『デイリースポーツ』2024年3月17日。2024年3月28日閲覧。
- ^ 「【ソフトバンク】ドラ2岩井俊介とドラ5沢柳亮太郎が開幕1軍入り「1軍レベル」倉野Cも評価」『日刊スポーツ』2024年3月24日。2024年3月28日閲覧。
- ^ 「24年度「開幕一軍」の登録公示 ソフトバンクは新加入の山川・ウォーカーを含む26名」『BASEBALL KING』2024年3月28日。2024年3月28日閲覧。
- ^ a b c 「ソフトバンク5位の澤柳亮太郎 今季ルーキー初登板1号で1回ピシャリ キャンプC組スタートで受けたレジェンドからの鼓舞」『西スポWEB otto!』2024年4月4日。2024年8月2日閲覧。
- ^ 「ソフトバンク、ドラ5ルーキーの澤柳亮太郎が出場選手登録を外れる 代わって左腕ヘルナンデスが1軍合流へ」『西スポWEB otto!』2024年4月26日。2024年8月2日閲覧。
- ^ 「【セパ公示】(6日)DeNAが筒香嘉智を登録、ヤクルトが山田哲人らを抹消」『スポーツ報知』2024年5月6日。2024年8月2日閲覧。
- ^ 「【セパ公示】(31日)DeNAが牧秀悟、阪神が青柳晃洋、ロッテが美馬学を登録」『スポーツ報知』2024年5月31日。2024年8月2日閲覧。
- ^ 「【セパ公示】(15日)オリックスが茶野篤政を登録し来田涼斗を抹消 ヤクルトが奥川恭伸を抹消」『スポーツ報知』2024年6月15日。2024年8月2日閲覧。
- ^ 「【筑後鷹】ドラ5・沢柳の心は折れない 今季早くも4度の登録抹消を経験「1軍の仲間だと忘れないように」」『Sponichi Annex』2024年7月2日。2024年8月2日閲覧。
- ^ 「【セパ公示】(5日)DeNAが筒香嘉智を抹消 ソフトバンクが和田毅を登録」『スポーツ報知』2024年7月5日。2024年8月2日閲覧。
- ^ 「ドラ5ルーキー・澤柳亮太郎がプロ初勝利 2死満塁を退ける見事な火消しを披露」『パ・リーグ.com』2024年8月1日。2024年8月2日閲覧。
- ^ a b 「「強い負けん気」で切り抜けたピンチ 両親の前でソフトバンクのドラフト5位ルーキー澤柳亮太郎がプロ初勝利」『西スポWEB otto!』2024年8月1日。2024年8月2日閲覧。
- ^ 「有原航平が3回KO、澤柳亮太郎は緊急降板…ソフトバンクの9連戦は波乱の幕開け 小久保監督は8月急変の右腕に「修正してもらって」」『西スポWEB OTTO!』西日本新聞社、2024年8月10日。2024年9月4日閲覧。
- ^ 「ソフトバンクドラ5澤柳亮太郎がトミー・ジョン手術 復帰まで1年~1年半見込み」『西日本スポーツ』2024年9月4日。2024年9月4日閲覧。
- ^ 「【ソフトバンク】沢柳亮太郎や育成8選手を戦力外 右肘手術の沢柳とは育成選手で再契約へ」『日刊スポーツ』2024年10月7日。2024年10月9日閲覧。
- ^ a b c 「ソフトバンクのスカウトが〝一目ぼれ〟した「モイネロ級カーブ」、ドラ5社会人右腕は摂津正になれる即戦力の「お宝」(1/3ページ)」『西スポWEB otto!』2023年11月2日。2023年11月23日閲覧。
- ^ 「第4回 WBSC U-23ワールドカップ」『野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト』。2024年3月10日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 澤柳亮太郎 - NPB.jp 日本野球機構
- 38 澤柳 亮太郎 選手名鑑2024 - 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト
- 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE
- 澤柳亮太郎 (@ryo_taro.38) - Instagram